いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

帰国

2005年01月31日 | 北部タイ旅行
目覚時計のアラームで目覚めた。6:15に起きて6:30にチェックアウトしてタクシーでドンムアン空港に向った。
残りバーツが少なかったのでATMで現金を引出そうとした時、バンコク銀行のATMばかり使用していた為、それ以外のATMは、画面配置が違う、勝手が違う。英語表記の選択ボタンがない、タイ文字では、まったく分からない、キャンセル方法も分からない、従ってキャッシュカードも戻らない。あわてた、付近を歩いていた事務員を呼び、教えてもらった。英語表記の選択ボタンを発見、無事出金できた。口座残金 2000Bであった。
8:25発香港行で出発した。香港の空港は、啓徳空港は知っていたが、新しい香港国際空港は初めてであった。乗換えにちょっと迷ったが、1時間の乗継時間で関空に向った。関空直行便と思っていたが台北経由であり、香港から関空まで行くのは二人だけであった。この航空券は12500B(33750円)+空港使用料・保険で大変安いので仕方ない。
関空に19時前に到着した。リムジンバスで帰り、20日間の長い旅は終わった。

バンコク 7日目

2005年01月30日 | 北部タイ旅行
今日は、今回のタイ旅行最後の日で、ワット プラケオ・王宮をデジカメで撮ろうと思い9年ぶりに行く事にした。BTSも地下鉄も通っていないのでタクシーとなるが渋滞するのでアクセスし辛い。チャオプラヤー川や運河をボートで走るのが好きで、ある日、チャオプラヤー川を使ってワット アルン(暁寺)、ワット ポー、王宮に行ける事に気付いた。BTSの国立競技場-タクシン線のタクシン駅でおり、タクシン橋方向に向うとチャオプラヤー川に突当たる。エクスプレス ボート(水上バス)と渡し舟の乗場がある。川上に向うエクスプレス ボートに乗り、タワー形状のワット アルンの対岸にボート乗降場があり、そこで降りる。ワット プラケオ・王宮までは、15分程度で歩いて行ける。
ワット プラケオ・王宮は、半ズボン、ミニスカート、ノースリーブ、ゾウリ履き等の不適切な服装での入場はできない。門を入って少し行くと右側の建物に大勢の外国人が並んでいた。履物や服を借りる為である。その前の縦看板にドレスコードの事と「タイの文化、習慣を尊重して下さい。」と言う言葉が印象的であった。服装チェックはない。私はゾウリ履きであったが、かかとにひものあるタイプであるので良しとした。
金ぴかの建物よりの本尊のエメラルド仏の方が数奇な運命をたどった故に感動した。北インドで作られたと言われるヒスイ製の仏像で北インド→スリランカ→カンボジア→アユタヤ→チェンラーイ→ランパーン→チェンマイ→ルアンプラバン→ヴィエンチャン→バンコクと各地で奉られ、転々とした後、1778年にバンコクに移り、今はここの本堂に奉られている。
王宮から出口に向う時、王宮の門番(兵隊さん)に「Where do you go?」と尋ねられて、私としては、当然出口門に向っていたので「どこへ行くのですか」と言われても答え様がないので無視した。しかし、後で気付いたのだが今日は観光客用の門以外にも開門しており、「Where do you go?」と尋ねられた時ワット ポーやワット アルンと答えていたら、近道の門を教えてくれた。残念である。
帰りも、チャオプラヤー川のボート、BTSで逆戻りした。

ピサヌローク→バンコク

2005年01月29日 | 北部タイ旅行
昨日は早く寝たので、今日は早く起きてしまった。まだ薄明るい。
久しぶりに散歩に出た。あてもなく歩いていると市場に出た。市場は、にぎわっていた。
バスターミナルまで行かなけれバンコクに行けない、不便だ、どうして行こうか。チェックアウトの時、フロントで聞くと、50m程離れたバス停でNO.1のバスに乗れと言うが、タイ文字で数字の1が私には分からない。通りに出て、教えてもらった。たまたま、今止まっているバスがNO.1だった。
バスターミナルまで料金は、わずか3Bであった。
バンコクまで6時間、214Bで、1st A/C トイレ付バスであった。
バンコクには、15:00頃に着きタクシーでスカイトレインのモーチット駅に行った。今日は、土曜日でウィークエンドマーケットが開催されておりモーチット駅は、混雑していた。
ナナ駅で降りて、ホテルを探した。ホットシャワー、A/C、テレビ、冷蔵庫付きで600Bの部屋にした。古いビジネスホテルである。
長いバス旅に疲れ、今日も早く寝た。




ピサヌローク

2005年01月28日 | 北部タイ旅行
                          ワット ヤイ
昨日、「タイ最北端」まで行ったので、今日から南に向かい、2日間かけてバンコクに戻る。
夜行の直行バスでバンコクまで13時間、これで行こうかと思ったが、私は54歳で歳の事を考え、ピサヌロークで一泊してバンコクに向かう事にした。
昨日、メーサーイからの帰りに出発時刻を調べておいた。7:30、8:00、9:30で8:00のバスに乗るべくバスターミナルに行った。9:30までバスがない、嘘やろ! たぶん、客が少ないので間引き運転していたのだろう。
インターネットカフェが開いていたので時間つぶしをした。
定刻より10分遅れて出発した。スコータイ経由ピサヌロークで8時間かかるので17:50頃に着く。それから、ホテルを探さなければならないので、ちょっと遅い。
バスの車窓から風景を見ながら、国道何号線なのかアラビア数字を探したり、大きな町でバスターミナルを経由する時は、タイ文字の中に英語の地名を探したりして、現在位置を確認しながらバスに乗っていた。車窓から風景を見ているだけであきる事がない。
プレーのバスターミナルで車掌に隣に止まっているバスに乗換える様に言われて、乗換えた。
このバスは、スコータイ経由でなくピサヌロークに直行するバスである。1時間は短縮できる。
ラッキー! 気が利くやっちゃないか。
ピサヌロークのバスターミナルに16:30頃到着した。ソンテウの運ちゃんに街の中心地のホテルを紹介してもらった。
そこは鉄道のピサヌローク駅前の旅社で250Bのファン、水シャワーの薄汚れ部屋であった。私には耐えられないので、適当に歩いてホテルを探した。
次も旅社でホットシャワーの部屋があるか聞いた、ホットシャワー、エアコン、テレビ付きで350Bの部屋を見せてもらった、古いが綺麗で清潔な部屋で気に入ったのでここに宿泊する事にした。
もう夕方であったが、タイで最も美しいと言われている仏像だけは見ておこうと思い、ワット ヤイに行った。
ワット ヤイは、ナーン川沿いにあり、美しい仏像を見終わってから川沿いに歩いた。その川に浮ぶ水上レストランがあったのでそこに入り夕食を取った。対岸の公園でジョギングしている人が大勢見えた。その内薄暗くなり、真暗になるとワット ヤイがライトアップされ奇麗であった。
チェンラーイからの長いバス旅に疲れ早く眠りに着いた。

チェンラーイ 3日目

2005年01月27日 | 北部タイ旅行
                   左側 ミャンマー         右側 タイ
今日は、メーサーイに行く、今日もフロントでメーサーイの発音を確認してバスターミナルに向かった。
メーサーイ行きバスは、昨日のバスより大きいが、3st、A/Cなしであった。メーサーイまで、25B、1時間半であった。途中で警察の検問があり、バスに乗込んで来てIDチェックして3人下ろされた、検挙されたのである。なぜかは、知らない。たぶん、ミャンマーからの密入国であろう。
メーサーイ手前のバスターミナルに着き、そこからソンテウで10分位でメーサーイであった。
4車線の道路がイミグレイーションに突当たり、2車線に狭まっている。ここが、ミャンマーとの国境である。道路の両側は、お土産屋が並び、観光客でいっぱいである。
イミグレーションに向かって左の丘にお寺と展望台がある。国境の川は、川幅が狭く建物に隠れて見えないため、展望台からメーサーイとミャンマーのタチレクとが一つの町として一望できた。
これから、陸路国境越えをする。イミグレーション前の小屋でタイ人中高学生が大勢IDカードのコピーを取っている。古いガイドブックには、パスポートのコピーを取ってイミグレーションに行くとなっているので、私も必要かと思ったが、その小屋回りには外国人はいない。コピー無しでタイ側イミグレーションに行った。
通路途中の部屋の小窓に手を入れ、パスポートを渡す。通常の出国である、三角形のスタンプとWALKと押され、出国カードを取られていた。
国境の橋を渡りミャンマー側のイミグレーションに行くがどこがイミグレーションか分かりにくい、机が3台あり担当官が二人座っている小さな部屋があった。ここに入り、パスポートと入国料5ドルを渡して、引換券を貰い入国した。
入国料5ドルを持っていない場合は、タイのイミグレーションでパスポートを渡して出国する時に250Bで5ドルと両替してくれる。
ミャンマーに入国した途端、しつこい売込みに会い、うんざりして30分程でタイに戻る事にした。
ミャンマーのタチレクに来た、見たで終わった。
ミャンマーのイミグレーションで引換券を渡して、パスポートを受取った。
タイ入国は、入出国カードに記入して通常の入国手続きであった。
国境を渡る橋の下に、川沿いにレストランがあり、焼き飯とビールを昼食として取った。国境の川は、若者が走り幅跳びで飛び越えられそうな川幅であった。汚い、生活の川である。
川沿いに国境の橋を潜って反対側に出ると「タイ最北端」の看板があった。
ソンテウでバスターミナルに行き、チェンラーイに向かった。
チェンラーイに着いて、メインストリートの三叉路で警官が手信号で交通整理をしていた。その三叉路に面したレストランでビールを飲みながら、警官の手さばきを見ていた。中々のものであった、日本では、もう見なくなった。たぶん、昔々見た事がある。
昨日夕食を取ったナイトバザールの舞台のあるレストランの極近くにもステージのあるフードセンターがあった。串さしのゲソ焼きとビールを飲んだ。
22:00に就寝。日本時間の24:00である、日本時間で寝て、タイ時間で起きているので9~10時間寝ている。

チェンラーイ 2日目

2005年01月26日 | 北部タイ旅行
                         ゴールデントライアングル
7:30起床し、ゲストハウスで朝食を取る。トースト、オレンジジュース、コーヒーであった。
チェンラーイでの予定は、チェンセーンとメーサーイにそれぞれ日帰り観光する事を考えている。
今日は、チェンセーンに行くことにして、フロントでチェンセーンの発音を確認してバスターミナルに向かった。
バスターミナルでバスを探していると客らしい若者が、「どこへ行くのか?」と言っている様であるのでチェンセーンと言うと一発で通じた、親切に案内してくれた。
チェンセーン行きのバスは、3st、A/Cなしで小さく、狭いバスであった、チェンセーンまで1時間半で25B(70円)であり、文句を言えない。
バスは、チェンセーンの東西のメインストリートで止まった。
東に歩くと直ぐにメコン川であった。
北にメコン川沿いに行くとゴールデントライアングルで、南に行くとチェンコーンである。
チェンセーン観光をしてからゴールデントライアングルに行く事にした。
メコン川から西に引き返してワット チェディ ルアンを見て、更に西に向かうと城門と城壁が見えて来た。
南北に長方形の城壁で囲まれ、東側だけがメコン川となっている。メコン川から城門まで、1kmもないだろう。
城門を通り抜けた所にパサック歴史公園があった。チェンセーンは、思っていた以上に歴史の町であった。
休憩を兼ねて、焼そばとビールを昼食にした。
ゴールデントライアングル行きのソンテウ乗場は、チェンラーイからのバス終点付近にあり、三角屋根と柱で出来たバス停で前に2~3台のソンテウが止まっている。時刻表があり、40分毎に出ている。
15分程経って記念撮影用のゴールデントライアングルの立派な看板前で降ろされた。トライアングルポイントまではまだ1km程あり、歩いて上流に向かった。道路沿いは、土産物屋などが建ち並びまったくの観光地である。
かつては麻薬の生産地として有名だったタイ、ラオス、ミャンマーの国境が接する、ゴールデントライアングルであったが、今は、タイ、ラオス、ミャンマーの国境が交わるポイントが景色はなかなかいい観光地として開発されている。
上記写真、真中の半島がミャンマー領で、半島左側の川がタイとの国境であり、半島右側の川はメコン川の支流で右端の洲の向こうに本流のメコン川があり、このメコン川上流がミャンマーとラオスの国境であり、また下流がラオスとタイとの国境でもある。ここからチェンマイまでと同じ距離位、メコン川を上がると中国である。
3ヶ国の国境が交わるポイントのメコン川沿いのレストランでビールを飲んで休憩した。
タイ側は、観光地であり、ミャンマー側は、カジノホテルを作り少し開発しようとしているが、ラオスは、まったく眠っている様である。ラオスへ行ってみたい。
チェンセーンへの帰りのソンテウを待って、手で合図して止めて乗車した。ソンテウは、トライアングルポイントにあるリゾートホテルでUターンし、チェンセーンに戻る。
チェンラーイへの帰りのバスは、降車位置よりメコン川寄りで止まっていた。
乗客は3人だけであったが、チェンラーイ行きバスがゆっくりと走り出した。1km余りのメインストリートをゆっくり走りながら乗客を拾って行く。ほぼ満員になってバスはスピードを上げた。
チェンラーイに着いて、メインストリートに面したレストランで、ビールを飲みながら、通りを走る車や単車をボーと見ていた。ほとんどが日本車である、トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、スズキ、三菱である。
タイ最北の県都チェンラーイまで来ても日本車の販売店が、多くある。販売店の密度は、日本と代わらない様に見える。従って、日本車が席捲しているのだろう。
ナイトバザールにオープンレストランの舞台があり、楽団演奏とタイ舞踊が有りそうなので、ここでパッポーカリーとビールを取った。

チェンラーイ 1日目

2005年01月25日 | 北部タイ旅行
今日は、チェンラーイに向かう。            ワット プラケオ
朝食にトースト&コーヒーを取った後、ソンテウでアーケードバスターミナルに行った。
2st、A/C付きバスでチェンラーイまで214B(578円)、約3時間であった。
チェンラーイのバスターミナルは、珍しく街中にある。通常、郊外にあり、ソンテウで10分程度掛かり不便であるが、ここは便利である。
従って、バスターミナルからゲストハウスに歩いて行けた。
インターネットで調べたゲストハウスで、A/C、ホットシャワー、テレビ付きで350Bとの事で部屋を見せてもらった。
部屋は古いがきれいにしているので費用対効果を考えるとこの程度だろう。ここに決定した。
まだ、13時と早いのでチェンラーイ観光を済ませる事にした。
ワット プラケオとワット プラシン、メン ラーイ王像に行った。
寺院の名は、チェンマイにある寺院名となぜか同じである。
メン ラーイ王像近くに城門だけが残っていた。チェンマイ、チェンラーイ、チェンセーン、チェンコーン・・・等のチェンとは、四角の城壁と言う意味らしい。ちなみに、ヴィエンチャンのヴィエンは、環濠の城壁と言う意味らしい。
通り名の表記がタイ文字と漢字とになり、漢字表記が増えた。中国に近付いた証拠である。3時間程度で歩き観光は終わった。
インターネットカフェでメールチェックと日本の新聞を読んだ。
チェンラーイにもナイトバザールがあるのに気付かず、レストランでトムヤムクンとビールを取った。トムヤムクンを注文しても外国人であれば、スパイス控えめにしてくれるが、ここのレストランは遠慮無しであった。赤い唐辛子は、大した事はないが、青い唐辛子はso hotである。この青い唐辛子にあたってしまった。

チェンマイ 5日目

2005年01月24日 | 北部タイ旅行
今朝も暖かいお粥を食べた後、散歩に出た。         2匹の蛇神
今日はチェンマイでのハイライト、ドイ ステープに行った。
ドイ ステープ行きのソンテウは、昨日行った所のチャン プアク門近くから出ている。
同じ道を歩くのは嫌だったのでトゥクトゥクに乗ることにした。行き先を言うが伝わらない、タイ語と英語で併記された地図を指差して伝え、料金交渉をした。これが面倒でついつい歩いてしまう。
ドイ ステープと叫んで呼込みをしているソンテウの運転手に付いて行き、ソンテウに乗って客が増えるのを待たされた。        
城壁の北西コーナーから真直ぐ北西に行くと山麓に着き、そこに動物園がある。それを過ぎるとジグザクに高度をどんどん上げていった。
ワット プラタート ドイ ステープの麓に着き、歩いて登り始めた。2匹の蛇神に守られた長い階段の前に立った時、この風景は写真で見た事があり、あの写真の景色がここであった事に気付いた。
長い階段を休憩しながら、ゆっくりと登り頂上に着いた。
黄金に輝く大きな仏塔がある。仏陀の遺骨が納められているだけあって、これまで見た仏塔の中で最も感動した。
土足厳禁の広くない内部、回廊をまわり、仏塔、仏像を見て歩いた。
寺院の裏にチェンマイ市街を一望に見渡せる所がある。今日は、残念ながら霞んで見る事が出来なかった。旧市街の輪郭が見れると期待していたが、逆光かスモックかで見る事が出来なかった。
帰りに動物園に行った。ブザーを鳴らしてソンテウを止めて降りた。そこが動物園だと勘違いしたからだ。お坊さん像があり、多くの人がお参りをしていた。
あー間違えた。若い人に動物園まで何分掛かるか、英語で尋ねると「200m」と答えた。近くてラッキーであった。
動物園内をトラムに乗って回り、意外にもパンダ園があった。冷房の効いた檻に2匹いた。日本でも見た事のないパンダをこのチェンマイで見れてラッキーである。
チャン プアク門までソンテウで行こうと動物園の前でソンテウの客が集まるのを待ったが、集まらないので歩いた。気が短い。
チェンマイ大学まで近かった。今日はチェンマイ大学の卒業式らしく正門前で記念写真を撮っていた。チェンマイ大学内を少し散策した。
途中でソンテウに乗ろうと思ったが、暑いので影を選んで歩いた歩道が逆車線で拾う事が出来ず、ついつい歩いてしまった。
城壁のコーナー近くに、大きなデパートがあり、そこの日本食レストランでカツ丼とビール大を取った。女性店員一人が浴衣を着ていた、着方が少し可笑しかったが可愛かった。
城壁の北西コーナーに着いた、このコーナーから東と南に崩れたレンガ造りの城壁が一部残っていた。
動物園から北西コーナーまで歩いて1時間かかった。
ソンテウでナイトバザール付近まで戻り、インターネットカフェに寄り、メールチェックと明日向かうチェンラーイについて調べた。
今日もナイトバザールのフードセンターで夕食を取った。楽団演奏とタイダンスを楽しんだ。


チェンマイ 4日目

2005年01月23日 | 北部タイ旅行
                   ワット チェット ヨート
今朝も暖かいお粥を食べた後、散歩に出た。        
今日は、ワット チェット ヨートとチェンマイ国立博物館に行った。
北門にあたるチャン プアク門まで歩いた。東門のターペー門から堀沿いに歩き、北東のコーナーを曲った。門とコーナーは残っている。
ターペー門近くのホテルの前で、ワット チェンマンで出会った日本人夫婦にまた会って手を上げて遠くから挨拶した。私と同世代の夫婦だと思う。ワット チェンマンで、すれ違いに「こんにちは」と言われて日本人だと気付きました。
チャン プアク門からソンテウに乗り、ワット チェット ヨートに行った。犬が怖くて、来た、見たで終わった。
スーパーハイウエー沿い歩いた、歩道も無く、影も無く、ほこりぽっく暑かったが10分ほどでチェンマイ国立博物館に着いた。
博物館に入って行くと、自転車を押している日本人夫婦を発見、先ほど会った夫婦であった。
レンタルサイクルで回っているとの事でそれが良いですねという会話をして別れた。
私もレンタルサイクルにしたかったが、チェンマイは石畳道路が多し車の量も多いので危ない、脳梗塞の再発予防の薬を飲んでいる身としては安全をきしたい。薬の効能は、血液をサラサラにするが反面、出血した時止血しづらいからである。
仏像、陶器、民芸品が展示してあった。興味を引いたのは、旧市街を四角く囲む城壁の外にも城壁があった事と古い写真には草木に覆われた城壁が残っていた事です。今は、城壁のコーナーだけが残っている。
チャン プアク門までソンテウで戻り、そこから往路とは違う道を通ってホテルに帰った。
ターペー通りの北側を歩いた、ホテルが南側にあるので散歩でもその方向を歩く為、北側は知らない。警備の厳重なアメリカ領事館、大きな市場があった。北側が庶民の町で、南側が観光客の町と言った感じである。
遅い昼食後、タイトラディシュ マッサージを2時間受けた、チェンマイに来て良く歩いているので足のマッサージが特に良かった。サバイ サバイである。
今日もナイトバザールのフードセンターで夕食を取った。100B~150Bで済む。
楽団演奏とタイダンスを楽しんだ。
チェンマイには、リタイアした日本人や西洋人が多く滞在している。このフードセンターにも多くの人が来ているが、長期滞在か観光での短期滞在なのか見分けが付かない。今泊まっているホテルも長期滞在している西洋人が二人いる。宿泊費600B/日だが月極では9000B/月と安い。10万円/月で生活できる。


チェンマイ 3日目

2005年01月22日 | 北部タイ旅行
                   ワット チェディ ルアン
朝7時に目覚めたが、外は、薄暗い。            
トレーナーの下に下着と半袖シャツを着て、ようやく寒さはしのげる。
チェンマイの冬(乾期)は、朝と昼の寒暖の差が大きい。
朝食に屋台で暖かいお粥を食べた。お粥は、量も多く、20Bと大変安い。
今日も散歩に出て、戻ってコーヒーを飲んだ。ここのコーヒーはインスタントコーヒーではなく美味い。
今日は、昨日見過ごしたワット チェディ ルアンと城壁外のワット スアン ドークに行く事にした。
昨日歩いたのと途中まで同じルートで歩き、ワット チェディ ルアンに着いた。
高さ90mの存在感のある仏塔がある。仏塔を見上げながらベンチで休憩していた。
仏塔の頂上と地上にロープが張れ、長さ50cmほどの筒状の容器に水を入れ、それを仏塔の頂上付近にロープで運び、水を掛ける。親子連れが、この装置を操って頂上付近に水を掛けるのを見ていた。仏塔の頂上付近の筒状の容器が小さく見え、水を掛け散らばるのを見て、何故か感動した。
スアン ドーク門は城壁の西門にあたり、この仏塔から西に行かなければいけない。
それを間違って東に歩いてしまい、チェンマイ門に着いてから気付いた。
旧市街外周の堀沿いに歩き、南西の角(コーナー)を回り、スアン ドーク門に向かう事にした。
レンガ造りのコーナーは保存されているが、城壁(wall)は残っていない。
堀とコーナーを見ながら休憩し、昼食にパンとコークを取った。
スアン ドーク門を西に行くとワット スアン ドークがある。
どの程度の距離にあるのか分からないのでソンテウに乗った。
来た、見たで終わった。
ソンテウに乗ってホテルへ帰った。
インターネットカフェで、メールチェックと日本のニュースを読んだ。
昨日はナイトバザールに早く行き過ぎたので、20時前に行った。
焼そばとビールを取り始めると舞台で楽団演奏が始まった。
弓を弦に擦って演奏する楽器や太鼓を使って演奏している。飽きる事の無い演奏であった。
楽団の後、タイダンスがあり21時過ぎに終わった。明日も来よう。