いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

3月03日 ハワイ ワイキキ 31日目 帰国

2010年06月20日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
今日は帰国する日である。
荷物の整理した、ハワイで買ったTシャツ、ポロシャツ、そして捨てて帰る積もりだったテニスラケットだけを持って帰る事にした。
バックパックをパッキングした後、テニスラケットを細引き紐でバックパックの背負部に括り付けた。
11時前にチェックアウトした。LANケーブルを返却して終わりである。
ホテル前のバス停からTheBusの空港行きRoute20バスに乗った。
バスが混雑していない事を願っていたが、願いが適った様だ。
バスへの大きな荷物の持ち込みは駄目で、膝の上に載せられる程度が限界らしい。
幸い私のバックパックは小さいので膝の上に載る。それでも混雑していなければ、気を使う事無く座席に置ける。
でも、若いバックパカーは大きなバックパックを持ち込み座席の下に押し込んだ。慣れたものだ。
1時間ほどでホノルル空港に着き、下車した。
しかし、国内線ターミナルで降りてしまった、職員にJALカウンターを聞き、指示された方に行くと、来た時に見た国際線ターミナルがあった。
スーツケースが一杯並んでいた、ツアー客のだろう。
空港職員orツアースタッフがいたので、JALカウンターがどこにあるのか聞いた。まだ先の様だ。
JALマークを見付けた、チェックインカウンターには、2組しか並んでいなかった。
テニスラケットを括り付けたバックパックを預けチェックインは終わり、パスポートと搭乗券を受取った。
パスポートに挟んであった出国カードが無くなっていた、米国では、出国審査が無い事を思い出した。
手荷物検査を終え、搭乗時間まで時間があったのでIASS EXECUTIVE LOUNGEを探した。
IASS EXECUTIVE LOUNGEは、クレジットカードで入れる無料ラウンジで1階にあった。
コーヒーを頼み、無線LANのパスワードを聞いた。
持参したパソコンにパスワードを入力してインターネットに接続しようとしたが駄目だった。
ラウンジのパソコンでもインターネットが開かなかった。
あきらめて小説を読んだ。
搭乗時間も近付いたので、ぶらぶらしながらゲートに向かった。
 

 

14時過ぎ、JALジャンボ機JO077は関空に向かって離陸した。
機内では映画を見て過ごした。
関空には、日付変更線を越えたので3月4日の18時頃に着いた。
31日間のワイキキ滞在後、無事に日本に帰国した。

感想
18年前に2年連続ワイキキに行った、その後、海外旅行でどこが1番良かったとよく質問されるがいつもハワイと答えていた。
ホテルや店舗の前に植込みがあり、植込み越しに歩道からホテルや店舗が見え、庭園の中のカラカウア通りであった様に思う。
庭園の様に綺麗なワイキキの街にビーチがある、その様なイメージであった。
それが、今は植込みが無くなり、そこに歩道のタイルが張られて、タバコの吸殻は落ちていたりして汚い。
緑が少なくなり、歩道の幅が2倍になった様に感じた。庭園の中のカラカウア通りはどこへ行った!!!
17年間の間に庭園の様に綺麗なワイキキのイメージを膨らませ過ぎたのか??
ワイキキだけが変わったのではない、私も齢をかさねたからか?

滞在先について
今回、ワイキキでホテル滞在した。
ホテル滞在が一番ストレスも掛からないと思う。ただし「Please Don’t Disturb」の札をドアに掛け忘れるとベットメイキングの為ノックされ、ゆっくりできない。
バスタオルが2セット置いてあるので2日に1度、ベットメイキングと掃除をしてもらう様に「Please Don’t Disturb」をドアに掛けコントロールしていた。
暮らす様に過ごすには、ワイキキに滞在する必要はない。
ワイキキ以外であればベッドと朝食を提供するB&B(ベッド&ブレックファスト)やレンタルハウス(別荘)がある。
私が利用できそうなのはB&Bだろう。リーズナブルなB&Bもある。

食事について
スーパーマーケットには、日本食材が豊富にあり、日本食だけで暮らそうと思えば可能である。
各種お惣菜、刺身、豆腐、納豆、寿司、弁当など出来合いの物を買って帰れば、ホテルで食事が出来る。
日本でも独身者はそうしているだろう。
ハワイには、プレートランチがあり、日本の定食(Aランチ、Bランチ)の様な物である。
各国のプレートランチが食べられる。量が多いので、2人で分け、あとは缶ビールを飲めばちょうど良い量になる。

滞在費の支払い方法について
ハワイに行く前にインターネットで調べた結果、優先順位(1)クレッジトカード払い(2)日本国内でUS$に両替したUS$現金持参(3)クレジットカードのキャッシングを推奨していた。
実践した結果 (手数料=換算レート/為替中値-1)
 
クレジットカードは手軽に使え、スーパーでの買い物や$10以下の少額でも平気で使え、最も手数料が少ない。
でも、ABCストアーでUS$3の支払いで嫌な顔をされた事が1度ある。
小額の支払いには自己規制を掛けてしまい現金支払いになった。
比率は、クレジットカード支払い:現金支払い=US$305:US$460

家計簿
1ヶ月滞在の今回ハワイと昨年プーケット(タイ)の家計簿が下記である。
 
ハワイでの宿泊費が極端に高いのが目立つ。しかし、日本食材は日本と変わらないか安い。ファーストフードや弁当は、低価格戦略orデフレで日本の方が安い様だ。

3月02日 ハワイ ワイキキ 30日目

2010年06月15日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
今日もアラモアナ・テニスコートでテニスをしょうと9時にホテルを出た。
トロリーのピンクラインがJCBカードで乗れるので待つ積もりでいたが、また歩いてしまった。
徒歩40分掛けてアラモアナ・テニスコートに着いた。
壁打ちをしていると、英語で話し掛けられた。
このおっさんの英語まったく聞き取れない。必死で単語を聞き取ろうとしても解らない。
でも、「打ちませんか」しかないのでOKして、コートに入った。
ストローク、ボレーと練習が進み、ショートラリー練習も終わり、休憩にした。
ショートラリーは、テイクバックを小さくして打てと英語で言っている。英語は解らないがジェスチャーで分かった。そんな事は知っている!!とは言わなかった
バックに打つとよくミスをするあなたに言われたくない。
彼は、どうも教え魔の様だ。
スマッシュ練習もした。彼は一通り練習する様だ。
隣コートの日系グループがダブルスを誘って来た。
彼がOKしたので隣コートに移るとリーダーの色黒の女性が挨拶して来た。
私も名乗った途端、「え!日本人か!」と言われてしまった。
「日本人で悪かったな!」と突っ込みそうになった!!!
たまに、海外でこんな嫌味な日本人に会う。
ダブルスを30分ほどして終わった。

アラモアナS.C.のフードコートの浪速屋 ラーメンで冷やし中華を食べた。
スタッフに顔を覚えられたのか? 
日に焼けましたね! ゴルフですか? と声を掛けられた。
昼食を取った後、歩いてホテルまで帰った。
ビールを飲んで小説を読んでいると寝てしまった。
2時間ほど昼寝をした様だ。

夕方、フォート・デルッシー(アメリカ陸軍保養地)・ビーチに夕日を見に行った。
 

ワイキキ滞在が2週間を過ぎた頃から夕日を見に行く様になったが、もっと早く気が付いていればと悔やむ。
一つとして同じ夕日がなく、毎日違った綺麗な夕日が見られる。

夜のカラカウア通りを一度も歩いていないので行って見た。
人出は多いが歩道が昔より広くなっているので余裕があり、大道芸や絵描が出ていた。
昔、金髪でグラマラスなストリートガールが目だったが、今はいなかった。
18年前宿泊したワイキキ・ビーチコマーに行って見た。
長いエスカレーターで上がり、降りた所に昔はバーがあった。
歌声喫茶でなく歌声バーがあり、マイタイを飲みながら歌を聞いた覚えがある。
そこが今はサーフィン・ミュージアムになっていた。レストラン&バーでもあったがガラガラであった。
昔ビーチコマーの近くには映画館 2館やレンタカー事務所もあったが、今は、ファーストフード、土産物屋(ショップ)、ABCストアーとホテルに特化されている。
ワイキキがその様に特化された町になっている。

ワイキキ最後の夜を昔の記憶をたどりながらカラカウア通りを歩いた。

3月01日 ハワイ ワイキキ 29日目

2010年06月12日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
ワイキキ滞在も残り2日となった。
オアフ島で観光する所はまだまだあると思うが、観光疲れもあり、もうオアフ島でどうしても行っておきたい所も無い。
それでテニスをして過ごす事にした。

11時前ホテルを出て、歩いてアラモアナ・テニスコートを目指した。
パソコンをディバックに入れているので少し重い。
アラモアナS.C.&付近に無料の無線LANホットスポットがあるので帰りにトライする為である。
ワイキキ・ゲートウェイ・ホテルから20分ほどでアラモアナS.C.が見えて来たが、それを通り越してアラモアナ・テニスコートまで40分掛かってしまった。
壁打ちをした、横でダブルをしていたグループも12時ごろには帰って行った。
誰もいないコートに入り、サーブの練習をした。
ボールは3コしかないので、3回サーブをして反対側に行き、3回サーブをしたら、また・・・・繰り返した。
アジア系の女性が1人来て壁打ちをしだした。初心者だろう、誰もいない時間帯を選んで来ている様だ。

壁打ち、そしてサーブ練習を1時間ほどした後、食事と無線LANホットスポットを探しにワードセンターに行った。
テニスコートの近く、歩いて10分ほどにワードセンターがあり、○×△カフェーが無料で無線LANが使えるとの事で行って見たが見付からなかった。
ワード・センター東端にあるサチュラ・ケーキと言うケーキ屋さんがあり、そこのテーブル上にパソコンを置いている客が数人した。有料or無料か不明だが無線LANを利用している様だ。
サンドイッチやハンバーガーでもあれば入るのだが、ケーキ屋さんでは甘過ぎる。
その3軒隣にタコ・デル・マーと言うタコス&メキシカンの店があり、同じ様にテーブルでパソコンを使っていたので入った。
タコスを頼んでテーブルに付き、パソコンを立ち上げ無線LANに接続すると無線LANアクセス・サービス事業者のホームページが開いた。
クレジットカード決済の有料無線LANであったので無視、パソコンを閉じた。
タコスを食べるのはメキシコ旅行以来である、指差しで具を注文したのでよく分からないが大変あっさりした感じのタコスで美味しかった。

アラモアナ・テニスコートに戻り、コート内でサーブ練習を再開した。
14時過ぎから壁打ちに来る人が現われ、その中から上手そうな人に打ちませんかと声を掛けた。
俺かと言う感じであったが快く承諾してくれた。
ストロークを打った後、シングルスをした。サーブ練習の効果か? 前半はリードしたが、後半で逆転され負けた。
テニスの後、相手が名乗って来たので私も名前を告げて挨拶した。
テニスに誘った時に私から挨拶しなければならなかったのであるが・・・!。
ツーリストかと聞かれ、そうだ、ワイキキに1ヶ月滞在していると答えた。
ここのテニスコートにはよく来るのか尋ねると、たまに来ると言っていた。
いろいろ話したが、彼の英語は聞き取り易かった。
礼を言って私は帰った。

アラモアナS.C.に歩いて行った。
フードコートに無料の無線LANホットスポットがあるとの事で試して見たが、ワードセンターと同じで、無線LANアクセス・サービス事業者のホームページが開いた。ここも有料で意外と料金が高い。

夜もワイキキのハイアット・ショップスで、無料の無線LANホットスポットを試してがやはり無かった。
Webサイトに載っている情報が古いのか無料の無線LANホットスポットは無かった。
今日は無線LANホットスポットの調査の様になってしまった。
結果は、無線LANアクセス・サービス事業者がたくさんあり有料で提供するのが主流の様だ。
ただし、25日まで宿泊したエバ・ホテル・ワイキキのあるエリアはShakaNetが無料の無線LANを提供している。

2月28日 ハワイ ワイキキ 28日目

2010年06月09日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
天気が悪い、雨が降っている。風もある。
今日でTheBusのマンスリー・パスの有効期間が切れる、最後のTheBusドライブをする事にした。
10時ごろホテルを出てバス停でバスを待つが、2台が満杯で通過して行った。
待っている人数が多く、降車する人がいないと通過して行く。
歩く事にした。2バス停歩くとバスが停まり、バスに乗ってアラモアナSCに向かった。
ホテル前バス停から先のバス停も、バス待ち客で溢れていた、なぜだろう?
昨日の津波警報でTheBusが運休していたので、その影響か?
東海岸行きRoute55バスの待ち時間があったのでアラモアナS.C.に入ると舞台で子供がフラダンスを踊っていた。
 
12時30分頃発Route55バスで東海岸に向かった。3日前東海岸のクアロア・パークまでは行ったが、その奥にはまだ行っていない。
クアロアから30分ほどでポリネシアン・カルチャー・センターに着いた。天気が悪く、雨が降ったり止んだりである。
海岸沿いに道路が走り、自然がいっぱい残っていた。
オアフ島で唯一、周りに住宅も少なく自然が残り、売店も何にも無いビーチ・パークが数ヶ所ある。
ポリネシアン・カルチャー・センターは、今日は休みであった。
駐車場はガラーンとし、雨が降り、寂しい雰囲気であった。
ポリネシアン・カルチャー・センターからカフクまですぐであった。
カフクは屋台エビプレートランチで知られ、エビ屋台のワゴン車が点在していた。天気の悪い今日でも、エビ屋台だけは人が多かった。
カメハメハ・ハイウェイはカフクを過ぎると海岸から離れて行く、右側にゴルフ場が現れるとオアフ島最北端のタートル・ベイ・リゾートがもう直ぐである。
タートル・ベイ・リゾートの駐車場内のバス停に着いた。アラモアナS.C.から約2時間であった。
このバスは、Route55からRoute52と名前を変え、ノースショア&中央部を通ってアラモアナS.C.に戻る。
運転手が休憩の為降りて行ったので、私もタートル・ベイ・リゾートに行って見た。
18年前にもここには来たが、今日は天気が悪く、客も少なく寂しいリゾートであった。
ノースショア側の海は荒れていた。
 
15分でバス停に戻った、バスはすでに出てしまったか心配していたが、バスはまだ停車していた。
運転手が帰って来て、アラモアナS.C.に向かった。

ダウンタウンでバスを降り、ワイキキ行きに乗り換えた。
ドン・キホーテに寄り夕食の買出しをしてホテルに帰った。今日も昼食を食べ損ねた。

2月27日 ハワイ ワイキキ 27日目 津波

2010年06月06日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
6時にサイレンが鳴った。いったい何だ? 火事か? 
2時頃目覚め1時間ほど小説を読んだので、サイレンを聞きながらさらに寝た。
7時過ぎ、起床。いつもの様に、窓のカーテンを開けた。
ガソリンスタンドに車が並び道路に列が出来ている。土曜日の朝は、いつもこうなのか??

朝食に行く為、エレベーター前に行くと日本語の貼り紙がされていた。
内容は、サンディエゴでM7.8の地震が起きた。津波が11時○×分にハワイに来る。津波の大きさは不明。3階以上にいる事を薦める。6時にサイレンが鳴る。
先ほどのサイレンはこれか!

朝食後、ビジネス・センターに行くが全PC使用中であった。こんな時に、持参したPCが接続出来ないとは・・・・・!!!
部屋に戻り、テレビをつける。ハワイの津波特番をしていた。
英語の解説、会話はまったく理解できないが、英文字幕スーパーが出ているので読んだ。
津波が11時に来る。全ビーチは閉鎖。ヒロ国際空港は閉鎖、その他空港は、○×オープン。全大学はキャンセル。・・・・・・
部屋のラナイ(ベランダ)から街の様子を見ると、TheBusは運行している、多くの人が歩いている、普段と変わらない。
再度ビジネス・センターに行く、PCが空いていた。Yahoo Japanで情報を得る。
ハワイ時間、昨夜9時ごろにチリで地震が起きた、ハワイには11時○×分に4.8mの津波が来るとあった。震源地近くの島では大きな津波が発生しているともある。
昨夜は、10時前に寝てしまって、チリの地震の事はまったく知らなかった。遅くまで起きていたとしても、テレビでは気付かなかっただろう。
ワイキキのあるレストランでは、10時まで朝食を出すとある。他に大した情報はない。
日本では時々津波警報が出るが、結果は有っても50cmの津波とか無しとかが多く、狼少年の様である。今回ハワイで4.8mの津波警報となれば、話半分でも2.4mの津波となる。これは大変だ。

9時に、サレンが鳴った。
食料、水を買いに1階のABCストアーに行くが閉まっている。なぜ??
ホテルの外へ出て、カラカウア通りを歩く、店が軒並み閉まっている。大勢の観光客とすれ違う、日本人に店はすべて閉まっていますかと尋ねると閉まっていると返って来た。
それでは何も買えないのでホテルに帰る。途中レストランに長蛇の列があった。

部屋に戻るとベットメイキングが終わっていた、ホテル従業員はまったく通常通りに仕事をしている。
部屋の冷蔵庫には、豆腐と缶ビールしかない、毎日の様に行っていたドン・キホーテに昨日も行っていたら、もう少し食べ物があったのに!
水は0.6Lペットボトル1本しかないので、コーヒーメーカー&コップにも水道水を入れる。バスタブに水がはれないか試したが栓が効かなかった。

部屋のラナイ(ベランダ)から街の様子を見ると、アンバサダ・ホテルの??店に長蛇の列が出来ている。
 
先ほどはそうではなかったが? 紙袋を提げて出てくる、何かテイクアウト店か??
周りのホテルのナライにも人が出て、海や街の様子を見ている。
先日行ったタンタラスの丘への山道が見え、車がたくさん停まっている様だ。避難か津波見物か?
ホテルやコンドーミニアムの隙間から海が見えるが、海には多くの船が小さく見える、ヨットハーバーのヨットも非難しているのだろう。海上が最も安全らしい。
 
私のラナイの上階で携帯電話の日本語会話が聞えて来た。「交通が閉鎖される! 今すぐ出ます。」の様な内容であった。
今、10時である。日本帰国便は、私の場合14時前である。上階の日本人の帰国便もおそらくその時刻ごろだろう。通常、空港に向かうのには早過ぎる。
旅行代理店との会話だろう、もう直ぐ交通が遮断されるので直ぐに空港に向かう様に言われたのだろう。この様な時、相談する所があって幸いである。

ペルーのマチュピチュ遺跡への鉄道が土砂崩れで遮断され孤立した時、ヘリコプターで救出される順番が最も遅かったのは、バックパッカーの様な個人旅行者であった。頼るべき所がないからだろう。ツアー客であれば旅行代理店が名簿などを提出してフォローするだろう。

交通量が減って来た、いつの間にかTheBusの運行が停まっていた。
スーツケースをゴロゴロと転がす旅行者が歩道を歩く、交通手段を無くして路頭に迷っている様だ。
10時30分、またサイレンが鳴る。
10時35分、パトカー6台がサイレンを鳴らして、カラカウア通りを走る。観光客に非難を促している様だ。
一般車両は通行していない。
 
10時40分、アンバサダ・ホテルの??店Close
10時50分、パトカーが「キャッシュキャッシュ」と言いながらカラカウア通りを行く。
スーツケースをゴロゴロと転がす旅行者がパトカーを止め話している。彼女らも路頭に迷っている日本人の様だ。当然パトカーは何もしてくれない。

こんな時、こんな時間帯にチェックアウトする客にホテル側は何も説明しないのだろうか??
フロントで質問や空港へのタクシー依頼等すれば、対応するかも知れないが?
私も、津波が来る事は知ったとして、交通閉鎖までは想像もしないので、早めの10時ごろチェックアウトし、TheBusのバス停で空港行きバスを待ち、バスが来ないので、その時、はじめてバスの運休を知るのが関の山だろう。私も路頭に迷う!!!

部屋のラナイから僅かに見える海を見たり、テレビの特番を見たりした。特番では、アラモアナ・ビーチとハワイ島を映し出している。
ハワイ島の方が津波到着時刻が早いので、ハワイ島の様子を映し出しているが津波は一行に来ない。
予定時刻を1時間過ぎても津波は来なかった。
まだ、交通規制が解除されていない。

豆腐でビールを飲んだ、小説を読んでいる間に、いつしか寝てしまった。
1時過ぎ目覚めた、ラナイから街の様子を見る、交通量は少ないが人は歩いている。
津波警報は解除されたのか? そんな雰囲気ではない。
2時半ごろカラカウア通りを歩くが店はまだ開いていない。大勢の人は、する事も無く歩いている。
お腹がすいた。
3時半ごろホテル1階のABCストアーがオープンしていたので、カラカウア通りを歩くと、店がオープンし始めていた。
ABCストアーが真っ先にオープンした様だ、すれ違った若い日本人がさすがABCストアーと言っていた。
ラーメンの「えぞ菊」が開いていたので入った。
味噌ラーメン+焼き飯+餃子セットを頼んだ。
昼食兼夕食になった。

夜、テレビで津波特集を見た。
地元の人は今日の早朝から津波に対する備えを始めた様だ、スーパーマーケットで買出しをしている風景を映していた。
海を見渡せる高台に避難or津波見物で大勢の人が来ていた。
やはり津波は来ていた。ただし50cmほどの高さでハワイ島の河口を逆流する様子を映し出していた。

2月26日 ハワイ ワイキキ 26日目

2010年06月03日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
毎日、朝起きて真っ先に窓のカーテンを開ける。
今日は、ベランダにも出た。見晴らしが良い。
海も見える、タンタラスの丘がビルの合間に僅かに見えた。
 

最上階のカフェにコンチネンタル朝食を食べに行った。
屋外スペースに丸テーブルが5~6台置かれている狭いカフェであった。
小さく切ったパイナップルを紙コップに取り、トースト2枚をスタッフから受け取りテーブルに、コーヒーを紙コップに入れ、マーガリン&ジャム、ナイフ&フォークを取ってテーブルに座った。
混雑してきた、日本人グループがUS$1札を握って並んでいる。
ツアースタッフにチップUS$1を渡しましょうと説明されたのだろうか? 
Webサイトで「チップUS$1を渡しましょう。」と、したり顔して書いているのを読んだ事を思い出した。
無料のコンチネンタル朝食をまるでUS$1払って買っている様だ。
セルフサービスに何故チップを払うのか???
チップについて注意して見ていると、アメリカ人も台湾人or香港人もチップを渡している様に見えなかった。
紙コップ、紙皿、ナイフ&フォークをゴミ箱に捨てカフェを出た。

朝食後、ビジネスセンターを覗いてみたがPCはすべて使用中であった。
今日は昼からテニスに行こう。それまで部屋でゆっくりした。
昨日からテレビの日本語番組を探しているが見付からない、韓国語や中国語番組はあるのに日本語番組がない。
有料番組に日本語番組を見付けた!! 有料!どういう事だ!
テレビは見ずに、BGM代わりにして、小説を読んだ。

昨日買ったソーメンを11時過ぎに食べ、ホテルを出た。
ホテル前のバス停でバスを待った。
トロリーが停まった、若い日本人グループが乗って行った。
ハワイツアーは、トロリー乗り放題というツアーが多いので、トロリーは日本人客がほとんどを占める。
TheBusが来た、クヒオ通りで多くの乗客を乗せて来るので、ここゲートウェイ・ホテル前バス停ではバスは混雑していた。
TheBusに乗り、アラモアナS.C.で降りずにワードセンターまで行き降りた。
ラケットを購入したThe Sports Authorityに行き、テニスボールを買った。
The Sports Authorityの隣にあるワード・ファーマーズ・マーケットに寄ってみた。
会員制か? 客がガードマンにカードを見せている。
日本食が多く並んでいる。会員でなければ入れないのか? 魚売場だけを覗いて出た。
ワードセンターをぶらついた後、アラモアナ・テニスコートに向かった。
アラモアナ・ビーチ・パークをゆっくり歩き、大きな木の木陰で小説を読んだ。テニスをするにはまだ暑い。
今、「天翔ける倭寇」を読んでいる、この小説を読むのは2度目である。
読み始めてすぐに気付いたが、面白いので読み進み、もうすぐ読み終わる。
1度読んだ文庫本をまた買ってしまう事はよくあるが、それを再度読む事は珍しい。
アラモアナ・テニスコートで壁打ちをした、3人が壁打ちに来たが30分ほどで帰って行った。
テニス相手が見付からず、壁打ちばかりでは楽しくない。壁打ちを止めてビーチ側に行った。
海側テニスコートで日本語が聞えて来た、在住らしき日本人がダブルスをしていた。
テニスコート前の大きな木の木陰で小説の続きを読んだ。
時間と共に木陰が移動しそれに連れて私も移動しながら小説を読み、読み終えた。
近くのバス停からワイキキ行きバスに乗りホテルに帰った。

シャワーを浴び、豆腐をあてにビールを飲んだ。その後寝てしまった。
19時過ぎ目覚め、ラーメンを食べに出た。
「ラーメンなかむら」と「えぞ菊」が近くのカラカウア通りにある。
「ラーメンなかむら」に行ったが、改装中で閉めていた。
また「えぞ菊」か! ワイキキなら変によく行く。味噌ラーメンを食べた。
えぞ菊が東京のチェーン店である事を知らなかった、ハワイの中国系資本のラーメンチェーンと思っていた。

早いが22時に寝た。

2月25日 ハワイ ワイキキ 25日目

2010年05月31日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
今日はホテルを移らなければならない。
ワイキキ東端にあるエバ・ホテル・ワイキキからカラカウア通りとクヒオ通りが交わるワイキキ西端のワイキキ・ゲートウエイ・ホテルに移る。
チェックアウトは12時までにしなければならない。
また、ワイキキ・ゲートウエイ・ホテルのチェックインが15時からである。
その間テニスをする事にした。

11時ごろに荷物の整理を始めた。
次のホテルは、コンチネンタル朝食付けなのでハンバーガー用調味料やマグカップは捨てていく事とした。
マグロや豆腐が食べられる様に醤油、わさび&小皿、ナイフは持って行く事にする。
15分でパッキングが終わった。忘れ物が無いかチェックして部屋を出た。

フロントでチェックアウトを頼み、追加料金が無かったのでチェックアウトは直ぐ終わった。
クヒオ通りからTheBusに乗り、次の宿泊先のワイキキ・ゲートウエイ・ホテルに向かった。
ワイキキ・ゲートウエイ・ホテル前はTheBusやトロリーの乗り場になっている。
フロントで「予約している。・・・」と日本語で言って見たが、このホテルは日本語の出来る人をフロントに置いていない様だ。
ハワイに来てあまり英語を話していなっかたので、戸惑ったが、「I have a reservation. ・・・」と出て来た。
チェックインは15時だと言われたので、荷物を預けたいと言って預けた。
ディバッグとテニスラケットを持って出掛けようとしたが、外は真昼間で暑い、テニスは取り止める事にして、フロントに戻りラケットも預けた。

アラモアナS.C.まで歩いてみた、20分であった。
アラモアナS.C.で食事を取り、その後東海岸には、まだ行っていないでTheBusでドライブする事にした。
アラモアナS.C.のCoCo壱番屋に入った。
カレーを食べていると隣に日本のシニア女性が座った。
「美味しいですか?」と聞かれ「美味しいですよ、ただ、量が多過ぎて!」と答えたのがきっかけで話し出した。
旦那は1人でゴルフに行ったらしい。ハワイ島に1週間滞在して、、ワイキキに移って来た。ハワイ島は自然がいっぱいで良いですが、ワイキキは・・・・!
私も20年近く前にワイキキに来た事がありましたが、汚くなりましたね。
テニスの話になった、多分、私が白いポロシャツに白に近い短パン姿であったからだろう。
テニスウエアーは持って来た、ワイキキのテニスコートの使い方(ルール)は知っていると言っていた。
私もテニスラケットはワードセンターのThe Sports Authorityで買った、1万円台でラケットがあるなどと話した。
The Sports Authorityやアラモアナ・ビーチ・パークのテニスコートの場所を地図で教えてあげた。

アラモアナS.C.海側バス停からRoute55バスに乗った。
東海岸はカイルアには行ったが、その他は行っていないのでクアロア牧場まで行こうと思った。
コオラウ山脈を越えるヌウアヌ・パリのトンネルを抜けると絶壁眼下にゴルフ場が見え遠くにカネオヘが見えた。迫力ある景色である。
3回目の眺望であるが、今日もカネオヘ方向は天気が悪い。
ゴルフ場を抜け、カネオヘの街に入った、大きなショッピングモールのある住宅街である。
カネオヘを過ぎ、海岸線に出ると自然が一杯であった。
カネオヘから20分ほどでクアロア牧場に着いた。
 クアロア牧場
 

クアロア牧場には入らずに、クアロア・パークに行った。
天気が悪く、平日にもかかわれず思ったより多くの人が来ていた。
近くにチャイニイズ・ハット・アイランドが見えた。
 クアロア・パーク 
 

 コオラウ山脈
 

雨が降りそうなので、クアロア・パークの奥まで行かずに公園前のバス停からバスに乗りアラモアナS.C.に戻った。
ホテルに着いたのは16時過ぎで、すぐにチェックインした。
インターネット用LANケーブルを借りた。クレジットカードのデポジットは必要だが無料である。
荷物を受取り、7階の部屋に行った。
部屋はエバ・ホテル・ワイキキに比べ少し狭いが新しい、ベランダからの眺めも良い。
 

ベランダからカラカウア通りとクヒオ通りの合流点が見える。
 

取り合えず、ビールを買いにホテルの1階にあるABCストアーに行った。
ビールを飲みながらパソコンにLANケーブルを接続しインターネットを開いたが接続しない。
これで接続できなければ、どうする事も出来ない。最近のは、PCの設定変更等は必要ない。
ビールを飲んだので寝てしまった。
1時間ほどで目覚め、ビジネスセンターに行った。 無料で利用できるパソコンがあるからだ。
パソコンPCが8台あったが、インターネットに接続できるのは4台ほどしかなく、1台空いていたので使った。
使い方を日本語で書いた貼紙が壁にあった。
30分ほど使って終わった。次から次へと利用者が来るので長居はし辛い。

ドン・キホーテに夕食を買いに行った。
歩いても行けるが、バスに乗った。
マグロ、豆腐、肉じゃが、天ぷらソーメンを買った。締めてUS$14.29(1,320円)。
部屋に冷蔵庫があるので、明日の昼食分も買った。

2月24日 ハワイ ワイキキ 24日目

2010年05月28日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
ヘイアウ巡り第5弾でセントラル・オアフのワヒアウにあるヒーリングストーンズ(癒し・病気治癒)とバースストーンズ(安産・癒し)、そしてノースショアのワイメアにあるハレ・オ・ロノ・ヘイアウとワイメア湾を望む丘にあるプウ・オ・マフカ・ヘイアウに行く事にした。

今日は、4ヶ所も回らなければならないので9時過ぎにホテルを出た。こんなに早くホテルを出るのははじめてだ。
アラモアナS.C.を10時過ぎ出発するTheBusのRoute52に乗った。1時間10分ほどでワヒアウに着いた。
バスを降りる時、日本人グループの一人にこんな所で降りるのかという顔をされた。
1つ手前のバス停で降りてしまった。でも、バス停の間隔が狭くバスが信号待ちしている間に、追い着いてしまう程の距離である。

ホノルル方面から来るKamehaneha Hwy(カメハメハ・ハイウェイ)を左に曲がってCalifornia Ave(カルフォルニア通り)に入り、通りの右側にヒーリングストーンズがあるとWebサイトには書いてあったが、Kamehaneha Hwyからどれ程離れているのかGooleマップで場所は特定できていない。
直線で広いCalifornia Aveを歩く、10分弱で○△ホール(日本姓のホール)があり地蔵さんの様な石仏が三体見えた。この辺りにも日系の人達が住んでいる様だ。
その横に小学校があった。
 California Ave
 

直線のCalifornia Aveが右に緩やかにカーブするところに、三角屋根の建物があり、その手前に白い大理石の小さな建物があった。
 

これが、ワヒアウ ヒーリングストーンズである。15分弱で着いた。
靴を脱ぎ大理石の床を歩き、ヒーリングストーンズの前に立った。
癒し・病気治癒に効くと皆が触り黒くなった背丈ほどの石と他に2体の石があった。
私も健康でありますようにと日本式に手を合わせ、石に触った。
 ワヒアウ ヒーリングストーンズ
 

Kamehaneha Hwyに戻り、次のバス12時30分ごろまで時間があったのでJack in the box(ハンバーガ屋)に入った。
ミニ・サーロイン・バーガーとコーラーを注文した。
量の少ないハンバーガーを注文したつもりが、小さなハンバーガーが3個出て来た。
テーブルで食べていると、隣のテーブルで日系の老婦人グループが日本語と英語で話していた。
やはりワヒアウには、日系人が多い様だ。
ハンバーガー1個を残したのでディバッグに入れて後で食べる事にした。

Route52バスに乗り次の目的地であるワヒアウ バースストーンに向かった。徒歩でも行ける距離であるが・・・!
Gooleマップで場所は特定できているので降りるバス停を間違えなければ問題ない。
バス停の名は、Kamehameha Hwy+Whitmore Aveである。
この辺りだろうと思っているとWhitmore Aveの道標が見えたので、下車合図のひもを引いた。
赤土の道が200mほど続いた。
 

その先に、ワヒアウ バースストーンズがあった。
 

草原の中に大きな石が多く置かれていた。
 

安産・癒しのスポットである。昔、王族の子供は、ここで出産したそうだ。
石は角が丸くなっている。
 

日本人ツアー客と一緒になった。
バースストーンズはそれほど広くないところにあり、私も含めて6人ほどになるとパワースポットどころではない。
彼らが帰るまで少し離れた、遠くに山が見え、高原の中、回りは草原or畑、ここだけ草が刈られている。
バースストーンズは樹木や椰子の木に囲まれ、大変雰囲気が良いところであった。

バス停に戻ると子供連れの若い母親がバスを待っていた。
時刻表を出して待ち時間を調べていると母親がバスの時刻を聞いて来た。
5分待てば来るだろうと答えた。
「日本人か?」「はい」「あなたは?」「ニューヨークから来た。スペイン系アメリカ人」と言っていた。
綺麗な母親で、男の子2人は父親にかスペイン系の顔ではなかった。
Route52バスが来た。

次の目的地であるノースショアのワイメアに向かった。
ドール・パイナップル・プランテーションを過ぎ、ノースショアのハレイワの町を通過し、ワイメアの橋を渡ったバス停で下車した。
大勢の客が降りた、ワイメア湾に面したビーチに行く様だ。
私は橋の付根から川沿いに上流に行く道路があり、そこを歩いた。
 

1km弱でワイメア・バレー・オーデュボン・センターに着いた。
駐車場の奥にハレ・オ・ロノ・ヘイアウが見えた。
 ハレ・オ・ロノ・ヘイアウ
 

当時の姿が再現され、供え物、生贄を捧げるための塔や小屋が、石垣の上に設けられている。
 ハレ・オ・ロノ・ヘイアウ
 

ワイメア・バレー・オーデュボン・センター入口でアラモアナS.C.からのTheBusに乗り合わせた日本人グループに会った。彼らは、ドール・パイナップル・プランテーションかハレイワの町に寄った後、ここに来たのだろう。
彼らはワイメア・バレー・オーデュボン・センターに入って行った。
私はワイメア・バレー・オーデュボン・センターが何か? 情報を持っていなかった。
入場料US$24となっている。
見た目はワイメア・バレー公園であるが、入場料からして公共施設ではない。
 ワイメア・バレー・オーデュボン・センター入口付近
 

ワイメア・バレー・オーデュボン・センターに入らずに海岸沿いのカメハメハ・ハイウェイに戻った。
次の目的地であるプウ・オ・マフカ・ヘイアウは、ワイメアの橋横の絶壁上の丘にある。
しかし、遠回りしなければ行けない。
海岸沿いのカメハメハ・ハイウェイを1kmほど歩くとフードランド・スーパーマーケットがあり、そこから山側の道路を登って行った。
途中、SUV車が停まり乗せてくれた。道路が狭くて危険だと言っていた。
プウ・オ・マフカ・ヘイアウの案内板が見えたので降ろしてもらった。
 プウ・オ・マフカ・ヘイアウ案内板
 
大した距離を乗せてもらったわけではなかったが登り坂だったのでラッキーであった。
ヘイアウへの道を入るとワンボックスカーが停まっていた、ホームレスの様だ。
更に行くと普通車が停まり、運転席に男が座り、車の中から犬が吠えていた。車内はごみ屋敷の様だ、これもホームレスだ。
ヘイアウへの入り口は、異様な雰囲気である。
この道はヘイアウで行き止まりである。
すでに15時を過ぎているのでヘイアウへの見学者も減るだろう。
2台の車が帰って行ったが、ヘイアウへ向かう車は来なかった。
ここから私の妄想が始まった。
ホームレスが車の出入りをチェックし見学者の車が残っていなければ、1人で歩いてヘイアウへ向かった私に犬を放して待ち伏せする。
私は、その妄想により、棒を探しながらヘイアウに向かった。
ヘイアウ案内板から15分ほどでプウ・オ・マフカ・ヘイアウに着いた。
かなり大きな神殿である。石垣しか残っていない。
生け贄として多くが埋められているそうで、気味が悪い。
私以外誰もいないのでなおさらだ。
 プウ・オ・マフカ・ヘイアウ
 

 ワイメア湾を望む。 
 

先ほどの妄想と犬の遠声、そしてヘイアウの気味の悪さで長居は出来なかった。
太く長い木の枝が落ちていた、拾ってみると軽い、乾燥しているからだろう。
枝を杖代わりにした、更に石をポケットに入れた。
これで犬対策はOKだろう。
しかし、ホームレスが出て来たら無抵抗で行こう。命が惜しい!!
パトカーが来た? 形は似ているが違った。  
管理会社の車によるパトロールだろう。ヘイアウに向かった。
私の妄想はこのパトカー似の車で覚めた。
相変わらず犬は吠えていたが、何も起こらず、ホームレスの車を通り抜けた。
木の枝もポケットの石も捨てた。
すでに16時前だ、丘を下って行った。

フードランド・スーパーマーケット前バス停からRoute52バスに乗りアラモアナS.C.に向かった。
チャイナタウンで下車し、ワイキキ行きバスに乗換え、ドン・キホーテに寄った。
ビールのつまみを買ってホテルに帰った。

2月23日 ハワイ ワイキキ 23日目

2010年05月25日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
ヘイアウ巡り第5弾でノースショアに行く予定であったが、昨日の疲れが出たのか、行く気が起こらない。
ベランダで小説を読んだ、天気は良いが少し風がある。
寒くなってベランダでは長居は出来ず部屋に入った。

昼過ぎに食事に出た。当ても無くカラカウア通りをぶらついた。
カラカウア通りにはあまり来る事がない。小さなショップが並ぶが、私には全く興味がない。
カラカウア通りのビーチ側は、クヒオ・ビーチ・パークがあるので癒される。
 バニアンツリー(カラカウア通りのビーチ側)
 
 カラカウア通り(交番付近) 
 

ワイキキのフードコートは、インターナショナル・マーケット・プレイスとワイキキ・ショッピング・プラザにある。
ワイキキ・ショッピング・プラザのフードコートは地下1階にあり、ラーメンや焼肉はあるがファストフードが多く、私にはもうひとつである。
今日は、インターナショナル・マーケット・プレイスのフードコートに行った。
カラカウア通りから入るとバニアンツリーの裏に20店ほどの世界各国の料理が食べられるフードコートがある。
ここのフードコートには、クヒオ通り側から何回か来ているが、いつもこれが食べたいと思うものがなく、他へ行っていた。
今日は、中華プレートランチの店でスペシャルランチUS$5.5が目に付いた。
中華ランチは他店で2回ほど食べたが当たり外れがなく、美味かったので、中華のスペシャルランチを食べることにした。
US$5.5のスペシャルランチである、何がスペシャルか?量が少なくて安い! 私にとって量的には、これがベストである。
トレーに載せ空いている場所を探した。
長期滞在者らしい西欧人が離れ小島の様な静かな場所でコーヒーを飲んでいた。彼らは良い場所を知っている。

今日も水平線に沈む太陽が見えるだろうか? 少し雲がある。
確かめる為、ホテルの屋上に行った。
先客がいた、日本のシニア男性が一眼レフでビルの谷間の夕日を撮っていた。
綺麗ですねと声を掛けながら私もシャッターを切った。

水平線に沈む太陽が見えそうなのでビーチに行った。
今日もカピオラニ・ビーチからのサンセットを見た。
海に沈んで行く真ん円な太陽ではなく上部が雲に隠れていた。
しかし、空が赤く染まり美しかった。
 カピオラニ・ビーチの夕日
 


2日後にホテルを替わらなければならない。
今年の元日に予約したのだが、Webの予約サイトでEwa Hotel Waikiki(エバ・ホテル・ワイキキ)が宿泊費2泊分で3泊出来るプロモーションを行なっていた。
その予約サイトは、最長25日までしか予約できなかったので、宿泊日数30泊を21泊と9泊に分けて予約を入れて見ると宿泊費が高くなった。
それでEwa Hotel Waikikiに24泊し、次に宿泊費が安く、インターネット接続可能なWaikiki Gateway Hotel(ワイキキ・ゲートウエイ・ホテル)に6泊する事にした。
宿泊費は、Ewa Hotel Waikiki 5,428円/日、Waikiki Gateway Hotel 5,787円/日であった。州税4.712%&ホテルルーム税7.25%含む。
25日にWaikiki Gateway Hotelに移らなければならず億劫だ。
荷物が少ないので荷造りも簡単で、移る場所もTheBusのバス停前で便利なのだが気が重い。

2月22日 ハワイ ワイキキ 22日目

2010年05月22日 | ハワイ ワイキキ 1ヶ月滞在
自力(TheBus)で行ける観光地が少なくなって来た。
ヌウアヌ・パリ展望台やタンタラスの丘はTheBusのバス停が近くに無く、長時間歩かなければならない。
徒歩、レンタカー、タクシー、半日ツアーなどの方法があるが、徒歩にこだわりたい。
タンタラスの丘は、TheBusの最寄のバス停から徒歩2時間は掛からないだろう。
今日は、タンタラスの丘に行く事にした。
タンタラスの丘とは、ダイヤモンドヘッドやヌウアヌ・パリと並んで、絶対に外せないオアフ島のビューポイントであるそうだ。

10時30分ごろホテルを出て、アラモアナS.C.に向かった。
少し早い昼食であるが、フードコートの浪花屋ラーメンで醤油ラーメンを食べた。
タンタラスの丘へは、10日前にマノア滝トレイルに行ったマノア住宅街の手前で下車して、丘の麓から歩く。
11時55分マノア行きRoute5に乗り、地図で確認したバス停?で降り12時5分ごろから歩き出した。
曇っていて、今にも雨が降りそうである。雨は困るが、真昼間の今、曇っている方が良い。
住宅街を上って行く、山の麓の住宅街の為、道が入り組んでいた。
Googleマップでも道が入り組んでいて分かり辛かったので心配していたが、直ぐに気付いた。
道路の黄色いセンターラインを伝っていけばいいのだ。
即ち、分岐点で黄色いセンターラインの無い道は住宅への道で、有る道がタンタラスの丘への道であった。
住宅街を過ぎると、ヘアピンカーブや丘を回り込む様に道路が続き、緩やかな坂道が高度を徐々に上げていった。
途中からダイヤモンドヘッド、ワイキキ&アラモアナ公園も見えて来た。
 ワイキキ&ダイヤモンドヘッド
 

 マノア住宅街
 

写真を撮りながら、登って行った。
途中、車が止まり、日系中年女性が「エクササイズか?」と聞いて来た。
親切にも、車に乗せてくれる様であった。
頂上までもう少しだったので「エクササイズ」と答え、礼を言った。
もっと下で同じ様に声を掛けてくれたのであれば、同乗させて頂いただろう。
 タンタラスの丘へのゲート 
 

バス停から1時間半掛かってタンタラスの丘展望台に着いた。
韓国人グループと日本人3人組がいた。韓国人男性1人が大きな声で話している。またか!!!
韓国人グループが先に帰って行った。
日本人3人組は釣り仲間の様で、ホノルル在住の人がここの説明をしていた。
車でなければここまで来れないので、日本人は余り来ないと言っている。
では、歩いて上って来た私は変わり者か??
展望台は狭く、聞くつもりが無くても会話が聞こえて来る。
彼らが帰り、代わりに年配の日本人男女が来た、夫婦ではない様だ。80歳ほどの男性がハワイに来たら必ず、ここに来ると話していた。
お先にと挨拶し、私は展望台を後にした。駐車場にタクシーが停まっていた。年配の2人はタクシーで来た様だ。
 ダイヤモンドヘッド&ワイキキ
 

 ダウンタウン越しのホノルル空港
 

 アラモアナS.C.越しにアラモアナ・ビーチ・パークのマジック・アイランド
 

 カハラ方面
 

帰り、上半身裸でビニール袋を持って上って来る男性に会った、「展望台に行って来たのか」と声を掛けて来たので、見晴らしが良いとジェスチャで答えた。
日本人かと日本語で話して来た、「今、エクササイズしている、川崎重工の神戸で船の設計をしている、ドン・キホーテは安い・・・・・・」と日本語で一方的に話していた。
彼と別れて間もなくして、もう1人アロハシャツを着た男性が上って来た。ハローと挨拶した。
出会ったのが2時過ぎだったので、徒歩で登って来る人は、この時間帯に上って来るのか!
徒歩で登るのは変わり者ではなかって安心した。
山麓の住宅街まで下った時、車が停まっていて運転手が、英語で尋ねてきた、「○△×・・・?」と、日本人の様だ???
頂上への道を聞いている様だ。
確認の為「どこへ行くのですか?」と英語で聞くと、むっとした顔をして「Top」と返ってきた。
それは分かっている、どこのTopか、タンタラスの言葉を期待していたのだが!
道路のセンターラインを指差して「イエローライン」と言って通じたので別れた。
後から「そしたら、こっちか」と聞こえて来た、やはり日本人だった。
14時40分ごろバス停に到着。往復2時間35分のエクササイズであった。

Route5バスを15分ほど待つと来た、アラモアナS.C.に向かった。
アラモアナS.C.で下車せず、ドン・キホーテ前で降りた。
今日もドン・キホーテでマグロを買う為である。
マグロと昨日から麺類が多かったのでハンバーグ弁当を買った。
食事のメニューが、昼食はラーメンやプレートランチ、夜は、マグロ刺身とビールに収斂してきた。
一昨日見付けたカラカウア通りのバス停に向かうと、店名をハングル文字で書いているスーパーマーケットがあった。アラモアナS.C.の海側には韓国系店舗が多い。

今日も水平線に沈む太陽が見れそうなのでビーチに行った。
いつもクヒオ・ビーチから見ているが、カピオラニ・ビーチからサンセットを見た。
昨日に続き、海に沈んで行く太陽が見られた。
 カピオラニ・ビーチの夕日