いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

1月21日 イロイロ・シティ(パナイ島)へ

2008年03月30日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
ボラカイ島への行き方
私は、マニラからバス、乗合バン(ミニバス)&フェリーを乗り継いでカティクランに来たが、これは旅程に余裕のある方の稀な方法である。通常は、マニラからカティクラン空港かカリボ空港(カティクランへはバスで1時間ほど)に飛行機で来る。
カティクラン空港へ着陸態勢に入り飛行機


6時30分起床。曇り
夜中、激しい雨が降っていた。洪水が起こるのではないかと思った?
散歩に出ると、路地に大きな水溜りが出来ていた。昨日と同じレストランで朝食を取った。
8時過ぎにチェックアウトし、メインストリートまで出てトライシクルを拾い、船着場に向った。
ボラカイ島からバンカーボートでカティクラン港に渡った、ターミナルを出ると乗合バン(ミニバス)が2~3台停まっていた。ターミナルのガードマンに「イロイロへバスで行きたい、バスはどこにあるのか?」と尋ねたところ、ターミナルの反対サイド(海側から見てターミナルの右側)に、「Big one!」と言って指差した。この時間帯にバスがあるとは思っていなかったので有り難い。
10時発のイロイロ行きバスがあった。出発まで1時間待たなければならなかった。バス代Php244(650円)
イロイロ・シティまでの道は、平坦な所が少ない山or丘を縫う道であった。また、雨が降った。6時間近く掛かり、16時少し前にイロイロ郊外のバスターミナルに着いた。
ジプニーでイロイロ・シティの中心地に向かった、バスで一緒だった男性に降り場所を教えてもらい降り、地図を頼りにホテルを探した。ペンションハウスPhp420(1100円)、エアコン、水シャワー、テレビ着き。薄汚い部屋で、シーツはきれいだが枕カバーが汚れている。ガイドブックを持っていないので他にホテルの当ても無くここに決めた。
今回の旅は3ヶ国周るので、ガイドブックも3冊必要になる、また文庫本も10冊持って行くので本類だけで3kgを越える。苦にもならずに歩き続ける事が出来るバックパックの重量は私の場合8kgであり、総重量8kgに押さえなければならない。そこで、本類の重量を減らす必要があり、ガイドブックはインドネシアのみとし、フィリピン、マレーシアは、訪問予定都市の地図コピーだけを持つ事にした。
シーツで思い出し、大きな布を買いに行った。イロイロ・シティは大きな都市でデパート、スーパーもあるだろうと思い、出かけた。タイやインドネシアには、テーブルクロス、カーテン&腰巻等に出来る大きな布が安価で売られているが、フィリピンには無い様だ。デパートの寝具売場でシーツを買う事にした。中国製シーツPhp100(270円)で購入した。
何故?大きな布が必要かと言うと、これからの船旅でキャビン(1~3等)が予約出来ずにエコノミーになり毛布もない場合が考えられ、その時、大きな布に包まって寝る為である。
ファーストフード店で、スパゲティーを食べてホテルに戻った。帰り道にビールを探したが見付からない、ホテルにあるか聞いたところビールが有った。フロント裏に鎖で括り付けられた冷蔵庫が有り、鍵を開けてビールを取り出してくれた。
部屋のテレビでテニス全豪オープンを見た。

1月20日 ボラカイ島滞在

2008年03月26日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。 曇り
散歩でビーチを歩いた。天気が悪いのでフィリピン有数のリゾート地も台無しか!
行きはビーチを、帰りはビーチ沿いの道を歩き、ビーチが見えるレストランで朝食を取った。
昼前に昨日予約したホテルに移った。ボラカイ・コートヤード・ビーチ・リゾートでビーチから路地を150mほど入った所にある。
昼から展望台に行こうと路地を奥に行った。行き止りかと思ったが扉が開いていて、覗くと土産物屋が並んでいた。奥に進むとシーフード市場があり、タイルを張った台にシーフードを並べている。周りには市場で買ったシーフードを持ち込み、料理だけをしてもらう食堂があった。
船着場から続くメインロードに出て、展望台に向ったが、場所を聞いても分からず、目標を変えてホワイトビーチの北端を目指した。メインロード沿いには大きなスーパーマーケットがあったり、また、ハングル文字の看板も目に付き韓僑がいる様だ。



ホワイトビーチの北端からビーチを歩いたり、ビーチ沿いの椰子の木が茂る道を歩いた。青空が所々見られるが天気が悪い。空が真っ青で、その光に照らされたエメラルドブルーの海、照り返しでまぶしいビーチをイメージしていたが、まったく駄目であった。ただの海水浴場であった。天気さえ良ければ、イメージ通りのビーチだろう、残念!
ビーチが見えるスタンドバーでサンミゲールビールを飲みながら小説を読んで過ごした。

1月19日 ボラカイ島へ

2008年03月22日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。 曇り
8時過ぎにロッジをチェックアウトした。ブザーを鳴らしロッジの鉄格子を開けてもらった。このロッジ入り口は、安全の為、鉄格子で鍵が掛かかっている。火事になったら、どうなるのか? 部屋の窓の鉄格子は内側から開けられる様に成っていて安心であるが!
食堂でコーヒーを飲んだ後、フェリーのチケット売場に行った。大勢が並んでいる。乗船者名簿が回って来て氏名、年齢、国籍を記入し順番を待った。20分の待ち時間後にチケットをgetした。カティクラン行きフェリー代 Php330(884円)。
ターミナルチケットPhp15(40円)を払い、待合室で出発を待った。外国人とフィリピーナのカップルもいる、ボラカイ島に行くのだろう。
 カティクラン行きフェリー

10時前に乗船した。左舷、右舷通路に座席が並び、船尾にも座席がある。また、キャビン内は、エアコンが効き、ソファー席が並んでいた。左舷側の席を確保した。
 フェリーからロハス港を望む

10時40分フェリーは40分遅れで出発した。
海は静かでフェリーも揺れず、風景を楽しんでいると雨が降出した。雨が吹き込んで来たので、スタッフや乗客がシートを降ろしていった。オープンな雰囲気から息苦しい感じになったので左舷から船尾に移った。
うとうとして目が覚めたが、また、うつらうつらが続いた。昨日の高速船で船酔いしたので、乗り物酔い薬のアネロン「ニスキャップ」を乗船前に飲んだからだろう。
カティクランに到着する1時間前には雨も上がり、シートを巻上げられた。

左舷にボラカイ島が見えて来た。曇天で暗く、ボラカイ島とカティクランのあるパナイ島が一体となって見えた。
 カティクラン港 

カティクラン港が見えて来た。14時30分着。
下船して埠頭を進み、ターミナル左側がバラカイ島へのバンカーボート乗場があり、右側は乗客、バスやトラック等車の出口がある。
食事をする為、いったんターミナルから出た。ターミナル前で煮込み料理は売切れ、ビールがあったのでビールだけ飲んだ。
バスから韓国人旅行客が降りてきた、バスも次々と来て、ターミナル前は、韓国人で溢れた。100人以上、200人は居ないだろう。ボラカイ島は、韓国人が多いとガイドブックに書いていたが、これほどとは思わなかった。
また、雨が降ってきた。雨が上がったら、ボラカイ島に向おう。韓国人も移動が完了しているだろう。
環境保護&入場料 Php50(134円)チケットとターミナル使用料Php50(134円)チケットを買い、ターミナルに入った。バンカーボート代はPhp19.5(52円)で、安い。
ボラカイ島に向うバンカーボート内でアリス・ボラカイ・ホテルのパンフレットを渡すおばちゃんがいた。10年前に日本に居た事がある客引きおばさんであった。アリス・ボラカイ・ホテル1泊 Php3500(9400円)とある、高いと言うとPhp1500はOKかと言うのでOKした。もともと、アリスに行くつもりであったので付いて行く事にした。
 ボラカイ島 船着場

バンカーボートがホワイトビーチに着くものと思っていたが、カティクランからの最短距離付近に船着場ターミナルが造られていた。ホワイトビーチで下船時、靴を脱いで海に入るものと覚悟していたが!
トライシクルでホワイトビーチに向った。料金Php80(214円)を払う様に客引きおばちゃんに言われ高いと思ったが払った。
アリス・イン・ワンダーランドに行ったが満室であった。他のホテルに向う途中、おばちゃんに「韓国人が多いですね」と話すと「そうなんです。・・・・・・・・!」と言って、人に聞かれていないか、まわりを見回して口をつぐんだ。
次のホテルも満室で、隣のホテルが1室空いているので部屋を見るとエアコン、水シャワーでPhp1800(4800円)、温水シャワーでないので断る。その隣のホテルでは、今日は満室だが明日は空いている、値段を聞くと、エアコン、温水シャワー&テレビ付きでPhp1800との事、Php1500(4000円)に値切ったがPhp1600、今日Php1500前金で払ってくれとの事。客引きおばちゃんの手前、大幅なディスカウンを嫌がった様だ、でも予測通り残金Php100は請求されなかった。今日は、仕方がないので先の水シャワーの部屋に泊まる事にした。
今日は、土曜日でマニラからのフィリピン人が多い、満室のホテルが多かった。
部屋に荷物を置いて、食事に出た。ビーチ沿いのレストランでスパゲティとサンミゲールビールを取った。
ホテルで小説を読んでいて、そのまま寝てしまった。20時ごろ目覚めて部屋の横にある食堂に行った。シーフードが並べられ選んで料理してもらう様になっていた。私はイカをバーベキューしてもらった。私以外はフィリピン人であった。やはり、週末はフィリピンの人が多い様だ。

1月18日 ミンドロ島 ロハスへ

2008年03月18日 | マニラから船旅でバンコクを目指す

(グーグルマップ参考)

朝7時起床。
デジタルカメラを持って散歩に出様とすると雨が降っていた。雨は意外で驚いた、スコールでもない、日本の梅雨の様だ。
ホテルから見える範囲で写真を撮った。
カラパン港桟橋

ホテル前道路


9時ごろにロハス行きバスがあるだろうと8時半にチェックアウトした。フロントでロハスへの行き方を聞いたところ、乗合バンの事を言っている、バスで行きたいと言うと変な顔をしていた。トライシクルの運賃を聞くとPhp8(21円)との事。
雨は上がっていた。ホテル前でトライシクルを拾い、バスターミナルに向った。運賃交渉は、Php15(40円)で成立、現地価格の倍であるが仕方が無いか!
運ちゃんがここがバスターミナルだと言い、「あんなぼろいバスに乗るのか」と言いたげであった。民家の駐車場の様な所に、ぼろぼろの中型バスがあった。これは駄目だ。「NO!」と言うと運ちゃんはトライシクルを出して、乗合バン乗場(ミニバス)に連れて行ってくれた。
9時発の乗合バン(ミニバス)に乗った。道路の両側には水田が広がる。道路は所々アスファルトに穴が開き大きな水たまりが出来ていた、道路幅も狭い。道路状況は決して良くない。
雨が降出し雨足が速くなった。川の水位も高い。昨夜から大雨が降っている様だ。
ロハスに近付くと雨は上がった。12時にロハスに着いた。
インターネットで検索したがロハスの情報はまったく無い。昨夜のカラパンも東ミンドロ州の州都であるが、情報が無い。市街地図が有るだけでいいのだが!
乗合バンから下車するとペディキャブ(自転車にサイドカーを付けた乗物)がいた。英語で「どこへ行く」と言うので「カティクランへ行きたい、桟橋はどこにあるのか?」と言うと、どうも英語ではない、しかし、英単語も含んでいる、何を言っているのか理解できない。
トライシクルで港まで行った。カラパンからの道を1kmほど戻り、右折して1kmほどでロハス港があった。途中、中学校(多分?)があり、セーラー服を着た生徒が大勢下校していた。フィリピンの中学校制服にセーラー服が採用されているのに驚いた。日本との違いは、艶やかな色である。

ロハス港は、ゲート前50mほどにモンテネグロとStarliteのフェリー会社の切符売場と雑貨屋が並び、反対側には売店兼食堂が並んでいるだけである。Lodgeの看板もあるがどこにあるのか?
ロハス港内からゲート前

乗合バン乗場のある食堂に入った。ケース内に煮込み料理が6種類ほどある。シーフドを選んで店員に言うと奥にいるおばちゃん店員を呼んでいる。あばちゃん店員しか英語が話せない様だ。若い女性店員は、タガログ語だけしか話せない。以外であった、フィリピンでは英語が通じると思っていたので! 偉そうな事は言えないが、私も片言の英語である。
シーフード煮込みのぶっかけ御飯とサンミゲールビールを取った。
もう1本サンミゲールビールを飲み、カティクラン行きフェリーの時間を聞いた。次は16時との事。確認の為、チケット売場に行った。カティクラン行きフェリーの出発時刻は、モンテネグロが10時、16時、Starliteは、19時、23時にある。次の出発時刻は16時であるが、出発の2時間後には真暗になり、カティクランに着くのは20時頃になるので予定通り、ここで宿泊する事にした。
食堂に戻り、明日10時のフェリーに乗ると言うと喜んでいた。ロッジが近くにあるのでちょっと待てと言われ待っていると迎えが来た。歩いて5分ほどの所に民家の裏庭に4部屋ほどのロッジがあった。
エアコン、水シャワー、テレビ着きでPhp450(1200円)であった、ホットシャワーでない、部屋が狭いので割高である。部屋が奇麗であったのでここにした。
蚊が居りそうなので、蚊取り線香をたこうとしたがライターがないのに気付いた。
16時のフェリーを見るのとライターを買う為に港に行った。雑貨屋で100円ライターを探しているとライターにライト機能を付加した100円ライターがあり感動した。懐中電灯を忘れた私に取っては大助かりである。
ロッジに戻り、19時ごろまで寝てしまた。夕食を取りに港に行った。
フェリーから何台もの大型バスが出て来た、そして、また何台もの大型バスが乗込んで行った。昼間のフェリーとは比較にならないほどの賑わいである。食堂にも大勢の客がいた。
マニラ---イロイロ間の長距離バス路線を、フィルトランコ(Philtranco)とセレス(Ceres)が開設していて、マニラ発9時、10時のバスがこの時間帯にロハス港を通過する様だ。

1月17日 マニラへ

2008年03月12日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
朝、6時半に家を出た。寒い。ダウンジャケットにGパン姿である。
関空9:55発 フィリピン航空PR407でマニラに向かった。
定刻より遅れて14:00にマニラ国際空港第2ターミナルに着いた。混雑していて上空で旋回していた為である。
入国審査を終え、税関を素通りしてドアを出ると、熱い、屋外であった。向いに駐車場が見えるだけで何も無い。
両替所はどこに在るのか? 職員に聞き、指示されたドアを入り建物内に戻ると荷物検査と身体検査が在り大層な事になった。
空港での両替はレートが悪いと聞いていたので5000円だけ、両替した。1Php=2.797円
マニラで1泊するか、マニラを素通りしてバタンガスBatangasまで行くかを思案していた。フィリピンでマニラが一番危険な都市ではないかと思っていたので、出来たら滞在したくなかった。バタンガス行きバスが出ている高架鉄道LRTヒル・プヤップ駅近くのジャム・トランジットJAM Transitバスターミナルに3時半頃までに行けるかどうかである。バタンガスまで2~3時間かかり日暮前に着く為には3時半がリミットであった。
インターネットに路線バスが国際空港を通っていると書いてあったので、また、昼間で危険は無いだろうと思い、バスで行く事にした。空港職員(ガードマン?)にバス停の場所を聞き向った。第1ターミナル方向に向かい、第2ターミナル外れの三叉路を曲がる(直進は第1ターミナルへ)。曲がって100mほどの所がバス停である。
バスorジプニーを待っている女性にエドゥサ(高架鉄道の駅名)行きバスを尋ねたがエドゥサの発音が悪いのか通じない。地図の英文字Edsaを見せた。暫らくするとバスが来て、このバスに乗れと教えてくれた。
交差点毎に渋滞があり30分ほどでエドゥサに着いた。Php15(40円) 高架鉄道のLRTに乗るつもりであったが、プラットホームに人があふれる位混んでいたので諦め、ジプニーでバスターミナルに向った。ジプニーの乗り方が分からず、乗ってから様子を見ていた、乗客が運賃を手渡しで運転手に渡している、釣銭も手渡しで返って来る。私もジャム・トランジットと言って運賃を払おうとすると何か言っている?隣のおばちゃんが答えてくれ、運賃Php7(19円)を払った。このおばちゃんが降り場所も教えてくれた。親切に有難う。
黄色いバスが並んでいる。バタンガス行きバスは3時35分に出る。5分後だ! 向かいのアトリュームHotel隣接のショッピングモールに急ぎ入り両替をした。3万円=Php11250(1Php=2.667円) これだけあればセブまで両替しなくて済むだろう。
定刻にバスは出発し、国道1号線を南下した。国道1号線は、マニラからフィリピン海側のサマール島、レイテ島を通りミンダナオ島のダバオまで行っている。今回の旅でこの国道1号線でフィリピンを南下しようと思ったが、もっと海が見えるルートを選んだ。途中国道1号線から外れ片側1車線の道路になった。マニラから2時間半でバタンガス港に着いた。バタンガス街中のホテルに泊まる積もりであったが街に気付かず終点のバタンガス港に着いてしまった。運賃Php144(386円)。6時でもう真暗であった。
バスを降りると物売りが、しつこくて離れようとしない、近くにホテルはないか聞くと、トライシクル(オートバイにサイドカーを付けた乗り物)に連れて行かれた。ホテル1泊Php800(2140円)であるとの事、トライシクロ運賃を聞くとPhp250と言う。日が暮れていなければ歩いて行ける距離がPhp250(670円)とは話にならないので断わる。しつこい物売りがいくらであればと聞くのでPhp20と答えると私から離れていった。
しかし、ホテルも決まらず途方に暮れ、ミンドロ島のカラパンCalapanまで行く事にした。6時30分に高速船があったので乗った。船が揺れ船酔いした、今回の旅のテーマ船旅を早くも後悔する事になった。気分が悪く早く着かないかと思っていた7時50分ごろにカラパン港に着いた。船代Php200(536円)+ターミナルFee Php10(27円)
トライシクルが多数客待ちしていた。夜8時に1人でトライシクルに乗り、ホテルを探す様な危険を犯す事は出来ない。フィリピンの渡航情報(外務省)にびびりながら来たフィリピン初日でこの様な危険な事になってしまった。
高速船で乗客に気さくに話し掛けたりしていたおばちゃんが居た。途方に暮れているとそのおばちゃんが目の前に居たので、「近くにホテルがあるか、ホテルを紹介してくれ」と頼むと着いて来いとトライシクルに乗った。言われる様にとトライシクル代Php20(54円)を払い、乗っているとすぐにホテルに着いた。おばちゃんに礼を言って降りた。危機を脱した。
Calapan Bay Hotel エアコン、ホットシャワー、テレビ付きでPhp1200(3210円)、奇麗な部屋であった。ルームサービスでビールとサンドイッチを頼んでシャワーを浴びた。その後、バックパックから圧縮袋を出し、ダウンジャケットとGパンを圧縮袋に入れて空気を抜取り圧縮してバックパックの底に入れた。これで冬物衣料は帰国までバックパックの底に眠り続ける。
今日は、旅の初日で大変長い一日であった。

帰国

2008年03月01日 | Weblog
バンコクからベトナム ホーチミン乗換え関空に早朝着き、無事帰国した。
旅行後半は、エアコンで喉を痛め、旅行の疲れも加わって微熱が出た。
ジョホール・バル(マレーシア)で体力が回復するのを待った。ジョホール・バルからマレー鉄道、バタワース(ペナン島)からタイ国鉄に乗り継いでバンコクに辿り着いた。
マニラ~バンコク 7000kmを船、飛行機、列車、バスを乗り継いでの45日間の旅は、大変だった。
みなさんには、決してお勧めしない。