いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2月25日 プーケット 20日目前半

2009年05月27日 | プーケット短期滞在
5時起床。
今日は、シミラン諸島へDay Tripに行く。
6時15分にピックアップされるので、6時過ぎに1階に降りるとシャッターが開いて、おばちゃん&おっちゃん従業員夫婦がいた、Good Morningと挨拶した。
まだ暗い。 こんなに早くからゲストハウスがオープンしているはずがない。ツアー会社から連絡が入っているのか?
向かいのセブンイレブンでコーヒーを買い、ロビーでコーヒーを飲みながら迎えを待った。
迎えの運ちゃんが来て、従業員夫婦のところに行き話している。そして私のところに来て、名前確認、バウチャーで確認されワンボックスカーに乗り込んだ。
次の客を迎えに行き20分待たされた、運ちゃんが部屋まで起しに行った様だが結局現れなかった。
すでに、7時前である。運ちゃんは、私1人だけを乗せて猛スピードでプーケットを北上し、プーケット島を離れ更に北上した。
小学校前で交通整理をしていたポリスに止められた、運ちゃんは何かコピーを見せている。次に携帯電話をしている。そしてポリスと交代してポリスが話している。
車の整備不良か?? これで10分のロスである。さらにワンボックスカーは猛スピードで走った。
8時45分ごろタプラム港に着いた。予定では8時30分出発であるが、舟屋では多くのツアー客がトーストを食べたりコーヒーを飲んでいた。
スタッフが名前を確認し、シュノーケリングに必要なマスク&フィン、バスタオル等の貸し出しが必要か、有無をチェックシートに記入させられた。Day Tripのシールを胸に貼られた。
セルフで紅茶をいれ飲んでいると、先ほどのスタッフが酔い止め薬をくれた。
ガイドによる説明が始まった、英語&タイ語、??語でガイド2人が説明した。英語は聞き取れなかった。説明が理解できなくてもどうにかなる。
日本語ガイド付きツアーはツアー代金が当然高いので最近利用しない、英語ガイドでどうにかなる。
胸に貼られたシールは3種類あり、2グループが先に出て行った。
残されたグループの??語グループは私も属し、桟橋に向かった。そこは、漁港の様であった。乗船前に草履を全員が脱ぎ、大きなビニール袋に入れた。
 向かいの桟橋


スピードボートは、日本で言うところのモーターボートの大きいタイプでYAMAHAの船外機が3台付いていた。このタイプであれば、メキシコ旅行の経験でベリーズシティからキーカーカーまでの約1時間の乗船でも船酔いはしなかったので今回も大丈夫だろうと思い酔い止め薬を飲まなかった。
スピードボートには、25人ほどのツアー客が乗っていた。私は揺れの少ない後方にライフジャケットを付けて座った。
9時に桟橋を出て灯台を回り込み外海に出た、船外機エンジンのごう音と共にスピードを増した。時速60kmは出ているだろう。
ボートの真中に大きなクーラーボンクスが置かれていて、スタッフはそこからコーラー、オレンジジュース、水等の飲み物をツアー客に勧め手渡していた。
西欧人の子供は、可愛い。おしゃぶりをくわえる子も含めて6人もの子供が参加していた。
ボートが走り出して、まもなく元気な子供達もぐったりし始めた。船酔いか? 
ベリーズの時は小島の点在する浅い海であったが、今はアンダマン海に乗り出している。私は遠くの雲を見て酔わない様に注意した。
30分ほどで陸地が見えなくなった。シミラン諸島のある進行方向は見ずらく、まもなく遠くに島影が見えて来た。
他のスピードボートを追い抜いて行った。他のボートは船外機が2台の為馬力が劣るからだ。
次に気付くと左舷に大きな島が見えていた。10時ごろにボートは止まった。
大きな島がシミラン島(第8島)で、すぐ横にバーグー島(第9島)があった。バーグー島の入江にボートは止まった。

女性ガイドが??語で説明している。何語かどこの国かもまったく判らない。タイ人女性スタッフが、「あなた方2人は私が後で英語で説明する。」と言った。1人参加の??語圏外の客を並んで座る様誘導されていた。
英語での説明は、「目の前のバーグー島の小さな浜まで行くか、ボートの周りでシュノーケリングする。時間は45分間。」??であった。
シュノーケリングする積もりはなかったが、この綺麗な海を見ていると海に入りたくなった。短パン、ポロシャツを脱ぎ海水パンツになった。
女性スタッフがあなたはライフジャケットを着けなさいと言われ素直に従った。股にも紐を通して着せてくれた。
マスク&シュノーケルを手渡され、「海中に落とさない様に、水深15mあるので拾えない。」??と言われた。
ボートからの降り口は、船外機の両側にステップがある。男性スタッフが客に足ひれを付けていた。
私は足ひれを借りなかった、ステップを2段降り、海に浸かる様に入った。入った瞬間、冷たくない、これは以外であった。私は海やプールに入った瞬間の冷たさが嫌いで、あまり水に入らない。ビーチやプールサイドは好きであるが!
水中メガネを着けシュノーケルをくわえて顔を浸けると、吸い込まれそうに透明で美しかった。
ライフジャケットを着けているので、体を伸ばし顔を浸けると楽に浮いていらて、水中を眺め続けられる。らくちん、らくちん!
 バーグー島(第9島)でのシュノーケリング

海面を浮いているとゆっくり砂浜の方向に流される。ボートに引き返すと海底にボートの影が写っていた。
45分間のシュノーケリングもあっと言う間に過ぎ、ボートに上がると女性スタッフがライフジャケットを脱がせてくれバスタオルを貸してくれた。面倒見が良い。
一息つき、風景写真を撮っていると電池が切れた、電池交換していると周りが騒がしいくなり近寄って海を見るとウミガメが海面を泳いでいた。ウミガメの泳ぐ速度は速く、あっとゆう間に通り過ぎた。
 バーグー島(第9島)でのシュノーケリング

バーグー島(第9島)を後にしてシミラン島(第8島)に向かった。
スタッフが大きなクーラーボンクスからコーラー、オレンジジュース、水等の飲み物をツアー客に勧めて手渡していた。私もコーラーを飲んだ。
 バーグー島(第9島)

すぐにシミラン島のSail Rock(帆岩)が左に見えて来た。それを左に回り込むとエメラルドグリーンと真白な砂浜が見えた。
 シミラン島(第8島)真白な砂浜 

ボートは砂浜に着き、素足で膝まで浸かり上陸した。草履は桟橋で脱いできたので全員裸足である。

真白な砂浜の奥に公園事務所や食堂等がある。
昼食をここで取る為食堂に行った。屋外の木蔭の下に木製のテーブルが並び、まるでキャンプ場の様であった。ツアー客が大勢座って食事を取っていた。私達も加わり昼食を取った。野菜炒め、トムヤム・シーフードとライスが大皿で持って来られ、各自が皿にライスを取り、おかずをのせて食べた。食べている最中に大男のガイドが椅子から崩れ落ちそうになった、場所が砂地で椅子の足が大男の体重に耐えられず、砂にめり込んだ為であった。大笑いである。
ビューポイントのSail Rockに行きたくて、昼食もそこそこに、スタッフに行き方を尋ねると砂浜をRockの麓まで行くと登り口がある様だ。

砂浜の端まで行くと大きな岩に道標があり、矢印が海の中を指している、なぜと思ったが行って見た。海に入り岩を回り込むと丸太が掛けられていた。丸太の緩やかなスロープを上り、裸足で少し痛かったが土や岩の上を登り、ビューポイントに着いた。
 バランシングストーンとも言われる。

岩の根元に人影が写っているが、そこがビューポイントである。
 真白な砂浜とエメラルドグリーンの海

 エメラルドグリーンの海底にボートの影

 バーグー島(第9島)を望む


バランシングストーンからの眺望を楽しんだ後、下りる途中にレイバンのサングラスを落とした。約25年間使ったサングラスを帽子に挿していて岩の下に落としてしまった。拾いに行こうと思ったが裸足では無理で残念した。
途中、同じツアーのガイドがみんなを連れてビューポイントに登って行った。
彼らが戻ってくるまで時間があるので、砂浜で海に入った。子供が騒いでいるので何かと思っていると魚が人々の周りを泳いでいた。海中に潜って居る訳でもなく、海面から魚が見える。
海の中に胸まで浸かり歩いていると同じツアーの英語案内客(私以外に1名)と会った、「ハワユー」と声を掛けると「ナイス!」と返って来た。そして「Seil Rockはどうだった?」と聞かれ「グッド!」と答えた。彼らと話す時はハイテンションになる様に心掛けている。
砂浜に戻ると女性スタッフに「バスタオルは?」と言われた。みんなが集合してボートを待っていたのであった。怒られてしまった。

2月24日 プーケット 19日目

2009年05月23日 | プーケット短期滞在
8時起床。
いつもの様にコーヒーを買い、ハムと食パンを昨日に買ったのでサンドイッチの復活である。
1週間ほど前、黄マンゴーを買い食べたところ、顔がくしゃくしゃになるぐらい酸っぱく、食べられなかった。その時の黄マンゴーが2個残っているので食べたところ、控え気味の甘さと少しの酸っぱさが残り絶妙の味であった。黄マンゴーは癖にさりそうである。

今日は、カマラ・ビーチに行くことにした。ビーチ通りからソンテウに乗りプーケット・タウンの噴水ロータリーで降り、市場前のスリン&カマラ・ビーチ行きソンテウに乗り換えた。
ソンテウはプーケット縦貫道路を北に向かい、ヒロインズ像(二人の姉妹の像)ロータリーを左折した。
ソンテウは元々地元の人の足で、それに多くの外国人観光客が便乗しているが、この路線は地元の人ばかりであった。
海岸は見えないが近そうな雰囲気であったので「スリン」と客に聞いたら、スリンらしい?
また山の中を上り出した、そして眼下に海が見えて来た。道路脇に多数のバイクを置いているところがあり、そこを下ると小さなビーチがある様だ。
カマラ・ビーチが見えて来た、道路はビーチ沿いに少し中に入っている。大通りから外れた、大きな駐車場があった。そこは旅行社などで見掛けるパンフレットにあるプーケット・ファンタシーであった。
乗客は、私とおばちゃん2人になっていた。ソンテウはビーチから内陸に入って行く、いったいどこに行くのか? 車1台が通れる道沿いに住宅が続く、おばちゃん2人が順次降りて行った。
ソンテウは大通りに出た、横断してビーチ方向に向かった。私はどこで降りれば良いのか分からず、終点まで行くつもりであった。運ちゃんもどこへ行くのか聞きたそうであった。急に視界が開け海が目の前に見えたのでソンテウを停めた、料金を聞きB50(130円)を払って降りた。
そこは、コンクリートで固められた護岸沿い道路であった。100m先にソンテウが止まっていて、そこがソンテウの終点であった。カマラ・ビーチの南端である。
GuestHouseやレストランの前を通り、ビーチに向かった。

オン・ザ・ビーチに食堂とマッサージ台が並んでいた。食堂でスパゲティB90(235円)とビール大B100(265円)を頼んだ。スパゲティはFujiの日本食より美味かった。
小説を読んでいたが長居が出来る雰囲気でもなかったので支払いをして出た。

2週間前パトン湾のThavron Beachまで歩いたが、そこまでここカマラ・ビーチから1.5kmほどでパトンは近い。それをソンテウで大回りで戻るのも億劫になってきた、トゥクトゥクで帰ろうと思っているとソンテウが来たので乗った。

プーケット・タウンでパトン行きバスの出発まで時間があったので、バス停前の年寄り2人が切盛りしている食堂に入った、以前、戦時中の「日本軍票」を見せてくれた食堂である。
今日はコーラーを頼んだ。日本語を話せる息子が横に座り、いつまでプーケットに滞在するのか聞いて来た。25日間滞在すると答えると、明日25日はバンコクでタクシン派の大規模デモがあるので気を付けろと忠告してくれた。
プーケットに来てからバンコク週報を読まなくなっていたので気付かなかった。今回はタクシン派か! 去年11月下旬から12月上旬にかけてバンコク国際空港&ドンムアン空港を閉鎖したのは、反タクシン派で、今度はタクシン派か!!! どちらの派にもタクシンの名前が付いているので国外逃亡中の元タクシン首相が諸悪の根源か???
コーラー代B30(80円)を爺さんに払い、バスに乗った。バスの窓越しに爺さんが、ビールと勘違いしたとB20を返金してくれた。何と良心的な爺さんか!!!

夕食は、日本食レストランFujiに行った。ビールのつまみにイカの姿焼きB120(320円)を頼んだ。甘いたれが気になった。仕上げに鍋焼きうどんを食べたが、これがひどい味、最初食べた時は感動するほどの美味さであったが、今回3度目で最悪である。味のバラツキが大き過ぎる。3勝5敗3分。

2月23日 プーケット 18日目

2009年05月20日 | プーケット短期滞在
7時30分起床
今日もセブンイレブンでコーヒーとハンバーガーを買い、テイクアウトして朝食にした。

1週間前にピピ島に行き、もう1ヶ所、是非シミラン諸島に行きたいと思っている。
シミラン諸島をはじめて知ったのは2001年8月のピピ島からの帰りであった。クラビ市街から空港へのタクシーで、運ちゃんがピピ島よりも綺麗な島がある。それは海の綺麗さが世界の十指に数えられるシミラン諸島であると言う。
その当時、シミラン諸島はガイドブックにも載っていなかった。地球の歩き方「'98~'99版 タイ」で確認するとダイビングツアー2~8日間 シミラン諸島、スリン諸島とプーケットの項に1行だけ記載があった。
その後、シミラン諸島の詳しい情報を入手したのがいつ頃なのか覚えていないが、2003年暮れ(2004年正月休み)にシミラン諸島に行こうとプーケットに行っている。プーケット空港内の旅行社でカオラックのホテルを取ろうとして空きが無く、プーケットのパトン・ビーチのホテルを取った事を思い出す。その時は滞在期間が短くてシミラン諸島日帰りツアーの予約が取れなかった。
乾季のみ11月~4月限定のツアーで、今回念願かなってシミラン諸島に行けそうだ。
ピピ島日帰りツアーで利用した旅行社のシミラン諸島日帰りツアーがB2,600(6,800円)と最も安いので利用する事にし夕方行く事にした。

昼食に出る為、ロビーに下りるとフロン嬢が、「日本食が食べたい。」と言っているのでOKと言った。カルフールで日本食を買って来てやろうと思ってOKしたのである。
日本食レストランFujiでとんかつ定食とビール小を頼んだ。Fujiで注文するのは、とんかつと鍋焼きうどんぐらいになって来た。3勝4敗3分。
カルフールに寄り、GuestHouseへの土産に日本食を選んだ。アジアンフーズのレトルト食品、インスタントラーメン、缶詰等を置いた部屋があり、日本、韓国、中国、その他の食品があった。
ボンカレーB92(240円)、インスタント味噌汁B69(180円)を選んだ。ボンカレーは日本で90円ほどで3倍の値段がするが、Fujiのカレーライスより断然美味い。寿司のカルフォルニアロール、まぐろ切り身&かにかまもあったが、あまりお薦めでないので選ばなかった。朝食用にハムと食パン、缶ビールも買った。
カルフールは、ハムやソーセージ、乳製品が豊富である。ターゲットは西欧人だろう。

バンコク銀行に行ってATMでイーバンクカードを使ってB3700を引き出した。
Citiカードを海外キャッシング用に使っていたが、Citibankが経営危機に陥った為預金保護の問題や海外キャッシング手数料が高い等で、日本のイーバンク銀行のイーバンクカードに変更した。(Citibankは、以前は米国本社の在日支店であったが、金融庁に申請し2007年7月1日に金融庁から、銀行法に基づく日本国内の銀行としての免許が交付され開業している。従って、現在は預金保険料を納付し預金保険機構に入ったので預金の保護が図られるようになった。)
今回の旅行は円現金を持って来て、バーツに両替後、安全の為バンコク銀行の私の口座に入れて都度引き出している。まだ円現金が残っているのでイーバンクカードを使う必要はないが、イーバンクカードでの海外キャッシングの手数料が、どの程度なのか知りたくて使用して見た。
後日談、帰国後確認すると、B3700出金で9960円引落されていた。レートは、2.692円/バーツであった。この日の為替レートは2.634円/バーツ。
イーバンク出金レート/為替レート=1.022となる。1年前のCitiカード出金レート/為替レート=1.049であった。したがってイーバンクカードの手数料は、Citiカードの1/2となった。これからの海外旅行には、イーバンクカードが必需品である。あとは、どこでも使えるか?

GuestHouseに戻ったが、フロント嬢も従業員もいなかった。せっかく日本食を土産に帰ってきたのに!!

夕方、シミラン諸島日帰りツアーを申し込みに旅行社に行く為、フロントに下りるとフロント嬢やおばちゃん&おっちゃん従業員が居たのでボンカレーとインスタント味噌汁を渡した。
フロント嬢は、困った顔をしている、「日本食を食べたい」とは、日本食レストランに連れて行けと言う事か?? 無視して出掛けた。

ピピ島ツアーで利用した旅行社に行くと、男性スタッフが座っていた。シミラン諸島日帰りツアーの件で来た事を伝え、インターネットで内容は解っているが、スピードボートとはどの様なボートか尋ねた。ポスターの写真で説明された、日本で言う大型のモーターボートであった。
4年前メキシコ&ベリーズの旅行でベリーズ・シティからキーカーカーまで、船外機が2台取付いたモーターモートで50分間乗った経験がある。
男性スタッフは、船酔いが心配でしたら揺れの少ない後部に座る事を薦められた。しかし、船外機の爆音がうるさいが!!
明後日のツアーの予約を頼んだ。宿泊ホテルを聞かれ、ホテルの名刺を渡した。「バンザーンとは、いきな所ですね」と言われ、どういう意味かと考えていると「不良外人が多く・・・」と続いた。バンザーンとその様に思われている場所か?
私にとっては、1ヶ月滞在するのにリーズナブルで大変便利な所だ。
男性スタッフは電話で問い合わせしているが中々繋がらないので、いろいろ話してくれた、私も久しぶりの日本語で長話になった。
朝6時15分のピックアップで予約が取れた。B2,600(6,800円)を払い、バウチャーを受け取った。

最近、毎日行っているタイ料理食堂で、昨日作っているのを見たソムタムを頼んだ。イカ入りソムタムとビール小を取った。もっと辛いのかと思ったがそうでもなく、もともとサラダがあまり好きでないので、ソムタム初体験も、こんな物かで終わった。
まだお腹が物足りないので、同経営の屋台でバーミーナム(タイラーメン)を食べた。

洗濯屋に寄り昨日頼んだ洗濯物を受取り、B80(210円)払った。タイでは、ポロシャツ、ズボン、短パン、下着、靴下、ハンカチ、何でも洗濯してアイロンを掛けてくれ、きついと思うぐらいの香料もついています。タイに来る様になった当初は、下着のパンツやシャツを出すのは抵抗があり、それだけは自分で洗っていたが、下着も出していいと知り、それからすべて出す様になった。


2月22日 プーケット 17日目

2009年05月17日 | プーケット短期滞在
8時20分起床
昨日と同じくセブンイレブンでコーヒーとハンバーガーをテイクアウトして朝食にした。
いつもの朝の様にインターネットニュースを読んだ後、エアーアジアのチケットを買いに行く為に、Webサイトで便名と出発時間等を確認して紙に書きとめた。この紙を窓口に出せばトラブル無くチケットを購入できるだろう。料金が昨日より約B400upしていた。昨日買いに行けば良かった。!!!

ビーチ通りからソンテウに乗りプーケット・タウンに向かった。何度も通った道、見慣れて長く感じた。プーケット・タウン手前のBig-Cに行く人がまず下車し、続いてセントラル前で停車した。私はセントラルで降り、8番らーめんに行った。味噌ラーメンを食べた。ここのラーメンは口に合う。
前回はセントラルからロータスまで歩いたが、今日はバイクタクシーB30(80円)に乗った。
ロータスに着いてエスカレーターで2階に上がった。2階はフードコートで賑わっていてエアーアジアのチケット売場は、窓側にひっそりとあった。

日付、便名&行き先を書いた紙を渡しながら、バンコクと言って申し込んだ。荷物重量を聞かれ7kgと答えた。「15kg・・・」と言っている。
発券までの待ち時間に窓口に貼り出されている掲示に気付き、それを読むと荷物重量により荷物料金を徴収される。国内・国際線で異なり、国内線15kg以下B50、20kg以下B250、25kg以下B450・・・とある。先ほどの「15kg・・・」は、B50徴収すると言う事か。
バウチャーはスーパーのレシートを幅広にした様なシートで、予約番号、氏名、便名、料金明細がプリントされていた。B2,313(6,100円)。 インターネット購入よりB100高かった。Call Service Feeと言う名目でB100取られていた。日本では、旅行代理店で航空券を買うと手数料2,000円取られる事を思えば安い。

帰りはBig-Cまで歩いた。薄曇でそれほど暑くなかったので歩道を歩いたが、ゾウリ履きの為、足裏に小石が挟まり痛い思いをした。
Big-Cは、食品関連よりもホームセンターで扱う商品に多くのスペースを取っていた。電化製品もあり、液晶テレビを各メーカーの比較展示していた。韓国サムスン製がはっきりくっきりで最も高性能の液晶テレビであるかの様に展示されていた。コントラストをきつく調整すれば、はっきりくっきりになるが毎日コントラストのきつい状態で見られるものでもない、目が疲れる。消費者が勘違いして選びそうだ、それが狙いか?
エントランスの通路で献血をしていた。日本であれば献血車が来てその中で献血するが、ここでは通路に簡易ベッドを並べ、長テーブルで問診をしていた。一瞬フットマッサージのコーナーかと思った。
Big-Cの裏からソンテウ乗場が近い、それで裏に向かう車道があったので、通りかかった店員に通り抜け出来るか尋ねたが英語が苦手なのか、逃げて行かれた。仕方なく行くしかなかった。
ソンテウにバス停があるわけではない、手を出せばどこでも止まる。Big-C帰りの客がソンテウを待つ為自然に集まってくる場所があった、来る時のソンテウで一緒だった人も待っていた。

15時ごろGuestHouseに戻った。シャワーを浴びて、ビールを飲んでゆっくりした。
洗濯物をランドリーに持って行った。着替えはそれぞれ3枚持っているので約1週間に1度洗濯に出している。料金はB80~90(210~240円)である。
その足でタイ料理食堂に行った。トムヤムクンとビール小を頼んだ。
食堂の前に置いてある屋台で、兄ちゃんコックが青いパパイヤを包丁の刃で叩き、次にそこを削ぎ落として細長い短冊状パパイヤを作っていた。それを底の深いすり鉢に入れ、キャベツとその他は分からないを入れて、すり棒で叩いていた。コックにソムタムかと聞くとそうであった。
GuestHouseに帰るとフロント嬢とおっちゃん&おばちゃん従業員に、「いつも一人でいる、(女性を連れて帰らかえらないのか?)」と、冷かされた。朝、時々タイ女性が帰って行くのを見かける。


2月21日 プーケット 16日目

2009年05月14日 | プーケット短期滞在
8時起床。
いつもの焼き豚で作ったサンドイッチも飽きたので、セブンイレブンでコーヒーを買うついでにハンバーガーを買った。
パンに海老のすり身を挟んだ状態で受け取り、パセリとキュウリ&玉ねぎを自分で挟みケチャップとマスタードを掛けると出来上がりである。これでB20(55円)は安い。

帰国までの予定を昨日決めた結果、3月2日にチェックアウトし飛行機でバンコクに戻る事になった。それで飛行機のチケットを購入する為、エアーアジアのWebサイトで時刻と料金を調べた。プーケット12時50分発バンコク14時10分着の便が最適であり、料金もB2,000以下と往路のバンコク・エアーウエイズB2,795に比べると随分と安い。料金だけを考えれば早朝便がもっと安い。
エアーアジアのチケットはインッターネット販売が主流で、クレジットカード支払いである。日本国内でもクレジットカード支払いに抵抗感があり、振込みやコンビニ払いをするのにタイでクレジットカード払いはやはり抵抗感がある。自前のPC持参で危険性は相当低いが!!!
1週間前にプーケット・タウン近くのロータスにあるエアーアジアのチケット売場を確認していたので、明日、チケットを購入しに行こう。

昼食にタイ料理食堂に行った。焼き飯と「昼からビール」でなく「おいしい緑茶」を注文した。
「おいしい緑茶」とは、ペットボトルに入ったタイのお茶で2年ほど前からブームになっている。日本語でおいしい緑茶とも書いてある。はじめて飲んだが紅茶の味がした。
この食堂は、レジ女性がいる時はメニュー価格通りに請求されるが、昼は彼女がいないからか? メニュー価格より安い。今回も焼き飯B50+お茶B15?=B65のところ、B50で済んだ。
ジャングセイロンまで、ほんの数百mが暑い、エアコンの効くショピングモールでぶらぶら暇潰しをしてGuestHouseに戻った。

日記メモも、どこで何を食べた、何を買っていくらしたと家計簿みたいになって来た。ビーチ巡りも残り僅かで、また暑くて出掛けるのが嫌になりGuestHouseで過ごすから書く事がない。

夕食は前回鍋焼きうどんが美味かったのでそれを食べに日本食レストランFujiに行った。
餃子、鍋焼きうどん&ビール小を頼んだ。楽しみにしていた鍋焼きうどんは、期待外れであった。前回ほどでもない。3勝4敗2分。
セブンイレブンに寄り、チャンビール2缶を買って帰った。

2月20日 プーケット 15日目

2009年05月11日 | プーケット短期滞在
8時起床。
帰国までの予定を決める時期に来ていた。
プーケット発、早朝便でバンコクに向かっても帰国便に間に合わないので、前日にはバンコクに滞在しなければならない。
帰国日から逆算すると、3月2日にGuestHouseをチェックアウトする必要があり、今日、宿泊の更新を10日間する事にした。
バンザーン市場前のバンコク銀行ATMに行き現金を出金した。纏めて滞在費の円をバーツに両替し、バンコク銀行の口座に入れ、必要な時に都度出金していたが残金も少なくなって来た。
GuestHouseのフロントで3月2日チェックアウトで10日間延泊すると伝えると、私が値引きを言い出す前に、B850/泊とB50値引きすると言ったので、B800/泊にしてくれと言うといとも簡単にOKした。
10日分のB8,000(21,000円)を支払い、領収書を受け取った。

4日前に行ったカロン・ビーチの南にカタ・ビーチとカタノイ・ビーチがあり、今日は、そこに行く事にした。
ソンテウでプーケット・タウンに出てカタ・ビーチ行きソンテウに乗り換えた。
シャロン湾のシャロンサークルを過ぎ、峠を上る途中にシャロン湾が綺麗に見えた。
峠を降りた所で地元人は降り、観光客だけになった、西欧人男性は携帯電話ばかり見ている、西欧人女性は本を読んでいる、私は二人を時々見たり、景色を見ている。
携帯電話で何を読んでいるのか、画面が見えた、線が見えるだけだ、地図、GPSと連想した。
男性に「GPS」と言って見ると「Yes」と返って来た。GPSなど見ずに車窓からの風景を楽しむべきだ。彼はカロン・ビーチで降りた。
4日前に下車したカロン・ビーチの南端を過ぎ、ソンテウは更に南に向かいビーチから離れた。
カタ・ビーチを走っているはずが、コンクリートのフェンスが延々と続き、ビーチの景色を楽しみにしていたのにがっかりであった。コンクリートのフェンスの内側は何だろうか。(カタ・ビーチを歩かなかったので、Googleマップで見るとHotelクラブ・メド・プーケットであった。カタ・ビーチの真ん中65%を占め、その内の1/3がゴルフ場とテニスコート6面である。)
カタ・ビーチ南端にあるHotelカタ・ビーチ・リゾート横の道路がソンテウの終点であった。
B30(80円)を払いソンテウを降り、目の前のカタ・ビーチに行った。背の高い松林が僅かに残り、ビーチに下りると広い砂浜が広がっていた。
 カタ・ビーチ


1km南にあるカタノイ・ビーチに向かった、歩道のない道は歩き辛い、それよりも暑くて歩くのが辛い。
1週間前は暑くても歩くのが苦にならなかったが、今は暑い、歩くのが嫌になる。
歩き出して間もなく左折し山に向かう道路があった、この道路はビューポイントを経てナイハーン・ビーチやプロンテップ岬へ向かう道路である。
左折せずに直進した、途中、西欧人家族連れが前を歩いていた、ビーチへ行くのだろうと思い、後を付いて行った。カタ・ビーチから20分ほど歩いた頃、家族連れが小道を入って行った。そこは急な長い階段で、下に小さく岩と砂が見えていた。階段を中ほどまで下るとカタノイ・ビーチが見えて来た。
 カタノイ・ビーチ

小ぢんまりとしたビーチで雰囲気が良いのでオン・ザ・ビーチのレストランがあれば食事をしようとビーチを歩いて探したが無かった。
1軒のホテルがこのビーチを独占していた、ビーチからホテル内を見ると庭とプールが見えるがビーチ・フロントのレストランも無かった。
カタノイ・ビーチの南端まで行った。このビーチの裏山にビューポイントがある。カタノイ・ビーチ、カタ・ビーチ、カロン・ビーチを見渡せるビューポイントである。
Googleマップには裏山に道らしきものがあったので登り口を探したがホテルの建設現場になっていて良く分からなかった。ビューポイントへの山道はあるのか????
カタ・ビーチからの道路はカタノイ・ビーチ南端で行き止まりになっている。
ビューポインへの道も見付からず、その道路を少し戻るとレストランが2軒並んでいた。
その1軒に入った。近くのホテルに宿泊しているのだろう西欧人老夫婦が道路脇のテーブルに座っていた。
ハンバーガーとビール大を頼んだ。計B200(530円)。タイはどこで何を食べても美味しい。
西欧人の青年がバイクで来て、テイクアウトする為注文して待っていた。
ビールを飲みながら本を読んで1時間ほど粘った。

暑い中をカタ・ビーチに戻る為向かった。途中、ビューポイントへの分岐に来て、ビューポインまで2km強、上りが多いので徒歩約1時間は掛かるだろう、歩いて行こうかと思ったが、炎天下のアスファルトを見て思い止まった。1週間前であれば確実に歩いていただろう。
カタ・ビーチのソンテウ乗場前にトゥクトゥク乗場があったのでビューポイントまで料金を聞くと、片道B200、往復B400との事。円高の今、日本と比べると安いがタイ物価と比較すると1.6倍である。
客が来たと喜んでいた運ちゃんに高いからと断わるとがっかりしていた。
ソンテウ乗場に行くとプーケット・タウン行きが丁度出るところで急いで乗った。

プーケット・タウン経由でパトンに戻った。
16時ごろGuestHouseに着いた。シャワーを浴び、缶ビールを飲んでゆっくりした。部屋ではチャンビールを毎日飲んでいるが、このビールは炭酸飲料の様でまったく酔わない。まるでのど越しの良い炭酸飲料である。
夜遅くに夕食に出た。バンザーン通りのタイ料理食堂に行った。3日間行ってなかったのでご無沙汰である。
イカ・パッポンカリーとビールを頼んだ。計B160(420円)

2月19日 プーケット 14日目

2009年05月07日 | プーケット短期滞在
7時45分起床
今日も食事に出る以外はGuestHouseでゆっくりする事にした。
パトン滞在2週間になると、ものぐさになって食事以外外出が億劫になる。
食事も何を食べるか考えるのが億劫になって来た。
昼食は、日本食レストランFujiに行った。
カツ丼とビール小を頼んだ。「昼からビール」を飲んでしまった。カツ丼は美味しかった。薄い豚肉のとんかつではあるが、口に合う様だ。3勝4敗1分。
夕食は、バンザーン市場のレストラン「ヘミングウエイズ」に行った。いつも客が入っていないので入り辛く、今日まで利用しなかった。
プー・パッポンカリー+ライスとビール大を頼んだ。
プー・パッポンカリーとは、カニ、玉ねぎとニラ?を炒め、カレー味で卵でとじたものである。
私はこれが好きでよく食べる。私だけでなく日本人には人気のタイ料理である。
ただ、カニを食べるのに私は両手を使うので手がこてこてになるのが欠点である。皆さんはどの様に食べているのか?
食べ終わってWash Bowlを頼んだ。ボウルにレモンの入ったぬるま湯が運ばれ手を洗った。
プー・パッポンカリーB150(400円)、ライスB20、 ビール大B120(320円)、チップB30 計B320(840円)。
大変美味かった。

2月18日 プーケット 13日目

2009年05月04日 | プーケット短期滞在
8時起床
朝食の時、一昨日買った黄マンゴーを切って食べたところ、顔がくしゃくしゃになるぐらい酸っぱく、食べられなかった。まったく熟していない。日本では食べ頃の果物が売られており、それに慣れた私は、いつも面食らう。
今日は食事に出る以外はGuestHouseでゆっくりする事にした。
GuestHouseの部屋にいる時は、午前中は窓際のテーブルでパソコンを使い、それ以外はベッドが居場所になっている。ベッドではTVを見たり、本を読んだり、PCを使ったりである。やはり居場所はベッドが多くなる。もう少し広い部屋でソファーでもあれば良いのだが!

日本食レストランFujiに昼食に行った。
鍋焼きうどんとミネラルウォーターを頼んだ。
鍋焼きうどんは、半熟卵とスープがからみ大変美味かった。完食した。2勝4敗1分
昼食後、2階のロビンソンデパートをぶらぶら歩いた、ベンチを見付け、そこで本を読んだ。

GuestHouseに戻った、部屋の掃除とベッドメーキングが終わっているものと思っていたが、まだ終わっていなかった。
毎日、清掃とベッドメーキングがあるが、私は毎日は必要ないので隔日にしている。
夕方、部屋にいるとノックされ、ドアから覗くと清掃であった。仕方なく、部屋を出てロビーに行きビール小を飲みながらTVを見て時間を潰した。

パトンの日本食レストランをWebサイトで調べていると、鉄板焼き&お好み焼きの「侍」を見付けた。
場所はロイヤル・パラダイスコンプレックスの出口近く、「れんが家」の跡地らしい。
売りはお好み焼きや焼きそばらしい。今日の夕食はこれに決まりである。
19時ごろに「侍」に向かった。ジャングセイロンから北にすぐのところにあった。ラティウティット200ピー通りから侍の看板が見える。
時間が早過ぎたのか客は誰もいなかった。
鉄板の前に座り、お好み焼きの豚玉B200(530円)とビール小B70を頼んだ。
目の前の鉄板で焼いてくれた、小さなお好み焼きですぐに焼き上がった。
キャベツが細かく切られているので歯ごたえがないのと小さ過ぎるので食べごたえが無く、物足らない、もう1枚食べたくなる。美味い。
焼きそばB120(320円)とビール小を追加した。
焼きそばも量が少なかったが美味かった。
粉もの好きの私は満腹になり得心した。計B506(1,330円)。

帰り道のラティウティット200ピー通りで観光バス2台から中国人が降りて来た、バングラ通りの歩行者天国にでも行くのだろう。
バンザーン市場前のゲソ串焼き屋台が出なくなって5日間ほどになる。その場所がぽっかり空いたままだ。どうかしたのか?
セブンイレブンで缶ビールを買って、GuestHouseのロビーでおばちゃん&おっちゃん従業員にあった。いつもの様に手を上げて挨拶すると、おっちゃんが冗談っぽく、持ち込みの缶ビールに文句を言っていた。冗談っぽく言っていたが本気だろう。
パトン滞在も予定期間の半ばになったし、まとめて枕銭でも置こうか。

2月17日 プーケット 12日目

2009年05月01日 | プーケット短期滞在
5時半起床
今日は、ピピ島に日帰り旅行する。

2004年12月26日のスマトラ沖大地震、そしてインド洋大津波が発生しタイではプーケット、カオラック、ピピ島が大きな被害を受けた。
そのピピ島に津波の3年ほど前に行った事があり、7年振りとなる。
前回、余りにも綺麗な海&風景に圧倒さた記憶が鮮明にある。余りにも綺麗い過ぎてもう一度来ようとは、なぜか思わなかった。
しかし、プーケットに滞在してピピ島に行かないというのも考えられない、大津波から4年が過ぎ、どの様に復興しているか、そしてピピ島の紹介写真に使われるビューポイントからの眺めを楽しみたいと思い行った。

7時にピックアップされるので、早起きした。
いつもの様に焼き豚を挟んでサンドイッチを食べたながらインターネットでニュースを読んだ。お腹の具合も問題無い。
7時前にホテルの1階に降りるとまだ閉まっている。夜間の出入口から外に出た。
向かいのセブンイレブンでコーヒーを買い、ホテル前でコーヒーを飲みながら迎えを待った。
ホテルのシャッターが開いた。7時過ぎにホテルはオープンするのか。はじめて知った。
7時15分ごろワンボックスカーが止まった、名前を確認され助手席に乗る様指示された。
パトンでもう一組をピックアップしてワンボックスカーはプーケット・タウンに向かった。
プーケット・タウンでもう一組ピックアップした。運ちゃんは場所が分からず、携帯電話で聞きながらたどり着いた住宅のまばらなこんな所の食堂兼ゲストハウスにまで西欧人は泊まっているのか!!
8時過ぎのプーケット・タウンは渋滞していたがタウンの外れにあるラサダ港に8時15分ごろに着いた。
スタッフからチケットを受取り、黄色いシールを胸に貼り付けられた。
トイレから戻るとその辺にいるスタッフ?が、乗船のための列に並ぶ様指示した。
高速船が3隻並列に並び、それと同じくもう一組が直列に並んで合計6隻が停泊していた。
列に並んで進ん行くと1隻目を渡り2隻目でスタッフに乗船する様に指示された。胸のシールで振分けていた。
船内はエアコンが効き過ぎ寒かった。バスタオルを肩に掛けた若い一団が乗り込んで来た。
ガイドに引率された韓国人のグループであった。
6隻の船は順番に出港していった。私達の高速船は8時40分ごろ出航した。

デッキに出て日焼けするのも嫌で船内にいたが、寒いのでデッキに出た。
日差しも弱く海風が気持好かった。西欧人は甲羅干し、韓国人は写真撮影会!!
改めて気付いた、韓国人はカップルで来ている、二人で写真撮影、即ち、新婚旅行の団体であった。
もうそろそろピピ島が見えるのではないかと舳先に行くとピピ・ドン島とピピ・レイ島が遠くに見えた。
 左 ピピ・ドン島、右 ピピ・レイ島

太陽は高くにあるが逆光になっている。残念ながら綺麗な写真が無理だ。
高速船はピピ・ドン島とレイ島の間を西からピピ・ドン島のトンサイ湾に回り込んで行った。
ピピ・ドン島で最もくびれた平坦なところが見えて来た、心持ち樹木が少ない様に思った。

10時過ぎに桟橋に着いた、真新しい立派な桟橋である。
バックパックを担いだ若者が下船して行くのをデッキから見下ろしながら下船の順番を待っているとスタッフが下船しろと言っている。
指示に従い下船して船を振り返ると大勢の乗客が残っていった。この船でシュノケリングや周遊観光に向かうのか?

桟橋から右に行き、この辺りの雰囲気は余り変わらないなと思いながら歩いているとダイビングショップに日本語で話す女性2人が椅子に座っていた。
通り過ぎてビューポイントへの行き方が分かってないのに気付いた。前回の記憶で大体の見当で歩いていた。ただし前回はビューポイントに登っていない。
引き返し日本女性に行き方を尋ねと丁寧に地図をくれて説明して貰った。ありがとう御座いました。
ビューポイントまでの町並みは、ダイビングショップ、レストラン、サッマージ店、土産物店、ホテルと真新しくなり、各国の若者が大勢来ていて完全に復興している様に感じた。
大津波前には、わずかにヒッピー風の町並みが残っていたが、今はすべてが新しくなった。
お陰で道に迷わずビューポイントへの上り口にたどり着いた。幅が1.5mほどのコンクリートの階段がまっすぐに続いていた。
手すりが付いた急な階段を上がると展望台になっていた。老夫婦もここまで上がって来ていた。

ここからはコンクリートの道が奥に続いていた。それほどの勾配でもないのにしんどい。後ろから2人の女性が迫って来るので先に行ってもらう為、道から外れて岩に座った。
追い越される時、「ハーイ、ハワユー」と声を掛けた、振り返ってにっこり笑顔でハーイと帰って来た。
ビューポイントは、もう近かった。ビューポイントへの道は、思ったより早く着いたが、登りは見た目よりもしんどい。
10人ほどの西欧人が売店横の木陰に入り休憩していた。
ビューポイントは大きな岩があり、そこからの眺めは最高です。

11時過ぎで太陽が高く、向かいの岩山が少しかすんでいるのが残念だ。
朝早く、来れば良い写真が撮れるだろう。
途中で私を追抜いて行った女性が気を利かせて写真を撮ってくれた。

ピピ島紹介に使う写真がここビューポイントからの風景であった。今は、レオナルド・ディカプリオの「ザ・ビーチ」の舞台となったピピ・レイ島のマヤ湾を上空から撮った写真が紹介写真に使われている。
ビューポイントから他のビーチへの道があり、その方向から人声が聞こえていた。私も行きたかったが、ピピ島には4時間しか滞在できず、残り2時間強なので下山した。
ビューポイントはやはり人気ポイントなのだろう、次から次に上ってくる。

 ローダラム湾

町並みの中を抜け、桟橋のあるトンサイ湾とは反対側のローダラム湾に行った。遠浅の綺麗なビーチである。
前回、ホテル横のこのビーチで過ごした。小さな木陰にいた為照り返しがきつく、気が付いた時はもう遅い、顔と肩&背中の日焼けがすごかった。濡れタオルを冷蔵庫で冷やし日焼け跡に当てる事を何度も繰り返したのを思い出す。
 トンサイ湾

トンサイ湾側に戻り、海の見えるレストランに入った。焼きそばとビール大を頼んだ。今日は「昼からビール」を飲んでしまった。
近くのテーブルに日本人青年、たぶん学生だろうが座っていた。1人は仙人の様なひげを生やしていた。
日本人にとってのひげとは? 非日常? 海外旅行という非日常にひげを生やすとか!
それにしても彼のひげは長い、長期滞在か? 日本でも生やしているのか?

インド洋大津波時のピピ島被災状況をテレビで見ていたが、私が前回宿泊したピピアイランドカバナホテルとその周辺の情報がなかった。
それで桟橋前を通り、ピピアイランドカバナホテルに向かった。
3階建てビルタイプホテルは残っていた。フロント・ロビーを覗いてみたが雰囲気が違った。
朝食を取った屋外レストランに行くと韓国人観光客でいっぱいであった。100人はいたのではないか。日帰りツアーの昼食をここで取っているのだろう。
 2001年8月宿泊したバンガロー

そこから西奥に前回宿泊したバンガローが並んだ地区があったが、今は背の低い木が植えられているだけで他に何も無い。完全にバンガローも樹木も大津波で洗い流された様だ。
また、木造平屋のヘルスセンター(病院)が真新しい立派なヘルスセンターに変わっていた。

14時が近付いたので桟橋に戻った。桟橋の職員(軍人?)と女性が椅子に座って話し込んでいた。職員にバウチャーを見せると、女性が横の東屋で待てと言いった。
東屋には椅子が無いのでフェンスに腰掛けた。それに女性が気付き、彼女が座っていた椅子を私に勧めた。有難く座らせてもらった。タイでは年配者を大切にしてくれるので助かる。
スタッフが東屋に来た。客がバウチャーを見せていた。空いて来たので行ってバウチャーを見せると新しくシールを胸に貼り付けてくれた。
高速船は14時30分定刻にピピ・ドン島の桟橋を出発した。デッキに出ずに船内の座席に座って本を読んだ。
帰りの船にも韓国人新婚さんが大勢乗っていた。その中に年齢層の違う3名の男女がいた、ガイドだろうか? この3人が大きな声で話していた。中国人、韓国人の声が大きいのは有名だが、これほど大きな話し声は初めての経験だ。
話の内容は当然分からないが、良く聞いていると会話になっていない、1人の男が一方的に話し興奮し益々声が大きくなる様だ。
余りにも大きいので3人の方を見ると、大きな声の男の背中が見え、その向こうにこちらを向いている女性が見えた。
私は、決してにらみ付けていない、しかし、女性が雰囲気を感じたのか、男の声は明確に小さくなった。
1人でしゃべり1人で興奮し益々声が大きくなる。また、徐々に声が大きくなったので彼女を見た、男の声が小さくなった。
この様に書くと韓国人全員がマナーが悪くうるさいと感じるかも知れないが、少なくとも他の新婚さん達は、おとなしかった。

16時にプーケット・タウンのラサダ港に着いた。
ワンボックスカーの運ちゃんが待っていて、胸のシールで見分け、呼び止められた。
全員集まったのか車に移動し、パトンに向かった。
バービアのねえちゃんを連れ出しピピ島ツアーした西欧人2組のねえちゃんがそれぞれ順次下車した、次にその西欧人のホテルに着き降りた。そしてアジア人3人が降りた。
パトンを1周して順番に降ろし、最後に私のGuestHouseで降ろされた。17時ごろになっていた。
GuestHouseに戻り、シャワーを浴び、ビールを飲みながらテレビを見た。
夕食は、日本食レストランFujiに行った。最近、毎日行っている。
とんかつ定食とビール小を取った。 計B209(550円)
とんかつ定食は2度目であるがとんかつは、まあまあ、味噌汁が付いているのが嬉しい。1勝4敗1分。