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大国を治むるは小鮮を烹るが如し

 高校生が「老子の『大国を治むるは小鮮を烹るが如し』の書き下し文や現代語訳ありませんか」ときいてきた。「老子ねえ。俺は老子が好きで、高校生の頃『老子』全文を白文で写したなあ・・」
とどうでもいいことを言いながら、参考書を探してみたらあった。コピーして渡したが、改めて読んでみたらちょっと衝撃的(?)なことが分かったので、以下に写してみる。

[書き下し文]
大国を治むるは小鮮を烹るが若(ごと)し。
道を以って天下に莅(のぞ)めば、その鬼(き)、神(しん)ならず。
その鬼、神ならざるに非ず、その神、人を傷(やぶ)らず。
その神、人を傷らざるに非ず、聖人もまた人を傷らず。
それ両(ふた)つながら相傷らず、故に徳交(こもごも)帰す。

[現代語訳]
国を治めるのは小魚を煮るようなもの、やたら掻き回してはならない。
無為の「道」をもって天下を治めれば、鬼神も祟りを起こさなくなる。
いや、祟りを起こさないわけではない。祟りを起こしても、人に害を与えなくなるのだ。
鬼神が害を与えなくなるだけではない。為政者も害を与えなくなる。
鬼神も為政者も害を与えない。その結果、両者の徳が政治に反映されるのだ。

[解説]
「小鮮」とは小魚のこと。小魚を煮るとき、やたら突いたり、掻き回したりすると、形も崩れるし、味も落ちてしまう。そろりそろりと煮るのがコツなのだという。国の政治もそれと同じこと。細かな所までうるさく干渉すれば、下からの活力を殺してしまい、はては無用な反発さえ招きかねない。肝心な所だけおさえておいて、あとは民間の活力に任せたほうがうまくいくのだという。

 これを読んで安倍ちゃんがここ最近表に出てこない理由が分かった気がした。安倍ちゃんの取り巻き連中がこれを読ませて、「鬼神というのはコロナです。聖人というのは総理です。つまり、何も表だって対策を打たなくても、民間の力でコロナを乗り切ってくれるのです。そうしましょう。「無為」で行きましょう!!」と囁いたんじゃなかろうか。「こんな曲解は老子に失礼だろう」などという発想は取り巻き連中には起こるはずもないから、この局面で安倍ちゃんの姿を見ないのは、案外こんな背景があるんじゃないんだろうか・・、なんてね。
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