戦国の世に「サヤカ」という男がいた。本名はよくわからない。日本人だが、金忠善という韓国名がある。おそらく日本での知名度より、韓国での知名度が高いはずだ。なにしろ、日本ではこの人物のことは歴史から抹殺しようとした気配すらあった。秀吉の朝鮮出兵のおりの日本戦士(あえて武将とは書かない。理由はのちに述べる)で、朝鮮側に寝返った人物である。あまつさえ秀吉軍の強敵となり日本軍を苦しめた。韓国では英雄視されている人物のはずだ。そんな人物など存在したはずはない、というわが国の歴史学者もいたが、どっこい韓国には子孫がたくさんおられる。
1999年、ソウル市近郊の幸州山城で「壬乱終戦400週年記念 韓日武将後孫親善会」が開催されている。「壬乱」とは壬申倭乱の略であり、わが国では「文禄・慶長の役」という、いわゆる秀吉の朝鮮出兵のことである。400年も経ったのだから子孫同士は仲良くしましょうという趣旨の集まりだったようだようだが、そのメンバーの中にも、サヤカの子孫はいた。
サヤカは漢字で「沙也可」と表記される。さて、彼はいかなる人物であったか。
1999年、ソウル市近郊の幸州山城で「壬乱終戦400週年記念 韓日武将後孫親善会」が開催されている。「壬乱」とは壬申倭乱の略であり、わが国では「文禄・慶長の役」という、いわゆる秀吉の朝鮮出兵のことである。400年も経ったのだから子孫同士は仲良くしましょうという趣旨の集まりだったようだようだが、そのメンバーの中にも、サヤカの子孫はいた。
サヤカは漢字で「沙也可」と表記される。さて、彼はいかなる人物であったか。