いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

1月31日 タワウ(国境の町)へ

2008年04月29日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
                            Google マップより
5時30分起床。 
屋上で朝食を取った。 曇り。
6時30分にチェックアウトした。宿泊費2泊分RM110(3850円)を支払い、タクシーでの行き先 長距離バスステーションをメモに書いてもらった、「Batu 2 1/2, Bas to Tawau (2.5マイル地点、タワウへバス)」と書いてくれた。昨日のミニバスで長距離バスステーションが車掌に通じずに困ったので!
ホテル前にタクシーが待っていた、行き先メモを見せて料金を確認するとRM10(350円)との事。バスルートでなく海沿いルートを通りバスステーションに向かった。
6時50分ごろタワウ行き乗り場に着いた。バスだと思い込んでいたが、トヨタのランドクルーザーでバックパックを後から載せた。
 長距離バスステーション(ただの駐車場の様だ)

定刻7時を過ぎてもランドクルーザーは出発しない、客待ちしている様だ。「東京からか?」と聞かれ、「大阪」と答え、スタッフと会話が始まった。弟が名古屋に車の研修に行った事があるそうだ。フィリピンから船でサンダカンに来て、タワウからインドネシア行き、そしてクアラルンプールまで行くと話すと驚いていた。サンダカンではレストランでビールが飲めない、ビールを手に入れるのにも困ったと話すと、その通りだ、入手するならスーパーマーケットに行けと教えてくれた。夜飲み歩きたいならこの先のBandar Indahのホテルに泊まればよいと教えてくれた。
2人の客が来たが別の車に乗った。その後、客が来なかった為、先ほどの2人もランドクルーザーに乗せられ、7時40分に出発した。私は、助手席に乗りシートベルトを締めた、すでに走り出しており窓から顔を出し手を振るとスタッフも手を振っていた。
Bandar Indah-Tawau 316kmと道標にあった。サンダカンからタワウまで316kmだ、時速60kmで走行して5時間の距離である。
サンダカンから1時間でコタ・キナバルへの道路と別れタワウに向かう。車の数はぐっと減った。
 アブラヤシのプランテーション

 アブラヤシ

 見渡す限りのアブラヤシ

周りの景色はヤシまたヤシである。ヤシのプランテーションがあるのは知っていたが、ヤシの種類が解らない。ヤシと言えばビーチなどで空に向って高く伸び幹の上部に葉を広げるココナッツの取れるココヤシを連想する。
会社名の「○×△Palm Oil Mill(パーム油工場)」やタンクローリーの積載商品名「Palm Oil(パーム油)」などが見うけられ、アブラヤシのプランテーションであった。
見渡す限りアブラヤシのところがあったり、山の中腹までアブラヤシが茂っていたり、伐採して整地し新しいアブラヤシの苗を植えているところもあった。バナナや樹木があれば民家が見える。
サンダカンから一緒だった若者2人は、ラハ・ダトゥという町で降りた。町外れを右に曲がりタワウに向かったのでラハ・ダトゥの中心地は通っていないが大きな町の様であった。途中、若い男性が乗って来た、1時間ほど乗車して降りたがRM50札しか持っていなく、運転手も釣銭がないので乗車料金を取らなかった。こんな事もあるのか?
タワウ空港の道標が見える頃から片側2車線になりハイウエーの様である。スポーツタイプの小型車とランドクルーザーが競う様に走行している内にタワウ市街に入っていた。
12時20分にタワウに着いた。サンダカン-タワウ間4時間40分のドライブであった。駐車場orバスステーションでランドクルーザーから降り、料金RM40(1400円)を払った。
 バスステーション

バスステーション前の道路を挟んで向かい側の中華食堂に入った。ビールはやはり無かったので、1L水とインスタント麺シーフードを食べた。RM7.5(260円)。
女将に「この近くに良いホテルはないか?」と尋ねると近くにはない、ホテルを紹介してくれと頼むと5軒ほど紙に書いてくれた。場所を聞くと店員or娘がホテル街近くまで案内してくれた。有難う! 大変近かった。
 奥にホテルが集中している。

5軒のホテル中でリーズナブルなホテルと言っていたモナコ・ホテルに行った。宿泊費RM65(2300円)、部屋を見せてもらった、ビジネスホテルで狭いが十分である。
インドネシアのツーリストビザを今日申請し、明日受取りたいと考えていた。ホテルのフロントがインドネシア領事館は14時まで開いていると言ったので、今13時過ぎ、取り合えず領事館に行く事にして、タクシーに乗った。
 インドネシア領事館

13時30分に領事館に着き、ビザ申請書に解る範囲内で記入し写真1枚を添えて提出した。係官が「チケット」と言っている、「チケットは持っていない、後でボートチケットを購入する。」と答えたが、どうも英語が通じない。窓口の小窓を閉められた。少したって呼ばれ、英語の話せる女性が対応してくれクレジットカードの提示を要求され、VISAカードとJCBカードを見せた。「待て」と言って小窓を閉めた。ビザ取得の要件に出国用のチケットを持っている事とある様だ。出国用チケットを持っていないので、その代わりに経済的基盤があるかクレジットカードで判断したのどろう。
 事務所

待てば今日発給してくれそうだ。掲示板に国営船会社 ペルニ社の1月度の時刻表(ヌヌカン発着)が掲示されていたが、今日は、1月31日で使い物にならない。今回の旅でインドネシアでの船旅予定がまったく立っていない。ペルニ社の時刻表がインターネットで見られず、この領事館での時刻表を期待していたが、日が悪かった。
オープンエアの待合所で待っていたが退屈で、事務所周りを歩いてみた、奥に売店があった、カップ麺を食べている業者風の人もいた。ペルニ社の時刻表が諦めきれず、事務所で尋ねようと入り口を探したが見当たらない。ビザ申請者がカーテンの掛かっている所から入った。のぞくと来客用ソファがあり申請者が座っていた、面接でも受けるのか? その奥にカウンターがあり、係官が立ち話しをしていた。私も入り係官に「掲示板にペルニ社の1月の時刻表があるが、2月分はないのか?今日は1月31日だ。」と尋ねた。係官は英語が通じなかった。申請時の女性がまた対応してくれ、2月のペルニ社時刻表がないかと尋ねた。所長らしき人と話して奥に消えた。所長が「ちょっと待って」と日本語で言った。女性が戻って来た、無いそうだ。所長が「ここには、今ない、ヌヌカンで貰てっくれ」と日本語で返って来た。英語の話せない係官が多い中に日本語の話せる上役が居るとは意外であった。礼を言って出た。
1月の時刻表と2週間に1度同じ港に寄港する事を基に推測すると2月3日に船が在りそうだ。時刻表のメモを取っていると、発給待ちの人に呼ばれ、窓口に行った。パスポートに30日滞在可能のビザが貼られていた、ビザ代RM170(6000円)を払ってビザ取得は終わった。14時30分に終わり1時間で発給まで完了した。
領事館までタクシーで来たがホテルから近そうで、歩いて帰る事にした。
海側は港でコンテナが所々見え、領事館を出て数百mで交差点に出た。
 交差点 奥方向に領事館がある。 

道路が4車線に広がったころ、海側に人のにぎわいを感じ行って見るとマーケットがあった。マーケットへの途中、ヌヌカン(インドネシア)行きボートチケットの呼込みを受けた。「朝便はない14時発で13時にチケット売場に来い。」と言っている。朝に出発したかったが仕方がないかと思って歩き出すと別の呼込みを受け、11時30分発があるとの事、料金RM40(1400円)。ボート会社は、3社ほどありそうだ。更に進むとイミグレーションがあり、その横がシーフードマーケットであった。
 シーフードマーケット(写真左)とイミグレーション(写真中央小さな屋根)&チケット売場(写真右看板建物)

 野菜マーケット(上記写真の後)

野菜マーケット内を通り抜けると元の4車線道路に戻った。その道路を海沿いに進むとバスステーション付近の見覚えのある場所に出でホテルに辿り着いた。ホテルとインドネシア領事館間は、徒歩30分程度である。私は寄り道しながらで徒歩50分であった。
夕方まで昼寝し、ビールを探しに外へ出た。ホテル近辺にビール看板のある店は飲み屋が大半だ。海の方に向かいバスステーション横にオープンエアーのシーフードレストランが並んでいた。ビールの看板もあった。
そこで食事をしていると、日本人風ビジネスマン4人がテーブルに座った。2人は現地に同化した様に見え、駐在員だろう、残り2人はネクタイを外した白ワイシャツ姿で出張でタワウに来ているのだろう。ジョッキーが4杯運ばれ、ジョッキーをそれぞれ持ち上げ、カチンと乾杯している。彼らはまさに日本人である。タワウにどの様なビジネスがあるのだろう? 今でも材木か?
タワウの情報としては、ツアーでタワウ空港に着き、ホテルリゾートの迎えでマレーシア随一のダイビングパラダイスのシパダン島に行くとするのが関の山である。
今日はサンダカンからタワウへ移動し、更にインドネシアのビザも取し、2日間分を過ごした様に感じる。疲れて早く寝た。

 タワウ市街map

1月30日 サンダカン滞在

2008年04月26日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。朝方大雨であった。
屋上に朝食を準備しているとの事で屋上へ、まだ、小雨が降っている。朝食は、コーヒーとトースト&フルーツであった。
今日は、セピロック・オランウータン・リハビリテーション・センターへオランウータンを見に行く。
7時30分にホテルを出た。雨は上がっていた。両替所は当然まだ閉まっている。HSBC銀行のATMでCiti Bankカードでキャシングを試みたが、なんと最低出金額MR1500(52,500円)で、マレーシア4日間ほどの滞在では多過ぎるの取り止めた。
8時発セピロック・オランウータン・リハビリテーション・センター行きミニバスに乗る為時間が無く、両替せずにミニバスステーションに向った。
ミニバスステーションは、ただの空き地である。セピロック・オランウータン・リハビリテーション・センター行きミニバス「Batu 14 Sepilok」を探したが見付からない。部厚いノートを持った係員風が居たのでセピロック・オランウータン行きミニバスはどこに停まっているか尋ねると「次は10時30分」と答えた。彼は英語が話せた。8時にあると聞いたがと言うと、大雨でキャンセル、なんと!! 
??バスに乗り、分岐で降り、2.5km歩けばセピロック・オランウータンに行ける。あなたは、2.5km歩けるか?と言われてしまった。問題ないと言って、バスの行き先名をメモに書いてもらった。「Batu16」「Batu19」である。乗り場を尋ねると案内してくれた。空き地の山側道路を右(HSBC銀行側)に曲がった50mほど先の交差点にバスが停まっていた。
案内してくれた係員にリンギットを持っていないUS$の両替が可能かと言うとバス車掌に言ってくれた、バス代をUS$1で渡し、釣りMR0.24が戻ってきた。
外国人4人も分岐から2.5km歩かなければならないと説明され、バスに乗込んで来た。
8時10分にバスは出発し、9時にセピロック・オランウータン・リハビリテーション・センターとの分岐に着いた。
 セピロック・オランウータン・リハビリテーション・センターへの道


バックパックを担いた外国人2人がセピロック・オランウータン・リハビリテーション・センター入口手前を左に曲がっていった。その方向にB.B(ベット&ブレックファーストの宿泊施設)の看板があった。
駐車場を抜け奥に行くとオフィスがある。分岐から徒歩30分であった。
 右の建物がオフィス、左がビデオ上映所

オフィスのチケット売場でUS$が使えるか尋ねると駄目、リンギットを持っていないと言うと、後の土産物ショップで両替できるとの事でUS$20両替した。
入場料RM30(1050円)、カメラ持込料RM10(350円)を払い入場した。
10時から始まる餌付けに間に合った。
 プラットホームへの木道    餌付け場
 
 可愛い子供オランウータン

 プラットホームA

プラットホームには、日本人観光客女性2人がいた。日本語の話し声で分かった、最近海外で日本人と東アジア人の区別がつきづらい。赤ん坊を抱えた猿を見ていたが、雨が降り始めたのでプラットホームを後にした。
オフィスの前にミニバス停があり、20分ほど待つとミニバスが来た。近くの村に民家の様な学校があったり、人が降り、また乗った。リハビリテーション・センターの従業員が住んでいる様な隣接村であり、そこを周回してサンダカンに向った。
明日乗るタワウ行きバスの発着する長距離バスステーションに途中で寄った。タワウ行きバスが、朝 7時発 MR40(1400円)と分かった。
道路に出て、ミニバスを停め乗り込んだ。サンダカン市街行きだろう、料金RM0.5(18円)、それに引換えセピロック間はRM3(105円)、外人価格か? それでも安いが!!
サンダカン市街に着き、真っ先に両替所を探した。??店の奥に両替窓口があるので見付けづらい、「Exchange」の看板を注意して探した。
US$150を両替した。リンギット札を数え確認すると半分ほどしかない、顔を上げて相手を見ると計算間違いに気付いたのか電卓で計算し直していた。正規金額のRM478.5と交換させた。ミスか騙そうとしたのか????
昼食に中華の焼きそばを食べた後、展望台に向った。展望台への百段階段の入口がツーリスト・インフォメーション・センター近くにあるのでセンターに寄って見た。タウンマップをもらい、おばちゃん職員に「百段階段に強盗が出ると聞いたが?」と話し掛けると、「時々」と返事が返って来た。登リ口を指差し、注意事項として「高価な物は、バックに入れる」と言って腕時計を外さされた。私が安物と言うとオウム返しに「やすもの?」と上手い発音が返ってきて驚いた。礼を言って階段に向った。
階段を登っていると男が下って着た、強盗か、どきっとした、でも近くにアベックも見えたので、大丈夫だろう。
無事、百段階段を上り、展望台に着いた。
 セントレ・ポイント・モール方向

 サンダカン港を望む


ホテルの前に広い三角形の駐車場(空き地風)があり、その底辺に当たる所に食堂がある。そこで夕食にぶっかけ御飯を食べた。ビールを飲みたいので飲み物を注文しなかった。底辺の角、通りを挟んで目の前に飲み屋があり、そこで缶ビールRM5(175円)を飲んだ。この飲み屋、どうもぽん引きの溜まり場の様だ。1缶、缶ビールを買ってホテルに戻った。
フロントで明朝6時30分にタクシーを依頼した。

1月29日 サンダカン(マレーシア)へ

2008年04月23日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
朝5時頃、話し声が聞こえざわざわし始めた、それでもそのまま寝続け7時頃まで寝た。昨夜、船は少し揺れたが大した事は無かった。船上で眠っている事を気付かせる程度の揺れで、当然酔い止め薬も不要であった。
起きて真っ先に海を見に行った、小さな島が見えていた。

トイレに行くと、水浴びをしている人が居る。床がびちょびちょだ。
売店でインスタントコーヒーを買い、昨日買ったピスケットを食べた。
小説を読み疲れたら海と眺めた、海の色が濃い所と薄く見える所があり、その境を越えると船の揺れが変わった。潮目か? ここに海流が流れているとは思わないが?
私のベットは下段で上段に若い女の子が居る。ベットに座っていると、その子の所にGパンを履いた若い女の子が来て話し始めた、すると、その子の股間がまともに私の目の前にあり、目のやり場に困った。若い女の子3人が手配師に連れられている感じである。
甲板でざわざわ声が聞こえたので急いで行って見ると、何も見えない、間もなくイルカが2頭飛び跳ねた。それを最後に見えなくなった。はじめて、自然界のイルカを見た、一瞬であったが感動!
乗客が多数移動している、何かと思い行ってみると売店ルームへ並ぶ列が出来ていた。空いてから売店に行くとマレーシアの出入国カードを渡して乗客名簿にチェックを入れている。何故、この様な大層な渡し方をするのか?
12時30分頃、小さな島が見えて来た。小さなボート(手漕ぎボートにエンジンが付いた船を想像する)も見掛ける。
雨が降り始め、吹き込んで来るので乗客がシートを下ろした。
雨があがった頃、サンダカンが見えて来た。



サンダカン市街を通り過ぎ、湾の奥へ、サンダカン港があった。


15時に船は接岸した。昨日14時に岸壁を離れ、25時間掛かってサンダカンに着いた事になる。旅テーマ「マニラから船旅でバンコクを目指す」で、このサンボアンガ-サンダカン抜きでは成り立たない。 今回の船旅で最も危険で興味をそそる区間であったが呆気なく終わってしまった。

下船して男女に分かれて並んでいる、何をしているのか? 終わればバスに乗り移動して行った。

岸壁に架かる渡し板から船内まで列が出来ていた、並ばずに待った。ワイヤー付き南京錠を掛けなくてもバックパックは取られずに大丈夫であったが、逆に余計な物(麻薬など)を入れられていないかバックパックの荷物を出してチェックしたりして暇を潰ぶした。
順番がまわって来た、乗客名簿で下船をチェックしていたのだ。下船チェックで1時間待たされたのか!
今度はバス待ちである。乗るとイミグレーションまで距離にして500mも無い、料金RM1(35円)を取られた。
入国審査に並んだ。
マレーシアの入国には、3ケ月以内の観光目的の場合は、査証不要。「 ただし、有効な往復切符と十分なお金が条件である。しかし適用面からいえば、全ての旅行者にこの規定を要求していないのも事実です、特に日本人旅行者はまずこれを要求されないでしょう」との事。 でも、マレーシアの外れの外れであるサンダカンでは往復切符を要求されても文句も言えない。出国用切符を持っていない私としては、田舎のサンダカンでも多分大丈夫だろうと思いつつ、入国審査を受けた。
「ようこそ、マレーシアへ!」と言われ、心配も吹っ飛んだ。問題も無くスタンプを押してくれた。
税関のチェックも無く、税関、検疫申請書の提出も不要であった。
17時 イミグレーションを出た、直ぐに両替屋が居た、レートはサンボアンガと同じPhp500=RM35、余ったPhp500を両替した。
直ぐそばにタクシーがいたのでダウンタウンまで値段を聞くとRM15(525円)と言う、RM10と値切ったが駄目、言い値で乗った。
タクシーでホテル・ロンドンに行った。エアコン、ホットシャワー、テレビ付きでRM55(1925円)、部屋を見た、奇麗な部屋であったので決めた。支払いはチェックアウト時でよかった。
シャワー後、町に出た。6時では店は閉まっている。両替所を探して町を歩き、海沿いにあるバスターミナルに出た。両替所も閉まっている様だ。残りRM20。バスターミナル前の食堂に入った。指差しでインゲン風とシーフードを注文するとそれにごはんを添えて出て着た。ビールが無いのでコーヒーを注文した。締めてRM7.4(260円)。バスターミナル奥のスーパーを覗いて見た、冷えた缶ビールを探したが無い、瓶ビールを置いていた。
ホテルに大瓶ビールを置いていたので1本買った。RM12(420円)、辛うじて足りた。しかし、マレーシアに入った途端、ビールの入手が難しい&値段が高い(日本と同じ程度)、覚悟していたが!!!

エコノミーの一泊二日の船旅は、大変疲れた!!! この歳ではきつい。

1月28日 サンダカン(マレーシア)へ

2008年04月19日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
3時45分起床、15分早く目覚めた。4時にモーニングコールを頼んでいたがコールが無かった。このホテルも駄目か。
4時30分にチェックアウトした。フロントは真っ暗であったが、チェックアウトと言うと人の気配がした。精算は昨夜済ましていたのでキーを渡して終わりである。
ガードマンにドアーを開けてもらい歩道に出た。街灯が明るい、遠くまで見通しが効く。昨夜、ホテル前に出て通りの雰囲気を確認し、ガードマンに危険かと尋ねると問題無いと言っていた。歩き出し、ちょっとしてから振り返るとガードマンが私を見届けていた。ホテルから港ターミナルまで400mほどでターミナル方向に曲がると屋台があり、人も結構居た。
ターミナルに入りセキュリティチェックを受け様とすると、職員がサンダカンへのボートは、今日キャンセルだと言っている。そんな事があって良いのか、3日間も待ったのに!!!の気持ちを込めて、「なぜ?」と尋ねたが、「知らない、船会社に聞いてくれ」と言われてしまった。確かにその通りだ!
他のボートが12時にあるから9時にもう一度来い、チケット売場に案内するとの事である。ボートとは、たぶんフェリーの事だろう。サンボアンガに来て初めてフェリーが登場した。
そのボートは、「安全か?」「問題無い」「フィリピン海軍が警備しているのか?」「整備していない」「銃をもったガードマンは何人乗っている?」「船員が大勢いる」という会話をした。サンダカンに船で行く気になっているので、このボートしかない。結局、計画通りの船になった。

親切な職員であった、確認の為、①チケットの払い戻しをする。高速船のオフィスは、8時に開く。②9時にここに来い。チケット売場に案内する。と言われてホテルに戻った。
ガードマンにボートがキャンセルされた事を伝えホテルに入れてもらった。ガードマンがフロントに言って部屋のキーを戻してもらった。部屋を再度利用でき、8時ごろまで寝た。
今日の早朝フィリピンを出国する予定であったのでフィリピン・ペソを残さない様にしていた。その為、手持ちが少なく、朝食も取れない。
急いで高速船のチケット売場に行った。私の顔を見て「ソーリ(sorry)」と言って、チケットを受取り払い戻してくれた。なぜ、キャンセルなのか尋ねたが、通じなかったのか??? 払戻金Php2800(7500円)。
コーヒーとハンバーガー(Php61 160円)を食べて、9時に港に行った。
早朝の職員にボート代がいくらか尋ねると知合いのポーターを呼び聞いていた。エコノミーPhp2800(7500円)、キャビンPhp3200(8600円)。
ボートのキャビンに乗るにはフィリピン・ペソが不足なので、取り合えず両替に行った。US$20を両替した。USドルは便利である、US$10でも両替できる。日本円の1000円札は両替出来るのか?たぶんサンボアンガでは出来ないだろう。
職員の所に戻った。職員は自身の仕事で忙しく、知合いのポーターに私の面倒を見る様、引き継ごうとしている様だがポーターも忙しそうだ。
チケット購入にパスポートのコピーが必要であるとの事。写真ページと入国スタンプページのコピーが必要で、コピー屋の場所を教えてもらい、自身でコピーに行った。
その足でホテルに戻り、バックパックを担ぎ再度チェックアウトした。
港ターミナルで職員にチケット売場に案内された、そこはターミナル入口の真横であった。案内すると言っていたの少し離れた所と思い込んでいた。チケット売場の前を何度と通ったが、ただの窓が並んでいる建物の1部と思っていた。よく見るとサンダカンと書いた小さなプレートと小さな窓口が並んでいった。
キャビンは売り切れ、エコノミーのチケットPhp2600(7000円)を購入した。チケットにAleson Shipping Lines Inc.と書かれてあり、ガイドブックに記載されている船であった。
セキュリティチェックを受けターミナルに入った。ターミナル使用料Php11(30円)を払い通り抜けると広い待合室になっていた。職員にターミナルを出て右に歩いてサンダカン行きボート乗場に行くよう言われたが、乗場が分かるか不安であったのでどの位歩くのは聞くと、職員は彼のバイクに私を乗せ港内を移動し、ボート乗場まで送ってくれた。最後まで面倒見のいい職員であった。大変お世話になりました。
大きな倉庫にサンダカン行きボート乗場があった。
 倉庫の一角がボート乗場

セキュリティチェックでX線手荷物検査装置にバックパックを通し、金属検査装置を通り抜け待合室に入った。乗客の荷物が一列に並べられている。ポーターが担当する荷物の様だ。
 待合室

マレーシアのリンギット札束を持ったにいちゃんが、残ったフィリピン・ペソをリンギットに両替しないかと近寄って来た。レートは、Php500=MR35、10%程度の手数料を取っている様だ。高速船がキャンセルというアクシデントが在った為出国時のフィリピン・ペソ残量管理が上手くいかず、Php800ほど余った。取り合えず、両替しなかった。
12時ごろ、乗客が移動し始めたので私も出口に向った。無料ジプニーに乗り、近くのボート停泊地に着いた。 
ええ~!フィリピン国内を航行しているフェリーと同じ大きさだ、日本の中古フェリーか?ドアに指詰め注意シールが貼られているかも知れない。フェリー本来の役目である車積載は無い様だ。
 Aleson Shipping Lines Inc.の船 (カンダカンにて)

なぜか?男女別に並んで乗船を待った。パスポートチェック(パスポート写真で本人確認)後、乗船し乗客の後に続いた。急いでいる、どこへ行くのか?また、並んでいる。わたしも並び、おばちゃんに尋ねるとイミグレーションとの事であった。ついでに、チケットのAccommodation欄のBudget-124とは、シートNo.かおばちゃんに確認したところ、その通りいわゆる座席指定であった。
銃を持った兵隊?が入口で入場制限をしている。順番がまわって来て兵隊?がドアを開けてくれた。丸テーブルが8テーブルほどある広さの部屋に大勢の人がいた、だれが係官で乗客か判らない。二手に分かれて出国手続きが行われていた。出国スタンプを押してもらい出国審査終了した。12時40分であった。
エコノミーは、2段ベットが並ぶ。ベットのサイドに数字が書かれていた、チケットに記載の124のベットを探し、バックパックを置いた。
 2段ベットが並ぶ吹き抜けフロアー

物売りや両替屋が大勢乗込んでいる。物売りのセキュリティチェックは、なされているのか? 爆弾を仕掛けられたら!!心配になる。
焼き鳥や御飯の物売りを見て、食料を買い忘れた事に気付いた。売店を探していると先ほどのおばちゃんに会い、尋ねると連れて行ってくれた。そこは出国手続きの部屋で、まだ長蛇の列で後にすると言ったが、どこのおばちゃんも強し、銃を持った兵隊?に言っている。自分で言えと言われ「何か飲み物を買いたい」と言うとドアを開けてくれた。売店でコーラーとビスケットを買った。カップ麺もある。
ワイヤー付き南京錠を持って来ているのでバックパックをベットにしばり付け鍵を掛け様かと思ったが雰囲気的に掛けなくても大丈夫だろう。
14時に船は岸壁を離れた。カメラを持って港を撮りに行った。セブ・シティからのスーパーフェリーが、いつの間にか停泊していた。サンボアンガに到着したところだろう。大きな船だ。それに引換え、この船は・・・・!!!
 スーパーフェリー

船はミンダナオ島沿いに西に進み、3時間後に小さな島が見えて来た。スールー諸島の始まりだ。
船脚は非常に遅い、たぶん時速20kmほどだ。イスラム系反政府勢力や海賊が活動するスールー諸島及びその周辺海域に入った事になる。後は運を天に任せるしかない。そんなに悲壮ではないが!!
 ミンダナオ島沿いに西に進む。(下段ベットからミンダナオ島)

夕食を取る為、売店に行った。大勢がテーブルを囲んで歓談している。ジュース、カップ麺&缶ビールがテーブルに乗っている。何とビールがある、船内では安全の為アルコール類は置いていないはずがあった、嬉しくなった。カップ麺(Php25 67円)と缶ビール(Php35 94円)を食した。
ベットで小説を読んでいたが暗くて疲れてきたので、21時ごろ売店へビールを飲みに行った。小説を読みながらビールを飲んでいると、おっさんに話し掛けられた。おっさんはマレーシア人で奥さんがフィリピン人、奥さんの実家に行って来た帰りだと言っていた。サンダカンへの到着時間を聞くと、明日16時と言っていた。缶ビール2本目を飲み終わった頃、閉店なのか追い出される様にして売店を出た。
イロイロ(パナイ島)で買ったシーツをバックパックから取り出し、23時にそのシーツをかぶり寝むった。


注意
4月になってから私が滞在して頃に比べると治安情勢が悪くなっています。「フィリピン:誘拐の脅威に関する注意喚起について(2008/04/03)」が外務省から出ています。
詳細は、外務省 海外安全ホームページを見て下さい。

1月27日 サンボアンガ滞在

2008年04月17日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時過ぎ起床。晴天
ホテルで朝食を取った。最初にパパイヤが出てきた。三日月状のパパイヤをスイカの様にかぶり付こうかと一瞬思ったが、ナイフとフォークが付いているので、果肉と皮の間にナイフを入れた、皮沿いにナイフを滑らせた後、上からブツブツとカットした。パパイヤは美味かった。続いて、コーヒーとトーストを食べた。朝食代Php130(350円)
午前中は昨夜のオーストラリアオープンテニス 混合ダブルス決勝をテレビで見たり、小説を読んだ。
ピラール砦に行ったが昼休みで閉まっていた。ピラール砦の周りを歩いた。
 ピラール砦

 ピラール砦横埋立地より港を望む


その後、昨日の夕方行った焼き鳥のファーストフード店で焼き鳥とビールで昼食とした。インターネットカフェに寄った後ホテルに戻った。
明日早朝5時のサンダカン行き高速船に乗るまで、ホテルで過ごす事にした。
サンボアンガで3日間滞在して感じた事は、へジャブ(スカーフの様な布)で頭髪を隠す女性が見うけられ、キリスト教徒とイスラム教徒が同居する地域であるのは一目瞭然であるが、過去に無差別爆弾事件が2度起きたとは思えないどこにでもある地方都市である。また、外務省の危険情報でサンボアンガは、「渡航の延期をお勧めします。」で危険レベルは大変高い。この情報は本当なのか?いったい何なのか!!!と考えたくなるほどの街である。それでも私はホテルから500m圏内で過ごし注意したつもりである。
ホテルのレストランで夕食を取った。日曜日の夜だからか?地元のグループや外国人が大勢食事をしていた。フル装備した兵隊の様なガードマンを連れた地元の有力者?も居た。フル装備した兵隊を見た時は、サンボアンガが尋常でない事を感じた。
部屋でオーストラリアオープンテニスの男子決勝を見ていたが、バーでビールを飲みながら見たくなり行った。バーは、レストラン横の屋外にあり、テレビは国内番組をしていた、カウンターに座りサンミゲールビールを注文した。ビールを飲みながら、バーテンダーにテレビでオーストラリアオープンテニスを見たいと伝えたが、バーテンダーは離れた所に座る客の方を見て駄目だときっぱり言った。残念!
しかし、10分ほどして客がテレビを見ていない雰囲気を捉えてバーテンダーはオーストラリアオープンテニスに変えてくれた。
現地人に混じり西洋人がいたが、旅行者ではない様だ。
明日朝早いのでモーニングコールを頼んで早めに寝た。

1月26日 サンボアンガ滞在

2008年04月14日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
注意
外務省 海外安全ホームページの2008/04/03 最新スポット情報に「フィリピン:誘拐の脅威に関する注意喚起について」
1.マニラの在フィリピン米国大使館は、4月1日付けで注意喚起(WardenMessage)を発出し、過激派グループが、ミンダナオ島サンボアンガ市周辺のホテルや公共の場において、米国人又は外国人の誘拐を計画している旨の情報を入手したとしています。また、豪州の外務貿易省も、同日付けで当該米国情報を引用しながら、サンボアンガ市周辺へ渡航しないよう注意喚起を行っています。
詳しくは外務省 海外安全ホームページを見て下さい。

外務省 海外安全ホームページを最近開いてみると上記注意喚起があり、驚いています。
サンボアンガでの過去2度の爆弾テロは、現地人が対象であった無差別爆弾事件であったが、今回は、米国人又は外国人を対象とした誘拐である。その意味では状況が変わり、サンボアンガは、非常に危険で私なら今は行かない。


6時過ぎ起床。晴天
7時ごろカメラを持って散歩に出た。昼間に街中風景を写真に撮るのは人が多くて、人にカメラを向けている様になり、大変撮り辛いので朝の散歩時に撮る事が多い。



人が比較的多く歩いている方向に行くとマーケットがあった。魚市場でタイルを貼った台に港町故にいろんな魚が並んでいた。市場の周りには、野菜や果物が売られており、マンゴーがPhp100/kg(270円/kg)、1kgでは多過ぎるので1個買った。Php25/個(65円/個)であった。
ホテルの部屋でマンゴーを食べ様としたがナイフが無い、借りるのも面どくさい。熟したマンゴーで柔らかいので、何とかなったがアーミーナイフを持つ必要がある。今までは飛行機の機内持ち込みの手荷物の関係で持たなかった。
昨夜のオーストラリアオープンテニス 女子ダブルス決勝をテレビで見た。日本の地上波テレビでは、シングルスは放送するが、ダブルスはまず放送されない。テレビでのダブルス観戦はテニスをプレーする者には新鮮で参考になった。
11時前にブランチを取りに街に出た。デパートのファーストフード店でヌードルを食べた。レストランが見当たらないのでビールが飲めない。最上階にインターネットカフェがあった。日本語に設定してもらって1時間使った。
ホテルへの帰り、港のターミナルの場所を確認する為に港へ寄った。郵便局の前が港の入口で、そこから左奥に見えるのがターミナルであった。ホテルから400mほどである。
夕方まで部屋で小説を読んで過ごした後、また、デパートまで行き鳥がメインのファーストフード店に入った。注文する為並んでいる時、冷蔵ショーケースに入った缶ビールを発見、焼き鳥(串焼き)と缶ビールを注文した。夕食Php101(270円)であった。
スーパーで缶ビールと水を買ってホテルに帰った。
夜、オーストラリアオープンテニスの女子決勝でマリア・シャラポワが優勝するゲームをテレビで見た。

1月25日 サンボアンガへ

2008年04月12日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
セブでは4泊ほどして、タクマン島沖のカオハガン島にも行きたかった。カオハガン島は、12年前に読んだ「何もなくて豊かな島」崎山克彦著の舞台になった島である。南の島カオハガン島を買い、夫婦で暮らし、風に吹かれ、ビールに酔う男の夢を実現した実話である。
しかし、サンボアンガへのチケット購入に2日間かかり、金曜日しか便が無く、今日、サンボアンガへ発たなければならない。
6時起床。昨夜ウェークアップコールを頼んだが、モーニングコールの電話はかかって来なかった。安宿では有りえるが、中級ホテルでは考えられない。
7時にチェックアウトし、出入口に行くと昨夜のコンシエルジェ(門番orガードマン)とタクシーが待っていた。昨夜、コンシエルジュに早朝タクシーがあるか尋ねたが、タクシー依頼はしていない。
非番の昨夜のコンシエルジェにチップを渡しタクシーに乗った。タクマン島にあるセブ国際空港まで40分で着いた。タクシーメーターが布で隠されていたので、メーターと言うと運ちゃんは布を取り払った。Php160であった、Php200(540円)を渡し、釣りはいらないと言って降りた。ホテルでタクシーを頼むと割高になり、今日も、吹っ掛けて来るかと思ったが、おとなしい運ちゃんだった。
セキュリティーチェックを受けてターミナルに入った。セブ・パシフィックのチェックインカウンターに複数の列が出来ていたが行き先表示がない、乗客にサンボアンガ行きの列を確認して並んだ。順番を待っていると行き先札が掲示された。
窓側の座席を取り、バックパックを預けて、搭乗口に向った。途中、空港使用料Php200(540円)を払った。
クレームタグはどこにある、受取ったか? 記憶が無い、搭乗券にポチッキスで留められていた。
今回で48回目の海外旅行になるが、飛行機で荷物を手荷物として預ける事が殆どなく、機内持ち込みとしていた為、まったく慣れていない。
機内持ち込み制限(液体、エアゾール類)が厳しくなったので、バックパックを預けてみたが、持ち物がデイバックだけで大変楽であった。到着後の荷物の受取が遅い、これが難点であるが! これから、機内持ち込みはデイバックだけにするだろう。
サンボアンガへは、9:10発で40分間のフライトであった。セブ島とボホール島に挟まれたセブ海峡に点在する小島を見たり、ミンダナオ島の熱帯雨林を見たりと晴天の奇麗な景色を堪能した。
サンボアンガ国際空港に10時ごろ着いた。
 セブ・パシフィックの飛行機

 サンボアンガ国際空港に駐機するYS-11

トライシクルでランタカ・ホテルに向った。途中、運ちゃんは、ランタカ・ホテルは高いと言って、他のホテルに連れて行いがランタカへ行けと言った。サンボアンガは治安が悪いので、少々高くても安全なホテルが良い。
ランタカ・ホテル・バイ・ザ・シーは、ホテル名に「by the sea」が付く様に海辺にあり、港に停泊中の高速船が目の前に見える。
レストラン、プールと屋外バーがある。宿泊費Php1450(3880円)。
爆弾テロが起こる可能性があると言うサンボアンガでのホテル選定条件を①フェリー乗場に近い、②最悪、ホテルから1歩も出なくても、サンダカン(マレーシ ボルネオ島)への船待ちが出来る事、と決めていた。それが、ランタカ・ホテル・バイ・ザ・シーである。
ホテルは、混んでいる様だ、家族連れが多い。
チェックイン時、サンダカンへの行き方を聞くと、月曜日にボートがあると言う、フェリーかと聞くと違う。どうも高速船がサンダカンに就航しているらしい。ボートのチケット売場を教えてもらった。さらに、飛行機では、サンダカンに行けないか尋ねると、ファイルを調べパンフレットを取り出し電話してくれたが繋がらなかった、ロイヤル・・・旅行代理店に行けと言われた。
部屋でシャワーを浴びた後、ホテルから北北東500mほどにあるAmil's Towerに向った。Amil's Tower1階にWeesam Expressのチケット売場があった。Weesam Expressは、イロイロ(パナイ島)--バコロド(ネグロス島)間の高速船で利用した。
サンボアンガ--サンダカンは、月曜日&木曜日 早朝5時発で高速船が運航されていた。1等 Php2800(7500円)、2等 Php2600(6970円)で、1等チケットを買った。
ボルネオ島(マレーシア)まで飛び石の様に続くスールー諸島のJoloホロやBongaoボンガオを経由してサンダカンに向う様である。
 サンダカンへの高速船(Weesam Expressより)

市庁舎前の公園やデパート街を歩いた、高校生が大変多く、金曜日の正午とは思えない賑わいである。
ファーストフード店で昼食後、スーパーで缶ビール(Php24 65円)と1リットル水(Php15.5 42円)を買ってホテルに帰った。
ホテルの玄関に銃を持ったガードマンが居た、銃の名前を聞くとカービン銃と言っていた。
昼から部屋で小説を読んだ。
夜、テニスのオーストラリアオープンで準決勝でフェデラーが負けるのをテレビで見た。

1月24日 セブ・シティ滞在

2008年04月09日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
朝遅くまで寝た。
展望レストランで朝食を取った。今日も、晴天である。
サンボアンガへの国内航空券を買いにロビンソン・デパートに行った。昨日も行ったスーパーフェリーのチケットを売っている旅行代理店でサンボアンガ行きの航空機について聞いて見た。
日曜日20時45分セブ発、ダバオ経由、月曜日15時サンボアンガ着の飛行機があるとの事、直行便でなく話しにならない。
ロビンソン・デパートでは、この旅行代理店しか無いので、アヤラ・センター・セブに行く事にした。アヤラ・センター・セブへの道で少し歩いた所でジプニーを拾った。終点がアヤラ・センター・セブでPhp10(27円)を払って降りた。
館内地図で旅行代理店に目星を付けて行って見たらあった。ドック入りで欠航していたスルピシオ・ラインを扱っていたので、冷かしにサンボアンガ行きフェリーを聞くと金曜日にあると言う、昼休みで午後に出直せと言われた。
日本食レストランで五目麺とビールPhp195(520円)を飲んだ後、出直した。やはりサンボアンガ行きフェリーは、キャンセルであった。隣のディスクが国内航空券を扱っていると思っていたが違った、この代理店では、扱っていなかった。がっかり!
他の旅行代理店の場所を聞き向った。サンボアンガ行き飛行機は、火曜日、木曜日、金曜日の8:10発にあり、金曜日は満席で駄目であった。今日は、木曜日で、前日では無理なのか。
もう1店、国際便航空券がメインらしい旅行代理店があり、駄目で元々と思い行ってみた。
ところが金曜日9:10発のセブ・パシフィックの航空券が取れた。飛行機代Php2076(5560円)安い! セブ・パシフィックの便も火曜日、木曜日、金曜日で、土、日曜日の便があればセブでゆっくり出来るのだが!
パスポートを渡し、購入の手続きをしている時、隣の女性職員が、お母さんの苗字と同じだと言っている。わたしの苗字は珍しく、その日系女性の母親とは漢字は違うが読みは同じである。母親は沖縄出身、お祖母ちゃんと同じだと驚いていた。わたしの日本の住所を聞かれ、可愛かったので教えてしまった。
サンボアンガの治安について尋ねると、当然の様に「何の問題もない」と答える。日系女性にも尋ねた、彼女も「何の問題もない」と言っていたが、長期滞在でなく旅行で短期間滞在するのであれば問題無いと言い直した。日系女性が言っているのが、確率の問題で分かり易い表現だ。
山頂展望台トップスへの行き方を聞いたところ、ジプニーが無く、タクシーになる。タクシー料金が高いので勧められなかった。
ホテル近くのセブ・ドクターズ総合病院横にシティバンクがあったので、シティカードでフィリピン・ペソPhp5000を出金した。今回の旅行では、円、US$の現金は総費用の半分程度にし、残りはシティカードで自分の口座から出金する計画で来た。これまでは、現金主義で現金を持ち歩いていたが、旅行期間が長くなるとそうも行かない。
ホテルに戻り、近所にインターネットカフェが無いか聞いて、紹介されたカフェに行った。中に入るとハングル文字が目に付く、インターネットもハングル文字に設定されていた、日本語設定の変更を依頼したが変更に時間が掛かった、尚且つ漢字変換できなかった。ここは、在住韓国人の10代が客層の様だ、ゲームをしている。
夜、オーストラリア・オープンの女子テニス準決勝をテレビで見た。

1月23日 セブ・シティ滞在

2008年04月05日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
朝遅くまで寝た。
最上階の展望レストランで朝食を取った。今日は、晴天である。フィリピンに来て初めて晴れた。
スタンダードの部屋に移った。1泊Php1600(4300円)。
日本を出て7日目、疲れが溜まっているだろうから、今日は、ミンダナオ島のサンボアンガへのフェリーチケットを購入するだけにした。
スーパーフェリーのチケット売場をフロントで聞くと、フエンテ・オスメニアのロビンソン・デパートにあるとの事で、そこに向った。
ロビンソン・デパートの最上階に旅行代理店があり、スーパーフェリーのポスターが貼られていた。そのポスターで気付き入って、スーパーフェリーのタイムテーブルが貼り出されていて、セブ--サンボアンガ間は日曜日21:45発、月曜日15:00着となっていた。
しかし、サンボアンガ--サンダカン(マレーシア)間は、月曜日、木曜日の14:00発である為、セブを日曜日発では、駄目だ、間に合わない。
スルピシオ・ラインもサンボアンガに航路があり、そのチケット売場を探したが無い、ガードマンに聞くとアヤラ・センター・セブ(デパート)ではないか?と言う。
みそラーメンとビールを飲んでどうし様か考えた、今日は休養日にと思っていたがサンボアンガへの予定が立たないので、ダウンタウンにある観光地を訪ねるのを兼ねて、港のチケット売場に行く事にした。
フエンテ・オスメニアからジプニーに乗った、ダウンタウンまで道は真直ぐで、下町の雰囲気漂うダウンタウンは、すぐに判る。適当に下車すると、サント・ニーニョ教会の近くであった。
サント・ニーニョ教会、マゼラン・クロス、そしてサンペドロ要塞を観光した後、港方向に歩くと直ぐに埠頭1であった。
 サント・ニーニョ教会    マゼラン・クロス
 
 サンペドロ要塞


埠頭1でスルピシオ・ラインの乗場を尋ねたら埠頭4との事で、ジプニーで向った。ジプニー料金は、Php6(16円)の様だ、現地の人が払っていた、私は、Php10(27円)を渡して降りた。
しかし、埠頭4は、スルピシオ・ラインでなく、スーパーフェリー乗場であった。ガードマンにスルピシオ・ライン乗場を聞くと埠頭3であった。
歩いて行けるので歩いた。10分ほどで着き、チケット売場らしい建物に入ると、ガードマンが隣の建物を指差した。そこがチケット売場で、中に入り予定表を見ると、セブ--サンボアンガ間「Docking」となっている。船がドック入りして欠航であった。がっかりしていると職員が埠頭2にGorge and Feter Linesがあり、サンボアンガ行き航路があると教えてくれた。ガイドブックにフェリーの時刻表は、よく変更になると書いてあったが、確かに!
また、10分弱を歩いて埠頭2に行った。Gorge and Feter Linesは、月曜日発であった。残念だ!
月曜日のサンダカン行きフェリーに乗る為には、日曜日には、サンボアンガに着かなければならない。
フェリーでは、駄目で、飛行機にするか?
車掌にフエンテ・オスメニアと言って、ジプニーに乗った。ダウンタウンで信号待ちしている時、車掌にあのジプニーに乗れと言われ、乗換えた。
夜、インターネットカフェーに行った、日本語は読めるが書けない、仕方がなくメールをローマ字で書いて送った。
ホテルへの帰り道、昨日と同じバーでビールを飲んだ。

1月22日 セブ・シティへ

2008年04月02日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
天気が悪い。今日は、セブ島北端にあるバンタヤン島に行く予定であった。静かなビーチでゆっくりしようと思っていたが、空がどんよりとしたビーチは、何故か寂しい。天気が良くなる見通しも無い、それで予定を変更してバンタヤン島を割愛してセブ・シティに行く事にした。
7時ごろチェックアウトし、フロントで「バコロド(ネグロス島)に行きたい、船着場までどう行けばいいか?」と尋ねるとタクシーで行けと言うので、船着場の地名を書けとポストイット(紙切れ)を渡した。
タクシーを拾い、地名の書いたそのメモを渡すと、タクシーは走り出した。着いた所は船着場でない、運ちゃんに言うとメモの地名だと言って走り去った。タクシー代Php100(270円)
交通整理をしている警官?にメモを見せると、ここだと言う。大学の様な雰囲気がある。門でIDチェックをしているガードマンに「バコロドに行きたい、船着場までどう行けばいいか?」と尋ねると、親切にもジプニーを停め、運ちゃんに「バコロド行きの桟橋で降ろせ」と言ってくれた。ほっとして助手席に座って幾らか走った所で、運ちゃんが踏んだアクセルペダルがガタンと落ちた。ジプニーの故障である、料金を返金されて乗客は降りて行く、私も降りた。今日は、ついていない!
タクシーを拾い、「バコロドへ行きたい、桟橋へ行ってくれ」と言った。通じた様だ。
Weesam Express高速船乗場に着いた。高速船が止まっていた、チケット売場でチケットPhp260(700円)を買い、トイレに行って急いで船着場に行くと船はもう出発していなかった。1時間半の待ち時間、本当に今日は、ついていない。バコロド行きWeesam Express高速船は、始発6:30でそれ以降1時間30分毎にある。
9時30分発の高速船でバコロド(ネグロス島)に向った。1時間ほどで着いた。
タクシーもあったがジプニーが停まっていたのでジプニーでバスターミナルに向った。ジプニー代Php20(50円)
ジプニーを降りた所は、バスターミナルの全体が見渡せず、多くのバスが並んでいた。サン・カルロス行きのバスは、どこに停まっているか聞き確認後、トイレを探してバスターミナル内を行くと待合室があり、売店、食堂もあった。セブ・シティ行きの看板が目に入った、「次のセブ・シティ行きバスは何時出発か?」と聞くと、「ベンチに座って待て!」との事、トイレに行き、昼食を取ってベンチに戻ると、私を探していた様で、セブ・シティ行きバスを指差した。
セレス・ライナーCeres Linerのバスで、乗って発車を待っているとチケットを売りに来た、セブ・シティまでのバス代は、Php330(880円)であった。続いてまた、チケットを売りに来た。それはフェリーのチケットで、ここネグロス島からセブ島へ渡る為のフェリーである。フェリー代Php170(450円)。
ガードマンがカービン銃(たぶん?)を持って乗込んで来た。網棚や床に置いている手荷物の持ち主を確認していた。身元不明手荷物がないかチェックしていたのである。
12時に出発した、街中でもう1ヶ所のバスターミナルに寄った後、郊外に向った。丘陵地帯が続き、その後は山道が続いた。丘陵地帯には、さとうきび畑が広がっていた。当初は白い穂が見えていたので背の高いすすきかと思っていたが、刈り取ったさとうきびを運ぶトラックを見て、さとうきびだと判った。
道路沿いの雑貨屋は、鉄格子がはまり、小さな窓口が開いているだけである。昔のアメリカ西部劇に出てくる銀行の窓口の様である。治安が悪い様だ。
ネグロス島の山脈を越え、急な坂道を下るとサン・カルロスであった。
 サン・カルロス


14時20分に着き、10分間ほど港の前でフェリー待ちした後、港へバスは入った。ネグロス島を横切るのに2時間20分掛かった事になる。
バックバックをバスに置いて行っても問題ないか心配だったが、フィリピン人が置いているので私も置いて、デイバックを持ってバスを降りた。
フェリーからイベントのスタッフがそのままの装束で降りてきた。
整列して太鼓を鳴らしてサン・カルロスの町へ行進して行った。
 何かのイベント


15時40分フェリーはセブ島のトレドに向って出航した。

サン・カルロスの沖 1.5kmに長さ7kmほどの細長い島があり、ちょうど防波堤の役目をしている。
高速船2隻に追い越された。サン・カルロス---トレド間にフェリー以外に2社の高速船が運航している。
遠くの海に雨が降っている、カーテンの様な雲が海に接している。
17時10分にセブ島のトレドに着いた。1時間30分掛かった事になる。
 トレド(セブ島)遠望

フェリーの接岸を見ている内に乗客が少なくなった、フェリー内でバスに乗車する様だ、慌ててバスに向った。私が乗車するとバスは、動き出した。
セブ島の背骨の山々を横切り、セブ・シティのバスターミナルに着いた。19時ごろになっていた。
タクシーを拾い、「ホテル・アジア」と言ったが知らない様だ、運ちゃんは英語をあまり話せないと言う。次に「フエンテ・オスメニア」と大きなロータリーの名前を言うと分かってくれた。
フエンテ・オスメニアに着いて、指差して「ゴー ストレート」。運ちゃんは、「ここか」と何度も停まる。私は地図を見ながら「ホスピタル」と言うと「あそこだ」、私は、指差して「ターン レフト」。運ちゃんが、ホテル・アジアを見付けた。タクシーメーターを見るとPhp80、しかし小銭がPhp70しかなく探していると、もうそれでいいと運ちゃんが言うのでPhp70を払って降りた。道案内をしたのは、私だから当然か!
20時頃チェックインした。エグゼクティブPhp2800(7500円)しか空いていなっかた。寝るだけだから立派な部屋は必要ないが! 今日は、ほんまについてない!
ホテル代を払うとフィリピン・ペソが無くなった。フロントで参考に1万円の両替レートを尋ねると1万円=Php3620であった。フエンテ・オスメニアのロータリーに行けば両替所があるとの事で行く事にしたが、夜1人で歩いたら危険か尋ねたらまったく問題ないと言っていた。
フエンテ・オスメニアで両替(1万円=Php3800)、ファーストフード店しか見当たらないので、そこで夕食を取った。当然、ビールは無い。
コンビニ風マーケットにもビールを置いていなかった。ホテルの近くにバーがあり覗いて見ると、若者がカラオケを歌いながらビールを飲んでいる。テーブルが4卓あるだけの小さなバーで、サンミゲールビールを2本飲んでホテルに戻った。
今日は、長い一日であった。