小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

西南戦争 この日本史上最後の内戦  1

2007-04-12 18:25:03 | 小説
 奄美諸島で明治8年に「勝手世」運動というのが起きている。島の名産である黒糖販売の自由化を求める運動だった。廃藩置県後に明治政府は奄美地方の砂糖の自由販売を許可したにもかかわらず、士族によって設立された「大島商社」が砂糖を専売、藩政時代と変らない搾取を行っていた。その不法を島民に訴え、運動のリーダーとなったのはイギリスから帰郷したばかりの26才の丸田南里だった。丸田はグラバーに誘われて慶応初年に密航していたというから、先進国のありようをつぶさに見聞していた。彼から見れば、奄美の島はまだ中世だった。運動は、いくらか半植民地闘争に似ていた。
 だから明治10年1月、島民の陳情団、一次、二次合わせて総勢55名が鹿児島に向かうと、県庁は全員を投獄してしまうのである。
「大島商社」の設立には西郷隆盛が力を貸していた。その西郷は島に流されているときに、愛加那という島妻を得、ふたりの子供までなしていた。陳情団の中には西郷と親交のあった者たち、また愛加那の親類も含まれていた。西郷の助力に期待するところもあったのである。しかし、旧城下士によって理不尽にも投獄されたのであった。
 そして西南戦争が始まると、陳情団の中から35名が強制従軍させられ、6人が戦死、14名が行方不明となった。もとより彼らは戦死するために鹿児島に来たのではなかった。けれども、これが西南戦争の一断面である。
 今年、西南戦争から130年の節目に当たる。西南戦争というものを振り返ってみようと思う。パッチワークのように断片をつなぐような作業になりそうだけれど。


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