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人生訓?

 日々の塵芥に倦み疲れ、自省することなど稀である私でも、時には己を振り返ることがある。そうした折、人生訓と呼ぶべき次の3つの言葉が浮かんでくる。

 ・「己の欲せざるところ、人に施す勿れ」
 ・「手段が目的を正当化する」
 ・「己が選択した事柄について全責任を負う」

 1つめは「論語」の「衛霊公」にある、
   子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人
   (子貢問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、子曰く、「それ恕か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」)
に拠る。「論語」を古臭い説教書と見なすなかれ。現代にも通用する金言に溢れている。「自分が好まないことは、きっと他人も好まないことであるから、他人に向かって実行してはいけない。」などというのは当たり前だとは思うが、そんなことも分からぬ人々で満ちているから、この世は生きにくいのだろう・・・。

 2つめはA.カミュの言葉のはず・・。出典が定かではないところがいい加減だが、確かどこかに書かれていた。大学の卒論にカミュをテーマにしたのはこの言葉に多大な影響を受けたからだ。「目的が手段を正当化する」という論理が幅を利かすこの世において、「手段が目的を正当化する」という視点を持つことは大切なことだと思う。ただ、長い間生きてきて、この理念によって行動の幅が狭められたりすることもあるのを感してきているので、時には後先考えずに行動することも大事なのかもしれない、とも思っている。

 3つめの言葉はJ.P.サルトルの「実存主義」に関して私なりに解釈した言葉である。
「おのれが選択した事柄について全責任を負う。その影響が世界に対して及ぶという意味において、全人類に対して責任を負うの一歩、一歩、進む実存主義者のゆくさきに、先駆的な価値観による展望を付加することは誰であっても、できない」
などと解説されても、何のことやらさっぱり分からない。カミュ、サルトルなどという名前を知っている人は少なくなっただろうが、せめてその思想のエッセンスは忘れられないようにしたい。その意味においても、上の2つの言葉は現代でも生き方の指針として大切だと思う。
 
 これらの3つの指針に従って今回の消費税増税に対して考えてみると・・、
「誰だって税金を払うのはイヤだ。しかも税金の無駄遣いをなくすことを公約した民主党だから1票入れたのに、それも道半ばで消費税増税を訴えるのは公約違反ではないか」
「財政再建を錦の御旗に増税を正当化されても納得できるはずがない。税金の無駄遣いを少しでも減らしたことが目に見えなければ、とても同意できるものではない」
「菅総理は己の発言に全責任を持っているのだろうか。消費税に関して猫の目のように変わる発言を聞いただけでもその迷走ぶりがうかがえる」

 今度の選挙について言うのなら、小さな政党が乱立気味にもかかわらず、この政党とその候補者に1票入れたいと思う党がないのが一番悲しいところだ・・。
 
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