いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

トゥルムへ27日目

2005年07月31日 | メキシコ・ベリーズ旅行
6時半発のベリーズ・シティ行きボートに乗った。ベリーズ・シティには、7時5分に着いた。バスターミナルまで徒歩で15分であった。8時にメキシコのチェトゥマル行きバスが有るだろうと考えていたが、9時までなかった。今日、トゥルムまで行く予定に対して、この1時間は大きい。
11時30分ごろに国境に着き、ベリーズのイミグレーションでUS$18.75(US$20を払い、釣りはUS$1であった。)を徴収され出国した。バスに乗り、メキシコ側イミグレーションに向ったが、少し走ると渋滞でバスは進まなくなった。乗客がバスを降りて歩き出したので私も後に続いた。
メキシコのイミグレーションでパスポート、ツーリストカードとF.M.E.を渡し、F.M.E.を抜取られ他が戻って来た。その間、1分も掛からず、入国完了であった。他のツーリストは、パスポートだけを渡し、担当官からツーリストカードを受取って記入して再提出していた。
バスが来るまで乗用車やバスの税関検査を見ていた、2~3台に1台の割合で厳しく検査していた。今日は日曜日でベリーズからの買い物客が多く、この税関検査の為渋滞している。
ベリーズに滞在するのにUS$をBZ$に両替する必要はなかったが、US$で払って釣り銭をBZ$で受取っていたのでBZ$の小銭が溜まっていた。同じバスの乗客の子供に、そのBZ$の小銭をすべてやった。子供は驚き、喜んでいた。
そうこうする内にバスが来て、バックパックをバスから取り出し税関に行った。最初のツーリストの税関検査をしただけで、他はフリーパスであった。
バスの税関検査も終わり、乗客が全員揃うのに時間が掛かったがチェトゥマルのバスターミナルに向った。バスターミナルに着いたのはメキシコ時間で14時であった。
バスターミナルのチケット売り場が長蛇の列で中々進まない。客と係員の会話が長い、世間話をしているのかと思うぐらい長い。バスに乗り遅れるそうな人が文句を言ってもだめである。
並んでいるとMAYAB社のチケット売りが来て、どこまで行くのか聞いて来た、トゥルムまでと答えると15時発でN$98と言われ、そのチケットを売うことにした。MAMAB社のバスは2等バスであり、1等バスより少し時間が掛かるが安い、並ぶのが嫌で買った。チケットはパソコンの端末からプリントアウトされたものでなく、印刷したチケットをパンチングする古いタイプのチケットであった。
15時発の2等バスは、遅れて出発した。
トゥルムには19時15分に着いた。約4時間で到着した事になり1等バスと変わらなかった。
バスターミナルから出て来ると無料でホテル案内をしている人がいてホテルを紹介してくれた。もう真っ暗である。200m程歩くと紹介されたHotel Mayaがあった。ファン、ホットシャワー&TV付きでN$200(¥2200)であった。
レストランでオーダーする時にペソの持合わせが無いのに気付き、US$が使えるか尋ねると使用不可であった。ビールだけ頼んだ。
銀行のATMでN$を下ろし、再度レストランに戻り食事した。

キーカーカー 26日目

2005年07月30日 | メキシコ・ベリーズ旅行
今日も散歩に出た。蚊に襲われ刺された。日本では、1~2匹の蚊に刺されるが、こちらでは多数の蚊に襲われる。
ビーチの椰子の影、部屋前の椅子&レストランの椅子に座り小説を読んで過ごした。
今日こそはシュノーケリングツアーに参加しようと考えていたが、今日も億劫になって行かなかった。10時&13時ごろにツアーがある。シュノーケルと足ヒレをもった少数のグループがボートに乗って沖へ出て行く。
バック桟橋に行くと昨日の母親と小さな子供が釣りをしていた。母親が子供が大きい魚を釣ったと言っている。子供は、私の目を見て魚を見てくれと訴えていた。それは、そこそこの大きさの魚であった。
デジタルカメラを持ってくるのを忘れたので取りにもどる途中、ドイツ人夫婦にあった。彼らもキーカーカーに来ていた。
カメラで夕日を撮った。水平線の上にある雲に沈んでいく太陽を撮った。

キーカーカー 25日目

2005年07月29日 | メキシコ・ベリーズ旅行
6時に起床して、散歩に出た。昨日は島の北部を散策したので、ビーチを南に向った。
ビーチから小道のある海岸に変わり、周りにホテルもなくなったころ飛行場に出た。ここから南は地図にも記載されていないので分からないが、海岸はマングローブが茂っているのだろう。島の中央の道を北に向かい、ホテルに戻った。
ビーチの椰子の影や部屋前の椅子に座り小説を読んだり、北端のビーチで泳いだりして過ごした。
泳いだ後、ホテルでシャワーを浴びたが塩水であった。それ程不快な事はないが、手のベタ付きだけが気になるのでクリスタル・ウオータ2.78Lを買った。クリスタル・ウオータとは、ろ過して飲料水に適した状態に浄化した水であり、手、顔&髪を洗うのに良い。
夕日を見に島の西側に行ったら、バック桟橋に食料品や生活物資を載せた船が泊まっていた。桟橋の先端で家族で釣りをしていた。お父さんが船の積荷のオレンジをもらって来て子供にやっていた、何と大らかな事か。
島の西側は、弓なりで見通しよく景色がよい。残念ながらビーチがなく、マングローブも少ない。
夕日は高い位置で雲の中に沈んだ。

キーカーカー 24日目

2005年07月28日 | メキシコ・ベリーズ旅行
朝早く、散歩に出た。今日キーカーカーに行くので、スイング橋東側のマリンターミナルで時刻表を調べた。そして、河口へ向った。川の水面と道路との段差は、30cmほどしかない、道路から水面に手が届きそうである。昨日もバスがベリーズ・シティの市街に入り、川沿いを通った時も感じた。川の水面の近さに驚いた、洪水が無いのか? 日本では堤防があり、その上が道路になっている事が多いが、ここでは、堤防がない。
9時発のキーカーカー行きボートに乗るべくホテルを出てマリンターミナルに行った。チケットを買う時、9時発と思っていたボートが8時発と言われ、きょとんとしていると掛け時計を指差された。メキシコとベリーズとの時差が1時間あった。ベリーズでは1時間戻る。ボート代はUS$10で、往復チケットは割引がある。
ボートは、30~40人乗りで船外機が2台あり、屋根は付いていない。ボートは河口を出てスピードを上げ、舳先が上がった。小さな島の間を抜けたり、広い海をボートが走る。マングローブ林が見えたり、海の中に木が刺してある海の道標があったりして50分でキーカーカーに到着した。
海岸から伸びた桟橋を歩いて上陸した。メインストリートのフロント通りを北に歩きホテルを探した。通りを挟んでビーチがあり、レストランや雑貨屋もあり便利そうなトロピカルに宿泊する事にした。ワンルームの長屋風の2階建てアパートと言う感じのホテルでファン、水シャワー付きで1泊US$16であった。
3泊分のUS$48をUS$50のトラベラーズチェックT/Cで支払った。T/Cにサインして渡すと裏にパスポートNo.とサインを求められた。US$2のお釣りはベリーズドルBZ$4でくれた。US$1=BZ$2の固定レートであり、US$は普通に直接使える。US$は一般的に流通しており、BZ$と半々くらいの流通だそうです。
ルームキーをもらい、2階の部屋に行った。ドアは開き、テーブル上にはビール瓶、ゴミが放置され、ベッドはシーツがグチャグチャである。唖然とした。しかし、よく考えるとまだ9時半で、ベッドメイキング・清掃婦も来ていないので仕方がないかと考えていると、出勤して来た女の子が気付きテーブルだけ片付けてくれた。
靴から草履に履き替えて島の北端に向った。砂浜からたくさんの桟橋が伸びているのを見ながら最北端に着いた。そこにはレストランがあり、周りがビーチになっている。子供が泳ぎ、遊んでいた、その横にはマングローブが茂っていた。
ホテルへの帰り、島の西側に行って見たが道がない。島の東側には白砂の道のフロント通りがあり、ツーリストの通りである。島の真ん中にもう1本の道があるが、この通りは島民の住居地域である。
ホテルの部屋の前に椅子があり、そこに座ると海が見える。海からの風がいつも吹いている。椰子の葉が風に揺れ、黒いカモメ?が風に向ってホォーバリングしている。椅子に座り「亡国のイージス」小説を読み疲れると、そんな風景を眺めていた。

ベリーズヘ23日目

2005年07月27日 | メキシコ・ベリーズ旅行
カンクンのバスターミナルを8時に出発しチェトゥマルに向った。座席番号4番で最前列の席であったので景色が良く見えるだろう思っていたが、フロントガラスを通して路面しか見えず最悪であった。閉所恐怖症に成り掛けた。空いていたので後ろの席に移った。
プラヤ・デル・カルメンを出て間も無く、景色が茶色くなった。昨日と同じである。樹木に葉っぱがない、枝が折れている、木が折れている。10日前のハリケーンは、この辺りからユカタン半島に上陸した。
チェトゥマルの1,2等バスターミナルに14時に着いた。チェトゥマルは、「地球の歩き方」には、半ページしか記載が無く、ベリーズとの国境の町で小さな田舎町だと思っていた。それが大都市でカンクンと同じ州の州都であった。
15時発ベリーズ・シティ行きがこのバスターミナルから出る事がわかり、チェトゥマルで泊まる予定でいたがベリーズ・シティまで行く事にした。
バックパッカーのドイツ人夫婦とイギリス娘が待合室に居た。1等待合室は、エアコンが効いているが2等待合室は暑いと声を掛けるとイギリス娘が日本語で話してきた。イギリス娘は看護婦で、長野に数ヶ月滞在した事があるらしい。日本語は、上手であった。
ベリーズのNovelo's bus社のバスが定刻通り国境に向った。バス内でベリーズ入国カードが配られた。国境まで20分しかないので、すぐに記入し始めた。
国境に着き、まず、メキシコからの出国である。プレハブ小屋の様なイミグレーションで出国手続きをした。ドイツ人が何か書類を渡されそれに記入している。私の順番になり、パスポートとツーリストカードを提出すると「メキシコに戻って来るのか?」と尋ねられ「Yes」と答えた。すると怒っている様な感じで書類を渡された。その書類がF.M.E. PARA EXTRANJEROSとあり、全てスペイン語で書かれており、名前、国籍とパスポート番号だけが記入出来たが、残りは解らない。ドイツ人が気を掛けてくれ、サイン場所とN$20(¥220)程度を準備する様に言ってくれた。
このN$20(¥220)は、わいろor寄付orチップである。バックパッカーが仲間に「Contribution寄付か?」と尋ねていた。このお金は、私の今回の経験でチップと言うのが妥当だと思った。
再度、イミグレーションにパスパート、ツーリストカードとF.M.E. そして、N$20を渡した。パスパート、ツーリストカードとF.M.E.が戻って来た。
イギリス娘は、とっくにイミグレーションを通過していた。メキシコには戻らないのだろう。
バスに乗りベリーズ国境へ、すぐに着き荷物を持ってイミグレーションへ行った。ビザのスタンプを押したページに入国カードを挟んでパスポートを出した。何日間滞在するのか尋ねられ、5日間と答えた。入国スタンプを押してパスポートを返してくれた。入国スタンプを見ると、滞在期間が15日間になっていた。シングルビザで30日間滞在できるので自動的に30日間貰えると思っていたが、違っていた。
税関は、担当者が両側に立っている所を通過するだけで、税関検査は無かった。
ベリーズへの入国手続きが終わり、出て来ると駐車場があり、バスが待っていた。バスの運転手は、乗客が全員乗車したかイミグレーションに行き確認した後、ベリーズ・シティに向った。
「ビザは,陸路で入国する際は、国境の入出国管理局でも取れるが、事前に取得する方が良い。」とガイドブックにあり、迷ったが事前にメキシコ・シティのベリーズ大使館で取得した。結果的にそれが幸いした。チェトゥマルからベリーズ・シティの路線バスでは、国境でビザを取得する場合、その間待たせ、他の乗客に迷惑を掛けるか、又は取り残され、バスは行ってしまっただろう。
陸路で国境を越えると風景が、がらっと変わる。アメリカのサンディエゴとメキシコのティファナの国境は、サンディエゴ郊外の閑静な住宅地の風景からティファナの山の中腹まで続く小さな家、巨大なメキシコ国旗のある風景と治安の悪さと言う様にその差の違いに驚いた。タイのアラン・ヤ・プラテートとカンボジアのポイペトの国境は、タイの綺麗に舗装された道路からカンボジアのゴミだらけのデコボコ道。
今日の国境、メキシコの州都チェトゥマル郊外とベリーズのコロザル郊外の違いはそれほど感じなかった。ベリーズの道路やバスなどのインフラ整備がメキシコに比べて少し劣るが、ベリーズの庶民の住宅は、アメリカの様に家の前に広い庭があり裕福そうである。
ガソリンスタンドはメキシコでは国営のPEMEXのみであるが、ベリーズでは、シェルやエッソであった。エイズ撲滅の大看板があり、その裏側がトヨタ広告であった。海外ではトヨタも社会貢献している事を知る。日本でもエイズ撲滅キャンペーンをトヨタがしないのか? そんな事を見たり考えている内にベリーズ・シティのバスターミナルに着いた。18時半である。ホテルを探さなければならない。
公認タクシーと言うのが現れて、時間が遅いからタクシーに乗れと言って離れない、徒歩でホテルを探すつもりがタクシーに乗りスイング橋に言った。運転手に紹介されたホテルに泊まる事にした。ドイツ人夫婦が入って来た、彼らはホテルを予約していたそうだ。偶然にも同じホテルになった。
19時15分にチェックインした。Belc♡ve Hotel US$49であった。すぐに夕食を買いに出たが、ガイドブック通り治安が悪そう。黒人の浮浪者が大勢居る、警官も居てくれるが! ビールとサンドイッチを買って急いでホテルに帰った。もう薄暗かった。

カンクン 22日目

2005年07月26日 | メキシコ・ベリーズ旅行
バックパッカーがよくするスタイルであるデイバックを胸で抱え、バックパックを背中に背負い歩いて1等バスターミナルに向った。
1等バスターミナルは、2等バスターミナル出入口が北に面しており、その西側角を南に曲がって50mほど行った西側にある。なぜ詳しく書くかと言うと、「地球の歩き方」もメリダ観光案内所のmapも位置が明確でないからである。
9時発カンクン行きに乗車した。2時間半ほど高速道路を走ったところで景色の異常に気付いた。はじめは何が異常か解らなかった。景色が茶色い、ジャングルの緑がない、樹木に葉っぱがない、枝が折れている、木が折れている。この状態が1時間ほど続いた。9日前のハリケーンが通過した跡形である。
カンクンのバスターミナルに13時半に着いて、暑い中、ホテルを探して歩いた。1軒目のホテルは移転して無し、2件目は転業、3件目は見つからず。踏んだり蹴ったりであった。エアコン、ホットシャワー&テレビ付きでN$400(¥4300)のホテルを見付けた。
ホテル探しの途中にコンビニでビールを買い、テーブルに座り飲んだ。飲んでいると、店員が来て「何か言っている」、どうもコンビニ内でビールを飲んではいけない様である。既に飲んでいる私はどうすればいいのか?他の客が「かたいこと言うな」と助け舟を出してくれた。
日系旅行代理店に行き、グアテマラのフローレス行き航空券の料金を聞くとUS$390であった。ロサンゼルス・メキシコの航空券がUS$460であった事を考えると高過ぎるのでフローレスのティカル遺跡に行くのをあきらめた。
8月6,7日の最終日にカンクン・ホテルゾーンのリゾートホテルに泊まることにし、ホテル予約をした。支払いは、VISAカードで行なったところ、手数料6%取られた。

ウシュマル 21日目

2005年07月25日 | メキシコ・ベリーズ旅行
昨日に続き遺跡見学である。今日はウシュマルとその周辺の遺跡を周遊する。
昨日、チチェン・イツァからの帰り、2等バスターミナルで今日の周遊チケットを購入した。ATS社バス N$120(¥1300)
6時半に目覚時計で起きた。コンビニでコーヒーだけの朝食を取り、今日も徒歩で2等バスターミナルに向った。
待合室で日本人女性3人組がいた。親子と母の友人と言う感じである。昨日ツチェン・イツァで見た人達だろうか。
8時にバスは出発した。カンペチェ方向に1時間半でウシュマルのメインゲートに着いた。日本人3人組と外国人ツーリスト数グループだけが下車し、大半の人は、バスに乗ったままである。このバスは周遊バスではなく、カンペチェ行き路線バスであった。
バスを降りる時、運転手は、dosドス(数字の2)と言っている。私がチケットを見せてもdosと言った。2時間後という意味だと解釈した。
ウシュマル遺跡は、7世紀初頭のマヤ古典期に栄え、8~11世紀に造られた。日本で言うと奈良時代から平安時代に造られた事になる。
メインゲートから入り正面に魔法使いのピラミッドがあり、現在このピラミッドには登れない、奥に位置する大ピラミッドは登れ眺望がいちばん素晴らしい。
1時間半で見学を終わらせた、昨日のチチェン・イツァー見学の疲れが残っている様である。
12時までバスを待ったが来ない、dosドス(数字の2)は、どの様な意味であるのか?
遺跡入場チケット売り場で、バスは何時にメインゲートに来るのか尋ねた、英語、スペイン語&筆談で周遊のバスはPM2時に来る事が分かった。そして、国道に出れば12時半にメリダ行き路線バスが来ると説明されているとツーリストが通りかかり、英語で教えてくれた。ここから5分ほど歩けば国道に出るのでそこでバスを待てとの事であった。
dosドス(数字の2)は、PM2時であった。これから2時間待ってウシュマル周辺の遺跡見学をする気力も無いので、5分歩いて国道に出ることにした。
国道には廃業したホテルがあり、そこの大木の陰にドイツ人女性2人組が先に来てバスを待っていた。彼女らに挨拶して私もバスを待った。
バスが来て乗込みバス代を払うと、運転手がチケット発券機で発券し手渡してくれた。
メリダに来て2等バスに乗る様になって気付いた。メリダの市街地から出た所でチェック者がバスに乗込み発券機から発券状況をプリントアウトしチェックし、終わるとバスを止め降りて行く。
1等バスはバスターミナル以外で乗降りできないのでターミナルのチケット売り場でのみチケットを購入できるが、2等バスは、途中のどこでも合図すれば乗降り可能である。即ち、運転手は、途中で料金をもらい発券機で発券する。もし、発券しなければ料金は、ねこばばしようと思えば出来る。
今回もメリダの郊外でチェック者が乗り込んで来た。
今日は時間が早かったのでコンビニでビールを買い、ホテルへ戻った。ビールを飲んで、気持ち良く寝てしまった。
夜、食事に出ようとレセプション横にあるツアーデェスク前を通ると「今晩は!」と挨拶された。日本人女性がツアーデェスクに座り、働いていた。
メリダでいつも行くレストランに今晩も行った。ユカタン半島では、ソパは、ソパ デ リマSopa De Limaであり、野菜とささ身の鶏肉のスープで最後にライムをたっぷり入れてある。暑いユカタンでは、ライムのサッパリ感が良い。

チチェン・イツァ20日目

2005年07月24日 | メキシコ・ベリーズ旅行
今日は、チチェン・イツァーに行く。
ホテルから徒歩で2等バスターミナルに向い、早足で歩いて15分で着いた。
バスは9時発のカンクン行きで、Oriente社の2等バスでN$51(¥550)であった。時間があったので売店でコーヒーを飲んだ。
メリダのもう1つのバスターミナルに寄り、市内を抜けると高速道路を突っ走り、数ヶ所の町に寄った。それぞれの町には、ソカロと立派な教会が必ず建設されているのに驚いた。この建設費は住民からの寄付なのか?不思議に思った。スペイン軍がベラクルスに初めて上陸してから、次々とアステカの町を侵略し、アステカの神殿を邪宗と言う名の下に徹底的に破壊した。キリスト教やスペイン文化を押し付けられたメキシコ先住民が寄付するだろうか??
2時間半でChichen Itza チチェン・イツァーに着いた。
遺跡は、旧チチェンと新チチェンがあり、旧チチェン遺跡は、6世紀頃のマヤ古典期に起こり、7世紀に隆盛を誇った。日本の時代で言えば、物部・蘇我氏などの豪族が争った時代から大宝律令ができた飛鳥時代の頃である。旧チチェンは、衰退し歴史から消える。新チチェン遺跡は、10世紀になって、もう一度栄え、13世紀初めに滅亡した。平安時代の平将門の乱から源頼朝が鎌倉幕府をひらいた頃である。
広い広場にエル・カスティージョ(ピラミッド)、戦士の神殿&球戯場とあり、まずエル・カスティージョに登った。急勾配の階段を登り頂上に着くと大変な混雑であった。狭い頂上から遺跡の位置関係を把握した。
ジャングルの平原の中に旧チチェン・イツァ遺跡の頭が見える。
非常に暑い、お土産にカラフルな傘を売っている。それを日傘にしている。それを見て、持っていた折りたたみ傘を日傘代わりにして使った。快適々である。
炎天下の中、3時間も遺跡を見て歩いてしまった。
帰り、メインゲートに戻り、バスチケット売り場を探したが見当たらない、朝バスを下車した駐車場に行くと、タイミング良くOTE社のバスが渋滞で停まっていたので、メリダ行きか確認して乗込んだ。バス内は当然エアコンが効いていて、生き返る思いがした。
17時にメリダの2等バスターミナルに着き、徒歩でソカロに向った。ソカロの市庁舎前には多くの人だかりがあり、何だろうと背伸びをして見て見ると結婚式であった。1組が結婚式を挙げていた、8組ほどの男女がダンスを踊り、結婚を結わっていた。
昨日行ったレストランでサンドイッチとビールを食べた後、コンビニに寄り昨日に続き、販売拒否された缶ビールを買おうとした。若者が同じ様に缶ビールを買おうとしていて、若者は1パック、私は1缶を取ると、若者に「日本人なら1パック買えよ」と冷やかされ、一緒にレジに行った。若者は店員に何か言われ、「そうかそうか!」と言う感じでビールを戻しに行ったので、私も従った。若者は、冷蔵ケースに貼られているシールを指差した。販売時間制限があり、PM5以降朝まで販売できない事が判明した。残念、今日もホテル部屋でビールが飲めない。
夕方に降った雨も止み、夜20時頃にソカロに出かけた、今日は日曜日でソカロ付近は歩行者天国になっていた。多くの子供が親と一緒に出ており楽しそうであった。

メリダへ 19日目

2005年07月23日 | メキシコ・ベリーズ旅行
ソカロでタクシーを拾い、バスターミナルへ行った。N$30(¥320)
10時発のメリダ行きバスでメリダに向った。N$103(¥1100)
2時間半でメリダの1等バスターミナルに着いた。
ソカロまで歩ける距離であったが、当然道も不案内で荷物が重いのでタクシーに乗った。N$30(¥320)。タクシーを多用するとボディーブローの様に旅費に効いてくる。なるべく歩く様にしている。
ソカロでタクシーを降りると、雨が降出し風も吹いたスコールである。雨宿りに逃込んだ所は、ゲームセンターであった。格闘ゲームを見ているとディスプレーに漢字が表示された、日本のソフトがメキシコのゲーセンに有るとは意外であった。
雨が小降りになったので折りたたみ傘を差して、ホテル探しをした。Montejo モンテホでファン、ホットシャワー、テレビ付きでN$265(¥2900)、ソカロまで2ブロックと近く、コンビニも近くにあるので決めた。
洗濯を済ませ、ソカロ付近をぶらぶら歩いた。
メリダは、ユカタン州の州都で人口72万人の大都市である。車も多く渋滞も発生するがコロニアル都市の碁盤の目を残している。ソカロ周辺は、グアナファトの様な中世の雰囲気が残っている。
夕食後、ソカロには大道芸が出ていた。パントマイムで無言で立っていて、小銭を入れると動いて一緒に写真に写ってくれる。観客に大変人気が有った。
コンビニで缶ビールを買おうとしたが売ってくれない。スペイン語で何か行っているが、何故か解らない。別のコンビニに行って買おうとしたが同じく売ってくれない。メキシコ・シティでもベラクルスでもコンビニでビールを買う時、何か言っていたが売ってくれた。しかし、メリダでは、買う事が出来なかった。ホテルの部屋でビールが飲めない。