いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

帰国 36・37日目

2005年08月09日 | メキシコ・ベリーズ旅行
今日、13:40発のTG775でロサンゼルスから日本に帰国する。
外は、まだ薄暗い6時半に目覚めた。メキシコ時間では8時半(時差:2時間)であり決して早くない。
ホテル前の通りを挟んで公園がある。広い芝生と野球場が見える。青々とした芝生に釣られてその公園に散歩に出た。係員がスプリンクラーで芝生に散水している。
公園の奥に行くとテニスコートがあり、シニアの人達が8名ほどでテニスをしていた。テニススクールも始まっている。まだ、8時過ぎである。
テニス友達が出来れば、年間を通して気候も良いロサンゼルスも海外暮らしの候補地として良いと思った。
散歩の帰りレストランに寄り朝食を取った。コーヒーとトーストであり、US$3.5でリーズナブルであった。
10時半頃のシャトルバスで空港に向かい、チェックインし搭乗券をもらったのが、搭乗時間の2時間前であった。前回、この時期手荷物検査に長蛇の列であったので余裕をもって空港に来た。BARでテニスのテレビ観戦しながらビールを飲んで時間潰しをした。手荷物検査に列が出来かけているので1時間前にゲートに向った。
14:20ジェット機が離陸し、日付変更線で日付が8月10日に変わり、17:10に関空に着いた。10時間50分のフライトは、大変長い、苦痛である。
37日間の長い長い旅は終わった。


ロサンゼルスへ35日目

2005年08月08日 | メキシコ・ベリーズ旅行
7時半にホテルをチェックアウトしタクシーでカンクン国際空港に向った。20分で着き、N$180(¥2000)であった。
メキシカーナ航空のカウンターでチェックインし、カンクン→メキシコ・シティとメキシコ・シティ→ロサンゼルスとの2枚のボーディングパスを受取った。
メキシコ・シティ→ロサンゼルスのボーディングパスのゲートNO.は、***で不明である。メキシコ・シティで確認しなければならない。
荷物検査を通り、カフェでコーヒーを飲んだ。新しい空港で綺麗である。出国のパスポートコントロールがない、アメリカと同じでツーリストカードは航空会社がパスポートから抜き取る。
10時45分発の飛行機で離陸した、窓側座席で綺麗なカリブ海が見えるだろうと思っていたが、海には出ずに直接ユカタン半島内陸に向った。
ユカタン半島を横断して、メキシコ湾に出た時の海岸線の景色を、運良く見る事が出来た。窓から下を見ると茶色風景が飛び込んで来た、一瞬何か分からなかった、周りに視線を向けると海岸線、茶色い帯状の湿地、そして緑の陸地が見えた。茶色は、鉄分か、石油の油分か、分からない?
メキシコ・シティ近くの中央高原上空から大きな円形・四角の耕作地が見えた。農作物が何か分からない、石ころと潅木の高原と思っていたが肥沃な地域もあるのか?
定刻通り13時前にメキシコ・シティに着いた。ロサンゼルス便のゲートNO.をモニターで調べるとNO.19で、そのゲートに向うとガードマン2人がパスポートとボーディングパスをチェックしていた。国内線と国際線の境界か?
ビールをN$32(¥350)で買い、残りのメキシコペソは、N$20となり記念に持ち帰る事にした。滑走路が見えるテーブルでビールを飲み、時間潰しをした。
滑走路に駐機されているジェット機は座席数200以下と思われる中型ばかりである。航続距離も3~4時間あればアメリカや中米はカバー出き、座席も埋めるのに苦労せず効率が良さそうである。それに引き替え関空に停まっているジェット機は、ジャンボ機の様な大型機が多い、極東の日本に来るにも出るにも航続距離の長いジェット機が必要で、座席を埋めるのに航空各社は苦労しているだろう。
搭乗時間になってもゲートに係員が来ないので、インフォメーションで確認するとゲートがNO.30に変更されていた。放送があったのだろうが、理解できない為、変更に気が付かなかった。急いでゲートNO.30に向った、遠く離れており焦ったがまだ搭乗は始まっていなかった。新築されたゲートが並んでいる一画で便名も行先も掲示していないので確認が必要であった。大勢の乗客が待っていた。
15時過ぎにロサンゼルスに向かい、定刻の16時50分(メキシコ時間18時50分)に着いた。
イミグレーションで並んでいる時、入国手続き時の指紋、顔写真撮影手順の説明文が掲示されているのを見付けた。中国語、韓国語とその他の文字で書かれていたが日本語が無い、なぜか? アメリカに抗議しなければならない。
入国手続きで入国目的を聞かれトランジットと答えた。不便な空港への嫌みの積もりであった。ロサンゼルス空港は、前近代的で不便である。必ずアメリカに1度入国し無ければならないので、当日乗換えが不可能である場合が多い、夜行便に乗るのであれば別であるが。
係官は「トランジット?」「どこへ」と、日本へと答えると、係官は大きな声で「日本?」、「ツーリストカードにホテル名が書いてある。」「いつ?」と、明日と答えた。この盆休みが近付いた時期に日本からの観光客が多いので、係官も予想外の回答が帰って来たので戸惑ったのだろう。
無事、入国を済ませ、Furama Hotel Los Angelesフラマ・ホテルのシャトルバスを停留所で待った。日本女性3人組も一緒であった。
チェックイン後、ホテル横のスーパーマーケットでビールとつまみを買い、部屋でゆっくりした。

カンクン 34日目

2005年08月07日 | メキシコ・ベリーズ旅行
メキシコ最後の日はホテルで寛ぐ事にした。
朝、ホテルの裏にある海岸に行ってみた、狭いビーチと桟橋があり、ツアー客がボートに乗り沖合いに出て行った。
プールのリクライニングチェアーで小説を読んだり、時々泳いだりして過ごした。
昼食は、肉入りタコスを食べた。好きになったサルサ・メヒカーナが付いていた。
ホテルの桟橋にカジキを三匹吊り下げているのを見た、トローリングで釣上げたのだ。テレビで見た事はあるが実際に見るのは始めてであった。
夜は、ホテルを出てカンクン岬近くの日本レストランに行った。二日前に行ったレストランで今日は、ロブスターの造りを食べた。前回は、うどんに釣られて来たが、店のお勧めはロブスターのコースである。残りのロブスターを入れたラーメンも美味しかった。
明日、日本に向って帰ると言う話をしていると長期間病気もせずに旅行が続けられて良かったですね。
食べ物に困らなかったですかと聞かれ、メキシコ料理は、ソパとタコスだけで、それ以外はサンドイッチ、ハンバーガーやスパゲテーを食べていたと答えると、ハンバーガーが食べられるのであれば長期旅行も問題なく出来ますねと言われた。そう言われれば、確かに相である。
シニアでハンバーガ、スパゲテーやピザを食べれない人がいるがアメリカ、中米の自由旅行は悲惨だろう。
メキシコ最後の日を日本食でと言うのも可笑しいかも知れないが、30数日間日本食無しで過ごし、2日前うどんを食べてから辛抱出来なくなった。
R-1市内バスでホテルに戻った。夜遅くなっても市内バスは混雑していた。

カンクン 33日目

2005年08月06日 | メキシコ・ベリーズ旅行
今日もコンビニでコーヒーとパンを買い、コンビニのテーブルで朝食を取った。メキシコのコーヒーは、なかなか美味しい、コンビニにはいつもアメリカンがあり便利である。
今日はホテルゾーンのホテルClub Verano Beanに移るが、早すぎてもチェックインできない、ここホテル コロニアルはチェックアウト時間は13時であるのでそれまでコロニアルでゆっくりする事にした。
ホテル コロニアルは、狭い中庭がありそこを囲むように客室がある。中庭に椰子の木が2本ありホテルの高さよりも高くそびえている。今回の2泊の部屋は1階正面奥の部屋で広く綺麗で良かった。
11時ごろになるとバスタオル回収や掃除婦が部屋に来る様になり、ゆっくり出来ないのでチェックアウトした。
トゥルム通りに出て、R-1市内バスを停車させ乗込んだ。バスの運転手は、セントロ地区で日本人を見付けたら、声を掛けてバスに乗せていた。ホテルゾーンからの買物客で乗車する確率が高いのだろう。運転手にClub Verano Beanと言っておいたので近くで降ろしてくれた。
ホテルClub Verano Beanにチェックインしたが早過ぎて部屋の準備が出来ていない。まだ11時半で当然の話である。しかし、はっきりしないので確認すると部屋のキーを渡してくれた。
2日前ホテルゾーンへ行った時、ホテルの建ち並ぶ地域に海岸への道がないか注意して見ていたが、カンクン岬を過ぎてそれらしい道があった。今日はそこに行く事にし、R-1市内バスに乗り、カンクン岬周辺を過ぎた頃、バスを降りた。
暑い中をカンクン岬方向に歩くと、ホテルとホテルの間に道の様な公園があった。この公園は、海岸まで続いており見張り櫓に続いてビーチがあった。メキシコの人々が海水浴をしていた。
海岸をカンクン岬方向に歩いた。ビーチはすぐに無くなり、岩場が続く、この岩場の色がビーチと同じで白い。
昨日、イスラ・ムヘーレスから見た本土の海岸が白く続いているので延々とビーチが続いているものと思っていた。日本では岩場は黒っぽいもので、砂浜は白い。ここでは、岩場まで白かった。
1kmほど海岸を歩くと狭いパブリックビーチに出た。暑さに耐え切れずビーチの後ろにあるビルに入った。そこはハードロックカフェの入っているビルで、ハードロックカフェの前で休憩した。
ホテルに戻り、サンドイッチとビールを取った。支払いの時、ビール小瓶がN$30(¥330)もして驚いた。カンクン・セントロのレストランででN$25、メリダでN$12~15である。メキシコ地方都市の2倍もする。さすがリゾート地で、昔アカプルコ、今カンクンである。

イスラムヘーレス32日目

2005年08月05日 | メキシコ・ベリーズ旅行
朝食はコンビニでコーヒーを買い、ホテルの部屋で取った。コンビニでコーヒーを飲もうと思っていたが、先客の日本人シニア夫婦がいて座れなかった。ここにも自由旅行しているシニア夫婦がいった。団塊の世代がもうすぐ退職する。いろんな旅行形態があるがこの様な自由旅行をする人もこれから増えるだろう。
今日は、イスラ・ムヘーレスに行った。イスラ・ムヘーレスはカンクン沖、11kmの洋上に浮かぶ全長8kmの小さな島だそうです。
バスターミナルのあるモニュメントの北にあるバス停でR-13の市内バスを待った。バスはなかなか来なかった、外国人ツーリストも待っているのでこのバス停で間違いない。やっとバスが来て、15分ほどでプエルト・フアレスに着いた。ここから高速船がイスラ・ムヘーレスのセントロに出ている。
プエルト・フアレスからイスラ・ムヘーレスの長細い島影が見えている。高速船で25分で着き、N$70(¥760)であった。
高速船は、1階が冷房の効いた室内で2回が展望デッキになっていた。
展望デッキで島やカンクン岬を見ている時、3~4歳のビキニ姿の女の子が2人いて、1人は出臍でそれをもう1人が触っている。出臍の子は、ちょこちょこ触られても、それを意に介さない。周りの大人は、それを見てくすくす笑っていた。
レンタルバイク、レンタルゴルフカートやツアーの勧誘を無視して、セントロ、ビーチを歩いた。
散策していると、公園で中学生程度の女の子がバイクのハンドルを握り、父親が後ろに乗ってバイクの練習をしていた。私はバイクが来たので逃げる真似をすると父親は笑っていた。もう1台同じ様にバイク練習をしていた、家族みたいである。アメリカでは子供にこの様にしてバイク練習をさせているのだろう。女の子は、大変真剣であった。
1時間ほど散策して、高速船乗り場近くのレストランでハンバーガとビールを取った。
ウエイターにガラフォン国立公園への行き方を聞いた。市内バスで行けるかと聞くと行けそうな表情であったがタクシーで行けと言われた。
タクシーで行く事にして乗り場に向うと市内バスがタイミング良く来てしまい乗込んだ。料金はN$4(¥45)。
このバスがどこへ行くのか分からないが、全長8kmの小さな島で迷子にはならないだろう。セントロから離れて行き、方向はガラフォン国立公園に向っている。住民の居住地区を回って町外れで停まった。運転手が私に何か行っている、終点の様だ、私は下車した。
ここからガラフォン国立公園まで歩ける距離だが、ここがどこか正確には判らない。セントロへ帰るタクシーが停ったので料金を聞くとN$45との事、セントロ-ガラフォン国立公園間の公示価格N$52に対して高いので値段交渉したがN$40(¥440)にしか成らなかった。タクシーですぐであった。2kmないだろう。
日本人カップルがタクシーで来て、ガラフォン国立公園に入いていった。カンクンへの帰りは国立公園の桟橋からカンクンホテルゾーンのプラヤ・リンダに行こうと考えていたが、国立公園に入場料が必要とは思っていなかった。入場料US$15(¥1700)を払ってまでここから帰ろうとは思わなかった。私がシュノーケリングするわけでもないので!
ガラフォン国立公園から数100mの所に島南端の岬があり、灯台とマヤ遺跡がある。遺跡が最南端で、海岸に下りる遊歩道があり、そこに「あなたが見る日の出はメキシコで最も早い」と書いてある。
岬から市内バス終点まで35分掛かったが歩いた。今回のメキシコ旅行でもよく歩いた、1時間ほど歩くのは普通であった。好奇心で歩いている。
市内バス終点でバスを待った、子供が来て私の横に座って一緒にバスを待った。
15分ほど待って市内バスが来て乗り、セントロに向った。途中、ツーリストの運転するゴルフカートやバイクが走っていた。
イスラ・ムヘーレスを後にして、来たルートを戻った。
夕食は、またシーフードスープにした。ここのスープは、別皿に生のタマネギ、香菜とスパイスがあり、すべてをスープに入れ終わってからウエイターがスパイシーと言ったもう遅い。どれがスパイシーなのか判らないが、少しホットであったが大した事無く美味かった。

カンクン 31日目

2005年08月04日 | メキシコ・ベリーズ旅行
9時半発カンクン行き1等バスでプラヤ・デル・カルメンを発った。1等バス料金N$32(¥350)で2等の約1.5倍である。
1時間でカンクンバスターミナルに着いた。
カンクンは、セントロ地区とホテルゾーンとに分かれ、セントロ地区にはバスターミナル、中級ホテルやスーパーマーケットなどがあり庶民的な雰囲気である。ホテルゾーンは、カリブ海とラグーンに囲まれた約20kmにもおよぶ幅200~300mの細長い州に高級リゾートホテル、レストランやディスコが並ぶ、アメリカ人のリゾート地である。
10日前に泊まったセントロ地区のホテル・コロニアルに2泊する事にした。その後、ホテルゾーンのホテルに2泊予約している。したがって、もう5日後にメキシコを発つ事になる。
ホテルはまだ11時の為、チェックインできなかったので荷物を預け、カンクン・ホテルゾーンに行く事にした。
トゥルム通りに出て、フロントにR-1とある市内バスを手を上げて停車させ乗込んだ。運転手にN$10を渡したらN$3.5の釣りが帰ってきた。料金は、一律N$6.5(¥70)であった。ラグーン側に道路が走り、カリブ海側にホテルが建ち並んでいる為、バスからはカリブ海を眺める事はできない。それでも市内バスでの観光も良い。ホテルも無くなり、州のソカロとは反対側付根付近の公園が終点になっており、子供と親が大勢降りて公園のプールへ行った。
私はそのまま折り返し乗り続けて、エルレイ遺跡で下車した。エルレイ遺跡は、マヤの小さな遺跡でイグワナがたくさんいた。
エルレイ遺跡の付近が唯一道路からカリブ海が見えるポイントであり、道路沿いに駐車場があり、その前がビーチになっている。一般の人が海水浴ができるのは、ここだけかも知れない。ここからカンクン岬にかけてホテルが建ち並び、ホテルのプライベートビーチになっているのではないか?
R-1の市内バスに乗りセントロに向った。ホテルの建ち並ぶ地域に海岸への道がないか注意して見ていたが、カンクン岬の手前にそれらしい道があった。次回行って見よう。
ホテルに戻り、チェックインした。シャワーを浴び、冷房をガンガン入れて寛いだ。
夕食にホテルゾーンの日本レストランに行った。昼間のホテルゾーン観光の帰り、市内バスから見えた「うどん」の旗カンバンに吸い寄せられる様にうどんを食べにいった。日本食は1ヶ月ぶりで、造り、ビールとうどんを食べた。

コスメル 30日目

2005年08月03日 | メキシコ・ベリーズ旅行
朝食は昨日と同じでコンビニでコーヒーを買い、ホテルの部屋で取った。
9時のウォータジェット船でコスメルに向った。船で日本のツアー客に会った。久し振りに日本語を聞いた。35分でサンミゲール・デ・コスメルに着いた。
コスメルは長さ53km、幅14kmのメキシコで一番大きな島だそうです。日本では島といえば、山の頂上部が海から出ていると言った感じであるが、こちらでは、ひたすらフラットである。したがって、プラヤ・デル・カルメンから島影が見えず、辛うじて高いホテルビルだけが見えた。
レンタルバイクやツアーの勧誘を断わり、海沿いに少し歩き、コスメル博物館に行った。サンゴの海に島が出来る過程を展示している学術的な博物館であった。珊瑚礁の消波作用で徐々に珊瑚礁の先に島が形成される。
博物館の2階テラスにレストランがあり昼食を取った。ア・ラ・メキシカーナとビールを食べた。このテラスレストランから綺麗な海、停泊している大型豪華客船やジェット機が海から着陸態勢に入って行くの見えた。
帰りのメキシカーナ航空はリコンファームが必要で、ここサンミゲール・デ・コスメルにオフィスが在ったのでリコンファームしておいた。
関空↔ロサンゼルス間はマイレージの特典航空券を手に入れたが、ロサンゼルス↔メキシコ間はメキシカーナ航空の航空券をインターネットで入手した。以前はメキシカーナ航空の日本語ホームページがあり、日本からの太平洋線往復航空券所持者で日本でのみ購入可能の現地発着航空券を販売していたが、今はそのホームページは閉鎖されている。旅行代理店が同じ様な内容でメキシカーナ航空の現地発着航空券を引き継いでおり、そこから今回購入した。ロサンゼルス→メキシコ・シティ(US$200)、カンクン→ロサンゼルス(US$260)のオープンジョーで空港使用料等込みで¥62000であった。
ソカロ周辺の土産物屋をぶらつき、アイスクリームを買ってソカロで休憩した。木陰で休憩したが暑い。冷房の効いた適当な場所がない。
ウォータジェット船でプラヤ・デル・カルメンに戻った。

プラヤデルカルメン29日目

2005年08月02日 | メキシコ・ベリーズ旅行
朝食はコンビニでコーヒーとクッキーを買い、ホテルの部屋で取った。
今日は、プラヤ・デル・カルメンの散策をした。ソカロの前のビーチ横にコスメル行きフェリー桟橋があり、そこに行った。2週間前のハリケーンの被害で立入り禁止箇所があった。コスメルへはウォータジェットで片道N$110(¥1200)である。
地図ではプラヤ・デル・カルメンの沖近くにコスメルがあるので、コスメルを肉眼で見えるものだと思っていたが、昨日見た時は見えなかった。今日は凝視してみたら、高いホテルビルだけが見えた。
町の中心を走るQuinta通りをぶらぶら歩いた。土産物屋、レストランやホテルが並んでいる。ガイドブックに安宿と紹介されている宿が中級ホテルになっていたりして、全体的に高級化・アメリカ化が進んでいる様である。
昼食は、マクドナルドでハンバーガーセットにした。メキシコではマクドナルドもほとんど見掛けなかったが、ソカロ近辺に3件もある。
冷房の効いたマクドナルドに出来るだけ長く過ごした。何故なら、ホテルの部屋には冷房がない、昼間はファンだけではきつい、暑いからである。
続いて冷房の効いたインターネットカフェに行った。
夕食は、レストランでアメリカ大リーグのヤンキースの試合を見ながらシーフードスープとビールを取った。メキシコ人も大リーグファンがいて松井と言ってうるさかく話掛けてきた。

トゥルム 28日目

2005年08月01日 | メキシコ・ベリーズ旅行
最近、日が昇ると起き出し、日が沈むと寝ている様に思う。日の出時間は、6時半ごろ、日没は20時ごろである。
今日は、午前中にトゥルム遺跡に行き見学を済ませ、午後にプラヤ・デル・カルメンに向う。
ホテルの前にいた兄ちゃんにトゥルム遺跡までの距離を聞いたら3kmとの事、歩いて45分ほどである。まだ涼しいので徒歩で行く事にした。
トゥルムの町を出ると、真直ぐの4車線の道路に歩道も無くなり、歩くのは危険だと思っていると横に旧道と思われる地道があったのでそこを歩いた。時々自転車で追越して行く人はいるが歩いている人は誰もいない。
45分でトゥルム遺跡への導入路に着いた、広い駐車場に続いて土産物屋が集まっている。休憩と朝食を兼ねてコーヒーを飲んだ。
ここから遺跡の入口まで乗り物が出ていて団体客がそれに乗って行った。私は歩きついでに遺跡入口まで歩いた。距離は1kmもない、乗り物に乗った人もそれを知っていれば、N$10も出して乗らないだろう。
遺跡入口は、団体客で混雑していた。個人客同士で前に行ったがチケット売り場が見つからない、いつの間にか先頭になっていて、ガイドに俺より前に行くなと言われ、団体客と一緒に遺跡に入ってしまった。
東にカリブ海を望み、残り3方をコ字型に城壁が囲む小さな城塞都市であり、他の遺跡に比べ見劣りするが、カリブ海の海岸にあり海との調和が取れている。
ここから見るカリブ海は大変綺麗である。海の色が綺麗だ。説明するの難しいので写真を見て下さい。
遺跡内で草原を歩いていると蚊の大群に襲われ、腕に同時に2匹が止まり刺されそうになった。帽子で叩いて逃げた。
駐車場の土産物屋の集まっている所の北側にタクシー乗り場があった。トゥルムの町への帰りはタクシーで戻り、銀行前で降りた。タクシー代はN$25。
銀行でUS$とT/CをN$に両替しようと思ったが、長蛇の列で両替を諦めた。
次に薬局へ行き虫除けクリームを買った。今までも購入しょうと思ったが、スペイン語が話せないので二の足を踏んでいた。今日は思い切って買いに行った。ボディランゲージで話したが、予想通りに虫に刺され後の薬(軟膏)と虫除けクリークとのどちらかと言う事になり、消去法で軟膏が出て来てNO!と言って虫除けクリームを手に入れた。
薬局の隣にMAYAB社のチケット売り場があり、待合室に女の子が居たのでここからバスに乗れるのか聞くと、バスはバスターミナルで乗降りするとの事であった。MAYAB社のバスは2等バスで、12時半発のプラヤ・デル・カルメン行きチケットをN$20(¥220)購入した。
メキシコ湾岸からユカタンにかけてのバスは、1等バスがADO社で、2等バスは各地方・路線により各社有る。バスターミナルは、1等、2等の各バスターミナルに分かれている場合と、1,2等共同バスターミナルがある場合とがある。1,2等共同バスターミナルはADO社のバスターミナルの様な感じで、ツーリストがチケットを購入する時、1等バスが経由していないか又は2等バスと言わない限り自動的に1等バスになる。住民は、1等バスに乗る時は前以て予約チケットを購入してバスターミナルに来るが、2等バスに乗る場合は、わざわざバスターミナルには来ないでバス停か最寄の道路で手を上げてバスを止める。
ホテルに戻りシャワーを浴びた。バックパックをパッキングして後、ホテルをチェックアウトして、バスターミナルに行った。12時過ぎにMAYAB社のバス入って来た。運転手にチケットを見せと乗れと言うので乗って出発を待った。12時半発が12時15分に出発した。メキシコのバスは定刻よりも早く出発する事があるのか?
1時間でプラヤ・デル・カルメンに着いた。バスターミナルは海岸に大変近い、バスターミナルはソカロの横にあり、そのソカロの前がビーチである。この付近でホテルを探し、バスターミナル斜め前のPosada Lilyに決めた。ファン、ホットシャワー付きでN$150(¥1650)でリーズナブルである。
いつもチェックインしたらすぐに洗濯を始めていた。今日もGパンと半袖シャツを洗った。ホテルの駐車場の半分はシーツ等の干し場でロープが張ってあった。いつもは部屋内で干すが太陽に当てたくなり、そのロープに干しに行ったら、洗濯してはいけないと注意された。この分は仕方が無いので干しても良し、部屋にある注意書きを読めと言われた。確かに洗濯禁止と書いてあった。
残りのトラベラーズチェックT/CとUS$をN$に両替しようと銀行に言ったが長蛇の列で混雑していたので市中の両替所で両替した。レートを確認してから両替すれば良かったと後悔した。結果的にこの両替所での交換率が最悪となった。N$1=¥11.50であった。今回の旅行でのレートを参考までに良い順に記載すると、メキシコ・シティ国際空港の両替所:N$1=¥10.81、トラベラーズチェック:N$1=¥10.88、Citi Card:N$1=¥10.98、VISA Card:N$1=¥11.30であった。

トゥルムへ27日目

2005年07月31日 | メキシコ・ベリーズ旅行
6時半発のベリーズ・シティ行きボートに乗った。ベリーズ・シティには、7時5分に着いた。バスターミナルまで徒歩で15分であった。8時にメキシコのチェトゥマル行きバスが有るだろうと考えていたが、9時までなかった。今日、トゥルムまで行く予定に対して、この1時間は大きい。
11時30分ごろに国境に着き、ベリーズのイミグレーションでUS$18.75(US$20を払い、釣りはUS$1であった。)を徴収され出国した。バスに乗り、メキシコ側イミグレーションに向ったが、少し走ると渋滞でバスは進まなくなった。乗客がバスを降りて歩き出したので私も後に続いた。
メキシコのイミグレーションでパスポート、ツーリストカードとF.M.E.を渡し、F.M.E.を抜取られ他が戻って来た。その間、1分も掛からず、入国完了であった。他のツーリストは、パスポートだけを渡し、担当官からツーリストカードを受取って記入して再提出していた。
バスが来るまで乗用車やバスの税関検査を見ていた、2~3台に1台の割合で厳しく検査していた。今日は日曜日でベリーズからの買い物客が多く、この税関検査の為渋滞している。
ベリーズに滞在するのにUS$をBZ$に両替する必要はなかったが、US$で払って釣り銭をBZ$で受取っていたのでBZ$の小銭が溜まっていた。同じバスの乗客の子供に、そのBZ$の小銭をすべてやった。子供は驚き、喜んでいた。
そうこうする内にバスが来て、バックパックをバスから取り出し税関に行った。最初のツーリストの税関検査をしただけで、他はフリーパスであった。
バスの税関検査も終わり、乗客が全員揃うのに時間が掛かったがチェトゥマルのバスターミナルに向った。バスターミナルに着いたのはメキシコ時間で14時であった。
バスターミナルのチケット売り場が長蛇の列で中々進まない。客と係員の会話が長い、世間話をしているのかと思うぐらい長い。バスに乗り遅れるそうな人が文句を言ってもだめである。
並んでいるとMAYAB社のチケット売りが来て、どこまで行くのか聞いて来た、トゥルムまでと答えると15時発でN$98と言われ、そのチケットを売うことにした。MAMAB社のバスは2等バスであり、1等バスより少し時間が掛かるが安い、並ぶのが嫌で買った。チケットはパソコンの端末からプリントアウトされたものでなく、印刷したチケットをパンチングする古いタイプのチケットであった。
15時発の2等バスは、遅れて出発した。
トゥルムには19時15分に着いた。約4時間で到着した事になり1等バスと変わらなかった。
バスターミナルから出て来ると無料でホテル案内をしている人がいてホテルを紹介してくれた。もう真っ暗である。200m程歩くと紹介されたHotel Mayaがあった。ファン、ホットシャワー&TV付きでN$200(¥2200)であった。
レストランでオーダーする時にペソの持合わせが無いのに気付き、US$が使えるか尋ねると使用不可であった。ビールだけ頼んだ。
銀行のATMでN$を下ろし、再度レストランに戻り食事した。