いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

ビエンチャン滞在 13日目

2006年02月17日 | 東北タイ&ラオス旅行
宿泊費に朝食が付いていたので、スクランブルエッグ、フランスパン&コーヒーを取った。
フロントにもう一泊する事を伝えた。
今日は市内観光をする事にし、レンタサイクルを借りに行った。自転車が数台並べられている店に入り借りた。そこは、ルアンプラバン行きVIPバスの写真が置いてあった、帰りに詳細を聞きチケットを買おう。
最も遠くにあるタートルアンを涼しい午前中に行く事にした。
レンタサイクルでタートルアンに向ったが、自転車は、徒歩に比べて格段に危険が増した。歩道と車道には段差があり、自転車では歩道を走り難いので車道を走ると危ない。出来るだけ、歩道を走る様ににした。
パトゥーサイ(アーヌサワリー)を過ぎると緩やかな上りとなっている。何も無いただの広場であるタートルアン広場に続き、黄金に輝く仏塔がそびえるタートルアンに着いた。写真
タートルアンからの帰り、パトゥーサイとの中間ほどにタイ国領事部があった。タイに長期滞在している人は、ここに定期的に訪問して、3ヶ月滞在可能な観光ビザを取得していたのだろう。今は、観光ビザ取得が難しくなっている。
以前はアーヌサワリー(記念碑)と呼ばれていたパトゥーサイ(凱旋門)に上った。土産物を売っているフロアに着き、その上に続く階段がありテラスに出る。またその上に階段が続きテラスにでる。さらに螺旋階段が続き展望台に着く。
ここからビエンチャンを眺望できる。綺麗に整備されたラーンサーン通りが迎賓館まで続く景色とこれが首都かと思われる緑の多い小さな町並みが印象的である。
ラーンサーン通りを迎賓館方向に向かい、タラート・サオを過ぎて西に入るとタートダム(黒塔)が見える。アメリカ大使館前を通りタートダムに出る。タートダムがロータリーになっており南に向うとメコン川に出た。
メコン川沿いにホテルやレストランが並び雰囲気が良く、この辺りで宿を取るのも良いと思った。
メコン川の川幅は、大変広い。ゴルフ場のロングホールが二つ入るほど長い距離があり、その先はタイ国である。
ワット・ホー・パケオとワット・シーサケートは道路を隔てて向い合わせにある。
まず、ワット・ホー・パケオに入った。入口は小さく前まで行かなければ分からない、自転車を置き、チケット5000kip(¥59)を買った。寺院であるが、今は博物館である。タイ国バンコクのエメラルド寺院に現在安置されているエメラルド仏が、昔この寺院に安置されていた。
次にワット・シーサケートは、境内への入口がワット・ホー・パケオの向いにあり寺院への入口はその奥にあった。自転車を境内に置き、チケット5000kip(¥59)を買って入った。こちらも、寺院であるが、今は博物館である。
1975年に王制を廃止し社会主義体制へ移行後、仏教に対する弾圧も始まり、これら寺院も衰えていった為、現在は博物館という位置づけになっているのだと思う。両寺院とも僧侶がいなかった。
入場者が私1人だけになり、係員が近くをうろうろするので不思議に思っていたら、出入口が閉められていた。係員が開けてくれ、「さよなら」と日本語で言ってくれた。ワット・シーサケートは、12時から13時まで昼の休憩でクローズであった。
日本のラーメンを食べた後、レンタサイクルを返しルアンプラバン行きVIPバスのチケットを購入した。8時発、昼食付きで135000kip(¥1580)ラオス物価にしては高い運賃。
インターネットカフェで1時間インターネットをした。株価が暴落していた。
夕方、ラオスのマッサージを1時間してもらった。疲れがとれた。





ビエンチャンへ 12日目

2006年02月16日 | 東北タイ&ラオス旅行
5時半に起き、昨日のモンキーバナナを食べ、バイクタクシーでバスステーションに向かった。ホテル玄関にバイクタクシーが待ち構えていた。
6時15分頃に着き、サワンナケート6時45分発のチケット55000kip(¥650)を買いバスに乗り込んだ。3等バスでビエンチャンまで7~8時間、耐えられるか不安である。女の子1人乗っているだけで、まだガラガラである。運転席の真後のフロントガラス越しに前方が良く見える席を確保した。
サワンナケート街内を徐行して客拾いをしているとバイクを積込んだ。運転席と私の前に乗客が辛うじて通れる様にバイクを固定した。写真
ラオスのバスは、バイクまで乗せる! 尚、途中でもう一台積込んだ。3人掛りでバイクを後部に運んでいた。
ビエンチャン間で見掛けるバイクは、YINCINが大半である。ビエンチャンまでの途中5~6回、道端でバイクが故障で止まっているのを見た。全数後輪を修理している様であった。
また、町近付くでバイクと自転車が急に多くなる。ある町で中学生の自転車とバイクの衝突事故が見かけた。バイクの運ちゃんが、わめいていたので中学生が飛び出したのかも?
ビエンチャン郊外に近付くと田植えが終わった田んぼが青々と広がっていた。奇麗な景色である。
ビエンチャンのバスステーションに15時に着いた。サワンナケートとビエンチャン間は8時間15分掛かった事になる。
現地の人が乗っているミニバスでタラート・サオ(市場・朝)まで行った。運賃2000kip(¥24)であった。
ナンプ広場(噴水広場)に向ったが迷子になった。地図と方位磁石を持っていたが、着いたタラート・サオが広大な市場で現在地が間違っていた。
徒歩15分のところを30分掛かってしまった。
ナンプ広場近くのポーンパスートGHで宿泊する事にした。エアコン、ホットシャワー&テレビ付きでUS$16であった。
ここは、徒歩2分の範囲にレストラン&食堂、インターネットカフェ、両替所、マッサージと便利の良いロケーションにある。

サワンナケート へ 11日目

2006年02月15日 | 東北タイ&ラオス旅行
ホテル横の食堂でお粥を食べた後、8時30分にホテルをチェックアウトした。
ホテル前でソンテウを拾らい、北方面バスターミナルに向った。運賃15000kip(¥177)で、15分で着いた。
チケット売場でサワンナケートまで30000kip(¥354)で購入してバスに乗込んだ。
バスはエアコン無しの3等バスで、ハングル文字が残っている事から韓国製中古バスである。
座席は右サイドに取った。北に向うので午後から太陽の光が差し込む左サイドを避けた。
ヴィエンチャン行きバスが9時15分に出発した。
バスの車窓からの風景は、稲刈り跡が残る田んぼに放牧された牛が居り、立ち木が点在する。色彩的には、田んぼの薄茶色を基調に立ち木の緑が混ざる風景である。
それが、ある地区で風景が一変した。田植えが終わり、田が青々する景色に変わったのである。田植えが終わった田んぼが、これ程きれいだとは初めて気付いた。田んぼの緑は、ほっとさせらる。
しかし、すぐに元の風景に戻り、田んぼの薄茶色を基調にした景色がサワンナケートまで続いた。
国道13号線から外れ、30分ほどでサワンナケートに着いた。
ソンテウでメコンHOTELに行った。乗合で10000kip(¥118)
ホテルは道路を隔ててメコン川に面している。エアコンの音が高いので別の部屋を見せてもらい決めた。エアコン、ホットシャワー&テレビ付きで80000kip(¥944)であった。
シャワーを浴び洗濯した後、バスターミナルに徒歩で向った。パークセーからのバスは、町の中心地で降ろされたので、ビエンチャン行きバス時刻が分からず、それを調べる為バスターミナルに歩き出した。
食堂前に屋台がありサンドイッチがあったので、それとビアラオと考え入ったが、女の子が冷やし麺が食べていて、衝動的に私もそれを注文した。しかし、冷やし麺はこの食堂で作っているのでなく、彼女が買いに行ってくれた。その間ビアラオを飲んで待った。冷やし麺は、さっぱりして食べ易く日本の味がした、しかし、途中からスパイシーで口の中が火事になった。
また、バスターミナルに歩き出した。道路を渡ろうと2歩ほど横断して、左を向くとバイクに乗った女の子と視線があった。彼女は危ないと驚き、呆れている感じであった。
ラオスは左側通行でタイ国、日本とは反対である。私は日本での習慣で道路を渡る時、右を見て安全であれば1歩を踏み出しながら左を見て横断する。
ラオスでは、左右を逆にし、左見て右見て道路を渡らなければならない。
無理だな!
バスターミナルで明日のビエンチャン行きバス時刻を調べ、6時台のバスに決めた。
帰りも歩いた。バスターミナルからメコンHOTELまで40分掛かった。
メコンHOTELの先にイミグレーションがあり、メコン川を渡るとタイ国である。
メコン川沿いに屋台が出て、ラオス人達は昼間からビアラオを飲んでいる。
夕方までインターネットカフェで過ごし、その後、メコン川越しにタイ国に沈む夕日を撮った。

パークセー へ 10日目

2006年02月14日 | 東北タイ&ラオス旅行
夜中に胃痛で目が覚めた。今回は薬を飲んですぐに痛みが取れた。去年の暮れに胃カメラ検査ついでにピロリ菌検査もして異常無しであった。カプセルに入った胃酸過多の薬を処方されている。タイに来てから胃酸過多ぐらいで薬に頼らずに治そうと考え飲むのを止めている。しかし、一日置きに胃痛で夜中に目覚めていた。悪くなっている様である。旅行の移動中は昼食を抜く事が多く不規則になるので、朝昼晩と食事を取る事にし、水はミネラルウォーターよりドリンキングウォーターの方が私には合う様である。
体調不安、ラオスでの各種料金交渉の疲れ&道路とソンテウの悪さなどの理由で、今日、パークセーに向うがそのままタイ国に戻ろうかと考えている。
ゲストハウス前から車が出ると思っていたが、そうでなく、ボートに乗りメコン川を渡った。渡った村にワンボックスカーが置かれていた。
10人が乗込んだが、ワンボックスカーをあまり使っていない様である。タイヤに空気を入れた後パークセーに向った。
乗ってすぐにお腹がグルグル言い出した。旅行中、最も気を付けている事であるが、今日はダメの様である。
ワット・プーの山が見えて来た、もう少しでワット・プーへ行く人が途中下車するのでそこまでの辛抱と考えていたが、車を止めてもらい野糞をする破目になった。若い頃山歩きをしていた時以来の野糞である。
ムアンコーンを8時15分に出て、パークセーに11時に着いた。
町の中心地で車を降り、ラーオチャルーンHOTELに決めた。エアコン、ホットシャワー&テレビ付きで部屋は決して広くはないがきれいであった。宿泊費US$10。
焼きそばとビアラオを飲みながら考えた、このままタイ国に戻るか、過酷なラオスの旅を続けるか?
ここから首都ビエンチャンまで、メコン川が国境で、国境越えポイントが2ケ所ある。いざとなれば、いつでもタイ国に戻れるのでラオスの旅を続ける事にした。
横で若いラオス人2人で昼間からビールを何本も空にしている。貧しい国のはずなのに?
ラオス通貨kipを使わずにUS$とタイバーツを使っていると値段を切上げ丸められ高くつくので銀行へ行き両替した。US$40=411240kip、1kip=¥0.0118
夕方、ショッピングセンターに行くとVIPバスが止まっていた。19時ごろ発のビエンチャン行きの豪華な夜行バスでる。
焼き飯とビアラオを取っていると漢方薬売り3人が英語で話し掛けて来た。ビエンチャンから来て、パークセーに1週間滞在している、天津製の漢方薬を売り込まれた。売込みをすると言うより、英会話の練習をしている様であった。

コーン島&デット島 へ 9日目

2006年02月13日 | 東北タイ&ラオス旅行
7時に起きた。今の7時は、まだ薄明るい。
お粥を食べ、コーン島&デット島行きボートが出る8時半までゆっくりした。
昨日、ゲストハウスのオーナーにコーン島&デット島往復ボートをUS$10で誘われOKしていた。ボートのチャーターだろう。
ゲストハウス前のメコン川から、2隻のボートが出た。メコン川の川面から、幅の広いメコン川の景色や4000もあるといわれる青々とした島々を楽しんだ。
2時間ほどでデット島の北端に着いた。ここで大半の人が下船した。写真②の様なバンガローが並び、みんなは、ここに滞在する様だ。
予想外に綺麗なバンガローである。コーン島&デット島に渡り2泊ほどする予定であったが、粗末なバンガローをイメージし宿泊を止め、日帰りツアーにした経緯がある。
ボートはデット島を東に回り、積み出し埠頭址写真③が見えて来た。フランス統治下時代の残骸である。
デット島とコーン島の間の水路に回り込んだボートは浅瀬を避けて進む、近くに牛が現れたかと思うとそれが急に手の届く距離になり驚いた。ボートの進路の浅瀬に牛が遊んでおり、狭い水路をボートが通る為に目の前に牛が現れのである。
コーン島&デット島を繋ぐ橋近くのコーン島側にボートは着いた。10時45分に着き、13時30分までに戻るように言われ、ソムパミットの滝に向った。
椰子の木が多い、静かな島である。写真④
寺の境内を通り抜け、民家もなくなり細い道を歩くこと約30分でソムパミットの滝に着く。入口で入場料5000kip払った。
滝上からソムパミットの滝を見渡す為、落差をそれほど感じない、もともとナイアガラの滝やイグアスの滝の様に落差の大きい滝ではない。写真⑤
また、乾期で水量も少なく迫力に欠ける。
広い範囲に滝があり水量の多い時期には、いたるところから滝が流れ、もっと迫力がある風景が見られる事だろう。
橋近くの船着場からソンテウがソムパミットの滝へ出ている。従って、ソムパミットの滝にもソンテウが客待ちをしていたが、帰りも乗らずに歩いた。
蒸気機関車を見に行った。おもちゃの蒸気機関車の様であった、両手を広げた程の長さのミニ機関車であった。
次にコーン島&デット島を繋ぐ橋に行ってみた。鉄道橋らしい。
積み出し埠頭址、蒸気機関車&鉄道橋などの残骸が残っている。
フランス統治下時代、ベトナムのメコン・デルタからカンボジアを通過した船の航行が、このコーンの滝群に阻まれた。フランス植民地政府は、下流のコーン島に物資を陸上げし、鉄道に積替え、鉄道橋を渡り、デット島の積み出し埠頭に運んだ。そこで再び船に積替え上流方面に送っていたらしい。
船着場近くの食堂でサンドイッチとビアラオ(ビール)を取って、13時30分までゆっくりした。
帰り、座ってうとうとしていたが、貸切ボートでもあったので、1枚板の座席に横になって寝てしまった。
ゲストハウスに戻りシャワー後、オープンテラスで、またサンドイッチとビアラオを取った。サンドイッチは、フランスパンに野菜や肉を挟んだパンである。なかなか美味い。
ゲストハウスのオーナーに明日、パークセー行き車を出すが乗らないかと言われた。定期船でパークセーまで行こうと思っていたが、今日のコーン島&デット島往復4時間でこの辺りのメコン川はもういいか!と考え車で行く事にした。

ムアンコーン へ 8日目

2006年02月12日 | 東北タイ&ラオス旅行
食堂に預けた荷物を受取り、シーパン・ドーン(4000の島)に行くべく、バスターミナルに行った。
パークセー行きソンテウに乗り国道13号線で下車して、ムアンコーン行きに乗換える予定であった。チャムパーサック行きはあるが、パークセー行きが中々来なかった。
各地からバス、ソンテウが続々と到着している。バスターミナルは、舗装も砂利石も敷いていないので大変埃っぽい、ソンテウが着き停車すると埃が立つ。
しかし、パークセー行きが中々来ない。
ガイドブックでムアンコーンへの分岐点の地名を調べた。バーン・ラックサムシップ(??30)であった。それでパークセーからバーン・ラックサムシップに行先を変えて聞くがソンテウがない。
待っている場所が間違っていた様である。私は遠くからこっちへ来いと手招きされた。乗れと言うのでバーン・ラックサムシップと行ってソンテウに乗った。
このソンテウは、チャムパーサック行きであるが渡し舟(フェリー)乗場まで行って降ろされた。
然うか、ここでソンテウを乗換えて国道13号線の分岐まで行けという事かと気付いた。
フェリーに乗込むソンテウが来たので私も乗込み、ソンテウの運ちゃんにバーン・ラックサムシップと言って乗った。
バーン・ラックサムシップで降り、食堂で待つ事15分ほどでコーン島行きソンテウが来た。
私と西洋人子供連れ夫婦が乗込んだが、西洋人2人組みは荷物が大き過ぎて取り残された。
12時に出発し、フェリーでコーン島に渡りムアンコーンに着いたのが14時であった。
2軒ホテルを回ったが空室無し、3軒目でやっと見付かった。
空室無という経験は、メキシコのカンクンであるがそれ以外での記憶が無い。
ボーンズ・ゲストハウスでエアコン、ホットシャワー付きでUS$10であった。玄関横の部屋に案内され、仕方なく決めたが、フロントに戻り記帳、何泊するか記入せず、?にすると、部屋が2階のメコン川を見渡せる部屋に替わった。現金なオッサンである。
シャワーを浴び、洗濯した。その時気付いた、下着のシャツ、ポロシャツが埃で茶色くなっていた。
バスターミナルは、舗装してないし、砂利石は敷いてない茶色い土である。道路は舗装はしいるが車が走ると埃が立つ。2日間で相当な埃を被り健康に悪い。
ゲストハウス前のメコン川に張り出してテーブルと椅子を並べられたオープンテラスがある。
テラスでビールを飲みながらメコン川を眺めていた。極楽極楽である。
夜、このオープンテラスは、団体客の予約で一杯であった。私の泊まっているゲストハウスも団体客で一杯であった。
これで2軒のホテルで空室無と言われたのも分かるが、何故かは理解できない、ワット・プー祭りの影響か?

再びワット・プーへ 8日目

2006年02月12日 | 東北タイ&ラオス旅行
今日は、再度ワット・プーへ行き、その後シーパン・ドーンのムアンコーンに向う。
7時に起き、ゲストハウス前でソンテウを拾いワット・プーへ向った。
昨夜の食堂でコーヒーとリンゴを食べ、荷物を預けてワット・プーのゲートを抜けた。
左手に遺跡展示ホールがあり、今日は休館であった。
大きなバライ(聖池)を過ぎると水溜りのある広っぱに出た。それを過ぎると南宮殿、北宮殿があり、北宮殿に入ってみた、崩れそうであり、石材が散乱していた。実は立入り禁止であった、出てくる時に気付いた。
リンガが両側に並ぶ参道が続き、その先に桜が咲いている様に白い花が満開で、急な石段をおおっていた。
急な石段を数回休憩しながら上った。
石段を上りきり本殿横から今来た道を振り返ればワット・プー全貌が見渡せた。その眺めが写真である。
水溜りのある広っぱと思ったのが、水が涸れたバライであり、そのバライの間に長い参道が続いていた。
参拝ルートに沿ってワット・プーを下って行った。

世界遺産 ワット・プー祭り

2006年02月11日 | 東北タイ&ラオス旅行
大勢の人々の流れに添ってワット・プーのゲートをくぐり、お寺に向っているとソンテウで一緒だった奥さんが私のバックパックを叩いて何か言いたそうである。こんな荷物を持って参拝に行くの?と言っていそうである。
日没が近付いていたのでワット・プーのある山麓を見て荷物を預けにゲートに戻った。
ゲート前の食堂に入りビールを飲み、通りを見ていると日が沈み暗くなっているのに続々と人々がワット・プーに向っている。
日本の初詣の様である。
荷物を食堂に預け、ワット・プーに向った。
バライ(聖池)の左側広場がイベント会場になり、夜店も多く出ている。
いったい今日は何の日なのか?後日談、ワット・プー祭りは、1月下旬から2月中旬の満月の日が最終日で、その1週間前から祭り期間となる。今年は2月13日(月)が満月の日である。従って、今日11日(土)は最も人出の多い日であったと思われる。
左手に南宮殿、右手に北宮殿を見て間も無く急な石段が数ヶ所に段々と上に続く。
線香数本に白い花をセットにしたお供え物を子供が売っていた。
1人から買うと数人の子供が寄って来た。値段は気持だろうと思い、5000kip(¥60)、B10(¥30)、B5(¥15)と小銭がなくなるまで購入した。
急な石段を休憩しながら、線香を供えながら上がった。石段を上がりきった所が本殿である。本殿の仏像に線香をお供えして、ワット・プーを下っていった。
大勢の人々が切れ目無く上ってくる。まったく初詣の様である。
食堂に戻り荷物を受取り、チャムパーサック行きソンテウの運ちゃんに「ホテル」とだけ言っておいたら、チャムパーサック手前のゲストハウスで降ろしてくれた。
1部屋のみ空いていた、しかし、ファン、シャワー無でUS$10(¥1220)、足元を見ている。でも今日は仕方無いのでOKした。
20時になっていた。焼き飯とビールを食べた。

世界遺産 ワット・プーへ

2006年02月11日 | 東北タイ&ラオス旅行
今日はパークセーに泊まる予定であった。
しかし、パークセーに着いたのが14時と早かったのと、ダーオフアン市場バスターミナルからワット・プー行きソンテウが出ている事が分かったのでワット・プーまで行く事にした。
ワット・プー行きソンテウには8人の乗客が乗っていた。
すぐに出発するものと思っていたが30分経っても、1時間経っても出発しない、乗客は、ビエンチャンから来たアベック、久しぶりに実家へ帰る若い女性と子供連れの夫婦であった。
1時間30分後に数人のグループが来たのでやっとワット・プーに向った。出発したのは15時30分であった。
1時間ほどでメコン川の渡し舟乗り場に着いた。渡し舟は、並列に並べられた3台の舟にプレートを渡し、プレートにはバス2台程度載せる事が出来る。エンジンは真中の舟に載せている。それは、フェリーであった。
フェリー待ちの車が多く、少し待ってからソンテウより降りてフェリーに乗込んだ。
メコン川は、見た目より幅が広いと感じた。
チャムパーサックで泊まろう考えていたが、通り越してワット・プーまで行ってしまった。着いたのが17時30分であった。運賃は、US$2払い5000kip釣りを貰った。
ワット・プーのバスターミナルから100mほどにワット・プー遺跡のゲートがある。
大勢の人々がワット・プーに向っている。


パークセー(ラオス)へ 続き

2006年02月11日 | 東北タイ&ラオス旅行
写真はラオス側からタイ国の完成まじかのイミグレーションとゲートを写す。ウボンとパークセー間の直行バス開始が2月19日からであるから、その日に新イミグレーションが完成使用開始され、このゲートを通過するのだろう。
この写真のゲートを背に道路を進むと左側には国境マーケットが続き、右側に5mほどの高台にラオスのイミグレーション(2階建てビル)が見えて来る。ビルの右サイドにビザ(VISA on arrival)申請窓口があり、申請書と入出国カードを貰い記入後、写真1枚とUS$30を添えて提出すると14日間のビザが貰える。
ビルの角を曲がり裏側に回ると入国手続き窓口がある。タイ団体客が居て、多数のパスポートを持って手続きしている後に付いたので待たされた。
なぜかB20(¥60)取られて入国を完了した。
イミグレーションから道路に降り、300~400m進むと左側にワンタオのバスターミナルがある。
チョーン・メックのバスターミナルに着いてから、陸路国境を越えてワンタオのバスターミナルに来るのに1時間半掛かった事になる。
乗合トラックバスに乗り、待つことすぐにトラックバスはパークセーに向った。
13時に出発し、メコン川に架かる橋を渡るとすぐにパークセーのダーオフアン市場横のバスターミナルに14時に着いた。1時間であった。運賃はB40(¥120)。
ラオスの道路は舗装はしているが、砂利が多い舗装なのか細かい振動がする。
トラックバスは、荷台部に横向きに座席があり、オープンである為、砂ぼこりをかぶる。