いつか海外暮らし!

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退院後 脳梗塞

2004年04月25日 | 脳梗塞
2年前までは健康診断で異常が無く、運動もするし体型もスリムな私が脳梗塞で倒れるとは、ショックであった。
入院中は、脳梗塞について良く解らなかったので、退院後、本やwebサイトで調べた。
脳梗塞の危険因子は、高血圧・高脂血症・糖尿病・喫煙・肥満・不整脈・過労ストレス・飲過ぎであり、私はその内、高血圧(薬服用中)、喫煙(40本/日)不整脈(心房細動)が該当する。長嶋茂雄は心房細動が原因で心臓内でかたまった血が血液の流れによって脳の血管をつめてしまい重症の脳梗塞になったが、私の場合は、大変軽症である事から心房細動が原因でない。
現在、脳梗塞で倒れて3時間以内に治療を始めれば後遺症も軽くすむとwebサイトではよく言われている。私は、2時間で治療が始まったのでこれに相当する。
それでは、どの様な治療がされるのか、急性期(入院中)は、抗脳浮腫薬、血栓溶解療法、血管内治療、脳保護薬等があり、私は、脳保護薬を朝夕2回の点滴を10日間続けました。
しかし、血栓溶解療法では「t-PA」はアメリカやヨーロッパで脳梗塞の治療薬として使用されているが、日本ではまだ認められていない。
血管内治療は、まだ、限られた病院でしか出来ない。
この様な状態であるので、救急車で運ばれた病院で受けられる治療法は限られるのが現状である。
慢性期(再発防止)は、抗血小板薬、抗凝固薬がある。私は、心房細動であるので、抗凝固薬のワーファリンを毎日飲んでいる。抗血小板薬のアスピリンは、予防薬である。      
脳保護薬
2001年、日本で脳保護薬という新しいタイプの薬「エダラボン」が脳梗塞の治療薬として世界で初めて認可されました。
血栓を溶かすのではなく、予後の後遺症を軽減します。
脳梗塞の脳内で発生する活性酸素を除去して脳障害を防ぎ、結果的に後遺症が軽減されます。

退院 脳梗塞

2004年04月20日 | 脳梗塞
退院。14日間の長い様で大変短い入院であった。
脳梗塞の再発予防にワーファリン錠を飲まなければならない。
ワーファリン錠は、血液が固まるのを防ぐ薬、血栓の発生を予防する薬であり、定期的に血液検査を行い、服用する量2~3錠を決めたりチェックしたりする。
高血圧の薬は1ケ月後より服用を再開する。
その他、通常の生活に戻っても良い。

入院中 脳梗塞

2004年04月18日 | 脳梗塞
10日間続いた朝と夜の点滴、脳の血管が詰る事で血液不足になった細胞を保護する為の点滴も終わり、外泊が許されタクシーで帰宅した。
久しぶりの在宅でゆっくり出来た、しかし風呂に入る時は、脳梗塞で倒れた時を思い出して気色が悪かった。
病院へは、リハビリを兼ねてバスと電車を使って戻った。駅の階段の昇り降りに違和感を感じた。特に降りる時、少し怖さを感じた。直ぐに慣れた。

入院中 脳梗塞

2004年04月15日 | 脳梗塞
今日から歩いても良い。
ゆっくりと廊下を歩いた。麻痺した左足筋肉の衰えはない様である。
左腕は、力こぶのでるところの筋肉がなくなっている。したがって、左手を伸ばして物を取るとブルブルと振るえる。
会社の上司や親しい人が見舞いに来てくれた。脳梗塞になり後遺症も残らないとは、ラッキーやと言われた。

入院中 脳梗塞

2004年04月13日 | 脳梗塞
車椅子に乗る事を許可された、これでトイレに行ける。
リハビリが始まった。作業療法士に最初は病室で左肩から腕、手をマッサージする事から始まり、車椅子の使用が可能になってからは、作業療法室で頭の働きの検査をされた、図形を見て判断する検査や記憶力の検査であった。問題なし。
理学療法士には、立った状態でのバランス測定をされた。少し右に寄っているが問題なし。ストレッチ方法を教わり、その継続を薦められた。
散髪に行った。朝、予約しおやじに車椅子を押してもらい行った。ベッドで来てベッドを起こして散髪している人がいた。



入院 脳梗塞

2004年04月10日 | 脳梗塞
絶対安静からベッドを15度起こしても良くなり食事も出来る様になった。ベッドの起こす角度も30度、60度と一日一日大きくなって、座っても良い様になった。
食事の時、麻痺していた左手を伸ばして物を取るとブルブルと振るえる、手もとに持ってくると治まる。現状での後遺症である。

入院 脳梗塞

2004年04月08日 | 脳梗塞
朝、看護婦さんに左足と左手が動く様になった事を知らせた。
3日間絶対安静で、右手の血管に点滴管を通したまま連続点滴で水分、ミネラル、ビタミンを補給する薬である。朝と夜に左手に1時間程の点滴、これは、脳の血管が詰る事で血液不足になった細胞を保護する為の点滴である。昨夜、麻痺していた左足と左手が動く様になったのは、この点滴のお陰かも知れない。
それとワーファリン錠を飲み始めた。
父親が朝から来てくれた、左足と左手が動く様になった事を知らせると、驚き、そして顔がほころんだ。おやじは、退院するまで毎日来てくれ、付添ってくれた。
昼から妹が入院に必要な物を揃えて持って来てくれた。おやじから左手足が動く様になった事を聞いて、良かったと喜んでくれた。昨夜、おやじが、たいそう心配していたと妹から聞かされ、おやじを心配させたらいかんと言われた。その通りで何も言えない。
CT検査、MRI検査等を行ったが、脳梗塞の部位が発見出来なかった。それ程に非常に小さな部位であったらしい。

脳梗塞で倒れる

2004年04月07日 | 脳梗塞
22時ごろ風呂に入ろうと立上った時、突然、左足から崩れる様に倒れた。
手、足、頭が複雑にからんで畳の上に倒れている様な感じであった。
意識はあるが、目が明かない、何が起こったのか?
すぐ近くに居た両親に引きずられて布団に寝かされた。
左手、左足&左唇が麻痺していた。
救急車で運ばれ、脳のCT検査の結果、白く写っている部位がないので脳出血はない、また、脳梗塞である黒く写っている部位もない。しかし、左半身麻痺しているので脳梗塞である。
脳梗塞は、発症直後はCTでは病変部位はわからない場合がある。明日には、部位が分かるだろう。
「これから治療を開始します。症状が軽くなる事もあるが、今以上に悪くなる事もあります。」と言われ、病室に運ばれ点滴が始まったのが24時過ぎであった。
救急車で付添った父が帰ったのと入違いに妹家族が心配して来てくれた。
妹、甥の心配そうな顔を見たのと、「治療して、悪くても現状維持と考えるのが普通であるが、それが今以上に悪くなるかも知れない」というショックとで、自分の深刻な状況がはじめて認識出来た。
麻痺した左腕を右手でつかみにいったが、腕がない、ない、・・・。いつもあるべき左腕付近は、今は心臓であった。より遠くに右手を持っていくとはじめて左腕があった。左腕の感覚がないと、いつもの距離感までも麻痺する。
先程の診察時、麻痺している左足の皮膚感覚はあった、そして親指も一瞬動いた様な記憶があったので、右足の親指を麻痺側の親指横に並べて、出来るだけ早く右親指を動かした。右親指につられて麻痺した左親指も動かないかと思ったからである。頭では、左親指よ動けと指令を出していた。
どの程度続けたのか記憶がないが、ラッキーにも麻痺した左足の親指が動き全指が動いた、続いて膝が大きく曲がった。足が動いた、信じられない、麻痺した左足が復活した。
足と同じ様に、右手の親指を麻痺側の親指横に並べて右親指を動かした。手の場合も、どの程度続けたのか記憶がないが、麻痺している腕の付根である左肩が、ガグと動いた事を鮮明に記憶している。