小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

幕末の「怪外人」平松武兵衛 6

2007-11-05 19:15:33 | 小説
 ところで平松武兵衛の年齢を、甘糟は30才前後と踏んでいたわけだが、実際は24才だったはずである。外人の年齢を当てるのは容易ではないが、青年ヘンリー平松は、それなりに成熟した印象を与えていたのであろう。
 日本語で手紙も書けたらしい。よほど若くして日本語を本格的に勉強しているのである。
 そのヘンリー平松は、どうやら日本人妻を得たらしい。会津藩士小野権之丞の日記によれば、「ス子(ネ)ール妻子ニ贈物遣ス」という記述がある。会津若松の籠城戦から逃れて、仙台に到着したおり、妻子を伴っているのだ。子の年齢はわからない。いずれにせよ実子ならば幼児のはずだ。
 小野権之丞はスネル(表記はス子ール)と書いて、平松武兵衛とは書かないが、敗色濃厚となった戊辰戦争末期には、スネル自身が日本名を捨てていたのかもしれない。
 戦争が終って、明治2年になると、ヘンリー・スネルは渡米する。
 一家だけではない。会津若松人約40名をひきつれてである。スネルが勧誘しての移住である。
 カリフォルニア州エルドラド郡コルマのゴールドヒルに「ワカマツ・コロニー」を建設、農園経営をはじめるのであった。
 日本から持ち込んだ茶やミカンなどの栽培、ほかに菜種、桑、竹などを繁殖させようとしたが、失敗。一年足らずで移住民はばらばらになっている。
 その中には、この地で死んだ19才のおけいという女性もいた。会津出身の作家早乙女貢氏に「おけい」という小説がある。残念ながら私はまだ読んでいない。
 ヘンリーはその後、妻子を連れて日本に帰ったという説がある。ただし消息は不詳である。
 弟エドワルドに目を向けてみよう。彼には、明治5年、6年、7年と断片ながらも消息を知る史料がある。


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