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『「NHKから国民を守る党」とは何だったのか?』

 選挙ウォッチャーちだい『「NHKから国民を守る党」とは何だったのか?』を読んだ。
兵庫県知事選挙で暴れまくっている立花孝志とはいったい何なのか?私には全く理解できない思考回路を持ったこの男とは一体何者なのか?そうした喫緊の疑問に答えてくれるだろうと思って、哲学系YouTuberじゅんちゃんのチャンネルに何度か出てきてクソミソに立花を貶しているちだい氏の本を読んでみた。

 17日の投票日の前に読み終わろうとかなり飛ばし読みしたせいか、細かな内容はよく覚えていないが、とにかく未曾有の危ない奴だということは分かった。選挙を金儲けの手段と考え、自分に敵対するものは裁判に訴えたり、嫌がらせをしたり、とにかく相手の嫌がることを繰り返してきた男、そういう姿が微に入り細に入り描かれているので、読んでいて気が重くなるほどだった。もう絶対に相手したくない男、そんな感想しか私には持てなかったので、4年間にわたって立花と対峙してきたちだい氏はすごいなあと心から思った。

 この本は2021年11月に刊行されているから、現在はそれから3年経っているため、その間に立花孝志がどういう活動をしてきたかは当然書いてないが、今回の兵庫県知事選挙で行っていることを見れば大概の想像はつく。果たしてこの選挙が終わった後、立花孝志の身がどうなるか、も選挙結果とともに注目している。願わくば、立花の思い通りにはならないように!
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「ねじまき鳥クロニクル」第3部

 「ねじまき鳥クロニクル」第3部があると知って、慌てて探してみたら、メルカリで単行本が売られているのを見つけた。文庫本を買えばいいのかもしれないが、1部・2部を単行本で読んだから、3部も単行本で読まなきゃいけないだろうと、意味不明な気持ちで買ってみた。
送られてきたものはほぼ新品と言ってもいい状態のもので、まあ満足。ならば一生懸命読まなくっちゃ!と意気込んで読み始めた。



 しかし、なんだかちょっと肩透かしにあったような気が途中からし始めて、うーんって感じになった。面白いことは面白い。さすがの文章力でどんどん読み進めることができ、グイグイ小説の世界に引き込まれていく。でも、ちょっと待てよ、これはオカルト的すぎないか、という場面が増えてきて、最終局面ではもう何が何やらわからなくなってしまった。辻褄は合っているし、論理的な破綻もない、が、しかし、えっ??なに??とついていけなくなりそうになり、長い物語の終焉が、どうにも薄っぺらなものになってしまったような気がして仕方がない。
 3部の存在を知らずに、「いい小説だったね!」という2部までの読後感のままでいた方が良かったように思う。ちょっと残念・・。

 なんだかこのままだと悔しいから、ずっと読むのを避けてきた「ノルウェイの森」を読むことにした。(まあ、これも意味不明だけど)
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「羊をめぐる冒険」

 村上春樹「羊をめぐる冒険」を読んだ。
 書棚に眠る本を読むのもなかなか楽しいものだと気づいたので、ちょっとずつ在庫整理のような形で読んでいこうと思っている。
 不思議なのはハルキストではない私なのに、どういうわけだか村上春樹の読んでない著書が結構ある。「ねじまき鳥クロニクル」は少し前に発掘して読んだが、それ以外にこの「羊をめぐる冒険」とか「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」とか「恋しくて」。他にもあるかもしれないけど、なんでこんなにもあるのかよく分からない。まあ、「羊をめぐる冒険」は読み終わったから次は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」かな・・。

 で、この「羊をめぐる冒険」についてだが、なんだかいくつか読んだ村上春樹の小説とは読んだ感じが違っていた。簡単に言えば文章が固い。村上春樹の小説とは、柔らかな文章ではあるが、含蓄のある重厚な文体で書き上げられた物語だという印象を持っているだけに、この小説はゴツゴツしていて澱みなく読めるという文章で描かれていない気がした。比喩がやたら多く、それを解釈するのに若干時間がかかるようにも思えて、なんだか逆効果かなと思わないでもなかった。
 これはいったいなぜなんだろうと考えてみたところ、文章が若いんだろうな、という思いに至った。
 そこで、ちょっと調べてみた。すると、1982年に発表された小説で、村上春樹が33歳の時のものだと分かった。やっぱりそうか、と納得できたものの、作品の年譜を調べてみて驚いたことはもっと別のことだった。それは、少し前に読んだ「ねじまき鳥クロニクル」には第三部があるというのだ。二部まで読み終わって、これで完結!と、えも言われぬ読後感で満たされたのを覚えているが、その続きがあるなんて全く知らなかった。ホントかよ!!と声を出してしまったほど驚いた。
村上春樹の小説には最後まで伏線回収しないことが多々あるので、作中で色々分からないところがありながらもそれに触れないまま終わったとしても違和感を持たないのに慣れているから、二部で終わりと早とちりしてしまったのかもしれない。

 だが、三部の存在を知った以上、読まねばならない!「世界の終わりのハードボイルド・ワンダーランド」はその後だな。
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「ムーミン谷の彗星」



 ちょっと涼しくなって本を読む気力も回復したけど、差し当たって読みたい本もないから、自室の書棚を焦ってみたら「ムーミン谷の彗星」が見つかった。いつ買ったのかわからないが、1992年発行の本なので、30年ほどは放置してあったように思う。まあ、久しぶりに本を一冊読もうとするにはこれくらいが手頃かなと思いながら読み始めた。

 登場人物はムーミントロール(最初から最後までトロールが付いているからこれが正式名称なんだろう)、ムーミンパパとママ、そして私の大好きなスナフキン(この本の中ではハーモニカが得意みたい)、スノークのおじょうさん(ノンノンなんだろうな、多分)、スノーク(ノンノンのお兄さん)、スニフ、ニョロニョロなどなど。
 お話は、彗星が近づいてきて地球にぶつかりそうだから、ムーミンがスニフと一緒に遠くの山の天辺にある天文台に彗星がいつぶつかるのかを聞きに行く道中で出会う人たち(?)とのあれこれ、といった内容で、他愛もないと言えばそれまでだけれど、仲間になったスナフキンやスノーク兄妹などとともに、迫り来る赤い彗星に恐れを見せることなくミッションをこなそうとするムーミンはなかなか凛々しい。映画「アルマゲドン」のように己の命を犠牲にして地球を守ろうなどとはしないけれど、それなりの緊迫感は感じられて、なかなか面白かった。

 ただ、スナフキンが浮世離れしたボヘミアンじゃなく、ただの変人くらいにしか描かれてなかったのは、アニメのムーミンに親しんだ私にはちょっと意外だった。
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「嫉妬」

 『友人同士のA子とB子がいる。A子はB男と恋愛結婚をしているが、C子は愛のない結婚をしてすでに離婚している。二人の交友はB男も含んで今も続いている。
そんなある日A子がC子の家にやってきて、B男が不倫を繰り返していると打ち明ける、しかもそれは結婚当初からずっとだと。A子がB男のことを見損なったとなじるのを聞いてA子は自宅へ戻る。そこで彼女はB男に今C子の家でC子がD男という金持ちの男と結婚することになったのを聞いてきたと話す。B男は驚き、そんなことはない、と断言するが、それを聞いたA子は、「あなたとC子が一年前から深い関係であることを知っている、それが事実であるのは今のあなたの動揺が全ての証拠だ」と言い放つ。それを聞いたB男は突然家を出ていき、何故かC子の家まで行き、C子に打ち明ける。「妻に言われたことを聞いて自分があなたを愛していることに気づいた」と。すると、C子も「同じように自分もA子によってB男を愛していることに気づいた」と打ち明ける・・。』

 A子はB男とC子の仲を疑って、一芝居うったつもりだったのだろうが、それが逆に寝た子を起こす結果になってしまったという、なんだかお粗末な話。堀口大学訳によるフレデリック・ブウテという人の「嫉妬」という短編を簡単にまとめてみたけど、100年も前の小説であるからか、今どきこんな話はありそうでなさそうだなあ、と思った次第。
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「成瀬は信じた道をいく」

 結局、「成瀬は天下を取りにいく」の続編、「成瀬は信じた道をいく」を読んだ。
 前作を読んだ後、なんだか竜頭蛇尾に終わった気がして成瀬あかりという強烈なキャラを生かしきれていないんじゃないかとモヤモヤが残ったのだが、今作を読んでそれが霧散した。面白かった!!
 読み終わった直後に感じたのは、私はもっと成瀬が知りたかったんだろうな、ということ。前作では途中から成瀬の姿が朧げになってしまっていたのが不満の要因だったと分かった。今作は全編、成瀬で溢れていて、成瀬の何たるかがかなり分かって嬉しかった。
 膳所高校から京大に余裕で合格し、大津観光大使となり、スーパーのレジ係のバイトを始め、時間がある時には腕章を付けて地域のパトロールをする、などなどなかなか大変な毎日を過ごしているにも関わらず、何の無理もせずにごく自然にこなしていく成瀬、本人は全く意識していなくとも、「信じた道をいく」という力強さで周りにいる人々を惹きつけていく成瀬、いつも誰に対してもタメ口で緊張したことがないという成瀬には爽快感さえ覚える。実にカッコいい!(表紙のイラストがなかなかチャーミングでこれが成瀬?と思わせるのもいい)



 前作ではイマイチ成瀬を表現できなかった感のあった作者が全力で成瀬をプロデュースしている今作は作者の成長を見るようで興味深かった。いつまでこのシリーズが続くのか分からないけれど、次作を楽しみに待とうと思う。
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「成瀬は天下を取りにいく」

 「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。週刊誌で作者の宮島未奈が京大文学部の卒業生だと知って、どんな小説なのか知りたくなって読んでみることにした。
主人公・成瀬あかりにまつわる短編がいくつか合わさって一冊の本となっている体裁。最初の一章二章は面白かった。成瀬あかりの中性的な物言い、緊張したことがないという行動力、二百歳まで生きるとかM 1グランプリに出るとか、ちょっとした大言壮語も成瀬のキャラを彩るものとして可笑しかった。
 しかし、語り手が相方の島崎から別の人に変わり、その人物の目線で語られ出してからは、なんだか面白くなくなった。どこかのマンガで読んだことのあるような話が多くなり、これならマンガの方が面白いぞと思い始めて、先を読みたい気持ちが少し萎えてしまった。逆に言えば、今のマンガのストーリーはそんじょそこいらの小説よりも遥かに豊かで想像力に富んでいるから、それらを超えて読者を惹きつけるには物語の面白みだけではなく、文章の独特な魅力が必要なんだろうなと思った。
 続編もあるようだから読んでみようかと思うけど、ちょっと迷うなあ、というのが読後直後の素直な感想。
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「ねじまき鳥クロニクル」第1部

 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の第1部 泥棒かささぎ編を読んだ。

 「DJヒロヒト」を読み終わって、次に何を読もうかなと考えていたときに、ふと書棚にあったこの本が目についた。手にとって裏表紙を見たら1994年発行の初版本だった。今から30年も前に、村上春樹の本など殆ど読んだことがなかった私がなぜこの本を買ったんだろう?しかも1ページも開いていないまま30年間もずっと書棚に埋もれさせていたんだから、本当にどういう意図で買ったのだろう、全く思い出せない。不思議だ。

 なんにせよ、読むものが見つかったのは喜ばしいことだから、少しばかり早起きして読み始めた。

 まず最初に感じたことは、30年前の村上春樹と今の(と言っても「街と不確かな壁」の)村上春樹の文体というか、醸し出される全体的な雰囲気がほぼ同じだなあ、ということ。30年前の小説などとは思えない。軽妙でいて含蓄のある文章は流麗で澱みなく繋がっていき、気持ちよく読み進められる。
「こうした一つの世界を構築している作家はさほど多くないだろうなあ」と改めて思った。

 しかし、最後の2章になって様相が変わった。「僕」を中心とした狭い世界から遠く離れた戦争が突如として語られ始める。語られる戦争の残忍さには思わず顔をしかめたくなるほどだ。「DJヒロヒト」で戦争に人生が滅茶苦茶にされた人々を繰り返し読んだ後だから余計に戦争の非道さに思いが行ってしまうのかもしれないが、果たしてこれが今後の展開にどういった影響を及ぼすのだろう。何らかの伏線になっていてもおかしくはないだろうと思う。

 ともあれ、第2部も手元にあるから続けて読んでいこうと思っている。

 ただ、村上春樹の小説のよくあるパターン、話を広げるだけ広げて伏線が回収されないまま終わってしまうというのだけはちょっとやめてほしい。
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「DJ ヒロヒト」

 高橋源一郎「D J ヒロヒト」を読んだ。
 この小説を読んだきっかけは、題名に惹かれたからだ。ヒロヒトと言えば昭和天皇、彼がDJ?と書名を見た者は誰もが思うだろう。何だそれ、高橋源一郎一流のおふざけか?と思わないでもなかったが、4,000円を超える書籍代でさすがにそれはないだろう、何か意図があるんだろう、じゃあ、何だそれは?と巧妙に仕掛けられた罠にはまってしまった感もあったが、ついつい買ってしまって読むことになった。
 
 天皇ヒロヒトをどう描くんだろう、さすがに正面から取り上げては歴史小説になってしまうし、トリックスター的な扱いになるのかな、と思いながら読み始めたら、140ページほどでヒロヒトは幕尻に下がり、昭和を生きた市井の民の物語となっていった。えっ、ヒロヒトは?と思いもしたが、そんな思いはすぐに消し飛び、展開される物語の濃密さに私は引き込まれていった。
 しかも物語は時空を駆け巡りながらも多岐に及び、さながら昭和史の裏面を見るような様相を帯びていき、つなぎ合わせると戦争に至るまでの日本がどのような社会であったかが垣間見られたように思われた。まるでパッチワークのような小説だなあ、と思っていたが、578ページまで読み進めて、私のこの感想がまさに作者の意図するものであったことが分かる記述があった。

『・・・・さてここまでご覧になったみなさん、どんな感想をお持ちになったでしょうか。戦争の悲惨さ、愛の狂気、あるいはまた、純粋な恋、希望に満ちた少年の思い、博士たちの異様な情熱、どれもつくりもののようにも、ほんとうにあった話のようにも思えます。いや、つくりものとほんとうにあったことの間に、実は差などないのかもしれません。誰かがしゃべる。誰かが誰かと出会う。あらゆる場所で、あらゆるときに。そして、なにかが起こる。それらをみんな知っているものはどこにもいません。それらをみんな知ることはできません。誰かがそれらを言葉に書き起こして、わたしたちに伝えるまでは・・・・』

 高橋源一郎は膨大な資料と読書によって、私たちに伝えようとしてくれたのだ。なんだか変な小説ではあるが、作者の意図は十分すぎるほど伝わって傑作であると思った。
 
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「黄色い家」

 川上未映子「黄色い家」を読んだ。
 どういうきっかけでこの本を読み始めたのか忘れてしまったが、なかなか辛い話で一気に読み進めることができず、読了するのに時間がかかってしまった。
 
 時間がかかったのは、社会の下層に蠢く人たちがどうやって日々を生きているのか、普段の私が考えたこともない社会が描かれているため、よくこんな風に生きていられるなと高飛車なことを思ったり、今までこういう感じの人たちに接することなく生きてこられたのはよかったと思ったり、やっぱりこんな生き方は辛いよなとページを繰る気が萎えたりしたからだ。
 ブレーキングダウンを見ていると、なんだか異世界をのぞいたような気がするものだが、それに近いものをこの小説を読みながら感じた。もちろん、20歳前後の女の子・花の回想として話が進んでいくのだから、暴力的な場面はないのだが、登場人物が皆世の中のいわゆる「ふつー」からは外れた人ばかりなので、アウトローの世界に近い感じがしたのかもしれない。

 とは言え、やはり少女と呼ぶべき年頃の主人公が世の流れに押しつぶされそうになりながらも何とか踏ん張っていく姿には、「何て健気な子んだろう」という言葉しか浮かんでこない。確かに一人で頑張り過ぎてうざったい気もするが、自分が共に暮らすようになった人たちの生活を一身に引き受けて、その重圧に必死で耐えながら何とか這いつくばって生きていく花は健気だ。そんなに肩肘張らなくても、と思わないでもなかったが、次第しだいに追い詰められていくその姿は、作者・川上未映子の筆致の精緻さによるものだろうが、読んでいてハラハラせずにはいられなかった。「もう頑張らなくていいよ」と声をかけたくなるような主人公の小説は久しぶりに読んだ気がする。(そんな眼差しを注ぐことのできるようになった私自身にも驚いたが・・)

 600ページに及ぶ長編小説だが、冗長さは全くなく、なかなかの傑作だと思った。今まで川上未映子の小説は読んだことはなかったので、他のものも読んでみたくなった。
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