いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

古市古墳群と玉手山

2017年11月09日 | Weblog
先月は大阪府高槻市にある今城塚古墳に行き、前方後円墳を見てきた。
海外旅行が好きで、海外の遺跡はたくさん見て来たが、国内の遺跡はほとんど見ていない。

大阪府柏原市にある玉手山に横穴古墳、もしくは古代人の横型住居穴があるのを思い出した。
小学高学年の頃、近鉄玉手山遊園地がまだ開園していた。友達と自転車で行き、裏口から入っていた。
その途中に横穴が並んでいて、これは何だろうと思っていると遺跡の案内板があった。
説明内容は覚えていないが、遺跡であった。これが初めての遺跡体験であった。

Googleマップで玉手山を見ると、玉手山公園があり、それに隣接して北側に安福寺横穴群とあった。
これだ!! 小学高学年頃に見た横穴はこれだ!
玉手山公園の北側に玉手山1号墳~3号墳もある。
石川(大和川)を越えれば、古市古墳群もある。
百舌鳥・古市古墳群が今年世界文化遺産の推薦候補になった、その古市古墳群である。

今日は、玉手山1号墳~3号墳→玉手山安福寺横穴群→古市古墳群と徒歩で行く事にした。
JRおおさか東線に乗ったことが無かったので放出駅から久宝寺駅まで行って、関西線(大和路線)で久宝寺駅から高井田駅に行き、あとは徒歩と計画した。

関西線高井田駅の1駅手前の柏原駅で快速電車の通過待ちしている時、計画通りの順番で回れば、疲れて古市古墳群に行かない可能性があるので逆順に回ることにした。
それでJR柏原駅から近鉄道明寺駅に行く事にした。道明寺駅から徒歩で古市古墳群をまわれる。
柏原駅から近鉄道明寺線が出ている。近鉄の支線で近鉄南大阪線道明寺駅に繋がっている。全長2~3kmの単線である。
JR柏原駅に近鉄のホームがあり、乗客はいなかった。本数が少ないのだ。日中は1時間に2往復しかなかった。でも10分待てば電車があった。出発時間に合わせて乗客が大勢来た。

道明寺駅から歩き始めた。
道なりに西へ行けば仲津山古墳がある。途中に道明寺天満宮があるので寄った。
 道明寺天満宮
   

住宅街を歩いていると、もっこりした林があった。
古墳??と思いGoogleマップを拡大して見ると 八島塚古墳(やしまづかこふん)となっており、中山塚古墳・助太山古墳(すけたやまこふん)と並んでいた。
この辺りは古墳が多いのだ。
  八島塚古墳 ピンボケ
 

さらに住宅街を進むと仲津山古墳(仲津姫陵)が右手に見えるはずだが住宅しか見えない。

Googleマップの地図だけでは良く分からないので航空写真mapに変えたかったが操作が分からない。探したが見つからなかった。また、自分の向いている方向と地図の方向を合わせるのに苦労した。合わせないと反対方向に行ってしまう。
後日談、今は航空写真mapへの変え方も、◎の様なアイコンをタップすれば、自分の向いている方向に地図が回転して方向を合わせてくれる。

どこか仲津山古墳が見えるところがないかと古墳の周りを歩くと古墳の西側に別の古墳が見えた。石室山古墳となっている。
この辺りは、住宅が建ってなければ、古墳だ。

宮内庁の立て看板があった。仲津山古墳(仲津姫陵)であった。
仲津山古墳はこれしか見るとこが出来なかった。
Googleマップの航空写真mapでは、住宅と古墳の境界に道があり、ストリートビューで見ると仲津山古墳は森があるだけで、前方後円墳らしきものとは思われない。
スマートフォンでGoogleマップの航空写真mapが見れたら、少なくとも住宅と古墳の境界の道から大きな森が見えたのだろうが。
 仲津山古墳(仲津姫陵)
 

石室山古墳の横を通って応神天皇陵に向かった。
石室山古墳の前方後円墳の前方部、くびれ低部、後円部と見ることができた。
環濠は空堀で内部に入れたが「スズメバチが飛んでいるので注意」と看板があり、この時期は危険なので入るのをやめた。
 石室山古墳の前方後円墳の後円部からくびれ低部、前方部
 

応神天皇陵に着いた様だ、宮内庁の立て看板があり、玉砂利の道が奥に続き、管理事務所が見えている。
入って行きずらい雰囲気があり入らなかった。
結局、応神天皇陵はまったく見えずに玉手山に向かった。

道明寺駅南の踏切を渡り、石川(大和川)に掛かるつり橋を渡った。歩行者と自転車だけの橋である。
何故、ここに歩行者&自転車専用の橋があるのか? 玉手山遊園地が道明寺駅からのアクセス用に造ったそうだ。 
石川(大和川)の堤のスロープを下り、山方向に向かう。
Googleマップの見ながら進むと安福寺の山門が見えてくる。
 安福寺の山門
 

山門からすぐの参道脇に横穴と案内板があった。
「山門をくぐるとすぐに参道の両側に安福寺横穴群が広がっている。これら横穴群は、谷間の凝灰岩が露出しているところに掘られており、参道南側、北側に各16基、計32基確認されている。かつては古代人の住居であるといわれていた時期もあったが、石棺や陶棺、陶器などが見つかっており、中には騎馬人物像などの壁画が描かれたものもあり、古墳時代後期の横穴墓であることがわかっている。大阪府の史跡に指定されている。」そうです。
 

 

谷が崩れるのだろう、土嚢で横穴を塞いでいるのもあった。
 

50数年前、私が見た横穴はここではない様に思う。他にも玉手山には2ヶ所ほど横穴群が有るそうなのでそこだろう。50数年も前のことで定かではないが・・・。

玉手山1号墳~3号墳に向かった。
3号墳近くで見晴らしが効くところに来た。
古市古墳群が見えた。左から応神天皇陵、仲津山古墳(仲津姫陵)、允恭天皇陵である。
  古市古墳群  写真拡大
 

今日は応神天皇陵と仲津山古墳(仲津姫陵)に行って来たが、森しか見ていない。両方とも宮内庁管理地なので当然立ち入り禁止である。何をしに行ったのか森を見に行ったのか。
よっぽど、ここからの見晴らしで、古墳を見ている方がましである。
百舌鳥・古市古墳群が今年世界文化遺産の推薦候補になり、世界遺産登録を目出すのだろうが、どう見せるのかが大問題である。前方後円墳の鍵型は上空からしか見えない。

玉手山3号墳は、高いトタン塀で見ることが出来なかった。ゴミの不法投棄を防ぐ為にトタン塀を設けている様である。

玉手山2号墳は、丸ごと墓地になっていた。
 玉手山2号墳
  

その南側に隣接して玉手山1号墳があった。
後円部の頂上に大坂夏の陣で亡くなった奥田忠次の墓碑がある。
 玉手山1号墳後円部
 

近鉄河内国分駅まで急な階段を下った。

今城塚古墳 今日この頃

2017年11月01日 | Weblog
先月初め、大阪府高槻市にある今城塚古墳に行って来た。
テレビで今城塚古墳(いましろづかこふん)を取り上げていたのを見て、車で40分ほどで行ける近さで前方後円墳が見れるので行って見た。

古墳の横に今城塚古代歴史館があり、取り合えず今城塚古墳について見学した。
「史跡今城塚古墳は、三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約360メートルをはかり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。
今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です。今後の整備・公開に向けて平成9年から確認調査を行っており、古墳の規模をはじめ、のちの城砦や地震による変形の様子など、貴重な成果が得られています。なかでも平成13・14年度の調査 で北側内堤からみつかった埴輪祭祀区(はにわさいしく)は、大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めています。
なお今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。」 今城塚古代歴史館 古墳の概要より

見学中感じた事は、説明文を読むと地元の呼び名が多かったり、大阪府内の古墳名がでてきて、まったく知らない名前であったりと読んでも理解し難かった。
ただし、大阪にこれだけ多くの前方後円墳があるのかと驚いた。

1955年頃の今城塚古墳の写真があり、古墳の周辺は畑や田んぼである。今は住宅地になっている。
 1955年頃の今城塚古墳
 

 出土した埴輪
 

今城塚古墳は、古代歴史館の100mほど南にある。
公園として整備され、散歩や中学生の遊び場になっていた。
この古墳は、宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力だそうで、発掘調査が可能な大王陵である。
 Googleマップより
 

前方後円墳の前方より左側前方後円墳の後円右側

内濠の芝生部から前方部の墳丘に入った。
樹木が茂ったただの丘に道があり、進んで行くと発掘したポイントにはプレートが貼られていた。
後円部へのくびれた部分を行こうとしたが「ハチに注意」と看板があり進むのをあきらめた。

内濠の堤にある埴輪祭祀場に行った。
今城塚古墳は、家、器台、大刀、盾、巫女、武人、力士、鳥など、136点以上の形象埴輪が発掘されました。
埴輪祭祀場にはそのレプリカが置かれている。
 埴輪祭祀場
  

  

上空写真を見ているので、内濠の堤を歩いても前方後円墳の形状がイメージできたが、上空写真がなければ、なかなか難しい。