小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

孝明天皇 その死の謎  4

2007-06-13 16:19:44 | 小説
 ともあれ、孝明天皇の症状と死にいたる経過を確認しておかなばならない。『孝明天皇紀』や『中山忠能日記』の記述に頼るしかないが、発病は12月12日であった。以下は尾崎秀樹氏がかってまとめた経緯(『歴史と旅』63/1所収『にっぽん裏返史・孝明天皇の死因』)を孫引きながら参照させていただく。
 最初は風邪の発熱とみられていた。14日になって、山本典薬少允が痘瘡(天然痘)と診断した。翌15日には手に吹出物があらわれた。16日には朝から吹出物があって、典医たちがそろって痘瘡と診断した。17日、典医15名が連名で、武家伝奏(広橋家)に、痘瘡と診断したが「総体に御順よろしく、御相応の容態である」旨、報告している。18日、吹出物が多くなる。護淨院の湛海僧正が招かれて祈祷を行う。
 19日夜から丘診期、21日頃から水痘期、23日頃からは膿疱期に進み、カサブタが乾きはじめ、食欲も回復、夜中も安眠されるようになった。23日の湛海僧正の日記には「後静謐」とあって、症状は落着きはじめている。ところが24日夜、症状は急変、25日は「後九穴より御脱血」(『中山忠能日記』)という異常な死に方をされるのであった。
 九穴ということは、目や耳からも出血したということであろうか。『中山忠能日記』を確認してみたけれど、たしかに12月28日の記述に、その文言はあって、「実に以て恐れ入」ったと記している。
 さて、なにかがおかしい、と前に書いた。天然痘の感染は、飛沫感染や接触感染によるとされている。身近に天然痘をわずらった者がいたら、空気感染するといったようなものではないはずだ。患者の口や鼻からの分泌物、つまり唾液や鼻汁を口にでもすれば、一発で感染するだろうが、天皇はいったいどのように感染したのか、疑問は解消されないのである。しかも、潜伏期間がある。ふつう、感染しても発症するに12日、早くて一週間、遅ければ16日間の潜伏期間があるらしい。


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