6時起床。
荷物をまとめ、バックパクに詰めた。
朝食が終われば、いつでもチェックアウトできる様にして、7時30分にレストランに行った。
トースト、オムレス、、ジュース、パパイヤ&パイナップル、今日はコーヒーにした。
食後、チェックアウトした。
2日間の宿泊費と夕食代&ビール代で締めてRs.8,255(6,230円)であった。
トックトックを呼んで貰った。
一昨日の貸し自転車屋が来て、携帯電話で話している。
貸し自転車屋だと思っていた男は、携帯電話1本で何でも手配する手配師か?
間もなく、トックトックが来た。
バスターミナルまでの運賃は、トックトックの運ちゃんと交渉しろとの事で聞くとRs.500と言う。
交渉でRs.300(230円)から下がらなかった。
距離からRs.200が妥当な運賃だが、ホテル&手配師と入れば仕方ないか!
8時30分ごろバスターミナルに着き、9時に出発した。混雑している。
旧市街のバス停では、乗れない人もでた。
バスターミナルまで行ったお蔭で座れている。
10時45分ごろダンブッラに着いた。
トックトックの運ちゃんに声を掛けられ、ダンブッラ・レストハウスまで運賃を聞くと、Rs.100との事。
リーズナブルな運賃で一発OKでこのトックトックに乗った。
運ちゃんの知っているゲストハウスG.H.に連れて行かれたが、ダンブッラ・レストハウスへ行けと指示した。
ダンブッラ・レストハウスに着くと西洋人団体がいた。
フロントで部屋が空いているか聞くと満室で駄目であった。満室で断わられる事は稀有な事だ。
ダンブッラで、そこそこのホテルはダンブッラ・レストハウスだけである。
トックトックの運ちゃんが、静かなゲストハウスG.H.があるとの事で行ったが、田んぼの中のG.H.でホットシャワーが無いので断わる。
運ちゃんにホットシャワーのあるG.H.はダンブッラには無いと言われた。
ガイドブックにホットシャワー付き部屋がある事になっているヒーリー・ツーリスト・インに行って貰った。
ヒーリー・ツーリスト・インは、最初に運ちゃんに連れて行かれたG.H.であった。
はじめに案内された部屋は、水シャワーで、ホットシャワー付き部屋を見せて貰い、Rs.2,000(1,520円)でOKした。
古く暗い部屋でRs.2,000は、高いと思うが、値段交渉が億劫になってきたので簡単にOKしたのだ。
ただし、2泊の予定を1泊のみにした。そこそこのホテルであれば2泊して、ゆっくりするのだが!!
予定変更、今日午後、シーギリヤに行き、明日朝、ダンブッラ石窟寺院を見て、その足でキャンディに行く事にした。
部屋にバックパックを置いて、シーギリヤに行く事にした。
運ちゃんに、シーギリヤまでいくらか?と聞くと、Rs.600(455円)との事。
運ちゃん曰く、ローカル・プライス、安いと言いたい様だ。
決して吹っかけていないのでOKした。ただし、つり銭を持っているか確認した。
トックトックは、ガソリンスタンドに寄り、ガソリンを入れた。その時、スタンド・スタッフに両替を頼めと言われRs.1,000札を両替して貰った。
12時前にシーギリヤに着いた。ダンブッラから45分ほど掛かった。
運ちゃんに帰りも乗らないか、2時間、ここで待つと言われたが時間に拘束されるのが嫌で断わった。
チケットは持っているのか? チケット・オフィスは、後ろにあると教えてくれたが持っていると言って別れた。
メイン・ゲートのチケット・チェックで周遊券を見せ、蓮の水路(堀)を渡った。
今日は、日曜日でスリランカの家族連れや若者グループで混雑していた。
木々の中にシーギリヤ・ロックが見えて来た。
水の広場からのシーギリヤ・ロック
頂上まで高さ180mを階段で始まった。
シーギリヤ・ロックへの登り口
階段を登り高度を上げて行くとミラー・ウオール(濃いベージュ色)と美女のフレスコ画への螺旋階段が見えて来た。
ミラー・ウオールと美女のフレスコ画への螺旋階段
螺旋階段を登った。鮮やかな色彩と妖しい姿態の美女の壁画が残っていた。
写真撮影時のフラッシュ禁止であった。スタッフが監視していた。
美女のフレスコ画
螺旋階段を降りる。
螺旋階段はフレスコ画を見に行く為の階段であった。
ミラー・ウオールは、絶壁をトラバースする只の通路だと思った。
絶壁を横切ると広場に出た。ライオンの足が門となった登り口がある。
ライオンの入口
急な階段を一歩一歩登った。
やっと頂上に着くと座り込んでしまった。
頂上から360度見渡せる。
ここからの絶景を見て疲れも取れる。
頂上からの眺望
こんなロックの頂上によく宮殿を造ったものだ。狂気の王が造ったそうだ。
王宮跡
王のプール
帰りはライオンの入口までは、来た道を引き返した、ただし下り専用階段で降りる。
ライオンの入口から絶壁を横切るのではなく、下り専用階段でひたすら階段を下った。
麓の木々の中を登り口に向かった。
蓮の水路(お堀)の写真を撮りたくてメイン・ゲートに向かった。
来た道を戻り、水の広場で写真を撮った時、デジカメの電池が切れた。
いつもなら、予備の電池を持っているが、補給し忘れ持っていない。残念!!!
しかたなく、お堀の側を歩いてバス停に向かった。
バス道が見えて来た。
今、14時だ、若いスリランカ青年2人が私を追い抜いて行った。
彼らがバス道に着くと同時にバスが来た。
私は、100mほど手前だ、バスに乗れなかった。
彼らが乗った所はバス停ではない、そこから100mほどにシーギリヤ・レストハウスがあり、その前がバス停である。
バス停を通り越し雑貨屋に入り、コーラーを飲んだ。
乾電池単三を売っていたので買った。
次のダンブッラ行きバス時刻を聞くと15時との事。
お堀まで行くのは遠いのでシーギリヤ・ロックが見えるところまで行って写真を撮った。
バス停に行くと、「From?(どこから来た?)」、日本と答えた。
スリランカでよく話し掛けられるのは、「From?」である、「Where are you from?」を単にFrom?と声を掛けてくる。
毎日放送のテレビ番組「ちちんぷいぷい」に「道案内しよう!」と言うコーナーがあり、大阪駅前で道に迷っている外国人との会話で、同様に「From?」と聞くと外国人は国名を言ってどこから来たか答えている。
それとまったく同じであった。「From?」で通じる。
現地の人がバス待ちで座っている女性は日本女性だと教えてくれた。
日本の方ですか?と声を掛け、日本のどこからですか?と聞いた。
大学院生でインターンシップでコロンボのJICA(国際協力機構)に1ヶ月いるとの事。
残り1週間の滞在で、日曜日の今日、はじめての観光にシーギリヤを選び、日帰りで来たそうだ。
スリランカでは、JICAが活発に活動している様だ。私もJICA関係者と間違われた事がある。
バス停にいたトックトックの運ちゃんが、ダンブッラまでトックトックで行けば早く着くから2人で乗らないか誘って来た。料金は、Rs.600と言っていた。来る時と同料金で協定価格がある様だ。
時計を見ると15分待てばバスが来るので断わった。
ダンブッラ行きバスが来て乗った。
就職活動が大変ですね!と話すと、就職が決まらず、院生になり今回インターンシップに逃げ込んでいると話していた。
私達の時代も、ドルショック&石油ショックで就職が決まっても自宅待機があったり、仕事が無く掃除ばかりしていた時期があった事を話した。
バスは45分ほどでダンブッラのバス停に着いた。時間的にはトックトックと変われない。
ここで別れ、私は、ヒーリー・ツーリスト・インまで2kmを歩いた。
ヒーリー・ツーリスト・イン付近
本来ならバスターミナルがあるのだろうが、コロンボ、クルネーガラ行きバス停は、道路沿いにある。私には、どこがバス停かわからない。
すぐに時計台があり、右斜めにコロンボ、クルネーガラへの国道が分かれていた。
まっすぐに進んだ。国道の反対側を同じ方向に西洋人男性が歩いていた。
バスターミナルがあり、キャンディ行き乗場を捜したが無い、案内所で尋ねると案内してくれた、それは国道であった。バスターミナル内にバスが入る事無く、バスターミナル前がバス停であった。
更に歩くと野菜を積んだトラックが大渋滞していた。それは野菜マーケットまで続いていた。
ヒーリー・ツーリスト・インに着いた、バス停から30分ほどであった。
玄関の椅子に男性が座っていた、日本語で話して来た。G.H.のスタッフか?
ビールを頼み、フロントのソファーに座った。
ビールを飲みながらスタッフと日本語で話した。
野菜を積んだトラックで渋滞していたと話すと、これから野菜マーケットがオープンし朝まで取引をするそうだ。この一帯(ポロンナルワも含む)の野菜がここに集まるそうだ。
西洋人男性が戻って来て、私達の話に加わった。彼は先ほど道路の反対側を歩いていた男であった。
フランス人でタイに行く途中でスリランカに寄ったそうだ。
タイのチェンマイに奥さんがいてネールサロン?をしていて、そこへ行くそうだ。奥さんの単身赴任か?
遺跡には興味が無いらしく、東海岸のトリンコマリーに小さなビーチがあり、明日、そこに向かうと言っていた。
ガイドブック「地球の歩き方」の地図を出してトリンコマリーを捜していると、「地球の歩き方」に興味を示し、渡すとぱらぱらと見て写真が多いんだと言っていた。
私は、この本が無ければ海外に行けないと言った。
日本人以外は「ロンリープラネット」を持っている事が多い。
「地球の歩き方」と「ロンリープラネット」の違いは、情報量に関していえば「地球の歩き方」は足元にも及ばないらしい、しかし「地球の歩き方」は写真が多い。
G.H.の奥さんが夕食は隣で食べてくれといって来た。今日は日曜日なので仕事がしたくないのか???
部屋に戻り、シャワーを浴びた。
湯沸かし器からお湯が出るが、いたるところから洩れ出た。湯が出るだけでもましか!!!
少し休憩した後、夕食に行った。
奥さんが隣で食べてくれと言っていたが、隣に何があるのか?
外国人向けの大きなレストランであった。
西洋人親子、娘&父親が食事をしていた。
ビールとスパゲティを頼んだ。
ウェイターに聞くと、ここはホテルだそうだ。ここに泊まれば良かった。
20時に寝た。
荷物をまとめ、バックパクに詰めた。
朝食が終われば、いつでもチェックアウトできる様にして、7時30分にレストランに行った。
トースト、オムレス、、ジュース、パパイヤ&パイナップル、今日はコーヒーにした。
食後、チェックアウトした。
2日間の宿泊費と夕食代&ビール代で締めてRs.8,255(6,230円)であった。
トックトックを呼んで貰った。
一昨日の貸し自転車屋が来て、携帯電話で話している。
貸し自転車屋だと思っていた男は、携帯電話1本で何でも手配する手配師か?
間もなく、トックトックが来た。
バスターミナルまでの運賃は、トックトックの運ちゃんと交渉しろとの事で聞くとRs.500と言う。
交渉でRs.300(230円)から下がらなかった。
距離からRs.200が妥当な運賃だが、ホテル&手配師と入れば仕方ないか!
8時30分ごろバスターミナルに着き、9時に出発した。混雑している。
旧市街のバス停では、乗れない人もでた。
バスターミナルまで行ったお蔭で座れている。
10時45分ごろダンブッラに着いた。
トックトックの運ちゃんに声を掛けられ、ダンブッラ・レストハウスまで運賃を聞くと、Rs.100との事。
リーズナブルな運賃で一発OKでこのトックトックに乗った。
運ちゃんの知っているゲストハウスG.H.に連れて行かれたが、ダンブッラ・レストハウスへ行けと指示した。
ダンブッラ・レストハウスに着くと西洋人団体がいた。
フロントで部屋が空いているか聞くと満室で駄目であった。満室で断わられる事は稀有な事だ。
ダンブッラで、そこそこのホテルはダンブッラ・レストハウスだけである。
トックトックの運ちゃんが、静かなゲストハウスG.H.があるとの事で行ったが、田んぼの中のG.H.でホットシャワーが無いので断わる。
運ちゃんにホットシャワーのあるG.H.はダンブッラには無いと言われた。
ガイドブックにホットシャワー付き部屋がある事になっているヒーリー・ツーリスト・インに行って貰った。
ヒーリー・ツーリスト・インは、最初に運ちゃんに連れて行かれたG.H.であった。
はじめに案内された部屋は、水シャワーで、ホットシャワー付き部屋を見せて貰い、Rs.2,000(1,520円)でOKした。
古く暗い部屋でRs.2,000は、高いと思うが、値段交渉が億劫になってきたので簡単にOKしたのだ。
ただし、2泊の予定を1泊のみにした。そこそこのホテルであれば2泊して、ゆっくりするのだが!!
予定変更、今日午後、シーギリヤに行き、明日朝、ダンブッラ石窟寺院を見て、その足でキャンディに行く事にした。
部屋にバックパックを置いて、シーギリヤに行く事にした。
運ちゃんに、シーギリヤまでいくらか?と聞くと、Rs.600(455円)との事。
運ちゃん曰く、ローカル・プライス、安いと言いたい様だ。
決して吹っかけていないのでOKした。ただし、つり銭を持っているか確認した。
トックトックは、ガソリンスタンドに寄り、ガソリンを入れた。その時、スタンド・スタッフに両替を頼めと言われRs.1,000札を両替して貰った。
12時前にシーギリヤに着いた。ダンブッラから45分ほど掛かった。
運ちゃんに帰りも乗らないか、2時間、ここで待つと言われたが時間に拘束されるのが嫌で断わった。
チケットは持っているのか? チケット・オフィスは、後ろにあると教えてくれたが持っていると言って別れた。
メイン・ゲートのチケット・チェックで周遊券を見せ、蓮の水路(堀)を渡った。
今日は、日曜日でスリランカの家族連れや若者グループで混雑していた。
木々の中にシーギリヤ・ロックが見えて来た。
水の広場からのシーギリヤ・ロック
頂上まで高さ180mを階段で始まった。
シーギリヤ・ロックへの登り口
階段を登り高度を上げて行くとミラー・ウオール(濃いベージュ色)と美女のフレスコ画への螺旋階段が見えて来た。
ミラー・ウオールと美女のフレスコ画への螺旋階段
螺旋階段を登った。鮮やかな色彩と妖しい姿態の美女の壁画が残っていた。
写真撮影時のフラッシュ禁止であった。スタッフが監視していた。
美女のフレスコ画
螺旋階段を降りる。
螺旋階段はフレスコ画を見に行く為の階段であった。
ミラー・ウオールは、絶壁をトラバースする只の通路だと思った。
絶壁を横切ると広場に出た。ライオンの足が門となった登り口がある。
ライオンの入口
急な階段を一歩一歩登った。
やっと頂上に着くと座り込んでしまった。
頂上から360度見渡せる。
ここからの絶景を見て疲れも取れる。
頂上からの眺望
こんなロックの頂上によく宮殿を造ったものだ。狂気の王が造ったそうだ。
王宮跡
王のプール
帰りはライオンの入口までは、来た道を引き返した、ただし下り専用階段で降りる。
ライオンの入口から絶壁を横切るのではなく、下り専用階段でひたすら階段を下った。
麓の木々の中を登り口に向かった。
蓮の水路(お堀)の写真を撮りたくてメイン・ゲートに向かった。
来た道を戻り、水の広場で写真を撮った時、デジカメの電池が切れた。
いつもなら、予備の電池を持っているが、補給し忘れ持っていない。残念!!!
しかたなく、お堀の側を歩いてバス停に向かった。
バス道が見えて来た。
今、14時だ、若いスリランカ青年2人が私を追い抜いて行った。
彼らがバス道に着くと同時にバスが来た。
私は、100mほど手前だ、バスに乗れなかった。
彼らが乗った所はバス停ではない、そこから100mほどにシーギリヤ・レストハウスがあり、その前がバス停である。
バス停を通り越し雑貨屋に入り、コーラーを飲んだ。
乾電池単三を売っていたので買った。
次のダンブッラ行きバス時刻を聞くと15時との事。
お堀まで行くのは遠いのでシーギリヤ・ロックが見えるところまで行って写真を撮った。
バス停に行くと、「From?(どこから来た?)」、日本と答えた。
スリランカでよく話し掛けられるのは、「From?」である、「Where are you from?」を単にFrom?と声を掛けてくる。
毎日放送のテレビ番組「ちちんぷいぷい」に「道案内しよう!」と言うコーナーがあり、大阪駅前で道に迷っている外国人との会話で、同様に「From?」と聞くと外国人は国名を言ってどこから来たか答えている。
それとまったく同じであった。「From?」で通じる。
現地の人がバス待ちで座っている女性は日本女性だと教えてくれた。
日本の方ですか?と声を掛け、日本のどこからですか?と聞いた。
大学院生でインターンシップでコロンボのJICA(国際協力機構)に1ヶ月いるとの事。
残り1週間の滞在で、日曜日の今日、はじめての観光にシーギリヤを選び、日帰りで来たそうだ。
スリランカでは、JICAが活発に活動している様だ。私もJICA関係者と間違われた事がある。
バス停にいたトックトックの運ちゃんが、ダンブッラまでトックトックで行けば早く着くから2人で乗らないか誘って来た。料金は、Rs.600と言っていた。来る時と同料金で協定価格がある様だ。
時計を見ると15分待てばバスが来るので断わった。
ダンブッラ行きバスが来て乗った。
就職活動が大変ですね!と話すと、就職が決まらず、院生になり今回インターンシップに逃げ込んでいると話していた。
私達の時代も、ドルショック&石油ショックで就職が決まっても自宅待機があったり、仕事が無く掃除ばかりしていた時期があった事を話した。
バスは45分ほどでダンブッラのバス停に着いた。時間的にはトックトックと変われない。
ここで別れ、私は、ヒーリー・ツーリスト・インまで2kmを歩いた。
ヒーリー・ツーリスト・イン付近
本来ならバスターミナルがあるのだろうが、コロンボ、クルネーガラ行きバス停は、道路沿いにある。私には、どこがバス停かわからない。
すぐに時計台があり、右斜めにコロンボ、クルネーガラへの国道が分かれていた。
まっすぐに進んだ。国道の反対側を同じ方向に西洋人男性が歩いていた。
バスターミナルがあり、キャンディ行き乗場を捜したが無い、案内所で尋ねると案内してくれた、それは国道であった。バスターミナル内にバスが入る事無く、バスターミナル前がバス停であった。
更に歩くと野菜を積んだトラックが大渋滞していた。それは野菜マーケットまで続いていた。
ヒーリー・ツーリスト・インに着いた、バス停から30分ほどであった。
玄関の椅子に男性が座っていた、日本語で話して来た。G.H.のスタッフか?
ビールを頼み、フロントのソファーに座った。
ビールを飲みながらスタッフと日本語で話した。
野菜を積んだトラックで渋滞していたと話すと、これから野菜マーケットがオープンし朝まで取引をするそうだ。この一帯(ポロンナルワも含む)の野菜がここに集まるそうだ。
西洋人男性が戻って来て、私達の話に加わった。彼は先ほど道路の反対側を歩いていた男であった。
フランス人でタイに行く途中でスリランカに寄ったそうだ。
タイのチェンマイに奥さんがいてネールサロン?をしていて、そこへ行くそうだ。奥さんの単身赴任か?
遺跡には興味が無いらしく、東海岸のトリンコマリーに小さなビーチがあり、明日、そこに向かうと言っていた。
ガイドブック「地球の歩き方」の地図を出してトリンコマリーを捜していると、「地球の歩き方」に興味を示し、渡すとぱらぱらと見て写真が多いんだと言っていた。
私は、この本が無ければ海外に行けないと言った。
日本人以外は「ロンリープラネット」を持っている事が多い。
「地球の歩き方」と「ロンリープラネット」の違いは、情報量に関していえば「地球の歩き方」は足元にも及ばないらしい、しかし「地球の歩き方」は写真が多い。
G.H.の奥さんが夕食は隣で食べてくれといって来た。今日は日曜日なので仕事がしたくないのか???
部屋に戻り、シャワーを浴びた。
湯沸かし器からお湯が出るが、いたるところから洩れ出た。湯が出るだけでもましか!!!
少し休憩した後、夕食に行った。
奥さんが隣で食べてくれと言っていたが、隣に何があるのか?
外国人向けの大きなレストランであった。
西洋人親子、娘&父親が食事をしていた。
ビールとスパゲティを頼んだ。
ウェイターに聞くと、ここはホテルだそうだ。ここに泊まれば良かった。
20時に寝た。