毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
バナナ
ビッグコミック・オリジナルという隔週で発行される漫画雑誌がある。その最後の目次のページに、業田良家が描いた「百年川柳」という4コマ漫画が連載されている。毎号欠かさず面白く読んでいるが、先週発行されたものは特に面白かった。
1コマ目「他のフルーツだと
洗ったり
包丁で切ったり
皮を剥いだり
そうじゃなくても
果汁で手が汚れたり・・・
2コマ目「その点バナナは
配慮がいき届いている
3コメ目「普段は丈夫な皮で
その身を守っているが
いったん人から
食べられるとなると
異様に剥きやすく
直径も
ちょうど人の口に収まる
程よい大きさ
さらに種もない
4コマ目「『バナナを食べる時、
神様って本当にいるんじゃないか・・・
って思うんだ』」
『食べやすい!神のサービス バナナかな』(良家)
これを読んで、本当にそうだなと思った。バナナは食べやすい、おいしい、手が汚れない、栄養がある・・本当に素晴らしい食べ物だ。私はバナナが好きだ。(時々喫茶店でバナナジュースを飲むくらいだ)。改めてバナナのいいところを認識できてうれしかった。
しかし、ちょっと待てよと思った。「バナナに種ってないのか?もしそうなら、どうやってバナナって増えるんだ?」と素朴な疑問が沸き起こった。意外なことを知っている妻に尋ねてみたら、「何言ってるの、種なんかあるに決まってるじゃん、あの黒い粒々」と答えた。「えっ、あれが種?」なんだか納得できずに google に「バナナの種」と入力して検索してみた。するとあまりに簡単に答えが見つかってしまった。
栄養価が高くおいしいフルーツの代名詞のバナナ。しかし、バナナの種はどうしてないのだろうか。
実は、マレーシアに残る野生のバナナにはちゃんと種が詰まっている。スーパーなどで売られているバナナを輪切りにすると中心部残る黒い点々が種の痕跡で、食用のバナナにのみ種がない。
この種なしのバナナが出来たのは紀元前5千年前のことで、遺伝子の突然変異により偶然に生まれたと言われている。
ちなみに種のないバナナは、新芽を利用して栽培している。
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい簡単に答えが見つかってしまった。そうか、そうなんだ。ひょっとして常識なんだろうか?
妻にも教えてやろう。
1コマ目「他のフルーツだと
洗ったり
包丁で切ったり
皮を剥いだり
そうじゃなくても
果汁で手が汚れたり・・・
2コマ目「その点バナナは
配慮がいき届いている
3コメ目「普段は丈夫な皮で
その身を守っているが
いったん人から
食べられるとなると
異様に剥きやすく
直径も
ちょうど人の口に収まる
程よい大きさ
さらに種もない
4コマ目「『バナナを食べる時、
神様って本当にいるんじゃないか・・・
って思うんだ』」
『食べやすい!神のサービス バナナかな』(良家)
これを読んで、本当にそうだなと思った。バナナは食べやすい、おいしい、手が汚れない、栄養がある・・本当に素晴らしい食べ物だ。私はバナナが好きだ。(時々喫茶店でバナナジュースを飲むくらいだ)。改めてバナナのいいところを認識できてうれしかった。
しかし、ちょっと待てよと思った。「バナナに種ってないのか?もしそうなら、どうやってバナナって増えるんだ?」と素朴な疑問が沸き起こった。意外なことを知っている妻に尋ねてみたら、「何言ってるの、種なんかあるに決まってるじゃん、あの黒い粒々」と答えた。「えっ、あれが種?」なんだか納得できずに google に「バナナの種」と入力して検索してみた。するとあまりに簡単に答えが見つかってしまった。
栄養価が高くおいしいフルーツの代名詞のバナナ。しかし、バナナの種はどうしてないのだろうか。
実は、マレーシアに残る野生のバナナにはちゃんと種が詰まっている。スーパーなどで売られているバナナを輪切りにすると中心部残る黒い点々が種の痕跡で、食用のバナナにのみ種がない。
この種なしのバナナが出来たのは紀元前5千年前のことで、遺伝子の突然変異により偶然に生まれたと言われている。
ちなみに種のないバナナは、新芽を利用して栽培している。
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい簡単に答えが見つかってしまった。そうか、そうなんだ。ひょっとして常識なんだろうか?
妻にも教えてやろう。
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4コマ
以前にもこのブログで書いたことがあるが、わたしは漫画好きである。毎週4、5冊の週刊の漫画雑誌を買っている。と言っても、まともに読むのは「モーニング」と「ビッグコミック・スペリオール」だけであり、「少年マガジン」や「少年サンデー」はほとんど読まない。息子が読むためと、小学生の頃からずっと買い続けている惰性で、買っているだけのような気がする。息子が家を出て行ったら、買うのをやめようと思っている。
少年誌は一概にそうとは言えないが、青年誌になると、必ず4コマ漫画が連載されている。4コマというのは短いながらも、その中に1つの世界がピシッと完結しているようで、なかなか味わい深いものであり、わたしは大好きである。いしいひさいち、植田まさし等の大御所の4コマは文句なく面白い。吉田戦車、相原コージ、中川いさみ等も独自の作風を持っていて楽しめる。4コマの面白い雑誌は、他の漫画も面白いと言ってもいいように思うのだが、どうだろう。
そんな中、最近私が注目している4コマが「モーニング」に連載されている、大橋ツヨシの「エレキング」だ。もう240回も続いているから、かなりの長寿漫画だが、特に先週のものは面白かった。絵ははっきり言って上手くない。というよりも、下手だからこそ登場人物のバカな会話がより馬鹿げてくる。いわゆる、「下手ウマ」な絵なのだろうが、出てくる者たちの会話が、なんとも言えずトンチンカンで間の抜けたものであるのがおかしくて仕方ない。絵などなくても十分そのおかしさが伝わると思うので、ふきだしの言葉を書き出してみる。4コマが5つ繋がって20コマ漫画になっているのも、愉快だ。(登場人物は父親とその子供「ひろし」とその兄弟2人)
①コマ目:ひろし「ねえ、父ちゃん」
父「なんだ?」
②コマ目:ひろし「なんでボク、ひろしって名前なの?」
父「なにがだ?」
③コマ目:ひろし「なんかボク・・・ひろしって名前に少し違和感があるんだけど」
父「なんでだ?」
④コマ目:ひろし「三つ子でさ。一郎、二郎ときて、なんでボクはひろしなの?」
⑤コマ目:父「いい名前じゃないか。気に入らないのか?」
⑥コマ目:ひろし「いやっ、名前は全然いいのよ。そこは誤解しないで」(名前はいいの)
⑦コマ目:ひろし「そうじゃなくて・・・こう・・・」
⑧コマ目:ひろし「その状況でひろしってつけたセンスっていうか、その時の父ちゃんの精神状態っていうかね・・・」
⑨コマ目:父「精神状態はべつに・・・ふつうだったぞ」
⑩コマ目:ひろし「そう・・・いや、例えばね、ボクが一人で生まれてきてて、ひろしだったらなんの問題もないわけ・・・」
⑪コマ目:ひろし「それが、こう三人で生まれてきて、まず一郎でしょ?次が二郎でしょ?で、ひろし・・・」
(一郎、二郎「ん?」「なに?」)
⑫コマ目:ひろし「どう・・・なんだろうね。なんか違和感みたいなものない?」
父「そうか?」
⑬コマ目:父「違和感なんかそのうちなくなるだろ」
⑭コマ目:父「モーニング娘。ってグループ名だって、最初に聞いた時は「は?」って思ったろ?」
ひろし「・・・そういう違和感ともちょっとちがうんだよね」
⑮コマ目:父「太陽ケアとか言われても最初は・・・」(「「それ名前?」って思ったろ?)
ひろし「・・・それはちょっとわかんないけど」(だれ?)
⑯コマ目:父「二千円札だって、お前。「なんで?」って思ったろ?」
ひろし「ちょっとちがうんだよなぁ」(どう言おうかな・・・)
⑰コマ目:ひろし「一郎、二郎ときたわけだからさ、その次はやっぱり・・・」
⑱コマ目:父「V3か?」(赤いやつか)
ひろし「一郎、二郎、V3って・・・つっ込む言葉が見つからないよ、父ちゃん」
⑲コマ目:ひろし「はっきり言うとさ、三郎でよかったんじゃないの?この場合。名前の好みは別としてさ」
⑳コマ目:父「ああ・・・なるほど。もっと早く言えよ」(名前つけた日とか)
ひろし「だって、若いときはしゃべれないし、気づかないよ」
(一郎or二郎「若い時?」)
何でだろう、書き込んでいるときもおかしくて仕方なかった。何故かツボにはまってしまった。私はこんなのが好きでたまらない。
少年誌は一概にそうとは言えないが、青年誌になると、必ず4コマ漫画が連載されている。4コマというのは短いながらも、その中に1つの世界がピシッと完結しているようで、なかなか味わい深いものであり、わたしは大好きである。いしいひさいち、植田まさし等の大御所の4コマは文句なく面白い。吉田戦車、相原コージ、中川いさみ等も独自の作風を持っていて楽しめる。4コマの面白い雑誌は、他の漫画も面白いと言ってもいいように思うのだが、どうだろう。
そんな中、最近私が注目している4コマが「モーニング」に連載されている、大橋ツヨシの「エレキング」だ。もう240回も続いているから、かなりの長寿漫画だが、特に先週のものは面白かった。絵ははっきり言って上手くない。というよりも、下手だからこそ登場人物のバカな会話がより馬鹿げてくる。いわゆる、「下手ウマ」な絵なのだろうが、出てくる者たちの会話が、なんとも言えずトンチンカンで間の抜けたものであるのがおかしくて仕方ない。絵などなくても十分そのおかしさが伝わると思うので、ふきだしの言葉を書き出してみる。4コマが5つ繋がって20コマ漫画になっているのも、愉快だ。(登場人物は父親とその子供「ひろし」とその兄弟2人)
①コマ目:ひろし「ねえ、父ちゃん」
父「なんだ?」
②コマ目:ひろし「なんでボク、ひろしって名前なの?」
父「なにがだ?」
③コマ目:ひろし「なんかボク・・・ひろしって名前に少し違和感があるんだけど」
父「なんでだ?」
④コマ目:ひろし「三つ子でさ。一郎、二郎ときて、なんでボクはひろしなの?」
⑤コマ目:父「いい名前じゃないか。気に入らないのか?」
⑥コマ目:ひろし「いやっ、名前は全然いいのよ。そこは誤解しないで」(名前はいいの)
⑦コマ目:ひろし「そうじゃなくて・・・こう・・・」
⑧コマ目:ひろし「その状況でひろしってつけたセンスっていうか、その時の父ちゃんの精神状態っていうかね・・・」
⑨コマ目:父「精神状態はべつに・・・ふつうだったぞ」
⑩コマ目:ひろし「そう・・・いや、例えばね、ボクが一人で生まれてきてて、ひろしだったらなんの問題もないわけ・・・」
⑪コマ目:ひろし「それが、こう三人で生まれてきて、まず一郎でしょ?次が二郎でしょ?で、ひろし・・・」
(一郎、二郎「ん?」「なに?」)
⑫コマ目:ひろし「どう・・・なんだろうね。なんか違和感みたいなものない?」
父「そうか?」
⑬コマ目:父「違和感なんかそのうちなくなるだろ」
⑭コマ目:父「モーニング娘。ってグループ名だって、最初に聞いた時は「は?」って思ったろ?」
ひろし「・・・そういう違和感ともちょっとちがうんだよね」
⑮コマ目:父「太陽ケアとか言われても最初は・・・」(「「それ名前?」って思ったろ?)
ひろし「・・・それはちょっとわかんないけど」(だれ?)
⑯コマ目:父「二千円札だって、お前。「なんで?」って思ったろ?」
ひろし「ちょっとちがうんだよなぁ」(どう言おうかな・・・)
⑰コマ目:ひろし「一郎、二郎ときたわけだからさ、その次はやっぱり・・・」
⑱コマ目:父「V3か?」(赤いやつか)
ひろし「一郎、二郎、V3って・・・つっ込む言葉が見つからないよ、父ちゃん」
⑲コマ目:ひろし「はっきり言うとさ、三郎でよかったんじゃないの?この場合。名前の好みは別としてさ」
⑳コマ目:父「ああ・・・なるほど。もっと早く言えよ」(名前つけた日とか)
ひろし「だって、若いときはしゃべれないし、気づかないよ」
(一郎or二郎「若い時?」)
何でだろう、書き込んでいるときもおかしくて仕方なかった。何故かツボにはまってしまった。私はこんなのが好きでたまらない。
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マンガ
昨日は衒学的なことを書いてしまったが、私はそれ程文学に造詣が深いわけではない。学生時代に読み漁った書物の記憶を切り売りしているようなもので、最近はとみに読書量が減っている。時間がないとか根気がないとか読みたい本がないとか、色々言い訳は頭に浮かぶが、要は本を読むのが面倒になっているのに過ぎないかもしれない。そう言えば、新聞記事などでも、ある1つのテーマについてレポートした長文の特集記事など、なかなか読む気がしない。内容さえ面白ければ、すーっと読み通せるのだが、面白い記事になかなかお目にかかれない。(そんな偉そうなことを言う当人が、毎日空疎な文章を書いているのだから、笑い話にもならないが)
しかし、活字を離れて暮らしていける人間ではないから、絶えず活字とは接している。映像による表現の方が昨今は隆盛を極めているが、私には活字を読み取る方が性に合っている。ただ、総じて活字と接する時間が以前よりも少なくなったことは実感している。その一番顕著な例が、マンガを読む時間がかなり減ったことである。
私は現在、週刊のマンガ雑誌を「少年マガジン」「少年サンデー」「モーニング」、隔週の発刊誌を「ビッグコミックオリジナル」「ビッグコミックスペりオール」の計5冊を書店で取り置きしてもらっていて、毎週木曜日にまとめてとりに行くことにしている。以前は、これに「ビッグコミックスピリッツ」「少年ジャンプ」が加わっていたが、「スピリッツ」は内容が一時期余りに下劣になってしまったため買わなくなったし、「ジャンプ」はお子チャマ向けの内容に我慢ができなくなって買うのを止めた。「ジャンプ」は創刊号からずっと買い続けていたので、なかなか踏ん切りがつかずに、延ばし延ばしにしていたが、読まない物にお金を払い続けるのも勿体無いと数年前に思い切って止めてしまった。
「マガジン」「サンデー」は、私とほぼ同じ時代を生き抜いてきた戦友というべき存在で、小学校のときからずっと買い続けている。「マガジン」は「巨人の星」「明日のジョー」から始まって、コンスタントにヒット作を掲載しているため、ずっと私の一番の愛読書である。「サンデー」にはこれといった好きな作品があったわけではなかったが、「マガジン」とのワンペアーのようで、どうしても切り捨てられないまま来たが、最近になって「道士郎でござる」という、痛快な作品が私のイチオシとなっている。また、「モーニング」「オリジナル」は大人のマンガとしては、「島耕作シリーズ」「浮世雲」が有名だが、今は「バカボンド」「釣りバカ日誌」など多くのヒット作品が連載されているため、なかなか面白い。
だが、これらの4冊は、一冊丸ごと読んでいるのではない。「サンデー」などは1作か2作しか読まないし、「マガジン」も3分の1くらい、残りの2冊でも半分以下しか読んでいない。昔は、つまらない話でも無理して全て読んだものだが、近頃は読めないというか、読む気がしない作品が多いので、無理しようにもできない。そんなに読まないなら、買うのを止めればいいのにと年中妻には怒られるのだが、惰性と、まあ息子が読むからいいだろうという気持ちから買い続けている。
しかし、唯一「スペリオール」だけは違う。ほとんどの作品を読み通している。もともと、「あずみ」という女性刺客を描いた物語を読むために買い始めたものだが、他にも、なかなか粒ぞろいの読み物がそろっていて、バリエーションにも富んでいるため、発売日が結構待ち遠しい。やはり、作家にとっても一週間で書き上げるより、二週間かけたほうがよりよい作品ができるようで、読み応えのある一冊に仕上がっていると思う。それでも、やはり「あずみ」が図抜けた面白さを誇っていて、現在進行中の全ての連載マンガの中で、最高の作品の一つであると私は思っている。主人公あずみが、徳川家康を暗殺したり、伊達政宗の切腹の介錯をしたりと、荒唐無稽な話ではあるが、刺客として数奇な運命に翻弄され、苦悩しながらも一人の女性として成長しつつあるあずみを、読む者全てが応援したくなる、そんな魅力を持った作品である。
なんだか「あずみ」礼賛の文となってしまったが、現在出版されている単行本36巻を、寝る前に少しずつ読み返しているのだから、小説本など読む時間がなくなるのは当たり前のことだ。納得。
しかし、活字を離れて暮らしていける人間ではないから、絶えず活字とは接している。映像による表現の方が昨今は隆盛を極めているが、私には活字を読み取る方が性に合っている。ただ、総じて活字と接する時間が以前よりも少なくなったことは実感している。その一番顕著な例が、マンガを読む時間がかなり減ったことである。
私は現在、週刊のマンガ雑誌を「少年マガジン」「少年サンデー」「モーニング」、隔週の発刊誌を「ビッグコミックオリジナル」「ビッグコミックスペりオール」の計5冊を書店で取り置きしてもらっていて、毎週木曜日にまとめてとりに行くことにしている。以前は、これに「ビッグコミックスピリッツ」「少年ジャンプ」が加わっていたが、「スピリッツ」は内容が一時期余りに下劣になってしまったため買わなくなったし、「ジャンプ」はお子チャマ向けの内容に我慢ができなくなって買うのを止めた。「ジャンプ」は創刊号からずっと買い続けていたので、なかなか踏ん切りがつかずに、延ばし延ばしにしていたが、読まない物にお金を払い続けるのも勿体無いと数年前に思い切って止めてしまった。
「マガジン」「サンデー」は、私とほぼ同じ時代を生き抜いてきた戦友というべき存在で、小学校のときからずっと買い続けている。「マガジン」は「巨人の星」「明日のジョー」から始まって、コンスタントにヒット作を掲載しているため、ずっと私の一番の愛読書である。「サンデー」にはこれといった好きな作品があったわけではなかったが、「マガジン」とのワンペアーのようで、どうしても切り捨てられないまま来たが、最近になって「道士郎でござる」という、痛快な作品が私のイチオシとなっている。また、「モーニング」「オリジナル」は大人のマンガとしては、「島耕作シリーズ」「浮世雲」が有名だが、今は「バカボンド」「釣りバカ日誌」など多くのヒット作品が連載されているため、なかなか面白い。
だが、これらの4冊は、一冊丸ごと読んでいるのではない。「サンデー」などは1作か2作しか読まないし、「マガジン」も3分の1くらい、残りの2冊でも半分以下しか読んでいない。昔は、つまらない話でも無理して全て読んだものだが、近頃は読めないというか、読む気がしない作品が多いので、無理しようにもできない。そんなに読まないなら、買うのを止めればいいのにと年中妻には怒られるのだが、惰性と、まあ息子が読むからいいだろうという気持ちから買い続けている。
しかし、唯一「スペリオール」だけは違う。ほとんどの作品を読み通している。もともと、「あずみ」という女性刺客を描いた物語を読むために買い始めたものだが、他にも、なかなか粒ぞろいの読み物がそろっていて、バリエーションにも富んでいるため、発売日が結構待ち遠しい。やはり、作家にとっても一週間で書き上げるより、二週間かけたほうがよりよい作品ができるようで、読み応えのある一冊に仕上がっていると思う。それでも、やはり「あずみ」が図抜けた面白さを誇っていて、現在進行中の全ての連載マンガの中で、最高の作品の一つであると私は思っている。主人公あずみが、徳川家康を暗殺したり、伊達政宗の切腹の介錯をしたりと、荒唐無稽な話ではあるが、刺客として数奇な運命に翻弄され、苦悩しながらも一人の女性として成長しつつあるあずみを、読む者全てが応援したくなる、そんな魅力を持った作品である。
なんだか「あずみ」礼賛の文となってしまったが、現在出版されている単行本36巻を、寝る前に少しずつ読み返しているのだから、小説本など読む時間がなくなるのは当たり前のことだ。納得。
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