いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

ネパール旅行 10月05日 アンナプルナ絶景 ポカラ滞在 5日目 サランコットへ

2012年11月30日 | ネパール旅行2012/09/24~
6時前、起床。
朝起きて窓からヒマラヤが見えるか覗くのが日課になっている。
今日は見えた。
カメラを持って屋上に上がる。
この眺めを待っていたのだ。
ヒマラヤの裏側まで見えそうだ。
天気予報があたった。
サランコットへタクシーで上がる事に決めた。
 

部屋に帰り、歯を磨いてトイレをして着替え、準備OK。
もう一度屋上に上がった。
男性客2人がいた。こんなラッキーな人達がいるのか!!!
私は5日間、この絶景を待った。これからサランコットにタクシーで上がると話した。

奥さんにサランコットまでのタクシー運賃を尋ねた、往復Rs.1500との事。片道は??
空G.Hを出てすぐにタクシー運ちゃんに声を掛けられた。停まっていた車をタクシーと気付いていなかったので驚いた。
サランコットまでの運賃を聞くと片道or往復かと尋ねられた。
片道も設定があるのだ! 片道で聞くとRs.700(\680)との事。
片道でお願いした。
6時25分になっていた。起床後30分であわただしかった。

30分後、サランコットの林道で、路肩にバス、ミニバス、車が連なって駐車しいた。その為、下って来る車とすれ違えず渋滞していた。
タクシーを下りて歩く事にした。早くヒマラヤを見たかったのだ。
アンナプルナI 8091mが見えた。初顔合わせである。レイクサイドからはサランコットが邪魔して見えなかった。
左からアンナプルナ・サウス 7219m、切り立った壁の右に低く見えるのがアンナプルナIである。
アンナプルナIが最も高いがポカラから最も奥にあるので低く見える。
 アンナプルナ・サウス&アンナプルナI
 

写真を撮っていると中国人が来て写真を撮っていった。
林道を見ると中国人が道幅一杯に大勢が下りて来た。
路肩に停まっているバスや車まで歩いているのだろう。
中国人で溢れていた。200人では利かないのではないか?

林道を15分ほど歩くと子供がこっちだと言っていた。見ると「WAY TO SARANGKOT」と道標があった。
子供に言われなかったら通り過ぎていた。
 

サランコットの東尾根はヒマラヤの眺望が素晴らしい。
土産物屋や茶店を併設した店が点在している。
西欧人カップルが茶店でお茶しながら景色を楽しんでいた。
 サランコット東尾根
 

マチャプチャレ(三角山)の右側(東側)にあるアンナプルナIII 7555mも初顔合わせである。
 

今、7時過ぎである。
サランコット東尾根からアンナプルナ・サウス、アンナプルナI、マチャプチャレ、アンナプルナIII、アンナプルナIV、アンナプルナIIまでは、はっきりくっきり見える。
だが、それより東は逆光で霞んでいる。
東にあるマナスルも霞んでまったく判らない。
 サランコット東尾根からの全景
 

8時前、狭い林道を横切った、サランコット鞍部である。水田があり、上を見上げるとホテルが見え、頂上の展望台は見えない。
水田を通り抜けると狭い林道で出た、頂上には直登できないので狭い林道を南に行く。
先ほど見えたホテルはレイクサイドから見えているホテルで南稜線の登り口になっている。
南稜線、大層に書いているがセメントで固めた階段で、土産物屋や茶店が並ぶ、急な階段を手すりにすがり登った。

サランコット・ヒルの展望台に着いた。タクシーを降りてから1時間30分が経っていた。
名称がサランコット山ではなく、ヒルHill丘とは!!! 標高1592mですら丘だそうだ。
日が昇るにつれて空の色は真青になってきた。
ヒマラヤの絶景である。これを見たさにポカラに来たのだ。すごいの一言である。
 ヒマラヤ全景
 

 ダウラギリ 8167m
 

 マナスル 8163m (左峰)、ピーク29 7893m(右峰)
 

素晴らしいヒマラヤを眺め、写真を沢山撮った。
しかし、撮った写真を見たがこの目で見たヒマラヤと違う。ブログにアップする写真を選ぶのに苦労する。
昔の話になるが、学生の頃、日本の山を歩いていた、北アルプス、南アルプスの梅雨明け時期に今日の様な晴天になる事が多い。それに出くわして持っていたカメラで山を撮った。現像にだしてその時の写真を見て大いにがっかりした。記憶にある景色とあまりにも違った。写真に撮らないほうがいいと考える様になり、それ以降、カメラを持たなかった。従って、それ以降、国内旅行、海外旅行を多くしたがまったく写真が残っていない。2004年ごろからの海外旅行にデジタル・カメラを持って旅行する様になったが、建造物が中心で風景はやはり苦手である。

西欧人親子が記念写真を撮っていた。お父さんがヒマラヤをバックに娘2人とガイドを撮っていた。私も撮ってしまった。
お父さんに私も撮ってくれと頼み、カメラを渡した。
  

1時間ほど展望台にいて後にした。
サランコットの西尾根が綺麗に見えた。この尾根筋にノーダラまで10kmほど林道が走っている。滞在中に歩きたいと考えている。
 サランコット西尾根とダウラギリ
 

展望台を下りてホテル前の林道を横切り下る。
一昨日のサランコット行きの最終到着地の幼稚園が見えた。
ジグザク道を下りて高度を下げる。
パラグライダーの離陸地を抜け林道に出ると、日本人シニアグループと出合った。
挨拶して幼稚園まで一緒に話しながら歩いた。彼らもポカラに10日間ほど滞在するそうだ。
4日前日本食レストラン「たべものや」で会った10人グループの様だ。
 

9時30分ごろ、幼稚園前の駄菓子屋レストランに入った。朝食を取っていなかったのでヌードル・スープを食べた。
幼稚園に行く前に親を連れて菓子を買いに来る子供が多い。
    

駄菓子屋レストラン脇からフェワ湖側に下った。一昨日の逆コースを歩く。
体力がまだ残っていたので歩いて下る事にした、駄目ならピックアップトラックに乗ればよいと考えていた。
民家が点在する村中を下る。親に連れられ幼稚園に行く子供が見掛けた、スクール?と話し掛けると親がそうだと返ってきた。
 

尾根道を何ヶ所かで林道が横切り、その林道から東を見るとマナスルの東にある山も見えていた。
 

アンナプルナIIとラムジュン・ヒマールをバックにパラグライダーが空を飛んでいた。
さぞかし絶景が望めている事だろうが、恐くてパラグライダーなんかに乗りたくない。 
 

見通しがきく尾根の終りに茶店があり、休憩した。
フェワ湖、レイクサイドが見渡せ、下り切って歩く湖畔の道も見える。
西欧人カップルが下って行った、追い越されてしまった。
  

この茶店から湖畔の村まで鬱蒼とした森を下る。
途中、西欧人カップルに追い越された。
地元の祖母さんと孫2人が休憩していた。
何か甘い物を欲しいと子供が言ってきたが、無いと答えながらデイバックのポケットを見ると飴1ヶ出てきた。
子供2人に飴1ヶとは!!! 仕方が無い1ヶやった。次に空のペットボトルをデイバックに差していて、それをねだられた。
 

膝が笑い辛い、やっとの思いで川原に着いた。これで急な下りはない。
大きな石ころを敷き詰めた村道を、膝に力が入らずにガクガクしながら歩いた。
西欧人男性が1人で登って行った。
登山口の湖畔道路に着き、角の店屋でコーラーを飲んで休憩した。

 コースタイム(サランコット南尾根ルート)
   上り  登山口 → 川原(登り口) → 茶店 → 幼稚園 → 展望台
                        1時間  1時間40分
   下り  登山口 ← 川原(登り口) ← 茶店 ← 幼稚園 ← 展望台
             20分         25分    45分     30分

コーラーを飲み休憩すると、また歩く気力がわいて来た。
湖畔沿いの道路を歩く、膝の力も少しは戻って来た。
振り返ると下って来たサランコットの南尾根が見えた。
 サランコット南尾根
 

パラグライダーのランディングを見かけた。
上空でグルグル回りながら高度を下げ着陸を待っている。
場所は、ウォーター・フロント・リゾートの湖寄りの草原である。
    

ウォーター・フロント・リゾートの横にあるレストランでフェワ湖を見ながら休憩する為に入った。
食べ物があまり無かったのでビールだけにした。
フェワ湖は逆光になってよく見えなかった。

途中、日本食レストランでラーメンを食べて、G.Hに戻った。14時になっていた。
シャワーを浴びてゆっくりした。

夕方、今日は雨にならなかった。
イタリア・レストランでピザとビールにした。
ここのピザは旨い。
私は手で持って食べているが、横の西欧人シニア夫婦はナイフとフォークで食べていた。
ピザをナイフとフォークで切り分けた後は手で食べるものと思っていたが、ナイフとフォークで折り畳んで口に運んでいるのを見て驚いた。
日本では切り目を付けて出て来るのでナイフとフォークは、まったく必要ない。
でも、西欧人の食べ方を見て目から鱗であった。

バスタブにお湯をはり風呂に入った。ほっとする時間である。


 今日の歩いたルート
 

ネパール旅行 10月04日 ポカラ滞在 4日目 国際山岳博物館へ

2012年11月27日 | ネパール旅行2012/09/24~
6時前、起床。
窓からヒマラヤが見えないかと覗いた、まだ完全に明るくなっていない、薄明るい。
厚い雲はない、ガスも少ない。ヒマラヤが見えるかも知れない。
6時過ぎ、屋上に上がると、マチャプチャレが見えた。
 朝焼けのマチャプチャレ
 
朝日は昇っているが薄雲が掛かっていた。
 
高い空は晴れているが低い空は駄目だ。
今日もヒマラヤの眺めは期待できない様だ。

朝食を食べ終わった8時ごろ3階の食堂からヒマラヤが薄く見えてきた。
カメラを持って屋上に上がった。
アンナプルナ4&2が薄っすらと見えた。空の色が青くないので、ぼやけている。
 
1時間ヒマラヤの移り変わる景色を見た。空の色が少しは青くなった。
今、9時である。今日はこれが限度だろう。雲が湧いてきて山が見えなくなるだろう。
 

2日連続でハイキングしたので、今日は、ゆっくりしよう。
どこか観光できるところがないかと思っていると、国際山岳博物館を奥さんに薦められた。
判り辛いところにあるのでタクシーで行きなさいと言われた。博物館は広い敷地内にあり、食事もできるそうだ。

10時ごろ、G.Hを出た。
フェワ湖沿いでレンタサイクルRs.200(\195)を借りた。鍵のかけ方を教わったが、ガタガタで不安だ。
レンタサイクルは変速機付きで、足に掛かる負荷を少なくなる様に速度を調整した。アップダウンがあるが無理せずに自転車を降りて歩いた。
ダムサイドのビューポイントに寄ったが、雲が湧いていてアンナプルナ4の山頂が見えるだけだ。
今日も8時から9時の約1時間だけが辛うじてヒマラヤが見えた。しかし、すっきりはっきり真っ青なヒマラヤを見たい。

ダムサイドから国道に出て、国際山岳博物館方向へ向った。判り辛いところに差し掛かると国際山岳博物館の道標を発見した。それからは、所々に山岳博物館の道標があり、迷う事無く着いた。
ダムサイドから20分位だろう。
門を入ると広い駐車場があり、指示に従いレンタサイクルを置いた。
チケット売場でチケットRs.300を買った。
売場横から舗装道路を奥に進む。
博物館の敷地は大変広い。障害物がないのでヒマラヤが美しく見える事だろう。今日は駄目だ。
一昨日登った日本山妙法寺の白い仏塔が見えた。
 国際山岳博物館
 

世界の山岳民族が展示され、日本は駒ヶ根市の展示があった。ポカラと駒ヶ根市は友好都市か??
職員に「ネパールのビデオ」が始まるので映写室に入れと誘われた。客に声を掛けていた。
私は見ることにして会場に行った。
ネパールの山岳地帯の生活模様を映し出していた。始まって10分ほどで停電?でビデオが止まった。
 展示風景
 

次に、登山関係の展示が続いた。
初登頂年表があった、山名、何年何月、誰が初登頂しかを年表にしてあった。
若い頃ヒマラヤの登頂記を片っ端から読みあさった時期があり、山名はほとんど判る。
ポカラから見える西からダウラギリ、アンナプルナ、マナスルも当然乗っていた。
登頂に使った装備を寄贈され展示されていた。
日本からは、マナスル初登頂者の故今西壽雄氏の多くの登山用品が展示され、エベレスト女性初登頂の田部井淳子氏コーナーのあった。
 マナスル初登頂コーナー                      田部井淳子氏コーナー
   

博物館は、各国の山岳関係者からの支援を受けて展示されているが、マナスル初登頂コーナーの広さ、空撮による大型山岳パネル写真(K.Ohmori)や野口健氏のエベレスト清掃登山の回収品の環境コーナーなどを見ていると、日本の山岳団体や個人の援助が国別では最大だろう。
 
2時間ほど見学した後、博物館を出て敷地内のレストランに行った。
オープンテラスでビールとサンドイッチを取った。
雲が無ければ、ヒマラヤの眺めが素晴らしいだろう。今日は残念だ。

ポカラにはヒマラヤ絶景ポイントが3ヶ所あり、サランコットと日本山妙法寺、そしてフォクシンがある。
フォクシンは、国際山岳博物館の南に登り口ある。ポカラ滞在中に行く予定にしているので、レンタサイクルで道を下見しようと思った。
道がよく分からないが、レンタサイクルだから気が楽だ、違っていてもすぐ戻れる。
国際山岳博物館から元来た道を戻り国道のビラウタ・チョークに出た。
その先のダムからの放流川沿いにフォクシンの山並みに向った。
1kmほど行くと水門があった。
レンタサイクルを置いて水門の前に出た。
 水門
 

絶壁の下に川が流れていた。
水門から水圧管が下にある水力発電所まで伸びていた。
  

川に架かる吊り橋が小さく見えた。
川原まで下りたかったが、行きはよいよい帰りは恐いである。水圧管横の急階段を登って来なければならない。
 

下に見える吊り橋はフォクシンへの橋ではない。
ここから1kmほど下流にも吊り橋があり、それがフォクシンへの登り口である。
その吊り橋に行く為、レンタサイクルの鍵を解除しようとすると、ガタガタな鍵が開かない。
恐れていた事が起きた。10分ほどガチャガチャしているとようやく開いた。

水田の中の道を行ったがすぐに行けなくなった。水田の水が道に溢れていて停まると足が濡れる。
遠回りになるがシャングリラ・ビレッジ方面から廻り込むことにして向った。
石ころの悪路でレンタサイクルを変速機で減速した、ペタルの回転を上げなければ進まない、ダッシュで走っているようだ。疲れた。
この道も水田の水が道に溢れ、ゴミまである。
2日連続夜の大雨で溢れているのだろう。今日はフォクシンへの吊り橋行きをあきらめた。
ここにシャングリラ・ビレッジがあるのだ。前を通り、国道のビラウタ・チョークに戻った。
ダムサイド経由でレイクサイドでレンタサイクルを返した。

ツアー会社のインターネット・カフェに寄って使い始めると、5人ほどの中国人が入って来た。
ツアー会社のデスクに座っている担当者に中国人が話し掛けていった。
5人が別々に次から次と担当者に話している。
普通、ツアー会社に来るのは、ツアー申し込みだ、各人が質問や要望を言っているのか??
それにしてもうるさいので、私はインターネットをやめ立ち上がった。
担当者は立ち上がって中国人の対応をしている、険悪な様子だ!!!
私は担当者とアイコンタクトとしてOKをもらって立ち去った。

16時、空G.Hに戻った。
ゆっくりするつもりがレンタサイクルで悪路を行って疲れ、寝てしまった。
目覚めた時には暗くなっていた。2時間ほど寝たようだ。

夕食は、日本食レストラン「桃太郎」に行く事にした。
G.Hから意外と近い。フェワ湖沿いメイン通りを行くと遠いがG.Hから逆に奥から廻ると近い。
中国人カップルがテーブルにいた、外に向ってカウンター席があったのでそこに座った。
とんかつ定食とビールにした。旨かった、カトマンドゥの「桃太郎」より旨い。

G.Hに戻ると、必ず夫婦どちらかが迎えてくれる。
今日は、ネパール人の旦那さんが迎えてくれた。
停電の予定表はないのか尋ねたら、無いとの事。カトマンドゥの様に予定表がないかと思ったのだ。
停電でも最低限の明かりがあるが、夜の停電は小説を読むのに暗い。
停電でなければ、蛍光灯がつき大変明るい。

 今日のレンタサイクル・ルート
 

ネパール旅行 10月03日 ポカラ滞在 3日目 サランコットへ

2012年11月24日 | ネパール旅行2012/09/24~
6時前に起床。
窓からヒマラヤが見えないかと覗いたが、今日もガス(霧)がかかってまったく見えなかった。

7時30分ごろ、朝食の為3階に上がるとヒマラヤが見えると言われ、部屋にカメラを取りに戻り、屋上に上がった。
辛うじて見えたが、すぐに雲に隠れてしまった。
 アンナプルナ4&2
 

昨日は標高1113mの日本山妙法寺に登ったので、今日はゆっくりしようと思ったが、山に登りたくてムズムズして今日はサランコット標高1592mへ行こうと思う。
9時前、空G.Hを出た。
昨日、フェワ湖を渡り着いたボート乗場からフェワ湖湖畔を歩いた。
 昨日登った日本山妙法寺(ボート乗場より)
 

レイクサイド北を更にフェワ湖沿いに奥に歩いた。
途中、商店で水1L(Rs.25)を買った。
間もなくサランコットへの登り口に着いた。
商店前にいた人にサランコット?と尋ねると日本語でそうだ!、US$10でガイドをすると言われたが断わる。最近、日本人が少ない、ガイドされてくれと言っていた。
ここにも「NOTICE FOR THE VISITORS」という掲示板があり、ガイド同行orグールプで行けとあった。
 登り口(右へ)
 

大きな石ころを敷き詰めた道幅5mほどもある村道が麓に続いていた。
村といっても道沿いに民家が点在するだけだ。
仏教の学校があり、道は突き当る、右に行くと川原に出た。
 川原
 
上写真左の小屋とぼんぼりの様な竹を左に曲がると下写真となり、進むと下右写真となる。
  

以上が登山口の風景である。道標がある訳でもない。サランコットへの山道だと自信が無ければ進めない。
実は、女性が追いかけて来て、追い越した。手に石鹸を持っている。川で水浴びでもするのか???
ぼんぼりの様な竹のところで立ち止まった。私が追い着き、道を指差して「サランコット?」と尋ねるとそうだった。
ありがとう!と礼を言うと彼女は降りて行った。チップを渡す習慣が私にあれば、渡したのだが気付かなかった。
ガイドを断わったが、ポカラの人々にお世話になりながら、過ごしている。

草がかぶさる山道を進む。今日は、ハイソックスを履いているので大丈夫だ。
半ズボンにハイソックス姿で、昔のニッカポッカスタイルにしている。
間もなく石階段の山道になった。
鬱蒼とした森をジグザグに高度をあげる。
適当な休憩場所もない、階段に腰を下ろすとやぶ蚊に襲われる。立った状態で休憩する。
  

ネパールの青年と日傘をさしサンダル姿の若い女性が降りて来た、ネパールの若いグループかと思っていたら、ガイドと中国人女性で驚いた。
1時間掛けて森林地帯を抜けた。見通しがきく尾根に出た。
小さな小屋と長椅子が置いてあるだけの茶店があった。
長椅子にお爺さんが座っていた、その横に座って休憩した。
店主にスプライトを飲まないかといわれコークを頼むと無い、仕方なくスプライトRs.50にした。
齢を聞かれ、答えると、このお爺さん70歳だと教えられ、お爺さんの方が元気だな!
私がトボトボと登って来るのを見られていたのだ!!
今登って来た石階段が見え、フェワ湖も眺められた。
 茶店からの眺め
  

頂上方向は見通せない。
頂上まで何時間掛かるか尋ねると1時間40分との事であった。
1時間登ってもう一杯一杯なのにまだ1時間40分もかかるのか!!
茶店を後にして歩き始めた。尾根から外れて斜面を横切る様に山道が続いた。
ここから尾根道だと思っていたので不安で、一度戻ったがこの道が自然であるし、登山靴の足跡を見掛けたので間違いないどろう。
いつの間にか尾根道に出ていた。
先で牛が草を食べている。私が行く頃には移動していてくれと思った。
しかし、2頭の牛が道端にいて草を食べていた。舌で草を千切っている音が聞こえる、すごい音がするものだ!
私が立ち止まっていると、後から声がした。牛が進み出した。気が付かなかったが牛飼いが遠くから牛を監視しているのだ。
山道が崩れていた、気を付けて上がると林道であった。
 尾根道
 

尾根を林道が横切っている為、山道が寸断される。うっかりすると山道を見失う。
見晴らしの良い尾根道脇に屋根がブルーシート(オレンジ色)の小屋とテーブルの茶店があった。
1Lの水をほとんど飲んでしまったので水1LRs.50を買った。
歩くのが嫌になりそうなので立ったまま休憩した。

また、林道が横切っていた。大きな岩に矢印がある、道標代わりだ。
 

空から声が聞こえて来る。パラグライダーからであった。多くのパラグライダーが空を飛んでいる。
山道が無くなり林道を行く、数100m歩くと西欧人夫婦が地元民を話しているのが見えた。
そこに着くと西欧人が下りて行った。
地元民が日本語で日本人か?と話しかけてきた。
彼らは林道から村への分岐に座っていた。
サランコット?と言って、林道と村への道を指差した。
林道は簡単コース、村道は難しいコースの様であった。どちらもサランコットへ行くのだ。
村への道を選んだ、歩き出した私の背後に「大麻!」と声が掛かった。振り向きもしないで手を振った。
振り向くと彼らはGood!と親指を立てていた。

村の中を登る。民家の中が覗けるほど近くを通り抜ける。
サランコットの頂上部が見えた。
村人に会い、「マナステ」と挨拶する。
村外れで、また、牛が通せんぼしていた。牛飼いのおばちゃんが来てくれた。
 サランコット
 

疲れている私を見て村の人に笑われながら、一歩一歩登り、林道に出た。
目の前に幼稚園or低学年小学校があり、子供の声が聞こえてくる。横にはレストランと書いてあるが、駄菓子屋だ。
サランコットの頂上が見えた。山肌にジグザグの山道が見える。まだあれを登らなければならないのか!!!!
戦意喪失である。どうせ、雲が掛かってヒマラヤが見えないのだから、今日は、ここまでにしよう。
 

12時30分になっていて腹が減った。
駄菓子屋でヌードル・スープができるか聞くとチキンor野菜ヌードルができる様なのでチキン・ヌードル・スープRs.90を頼んだ。
カレー味のインスタント麺で野菜たっぷりで旨かった。
バスが走っていた、奥さんに「あのバスはノーダラ行きか?」と聞くとその手前の○×△と言われた。
サランコットからノーダラまでの長い尾根にバスが走っているのだ。
また、幼稚園の前で多くのピックアップトラックがUターンして下って行くのを見掛けた。一体何??

パラグライダーの離陸を目撃した。
多くのパラグライダーが空を飛んでいるのを見掛けたが、ここから飛び立っていた。
パイロットと一緒に飛ぶタンデムフライトというのであった。
私は、こんなものしたくもない、恐い。飛ぶ人の気持ちが理解できない。
 

写真を撮っているとピックアップトラックが上がって来てUターンして停まった。運ちゃんがレイクサイドと言っている。
乗せてもらえるのか! 運賃はいくらかと聞くとRs.100(\98)との事であった。乗ることした。
ピックアップトラックに乗ってから、サランコットのフェワ湖側は当然登ってきたので見ているが、反対のヒマラヤ側を見ていない事に気付いた。どうせヒマラヤは見えないし、また登って来るのだからよしとしよう。
途中、地元民に声を掛けていた、女性が乗り込んで来た、ポカラ市街で降りた。
このピックアップトラックは、レイクサイドのどこへ行くのか?
バス通りを走っている時、日本食レストラン「桃太郎」が見えた、2日前見付からなかった桃太郎の看板が地面に立掛けてあった。
間もなく停まった。料金を払いながら、これにはどこで乗れるのかと尋ねると、どうもバスの様には乗れない様だ。
後日談:このピックアップトラックはパラグライダーの客と機材をレイクサイドから離陸地まで運ぶ車であった。

2日前行ったオープンテラスのレストランに寄った。
ゴルカビールとチョウメン(チベット料理 焼きそば)にした。約Rs.425(\410)。

登山用品店で帽子Rs.400(\390)を買った。
野球帽タイプで、つばが3つ折でき、コンパクトになるのが気に入って購入した。
ブランド名The North Faceとなっているが、価格とメイドイン・チャイナからコピー品だろう。

インターネット・カフェで1時間ほど時間を潰した。
ポカラの天気予報を調べると、太陽マークと雲マーク、両方が付いている日がほとんどだが、唯一5日だけが太陽マークのみで晴天が期待できる。

G.Hに戻った。
シャワーを浴びて、ゆっくりした。
夕方、雨が降り出した。

雨の中、夕食に出た、途中、土砂降りの雨になりジーンズがびしょびしょになった。
昨日も大雨で夕食に行かなかったので、今日は無理しても出掛けた。
イタリア・レストランに入り、2階に上がった。中国人ばかりだ、食事も終りスマートフォンでゲームでもしているのか大人しい。
メニューでピザを選んだが種類が多くて適当に注文した。ビールと共でRs.704(\685)。
ピザは日本のピザより相当に旨かった。サイズは中を頼んだが大きい。それでもペロリと食べてしまった。
また、土砂降りの雨になった、2階は窓ガラスの無いオープンエアで雨が吹き込んで来る。
みんな帰れないので雨宿りだ。

雨も小降りになりレストランを出たが、道は川状態であった。
例年では雨期が終わっている時期だが1ヶ月遅れているのか? 夕方に雨が多い。

 今日歩いたルート 
 

ネパール旅行 10月02日 ポカラ滞在 2日目 日本山妙法寺へ

2012年11月21日 | ネパール旅行2012/09/24~
5時30分ごろ、起床。夜、雨が降っていた。
6時前、窓からヒマラヤが見えないかと覗いたが、ガス(霧)がかかってまったく見えなかった。

7時30分ごろに朝食を頼んでいたので3階の食堂に行く。
本来なら食堂からの見晴らしは良いのだが、今日はまったくヒマラヤが見えない。
サランコットや日本山妙法寺(ワールド・ピース・パゴダ)に登る予定だが、ヒマラヤが見えるかタイミングが難しいと奥さんに話すと、タクシーで30分で上がれるので朝、ここからヒマラヤが綺麗に見えればタクシーで行けばよいとアドバイスしてくれた。
そんな手もあるのか!!
朝食は、目玉焼き、のり、味噌汁、ご飯(日本米)、緑茶であった。Rs.170(\165)
日本では毎朝、和食である。
海外旅行では玉子料理、トースト、コーヒーが宿泊料に付いている場合が多い、それはそれで飽きない。

今日はヒマラヤが見えそうにないので、ダムサイドやデヴィズ・フォール辺りを散策する事にした。
9時前、空G.Hを出る時、奥さんにヒマラヤが見えますよと教えてくれた。ダムサイドで見ますと言って出掛けた。
レイクサイド南のフェワ湖沿いを歩く。
 レイクサイド南のフェワ湖沿い通り
 

レイクサイド南を過ぎるとバス道があるだけで楽しくもない、仕方なく歩く。
レイクサイド南から徒歩30分ほどでダムサイドに着いた。
フェワ湖の南端にダムがある。その東側にホテルが集まっている。
小さな公園があり、そこからダムや放流川が見える。
 放流川とダム
  
放流川から北を見るとヒマラヤの峰が僅かに見えた。しかし、写真には写らないだろう。
 ヒマラヤが見えるポイント
 

今日はダムサイドのビューポイントからヒマラヤ眺望を期待できないので、デヴィズ・フォールに向った。
放流川沿いに歩き、途中近道を選び進むと吊り橋があった。
ダムが見えた、ダムから流れ出した川に架かる吊り橋であった。
 吊り橋
 

吊り橋を渡ると、若い男がいて掲示板を読めと言う。
「NOTICE FOR THE VISITORS」という掲示板があり、そこに注意書きがされていた、1.ガイド同行orグールプで行け 2.ハイキング、観光、トレッキング中は貴重品を持つな 3.ローカルな伝統や文化をリスペクトしろ など6項目あった。
私は無視して歩き出した。若い男がガイドすると言って来たが断わった。それでも付いて来る。
あまりにもしつこいので、この男が一番危険だと感じて引き返した。山賊が昔出た地区だそうだ?????
吊り橋を渡り、放流川まで戻った。放流川沿いに歩いていると、日本山妙法寺(ワールド・ピース・パゴダ)が見えた。
 日本山妙法寺(ワールド・ピース・パゴダ)
 

放流川沿いを行くと国道に出た。
田園の中に国道が走り、道路沿いに民家が並ぶ。
デヴィズ・フォールを見過ごし、通り過ぎたと勘違いした。
行き先を変更して、先ほど見えた白いパゴダ(日本山妙法寺)に登る事にした。今日はヒマラヤが見えない事を覚悟で行こう。
国道を行くと賑わっている町があり、そこで1リッターの水(ペットボトル)を買った。(実はここがデヴィズ・フォールであった。)
ここからすぐに登り口に着いた。
国道から離れて斜め上に伸びる道が見えた。山の中腹には山肌を切り開いて造った林道が見え、尾根の奥向こうに白いパゴダが見える。
 登り口                                 尾根の奥向こうに白いパゴダ
  

林道を登り始めた。
10時30分になっていた。レイクサイドから徒歩1時間40分ほどだ。
先ほどの尾根に行きたいが道が分からない。
登り始めてすぐに崖のように急な斜面に50cm幅ほどの階段があった、見上げると民家らしいがあり、そこへの道だろう。
林道を進む、こんな道より山道を歩きたいと思っていると、斜面を横切り尾根に向う山道を発見した。
山道を行く、バイクのタイヤ痕が残っていた。尾根筋に出た、階段があるが民家への道の様だ。
尾根を廻りこむと牛がいて驚いた、牛飼いに「パゴダ?」と尋ねると違う様だ。
牛飼いが指差した道は、先ほどの民家への階段であった。
  
  写真左端の山道どうしがつながっている。

尾根道の階段を登る。あの大きな木のところまで上がれば休憩しよう。
林道を見ると、バスが走っているのが見えた、その後西欧人グループがストックを両手に持って林道を登って来るのが見えた。
 

大きな木はチョウタラであった。
チョウタラとは、周囲を石で囲って段差が作られ、荷物を置いてひと休みできる様になっている。石で囲われた中には菩提樹が植えられて木陰を作る。
奥さんだろう3人が井戸端会議でなくチョウタラ会議か!
私はデイバックを石段に置いて休憩した。心地よい風が吹いている。
デイバックの重量は3.5kgほどである。長く担いでいると重く感じて来る。カメラと水1L、傘&カッパ、長袖Tシャツ1枚が主な物である。
 チョウタラ
 

奥さんだろう2人が日傘を差して下って行った。
私も10分ほど休憩した後、また登り始めた。
西欧人若いカップルが下ってきた。「ナマステ!」と挨拶した。
林道が昔からある山道を寸断させて道が分かり辛くしていた。
 

見上げていた白い仏塔が目線を横にすれば見える様になった、かなり登って来た。
 

民家が点在し棚田の横を抜けると頂上への尾根に出た。
11時40分になっていた、登り口から1時間10分はどで登った事になる。
山道は地元民の生活の道だ、麓の村と山上の村を繋ぐ道である。林道ができた為、村と村を繋ぐ部分は草が生え荒れてきている様に思う。村内の山道は今でも使われている感じだ。
やっとの思いで着いた尾根には、閉まっていたが茶店があった。小屋と小さな東屋にテーブルだけの茶店である。
その前にチョウタラがあり、石段に座って休憩した。チョウタラに菩提樹がないので木陰がない。
ここからはじめてフェワ湖側が眺められる。
本来ならフェワ湖、サランコット、そしてヒマラヤが見えるはずであるが、雲がかかり、フェワ湖まで霞んで見えた。
今日はヒマラヤが見えない事を覚悟で登ってきたがフェワ湖まで霞んでいるとは残念!!!
 1週間後に見た絶景
 

ここから日本山妙法寺までアップダウンはそれほど無い。
10分ほど休憩した後向った。
 

途中でネパールの若者15人ほどとすれ違った。どこへ行くのだろう? サンダルを履いている者もいる。
手前の建物はホテルであった。
スタッフが話し掛けてきた。彼らはカトマンズの大学生で日本でいうゼミ仲間の様だ。これから歩いて降りるそうだ。
どこに泊まっているのかという事になり、荷物をまとめてタクシーでここまで来い、US$20/泊だ、ここはいいぞ!!と言われた。
ホテルの横にレストランや売店が続き、日本山妙法寺の門に出た。横書きで右から「日本山妙法寺」とあった。
 日本山妙法寺(ワールド・ピース・パゴダ)の門 
 

階段を上り、門をくぐる。途中から手すりにすがり上る。
振り返ると来た道が見渡せた。
 

階段を上がると白い仏塔が見えた。12時になっていた。
これがレイクサイドから見えているのだ。
標高1113mに白い仏塔が建つ。
日本山妙法寺とは日本で聞いた事のある様な、ない様なである。「世界各地で 平和運動を展開していることで知られる。」そうです。  
 仏塔
 

靴を脱ぎ、靴下も脱いで仏塔に上がった。仏塔の4面に金色の仏像が安置されている。
仏像を見て仏塔を一周した。観光客は、仏塔でできた影で休憩していた。
私も仏塔に背をもたれて座った。
時々欄干からフェワ湖を眺めて写真を撮るが、もやがかかった様になる。この様な時の写真の撮り方を練習しなければ!!!
諦めて、フェワ湖側に下る事にした。

ガイドブックには仏塔の下に降り口があるとなっているがそこへの行き方が分からない。
白い仏塔の前は広い庭になっていて花が咲いていた。
その庭のフェワ湖側に下り階段があり、覗いて見ると下に僧院?が見えた。この下り階段は降り口ではないと思った。
門まで階段を降りると、フェワ湖側にホテル、カフェ、ビューポイントなどの道標が目に入った、仏塔下方向に狭い山道が続いていた。
その道を進むと仏塔側に金網フェンスが続き、フェンスに扉があり開いていた。仏塔から降りて来て、この扉を抜けると狭い山道に出られるのだ。先ほどの僧院?が見えた下り階段から続いているのだろう?
フェンスの扉から20mほどにフェワ湖への降り口があった。
 フェワ湖への降り口
 

降り口は狭いが、すぐに広い石階段が続いていた。
登って来る西欧人3組とすれ違った。「ナマステ」と挨拶した。
ネパール人と間違われているかも知れない。
  

鬱蒼とした森の中を20分ほど下ると見通しが利く尾根道となった。
小さなホテル横を通る。
西欧人6人グループに追い越された。
チョウタラからの見晴らしが良いので、彼らは止まっていた。私もチョウタラに座って休憩した。
中国人カップルが来て、登って行った。
彼らの何人かが中国人が来た方に歩いて行った。残りの彼らが私に、こちらで良いのかと尋ねたのでそうだと答えた。
間もなくして私も行こうとすると彼らは全員戻って来た。
え!!! あの中国人カップルは?? 道に迷っていたのか!!!
このチョウタラは三叉路になっていたのだ。
   

彼らの後に付いてボート乗場に着いた。仏塔から40分であった。
建物内にチケット売場があり、ボート代Rs.310(\300)とコーラーRs.90(\88)を買った。
 ボート乗場
 

対岸のレイクサイドまでこのボートで渡る。
漕ぎ手のおっちゃんに中国人が多いね!と向けると、中国からバスでネパールに来る、運賃が安いらしいと言っていた。
チベットのラサからカトマンドゥまで直線距離で600km、大阪-東京間が400kmで名神高速を走る様な訳には行かないが、言われてみれば十分可能だ。中国には寝台バスがある、座席の変わりに2段ベッドが並ぶバスだ。
 フェワ湖の小島(バラヒ寺院)                    べたなぎのフェワ湖
   

対岸のボート乗場に着いた。
14時になっていた。腹が減ったしビールが飲みたい。
その前にルピーの残りが少なくなったので両替しなければならない。
両替レートはどこも一緒なのでどこでもいいがレートが悪い、1万円がRs.10,190であった。カトマンドゥでは1週間前Rs.10,800であった事を考えるとポカラはレートが悪い。
レストランで、チキン・チョウメン(チベット料理の焼きそば)とエベレスト・ビールにした。約Rs.380(\370)
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々をぼんやり眺めていて、中国人の異常な多さに気付いた。

昨日、あれだけ探したインターネット・カフェをすぐに見付かり、1時間使った。Rs.75/hr 
ツアー会社にパソコンを4台並べてインターネット・カフェを兼ねている、壁一杯に写真を貼り付けられていた、その一部にポタラ宮殿が写っていたので、ラサ?と尋ねるとそうでラサ全景写真であった。

16時ごろ空G.Hの戻った。
シャワーを浴びてゆっくりしていると雨と雷であった。
19時に夕食に出ようとしたが、まだ激しい雨が降っていた。
食事に出るのをやめて、ビールを頼んで部屋で飲んだ。

21時30分、就寝。

 今日、歩いたルート
 

ネパール旅行 10月01日 ポカラ滞在 1日目

2012年11月18日 | ネパール旅行2012/09/24~
6時過ぎ起床。早くに目覚めたが雨が降っていたのでベッドにいた。
ヒマラヤが見えないか、窓から確認した。朝日が薄雲の中に上がっていたが山は見えなかった。
雲が上がって来たので屋上に上がった。
空と雲の境に白い峰が見えて来た。
 最初に見えた白い峰(ラムジュン・ヒマール 6986m)
 
ポカラの町の西に広がるフェワ湖を見ると低い雲が流れて、そう上に白い雲&青空が見えた。急速に天候が回復していく様だ。
 
低い雲が流れ去ると徐々にヒマラヤの山々が顔をだす。
最初に見えた白い峰の左側にアンナプルナ2&4が薄っすらと見え、更に左にマッターホルンの様なマチャプチャレが顔を出した。
時間と共に雲がはれ、壮大なヒマラヤ風景が目の前に現れた。
標高800mのポカラから30~40km離れたところに8000m級の山々があり、それを仰ぎ見る。
想像もしていなかった風景に唖然とした思いであった。
大阪であれば大阪駅から関西空港や京都市付近に富士山の2倍の高さの山々がある。
東京ならば東京駅から横浜や千葉付近に同じ様な山々がそそり立つ風景が想像できるだろうか。
 左からアンナプルナ4 7525mとアンナプルナ2 7937m    マチャプチャレ 6993m
  

ポカラから見えるヒマラヤ絶景ポイントのサランコット1592mと日本山妙法寺1113mには登る積もりだ。
 サランコット(奥 アンナプルナ・サウス 7219m)         日本山妙法寺
  

中国人が屋上に上がって来た、仲間を呼びに行き大勢でやって来た。西欧人カップルもやって来た。
私は、1時間ほど変わり行くヒマラヤを眺めていた。遠く霞んだヒマラヤが、はっきりくっきりと見えないだろうか!!
1時間後に更に屋上からヒマラヤを見ようと朝食に行った。
ポテト付きオムレツ、トースト、ジュース、コーヒーであった。ネパールでの朝食の定番がこれである様だ。ただし、コーヒーが紅茶かも知れない。

朝食後、屋上に上がると雲で蔽われ、まったくヒマラヤが見えない、予想外だった。
朝のわずか1時間半ほどの間しか見えないのか!!!

Hotel Orchidをチェックアウトして空ゲストハウス(空G.H)へ向った。
フェワ湖に出ると遠回りなるので奥から廻り込んで歩いたが通りを1本間違え、かえって時間が掛かった。
昼前にチェックインすると言っていたが、10時過ぎに来てしまった。
部屋は掃除中で3階の食堂で少し待った。宿帳に住所と名前を書いてチェックイン完了。
 空ゲストハウス
 

ポカラのフェワ湖沿いにホテルやレストランが集まるところがあり、レイクサイド北、レイクサイド南&ダムサイドと言われている。
レイクサイド北に行って見ようと出掛けた。
フェワ湖沿いの大通りを歩いた、いろんな店やレストランが並ぶ。
途中からフェワ湖畔を歩いた。
湖は鏡の様である。
湖越しにサランコットが見える。朝、サランコットの後に見えたアンナプルナ・サウスは雲に隠れていた。
 フェワ湖&サランコット
 
湖畔を歩いていると、若いネパール人?1人が私を追い越し際に「どこへ行くのか?」と話し掛けて来た、「散歩!」と答えると、彼は、「2日間でサランコットとピース・パゴダに登るんだ。」と楽しそうに言って歩いて行った。
牛が湖に浸かっていた、また草を食べていて側を恐々通り抜けた。
レイクサイド北の北端に来た。
レンタルバイクやレンタサイクルでフェワ湖の奥へ行く西欧人や中国人を見掛けた。
 レイクサイド北 北端
 
フェワ湖沿いの通りを戻った。
レイクサイド北の北側には長期滞在者に人気があるそうだ。
ホテルやレストランの料金が手頃だからであるが、裏山が近くヒマラヤが見えないのではないか?
 レイクサイド北の北側風景
 

レイクサイド北のバス通りに日本食レストラン「桃太郎」がある。そこで昼食にしようと思い行ったが見付からなかった。
フェワ湖沿いの通りに戻った。
登山用具店が大変多い。100m行く間に3~4店あるところもある。
私のトレッキングシューズは買い換え時期に来ていた。トレッキングシューズと言っても厚いソールのスニーカーで海外旅行にも普段でも履いている。
登山靴を見に入った。値段を聞くとRs.3,000~4,000(\2,900~3,900)と日本の1/3である。
履いて見る事にした、サイズを聞かれ分からないので今履いているのを脱いで渡した。
サイズが分かったのか、登山靴を出してくれた。履くと長さは合うが、親指と小指の付け根の骨が出っ張ったところの足幅が全然駄目であった。
それを伝えると、店員も分かっているのか? 諦め運動靴を勧め始めた。
私も登山靴を諦め、店を出た。大変、残念だ。これからのハイキングに使おうと思ったのだ。
本屋に地図が並んでした。ポカラ地図Rs.300(\290)を買った。
ツーリスト・マップであるが、私が行く予定の山はすべて記載があるので買った。

オープンテラスになったレストランに入った。
ゴルカビールが安かったのでゴルカビールと玉子&チーズ・ハンバーガーを注文した。約Rs.400(\390)
暑くて、歩き疲れていたのでビールが旨い。
ハンバーガーが来た、生野菜が付いていた。
ネパールに来て1週間になるが、生野菜はまだ食べていない。海外ではあまり食べない。
ハンバーガーをかぶり付いた、トマト、レタス?も挟まれている。これも生野菜だ。
これを食べて、付いて来た生野菜を食べない手は無い。しかし、半分だけにした。

空G.H近くのフェワ湖沿いでインターネット・カフェを探したが見付からない。
昨夜、夕食後ぶらぶらした時には有ったのだが、今は見付からない???
空G.Hに戻った。
疲れて2時間寝てしまった。隣が建設中で大きな音を立てていたが寝続けた。

夕食に出る時、奥さんに傘を持って行きなさいと言われ、素直に従う。
日本食レストラン「たべものや」へ向った。
「たべものや」は、レイクサイド南にある。空G.Hはレイクサイド北の南側にあるので、それほど遠くない。
「風の旅行社」と漢字看板を見付け、その横に「たべものや」とあって路地を入って行った。
路地でなく庭か?暗くてよく分からない。靴を脱ぎ、スリッパを履く、中は板の間だ。
木製のテーブルが並ぶ、10人の予約が入っているとの事でその準備中であった。
とんかつとサンミゲールビールRs.250を頼む。
とんかつをあてにビールを飲もうと思ったのであるが、そのとんかつが小さ過ぎた。
腹がへるだろうから、とんかつ定食Rs.390にしてもらった。サ&税込みトータルRs.795(\770)
10人の予約客は日本人シニア多分70歳前後の夫婦のグループだった。幹事役の人がメニューを読み上げていて、日本語メニューに気付き、日本語なんだ!と笑わせていた。私も笑ってしまった。

帰り道、停電であった。大通りはまだ明かりがあったが、空G.Hへ道は真っ暗だった。次から懐中電灯を持って来よう。
カトマンドゥでも停電時に真っ暗な通りがあり懐中電灯を持ち歩いていた。
雨は、傘を差すほどではないが降っていた。

部屋も停電で最低限の灯りだけで、天井ファンもコンセントも使えない。
本を読むには少し暗く、懐中電灯で読む。
風呂に入ろうとバスタブにお湯を張った。お湯は太陽熱温水器から供給されるので停電とは関係ない。
海外のバスタブは長細いので、寝る様に入れる。従って、お湯の量も少なくて済む。
仰向けに寝る様に入ると胸が辛うじて浸かった。それでも気持ち良い。当然、シャワーとは全然違う。
バスタブ付きの部屋を選んで良かった。

21時30分、就寝。

ネパール旅行 9月30日 ポカラへ

2012年11月15日 | ネパール旅行2012/09/24~
今日は、7時のバスでポカラへ向う。

5時、起床。携帯電話のアラームで起きた。
荷物をまとめなければならない。まず、捨てるものはゴミ箱周りに集め、残った物をバックパックに詰める。忘れ物が無いか確認する。これが忘れ物をしない様にする私のやり方だ。

6時前にチェックアウトし、宿泊費(5泊×US$17)US$85(\6,885)とビール大瓶代Rs.375(\364)を支払った。
バックパックを担いで出ようとすると、送るから待っていてくれと言われた。
若者が1人でソファーに座っていた。日本人だろうと思っていると日本語で話し掛けられた。
彼は中国東方航空で静岡から上海経由でカトマンドゥに来た。
今は、4時に迎えが来てナガルコット(ヒマラヤの眺めがよい丘)へ行く予定であったが、まだ迎えが来ない。フロントに頼んで問い合わせをしているところだそうだ。
日本でインターネットからナガルコットへの車チャーターを予約していたと言っていた。ここのホテルもインターネットで予約したと言っている。
ナガルコットは私も行く予定であったが今回行けなかった。参考までにナガルコットまで車チャーター代がいくらだったか尋ねるとUS$40とのことであった。
6時30分ごろ迎えが来て彼は出掛けて言った。フロントの人がホテル代がまだ振り込まれていないんだと困っていた。

間もなく、フロントの若いのがデイバックを担ぎ草履姿で現れ、タクシーが待っているから行こうと声を掛けられた。
フロントマンの若いのが日曜日だし休暇でどこかへ行くのだろうと思った。
タクシーでバス乗場まで行き、私だけ降りるのでと思っていたら、彼も降りてタクシーは行ってしまった。
彼の案内でBABA ADVENTUREのバスに着いた、バス後部の荷物入れに彼はデイバックを入れた。彼もポカラに行くのか? 私のバックパックを入れると、彼は「Good-by」と言って、どこかへ行った。
バスに乗り込み、私の席シートNo.9を探していると、車掌が後部の空席に座れと指図した、中国人グループの中の席だ。俺の席はシートNo.9だと言っても聞かないので大声で「Seat No.9」と叫んだ、すると席へ案内してくれミールクーポンを渡された。

7時過ぎにバスは出発した。
私の席は通路側であったが、窓側の席が空いていたので窓側に移った。これで窓側の席が確保できた。予約時フロントの人が「リバーサイド」と言っていたので景色の良い方なのだろう。
運転席が部屋の様に仕切られていて、運転席の横と後に各3人ほどが座っている。何の為の席なのか? 車掌も座っていた。ホテルのフロントマンの彼も乗っているのだろうか。
前の方の席が空いていると思っていると、カトマンドゥ市街で乗客が乗って来てすべて埋まった。

カトマンドゥは盆地になっているので峠を越えて行くのだろうと思っていたが、昨日行ったキルティプルの丘の高さほど上ると下り始めた。しかし、それでも峠にかわりはない。検問所があった。
バスは停まった。渋滞だ。理由がわからない。検問の警官が来た後に動き出した。
つづら折りの道路で高度をどんどん下がっていった。川沿いを走るころ、山を見上げると今下って来た道路が小さく頂上付近に見えた。

小川の様な川が徐々に川幅を広げて行く。どこか日本と同じ様な風景だ。
  

川沿いには棚田がある。
  

川には吊り橋が掛かる。
 

カトマンドゥを出発して3時間、大きな川になった頃、トイレ休憩になった。
途中、更に高度が下がり、暑くなってきたのでバスのエアコンがはいった。
  

国道を走るトラックはインドのタタ製だ。
マイクロバスはトヨタのハイエースで、バスはタタ製だろう。
乗用車はトヨタだ。カトマンドゥであれだけ走っていたマルチ・スズキはまったく走っていない。
山国のネパールにインドから車両は輸送されるのだろうが、距離はたいした事ないが道路が悪いので大変だろう????

11時30分ごろ、ロープウエイが見えた。
ドーンと音がして揺れた。バスの車体の何かが外れた様に思った。だが、タイヤのパンクであった。
このバスは35人乗りで、乗客は中国人と西欧人が各10人ほどが乗り、その他はネパール人orアジア人である。日本人は私だけであった。フロントマンは乗っていない。あのデイバックは????
道路脇でパンク修理を待ている時、ネパール人に中国人かと聞かれ、日本人だと答えると「中国人が多い、負けてるがな!」という感じで言われた。
  

30分ほどでパンク修理が終り出発した、間もなくムグリンを通過した。
ムグリンはチトワンやルンビニへの分岐点である。500mほど道路両側に店舗が並び、これまでで最も賑わっている町だ。
大きな橋を渡った。相変わらす右手に川が流れている。
カトマンドゥから川沿いの道路をバスは走り、絶えず進行方向の右手に川が流れている。
川の流れもバスの進行方向と同じであったが、ムグリンを過ぎてからは逆になった。
東西からの流れがムグリンで合流して南に向かい、ガンジス川となりインド洋に流れ込んでいるのだろう。

13時ごろ、昼食タイムでレストランの駐車場にバスは停まった。
ミールクーポンでバイキングでネパールカレー、焼き飯、焼きそばを取った。バスにトイレが付いて無いのでビールが飲めない。

カトマンドゥからポカラまで7時間となっているので14時着だが、あと30分で着きそうにない。
大きな川を渡った。
 

周りの山も遠のきポカラも近いのだろう。
バスが停まって検問を受けていた、後部の荷物入れに犬を乗せ検査している。麻薬犬か?
何も無く、バスは行ってしまった。
次に私達のバスには麻薬犬?が乗り込んで来て通路を歩いた。麻薬犬?を繋ぐロープには英国国旗のシールが巻かれていた。
後部荷物入れあるフロントマンのデイバックが、やばいのではないか????
何も起こらず、バスはポカラに向った。

14時45分ごろ、ツーリスト・バスパークに着いた。
私が降りると1人の運ちゃんが近付いて来た。何で私が客だと分かるのか? 私の名前を書いた紙を持って向かえるのが普通だが??
本当に私の迎えなのか? 「私の名前を言え」と言うと正解だったので間違いない。
バス後部の荷物入れで私のバックパックが降ろされるのを待った。
すでにフロントマンのデイバックが他の荷物の上に置かれていた。私とは関係ない。
私のバックパックを受け取り、運ちゃんに案内され車に行った。助手席に座れと指示され乗り込んだ。
運ちゃんは、他に中国人を大勢連れて来た。乗り切れないと中国人が文句を言っていた。また、戻って来ると待たせて運ちゃんは出発した。

Hotel Orchidに着き、バウチャーを渡しチェックイン完了。
最上階の部屋で5階まで上らなければならない。この階にはハネムーン・ルームがありヒマラヤも湖も見える様だ。
しかし、私の部屋はそれが見えない。朝食付きUS$30(\2,430)は高い。
 

中国人が着いたのだろう。階段が吹き抜けの役目をして、うるさい声が聞こえて来る。

明日から泊まろうと考えている空ゲストハウスに向った。
ガイドブックの地図には、Hotel Orchidが載っていないので現在地が分からず、取り合えずフェワ湖に出た。
フェワ湖沿いに歩いた。トレッキングのガイドを声を掛けて来た。日本語が堪能だ。
なま返事でかわしていたが、行き過ぎてしまった様だ。空ゲストハウスに行きたいと話すと、やはり行き過ぎていた。
ガイドの携帯電話がなり、いなくなった。
蘭花飯店の漢字が目に入った、アルファベットは読まなかったら理解できないが、漢字は見るだけで分かる。
この中華料理店近くの通りを行くと空ゲストハウスに行ける。
手製の「空 SORA」看板と小さな鯉のぼりで気付いた。鉄製の門をくぐり入る。
奥さんが日本人、旦那さんがネパール人で日本語が堪能だ。
明日から1週間ほど泊まりたいが部屋は空いていますかと尋ねて、部屋を見せて貰った。
旦那さんが2階の部屋に案内してくれた。
ホットシャワー&バスタブ、天井ファン、ツインベッド、朝食無しでUS$20(\1,620)/泊であった。US$15の部屋は、バスタブ無しである。バスタブ有りの部屋に泊まる事は最近無かった。今回は風呂に入りたいという気持ちが勝ちUS$20の部屋にした。
明日、昼前に来る事にした。

ホテルに戻り部屋に入るとスタッフが来て、英語で何か言っている。
バッグの事を言っている様だ。あのフロントマンのデイバックの事か?
私のは、このバックパックとデイバックだと大声で言い放った。
すると、わかったと言って出て行った。
出かける時、ディバックは椅子に置いていたが、今は床に置いてバックパックと並べられていた。私は出掛けている間にスタッフが部屋に入り荷物を触ったのだ。
私は運び屋にされるところであった。
このHotel Orchidは、怪しげなホテルである。

夕方、夕食にフェワ湖沿いのレストランに行った。
「Happy Hour Beer Rs.160」が目に付きLOVE KUSH RESTAURANT & BARに入った。
ビールRs.160(\155)とフライド・ヌードルRs.230(\223)を頼んだ。サ10%込みでRs.430(\420)。
ビールには、ポップコーンが付いていた。
フライド・ヌードルは味はそうだったが、麺はスパゲティである。
バンコクのカオサン通りで日本語で焼きそばとあり頼んだら、ソース焼きそばでやはり麺の変わりにスパゲティであった事を思い出す。

19時30分、就寝。

ネパール旅行 9月29日 カトマンドゥ滞在 パタン&キルティプル

2012年11月12日 | ネパール旅行2012/09/24~
今日は、パタン(ダルバール広場)とキルティプル(ネワールの丘の町)へ行く予定だ。

6時30分ごろ、起床。
朝食に行くと1テーブルだけが空いていたが、他のテーブルは中国人ばかりだった。
フロントに新しく中国人女性2人が来たが戻って行った。部屋が空いていなかったのか? 私の泊まっている2階は、空いている様だが? ただしシャワー&トイレは共用である。私の部屋はシャワー&トイレが付いているが!
カトマンドゥでホテルを検討している時、経済的なホテルにシングルorダブルで安くて良いなと思った部屋がシャワー&トイレは共用であったりした。当然シャワー&トイレ付きの部屋もある。シャワー&トイレ共用のシングル&ダブルルームがカテゴリとしてあるのだ。決してドミトリではない。
中国の秋の大型連休が明日から始まるが、中国人であふれ返るのでは!!!

パタン行きマイクロバス乗場に向った。
中に寺院のある池(ラーニ・ポカリ)の南側の通りに乗場がある。歩いて30分ほどで着いた。
マイクロバスが停まり、パタンと尋ねると違った。別の車掌にシティ・バスパークへ行けと言われた。
マイクロバスとバスでは到着地が違うがバスパークに向った。
シティ・バスパークまで200mほどを歩いた。
 シティ・バスパーク
 
写真左側に多数のバスが停まっていた。売店でパタン行きバスはどれか聞くと指差しで教えてくれた。
そのバスの車掌にバタン?と確認して乗り込んだ。
バスで20分でパタン・ドカ(パタン・ゲート)に着いた。
 パタン・ドカ
 

旧市街を歩く、古い家並みや路地脇にヒンドゥ寺院がある。
パタン・ドカをスタートとする散策ルートがあり、それを行く積もりでいたが迷子になり、今どこか分からない。
通りから狭い路地を人が行き来していた、行って見るとぽっかりと中庭の様な空間があり仏塔や地下水汲み場があった。
 古い家並みと通り       中庭の仏塔
  

4差路に出た、土産物屋があったり、人が多く行き交う方に行って見るとゴールデン・テンプルの看板を見付けた。
 ゴールデン・テンプル入口
  
入口を入るとチケット売り場があり、入場料Rs.50(\49)を払った。
にぶい金色の本堂(三層の楼閣)の前にお堂があり、それを取り巻く様に2階建て建物が建つ。
1人が通れる狭い階段を上がり2階に行くと広い仏間があり、人々が拝んでいた。
 本堂
  

道に迷っていたが、ゴールデン・テンプルを見付けたので現在地が分かり、ダルバール広場に向う事ができた。
ダルバール広場には、いろんな寺院があるが、もっとも興味を引いたのは水汲み場であった。
昔からこの様な立派な給水施設があったのに驚いた。
 水汲み場
 

ダルバール広場は西側に寺院が並び、東側は旧王宮である。
 クリシュナ寺院                            ハリ・シャンカール寺院(三重塔)
  
 旧王宮(右側)                            旧王宮前に立つシッディ・ナラシン・マッラ王の像
   

パタンは、長い仏教の歴史を持ち、住民の8割が仏教徒だそうだ。
地図にアショカ・ストゥーパ4ヶ所が載っていた。
インドのアショカ王(仏教を守護した大王)が紀元前250年に娘とともに、カトマンズを訪れたと言われており、アショカ・ストゥーパとして残っている。
1年前のインド旅行で仏教遺跡を多く廻ったがアショカ王がよく登場した。
ダルバール広場から最も近いアショカ・ストゥーパを見て見ようと思い、北に向かった。
途中、大きなヒンドゥ教寺院、クンベシュワール寺院があった。入口横に水汲み場があり子供が水遊びしていた。
 クンベシュワール寺院 五重塔
  
クンベシュワール寺院から更に北へ100mほど行ったところに仏塔があった。
それはチベット仏教のストゥーパでアショカ・ストゥーパではないと思った。年代が違い過ぎるからだ。
更に北に行ったがアショカ・ストゥーパは見付からなかった。
(後日談、東西南北にアショカ・ストゥーパが残っており、ここ以外はおわんを伏せた様な土の塚であるがここはコンクリートで造り直された。)
 アショカ・ストゥーパ
 

スタート地点のパタン・ドカに戻る途中にピムバハ池に寄った。
 ピムバハ池とピムバハ僧院
  

パタン・ドカのバス乗場に着いたのが12時前であった。
2時間半ほどパタンをぶらぶら散策した。
次はパタン西5kmにあるキルティプル(ネワールの古い町並みが残る丘の町)に行く。
パタンもキルティプルもカトマンドゥからバスで40分となっていたので、パタンからキルティプルはタクシーを予定していたが20分で行けるので、バスにした。
直通でシティ・バスパークに行くものと思っていたら、カトマンドゥ中心部北にある住宅街経由で45分も掛かってしまった。
食事をしたかったがシティ・バスパークに適当なレストランが見付からず、コーラーだけを飲んでキルティプル行きバスに乗った。
13時過ぎ、20分ほどで終点に着いた。
これが古い町並みが残る・・・??
 
写真右側が丘であるが、建物が壁の様になり、道が見当たらない。
尋ねると、少し戻ったところにあるそうだ。
路地の様な急な坂道があった。ゆっくりゆっくりと登った。
急な坂道はすぐに終り、路地を進むとチランチョ・ビハールに着いた。
西欧人観光客が数人が来ていた。
小学生大勢が絵を描いていた。
 チランチョ・ビハール
  
古い町並みの残る路地を行った。
  
シヴァ神を祀るバグ・バイラヴ寺院に出た。
この寺院の裏からの眺めはすばらしく、眼下にはカトマンズの市街地が見えた。
ヒマラヤが見えるかも知れないと考えていたが、残念ながら見えなかった。
 バグ・バイラヴ寺院
  

丘を下り、カトマンドゥ行きマイクロバスに乗った、14時30分ごろになっていた。
20分ほどでマハポーダ・ストゥーパ近くで降りた。たまたま乗客が降りたので私も降りた。
ダルバール広場の延長パスの期限が今日まであるのでダルバール広場に向った。
10分ほどでインドラ・チョークに着いた。アカシュ・バイラヴ寺院の前にきれいに飾られた像があった。3日前には無かったが??
 きれいに飾られた像(アカシュ・バイラヴ寺院)
 

ダルバール広場に行くと警官or軍人が並び入口をふさいでいた。
しかし、大勢の人が中にいる。延長パスを見せて無言で「入れてくれ!」と迫ると入れてくれた。
昨日続きバイラウ御開帳である。
 
広場に行くとグルカ兵だろうが隊列を組んでいた。
広場の周りの寺院はさながら観客席の様である。
 
寺院の基壇が高く登れない、段の中ごろにつま先を掛け、上に手を差し出した。相手の男は一瞬固まったが、理解してくれ私を引き上げてくれた。
お蔭で多くの観客を抜け、前面に出られた。
 
このグルカ兵の隊列と観客は何???? 何の行事だ??? 今、15時30分ごろだ。
  

後日談:インドラ・ジャトラであった。9月29日は最終日であった。
「ネパールの首都・カトマンズにおいて、ダルバール広場に柱を立ててインドラ神を祀るところから始まり、シヴァの化身バイラヴ像が御開帳され、大人も子供も舞い踊り、メインの最終日3日間は、ネパール王国の重要な歴史を支えてきた生き神クマリが、山車に乗って町を巡幸する。
元々は雨の神インドラの伝説に基づく祭りで、雨期の終わりに天の恵みに感謝する祭り。」
昨日朝のダルバール広場の散歩と今日のダルバール広場で偶然体験したインドラ・ジャトラ、生き神クマリに会えていたら完璧であったのだ。

昼食を取っていなかったので、腹が減っていた。
日本食レストランの「ロータス」に向った。一昨日行った「おふくろ味」の近くにあり探した、見付かったが閉まっていた。
今、土曜日の15時30分ごろである。休み!!
「桃太郎」に行った。ここのメニューを良く見ると日本食、中華、ネパール料理と分かれている。
それでか? 客は、日本人、中国人、ネパール人が同じ割合で来る様だ。
タンメンとビールにした。野菜たくさんのタンメンは、やはり麺がもうひとつであった。

夜、小腹がすいたので「おふくろ味」へ行って、うどんを食べた。うどん自体も日本との違いがなく、旨かった。ほんとに旨かった、なぜか? ほっとした。

フロントに明日の朝早くにチェックアウトするので支払いをしたいと伝えたが明日でいいと言われた。私は、支払いを済ませたかったのだが・・・!

21時、就寝。

ネパール旅行 9月28日 カトマンドゥ滞在

2012年11月09日 | ネパール旅行2012/09/24~
今日は、休息の日としよう。

6時、起床。

ダルバール広場に散歩に出る。
チェトラパティ・チョークを南に真直ぐ行くと10分ほどでダルバール広場のシヴァ寺院横に出た。
シヴァ寺院前広場は駐車場の様に車が多数停まっていた。時間になったのか?一斉に車が移動して、元の広場に戻った。
クマリの館の方へ行くと山車が置かれていた。
祭りの準備中か?
 山車
  

一昨日に来た時は、扉が閉まっていた。人だかりが出来ていたので覚えている。
今日は御開帳である。バイラウ神ヒンドゥ教の神である。
 バイラウ神 御開帳 
  

旧王宮の方へ行くと木の柱が立っていた。日本の祭りの御柱の様である。
山車の車輪の保護か?むしろを敷いていた。
  

これは、何かの祭りの準備に違いない!!!!
ダルバール広場に30分ほどいてホテルに帰った。

朝食に行った。6テーブルがあるだけの朝食用の部屋である。その他、従業員が暇な時テレビを見ている。
中国人3組がテーブルに座っていた。中国人が増えて来た。
オムレツ、トースト、マンゴージュース、コーヒー、毎日同じものだがオムレツにジャガイモが付いているのがいい。

フロント横にパソコンが1台あり無料で使える。
空いていたのでインターネットを使い、ニュースを読んだ。
「今日早朝、カトマンズ空港を発ったカトマンズ発ルクラ行シタエア始発便が、離陸直後、空港近くの川に墜落、乗客乗員19名が死亡した。」とあった。ルクラとはエベレスト街道の始点となる街であり、ルクラ行き飛行機はよく墜落している。2~3年に1度は墜落している。
今回のネパール旅行では国内線飛行機には乗らない事にする。ポカラへ往復するが片道は飛行機で行きヒマラヤを見ようと考えていたがやめよう。
パソコンが1台しかないので1人で独占するのもなんなので30分ほどでやめた。

フロントでポカラ行きのチケットを買いたいと英語で言ったところ、日本語の話せるマネージャが来るので待てと言われた。
マネージャが来て、明後日のポカラ行きバス・チケットが欲しいと伝えると飛行機を薦められた。「早朝、飛行機が墜落した。」と言うとフロントに確認していた。
この一撃で飛行機は無くなり、バス・チケットの話が進んだ。
昼食付きを頼んだ、BABA ADVENTUREのバスでUS$17(\1,380)であった。
次にホテルを薦められた。Hotel Grand Holidayが1泊US$15で決めたが、フロントから満室だとマネージャが言われ、次にHotel Orchidを薦められた。1泊US$30(\2,400)仕方なくOKした。(今から考えるとHotel Orchidに変わった時から仕組まれていたのでは????)
断っても良かったのだが、ポカラに着いてからホテルを捜すのが億劫になったので予約した。マネージャからホテル・バウチャーを受取った。
バス・チケットはフロントが予約したのでチケットを受け取って確認すると日付が明日になっていた。「The day after tomorrow」と告げると「え!」という感じで再予約の電話をして再発行していた。確認してよかった!!!

部屋で洗濯した。一昨日買ったボディシャンプーで洗った。
バルコニーに干した、天気が良いのですぐに乾きそうである。

カトマンドゥは、思っていた以上に気温が高い。
昼間は短パンでもOKであるが夜は長ズボンが必要である。夜寝る時は、ブランケットは不要でシーツ1枚でOKである。
標高1,330mありこの時期もっと気温が低いと思い、服装もいつもなら夏用のぺらぺらなGパンをはいているが今回は普通のGパンをはき、長袖Tシャツも1枚多く持って来たが必要なかった様だ。

昼食に出た。
昨日に続いて桃太郎に行った。
ネパール旅行での食事は、主に日本食になりそうだ。
ネパール料理のバリエーションが少なく、各国のレストランが多くある。
各国の料理と言っても、中華料理、イタリアのスパゲティとピザ、サンドイッチ&ハンバーガしか知らない。
これらは日本でも普通に食べていて日本食と変わらない。
冷やし中華Rs.250とサンミゲール・ビールRs.290、サ10%込みRs.594(\580)を注文した。
冷やし中華も麺が日本と違い、パサパサ感がある。

真新しいパソコンが並んでいた。インターネット・カフェだ、入ってインターネットでニュースを読んだ。
早朝カトマンドゥで飛行機が墜落したので心配してるかも知れないので、Eメールしようとしたが、日本語入力できない。
画面のツールバーの入力モードに10ヶ国ほど表示され、中国語、韓国語もある。
しかし、日本語がない。なぜ????
係員に言って日本語入力の設定をしてもらったが、ツールバーの「A」が「あ」に変わらない。通常は「Hiragana」を選択したらローマ字入力出来るのだが、その選択小窓が現れない。
いろいろやって見たが、日本のキーボードの様に各キーが小文字のカタカナに対応して、小文字のカタカナが表示されただけだ。
ツールバーの入力モードに韓国語や中国語が常時入っているのに、日本語が入っていないのはソフトの欠陥で日本語入力できないからだろう。
諦め怒って、利用料金を払わずに店を出た。

ホテルに戻った、停電だ。
最小限の部屋とトイレは電灯をつくが、小説を読むには薄暗い。
また、インターネット・カフェに行った。ホテル横のビル地下にインターネット・カフェがあり、前回覗いて見ると子供で一杯であったが今日は空いていた。
大将に停電ではないのかと尋ねると、大丈夫とバッテリーを示した。胸の高さまでバッテリーを積上げていた。停電が多く、これで自衛しているのだ!! 料金はRs.50/hr。
次に私が「Japanese Font」と言うと、大将は、インターネットに繋いでアドレス欄にアドレスを入力してホームページを開いた。入力できる窓があり、ローマ字入力してスペースを押すと日本語変換した。
大将に「コピペ」と言われた。すべてが理解できた。
ここでEメールの内容を入力した後、文章をコピーしてメールに貼り付けて送信すればいいのだ。
やっと、墜落した飛行機に乗ってないとメールができた。

ホテルは、まだ停電していた。フロントに「エレクトロシティ ダウン」と言うと、違うと言われ、表を指差された。
表には、日付と時間が書かれていた。今日の時間を見ると今の時間帯であった。計画停電なのだ。
懐中電灯を照らして小説を読んだ。

18時前、夕食に出た。食事をしたいと言うよりもビールが飲みたいのである。
昨日見付からなかった日本食レストラン「ふる里」に向った。やはり見付からない。
おっちゃん達が路地の段差に座っていて、その横に日本語の「ふる里」をたまたま見付けた。
店が移転していて、新しい店の地図を書いたチラシが置かれていた。
新しい店に行った。店はガラガラであった。移転してそれほど日が経っていないのか? 私の様にチラシを見てまで来る人が少ないのだろう。
野菜炒め定食とビール大にした。定食の味噌汁が旨い。ご飯も日本と変わらない。

カトマンドゥには酒屋が異常に多い、しかし、ビールは大瓶がほとんどで缶ビールはあまり置いていない。
ホテル近くで缶ビール500mlを置いている店を昨日見付け、今日も行った。
店の娘さんが、私が入って行くと缶ビール500ml Rs.160(\155)を出してくれた。

20時、就寝。

ネパール旅行 9月27日 カトマンドゥ滞在 スワヤンブナート、ダボナートへ

2012年11月06日 | ネパール旅行2012/09/24~
今日は、朝からスワヤンブナート(仏教寺院)へ行く。

5時、起床。
日本と-3時間15分の時差があり、まだ日本時間で行動している様だ。
日が昇った6時過ぎにスワヤンブナートに向った。
歩いて30分ほどで麓に着くだろう。
ホテル近くのチェトラパティ・チョークを西に歩いた。舗装していない地道で歩き辛い。
広い道路に出て、橋を渡る。
道なりに歩く、急な坂道だ。地図でヘアピンカーブがあったがこれか!
スワヤンブナートが丘の上に見えて来た、音楽も丘の上から聞こえて来る。
どこかで聞いた事のあるメロデーの様だ。海外で聞いた事が無い。日本の歌か??
 丘の上のスワヤンブナート
 
参道入口までタメル地区から30分ほどであった。
 参道入口
 
 山麓の参道風景 
  
参道の石段を上る、中ごろから徐々に勾配がきつくなってきた。
休憩をしながら上っていると、後から迷彩服を着た兵隊さん集団が上って来た。その集団が指揮官の合図で一斉に走り出した。
 

まだ、6時45分ごろで朝の散歩で上っている人が多い。
最後の急な石段を見上げていると横から声を掛けられた。チケット売場の人で外国人を見付けて入場料Rs.200を徴収していたのだ。
すぐ後にも外国人がいる様だ。中国人男性に声を掛けていた、続いてその奥さんが来た、旦那さんが奥さんに「入場料を払わなければならない」と言ったのだろう、奥さんは恐い顔で大きな声で「○△×*・・・・! ○△×*・・・・!」。多分「そんなの払わなくていい」と言っている様だ。旦那さんは呆れた表情をしていた。
この奥さんを見ていて、入場料を拒否するという発想に私はショックを受けた。

最後の急な石段を上がり切ったところにドルジェ、日本では金剛杵(こんごうしょ)が置かれていた。
金剛杵とは、密教やチベット仏教における法具だそうだ。日本では護摩など密教の儀式において用いられ、祭壇に置かれているそうです。護摩とは、護摩焚きの護摩である。
 最後の参道石段        ドルジェ(金剛杵)
  

東南アジアのストゥーパ(仏塔)は、いろいろ見て来たが、ここの仏塔はちょっと違う。
特徴は4面にブッダの目と?の様な鼻が描かれているのと万国旗の様な祈祷旗、そしてマニ車がある。
仏塔を右回りにマニ車を回して歩く。私も健康で有ります様にと願って廻った。
いつも手を合われて願うが神社と間違えているのか???
  

絶えず聞こえて来る、どこかで聞いた事のあるメロデー??
これは参道を上がって来て、右手にある建物でアコーデオンの様な楽器を置き、皆で歌っている。歌詞を配り皆で歌っていた。
側で聞いていて沖縄民謡を思い出した、それと同じ音楽だ?
確か沖縄音階は2音階が少ない5音階である。普通はドレミファソラシドの7音階である。
アジアには5音階の音楽があると聞いていたがそれを体現できるとは思わなかった。
私は、音痴なので・・・ それでも間違いないと思う。

展望台からのカトマンドゥの見晴らしを期待していたが霞んでよく見えなかった。
展望台にはエクササイズで上がって来る人が多い、グループが出来ている様だ。
ボクサーがトレーナートと共に来ていた。シャドーボクシングをしていて迫力があった。

1時間ほど頂上にいて、来た参道を下った。
9時前にホテルに着いた。
腹が減っていたのですぐに朝食に行った。
西欧人男性と中国人カップルの2組が食事をしていた。
昨日と同じオムレツ、トースト、マンゴジュース&コーヒーにした。

午前中は小説を読んでゆっくりした。
昼からどこへ行こうか?
ネパール最大のヒンドゥー教寺院 パシュパティナートかネパール最大の仏塔がそびえる聖地 ダボナートか、どちらにしようか。
ヒンドゥー教の火葬の炎の上がるガートを見てもしゃあないので、朝に続いて仏塔を見にダボナートに行く事にした。

12時にホテルを出て昼食に行き、その後、ボダナートに向かう事にした。
日本食レストランに行った。
カトマンドゥには6軒の日本食レストランがガイドブックに載っていて、ホテルに近い「おふくろの味」に行った。
2階にあり、日本食堂と言った感じの店である。
野菜炒めRs.120とエベレストビール大瓶Rs.290を注文した。サ10%込みでRs.450(\440)
野菜炒めの味は、十分に日本食でした。

ボダナート行きマイクロバス乗場に向った。
乗場は、昨日見た中に寺院のある池(ラーニ・ポカニ)の北側の通りにあった。タメル地区から徒歩20分ほどであった。
次々マイクロバスが来て車掌が連呼している。多分地名だろう、聞き取れない。
車掌にボウダ(ボダナートを地元ではボウダというそうだ)と言って尋ねたが違う、数台に尋ねたが違う様だ。
10分ほど経ってボウダと尋ねると乗れと言われた。 
車掌が料金徴収に来た、運賃が分からないのでRs.20札を渡した。
渋滞しているが荒い運転で前へ前へと走り、客を拾っていく。
ぎゅうぎゅう詰めで定員オーバーの20人以上は乗っているだろう。マイクロバスとは、トヨタのハイエースである。
車掌に降りろとボディランゲージ言われた。30分ほどで着いた。
降りて見ると道路の両側に3階以上の建物が並んでいる都会であった。こんな所にバダナートがあるのか??? ここがボウダ???
警官がいたので尋ねると案内してくれた。10mほど行くとゲートがあった。
5mほどの間口の通路の先にストゥーパ(仏塔)が見えた。ストゥーパを見ていると声が掛かった、チケット売場であった。入場料Rs.150(\145)を払った。
 ゲート前からのストゥーパ(仏塔)
 
ストゥーパの周りを歩いた、周囲にはチベットの土産物屋や線香や仏具を売る店がぐるりと囲んでいる。
ゲートの反対側にアジマ寺院があり大きなマニ車があった。
このアジマ寺院の前からストゥーパに入れ、4段の基壇に上がれ、1週した。
 アジマ寺院
  
 ボダナート風景
  
 
古くからチベット仏教徒の主要な巡礼地であり、中国によるチベットの武力併合後は世界でも有数のチベット文化の中心地だそうだ。
私は14時ごろに見物したのだが、まったくの観光地の賑わいであった。
しかし、観光地の賑わいだけで、この廻りの開発は無い様に思う。亡命チベット人が多く住みつくているからだろう。

帰りもマイクロバスを待ったがカトマンドゥorタメル行きが来ない、15分ほどしてバスが来たので車掌に「タメル」と言って尋ねて乗った。
このバスはカトマンドゥのどこ行きなのか?と思いながら乗っていた。
40分ほど経ってカトマンドゥに入った様だ。
乗客に「シティ・バスパーク?」と尋ねると「どこへ行くのか?」と聞かれ「タメル」と答えると、ここで降りろという雰囲気だったので降り様と思ったが降り方が分からない!!ブザーが有るわけでもない。
間もなく、バスターミナル前を通過した所で乗客が降りたので私も降りた。ここがシティ・バスパークであった。

バスパークの前が公園で、そこでバザールをしていたので通って行く事にした。
帽子とフルーツ・ナイフを捜した。帽子は気に入ったものが無く、フルーツ・ナイフRs.50(\50)で買った。
カンボジアでUS$1であったので、こんなものかと即買った。
ホテルまで歩いた、歩き疲れて16時ごろホテルに着いた。
明日は、休息の日にしよう。

18時ごろ、薄暗くなってから夕食に出た。
タメル・チョークの北でホテルから少し離れているが日本食レストラン「ふる里」に向った。
どうも「ふる里」を通り越してしまった様だ。見付らなかった。
そのまま北に進み「桃太郎」に向った。
看板を見付け路地の奥に行くと店があった。実は通りに面したところに店があったが、それを見逃していた。
焼きうどんRs.250(\243)+ビール大瓶Rs.290(\282)サ込みRs.600(\577)を注文した。
奥の座敷に日本人4人がいた。大きな声で話している。カトマンドゥ在住の様だ。
1人が大きな声で話をして他はそれを聞き、時々相槌を打つ。旅行日記で何度か書いたが、韓国人の会話の典型で、それと同じだ。
日本人がこんなにうるさいのは初めてだ。それが中国人カップルとビジネスマン風中国人2人が入って来るとぴたりと静かになった。
このカトマンドゥ在住の大声男は、ほんとに日本人か??
焼きうどんは味は良いが、うどんが手打ちうどんの様に硬くごわごわして違和感があった。再度食べ様とは思わなかった。

20時、就寝。

ネパール旅行 9月26日 カトマンドゥ滞在 ダルバール広場へ

2012年11月03日 | ネパール旅行2012/09/24~
今日は、ダルバール広場まで散策する。

5時30分ごろ、外が白んで来たので起きた。
カメラを持って屋上に上がった。
カトマンドゥは周りを山に囲まれた盆地であった。残念ながらヒマラヤは見えない。
6時過ぎに日が昇り始めた。
  

6時15分ごろ、カメラだけを持って散歩に出た。
今日は曇りか!
タメル地区の中心地を歩いてみた、バックパックを担いだ西欧人が歩いている。
西欧人だけでなく中国人、日本人、韓国人(会話で判った)のバックパッカーが、湧き出すように現れ、同じ方向に歩いて行く。
多分、バスターミナルに向っているのだろうと私も付いて行った。数日後には、私もポカラに行くので下見しておこうと思った。
大通りに大型バスが数珠繋ぎに停まっていた。地図を持って来なかったので通り名は分からない。(後に調べたところ、カンティ・パト大通りであった。)
  

歩いていると息苦しくなり、息をしていない事に気付き、慌てて意識して呼吸をする。
メキシコ・シティで経験したのとよく似ている。標高が高いからか? 
しかし、メキシコ・シティの標高は2,000m少しあるが、カトマンドゥの標高は1,330mと低い。標高によるものではないだろう。
それでは何が原因か? ただ単に空気が悪いので呼吸を拒否しているのか!!

歩道橋から、中に寺院のある池(ラーニ・ポカニ)が見えた。
適当にホテル方向だと思われる通りを歩いて行った。
いくつかの通りの 交差する場所でちょっとした広場(アサン・チョーク)に出た。
野菜や果物の店が出ていた、寺院(アンナプルナ寺院)もあった。
 アンナプルナ寺院があるアサン・チョーク
  

6方向から道の集まるアサン・チョークから道を選び、進んだが迷子になった様だ。地図を持たずに出て来た事を後悔した。
少し広くなった道に出た。左右を見た、明らかにツーリストが滞在しそうな雰囲気がある方向に行った。
間もなく、見た覚えのあるチョーク(チェトラパティ・チョーク)に出た。もうホテルに近い。

ホテルの朝食は、7~9時の間に取ってくれとの事で、8時過ぎに行った。
日本女性、西欧人シニア男性&若い男性の3組が食事をしていた。
オムレツ、トースト、マンゴジュース&コーヒーにした。コーヒーはブラックかと聞かれる。オムレツにはポテトと玉ねじの炒め物が付いていてボリュームがある。

ガイドブックにタメル地区からダルバール広場までを往復する「おすすめ散策ルート」というのがある。
そのルートを行きダルバール(宮廷)広場に行く事にして、9時30分ごろホテルを出た。
晴天だ。チェトラパティ・チョークからタヒティ・チョークに向った。
途中、名も知れないヒンドゥ寺院があった。この様な寺院がたくさんある。
 

タヒティ・チョークに着いた。
広場の真中に仏塔があり、その周りに商店がある。地面にシートを敷き野菜を並べるおばちゃんもいる。
  

次にタヒティ・チョークから350mほどでアサン・チョークに着いた。早朝の散歩で通ったところがアサン・チョークであった。
ここで道を直角に曲がるが、通りが多くどの通りか確信が持てないので「ダルバール?」と聞いて進んだ。
アサン・チョークから200mほどにセト・マチェンドラナート寺院があるので捜した。
2人が並んで入れる位の間口があり人の出入りが多い、半信半疑で入って見ると、そこがオオー!! セト・マチェンドラナート寺院であった。
 セト・マチェンドラナート寺院
  

この寺院から100mほどにインドラ・チョークに着いた。日用品や衣類の店が並ぶバザールである。
民家かと思っていたらアカシュ・バイラヴ寺院であった。
 アカシュ・バイラヴ寺院
 

ダルバール広場(王宮前広場)に向った。
タレジュ寺院が見えて来た。
 タレジュ寺院
 
タレジュ寺院を右に廻り込むと通りにロープを張ってあった。ネパール人は端から進入して行く。やけにPoliceが多いな?
私は立ち止まっていると小さな小屋の人がこっちへ来いと言っている。そこはチケット売場であった。
「日本人か?」「そうだ」で、日本語で話してくれた。
入場料は、Rs.750(\730)でハルマン・ドカ(旧王宮)へも入れるとの事。
「また、来るか?」「来る」と答えるとパンフレットのmapでサイト・オフィスを教えてくれた。ここで期間延長ができる。
旧王宮横のジャガナート寺院前に来ると、道を武装警官が閉鎖していた。フェイスガード付きヘルメットに全身防具を着けている。何事だ!!!
 ジャガナート寺院
 

ダルバール広場を見物して廻った。
  

   

クマリの館の裏側付近にサイト・オフィスがあり、そこでチケットの期間延長をした。
西欧人夫婦が延長手続きをしていた。写真付きのチケットを受け取っていた。
私の順番になって、延長という英単語を思い付かない! 無言で手続きも出来ないので「I have no photo.」と話を切り出した。3日間延長できるとの事で無料で名刺大のチケットを受け取った。写真があればビザ有効期間内使える無料チケットが貰える。

疲れたのでシヴァ寺院に上がって休憩した。
シヴァ寺院はピラミッド状の基壇の上に建っている。
外国人観光客も基壇上部に座って、下の広場を行き交う人々を眺めていた。
 シヴァ寺院
 
行き交う人を眺めていると武装警官がぞろぞろと歩いて来た。要人らしき人もいた。やけにPoliceが多いと思っていたら、要人警護であったのだ。
 
基壇の各段の高さが高いので、大変座り難い。
階段に座れば楽だ。ちゃっかり、韓国人若い女性2人が階段に座っている。
ネパールの子供が女性の腕に模様を書き入れ、それを乾かしている様だ。
観光客が階段を登って来ると退いて、また座るを繰り返している。

旧王宮に行った。
旧王宮への入口がどこか?よく分からなかった。通りから赤い像が見え、その横に狭い門がある。
 ハヌマン像 
  
それらしいのはここしかない。行って見ると門の横にチケット売場があった。博物館であった。
チケットを見せて入ると荷物を預けなければならず、ディバックを預けた。カメラも駄目!
50分近くも見学したが、写真が多く展示内容はあまり覚えていない。
コンパクト・カメラがポケットに入っていたので、旧王宮の風景を取った。
 旧王宮内 風景
  
  

ダルバール広場に2時間ほどいた後、タメル地区中心地に戻りながら見所を廻った。
彫刻が見事な「切手になった窓」が、通りを歩いていると2階に砂埃に被われて見えた。
 切手になった窓
 
歯痛を治す神様を祀る「コインの木」があった。西欧人女性がカメラを構えていたので気付いた。
 コインの木
 
通りから少し入ったところにあり、気を付けなければ通り過ぎてしまう。
スワヤンブナールを複製して1650年ごろ造られたそうだ。
 カテシンプー・ストゥーパ
 

タヒティ・チョークに出た。そのまま北上してタメル地区で遅い昼食を取ろうとタメル・チョークに向った。
タメル・チョークを西に行くと通りに突き当る。ここがタメル地区で最も賑わっているところだろう。
そこにスーパーマーケットがあり、その2階にレストランがあった。2階から通りを見ながら食事をしようと入った。
ナポリタン・スパゲティーRs.190とサンミゲール・ビール500ml缶Rs.200を頼んだ。税&サ24.3%でRs.485(\470)
ビール大瓶で小瓶がない、昼から大瓶は多い、缶ビール500mlがあったのでそれにしたのだ。
ビールを飲みながら通りを行き交う人々や車を眺めていた。
西欧人観光客が多い、中国の国慶節(建国 記念日)の大型連休(9月30日~10月7日)前であるが中国人も目立つ。
狭い通り(路地)にマルチ・スズキの角ばった軽四タクシーが圧倒的多さで走っている。
ナポリタン・スパゲティーが出来て来た、見た目は悪いが日本の家庭の味の様で旨かった。

14時ごろホテルに戻り、昼寝した。

18時ごろ、インターネットを使おうとフロントに行ったが、1台あるPCは使われていた。
インターネット・カフェは近くに無いのかと尋ねると案内してくれた。門を出て左の建物地階にあったが子供でいっぱいだった。
インターネットは諦め、その足で夕食に行く事にした。
昼食を取ったレストランに、また行った。
ミックス・ピザRs.250とサンミゲール・ビール500ml缶Rs.200を頼んだ。税&サ24.3%でRs.560(\545)
ビールを飲みながら通りを行き交う人々や車を眺めていた。
マルチ・スズキの軽四タクシーが停まった、中国人2人が料金交渉をしている。交渉成立した様だ、乗り込む段になって他に3人が現れた、それぞれバックパックを持っている。5人とバックパック5個が軽四に乗れるのか?無茶するな!!でも、乗り込んで出発していった!!!!
ミックス・ピザは食べるにつれ甘さが気になった。
 2階レストランからの通りの眺め
 

1階のスーパーマーケットに寄って、ジャックダニエル200mlRs.890、ボディ・シャンプーRs.190、水Rs.20を買って帰った。

ホテルに帰ってゆっくりした。
停電だ!
19時30分ごろ、就寝。