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「ハジ・ムラート」

 2週間ほど前に、没後100年経ったトルストイの「ハジ・ムラート」を読みたいが見つからない、といった記事を書いたところ、すぐに高性能アンテナの持ち主、ゴジ健さんが探し出して下さった。「新潮世界文学 20 トルストイⅤ」の中に収録されており、アマゾンで中古品を買うことができるとまで親切に教えてくださったのには、感激した。さっそく注文したところ、2日ほどで送られてきた。


1971年に刊行された本でありながら、とても40年前の本だとは思えないくらいの美品で嬉しくなってしまった。驚いたことには、この一冊の中に「復活」「イワン・イリッチの死」「悪魔」「クロイチェル・ソナタ」「神父セルギイ」、そして「ハジ・ムラート」の7作が集められている。私はこの「新潮世界文学」は48,49の「カミュⅠ」と「Ⅱ」を持っていて、この2冊でカミュの主要作品は網羅されていると思えるほど、すごい文学全集だと思っていたが、まさか今になってトルストイの巻と出会うことになるとは思ってみなかった。そんな本を手に取ることができたのも、ひとえにゴジ健さんの尽力の賜物であり、いくら感謝しても足りない・・。

 今では珍しくなった2段組みのページでおよそ110ページ、さほどの分量ではないが、読み終わるのにかなり時間がかかってしまた。決して面白くなかたとか、読み辛い文章であったとかいうわけではない。30年ぶりに読んだトルストイは、聳え立つ巨峰のようでいて、決して人を寄せ付けないほどの峻厳さをもってはいず、むしろ読む者すべてを包み込むような豊かさを湛えた湖のようでもあった。物語のあらすじについては、「トルストイ」の記事の中で引用した辻原登の要約が当を得ているから、再録してみる。

『主人公はチェチェン人の、ロシアによって虐げられた人々の抵抗運動のリーダー、中年の武人、ハジ・ムラート。彼は同族の首領の嫉妬から不当な迫害を受け、母や妻、息子を人質に取られ、彼らを救出するためにロシア軍に投じるが、ロシア軍からも裏切られ、何百人ものロシア兵を相手に凄絶な戦いの中で斬殺される。彼の生首が斬り取られる」』

 悲しく辛い話だ。だが、その組み立ては重厚で、中編だとは思えないほど場面転換は多岐に渡っており、読みながら「戦争と平和」の世界を思いだしたほどだった・・。
 しかし、不勉強な私では歴史的な背景にくわしくなく、トルストイの意図を十全に理解したとは言い難い。そこで、世界史の参考書を出してきて、物語の舞台となった19世紀半ばのカフカス地方について調べてみたが、そこは様々な言語・文化・宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしている地域であり、近隣、特にロシアとの関係は縺れた糸のように絡み合い、付け焼き刃な勉強ではとても追い付けないと痛感した。下手に知ったかぶりをするよりは、虚心坦懐にトルストイの声にじっと傾けたほうがずっといい。
 冒頭部分から・・。

 『《タタール草》の茂みは三本の茎からなっていた。一本は折りとられて、切りおとされた腕のように、枝の残りが突き出ていた。あとの二本の茎はそれぞれ一つずつ花をつけていた。その花はかつては赤かったのだろうが、今は黒っぽく変わっていた。その一本は中ほどから折られて、汚なくよごれた花をつけた頭をだらりと垂れていた。もう一本は、黒土の泥をかぶってはいたが、それでもまだきっと頭を突き立てていた。その姿はさながら身体の一部を切り裂かれ、内臓をひきぬかれ、腕をもぎとられ、目をえぐりとられたかのようであった。それでもこの鬼薊は立っていた、そしてまわりのすべての仲間を滅ぼした人間に降伏しようとしなかった。
 「なんというたくましいエネルギーだろう!」とわたしは舌を巻いた。「人間がすべてを征服し、数百万の草の生命を奪ったのに、この鬼薊だけはなお頑張りつづけているのだ」』

それこそが、ハジ・ムラートの生き様・死に様であり、強国の専横に屈することを拒み続けた山の民の心なのであろう・・。

 

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