いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

‘20 12月 ~ ‘21 3月 バンコク滞在 12月12日 隔離2日目

2020年12月31日 | バンコク長期滞在 2020 12/10~

 新型コロナウイルスが世界・日本に感染が広がっているこんな時期に、バンコクへ 行く事にしたのは、タイでは感染が抑え込まれていて、日本よりは自由に行動できるのもある。

しかし、それよりも持病の三叉神経痛(顔面神経?)が、冬になると耐え難い激痛が走る。

3年前、冷たい風が吹く時、外出すると顔面半分が痛み歩けなかった。その冬は、風のある日は風防付きダウンで外出していた。

通常は、食事中に歯茎の辺りが痛む。薬で痛みを少なくしているが激痛が走り食事が出来ないこともある。食事以外はまったくどうもない。

2年前の冬に、3ヶ月間、年中暑いバンコクに来てみた。

これを転地療法と言うのか、痛くて食事ができなかったのが、劇的に良くなった。でも、薬は必要である。

 

今年でバンコク滞在は3回目である。

隔離1日目から三叉神経痛の薬を2錠から1錠に減らした。食事の時は痛むが辛抱だ。

薬を減らすと、からだの調子が良い。

 

去年も3ヶ月間バンコクに来た。日本も暖かい冬のはじまりで、薬を飲んでいるので痛みは感じなかった。バンコクでおそるおそる薬を2錠を1錠にして見た。痛みが出なかった。

去年は、1月中頃から武漢ウィルスで騒ぎ出した。1月4日にはバンコクの空港検疫で中国人の感染者が見つかっていた。

3月15日に帰国した。帰国数日前にルンビニ・ムエタイ・スタジアムで3月初旬に集団感染があったことを知った。

それ以降、タイは非常事態宣言やロックダウンが始まった。

3月18日には、行きつけのライブミュージックバーが閉鎖され、女の子達は田舎に帰った。

 

帰国後も三叉神経痛の薬は半分のままでも痛みはなかった。時々薬を飲み忘れると痛みがでる。

それから10月にテニスをしている時に顔面に激痛が走り、テニスが出来なかくなった。

もう一度後日にテニスをしてもやはり激痛が走った。

薬を増やさなければならない。増やすとテニスができる様になった。

今年の冬は寒くなると言っている。

 

10月にタイが観光客の入国を認めた。ロングステイビザ(NON-OA)、特別観光ビザ(最長270日滞在可、12月から日本は対象外)、観光ビザ(最長90日滞在可)での入国を認めたのだ。

観光ビザが、この中で最も申請書類が揃え易いので観光ビザで入国する事にした。

観光ビザ申請に必要な書類は、

①旅券:残存有効期間が6ヶ月以上あり

②旅券:データ面(顔写真のある面)コピー

③3.5 x 4.5 cm のカラー写真付き申請書 1 枚

④経歴書:全ての欄を記入し、申請者が署名したもの

⑤身元保証書 原本 および 身元保証人の旅券のデータ面(顔写真のある面)もしくは身分保証人の直筆署名 入りの運転免許証の裏表のコピー

⑥申請者名義の預金残高証明書および預金通帳のコピー(申請者一人につき残高が 200, 000 バーツ相当以上) 現在 20,000バーツに改正された。

⑦往復航空券(E チケット)もしくは航空会社発行の予約確認書コピー(申請者名、便名、タイ入国日時が記載され たもの)

⑧英語またはタイ語表記によるタイでの居住地を証明する書類(申請者名、宿泊名・住所・電話番号・滞在期間を 記載されたもの)

  8.1 代替政府検疫施設(ASQ)の予約確認書および領収書 

  8.2 隔離期間終了後の居住地を証明する書類 いずれかの一つ  

  1)ホテル予約確認書

       2)申請者名義でアパートを借りる場合は賃貸借契約書で代用可 (家主の身分証明書コピー+署名も必要) コピー。 タイ語または英語表記

       3)親族・知人宅に滞在する場合は、以下の書類を提出すること

 

次に入国許可証(COE)が必要である。

入国許可証申請に必要な書類が7項目ある。

①特別機航空券または予約確認書

②15泊16日隔離ホテル予約確認書、

③全滞在期間中の10万米ドル以上もしくは、1,100万円以上の補償額がある英文医療保険の証明書、

④パスポート・写真ページ・コピー、

⑤パスポート・ビザページ・コピー、

⑥記入済みのDeclaration Form、

⑦入国の理由を示した書類(ビザのコピー)

     [費用が①~③で約30万円以上]

上記全ての必要書類をPDF形式のファイルにしてeメールで添付ファイルとして送る。

 

次に出国する空港およびタイ入国時に提示する必要書類

①ビザページもしくは再入国許可印・滞在許可印がある渡航者のパスポート

②入国許可証 (COE)

③署名入りおよび記入済みのDeclaration Form (原本のみ)

④ 渡航の72時間前以内に発行された英文の搭乗可能健康証明書 (Fit to Fly or Fit to Travel Health Certificate) (原本のみ)

⑤渡航の72時間前以内に発行された英文のRT-PCR検査による新型コロナウイルス (COVID-19)非感染証明書 (原本のみ)

⑥新型コロナウイルス感染症を補償する、10万米ドル以上もしくは1,100万円以上の補償額がある英文医療保険の証明書

⑦ ASQまたはチョンブリー県及びのプラーチーンブリー県ALQホテル予約確認書 

タイ入国時に上記以外にT.8 formに記入して提出が必要である。

 

以上、11月10日のタイ国際航空の特別便予約から始まり、必要書類を集め、タイ大阪領事館へ出向き、またPCR検査を受けに行きとハードな1ヶ月を過ごした。

 

全米女子オープンが10日から始まっている。

テレビで放送しないか探して見ると昼間に、2日目ゴルフを放送していた。

現在渋野日向子がトップにいる。

今年絶不調で予選落ちもしていた。

日本の最終戦で復調を見せてその流れで今回来ていたが、まさかトップとは何かを   持っている。

バンコクでも夜10時頃に中継が見られるかもしてない。

今日は、楽しみだ。


'20 12月 ~ '21 3月 バンコク滞在 12月11日 隔離1日目

2020年12月26日 | バンコク長期滞在 2020 12/10~

7時過ぎにドアをノックされた。

ドアの横に小さなテーブルがあり、朝食が置かれていた。

アメリカンブレックファストである。

 

15日間の宿泊中の予定表を作った。

当ホテルを予約した時、送って来たeメールに過ごし方が書かれていた。それをまとめたのだ。

PCR検査が5日目と12日目、その結果が陰性であれば、リラックスタイムとして45分間部屋から出られる。その間に部屋の清掃が行われる。清掃は3日に1回の割合で行われる。

日々行うのが2回の検温とLINEによる報告、翌日の食事の選択とLINEによる連絡、ゴミ出し。

 

14時頃、ホテルサービスからLINEが入った。

明日の食事の連絡だ。ホームページのアドレスが書かれていて、それをクリックすると、朝食、昼食、夕食のメニュー画面に移った。

3食のそれぞれ4種類のメニューから選ぶ、その中にハラルとベジタリアンが含まれるので、実質は2種類のメニューから選ぶことになる。

3食を選んで送信を押すと翌日の食事メニューが決まる。

 

LANEを使うようになったのは、去年の冬のバンコクでのことだ。

お気に入りのライブミュージックバーの女の子と電話番号交換して、LANEしているか?と聞かれた。

私はLANEをしていなかったし、どんなものかも知らなかった。

ホテルに戻ってスマートフォンにLANEアプリをインストールした。

すると、その女の子の名前で知り合いではないかとLANEから入って来た。

LINEのはじめての友達となった。

 

昨日、空港に着いてから私のスマートフォンでインターネットに繋ごうとして繋がらなかった。

それで、ホテルのWifiに繋いで、残高を確認したら2バーツしか残っていなかった。

LINEでバーの女の子に連絡して500バーツをTop-up(チャージ)してもらった。

Top-up機がすぐ横にあるのかと思うぐらい、すぐLINEが入り500バーツをTop-upしたとのこと。

スマートフォンの電話で*123#(有効期限&残高)と押して確認するとTop-upされていた。

早速、インターネットに繋いで見たが繋がっていない。

何故だ!!!!

私のスマートフォンはデュアルSIMで、2枚のSIMが入っている。

SIM1はタイ用、SIM2は日本用にしている。

SIMの切替だけで、設定もそのままで良いはずである。

しかし、繋がらない。

アクセスポイントを確認すると、通常何箇所かのポイント名が表示されるが、それがない。非データー通信・・・と出ている。

これは、私ではどうもできない。

2週間後に、検疫隔離から解放されてからTrue moveのショップに行って解決するしか方法はない。


'20 12月 ~ '21 3月 バンコク滞在 12月10日 バンコクへ

2020年12月21日 | バンコク長期滞在 2020 12/10

5時30分起床

7時自宅を出発 ダウンジャケットを着て丁度いい。

9時関空到着

チェックインフロアはタイ国際空港以外は閑散としていた。

タイ国際航空のチェックインカウンターにはそれほど長い列は出来ていなかった。

人数を数えてみた、20人ほどだった。

しかし、思ったより時間がかかった。

タイが要求している出国必要書類のチェックはチェックイン時にタイ航空スタッフによってなされた。

タイ大阪領事館から人が来ているのかと思っていたが、そうではなかった。

 

10:20に搭乗がはじまった。

新型コロナ感染で機内トイレを使いたくないので、トイレをしておこうと思い、行くと搭乗口付近のトイレはすべて使用禁止であった。

トイレ掃除をしなくてよいようにしているのだろう。

TG623は定刻11:00にボーディングブリッジを離れた。

 

バンコクまでの所要時間5時間30分とのこと。

スチュワート全員が防護服を着けている。

完全に私たちを感染者扱いだ。

座席のモニターで現在地を見ながら暇つぶし。

四国を横断して、沖縄、台湾南端ケンティン(墾丁)上空を通過した。

墾丁では半島部が見えた。以前は先端部が見えて、約30年前墾丁に行った事を思い出した。

後はベトナムのダナン付近までは中国沿岸沿いに海上を飛行した。

ラオスとタイとの国境を流れるメコン川を上空から見ようと思っていたが、遅かった。残念!

カンボジアとタイの国境沿いに、ブリラム、スリン上空を飛んだ。

南下してスワンナプーム空港(バンコク)に着いた。

 

イミグレーションに向かう途中に、大勢の人々が2列に座っていた。

以前見かけた中国人団体さんのように見えた。

それを横に見ながら進むと通路に椅子を2列に長く並べてあった。

関西空港からの客も順次座っていた。

何が始まるのだろうか。

 

待つ間にスマートフォンをインターネトに繋いで見たが繋がらない。

Top-up(チャージ)しなくても残っているはずだ。

10月にバーの女の子に200バーツをTop-upしてもらったからだ。

10月に有効期限が切れるので30日間の延長を2バーツで繰り返しいると残高がなくなり、いつバンコクに行けるか予測がつかなかったのでTop-upしてもらったのだ。

 

防護服を着た女性スタッフが5人ほどで入国必要書類とT.8 form (Questionnaire)をチェックしていった。

そして、氏名とASQホテル名を確認され、胸に付ける番号札を渡された。

列が動き出した。通路に机が3台並んでいて、指示された机前に行って、入国必要書類とT.8 formを渡した。軽く目を通してT.8 formだけを残し入国書類を返却された。キョトンとしているとキャリーバッグにしまえと示唆された。

あれだけ金と苦労で揃えた書類はもう必要ないのか!!!

 

やっとイミグレーションに着いたという感じだ。

入国審査にいつもより時間をかけている。

やっとパスポートにスタンプを押してくれた。

 

ターンテーブルで預け入れ手荷物を取り、出口に向かった。

スマートフォンの通信業者True moveのブースに寄りたかったが規制されていて行けない。

そのまま、No.9ドアーから外に出た。

防護服を来た女性スタッフにPCR検査の陰性証明書を出すよう言われ、女性はその写真を撮った。

防護服を着た男性スタッフが荷物を運んでくれた。空港スタッフと思っていた彼は運転手であった。

私の胸の番号札で運転手は分かるようになっていた。

運転席と後部座席とはアクリル板で仕切られていた。

そのまま、私が予約した隔離ホテルに向かった。

飛行機から降りてからすでに隔離がはじまたようなものだ。

 

隔離ホテルに着くと防護服を来た男女スタッフが迎えてくれた。

女性は看護婦さんであった。

簡単な問診があり、終わるとホテルWifiへのユーサー名とパスワードを渡されスマートフォンをWifiに繋いだ。

続いて、ホテルとの連絡用にLINEを使うので、テーブルにQRコードが貼り付けてあったのを読み取れと指示され、スマートフォンのLINEで読み取った。

簡単、これでLINEのホテル・サービスが友達に追加された。

部屋に入り、15泊16日の隔離生活が始まった。