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北京オリンピック閉幕

 北京オリンピックが閉幕した。まずは大きな支障もなく、全日程を終えられたことを喜ぼう。その間私は様々な競技に熱狂し、感動し、涙した。この日のために弛まぬ努力を続け、その成果を十二分に発揮できた選手、不完全燃焼に終わってしまった選手、まさに十人十色のオリンピックであっただろうが、私は一人のスポーツファンとして、出場した選手一人一人に「ご苦労様」とねぎらいの声を掛けたいと思う。
 

 オリンピックの精神は幻想であるという人もいる。確かに、
「オリンピックムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」
などということを現在まともに信じている人はあまりいないであろう。現実に北京オリンピック開催を狙ったかのように、ロシアとグルジアが紛争を始め、今なお情勢は混沌としている。さらには、二国間の争いだけでなくアメリカやEU諸国も巻き込んだ国際的な紛争に発展しつつあり、今後の動向次第では冷戦の悪夢が再現されるかもしれない。しかも、この紛争には経済的要因も複雑に絡み合っていて、この混沌を快刀乱麻のように解決する策などないように思われる。新聞やTVの解説を読んでも私ではよく分からないから、一日も早く平和が訪れることを祈るしかできない。
 こうした情勢を鑑みれば、北京オリンピックで発揚されたスポーツマンシップ、国境を越えた友愛の精神など、厳しい現実の前では何の力も持たないように見えてしまう。オリンピックを終えた中国自身が今後の民族運動にどう対処していくかも世界中が注目するところであり、一歩間違えれば国際的に非難の嵐にさらされることにもなりかねない。オリンピック後の世界は問題山積の状況であり、舵取りを誤れば多くの国を巻き込んだ混乱に発展する可能性は十分にある、などとも言われている。くわばらくわばら・・・。
 しかし、しかしである。そんなに悲観する必要もない、人間は互いを理解しあえないはずはない、とオリンピックの中継を見るたびに思ったのも事実である。どれだけ厳しい戦いをしてきた選手同士でも、いったん結果が出て表彰台に上ってしまえば、互いの健闘を心から称え合う、そんなシーンを何度となく見てきた私には、オリンピック精神は決して幻想ではないと思える。角つき合わせて戦ってきた者たちが、結果は結果として素直に受け入れ、戦いが終わってしまえば抱き合うこともできる、それを幻想と言ってしまっては余りにも悲しいし、選手一人一人に対する侮辱であるとさえ思う。
 「オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴される通り、普遍的かつ恒久的であり、5大陸にまたがるものである」
という文言を決して理想論に終わらせてはならないと思う。スポーツと政治は次元が違う、と言われるかもしれないが、どちらも人間がやること、大差があるはずもない。ただ、勝利という目的に向かってただひたすら精進すればいいスポーツと、複雑な利権や思惑が絡み合った政治とでは、同じ土俵で語るには無理があるのは承知しているが、それでも昨今の世界の政治状況はスポーツの世界と大差がないように思えてしまう。勝つか負けるか、そうした面ばかりクローズアップされるのは日本だけでなく世界的傾向のようだが、そうした情勢に楔を入れるだけの力を持たない政治的貧困さが現代世界の一番の問題なのかもしれない。だが、それこそが現状なのだから、どうにかしてそれを打破しようとしなければならない。
 
 次のオリンピックは2012年のロンドン大会。それまでに世界が少しでも安定して、無事オリンピックが開催できるよう、祈る。
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