いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

4月25日 夜中 北京へ

2007年06月28日 | カンボジア&ベトナム
今日の夜中に北京に向かう。今日と言うより明日の1時20分発 Air China CA980である。北京で1泊して万里の長城や故宮に行く予定であるが、カンボジア&ベトナムを回り、もうええわ! 直行で日本に帰りたい。インドシナと言うご馳走を食べ過ぎ満腹で、デザート北京はもう欲しくないという感じである。反省、今回の様に経由地で滞在するのであれば、復路で滞在するのでなく、往路で寄るべきである。

夜中便でバンコクに到着し夜行便で出発する為、昼間のスワンナプーム新国際空港を見る事が出来ない。それで、ひまつぶしに新空港へ行って戻ってまた行く事にした。チェックアウト・タイムの12時までホテルでゆっくりした後、BTSナショナルスタジアムからスクンビット線終点のオン・ヌットに向かった。20分でオン・ヌットに着いた。運賃 B40(139円)。
ロータスLotusとは反対側の階段を下りるとバス停があった。バス停の向かいにロータスのマクドナルドハンバーガーが見えている。ここからスワンナプーム新国際空港行き路線バス552番が出ているはずである。飛行機の絵の下に552とある小さな標識を見付けた、間違いない、ここのバス停に新国際空港行きバスが来る。
25分間待って、ようやくバスが来た。待ち時間25分は限界である。待ち切れなくてタクシーに乗り掛けた。
スクンビット通りを抜けるまで渋滞していたが、その後、バスは快走、でも空港まで遠い。
上記アクセスmapの赤矢印の如く南を大廻して空港の東側を北上する、遠くに小さくウィングが見えてくるとバスターミナルまて近い。オン・ヌットから新空港のバスターミナルまで約1時間、B32(111円)であった。
バスターミナルから旅客ターミナルビルは、シャトルバスが運行されている。当然無料。シャトルバスは、旅客ターミナルビル4階出発フロアに着く。

出発フロアの手荷物一時預り所にバックパックを預けた。手荷物一時預り所の英単語を忘れ、場所を聞き出すのに苦労した。チェックインカウンターの奥、イミグレーション側に一時預かり所はあった。
2階の到着フロアに下り、エアーポート・エクスプレス・バス乗場に行った。チケット売り場は、ドンムアン空港から持って来たのでは?と思うぐらい雰囲気が似た東屋風であった。AE1シーロム行き、AE2カオサン通り行き、AE3スクンビット行き、AE4ホゥアランポーン駅行きの4路線があり、運賃はB150(522円)である。AE3スクンビット行きのチケットを買おうとしたが売ってくれない、何故か? 彼女達の英語は、全く聞き取れない。タイ語で話しているのではと思うほどである。しかし、西洋人には少なくとも意思の疎通は可能な様である。AE3スクンビット行きバスが来たが乗客無しで出発して行った。
AE1シーロム行きバスに乗ってバンコク中心地に向かった。サラデーンで下車した。約1時間で着いた。昨日同様タニヤ通りのたにや亭で五目麺を食べた。
BTSナナに行き、インターネットカフェで北京の情報検索などした後、ナナ・プラザのバーでビールを飲んでいると、バーの女の子が日本語会話集を持って来て日本語とタイ語の練習となった。私はタイ語、彼女は日本語の練習である。
北京行き飛行機の出発時間には、まだ早かったが8時30分頃、BTSナナから終点オンヌットに向かった。
オンヌットからタクシーで新空港に行った。昼間の路線バス552と同じ道を行き、約30分、料金多分B160ほどだった。
手荷物一時預り所でバックパックを受け取り、チェックインまで時間があったので出発案内板前のベンチで小説を読んで過ごした。出発案内板にAir China CA980 出発時間が30分遅れになっている。Air Chinaは、北京発は定刻通りだが目的地の発着&北京着は遅れる法則があるのか?
チェックイン、荷物検査、出国審査を受け、搭乗口へ向かった。搭乗口の並ぶウィングは、綺麗なトンネルの様で広い地下鉄の駅である。深夜で閑散としていた。トイレの小便器には、たばこで焼けた跡があった、禁煙の筈が! この搭乗口はAir China以外に使用しているのか?
Air China CA980は、2時頃動き出した。直ぐに、寝た。
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4月24日 バンコク滞在

2007年06月23日 | カンボジア&ベトナム
MBKは、10or11時でなければOPENしないので、朝食に困る。屋台はあるが!
ホワイト ロッジがあるソイ カセムソンからサイアム・スクエアまで近くラマ1世通りにはファースフード店が並ぶ。中華店でお粥を食べた。
昨日、バンコクのモーチットⅡに到着して、25日間のインドシナ半島バス旅行が呆気なく終わった。今日は、ぶらぶらして昼からマッサージに行く事にした。
サイアム・スクエアの映画館前に両替所があり、比較的レートが良いので1万円を両替した。今回1万円=B2871、昨年は1万円=B3265、一昨年は1万円=B3698、いかに円安が進んでいるかである。1万円両替すると昨年との差額でホワイト ロッジで1泊できる、すごく損した気分! 年金でタイにロングステイしている人は、円安で大変だ。
バンティープ・プラザに行く事にした。スカイトレインBTSの高架下に歩道橋がチッロム駅まで続き、そこにエラワン・プームがある。
エラワン・プーム

霊験あらたかで御利益があると信じられている祠。朝から晩まで参拝者が絶えない。
ラーチャダムリ通りを北に向かい、ワールド・トレード・センターや伊勢丹を左に見て通り過ぎるとセーン・セーブ運河にでる。橋を渡ると大勢、船着場から上がってきた。運河の乗合ボートは、渋滞もなく便利である。
橋を渡り東に400mほどでバンティープ・プラザがある。
パソコンPC、PC作製に必要なパーツやDVDを売っている。日本の秋葉原、日本橋である。
バンティープ・プラザに来た目的は、SDメモリーカードを購入する事である。デジタルカメラのSDメモリーカードは、今回の旅行で128MBと256MBとを持ってきたが、すでに725枚撮り、残りメモリー数が少なくなっていた。日本への帰りに北京に寄り、更に使用するので1GBのSDメモリーカードを買おうと思った。最も安い1GBのSDは、B400(1392円)であった。安過ぎる、日本では、4~5000円すると思う。最大転送速度など仕様?で不安になり、言葉の壁もあるので買うのを止めた。
PCでは、台湾のコンピューターメーカーであるAcer(エイサー)が目立った。日本では、馴染みの無いメーカーである。

来た道を戻り、エラワン・プームのあるチッロム駅からBTSに乗りタニヤ通りに行った。
昔は、タニヤ通りに来るのはカラオケ・バーが目的であったが、今は、たにや亭(ラーメン)で、五目麺を食べるのと有馬温泉でタイ式マッサージを2時間してもらうのとタニヤ・プラザで日本語の古本を買うのが目的になっている。
今日もたにや亭で五目麺を食べた。シーフードと野菜たっぷりのラーメンで野菜が美味い。
有馬温泉は、タニヤ通りから1本東の通りにある。タニヤ通りの一等地にも新しく出店していた。タイ式マッサージをいつもの様に2時間してもらった。料金が値上げされB500(1740円)と2年前の2倍になっていた、タニヤ店への投資を回収する為の値上げか?客にとっては迷惑だ。マッサージ師(おばちゃん)にチップを無しにした。しわ寄せが、おばちゃんに行ってしまった。
今宿泊しているホワイト・ロッジは、建物が古く減価償却が終わっているので低料金でも儲かるのだろう。建替えない事を望む。
BTSの駅に散髪屋があり、散髪とシャンプをした。ショートカットを頼んだら思っていたより短くされた。まあ良いか!
夕食も日本食にした。かつ定食B250(870円)。
バンコクの物価は、2年前は日本の1/3程度であったが、今は1/2ほどになった様に感じる。このまま続けば、5年後にはバンコクでの外人の物価は日本とかわらない様な気がする。
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4月23日 バンコクへ

2007年06月21日 | カンボジア&ベトナム
今日も、セブンイレブンでコーヒーとサンドイッチを買い、ホテルで食べた。
旧バスターミナルから8時30分発バンコク行きバスに乗った。新バスターミナルを経由してバンコクに向かった。
3時間半後の12時にバンコク モーチットⅡに着いた。
タクシーでスカイトレインBTSの駅に行き、BTSに乗換えナショナルスタジアムで降りた。タクシーの運ちゃんは、行き先が近過ぎて不服そうで途中でB100で釣銭がないと言っていた、小銭は持っていたので料金をぴったり渡して降りた。
1ヶ月前に宿泊したホワイト・ロッジに今回も泊まった。B400の部屋が満杯でB500(1740円)の部屋であった。
冷麺が食べたくてMBKの8番ラーメンに行った。2階の店は満員で並ぶのも嫌なので8階?の店に行ったが、ベニヤ板が張られてクローズになっていた。若者に人気の8番ラーメンが撤退したのか?(後日談:隣の大同門が火災、その影響でクローズ) しかたなく、2階の8番ラーメンに戻った。冷麺とビールを食べていると、隣のテーブルでタイ人が普通にざるそばを食べている。不思議な感じであった。
夕食は、プー・パッ・ポン・カリーにした。甲羅付きカニとニラ?をカレー味に煮み玉子とじにするタイ料理で私は大変好きである。しかし、今回は甲羅が付いていない、カニの剥き身であり味も素っ気も無い。もうこのレストランは、利用しないだろう。
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4月22日 ピマーイ遺跡

2007年06月20日 | カンボジア&ベトナム
朝食に出たが屋台も食堂も開いていない、セブンイレブンでコーヒーとサンドイッチを買いホテルの部屋で食べた。
今日は、11年振りにピマーイ遺跡に行く事にした。ピマーイ遺跡は勝利門に「この道はアンコール・ワットへ続く」と案内板に書いてあり、アンコールワットやインドシナ半島の遺跡を見て回る切っ掛けとなった。
フロントでピマーイへの行き方を尋ねた。「ニューバスターミナルからバスに乗る。」との事。ニューとは? トゥクトゥクを拾い、バスターミナルと言うが通じない、ニューバスターミナルで通じた。後で気付いたが、トゥクトゥクを拾った場所が旧バスターミナルまで100mの所であった為、運ちゃんに通じていたが、きょとんとしていたのだろう。
9時発のバスは、がら空きで出発した。国道2号線に出て北上するはずが市街に向かった。旧市街のお堀沿いのミットラパップ通りのバス停3ヶ所ほどで乗客が次々乗り込んで満員になった。
ピマーイの勝利門前に10時30分に着いた。帰りのバスは、1時間に1本ある事がわかった。
勝利門

「この道はアンコール・ワットへ続く」と書いてある案内板は無かったが、南に続く道は、昔、アンコール・ワットに続いていた。ピマーイ遺跡は、南を向いて作られているので、この写真は北向きに写している。

メインストリート

勝利門から遺跡公園へ向かう通り、11年前と比べると最も変わったのはこの通りである。通りの両側に木造家屋が並び、レストランや○○店があった。レストランは憶えているがその他よく憶えていない。そのレストランはもう無くなっていた。泊まったホテルも見付からなかった。タイ式トイレやローカルレストランでのオーダーの仕方など、個人旅行の原点を11年前ピマーイで経験した。

ピマーイ遺跡公園
クメール式の建築スタイルは、タイのアンコール・ワットとも呼ばれている。規模が違い過ぎるが!


綺麗な遺跡公園である。
中央遺跡の塔横小室建物の白さと天井があるのに違和感を感じた。近年、手を加えたのか?

外側の塀と内側回廊に挟まれた領域を写真を撮りながらぶらぶらしていると、日本人らしき人がベンチに座っていた。ガイドブック「地球の歩き方」を持っているので間違いない。「今日は!」と声を掛けた。「「地球の歩き方」を持っていれば日本人が近付いて来るんですよ」と、まさにそれに引っ掛かったと言わんばかりで、私は気分を害した。必要な時にみんながやる事で口に出しては言わないが、面と向かって言われたのは初めてである。日本人が海外であなたと会っても日本人だと判りますよ!沢山のポケット付きベストを着て、メガネは紐で結んで首から吊り提げている。
この方は定年退職して2年目で、今回ロングステイー場所をさがして2ヶ月間タイに滞在するそうです。先史時代の墳墓遺跡がコラートに帰る途中にあるが一緒に行かないかと誘われたが丁重に断った。けっして、「人骨など見たくない」とは言わなかった。

昼食にビールと焼き鳥を食べ休憩後、ピマーイ国立博物館に向かった。わずか500mほどの距離であるが、熱くて・・・、博物館の冷房を期待して歩いた。しかし、冷房は無く、扇風機であった。がっかり!
博物館には、バス2台で学生さんが来ていた、卒研旅行か?
歩いてバス停へ向かった。熱い、熱さに殺されそうである。11年前のピマーイ訪問も5月の連休で、同じ様に熱かったのを思い出す。コラート空港まで戻るのに3等バス(見るからにボロボロ、大変混雑)しかなく、連れの友人が、あんなバスに乗れないと言い、彼は英語が通じるレストランに行き、タクシーは無い、チャーター車も無い事を知った。更に、しつこく尋ねると夕方に仕事が終わって帰って来る知人が車を持っているのでそれで空港に行ってもらう事になった。茹だる様な熱さに交渉成立に喜んだ事を思い出す。
炎天下で死にそうになり、時計台前の石ベンチで休憩、ここでバスを待つ事にした。14時30分バスが来た、手を上げ停めて乗り込んだ。冷房の効いたバスですぐに気持ち好く寝てしまった。熱い中、4時間もピマーイにいて熱中症になりかけた。
朝とは違いコラートのバスターミナルまで行かずにミットラパップ通りのバス停で降りた。通りから少し入った所に旧バスターミナルがあった。ここからバンコク行きバスが出ているか調べると有った。
明日、旧バスターミナルからバンコクへ行く事にした。
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4月21日 コラートへ

2007年06月16日 | カンボジア&ベトナム
朝、メコン川沿いを散歩した。
友好橋が出来るまでメインの国境であった船着場建物

今もボートでサバンナケットと往来するのに使用されている。イミグレーションは、船着場建物ではなく、通りの左側角にある。

サバンナケット側から上がる朝日 ムクダハーンに沈む夕日(去年の写真)
    

メコン川沿い(下流側)

メコン川沿い(上流側)

上流に友好橋があり、写真には薄くしか写っていない。この様な時、一眼レフのデジタルカメラが欲しくなる。

ホテルに戻り、ドリップコーヒーを飲んでいると、客のお爺さんがごく普通にタイ語で話し掛けてきた。私をタイ人と間違え、話し掛けてきたのである。私が解らないという身振りをすると「ベトナム」と言っていた。ホテルの人が日本人であると教えていた。
昨日もラオスで、「ベトナム」と言われた。昼食休憩を取ったレストランで、オーストラリア女性2人と私とで2テーブルを使って座っていた、そこにラオス人6人が来て私に何か言っている。私をラオス人と間違えている。私と合席で彼らは座ったが私をにらんで、「席を詰めろ」と言っている様である。仲間内で「ベトナム」と言っていた。私は、にらみ返した。すると彼らは席を立ってどこかへ行った。
観光に従事している現地人は、私を日本人と判る事が多いが、一般人は私を現地人と間違える。

ムクダハーンのバスターミナルを9時発 コラート行きバスに乗った。B223(776円) 多くの地方都市を回り、15時過ぎにコラートのバスターミナルに着いた。6時間掛かった事になる。
タイ東北部最大の都市だけあり大きなバスターミナルである。食堂でビールとセンミー・ナーム(細米麺)を食べて、どうするか考えた。予定外でコラートに寄ったのでガイドブックを持たず、コラートの情報を全く持っていない。
考えてもこの方法しかない、トゥクトゥク(三輪自動車)に乗り運ちゃんにホテルを紹介してもらう。服装や荷物を見て的確にホテルを紹介する。
今回、運ちゃんは私を日本人と見て、Tokyo Hotelを紹介した。古いホテルでB600(2088円)と高いが、再度探すのも億劫で泊まる事にした。

ホテルで市街地図をもらい、現在地を確認して旧市街を目指した。
チュンポーン門とタオ・スラナリ像

タオ・スラナリ像

コラートは初めてではない。11年前、ピマーイ遺跡に行くのにコラート空港からこのタオ・スラナリ像の前を通り、ピマーイに行った。
明日、11年振りにピマーイ遺跡に行こう。
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4月20日 サワンナケートへ

2007年06月10日 | カンボジア&ベトナム
朝、5時に起きた。
今日は、13日間のベトナム旅行も終わり、ラオスのサバンナケットへ向かう。そのサワンナケート行きバスorミニバスが6時30分に迎えに来るので早起きした。
定刻にバスは来た。バスは、オープン・ツアーバスで殆ど座席が埋まっていた。私は空席を探して奥に行きかけたが、車掌に指示され運転手横の車掌席に座らされた。
これだけ大勢の乗客がベトナム/ラオス国境を抜けてラオスに行くのかと思っていると、8時過ぎツアーバスは駐車場に停まった。
そこで私と西洋人女性2人が降ろされ、おんぼろミニバスに乗せられた。ベトナム/ラオス国境へ向かうのは私達3人だけであった、何かカンボジア/ベトナム国境に向かう時とよく似ている。ところで、オープン・ツアーバスは、どこ行きか?ハノイ行きorDMZツアーだろうか。
ミニバスは、西へ西へと走る。
道路は、国道1号線よりも新しくきれいであり、片側1車線で大型トラックも十分である。東西回廊はミャンマー側を除き開通しているので当然であるが! 東西回廊は、インドシナ半島を東西に貫く幹線道路で今回ダナン(ベトナム)→ラオパオ(ベトナム)→サバンナケット(ラオス)→ムクダハーン(タイ)を通る。
ベトナム最後の乗り物がミニバスとは! ミニバス=暴走である。ミニバスは路線バスで客の乗降りがある為、中型バスと抜きつ抜かれつしていた。
ミニバスに乗換えてから1時間弱で川沿いに出て、アップダウンも強くなった。川沿いから外れ高度を上げて行き、高原の町に着いた。ここがラオパオである。
ラオパオの町外れにイミグレーションがあり、そこでミニバスから降ろされた。しかし、私達を迎えてくれる人が誰もいない。ベトナム出国&ラオス入国は自分でも出来るが、ラオス入国後はどうすればいいのか、バスは待っているのか? 通常、案内人が迎えてくれて案内するのだが? 
オーストラリア人女性2人と共に、ベトナムの出国審査を受け無事に出国完了である。ノービザで入国しているので、いちゃもんを付けられたら困ると思っていたが無事出国できた。
ラオスのイミグレーションがそこに見えている。

振向くとベトナムのイミグレーションが見える。


ラオスの入国審査所で入出国カードを記入している時、案内人が追い付いて来た。今頃着やがって、入れ違いになったのか?
ビザは、「2007年1月1日より、日本人の15日以内の滞在は査証免除」となっているので今年から不要である。去年2月のラオス旅行では、入国時のビザ取得にUS$30必要であった。
パスポートと入出国カードを入国審査所に提出した。スタンプを押して滞在期間を記入し、ほんの2~3分で戻ってくるパスポートが戻ってこない。提出口から内部を覗いて見ると、審査員が窓口から離れパソコンで調べたり他の係官と話している。「私は決して怪しい人間ではありません。」と言いたかった。何が問題だったのか分からないが、まもなくパスポートが返却され、スタンプと滞在期間を確認した。
ラオス入国審査所

オーストラリア人はビザ取得があり、彼女達が入国手続きが終わるのを待って中型バスに乗り込んだ。
この中型バスは先ほどまで、ミニバスと抜きつ抜かれつしていたバスである。乗客はベトナム人&ラオス人だろう。どこ発のバスか?
11時、国境を後にしてサバンナケットに向かった。
道路は大変良い。去年のラオス旅行で、ラオスの道路は舗装はしているが、砂利が多い舗装なのか細かい振動がしバス移動は大変疲れた覚えがある。しかし、この道路はまともなアスファルトである。
昼食休憩時のレストラン前、道路


山岳地帯を行くものだと思っていたが、周辺に高い山も無く丘陵地帯であった。
15時45分、サバンナケットのバスターミナルに着いた。
メコン川に架かる第2の友好橋が完成し、サバンナケット/ムクダハーン間にバスが運行されており、ラオス/タイ国境がまだ開いているのでタイまで行く事にした。タイ行きバスを探していると同じバスだったベトナム人が教えてくれた。
サワンナケートのバスターミナル(去年の写真)

バスターミナルの真中に写真の様にバスが停まり、その横にチケット売り場の建物がある。右側のバスにタイのムクダハーン行きバスが停まっていた。チケットは反バス側のチケット売り場で売っていた。チケットはB45(175円)。
バスは混んでいた、空席を探して奥に行き空席を見付け座った。
16時にタイのムクダハーンに出発した。
去年来た時は建設中の友好橋にまったく気付かなかったが、橋は市街の北にある。友好橋に近付いた時、日本語が前の席から聞こえて来た。また隣席の若者がデジタルカメラを取り出した、この若者も日本人か? 「日本の方ですか」と聞いた。日本人であった。「ラオス滞在はどの位ですか?」と聞くと「私は長かったです。」と返ってきた。「え!」会話にならない。前の座席以外にも日本人の若者がいて彼らの会話で、サバンナケットにタイ領事館があり、タイの観光ビザを取得する為にサバンナケットに来ての帰りである事が分かった。

現在、タイには外国人が多数長期滞在している。「30日間までの滞在に限り査証免除」を利用し、月に1度周辺国で出入国を繰り返すか観光ビザ(60日+延長30日=90日滞在)と組み合わせる事で可能であった。しかし、2006年10月より「最初の入国日から6ケ月内に累積90日間を超える滞在は認められません。」また、周辺国での観光ビザ取得も厳しくなっていた。不法就労している欧米人(日本人も含む)の急増とその防止対策が背景にあるそうです。
彼らは、観光ビザの初所得なのか再取得なのか? 再取得であれば、「6ケ月内に累積90日間」規定が骨抜きになった事になるが!

友好橋の付根にラオス側イミグレーションがあり、バスを降りて出国審査を受けた。11時に入国し16時過ぎに出国と、ラオスの通り抜け5時間の滞在である。中国北京での滞在2時間での出国審査で「日本からバンコクへ何故直接いかないのか!」と言い掛かりをつけられた事を思い出す。それにひきかえラオスの出国審査員は、大人の対応で何事もなく無事出国した。荷物検査もなくバスに戻った。
友好橋は2kmで、対岸のたもとにタイのイミグレーションがあった。

出入国カードをもらい記入して、再入国の入国審査を受けた。アラン・ヤ・プラテートでタイを出国する時、再入国には「タイを出国する為のチケットかビザの提示が必要」と念押しされたので、再入国の今、それを質問されるか楽しみにしていた。スタンプを押し、「滞在期間30日」と言いながら、パスポートのページをめくっていた。「私は、1週間後に日本に帰る。」と言うとパスポートを返却してくれた。「Thank you.」「you are welcome!」で終了した。
バスに戻ると乗客は、半分に減っていた。ベトナムから同じバスだったベトナム人?も、どこに行ったのか。
17時、ムクダハーンのバスターミナルに着いた。取り合えず、ビールを飲んだ、ムクダハーンの情報を全く持っていない。バンコクバンクカードでATMよりB2000を下ろし、トゥクトゥクに乗った。運ちゃんにホテルに行く様に行った。連れて行かれたホテルは、B280(977円)で綺麗な部屋であった。場所は、友好橋が出来るまでメインの国境であった船着場近くであった。
シャワーを浴びて夕食に出た。高温多湿で頭の上から押さ込まれる様なムーとした暑さに襲われた。ベトナムの海岸沿いの涼しい気候から1日でタイのこの暑さは堪える。
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ミーソン遺跡(世界遺産) 写真集

2007年06月10日 | カンボジア&ベトナム








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チャム塔遺跡 写真集

2007年06月08日 | カンボジア&ベトナム
ポー・ハイ遺跡(ムイネー)






ポー・クロン・ガライ遺跡(ファンラン)






ポー・ナガル遺跡(ニャチャン)







バン・イット塔 銀塔(クイニョン)








フー・ロック塔 金塔(クイニョン)




ドゥオン・ロン塔 象牙塔(クイニョン)





チャン・ティエン塔 銅塔(クイニョン)



ドイ塔 フンタン(クイニョン)

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4月19日 フエ滞在(帝廟ツアー)

2007年06月07日 | カンボジア&ベトナム
8時、シティ・ツアーのマイクロバスにピックアップされた。新市街を回り客を拾った後、まず阮朝王宮に行った。
昨日に続き今日も阮朝王宮をガイド付きで回った。ただし、英語でのガイドで殆ど理解できない。客の中にベトナム人も6人も参加していて、彼らから英語でのガイドに不満が出ていた。
次に郊外の土産物屋に連れて行かれた。土産物にはまったく興味がなく、迷惑に感じるぐらいだ。
その後、フォーン川を見渡せる丘に行った。


新市街に戻り、レストランで昼食が出た。レストランは、昨日Iさんと夕食を取ったレストランであった。外人観光客は、いかに狭い範囲を移動しているがうかがえる。
次に着いたところは、トゥドゥック帝廟。


カンディン帝廟



ミンマン帝廟



ティエンムー寺


帝廟を見て中国を感じたが、それより沖縄を強く感じた。南の海洋国家である。
帝廟の入場料は55,000ドン(416円)も取られ、参加者の中には後半入場しない者もいた。また、昨日、阮朝王宮のチケット売り場にいた職員が、今日はカンディン帝廟のチケット売り場にいた。どの様な組織になっているのか、国家公務員か?

ティエンムー寺前のフォーン川からドラゴン・ボートに乗り、川を下った。フースアン橋近くの観光船乗場で降りて、ツアーは解散になった。

明日、フエを発ちラオスのサバナケットに行く事にした。ホテルでサバナケット行きバスを申し込んだ。6時30分発。
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4月18日 フエへ&阮朝王宮

2007年06月06日 | カンボジア&ベトナム
8時30分、オープン・ツアーバスにピックアップされフエに向かった。
五行山(マーブルマウンテン)に停車するものと思っていたが、ツアーバスは通過した。カメラを出したが間に合わず。ホテルでチケットを買う時の説明では、五行山とランコービーチに行くと言っていた・・・停まるとは言っていない・・・? 
ダナンに9時30分、30分間で着いた。私のガイドブック2002版では所要時間2時間となっていて、1/4になっている。また、ニャチャン-ダナン間は19時間となっているが、1/2の10時間であった。ガイドブックが間違っているのか? 5年間で道路が良くなりバイパスが出来たからか? 多分、後者だろう。良い意味で予定が変わり前倒しで日程が進んでいる。
雨が降り出した。今回の旅行で、はじめての雨だ。東南アジア旅行で傘や雨合羽を持たない所以である。
ダナンを出て、まもなく長いトンネルに入った。ハイバン峠を越える時の眺望を楽しみにしていたが、長い長いトンネル、一瞬日本に戻ったのかと錯覚するほど、日本のトンネルと造りが似ている。日本のODAで建設したのか?
ランコー村で休憩、本降りの雨である。ドライブインorホテルよく分からない施設で30分ほど休憩した。天気が良ければ、綺麗なビーチが広がっている事だろう。
11時30分フエに着いた。Binh DuongⅡHotel(ビン・ジュオン ホテル)にツアーバスは停まった。Mさんから聞いていたホテルで部屋を見せて貰った。案内された部屋はUS$20の部屋で、広いベランダがあり綺麗な部屋であったが、予算オーバーである。予算を聞かれUS$10と言うと、2階の部屋に案内された、やはりベランダがある。1階降りただけでUS$20部屋と代わらない様に思った。直ぐに宿泊を決めた。
チェックイン時に、ラオスのサバナケット行きバスについて聞いた。6時30分発で16時着、9時間半で結ぶバスがUS$15である。
フロントで地図をもらい現在地を確認して阮朝(グエン朝)王宮に向かった。
雨は止み曇天で、少し肌寒い。ハイバン峠を越えるトンネルを通り抜けてから気候が変わった様である。
フォーン川に架かるフースアン橋を渡ったところで食堂に入った。ビールとシーフードを食べていると、店の人が洗った食器をいれたバスケットを2人で抱えて床の上に置き、食器を拭き、種類別に分けて床に積上げた。私も歩いた床である。拭き終わると食器置き場の食器の上に積上げた。何が起こったか! すでに置いてあった食器に、床のゴミが付いた事になる。その食器を使った客は、お腹を壊すだろう?

フラッグタワー全景が見え、橋を渡りガン門を通り抜けた。

右に大砲、左側に広々とした広場がある。その広場に面して王宮門が見えた。

ガン門から直進し、王宮の環濠に突き当たる。環濠沿いに王宮門に向かう。
王宮門(午門)


午門の中央門口

皇帝しか使用できない中央門口、この両側にも門口があり、そこから入場券55,000ドン(416円)を買い入った。

大和殿

中国の紫禁城をまねて造ったそうだが、ただの平屋である。言い過ぎか! しかし、阮朝王宮と中国故宮との環濠内の面積比は1対2である。阮朝王宮は思ったより広い、2時間掛けて見て回った。

午門の出口から


新市街の銀行に行こうと思いフースアン橋を戻って、レロイ通りをチャンティエン橋に向かっている時、昨日夕食を一緒に取ったIさんと、ばったり会った。今日お互いにフエに来る事になっていたが、まさか偶然、会うとは思っていなかった。驚いた。
夕食を今日も一緒に取ろうと18時に待ち合わせをした。

新市街フンブォン通りの銀行でUS$をドンに両替した。ベトナムでの滞在も残り少なくなったのでドンが余らない様注意して両替した。日本円のドンへの両替レートを調べると両替出来ないとの事。3銀行で調べたが、両替は出来なかった。1行が電光表示板のtransfer(送金)欄に\=134.01ドンと表示があった。

Iさんとフンブォン通りのレストランに入り食事をともにした。
お互いの今後の予定を話し合った。私はフエからラオスに抜ける。彼は列車でハノイに向かい、更に列車で中国入りしチベットへ・・・1年間の世界旅行。
彼は、仕事を辞めて旅行に出た事、兵庫・尼崎JR脱線事故の遺族取材がトラウマになっている様であった。話しを聞くだけで「あ、そうか!」と言うだけで言葉を掛けられなかった。
DMZツアーに誘われた。17度線南北ベトナムを分裂させていた非武装地帯の南側の激戦地を回るツアーであるが断った。30年も前に終わったベトナム戦争の跡地を今更見たくなかった。彼が生まれる3年前に終わった戦争だ。

ホテルに戻り、明日のシティ・ツアーに申し込んだ。郊外の帝廟を回るツアーである。US$7(847円)であった。
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