いつか海外暮らし!

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インド旅行 9月27日 アジャンター石窟へ

2011年11月27日 | インド旅行
                      アジャンター壁画 蓮華手菩薩(法隆寺金堂 菩薩像の遠いルーツ)
7時15分、起床。
8時にチェックアウトした。
フロントでバス・スタンドへのオートリクシャー運賃を尋ねるとRs15との事であった。
ホテル前に停まっていたオートリクシャーと運賃交渉でRs20(35円)でOKした。
バス・スタンドには、すぐに着いた。歩ける距離である。
 

バススタンドに入り、すぐ目の前のバスがアジャンター行きバスであった。
8時30分にバスはアジャンターに向った。
1時間ほどでバスは停まり、中々出発しなかった。
ガイドブックではアジャンターまでバスで2時間となっていたので、まさかとは思ったが横の女性に「ここはアジャンターか?」と聞いて見た。
するとアジャンターは1km先だとの事であった。
窓からMTDC Holiday Resortの看板が見えた。ここはファルダプルFardapurであった。
当初の予定では、昨夜泊まったジャルガオンは通過するだけで、ここファルダブルのMTDC Holiday Resortに宿泊するつもりでいた。
今日は、アジャンダー石窟を見た後、アウランガーバードAurangabadまで行き宿泊する予定である。

10分の休憩後バスは出発し、アジャンター石窟の入口で降りた。
まわりに何にもない。バス道から1本の道路があり、一緒に下車した若いカップルが歩いて行った。
ゲートがあり行き止りになっていた、左に道が有り進むと料金所があり、Rs7を支払う。
バイクに乗ったおっちゃんがバイクに乗れ、無料だと言っているが無視した。
建物も何も無い、先がどうなっているのか予測が付かない。
バックパックを背中に担ぎ、ディバックを胸に担いで歩く。
若いカップルの後を付いて行った。
土産物屋が並ぶエリアを抜けるとバスが停まっていた。
アジャンター石窟へのシャトルバスでエアコン付きバスはRs12を取られた。
灌木の平地から川沿いに走り、10分ほどでアジャンター石窟の駐車場に着いた。
10時30分ごろになっていた、ジャルガオンのバススタンドからアジャンター石窟駐車場までが2時間であった。

2階建ての建物が見え行くとチケット売り場があり、Rs250(440円)を払いチケットを買った。
チケット売場の横がレストランで朝食を取っていなかったので入った。
オムレツ・サンドイッチとブラック・コーヒーにした。締めてRs80(140円)。
ビールがあると言われたが、これから石窟見物するのに歩けなくなる。帰りに飲もう。
別建て屋にトイレ兼手荷物預かり所があり、バックパックを預けた。Rs8(14円)。
大変急な階段と坂を登り、コンクリート道を行くと、ワーグラー渓谷が見え、その断崖中腹に仏教寺院群が見えてくる。
世界遺産 アジャンター石窟群であった。
 断崖の石窟群
 
 渓谷のU字型断崖
 

石窟入口が並ぶ
 

アジャンターを有名にしたのは壁画
 蓮華手菩薩              金剛手菩薩
  

 釈迦(左の壁画)
  

ストゥーパ(仏塔)
アジャンターの石窟寺院が開らかれたのは、前期と後期に分かれ、前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀で、後期は5世紀後半から6世紀頃であるそうだ。
 前期 ストゥーパ(仏像の無い時代)
  
 後期 ストゥーパ 
 

石窟内彫刻
    

13時過ぎになっていた、2時間ほどの見物を終え、昼食にした。
レストランで、ビール大、ミックスカレー&ローティー2枚を頼んだ。
汗をかいた後のビールはうまい。締めてRs200(350円)。
手荷物預かり所でバックパックを受け取り、駐車場に行った。
エアコン付きシャトルバスが停まっていた。Rs12を払い乗り込む。
日本人若者2人が乗っていた。アウランガーバードに帰ると言っていたので付いて行く事にした。
しかし、それぞれ約束していると言って土産物屋に行ってしまった。
アウランガーバード行きバスは駐車場から出ていると言っていたので先に行った。
やはり駐車場からはバスは出ていなかった。
ジャルガオンから来る時に降りたバス停まで行き、バスを待った。
バイクが近付いて来て、ここでバスを待っても来ない、バイクかオートリクシャーでファルダプルまで行けばバスがあると言ったが無視した。確かにオートリクシャーは1台停まっていた。
木陰もなく暑い。
反対側のバス停に爺さんが来た。私にこちらへ来いと言っているので行った。
こちらは木陰もあり見通しがきくのでバスが来るのが見えると言っていた。
バスが来て爺さんは乗って行ってしまった。

ファルダプル方面行きバスは来るが、私が待っているアウランガーバード行きが中々来なかった。
次に数人のグループが来た。間もなくして彼らが何か言っている。
そちらを向くとあの車がアウランガーバードまでRs200(350円)で行かないかと言っていると伝えてくれた。
バスで3時間のところを乗用車でRs200は安いと思い、荷物を持って車に近付き、運賃を確認してOKした。
西欧人女性が3人乗っていた。助手席の女性が後座席に移り、私が前に乗った。
 

1時間ほど走るとドライブイン?車客相手のレストランで車は停まった。
樹の下にテーブルが並んでいて、その1つに座った。
私は食事を済ませたところなので、ビールはあるかと聞いたがない。仕方なくコーヒーを注文した。
彼女達も飲み物を頼んでいた。
彼女達はイギリスから来ていると行っていた。
休憩も終わり車に向うと中国系女性グループがいた、西欧人3人の中に東洋人1人がいるのでじろじろ見られた。
運ちゃんがアウランガーバードのどこへ行くのか?どこで降ろせばいいのか?と聞いてきたのでアウランガーバード駅と答えた。
彼女達も駅前のホテルだと言ったので、ホテル名を聞くと、プシュパックとの事。
駅前の路地に2軒のホテルがあり、プシュパックもその1つであり私の候補ホテルでもあった。
私もプシュパックに行くと伝えた。

17時30分ごろ、プシュパック・リージェンシーに着いた、部屋を見せてもらい、ホットシャワーは朝のみの時間制限であったので二の足を踏んだ、ファンがカタカタと音がすると断わりかけると別の部屋に連れていかれた。
エアコン付き部屋でファンも静かでTV付きでグレードがUPした、宿泊費を聞くと何泊するのか聞かれ、2泊すると答えるとRs468(820円)との事でOKした。
フロントで宿泊費を払い、宿帳に記入し終わると先ほどの運ちゃんが明日エローラに車で行かないかと誘ってきた。
9時30分スタートで4人集まればRs300(530円)との事。
明日の朝は列車のチケットを買いに行かなければならないし、ローカルバスで行くと断わった。
列車のチケットならこれから駅に買いに行こうと車に乗せられた。
駅まで300mの距離を車で行った。
駅の予約センターへ行くものと思っていたが、着いた所は駅前の私設発券所であった。
私設発券所とは名ばかりで携帯電話ショップの角にパソコンを置いたテーブルがあるだけだった。
予約フォームを書かなくて済む、行き先と列車No.、日付を言えば済む。
アウランガーバードから世界遺産サーンチーの仏教建造物群のあるボーパールまでの直通列車は1本しかなく、ボーパール着が夜中の1時になるので避けたかったがこれしかなく、辛うじて空きがあった。
乗換えが必要だが良い時間帯に着く列車No.を2つ言ったが満席であった。仕方なく、1時着の列車のチケットを買ったのだ。
電卓で計算して、Rs1,180(2,100円)を請求された。A4紙にプリントアウトされたチケットを見るとRs965となっていた。手数料22%取られていた。
先のイギリス女性3人も来て、私が終わるのを待っていた。
帰りの車の中で運ちゃんにチケットを勧められていたが彼女達は断わっていた。
それで自力で来た様だが、何故ここなのか? 駅の予約オフィスに行かないのか? 
私も人の事は言えないが!!!

運ちゃんに、しつこくエローラ見物を勧誘された。バスツアーのパンフレットを見せて、これと同じコースを同料金Rs300で廻る。
ただし、4人集まればとの事でOKしてしまった。
ビールを飲みたいと言うと、酒場があそこにあると言うのでどこやどこやと連れて行かせた。
酒場はまだ時間が早いのか客は少なかった。
ビールを頼んだ。周りを見ると簡単な摘みを取っている様だがよく分からない。
ギンギンに冷えたビール、2杯目まではうまかったがそれ以上は苦痛に変わった。
食事しながらでなければ、うまくない。
ビール代Rs160(280円)を払い出た。
私設発券所(携帯電話ショップ)の横にレストランが2軒並んでいて、その1軒に入った。
チョーメンを頼んだ。インド風焼きそばのつもりが、あんかけそばが出て来た。
これがまたうまかった。B級グルメである。

部屋で小説を読んだり、TVでラグビーのワールドカップを見た。

23時、就寝。

インド旅行 9月26日 ジャルガオンへ(2)

2011年11月24日 | インド旅行
7時ごろ起床。
今どこを走っているのだろうか?
列車が遅れなかったら、今頃ジャルガオンに着いている時間だ。
天気は良い。昨日までの雨とは大違いだ。
1時間ほど経つと駅に停まった。
この列車の時刻表をWebからプリントアウトして持っていたので比較すると、15時間遅れになっていた。

西欧人の若い女性2人組の1人が起きて来た。
列車が15時間遅れていることを伝えた。
ムンバイに明日早朝になるのか!と独り言を言っていた。
彼女達はイギリスのロンドンから来ていた。
大学を卒業して、すぐに4ヶ月の海外旅行に来ている。
インドの次にはタイに行きインドシナを回ると言っていた。

ランチの注文を取りに来た、値段を聞くとRs55(100円)との事。3人とも注文した。
昼過ぎにランチが届いた、スプーンが付いているか聞くと付いているとの事。
ふたを開けるとライスをほとんどでカレーが少し付いているだけである。
付いていると言っていたスプーンが見当たらない!!
彼女達の1人が付いていた紙を折り曲げてスプーン代わりにして食べ始めたので私も真似て食べた。
昨日からまともに食べていないが、それでもこのランチ不味い。
スプーンが見付かった、ライスに埋もれていた。

車窓に向かってあぐらをかいで座った。
デカン高原の風景を見るためである。
遠くに決して高くないがそそり立つ様な山が帯状に続く。
列車が走る付近はなだらかな丘である。

インド人婦人が私達のブースに来た。
私の横の下段ベッドが空席で彼女達が使っていたが、その婦人のシートであった。
彼女達と婦人は話がはずんでいた。婦人が持っていた英語の女性雑誌を借りて読んでいた。
婦人は私に中国人かと聞いて来た、日本人だと答えた。
インドでは私は中国人に見られる事が多い!!!

夕食弁当の注文を取りに来た。
3人が注文したので、「不味いから要らない」とは言えないが私は断わった。
1時間ほどで弁当が届いた。
まず、婦人が不味いと言って大半を残した。
上段ベッドで食べていたイギリス人彼女が、残り物を私に勧めた、失礼な奴だと思っていると、もう1人の彼女もしかめっ面していた。
要らないと答えて、「ビールを飲みたい」と言うと「私も!」「私も!」と言っていた。

車窓からの風景を楽しんでいたが、真っ暗になった。
インド婦人にどこへ行くのかと聞かれ、ジャルガオンと答えるとアジャンターかと言われた。
ジャルガオンには15時間遅れとすると22時に着くことになる。
インド婦人は商売人風でムンバイに行くこの路線にはよく乗っている様だったので、ジャルガオンの深夜は危険かと尋ねと危険では無いとの事。
次にホテルはあるのかと聞くとあるとの事。紹介できるホテルはあるかと聞くと無いとの事であった。
イギリス彼女に私のガイドブックに載っていないのかと聞かれ、載っていないと答えると彼女のロンリープラネットで調べてくれた。
ロンリープラネットには、ジャルガオンについて2ページを使って記載があった。
ホテル&ゲストハウスが4軒載っていた。宿泊費の最も高いRs1,000のホテル名をメモった。

この列車の時刻表を持っていたので、駅に停車する毎に遅れ時間を確認していた。
遅れを挽回するかと思っていたが、最大16時間遅れまでになった。
ジャルガオンに21時45分に着いた。15時間遅れであった。
イギリスの若い女性とインド婦人に挨拶して分かれた。
ホームにいた車掌にジャルガオンか確認した。
駅の両サイドに駅舎があり、両ホームとも灯りがこうこうとしていたので、どちらが出口か分からなかった。
数人の制服を着た軍人? 警官?がいて、日本人かと聞いてきた、そうだと答えると「こんにちは!」と日本語で言ってきた。
「こんばんは!」と言って、出口を訪ねた。

22時前であるが駅前は明るかった。
オートリクシャーの運ちゃんにホテル名を書いたメモを見せ、運賃交渉をした。
運ちゃんがRs200、それに対し反射的に半値のRs100と言っていた。
Rs100で決定である。
やられてしまった、まあいいか、安全と情報料である。
運ちゃんの背中をこの野郎と軽く押した、運ちゃんはにやりと笑った。

オートリクシャーに乗り、すぐに停まった。
運ちゃんがここだと言った。駅から200mほどの左側にホテルがあった。
フロントで部屋があいているか聞き、部屋を見せてもらった。
ファン、水シャワー、TV付きで、まともなホテルであった。
宿泊費を聞くと料金表を見せてRs980との事であった。ディスカウントを要求すると希望を聞かれRs500(880円)と答えるとOKであった。
料金を払い、宿帳を記入しチェックイン完了である。
日本人なら仏教徒か、私(マネージャー?)もフロントの彼も仏教徒だと親しいそうに言っていた。

部屋に荷物を置いて、すぐにフロントで教えてもらったレストランに向かった。
付近にホテルorゲストハウスが3軒あったがレストランは見付からなかった。
屋台があったがお腹を壊すのが怖くてあきらめた。
酒場があると聞いていたのでフロントに戻り聞いて向かった。
それは駅前にあり、大勢の客で賑わっていた。
残念ながら、席が満席で駄目だった。
ホテルに戻り、ビールを置いていないか聞きと、置いていないが買いに行くとの事。
マネージャーがビール1本Rs110と私に言った、買いに行くスタッフが今はRs150がと言った。
食事抜きなのでビール2本を頼んだ。

間もなくしてフロントから電話でビールが無かったと連絡があった。
ドアをノックされ、覗き穴から見るとスタッフがビールをさげて立っていた。
ビールを受取り、料金を支払おうとすると1本Rs160(280円)とRs10UPしていた。
先ほどの「ビールが無かった。」との電話は何だったのか?
買いに行ったスタッフがホテルに取られる手数料をゼロにして自分の取り分を増やす為にフロントに嘘を付いたのか????
(ビール価格の後日談:コルカタ~ブッダ・ガヤまではRs110ほどであったが、バラナシ以降Rs160になっていた。10月にビールの値上げがあったそうです。だが値上げ率が高過ぎる?)

水シャワーを浴びた。バラナシでは浴びなかったので久し振りのシャワーであった。すっきりした。
ビールがうまい。
2本も飲むと酔っ払ってきた。

24時、就寝。


インド旅行 9月25日 ジャルガオンへ(1)

2011年11月21日 | インド旅行
6時、起床。
大雨だ。一晩中、土砂降りの雨だった。
今日、ジャルガオンへ向かう。

ジャルガオンは、デカン高原の北西にあり、最も近い大都市はムンバイである。
バラナシから西にデカン高原を横断しなければならない。
ここは、世界遺産 アジャンター石窟群への玄関である。

マネージャーが部屋に食事代を取りに来た。請求されたのはRs250(440円)であった。
安過ぎる! ビール代が含まれていない、夕食2食分だけの様だ。
間もなくして、従業員が来てビール大2本分Rs320(560円)を請求され支払った。
インドでは酒類の販売許可のライセンス料が高いのでアルコール類を置いていない所が多い。
ここのG.Hでも、建前は客に頼まれて買ってきただけと別会計にしていた。

9時にオートリクシャーを頼んでいるので、5分前にフロントに行ってチェックアウトした。
韓国人?客が居た、小雨になるのを待ってバックパックを担いで出て行った。日本語で挨拶して出て行ったのだ。
日本人であった! 別のG.Hに移る為にチェックアウトしたようだ。それが正解である。
道路が冠水しているとマネージャーが言っていた。
西欧人カップルがフロントに来た、女性だけがバックパックを持っていた。
雨はしとしと降っていた、オートリクシャーは、中々来なかった。
冠水しているからオートリクシャーが来ないとは言っていない、何故、これほど遅れるのか?
9時40分にオートリクシャーは来た。40分遅れだ。
来るなり、オートリクシャーを横倒しにして整備をはじめた。1人で簡単に横倒しできるのには驚いた。
西欧人女性も乗るようだ。
マネージャーがあなたはRs200と言うのでRs100と怒鳴ってやった、運ちゃんはRs100でいいと言った。

狭い路地を出て、大通りを行くと100mほど道路が冠水していた。
オートリクシャーは、そこに突っ込んで行った。
バイクが運ちゃんの膝まで浸かって、こちらに向かって来た。
オートリクシャーの床までは浸からず、私達は濡れなかった。
冠水道路をもう少しで抜け出る時、エンジン音がおかしくなり、辛うじて抜け出たところで止まってしまった。
運ちゃんは、エンジンのプラグを取り外して拭いていた。
エンジンの調子を確認して運ちゃんは出発した。
また、冠水道路があり、突っ込んで行った、エンジン音がおかしくなったが無事に通過した。
さらに突っ込んで行った、トヨタのSUVが追い越し際の波で私の片足を洗って行った。靴の中まで濡れた。
何箇所かで冠水していた、冠水道路内で停まらないでくれと思っていたが、とうとうエンストで停まった。
車が行き交う場所で停まり、水位が深そうであった。しかし、行き交う車が居なくなると地面が現れた!!!
オートリクシャーを降りてみた、エンジン整備していると思っていた運ちゃんがいない?
女性にどこから来たのか?と聞くと、イスラエルとの事。
バラナシ空港11時30分発の飛行機でニューデリーへ、今日ニューデリーからイスラエルに帰ると言っている。
今10時過ぎである、空港まで1時間掛かるとして11時着、搭乗が始まっている時間だ。
オートリクシャーでは駄目だ、乗用車を!と彼女は言っていた。
運ちゃんが戻ってきてエンジン整備後、セルを回すがエンジンがかからない。
再度セルを回すが駄目だ、シュルシュル・シュルシュル・・・、バッテリーが上がりそう。
それ以上止めてくれと思っていると、サイドブレーキを長くした様なレバーを引いた、それは、手動スターターであった。
手動スターターを3度ほど引くと、エンジンを掛けた。
乗用車は多く走っているがオートリクシャーは少ない、客は大勢いてオートリクシャーを待っているが来ない様だ。
10時30分ごろバラナシ駅に着いた。運ちゃんがガンバっていたのでRs100のところRs200(350円)を払った。

私の乗る列車は11時25分発なので、まだ1時間はある。
駅構内に入ると停電していた、電光掲示板も稼動していなかった。
何番のプラット・ホームに行けばいいのか分からないので、昨日列車のチケットを買った外国人ツーリストセンターに行った。
ここでも分からない様で、英語でどこそこへ行け!と言っているのだが、その場所がまったく分からない。
職員が案内してくれたところは電光掲示板下の事務所で、電光掲示板のコントロールをしている所だろう。
乗客がこの事務所を取り巻いている、こんな時に相手にされないのは当然である。直ぐに事務所を出た。
途方に暮れた、取りあえず高架橋を渡りプラット・ホームに行って見た、西欧人が居たのでチケットを見せると、このホームではないとの事。
電光掲示板の下に小さな掲示板(ボディランゲージで小さい掲示板が理解できた)があり、そこでプラットホームNo.が分かると教えてくれた。
彼らがホームで列車を待っているのだから、間違いない。電光掲示板下に行って見た。
電光掲示板下に大きな人だかりが出来ていて、その前に大きな模造紙に手書きで列車名&No.、発車時間、ホームNo.が書かれていた。
私の列車は、9番ホームであった。前に行き横の兄ちゃんに9 or 8と確認すると9と言われたのだ。

橋を渡りホームに降りると西欧人の若い女性2人が居た。
チケットを見せると、彼女達もチケットを出して見比べた、同じ列車である事が分かった。
さらに彼女達はシートNo.が私と連番であることを見付けた、同じブースであった。
私は彼女達に付いて行く事にした。
彼女達は若くて可愛いのでインド人がいろいろ話し掛けていた。
インド人男性が彼女達に伝えていた、それを彼女達が私にも教えてくれた、悪い知らせであった。
11時25分発の列車が13時に遅れるとの事だ。
雨は上がっているが、ホームの床は濡れている。工事中のレンガを床に置き、座って小説を読んだ。
13時が近付くと、列車が14時になる?、16時になる?などの情報が入った。
列車がいつ来るか分からず、ホームを離れることができない。
 バラナシ駅ホーム
 

雨が降り出した。しとしと降っている。
屋根柱の基礎コンクリート部に彼女達と私のバックパックを置いているが雨がかかった。
ディバックから傘を出しバックパックに傘を差した。
彼女達はそれを見て感心していた。
このぐらいはさせて頂きます。この状況下では私1人で列車情報を得るのが難しい。彼女達のお蔭ですという感じである。
乗客は、屋根のあるところに集まるので混雑する。

14時になっても、16時になっても列車は来なかった。
15時50分発のムンバイ行きは、定刻通り出発して行った。この列車は予約時の第2希望の列車であった。ああ!!!
列車情報を伝えてくれる地元客が2人おり、その1人が彼女達に列車が20時になると伝えていた、俺の家で待たないかと誘っていた。
彼女達はその誘いを断わっていた。
もう1人が18時になると伝えていた。
どちらが正しいのか? どちらも間違っているのか?

私は座るところがないので立ちっぱなしだ。
小説を読んでいると文字が珍しいのか2人が両側から覗き込んでくる。
ムンバイのIT学校に行くという若者グループが居た。
日本では列車は遅れるのかと質問され、大都市では5分毎に電車がホームに入ってくるので遅れたら大変な事になる。だから遅れないと答えた。
ただし、事故、豪雨&強風で全線ストップすることはある。

猿が屋根の梁伝いに移動して行く、赤ちゃん猿が可愛い。気を付けなければ人が持っている食べ物を取られる。
昼過ぎにはホームに牛が来て餌をねだっていた、私達のところにも来て、地元客がお尻を叩いて追い払ってくれた。
線路にも牛が歩いていた。

雨がしとしと降っている。日が暮れて暗くなった。
もう7時間待っている、このホームで動けずにいる。
朝食を取らなかったので腹が減った、ホームで買ったクッキーと水、リンゴ1ケを買いペットボトルの水で洗って食べただけだ。

20時ごろ、男がホームを走って来て何か叫んでいる。
彼女達のところには地元客が来て話していた、ポーターを連れて来たのでに荷物を持たせ案内してもらえと言っている様だ。
彼女達はポーターを断わり、バックパックを取り上げた。
私もバックパックを担ぎプラットホームNo.を尋ねると5番ホームとのことであった。
人混みの中を歩いた、橋の階段を上る頃に彼女達とは逸れていた。
しかし、若い地元客が私に寄り添う様に着いて来る。何者?
5番ホームへの降り口が工事中で通れない、もう片側の降り口が見当たらない。
何者?に5番ホームと言うが知らない様だ。
5番ホームへの降り口を見付け階段を降りるが、今度はホームの前後、どちらに行けばいいのか分からない。
こちらだと決断して向った、同じ方向に歩いている乗客がいたので2A、3Aはこちらか聞くとそうだった。
車両A1を見付け、車掌が居たのでチケットを見せて確認した。
何者?が私から離れて行った。彼は何者????
1年前のスリランカ旅行でキャンディからの列車で今回の様に若者が私を介添えしてくれた。
何者?もそうだったのか? 気持ちだけで有難う。

彼女達が来ないのでホームの出ると、こちらに来るのが見えた。
私の座席は2段ベッドの下段で、彼女達は、2段目の左右ベッドであった。
間もなくして、彼女達も疲れているのだろう、それぞれベットメーキングし始めた。
私もベッドメーキングして寝る体勢が整った。
21時ごろ列車は動いた。10時間遅れで出発した。
就寝。
列車は停まっている様だ。

インド旅行 9月24日 バラナシ滞在 サルナートへ

2011年11月18日 | インド旅行
                                  サルナートのダメーク・ストゥーパ
6時、起床。
天気が悪い、いつ雨が降ってもおかしくない。
ガンガー(ガンジス河)に行こうと悪徳エルビスG.Hを出た。
Ganga→の道標にしたがって行くと狭いガート(コンクリートの階段)があり、その向こうにガンガーが流れていた。
外国人が乗ったボート2隻が目の前を通り過ぎた。昨夜ボートを誘われたが断わった、雨の確立が高いからだ。
ガンガー沿いにガートを渡り歩こうと思ったが、ガンガーの水位が高い為か?? 行けそうにない。
路地を抜け大通りに出た。路地にも大通りにも牛の糞があり、よそ見をして歩くと踏んでしまう!!!!
大通りを北上した、私の宿泊しているG.Hは、ムスリムの居住地区であった。
途中、通りがガンガーに向かってあったので入っていた。日本レストランの看板があった。ガートまで遠いので引き返した。
バラナシの中心地と思われるゴードウリヤーに向かっている。道標で1kmと出ていた。
バラナシは、死者の街バラナシやヒンドゥー教最大の聖地バラナシとか言うが、町並みは色彩的に茶色い暗い、汚い。
15分ほどでゴードウリヤーに着いた、右折してガンガーに向かった。
車両進入禁止だと思っていたが、オートリクシャーが入って行く。
両側に観光客向けの店屋が並ぶ。
ダシャーシュワメード・ガートに着いた。
水位が高いのだろう、道路から1mほど下に沐浴しているのが見えた。
狭いガートに観光客が大勢いて沐浴を見ていた。
聖なる川で沐浴をするという感じではない。がっかりである。
日本人らしき東洋人が沐浴して上がってきた。

ゴードウリヤーでオートリクシャーを拾い、サルナートまでRs200(350円)で交渉成立した。
運ちゃんは、しつこく往復Rs400と言ったが片道でOKした。
出発してすぐ布で巻かれた死者を見掛けた。数人で肩に担いでいるので気付いた。
インドといえばバラナシというのが日本人旅行者の常識らしい。短期旅行者も長期旅行者も必ず一度は訪れると言われているそうだ。
皆さん、何を感じたのだろうか? 怖いもの見た差で来るのか????
死者を見させられ、茶色い暗い、汚い街を見させられ、1時間で嫌いになった。

   

40分ほどでサルナートに着いた。
まだ、8時前だが鹿野苑(ろくやおん)は開いているのか?
チケット売場に行くと職員がいて、チケットRs100(180円)を買った。
早朝から、いつ雨が降ってもおかしくない天候であったが、黒い雲が近付いていた。
 鹿野苑
 

鹿野苑は4大仏跡のひとつである。木々の緑と芝生の中に遺跡があり、きれいに整備された公園であった。
ブッダ・ガヤで悟りを得たブッダは、その当時多くの宗教家が集まっていたバラナスを目指し、ここで初めての説法をした。初転法輪の地がサルナートである。
雨が降ってきた、傘を差したが雨足が強くなったのでチケット売場で雨宿りをした。
土砂降りの雨が長く続いた。
当初私と若いカップルが雨宿りしていたが、中国系女性が雨カッパを着て入って来た、子供達もずぶ濡れで入って来た。
雨がしとしと降っている。
朝食を取りにツーリスト・バンガローに行くことにして、雨の中を傘を差して向った。

昨日、ムガル・サライ駅に着くのが夕方でホテルを見付けるのが不安であった。
バラナシでなく、サルナートのここツーリスト・バンガローも候補にあげていた。
しかし、魅入られる様にバラナシに行ってしまい、悪徳エルビスG.Hに泊まってしまった。

ツーリスト・バンガローは古いが部屋数の多いホテルであった。
節電or停電しているのか? 真っ暗だ。
朝食を取りたいと頼み、レストランへ行く。
ブラック・コーヒー、トーストとオムレツを頼んだ。Rs80(140円)

雨も止み、ムールガンダ・クティー寺院に行った。
 ムールガンダ・クティー寺院
 

鹿野苑にもう1度行った。
観光バスが横付けされていた。
 アショーカ王の石柱
  
 「アショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。インド各地に石柱を建て、そこにブッダの教え「法(ダルマ)」を刻んで仏教を広めます。」「釈迦の生誕の地(ルンビニ)は石柱が発掘されたことから特定された。石柱には、ここがブッダの誕生された地であることと、租税を免除することが書かれていた。これによって、釈迦が伝説上の存在ではなく、歴史上実在したことが認められた。」

アショーカ王の石柱の奥に祭壇があり、インド人が参っていた。
インド国内での仏教徒比率が0.8%(約970万人)しかいないので、インド人でなく、スリランカ人かも知れない???
 

次に鹿野苑の南に見えている考古学博物館に行った。
チケット売場は、博物館入口の道路を挟んで反対側にあった。入場料Rs10(20円)。
入口で荷物を預けなければならず、館内の写真撮影は禁止であった。
四方向に睨みを効かしているアショカ王柱の上に頂かれたライオン像が圧巻された。これはインド国旗のデザインやお札のデザインにも使われているようにインドの象徴とも言うべきものだそうです。
その他、サルナート付近で発見された仏像が主であった。

次にチャウカーンディ・ストゥーパに向った。
途中、大きな仏像があった。
徒歩10分ほどで着た、無料の様だ。
看板に写真撮影は禁止とある、ばあさんがOKと言っている。
物売りに付きまとわれ、ストゥパーを一周するつもりが、裏側は樹木で見通しが悪く物騒なので引き返した。
 チャウカーンディ・ストゥーパ
 
 ブッダ・ガヤーで悟りを得た釈迦が、かつての5人の修業仲間と出合った場所だそうです。

バラナシまで乗合オートリクシャーで行こうと思い、歩きながらオートリクシャーを待った。
オートリクシャーが停まってのでバラナシと言うと違った様で行ってしまった。
ツーリスト・バンガロー方面からの道路との三叉路に出た。
のどが渇いたので、何屋?でペットボトル水を買った。
オートリクシャーを手をあげて停めた。西欧人カップルが乗っていた、バラナシ駅と言うと乗れという感じであった。
30分ほどでバススタンドに着き、西欧人カップルが降り際にこの向こうがバラナシ駅だと教えてくれた。
彼らも地元民も多分Rs20(40円)を払っていた。
私はバラナス駅前で降りた。Rs20札がなかったのでRs50札で払うと釣りが戻らないのでチェンジと言うと小銭でRs15だけを渡された。

バラナシ駅構内の外国人専用窓口に向った。
大きな電光掲示板に向って左側にForeign Tourist Centerというのがあった。
Railway Reservation Officeの表示を期待していたが違った。
入って見た、カウターがあり、その上にパソコン端末が置いてあった。
列車のチケットと言うと座れと言われた。
予約フォームをもらい、バラナシ駅とジャルガオン(Jalgaon)駅間の列車名&No.、座席クラス等を書いて提出すると直ぐにOKがでた。
明日11時25分バラナス発、明後日6時53分ジャルガオン着、2A(A/C2等寝台)Rs842(1,480円)のチケットが取れた。
23時間後だ、明日バラナスを後にすることができる。ラッキーだ!!!

駅からバラナシ中心地まで歩こうと思った。
まだ、13時前だ、時間は十分にある。
すぐに道が分からなくなり、さらに雨が降って来た。
傘を差して歩いていると、前からオートリクシャーが来て停まった。
丁度よかったので運賃交渉でRs100でOKした。
運ちゃんに朝、ダシャーシュワメード・ガート前で声を掛けたのを覚えているかと聞かれた。
覚えている訳ない、何人もの運ちゃんに声を掛けられるのだ!

ダシャーシュワメード・ガート前で降ろされた。
ガートに行かずに両替屋を捜した。
看板はあるが店がない。聞くと布地店で両替するとの事であった。
布地店に行くとカーテンを閉められ、交渉開始。
希望両替を聞かれ、インターネットでUS$1=Rs48と言うと、新聞の為替を見せられ、さらにここは地方なのでUS$1=Rs46とのこと。コルカタでもRs46.5だったのでOKした。(後日談:当日の為替はUS$1=Rs49.3で結果的に手数料7%と悪かった。)
Rs4,600をRs100札で46枚になった、2度数えて確認した。
使い勝手は良いが、サイフには入らない、ディバックに入れた。

ゴードウリヤーを左折し、大通りを歩いた。
30分ほどでエルビスG.H近くに着いた。
出掛ける時は、エルビスG.Hがどこに有るのか分かれなかったので、帰ってこれるように目印を覚えていた。
エルビスG.Hへの路地への目印を確認して入った。
15時に、G.Hに着いた。
マネージャーに歩き歩きかと言われた。何で知ってんのか?

屋上に上がりビールを飲んだ。ビールがあるからG.Hに戻ってきた様なものだ。
食事は要らないかと聞かれたが今は要らないと答えた。
明日朝のボートに乗らないかと誘われたが、どうせ雨だからと断わった。
明日11時30分の列車チケットが取れたので、明日チェックアウトすると伝えた。
9時にオートリクシャーを呼んでくれと頼んだ。
運賃を聞くとRs200と言う、今日サルナートまで行ったがRs200だった、帰りはRs30だったと答えた。
だから、私はバラナシ駅までRs100と譲らなかった。

外は、土砂降りの雨であった。
今現在、旅程が2日遅れている。余裕のある計画を立てていたが、これからどうなるか?
19時ごろまで日記を書いたり、小説を読んだりして過ごした。
夕食の為、屋上に上がって行くと屋上から階段に雨水が流れていた。
部屋に居て気付かなかったが、階段や廊下は雨水で濡れていた。
フロントへ行き、屋上のレストランで食事が出来るのかと尋ねると出来ないが部屋に持って行くと言われた。
ビールとお勧めの???とチャパティ2枚を頼んだ。
ビールを先に持ってくるように頼んで、ビールを飲んで待った。
お勧めの???は、不味かった。

22時、寝る。

インド旅行 9月23日 バラナシへ

2011年11月15日 | インド旅行
7時、起床。
朝食を取る為、部屋を出た。
昨日昼食を取ったホテル・レストランに向った。
宿泊施設前の屋台小屋で客引きCがチャーイを飲んでいた。
朝食と言って通り過ぎた。

レストラン近くでバイクの運ちゃんとばったり会った。お別れか?
玉子サンドイッチとブラック・コーヒーにした。Rs90(160円)高い。
ミルク・コーヒーは、甘すぎて駄目でブラック・コーヒーにしている。

中国寺近くで、ブッダ・ガヤ初日に会った客引きAにばったり会った。
日本に居たことがあり、日本人に親切にしようと思ったのに相手にされなくて悲しいと恨みたらしく日本語で言われた。
銀行ATMを探している時だったので、どこにあるか彼に聞くと近くにあった。
ATMを操作している最中、画面の両サイドにあるボタンを押しても進まなくなった。
悩んでいるとガードマンが来て画面をタッチしろと教えてくれた。
日本国内ATMでは、画面タッチ操作が一般的だが、海外ではまだ珍しい。私は初めての経験ではないか?
ATMでイーバンク・カードを使ってRs5,000(8,202円)を出金した。(後日談:手数料は5.8%)
キャッシングを終えて出て来ると、客引きAはもう居なかった。

10時ごろに宿泊施設に着いた、ロビーのドア前にぞうりが多数並んでいた。
ドアを開けるとロビーで女性達がヨガをしていた、ドアを閉めようとするとヨガの先生が入りなさいと合図したので通り抜け部屋に行った。

12時、バックパックを担いで部屋を出た。ロビーに行くと、まだヨガ教室をしていた。
宿泊施設を出て客引きCがたむろする屋台小屋を覗くと彼がいた。
居てくれて良かった、居なかったら部屋のキーを誰に返せばいいのかと考えていた。
彼にキーを返し、握手をして別れた。
200mほど行くとタイミングよく、オートリクシャーが来た。
ガヤ駅まで私の希望料金Rs150ですんなり交渉成立した。

ここでこのタイミングで、人力リクシャーやバイクと出会うことが多かった。
誰かに見られているのか???
ベトナムのメコン・デルタのカントーという町で旅行業者が客の囲い込みを企て、その対象に私もされ、あとをつけられた経験がある。
ここブッダ・ガヤでも客引きCとバイク運ちゃんのグループに私は囲い込まれていたのか???
バイクの運ちゃんは、あなたのブッダ・ガヤでの安全を守るのが私の役目と言っていた。ほんま!!
部屋代と前正覚山へのバイク代しか払ってしないが?? 
私の妄想か???

 ガヤ駅
 
オートリクシャーは30分でガヤ駅に着いた。
駅前で降ろされると思っていたが、何故か、手前のホーム沿いにある荷物取扱所で、ここからホームへ行けと降ろされた。
インド鉄道の駅には改札口がないので、どこからホームに行こうがいいのだが!!

14時05分発 列車No.12801は、前の訪問地プリーからガヤ駅に来る時に乗ってきた列車である。
従って、プラットホームNo.も列車の停車位置も分かっているので待合室で待つことにした。
ホームに面したところにファーストクラスの待合室があったので、そ知らぬ顔して入った。
私のチケットは2等であったが何も言われなかった。
定刻になっても列車は到着しなかった。
電光掲示板を見に行くと14時20分の15分遅れになっていた。
結局、30分遅れで到着した。
ガヤ駅に着いた3日前は1等車両が最後尾であったので、後部で列車を待っていた。
しかし、今日は1等車両が先頭になっていた為、ホームの後部から先頭部まで歩かなければならない。
インドの列車の長さが半端じゃない、停車中の5分間に乗れるのか?
日本の列車は車両を渡って行けるが、インドの列車はそれが出来ないとなっている。ピンポイントでその車両に乗らなければならない。
乗れるのか?あせったが何とか間に合った。

ムガル・サライ駅に17時10分着予定が、このままでは17時40分ごろになる。
日が暮れる前にホテルを決めたいが、これでは無理だ。
途中、1時間遅れになり、雨が降り出した。
列車の進行方向に真っ黒な雨雲が見えた。
低地の民家が浸水している。
ムガル・サライ駅に着いたときには30分遅れの17時40分であった。
雨は止んでいたが天気が悪く薄暗い、早めに日が暮れそだ。
ホームでオートリクシャーの運ちゃんが近付いてきた。
バラナシまでRs250(440円)で交渉成立した。
出発する時、若い客を乗せた、乗合オートリクシャーか??
間もなく暗くなり、雨が降りだした。
その雨が土砂降りの雨に変わり、オートリクシャー内に吹き込んできた。
座席の両サイドにドアが無いが、カーテンがあるので雨は防げるが運転席側からの吹き込みは防げない。
折畳み傘を持っていたのでオートリクシャー内で差した。2人の下半身を差したのだ。
若い客は、運ちゃんが見付けた別のオートリクシャーに乗り換えて行った。
土砂降りの雨は止みそうにない、こんな状態でホテル探しもできないので、運ちゃんにホテルorゲストハウスを紹介してくれと頼んだ。

連れて行かれたのは、オートリクシャーが1台入れる細い路地の奥であった。
Elvis G.H(エルビスG.H) で看板に日本語で「ようこそ!!」とある。
部屋を見せて貰った。
広い角部屋であった、ホットシャワーについて聞くと24時間ホットシャワーが使えるとの事であった。
レストレンは屋上にある。
宿泊費はRs1,000との事、Rs800と値切ると何泊するのか? 3泊すると答えると3泊分一括払いしろと言う。
一括払いがひっかかったがOKした。駄目なら1泊分捨てればいい。
大きな宿帳に氏名、国籍、住所、パスポートNo.、ビザNo.、どこから&どこへを記入して、3泊分Rs2,400(4,200円)支払ってチェックイン完了した。
シャワーを浴びた後、屋上のレストランに行くと伝えた。
今日は雨が降っているのでホット・シャワーは使うなと言われた?????

部屋で荷物を解き、トイレに入りプラスチック製便座を上げると便座とふたが床に落ちた。
シャワーを見ると24時間ホット・シャワーは、まったくの嘘であった。
水シャワーも使う気にならないしろものであった。騙された!!!!
部屋をチェックした時、ドアを開けるとシャワーがドアに隠れて見えなかった。
直ぐに分かる様な嘘をつくとは思わなかった!!!!!!!

屋上レストランに行った、まだ、雨が降っていた。
ビールがあった、嬉しい! 騙された事は忘れよう。
勧められてチキンカレーにした。

西欧人青年が屋上に上がってきた、洗濯物を取り込みに来たのだが、雨で濡れていた。
マネージャーに文句を言っていた。文句を言われても!!という感じであった。
地図でこのG.Hの場所を教えてくれたがよく分からない。
情報ノートも見せてくれた、5年ほど前までは日本人宿泊者が多かった様だ。
今の責任者とは、違う人が写真に写っていた。
責任者が変わってから日本人が少なくなった様だ。最近の書き込みがない。
こんなあくどい商売をしていたのでは駄目だ。

ハーフチキンをカレーで煮込んだものだ。美味かった。
ビール大代Rs160(280円)だけの請求され払った。

天井ファンの回転数を調整できるが、それほど低速にならない。
ミャンマーのロンジン(巻きスカート)内に潜りシーツと毛布を被って寝た。
22時、就寝。


インド旅行 9月22日 ブッダ・ガヤ滞在

2011年11月12日 | インド旅行
7時、起床。
雨がしとしと降っている。
雨の中を朝食に出るのも嫌なので朝食は抜く事にした。
ポロシャツを洗濯して、部屋に張った細引きに干した。扇風機を回しっぱなしなので、停電しないかぎり早く乾くだろう。
インドは良く停電する。夜は、停電すると自家発電に切り替わるのか?すぐに点灯する、天井ファンは回転数が変わる、速くなる様だ。

今、福井晴敏の「Twelve Y.O.」を読んでいる。
この作家の「亡国のイージス艦」を読んだのがきっかけで旅行時にはもって来る様になった。
雨は中々止まなかった。

今日の予定は、日本寺で小説を読もうと思っている。
10時ごろに雨が上がり、日本寺に行った。
印度山日本寺の敷地は大変広い。
ゲートを入って左手に本堂が見えた。
観光客の居場所としては、本堂しかないのでそこへ行った。
 本堂
 

 縁側回り廊下
 

縁側に座り小説を読んだ。
日本寺に来るインド人や外国人?は本堂に上がり、その内の数グループが縁側回り廊下を歩いた。
私が縁側に座っているから縁側回り廊下に気付くのか??
縁側からの日本の庭を見るのは、やはり安らぎを感じる。
日本の青年が日本寺に入って来たが、こちらに来ずに別の建物に入って行った。
ここには図書館が有るとの事で、その建物がそうか?
更に日本の青年2人が本堂に来て、縁側に座り談笑をはじめた。
12時、食事に行こうと本堂を出ると、本堂の前を幼稚園児が歩いていて、本堂横の幼稚園に戻って行った。
 幼稚園児
  

昼からビールを飲みたくて、ビールを置いているレストランを捜す事にした。
日本寺前のホテルのレストランに行った。ビールがあるか聞いたが無かった。
考古学博物館への道を奥に行くとホテル・ロータス・ニッコーがあり、日本名でもあるのでビールを置いていそうなので行ったが駄目だった。
大菩提寺近くにホテル・レストランがあるので行ったが、やはりビールは置いていなかった。
ビールはあきらめ、焼きそばRs100を頼んだ。

ブッダ・ガヤは仏教聖地だけあって各国の寺がある。
大菩提寺への歩行者天国前にチベット寺院、スリランカ寺がある。
日本寺への途中に中国寺がある。
大通りから日本寺の通りに入るところにタイ僧院がある。
日本寺の横にはブータン寺がある。
他にミャンマー寺、ベトナム寺、バンブラデシュ寺があるそうだ。
国が有る分だけ寺の形がそれぞれ違い楽しい。

日本寺に戻り、寺男にトイレに案内してもらい。
図書館に行って見ると午前に見掛けた日本の青年がいた。
午前と同じ様に本堂の縁側に座り小説を読んだ。
読み疲れると庭を眺めた。
16時ごろまで小説を読んだ。

宿泊施設のロビーにバイク運ちゃんが寝ていた。起こさない様に部屋に戻った。
少しゆっくりした後、食事に行こうとロビーに行った。
客引きCが日本人青年と話をしていた。日本人は日本寺の図書館にいた青年であった。
バイクの運ちゃんにビールを飲みに行こうと誘った。
客引きCが運ちゃんとばかりビールを飲んで、俺にもビール1本買って来てくれと叫んでいた。無視!!

バイクでレストランに向っている途中、運ちゃんの携帯電話が鳴った、前を走っていたオートリクシャーが停まった。
バイクが停まりぎわにハンドルを握っている手がオートリクシャーに接触した。
その瞬間、バイクのブレーキが緩んで前進し、私の膝がオートリクシャーに接触して膝の御皿部がすりむけた。
運ちゃんに大丈夫と告げ、レストランに着いた。
テーブルに座り、運ちゃんが大丈夫かと聞いたので、すり傷が痛いと言った。
ホテルの社長が救急絆創膏を持ってきてくれ、貼ってくれた。
今日は社長がいたのか、いつもは運ちゃんが洗濯屋というマネージャーであったが!!!
ビール大と野菜スープで注文し、メイン・ディッシュを決め兼ねていると運ちゃんがチキン○×△を提案したのでそれにした。
料理が出来るまでビールを2人で飲んだ、ビールを追加した。
野菜スープが出て来て、しばらくすると大きなチキン入りの焼き飯が出て来た。
焼き飯と思っていたが炊き込みご飯であった。チキン・ビルヤーニーであった。
焼き飯や焼きそばは、メニューでは中華料理Chinese foodに分類されている。
野菜スープ、チキン・ビルヤーニーを2人で食べた。
昨日、運ちゃんはビールだけ飲んで帰ってしまい、私だけでは料理の大半を残してしまったが、今日は、丁度良いか。
レストランを出ると外は暗くなっていた。
バイクで宿泊所まで送ってもらった。

21時、就寝。

インド旅行 9月21日 ブッダ・ガヤ滞在 前正覚山へ

2011年11月10日 | インド旅行
                                       前正覚山

夜中、奥の部屋で、木の様なものでドアを叩く音がした。
大麻でもして錯乱状態で暴れているのか? うるさいな!と思いながら寝てしまった。
また、ドアを叩く音がして、近付いて来る。
私のドアも叩かれ、通り過ぎて行った。すべてのドアを叩いている様だ。
静かになった。

6時に起きた。
大菩提寺(マハーボディー寺院)に行く為、6時30分に部屋を出ると、廊下にシーツが出されていた。
私の部屋以外は、ドア前にシーツがあった。
他の部屋を覗いて見ると、広い部屋が多かった。

7時前に大菩提寺に着いた。

 大菩提寺
 
 人は少なかった。
 静かにゆっくりしたいと場所を探したが、良い場所は僧侶が瞑想や座禅をしていて、見付からなかった。

 菩提樹
 
 韓国人団体が30分ほど座って参拝していた。

 菩提樹内の金剛座
 
 ブッダが座して悟りを開いたところに金剛座が置かれている。

 チベット仏教徒の生活の場
 
 菩提樹脇で歩かない五体投地をするチベット仏教徒が生活している。

1時間ほど居て、大菩提寺を後にした。
途中、小さな食堂に入った、テーブルが屋外に並んでいた。
ブラック・コーヒー&トースト、目玉焼きを頼んだ。Rs55(100円)
衛生的に不安であったが、火を通しているので大丈夫だろう、テーブルに常設しているナイフ&フォークはペットボトルの水で洗った。目玉焼きは両面焼いてもらった。

列車予約センターに行った。
ガヤ駅からバラナシ駅までの列車のチケットを買うためだ。
昨日は見付からなかったが、大通りから見れば窓口が見えた。
入口は大通りには無く、通り側にあった。
窓口が1つしかなく、窓口前に5m×5mのコンクリート床があるだけの小さなチケット売場であった。
3人が窓口にへばり付いている。後から窓口に「予約フォーム」と叫ぶと少しいて予約フォームが回ってきた。
予約フォームは、1度コルカタで記入した経験があるので、戸惑う事無く書けた。
3人の後ろに並んだ。2人が横入りして10枚ほどのチケットを受取った。2人は旅行業者の様だ。
前にいるにいちゃんが予約フォームを持った手を窓口に突っ込めと言ってくれた。
間もなく、私の予約フォームを受取ってくれた。
3人が前を空けてくれ、格子戸のある窓口から覗いた。
私の希望列車は、6日後の27日まで満席だと言われた。
第2希望の列車No.を言うと、コンピューター端末で調べ、ウェーティングリスト2番と言われてしまた。
困っていると23日の列車No.12801でバナラシの1つ手前のムガル・サライ駅なら空席があるとの事でOKした。
予約フォームを確定内容に修正をしなければならず、ムガル・サライのスペルが分からない、みんながスペルを合唱、言ってくれて記入した。
23日ガヤ駅14時5分発、ムガル・サライ駅17時10分着チケットをgetした。Rs333(590円)であった。

考古学博物館に行った。
門を入ってもチケット売り場がない、売場を通り過ぎして様だ、手前にチケット売り場があった。入場料Rs20(40円)。
小さな博物館で30分も掛からず見終わってしまう。
大菩提寺にあった紀元前1世紀ごろの欄楯(らんじゅん)が目を引いた。
1部屋を占拠する様に紀元前1世紀の欄楯で囲い、所々に小さな鳥居の様なものが立っていた。
欄楯とは、装飾をほどこした囲い(垣)とある。
 欄楯 (大菩提寺の菩提樹前)
 

考古学博物館の庭で小説を読んだ。
私の宿泊している部屋は、寝るだけなら良いが・・・・!
庭のベンチに座ると小雨が降って来た。大きな樹の下に移って小説を読んだ。小雨はすぐに止んだ。
インドに来て1週間になるが天気が悪い、晴天は1度もない、雨、曇り、曇り時々晴れである。9月末まで雨季である。

1時間ほど本を読み、宿泊施設に戻った。
ロビーに客引きCが日本人2人とソファーに座っていた。
関わりたくなかったので手を振って通り過ぎた。
客引きAが前正覚山への出発時間14時を確認してきた。

13時過ぎ、ロビーに行くとバイクの運ちゃんが寝ていた。
運ちゃんを起こすと、食事はしたのかと聞かれ、まだだがいらない。
コーラーでも飲んで出発しようかと言うと、OKとの事。
ブッダ・ガヤの外周を回り込む様に走り、ナイランジャラー川に出た。
川向こうに2つこぶの山が見える、それが前正覚山だろう。
川沿いにガヤ方面に向う。
バイクは、ゆっくり走り安全運転であるが、時々携帯電話を運転しながら使うので不安全、私が前方を見る羽目になる。
ナイランジャラー川に掛かる橋を渡った。
この辺りでは、2つこぶの山に見えた前正覚山が、人が寝ている様に長く見えた。高くは無いが独立峰だ。
橋の前後辺りは、車が多くなっていた、ガヤに近いのだろう。
水田の中の舗装道路を走っていたバイクが、あぜ道、いや農道に入って行った。バスも走るそうだ。

前正覚山の麓に着いた。バイクであれば途中まで上がれると言うのが運ちゃんのバイクの売り込みであった。
 前正覚山
 
 ブッダが悟りを開く前、6年にも及ぶ苦行を行なったのが、この前正覚山である。

バイクを降りて登った、急な坂道であったが白い建物を目指してゆっくとを歩いた。
 

断食の苦行をしていた小さな洞窟があった。
下右写真の人が集まっているところに人1人が入れる小さな入り口がある。
  
 骨と皮ばかりの痩せた姿になるが悟りを得る事が出来なかった。

 前正覚山からの眺め
 

バイクで来た道を戻った。
ナイランジャラー川越しに前正覚山の白い建物が見えた。近いのだ。
ブッダ・ガヤの外れにある橋を渡り、セーナー村に行った。
悟りを開く前のブッダは厳しい苦行だけでは悟りを得ることが出来ないと前正覚山を下山して、ここセーナー村へ来る。村の娘スジャーターから乳粥供養を受け、やせ衰えていたブッダは心身ともに回復した。そしてブッダ・ガヤの菩提樹に向かい、やがて悟りを得たそうだ。
村近くのバンヤン・ツリーの下にスジャーター寺があった。
 スジャーター寺
 
 スジャーターから乳粥供養を受けるブッダの像がある。

スジャーター寺を後にして、ナイランジャラー川に掛かる橋を渡ってブッダ・ガヤに戻るものと思っていたら、渡らずに更に北へ向った。
畑の中にカジュマルの巨木があった。
子供2人が子牛を散歩されていた。
 ガジュマルの巨木
 

ブッダ・ガヤに戻り、昨日行ったホテル・ルンビニのレストランに向った。
まだ、16時30分であったが昼食を抜いていたので早い夕食にした。
ビール大、焼きそば、ミックスカレーを頼んだ。
料理が出てくるまでバイクの運ちゃんとビールを飲んだ。
運ちゃんは、明日、ラージギルに行かないかと誘ってきた。
車で片道2時間、Rs2,000(3,500円)との事。

インド旅行の当初計画は、「四大仏跡」、「仏教の聖地を巡る」に行く積りであった。ラージギルも「仏教の聖地を巡る」に入っており、訪問する予定でいた。
しかし、ブッダの生誕地ルンビニがネパールにあり、旅程がインド→ネパール→インドとなる。
この場合、インド入国に数次観光ビザが必要であるが取れなかった。
ネパールに行けない為、インド旅行のテーマを世界遺産に変えた。

明日の予定は何も無いが、ラージギルに行く気にならず断わった。
ビールを追加して2人で飲んだ。
焼きそば、ミックスカレーが出てきた頃には運ちゃんはいなくなっていた。
食事が終わり、Rs460(810円)支払って出口を出るとインド人家族が待っていた。
レストランは、私だけで他のテーブルはガラガラであったが、何故???

外はまだ明るい、歩いて帰った。
18時ごろに着き、ロビーで客引きCが待っていた、前正覚山への料金の残金Rs600を支払った。
深夜、ドアを木の様なもので叩く音がした、私のドアも叩かれた、何の音だと彼に聞くと、ドアを叩いて、それこそ叩き起こしているのだろうとの事であった???
23日14時発のバナラシ行き列車のチケットが取れたので3泊すると伝えた。
宿泊時、列車のチケットしだいでは2泊になるかも知れないと言っていたので連絡した。
3泊分の宿泊費は支払っているので問題ない。

21時に寝た。

インド旅行 9月20日 ブッダ・ガヤー到着 大菩提寺へ

2011年11月07日 | インド旅行
                                 マハーボディー寺院(大菩提寺)

2時30分ごろ、目を覚ました。乗客の乗降があったのだろう。
4時30分ごろ、目が覚めた。通路際に寝ているので目が覚め易い。毛布をすっぽり被りネックウォーマーをしているので寒くは無い。

乗客がごそごそしだしたので起きた。6時過ぎになっていた。
上半身を起こし、ベッドで寝ていた。
外が明るくなってきたのでベッドを座席に戻した。

8時ごろ、ブレックファーストと言って注文を取りに来た。
オムレツを頼んだ。

ガヤー駅には、14時着予定であり、7時間は車窓の景色が楽しめる。
コルカタからプリー、プリーからも夜行であった為、インドの車窓の風景は、今日初めて見る。
車窓には、丘陵地が続く、その丘陵の低地に狭い水田がある。1枚の田は、日本の田んぼより狭い。
丘陵地が延々と続く。

1時間ほど経つとアルミ容器に入ったブレックファーストが届いた。
アルミ容器の底にオムレツがあり、その上にトーストが3枚入っていた。
美味しく、量も適量であった。列車内で作っているのか? 停車駅で持ち込むのか?

10時ごろ朝食代を取りに来た、Rs50(90円)を払った。

12時ごろ、ランチの注文を取りに来た、断わった。
ガヤに着いてから食事を取ろうと思ったからだ。
ガヤの1つ手前の駅で30分遅れであったが、ガヤーに着いた時には3分遅れにばん回していた。
インド鉄道も捨てたものではない、もっと遅れるのだと思っていた。

ガヤ駅は、人で混雑していた。
駅舎を出ても客引きが来ない!!
オートリクシャーが停まる駐車場に行くと客引きがいた。
ボードやボード・ガヤと言っている。ブッダ・ガヤの事らしい。
ブッダ・ガヤーまでいくらか?と聞くとRs500(880円)との事。
Rs150と言うと、1人だとRs500と言われ相手にされなかった。大都市のコルカタよりも高い!!!
仕方なく、少し歩いて、当ても無く立ち止っていると、オートリクシャーが停まり、どこまで行く?と聞かれた。
ブッダ・ガヤと言うとRs200と言われ、Rs150と交渉していると別のオートリクシャーが来たので運ちゃんは、Rs150(270円)でOKした。
ガヤ市街で客を拾い出した、乗り合いオートリクシャーであった。
客は乗っては降りで短距離を乗る、Rs5(10円)を払っていた。
10分もするとガヤー市街を抜け、客は私だけになった。
 ガヤ駅
 

30分でブッダ・ガヤに着いた。
着いたところがブッダ・ガヤのどこなのか分からず、立っていると客引きAが近付いてきた。
客引きAにマハーボディー寺院(大菩提寺)はどこですか?と聞いたところ、目の前であった。
次に、中国寺はどこですかと聞き、私の位置が把握できた。
客引きAは日本語を話せ、友達のゲストハウスを紹介するからバイクに乗れと言われたが断わった。
大菩提寺(マハーボディー寺院)の西側エリアのホテルに向かった。客引きAは、しつこく付いて来るが完全無視した。
日本人を乗せたバイクの客引きBが、日本人が泊まっているからと声を掛けてきた。日本人はインドの白い服を着て乗っていた、客引きの片棒を担いでいる様だ。
自分で探すからと断わった。
更に日本語のうまい若い客引きCが来たが無視した。最初からしつこく付いてきた客引きAはいつの間にか、いなくなっていた。
第一候補のゲストハウスに着いた、フロントに入ると床が砂埃で汚れていた、掃除をしていない様だ。
これは駄目だ、何も言わずに出て行くのも何なので、部屋が空いているか聞き、ファンRs500、エアコン付きRs1,500との事、部屋も見ずに出た。
先ほどの日本語のうまい若い客引きCが付いてきていて、ファンRs350の部屋を見るだけでいいから見てくれと言われたが断わった。

第二候補のホテルに向かった。
500mほど行った日本寺近くに第二候補のホテルがあったが、満室であった。
同じ並びのそこそこのホテル3軒を当たったがすべて満室であった!!!!!
しかたなく、同じ並びのゲストハウスをあったって見たがガラガラ状態の様だ。
ファンRs500の部屋を見たが、ベッドのシーツが汚れていた。
今日はどのホテルも満室なのにここだけがガラガラな方が不思議だ。
断わるとホテルスタッフが「デスカウントを望むか?」と言ってきた、こんなの初めてだ。
ノーサンキューと言ってゲストハウスを出た。

泊まるところを探すのに疲れ、先ほどの日本語のうまい若い客引きCが言って所に行った。
慈善施設前の屋台小屋が彼らのたまり場だ。
彼は歓迎してくれた、鴨がねぎ背負って来たと思ったのだろう。
そこは、僧院の様でそうでない、慈善団体の施設であった。
ゲートを入ると左に2階建て施設があり、右側に体育館の様な施設があり、多くの人がいた。
外の通路では、ジャガイモむきをしながらガスコンロで煮炊きをしていた。
一番奥に3階建ての宿泊施設があった。
部屋に案内された、Rs350と言っていたのをRs500と言われた。
狭い部屋であったが清潔にしていた、しかし、ベッド、テーブル&椅子、水シャワー&トイレがあるだけで、毛布もバスタオルも石鹸もない。
少し色を付けてRs400(700円)でOKした。但し、3泊分前払いであった。
この施設のスタッフでもない日本語のうまい若い客引きCと交渉するのも、おかしな事だ。
彼は大阪に住んでいて一時帰国していると言っていた。
 慈善団体の宿泊施設
 
 この様な部屋に宿泊しても大丈夫な様に準備はしているが、そのすべてを使ったのは、はじめてだ。
 これぞバックパッカーである?

16時30分ごろになっていた。
昼食を取っていなかったので夕食を兼ねて出掛け、その後、大菩提寺に行こうと考えた。
施設から出ると彼らの溜まり場の屋台小屋にいた若い客引きCにチャーイを飲まないかと誘われた。
1杯飲んだが不味いので2杯目は断わった。
腹が減っていると言うと、バイクの運ちゃんがビールを飲みに行こうと言ってくれた。
レストランで降ろしてくれる様頼んだ。その後、大菩提寺に行くが日が暮れるのは何時だと尋ねると18時30分までには帰って来いといわれた。

バイクで連れて行かれたのは、日本寺の通りの西隣にある通りで、ホテル・ルンビニ・インターナショナルのレストランであった。
ビール大Rs120とミックス・カレーRs50&ローティーRs15を頼んだ。締めてRs180+Tax12.5%でRs210(370円)。
カレーとローティーが安くて美味しい。カレーは外国人にあわせているのか辛くもなく、日本のカレーの様である。

レストランを出て、大菩提寺に向った。
レストランのある通りから大通りに出る所に、列車予約センターがある事になっているので捜したが見付からなかった。列車予約センターの横にある事になっているBankはあった。
大通りを大菩提寺に向って歩いていると、歳を取ったオレンジ色の上下を着た人々が途切れる事なく大菩提寺に向っていた。
 

マハーボディー寺院(大菩提寺)の北側は車両進入禁止になっていて歩行者天国である。
歩行者天国を東に行くと大菩提寺の入り口があった。
ガイド?に案内され入場料Rs20(40円)をRs100札で払うとチケットの裏に何か書かれ、つり銭が戻らなかった。入場料にしては安いと思っていたらカメラ持ち込み料だった。
次に靴を預け、裸足での参拝であった。
ガイド?は断わったが付いて来る。
正面から大菩提寺(マハーボディー寺院)を見た。迫力を感じ圧倒されそうになった。
 高さ52mの大菩提寺(マハーボディー寺院)
 

ブッダが悟りを開いた菩提樹がどこにあるのか?と捜している時、先ほどのガイド?が私を連れ戻しに来た。
ここはヒンドゥー教のエリアだと言われた。オレンジ色の服を着ている人が大勢いた。
ガイド?いわく、大菩提寺(マハーボディー寺院)は、半分は仏教、半分は、ヒンドゥー教だとの事。
ガイドブックには、その様な事は書かれていない。100%仏教徒の寺院だと思っていた。
今月の9月はヒンドゥー教徒が大勢参拝に来る時期だと言っていた。
それでホテルが満杯なのか!!!!

大菩提寺の裏側に菩提樹はあった。
菩提樹の下に金剛座が置かれている。
 菩提樹
 

オレンジ色の服を着たヒンドゥー教の人々で混雑していた。
日が暮れて来たので帰る事にした。
明日朝来よう。
歩行者天国を歩いているとガイド?が寄ってきた、彼はガイドでなく、土産物屋で店を覗いてくれと言われたが断わった。お世話になりました。

部屋に戻り、水シャワーを浴びた。最初は冷たいが浴びるのに耐えられる温度になるまで待ち、浴びた。少し水シャワーに慣れてきた。
ポロシャツを洗濯した。インドは半端じゃなく蒸し暑い。
汗を吸ったポロシャツは乾くと塩を吹き、白い線が入る。だからまめに洗濯する必要がある。

ドアをノックされた、ドアの覗き窓から見ると、若い客引きCであった。
1階のロビーで待てと告げ、着替えて部屋を出た。
夕涼みしながら、客引きCが話した、ブッダ・ガヤから次にどこへ行くのか?と聞かれ、バナラシに行くと言うと友達の車がバラナシへ3時間で行く、Rs3,000(5,300円)だと言われたが、列車で行くと断わった。
列車予約オフィスを捜したが見付からなかった、Bankはあったが?と話すとBankの横にあると言われた。明日、もう1度探そう。
次に明日、前正覚寺に行かないかと誘ってきた。ここには行く積もりでいた。
バイクでRs1,000だと言う、ブッダ・ガヤは外国人価格が高か過ぎる? ガヤ駅からブッダ・ガヤーまで16kmをオートリクシャーでRs500と交渉しても下げなかった。
私はRs500だと言った、プリーで片道34kmのところが往復Rs400だったと言った。
バイクの運ちゃんがRs800と言ったので、明日もレストランに乗せてもらいたいのでRs800(1,400円)でOKした。
明日、14時で約束し前金Rs200を要求されたので支払った。

ベッドは、シーツを敷いているだけなので、ミャンマーのロンジー(巻きスカート)に入り、ネックウォーマーをした。
扇風機は回したままであるが気持ちよく、21時に寝た。


インド旅行 9月19日 夜行列車でブッダ・ガヤーへ

2011年11月04日 | インド旅行
6時起床。
今夜、21時50分発の夜行列車でガヤーに向かう。
今日は、日本を出て7日目になるので休息の日としよう。
8時、朝食に行く。
トースト、コーヒー、オムレス、バナナの朝食セットにした。
インドの飲み物といえば、チャーイ(ミルク、砂糖入り紅茶)であるが、紅茶があまり好きではない。
インドに来て5日目になるが、まだチャーイを飲んでいない。今日も朝食でコーヒーにした。

フロントで今夜20時ごろまで部屋を使いたいが、1泊分のRs500をディスカウントしてくれと頼んだが駄目だと言われた。
しかたがないか? 1泊分取られるのが普通だ。

今「世界の宗教」と言うのを読んでいる。
世界三大宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教である。インドのヒンドゥー教が入っていない、なぜ?
ヒンドゥー教は、民族宗教である。それぞれの民族のなかでのみ信仰されている宗教とある。日本の神道、イスラエルのユダヤ教、中国の道教などとなっている。
キリスト教やイスラム教は、一神教で、仏教やヒンドゥー教は多神教であるとか・・・・・
読んでいて、いつの間にか寝てしまった。

11時ごろ、ビーチに行こうとフロントまで行くと、オーナーがいたので日本語でホテル近くのビーチへの道を尋ねた。
ホテル近くのビーチは、うんこ(糞)がしてあるので駄目で、5分ほど行ったところのビーチを教えてくれた。
ビーチに向った。
 ホテル前通り
 

 ビーチからの町並み
 

 ビーチ
 
 今回のインド旅行で、ビーチが見れるのは、ここプリーのビーチが唯一だろう。

13時ごろ、ビール大と焼きそばを取った。
昼からビールが飲みたくて摘みに焼きそばを取っている様なものだ。

本を読んだり、昼寝をしたり、TVでラグビーのワールドカップを見たりして、だらだらした。

18時に夕食に行った。
野菜カレーとローティー2枚(インド式パン、ナーンやチャパティーなど)、ビール大を頼んだ。
若い日本人男性が入って来た、インドには、どれほど滞在しているのですか?と声を掛けた。
9月初旬にニューデリーから入り、北インド→ポカラ(ネパール)→コルカタ→ダッカ(バングラデシュ)→コルカタ、そしてプリーに来た。今晩、コルカタ→ニューデリー→日本と帰路につくと言っていた。
ネパールに行ってインドに戻る為の数次ビザがよく取れたね!!と言うと東京インドビザ申請センターで陸路でネパールに行くと言ったら簡単に取れたと行っていた。
私も陸路ネパールに行きたく、数次ビザを大阪インドビザ申請センターで申請したがEチケットを持って来いと言われ取れなかったと話した。
彼は大学1年生で、サッカーボールとサッカーシューズを持って旅行している、行く先々でボランティアでサッカーを教えていると言っていた。
ニューデリーの旅行社でUS$300ほどを騙され、アーグラでバラナシに行くと言うとバラナシでは、みんな白い服を着ているから白い服を買って行かねばならないと騙され白い服を買わされたと言っていた。
あなたも騙されますよと忠告された。
私は、アーグラとバラナシにも行く予定だ話すと、アーグラは1泊でもいいがバラナシは3泊ほどするのがいいとアドバイスしてくれた。
ゲストハウスで知り合った人達の多くが、お腹を壊していた。日本の薬は効かず、現地で買った薬がよく効いたとも言っていた。
彼は部屋のキーを落としてしまい、弁償しろと言われていると話していた。
鍵札付きキーを落とすか???と思っていると、外出中にパソコンの充電をしたかったのでキーから鍵札を取り外し、鍵札を掛けたままで外出した。
彼は、いろんな事をして、いろんな失敗をしているのだろう。
スポーツマンらしくさわやかで好感が持てる青年であった。昨日の夕食時に会った36歳の胡散臭い男とえらい違いである。

レストランから出て来るとその36歳の男がキャリーバックを持って出て行った。
オーナーに聞くと彼は金が無い様だ、ネパールに行くと出て行ったとの事。
彼は朝からビールを飲んでいたが???

20時30分、荷物をパッキングし忘れ物がないか確認してフロントへ行った。
キーを返すと、Rs1,560(2,730円)を請求された。宿泊費Rs1,000とレストランでの5食分Rs560(980円)である。
支払いを済ませ、チェックアウトが終わった。
ホテル内に停まっていたオートリクシャーに駅までいくらか?聞くとRs60との事。
来る時、Rs20で来たのに、何でRs60もするねん!!
どうせホテルに手数料を取られるのだろう、Rs40(70円)でOKした。

10分ほどで駅に着いた。Rs40を払うと握手を求められた。
どういう意味だ? Good luck!   Have a nice trip!か??
列車の発車まで1時間ある。
バナナを売っていないか駅前を捜したが無かった。1LのドリンキングウォーターRs12(20円)を買った。
電光掲示板には、私が乗る列車の掲示がまだ無い。
15分ほど待つと電光掲示板に表示され、プラットホームに行くと列車が停まっていた。
今回もA/C3段寝台でB1車両を見付け、乗り込むとまだエアコンが効いていなかった。
ホームのベンチで待った。乗客が増えてきて乗り込み出したので私も乗った。
エアコンがガンガンに効いていた。
座席は、サイドと言われる線路に平行な2段ベットの下段であった。
ポロシャツが汗で濡れて寒いので着替え、長袖Tシャツとトレーナーを重ね着した。

列車12801は、定刻の21時50分にプリー駅を出発した。
シーツも毛布を置かれていないと思っていると、職員が運んでいた。
職員は忙しく通路を行ったり来たりしていた。
私は通路横に座っていて、見るとも無く見ていたのだろう。
職員が何か言っている。英語ではない。
私は知らん、理解できないと言った。
彼に絡まれているのか?? 友好的ではない事は理解できた。

座席は空いていた。
1時間ほどすると次駅に停車し、乗客が乗って来た。
私の前の席にも若い男が来て、キャリーバックを座席の下に鎖で繋いだ。
彼に中国人かと聞かれ、日本人と答えた。
職員が通り掛り、彼に何か言った。
通り過ぎた職員に彼は「Japanese!」と叫んでいた。
先ほど、職員に絡まれたのは中国人と間違われたからか?
インドでは、中国の評判が悪い様だ。
23時30分ごろに次駅に着き、大勢の乗客が乗り込み、ほぼ満席になった。

私が眠そうにしていたので、前の若い男性が「眠るのなら、いつでも上段ベッドに行くよ」と言って、「眠たいか?」と聞かれ、「眠たい」と答えると、彼はベッドメイキングして上段へ上がった。
私もベッドメイキングして、ネックウォーマーをして毛布にもぐり込んだ。

インド旅行 9月18日 プリー滞在 コナーラクのスーリヤ寺院へ

2011年11月01日 | インド旅行
                          スーリヤ寺院(太陽神寺院)

4時30分ごろ、乗客が降りる音で目が覚めた。
さらに眠り、6時30分に起きた。
列車の揺れも気にならず、寒くも無く、よく眠れた。
今回のインド旅行で、夜行列車に何回か乗らなければならず、過酷な旅を覚悟していたが、これならば心配ない様だ。
8時38分、8分遅れでプリー駅に着いた。たった8分の遅れである、大変優秀だ!
ホームに降りると早速客引きが寄って来た。オートリクシャーの運ちゃんだ。完全無視で通そう。
プリー駅も行き止り駅で、列車の後部車両に乗っていたので、長い長いホームを歩いた。
駅舎から出ると他のオートリクシャーの客引きが寄って来た、これも完全無視をした。
オートリクシャーや人力リクシャーがたむろしているところを歩いて通り過ぎた。
10分も歩くと人力リクシャーがRs10(20円)でいいから乗ってくれと言って来たが断わる。
しつこい人力リクシャーがいて、私は歩くのを止めて、先に行かせた。
それを見ていた母娘がくすっと笑った。
その母娘がオートリクシャーと交渉をしていた、乗って行く様だ。
私も15分ほど歩いているので疲れてきた、オートリクシャーが停まり「どこへ行くのか?」と聞いてきた、ホテル名を言うとRs50(90円)との事。
話にならないので歩き出した、希望運賃を聞かれRs20(50円)と答えるとRs30と言ってきた。私は更に歩き出した。
この様な場面は何回も経験しているが、100%私の勝ちである。運ちゃんはRs20でOKするだろう。
オートリクシャーに乗って行ったと思っていた母娘の娘がRs20が正解と後から言っている。運ちゃんはRs20でOKした。
やはり、いくらインドでも、この場面では、私の勝ちである。ただし、勝ちと言っても、ぼられなかっただけだ!!!
母娘が途中まで乗せてくれと乗り込んで来た。彼女達が一番の勝ちであった!!!!

第1候補のホテル・サンタナに行った。理由はバーがあるとの事でビールが飲めるからであった。
ファン、水シャワー、TVでRs500(880円)との事で、部屋を見せてもらいOKした。
 ホテル・サンタナ
 
フロントで宿泊手続きをする。コピーするとの事でパスポートを預けた。支払いは後払いとの事。
荷物を解き、短パンに着替え、朝食を取りに行った。
蚊がいると言うと扇風機を回してくれた。
インドでは、蚊対策は蚊取り線香では無く、天井ファンや扇風機である。
玉子サンドイッチRs25とコーヒーRs15にした。締めてRs40(70円)

ポロシャツ、下着を洗濯して、部屋に細紐を張って洗濯物を干した。
天井ファンを回しておけば、早く乾くだろう。しかし、部屋を出る時、キーを引き抜くと電源が落ちた。
9時30分ごろ、コナーラクのスーリヤ寺院に行くため部屋を出た。

フロントでバススタンドまでのオートリクシャーの運賃を尋ねると、Rs70との事。
ホテル前に停まっているオートリクシャーを避けて、少し離れたオートリクシャーに声を掛けた。
運賃交渉、運ちゃんRs60、私Rs30、運ちゃんファイナルRs50と言われ、Rs50(90円)でOKして乗り込んだ。
途中、運ちゃんにコナーラクに行くのか?と聞かれ、そうだと言うと往復Rs500(900円)で行かないかと持ちかけられたが断わった。
バススタンド内を通りコナーラク行きバスの前で停まった。運ちゃんがこのバスだと教えてくれた。
バスに乗ると車掌に運転席の横の長椅子に座る様に言われた。
立っている人も多い、バスは中々出発しない。客がどんどん乗ってくる。
バスはぎゅうぎゅう詰めで出発した。それでもプリー市街で客を拾いながらゆっくりと走った。
ぎゅうぎゅう詰めの中を車掌が料金を徴収にきた。多分Rs30(60円)?
海岸沿いにバスは走り、海岸から直角に曲がった先でバスは停まった。
テンプル(寺院)はここで降りろと言っているので私も降りた。
降りたところは、殺風景な交差点でテンプルはどちらに行けばいいのか?
プリーのバススタンドから1時間少しであった。

テンプルへの道を聞いて行くと、水溜りのある道の両側に土産物屋が並んでいた。
道は突き当たって広い道に出た。
そこに、客引きが近付いて来た。私がテンプル?と言うと樹木の上にテンプルが見えた。
客引きは、ガイドであった。ガイドをさせてくれないかと言われたが断わった。
チケット売場まで何人ものガイドに声を掛けられたが無視した。
チケットはRs250(440円)であった。
スーリヤ寺院(太陽神寺院)の前殿が正面に見える。
これが世界遺産のヒンドゥー寺院、コナーラクのスーリヤ寺院(太陽神寺院)だ。
 前殿
 
 建物としては、ほぼ完全な形で残っているのはこれだけで大した事はない。
 しかし、壁面の浮き彫り彫刻には、圧倒される。

 車輪
 
 以前、この車輪をテレビ番組で知り、今回ここに来るきっかけになった。
 本殿(基礎部のみ残る)、前殿の基礎部の南北に各12個の車輪が浮き彫りされている。

 ミトゥナ像
  
 ミトゥナ像とは、抱擁しあっている姿、前戯として抱擁している姿、性交をしている情景などを浮き彫りした彫刻である。
 カジュラーホーのミトゥナ像が有名である。 
 今回のインド旅行でカジュラーホーにも行く予定である。

13時ごろに見終わった。1時間半ほど見学していた事になる。
バス停に戻る途中にレストランがあり、前で客引きをしていたのでビールがあるか?と聞くとあるとの事で入った。まさかビールがあるとは驚いた。
メニューを見ても分からずに勧めらるままに頼んだ。
ビールは店には置いていなくて買いに行ってくれたのだ。
新聞紙で包んで持って来て、金属製のカップに注いでくれた。
新聞紙で包んだビール瓶を渡され、床に置けと言われた。
勧められたのは、カレー定食でカレーが3種類とライスである。カレーはうまいが、ライスは細長く、不味い。
ビール大Rs110(200円)、カレー定食Rs50(90円)であった。

プリーからのバスを降りたところに戻るとプリー行きバスが停まっていた。
しかし、バスはぎゅうぎゅう詰めであった、1時間もこんなバスには耐えられない。
近くに停まっているオートリクシャーが声を掛けてきたが無視した。
トイレを捜しているとペンキで壁に「 Toilet」と、今、書いているのを発見した。
行ってみた、有料トイレであった。
オートリクシャーが走ってきたので、プリーまでいくらか?聞くと、Rs250との事、Rs200(350円)に値切って乗った。
コナーラクから海岸に突き当ったところのビーチに寄って貰った。
 
オートリクシャーは海岸沿いに走った、風が心地よい、いつの間にか寝てしまった。

15時ごろホテルに着いた。
ロビーに日本語の話せるオーナーがいて、屋上からサンセットが見える、バーがあるとか言っていたが相手にせず。
水シャワーを浴びた、最初は冷たくて浴びるのは無理であるが、徐々に耐えられる温水になり、髪や身体を洗っている間は耐えられた。
1時間ほど寝てしまった。
夕方、カメラを持って屋上に上がって行った、3階は、柱だけで工事が中断されていた。
残念ながら雲に隠れてサンセットが見え無かった。

19時過ぎ、夕食に行った。
ビール大、焼き飯、野菜カレーを頼んだ。
ビールを飲んでいると、日本人男性が入って来た。
インドには、どれほど滞在予定ですか?と声を掛けた。
ゴアとここプリーに計3ヶ月滞在していると言っていた。
いったい何をしているのですか?と聞いてしまった。
英会話と返ってきたので、英会話学校があるんですか?と、更に聞いてしまった・・・
彼は36歳で、サラリーマンをしていた事があるが、最近は、金が無くなれば日本に帰って働いて金が溜まったらインドに来ていると言っていた。
このホテルの姉妹店に日本人7人が滞在してそうだ。日本食が食べられる。刺身も出るそうだ。
だが、大麻が目的か?????
彼は、この姉妹店でトラブルを起こすのでほり出された様だ。
このホテルで1ヶ月滞在したら、宿泊費がどれほどなのか?聞いてみた、なかなか出て来ないので6割程度かと言って見ると、良いとこですね!Rs700の部屋でRs400と言っていた。
私の部屋が、Rs500だからRs300程度だと思っていたが!!! これは彼には言わなかった。
彼は、カレーとナーンを食べていた、目からうろこである、インドでの食事はカレーとナーンでいいんだ。

前回のミャンマー旅行で買ったロンジー(巻きスカート)を出した。これは、薄い布で筒状になっていて中に身体を入ると肩から膝ぐらいまで覆われる。
寝る時にロンジーに入っていると寝返りをうっても、身体はロンジーから出る事はない。寝袋の様な物になる。
21時30分、ロンジーに入り、ネックウォーマーをして寝た。