いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2月9日 ウブド

2008年05月28日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
5時30分起床。曇り
6時散歩に出る。ホテルの玄関はバー&レストランになっていて閉まっていた。ガードマンが出口に案内してくれた。玄関建屋とホテル建屋の間に通路があり、ガラス張りの部屋から従業員(家人?)が出て来て、何か言っていた。「お早う」と挨拶して通路から外に出た。ガラス張りの部屋は事務所or従業員部屋であった。
昨夜、部屋の灯りが薄暗く本を読むのが辛く、場所を探している時、そのガラス張りの部屋前に電灯がこうこうと輝いていた、そこで本を読もうかと思ったほどだ。ガラス張りの部屋は黒フィルムが貼られ、外から内部は見えないが中からは見える様だ。昨夜、電灯とガラス張りの部屋を見ていた私をさぞかし不審に思った事だろう。
ホテルを出て、昨日の夕方行った道をビーチに向った。ビーチ沿いの遊歩道を北に向って歩いた。遊歩道沿いには、ホテル、レストランや土産物屋が並ぶ、コンビニもあった。
もう30分も散歩したので引き返そうと思った頃、静かな別荘が続き良い雰囲気の所に出たので遊歩道を進んだ。大型ホテルを過ぎ、ボート乗場があった。ここから先も遊歩道は続いているが、何故か?砂浜が黒色に変わていた。
ガイドブックの地図にプラマ社(Perama Tourist Service)オフィスが載っていたので向った、ボート乗場から2百メータほどにあるはずが通り過ぎた様だ。引き返し「Perama」の看板を見付けた、そこは雑貨店で時刻表も掲げられていた。ウブド行きシャトルバス10時15分発がある。
ゴルフ場沿いに戻ろうとしたが、大型ホテルへの道しか見当たらないので国道を戻った。2時間も散歩した事になった。
8時、朝食を取った、トーストとコーヒーである。
9時過ぎ、プラマ社シャトルバスでウブドへ行こうとすると、ホテルの主人にそのバスは予約しなければ駄目、「友達にウブド往復の料金を聞いてやる」と言われ、待つ事にした。友達が来て日本語で交渉が始まった、ウブドで3時間過ごしてホテルに戻る条件でRp450,000(5,400円)と言われた、プラマ社シャトルバスで往復Rp40,000(500円)だから話にならない、「半値でもいやや」と言ったところ、Rp250,000(3,000円)になった。追い駆けて来て「半値と言ったでわないか?」、「いやや」が当然ながら通じなかった。値段が半額になる様な者は信用できない、無視して歩いた。
歩道を歩いていると今度はベモ(乗合ミニバス)が停まった、プラマ社バス停まで料金交渉、Rp20,000(240円)と言われた、ウブドまでその料金で行こうとしているのに吹っ掛けて来た。1/10のRp2,000(24円)と言ってやった。Rp5,000と下げて来た信用できない運ちゃんのベモには乗りたくない、無視して歩き出した。追い駆けて来て、希望料金を聞いてきたのでRp4,000(50円)と答えるとOKした。
プラマ社シャトルバス乗場の雑貨店でウブド行きチケットを買う時、店員が電話で確認していた、結果、今日はバスは無い!!! 島内交通のシャトルバスに休みがあるのか、間引き運転でもしているのか?
ウブドまでタクシーで料金はいくらか店員に尋ねるとRp80,000(960円)との事。この辺にはタクシーが無いので、ベモと料金交渉した、言い値は、Rp100,000で、Rp80,000と聞いたと言うとOKした。この運ちゃんは、吹っ掛けて来なかった、信用できるので助手席に乗った。
トパティで少し渋滞した、バティック工房の大型店に入るバスが原因らしい。続いてバトゥブランは、道路の両側に石の彫刻物が並び、次にマスでは、木彫り彫刻品が並んでいた。
サヌールから40~50分でウブド市場に着いた。
ビールを飲んでウブドで何をするか考え様とレストレンを探した、日本人とすれ違う、ここウブドは、やはり日本人が多い。
レンタサイクルを借りて走り回ろうとは考えていたが、どこに行くかである?
ビールとミーゴレンを食べながら考えた結果、ジャラン・カジェン発田園地帯行き散策コースを行きライステラスを見る事にした。
レンタサイクルを言い値Rp25,000をRp20,000(240円)に値切って借りた。
ウブド王宮西沿いの通りを北に上がって行った。急な坂は自転車を降り押した。
  田園風景
 
  田園風景
 
期待していた様なライステラスではない。変だと思い地図を見ると道を間違えていた、ウブド王宮から1ブロック西の道を北に行かなければならなかった。戻りは、下り坂で自転車であっとゆうまであった。ウブド王宮の手前で人が入って行く路地があり、西にむかっていたので私も行って見た。深い谷を下りまた苔道を上がると石畳の通りに出た。
この石畳の道が散策コースの入口だ。コンクリート製石畳にはアルファベットで何か書かれている、それが横に2枚並んで敷き詰められ石畳通りになっていた。北上を続けると石畳が無くなり地道が少し続いた後、見渡す限りの田んぼが見えて来た。
田んぼの中のあぜ道を自転車に乗り進んだ。途中、白人夫婦とすれ違い「ハロー」、にこやかに「ハロー」と返って来た。北上を続けていると雨が降り出し、木陰で雨宿り!
  ライステラスほど急傾斜でない段々水田
 
小雨になり、もう少しで左に曲がる周回あぜ道があるはずと思い北上した。白人男性とすれ違った。
あぜ道にはバイクのわだちがあり、それが深くなり自転車を運転し辛くなったので自転車を押して歩いた。
あぜ道と小川、約50年振りの風景の様な気がする、大阪郊外にもこの様なあぜ道から見る田園風景があった。
道は森の中へと続き、樹木で雨は弱めらた。農夫に会った、「自転車には決して載るな、押して歩かなければ20m下の谷底に落ちる。そして右に行け。」と注意された、と言うよりも怒られた感じであった。農夫が英語を話せるのか?
道に沿って流れていた小川がコンクリートの水路に変わり、潅木と草に覆われた狭いが深い谷が見えた。道が2~3m途切れ、水路のふちのコンクリート上を歩いた。途切れが2~3箇所あり、その都度、自転車前輪だけをコンクリート上に転がし後輪を持ち上げ歩いた。
いつの間にか谷を渡っていた、水路が橋代わりだったのか!! 水路を渡る小さな橋が現れ、それを渡ると目の前に3mほどの高さの段差があった。斜めに道を切っているが自転車を押して上げる事が出来ない。自転車を肩に担いで上った。上がりきると突然視界が開けて、また一面の田園となった。
森と思っていたが、それは谷に沿って茂る椰子の木や樹木であった。
  突然現れた田園、ほっと安堵! 
 
自転車を押して細いあぜ道を歩いていると白人夫婦とすれ違い「ハロー」、「Good job! (よく頑張ったね!)」と言われた。すぐにコンクリートのあぜ道?民家への道にたどり着いた。分岐で迷っていると遠くで私を見ている人がおり、こっちこっちと言っている様でそちらに向った。そこは小さな民家風の絵画のギャラリー兼工房で雨宿りした。軒下で奥さんが絵を描いていた、夫婦で描いているそうだ。奥がギャラリーで小さな絵がたくさん並んでいた。八頭身でなく十二頭身の様な女性を描いた絵があり見ているとRp200,000(2,400円)との事、大きさは400mm×200mm程度。自分が気に入った物であるので高いとは思わなかったが、しかしRp150,000に下がった。旅行中でまだ3週間旅行が続くので駄目だ、数日後に日本に帰るならば、購入しただろう。
雨も上がり工房を出た、主人に「右へ曲がれ」と言われた、途中で会った農夫と同じだ。田園散策コースを歩いている時、左、左に行けばウブド王宮に戻れるとイメージしていたので「右へ曲がれ」は大変以外に思った。
ここから自転車に乗り民家横を通り田んぼを抜け、すぐに舗装された道路に出た。
ここを右に曲がった。アップダウンのきつい道路で2度自転車を押して歩るくと大きな道路に出た。ここは、昼前ウブド王宮西沿いを間違って北上した時に来た所であった。
  田園散策コースmap 
 
田園風景の写真を撮ろうと自転車を停めていると女性聾唖(ろうあ)者の寺の守が現れ参拝を勧められた。ブントゥユン村寺院であった、黄色いサロン(腰巻)とピンクの帯ひもを巻かれた。サロン姿の写真を撮ってくれ、狭い寺院内を見終わるとお布施を要求された。お布施の相場額が分からないので、Rp1,000札を1枚、2枚と数えて6枚目でもうOKという感じであった。この寺院の妥当なお布施はRp5,000(60円)であろう。これからの参考にしよう。
  ブントゥユン村寺院にて
   
  ブントゥユン村寺院 割れ門
 
  ブントゥユン村寺院内
 

道を間違えながら3時間ほど掛かって田園散策コースを回った。
レンタサイクルを返却し、プラマ社バス停に向った。ウブド王宮から徒歩30分ほどで着いた。今日はプラマ社は休みだろうと思いつつ来てみた、15時発サヌール行きを依頼するとスタッフはチケットを発行仕掛けて電話で確認した、やはり休みであった。
バス停の前に青々と育った稲田があり、その稲田を借景とするレストランがあった。レストランに入り、ウェイトレスに案内された席は稲田が奇麗に見える席であった。ビンタンビールとスパゲティを注文した。隣の席に若い日本人カップルがいた。ウブド王宮からモンキー・フォレスト近くのここまでの間、普通に日本人とすれ違い、白人観光客も多い、サヌールとは大違いである。
  レストランの借景
 

ウェイトレスに「サヌールまで、どの様にして行ったらいいか」と尋ねると男性スタッフが車の運ちゃんを呼んでくれた。運賃を尋ねるとRp100,000との事、Rp80,000でウブドに来たと言っても下がらない。K国人からRp170,000取っていると男性スタップと話している。日本人価格、K国人価格があるのか?
Rp100,000(1,200円)でOKした。車は新車のSUV車であった。快適にサヌールに着きマクドナルドで降りた、何故ならCiti BankのATMがあるからここで降りた。
ホテルの近くにコンビニは無いが土産物屋の奥に飲み物を売るコーナーがあり、缶ビールを3缶買った。1缶Rp8,500(100円)。部屋の冷蔵庫に入れて冷やした。
夕食に出かけた、がらがらのレストランが殆どで、客の多いレストランを選んで入った。小瓶ビール(Rp12,000)とナシゴレン(Rp25,000)を食べた。10%Taxが掛かり締めてRp40,700(500円)であった。
2月1日にビールの入手が難しいインドネシアに入国したが、ここバリ島は、別世界である。その反動で昨日からビールを飲み過ぎている。夜もホテルのバーで小瓶ビンタンビールを2本飲んだ。1本Rp13,000+10%Tax(170円)。
明日は、バリ・ヒンドゥ教の総本山ブサキ寺院に行こう。

2月8日 バリ島デンパサールへ

2008年05月21日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
5時30分起床。モーニングコールで起きた。
バックパックを持って朝食に行った。誰もいない、普通7時から朝食が始まるからかと考えているとスタッフが現れ、無事朝食が取れた。
6時25分、2日分の宿泊費Rp350,000(4,200円)を支払ってチェックアウトした。
ホテル前の路上に停まっているタクシーに乗り、ハヌサディン空港に向った、4車線の道路が続き、6時55分、20分で着いた。
チェックインに並んだ後、バックパックを預けチェックインを完了した。発着ディスプレーを見ていると、ライオン航空のジャカルタ、スラバヤ&デンパサール行きの3便が同時刻の9時発で更に同じゲートNo.であるのに気付いた。どの様に搭乗するのだろう??
8時30分、土砂降りの雨が降って来た。
9時、発着ディスプレーのライオン航空便が「Delay(遅れる)」に変わった。
9時30分ごろ、雨も止み、ゲートに人の動きがあった。ジャカルタ行きの搭乗が始まった。
私の乗るデンパサール行きは10時に搭乗が始まった。
 ライオン航空のジェット機

座席に座ると前のブックハンガーに眼鏡が忘れられていた。アテンダントに眼鏡を渡し、持ち主を探してもらったところ窓側の席の男性であった。その男性が文庫本を持っていた、日本人であった。旅行者風ではない、マカッサルに駐在していて休暇を利用してバリ島に行く様な感じである???
10年振りのバリ島である。2度行った事がある。ヌサドゥアの高級ホテルに泊まり、クタとデンパサールに行ったぐらいで、観光は全くしていない。ビーチで本を読んだり、ビールを飲んだりでひたすらのんびした。昔はこの様な海外旅行スタイルであった。
 グラライ国際空港  手前国内線、最奥国際線

11時過ぎにバリ島グラライ国際空港に着いた。ターンテーブル前でバックパックが流れてくるのを待ち、しばらくして受取ったが、バックパックがぐっしょり濡れていた。マカッサルでの雨の所為だ。
よく分からないがタクシーしか足が無い様だ。、タクシーカウンターでタクシーチケット(Rp85,000 1,000円)を買い、タクシー乗場に行った。サヌールまで時間的に30分ほどであったが遠く感じた。
レストランの奥にある小さなゲストハウスに行ったが、エアコン付きの部屋は空きがなく、他の部屋はみすぼらしく許容外であった。
次にホテル プリ・マデ(Puri Made)まで歩いた、暑い中を15分ほどで着いた。部屋を見せてもらった、ホットシャワー、エアコン無&朝食付きでRP100,000(1200円)で奇麗な部屋でいつもならここで決まりであったが、暑い中を歩いて来たのでエアコンが欲しくなりエアコン付き部屋にした。ホットシャワー、エアコン、冷蔵庫&朝食付きで宿泊費Rp250,000をRp200,000で交渉し、税&サービス料10%でRp220,000(2,650円)で成立した。
 プリ・マデ(Puri Made) 中庭

 プリ・マデ  宿泊した部屋


サヌールのメインストリートであるジャラン・ダナウ・タンブリンガンをぶらぶら歩き、昼食を取るレストランを探した。暑い!
 Jl.ダナウ・タンブリンガン

 Jl.ダナウ・タンブリンガン


シーフードレストランがあり入った。イカ焼き定食と大瓶ビンタンビールを飲んだ。イカ焼き定食は、イカのバーベキューとホウレンソウの様な野菜が付いていた、塩味で美味しかった。Rp50,000(600円)
ホテルに戻り、エアコンを入れて昼寝した。
夕方、ビーチに行った。遠回りの道しかなく、ビーチ沿いのホテルを通り抜ける積もりで向った。テナントが入る建物があり、その奥に行くと「ビーチ」と看板があったので進むと盆栽をたくさん並べられた一画があった。そのまま進むとレストランの裏に突当たり、レストラン内を通り抜けるとビーチであった。
 ビーチ沿いの歩道

 ビーチ

 ビーチ


今回のバリ島では、ウブド、プサキ寺院&タナロット寺院には是非行きたいと思っている。明日は、ウブドに行こう。

2月7日 マカッサル滞在

2008年05月18日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。晴れ時々曇り
8時朝食。オムレツ、パン&コーヒーを飲んだ。
11時ごろまで小説を読んで部屋で寛いだ。
ロッテルダム要塞に向った。ベチャの運ちゃんに声を掛けられるが、その都度ジャラン・ジャラン(散歩)と言って通り過ぎた。
ロッテルダム要塞に着いてチケット売場を探してきょろきょろしているとデェスクを指示され、入ると「何処から来た?」「日本」と答えると日本語で「寄付」と言われた。入場料を取らず寄付を募っていたのでRp10,000(120円)を渡すと大層喜ばれた。名前、国籍、年齢等を記帳した。
エントランスを入ると若い男が英語で「194?年日本軍がここに居た。」急に話し掛けられ、何度か聞き直し漸く分かった。彼はガイドであった。一対一による英語ガイドは、理解できないし、相手しなければならず疲れるのでいつも断る。
民族博物館や陶器、考古学展示場を見て周った。陶器展示場には日本製陶器のコーナーもあった。中国等ほとんどが青磁である中で鮮やかな色彩の入った陶器が日本製であった。
今のロッテルダム要塞は一般の建築物、電波塔、広告看板の中に埋没している様で写真をとるにも注意しなければ、それらが入る。
 ロッテルダム要塞 中庭

 ロッテルダム要塞 


昨日閉まっていたシーフード&中華レストランにベチャで向った、途中、運ちゃんが別方向に行こうとしたので方向指示した。運ちゃんが行こうとした方向に中華街の看板があった。昨日からベチャの運ちゃん達は中華街でイベントがあると言っていたが、客を連れて行くと彼らに何かメリットがあるのか?
今日はレストランが開いていた。12時前でまだ早いがビールが飲みたくて、また天候が怪しくなったので入った。入るなり、土砂降りの雨となった。
ビールを飲みながら、茹でカニを一匹注文した。カニは身が詰まりビールとでお腹が一杯になった。フィンガーボールを頼み手を洗った。締めてRp110,000(1300円)。雨宿りを兼ねて小説を読んだ。
マカッサルは観光スポットがロッテルダム要塞以外に見当たらない。インターネットカフェで2時間過ごした後、ベチャでホテルに戻った。
 マカッサル風景


ホテルで1時間ほどゆっくりした後、夕日ビューポイントに行った。途中、アザーンが聞こえて来た、モスク前を歩いていた。今日は祝日の為か、夕日ビューポイントには多くの人出と、海岸沿いの道路が大渋滞であった。
 遊歩道

遊歩道を歩いていて、2階に食堂を見付けた。さどかし景色がいいだろうと思い入ったが、残念ながら窓側の席は埋まっていた。大瓶ビール(Rp18,000 220円)とミーゴレン(Rp16,000 195円)を注文した。
2階からマカッサル湾を眺めた。今日は天気が良いが、日の入ポイントに大きな雲がある。
 日没のマカッサル湾


ホテルに帰り、フロントで朝6時ごろにホテル前にタクシーが停まっているか確認した。停まっているとの事で安心し、ウエークアップコールを頼んで部屋にもどった。
明日は、10年振りにバリ島に行く。

2月6日 マカッサル(スラウェシ島)下船

2008年05月16日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
夜中、スラウェシ島のパレ・パレ(Pare-Pare)に寄港していた様だ。まったく気付かずに寝ていた。
日の出を見る為に起きたが雨が降っていたので、もう一度寝た。
スラウェシ島のマカッサル(Makassar)に着く直前に土砂降りの雨になった、Dobonsolo号は汽笛を何度も鳴らしながら港に向かって行った。
9時過ぎに岸壁に接岸した。その時には、もう雨は上がっていた。
 下船風景

3泊4日の船旅も終わり、久し振りに地面の上を歩いたが何の違和感もない。地面が揺れる錯覚もない、如何に穏やかな海であったかである。
タクシーやベチャを断り、ペルニ社フェリーのチケット売り場を探した。マカッサルでの時刻表を手に入れる為である。しかし、見付からない、港のゲートを通り貫けた。
ホテル街を目指して港沿い海沿いに歩いた、ロッテルダム要塞を通り過ぎた頃食堂があった。30分歩き日も差し暑くて汗だくになったので休憩を兼ねて朝食を取った。写真付きメニューがあった、これは便利である。皿うどんの様な物とスプライトを取った。Rp11,500(140円)。
汗も引き食堂を出ると、ベチャ(三輪自転車の前部に座席があり、後部でペダルをこぐ)が待構えていた。1台目は断ったが年配のぺチャが日本語で話し掛けて来た、目当てのホテルまで歩いてもすぐの距離であったが、Rp4,000(50円)との事で乗ってしまった。
運ちゃんいわく、目当てのホテルは宿泊代が高い、ウィサタ(Wisata)はリーズナブルと言っていた。当ホテルも候補ホテルの1つであったのでOKして向った。
マカッサルは、「古くから香辛料の集積地として栄え、マカッサル人が造ったゴワ王国の首都となった。現在にいたるまで、その立地条件のよさからインドネシアの重要な貿易港として発展し、日本船籍の貨物船なども多く出入りしている。」地球の歩き方より、また「日本国総領事館のほか、国際協力事業団の青年海外協力隊の事務所、日系合弁企業が多数ある。」との事です。
ぺチャの運ちゃんが日本語を話せる理由は、当然日本人客が多いからだろう。上記より考えるに観光客よりもビジネス関連が多いのでは???
グランド・ウィサタ(Grand Wisata)は、海岸沿いから2ブロック入った所にあった。エアコン、ホットシャワー、TV&朝食付きでRp175,000(2100円)、部屋を見ると清潔で広い、宿泊を決めた。
3日間シャワーを浴びていなかったので、早速シャワーを浴びた。
昼休みに入る前にペルニ社に行ってフェリーの時刻表を手に入れ様と思い、急いで出掛けた。途中、20人ほどのデモ隊を警官が取囲む様にしていた、近寄り難く道を変えて向った。
 市街風景


ペルニ社は、大きなビルの地下にあった。時刻表が欲しいと言い、指示された方向へ行くと机が並ぶ事務所内で、職員に時刻表が欲しいと伝えると横のコピー機で複写してくれた。
縮小コピーで文字が小さいが、縦:日付、横:船名の表が時刻表であった。どの船が何時何処に寄港するか分かり便利である。
乗合バスのペテペテ(ミニバス)を停め乗込んだ。マカッサル・モールの手前で降りた。運賃が分からない、先ほど降りた中学生がRp1,000(12円)払っていたので、私もRp1,000を払うと運ちゃんに怖い顔をされ、Rp2,000(25円)を渡すとOKであった。
暑い、少し歩くだけで汗だくだ。船に乗る前のヌヌカンでは、からっとしていたが、Dobonnsolo号で1000km南下し、中程で赤道を越えている為か暑い。南半球は今真夏であり、その影響もあるのか?
汗を冷ます為にマカッサル・トレードセンターに入った。1階が靴、次が服、そして携帯電話、パソコン、パソコン部品、最上階がフードコートになっていた。
船旅ではアルコール類を置いていない為4日間ビールを飲んでいなかった、早くビールが飲みたい、このフードコートでは当然ビールが無い。
近くのシーフード&中華レストランに行ったが閉まっていた。残念! 
フードコートに戻り、うどんの様なスープ麺を注文した。
今後の旅程を検討した。予定では、舟形家屋や岩窟墓の残るタナ・トラジャへ行く事になっているが、マカッサルからバスで9時間掛かり、往復では18時間である、億劫になり取り止める事にした。マカッサルからの船旅であるが、先ほど貰ったペルニ社時刻表では、フローレン島、コドモ島&ロンボグ島経由バリ島行きが8日後になっており待ちきれない。バリ島まで飛行機で行く事に決定した。

トレードセンターから港方向に行くと銀行が並ぶ、「地球の歩き方」にCentury Bankは為替レートがいいとあったので両替に行った。1万円=Rp856,000と確かにレートは良かった。
マカッサル・トレードセンターに戻る途中にライオン航空のオフィスがあるので探したが、なかなか見付からなかった。オフィスの真前に来てライオン航空のロゴに気付き入った。バリ島デンパサールまで明日便のチケットを頼んだ、席に空きがあったが、運賃が、Rp954,000(11,600円)と高い。何故? カレンダーを見ると祝日になっている。中国旧正月の為だ。明後日はどうか聞くと、席に空き有り、そして運賃が何とRp474,000(5,700円)と半額であった。但し、キャンセルは利かない。滞在費を払っても釣りが来るので明後日発のチケットを買った。7時チェックイン、9時発便である。
スーパーマーケットがあったので、ビールを置いているか聞くと、滅相も無いという顔をされた。
夕食にはまだ早かったがビールを飲みたいのでシーフード&中華レストランに行った。先ずはビールを注文して、メニューでトム・ヤム・クンを見付けてしまい注文した、インドネシアで何でタイ料理と私も思ったが口から出てしまった、イカ焼きも注文した。トム・ヤム・クンは、大きな器に入って出て来た、隣の客が4人前はあると言っていた、選定ミス&店員との意思疎通不足が原因である。エビのみを食べスープを飲んだ。イカ焼きは、テイクアウトした。締めてRp90,000(1,000円)安い。4日ぶりのビールは美味かった、大瓶1本でほろ酔い気分になった。
ホテルまでベチャに乗った。ベチャ代Rp5,000(60円)
ホテルの近くに夕日ビューポイントがあるので行った。アベックやグループで賑わっていた。
 夕日ビューポイント

 今日も夕日は雲で!!!

今日も夕日が見えず、がっかりしながらホテルに戻った。
イカ焼きを食べながら小説を読んでいると寝てしまった。就寝7時半。
夜中、打上花火の音がしていた。明日の中国旧正月の大晦日の為だ。

2月5日 インドネシア船旅

2008年05月13日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
5時20分起床。曇り
昨日と同じくアザーンの独特の節回しが流され目覚めた、そのまま起きた。同室の人はモスクに行った様だ。幾度アザーンを聞いても慣れない。
日の出を見に甲板に出た、雲で見えない、昨夜は雨が降り続いたのか?甲板が濡れていた。
売店でコーヒーを飲み、7時ごろ3等食堂で朝食を取った。女性5人が食事してる6人掛けテーブルに案内され、女性に囲まれ食事をする破目になった。外での1人食事に慣れている身には苦手な場面であり、卵焼きと御飯を少し食べて席を立った。
甲板に出ると、バリッパパン市街(カリマンタン)が見えて来た。
 バリッパパン市街

 港  中央青い屋根がペルニ社ターミナル


8時、カリマンタンのパリッパパン(Balikpapan)岸壁に接岸した。スラウェシ島のバントロアンからマカッサル海峡を横切り10時間45分かかった事になる。
 ペルニ社桟橋


ポーターが我先にと競い合ってタラップを上がって行く。下船を待つ乗客の荷物を請負う為に!
 タラップを上がるポーター


国営石油会社プルタミナがここカリマンタンのバリッパパンに在ったのか!カリマンタンと言えば、「乾期になると、カラカラに乾いた泥炭が燃えたり、くすぶったりして東南アジア全域に被害をもたらす煙害が各地で発生する。 泥炭火災による二酸化炭素排出が、カリマンタンだけで、日本の年間排出量を上回る年もあるというのだ。」と泥炭があるのは知っていたが、油田があるとは思っていなかった。ところで、油田はどこにあるのか?
 プルタミナ石油コンビナート


岸壁に接岸して2時間が経ち、そろそろ出航するだろうと思っていた頃、ボートデッキの上部に吊り下げられている救命ボートが下ろされた。船員が救命ボートに乗り込んでいた。何をしているのか?救命ボート2隻が下ろされ、それぞれ巻上げられたが、1隻が途中でガタガタと言って収まらない。側で見ていたが危険を感じキャビンに入った。
 救命ボートの可動テスト


船内を散歩していた、エコノミーデッキで船員と目が合い、出航は12時であると教えてくれた。まだ1時間半も待たなければならない。停泊時間が4時間もあるのであれば、下船してバリッパパン観光をするのに!!
11時ごろ昼食を取った、魚フライと野菜カレー味を御飯に掛けて食べた。
12時、バリッパパンを出航し、スラウェシ島のパレ・パレ(Pare-Pare)に向った。
出航して、間もなく海上に海底油田の掘削櫓が見えて来た。メキシコ湾で見た巨大な掘削櫓(プラットフォーム)では無いが、小さな掘削櫓が数多く見えた。
 海上の掘削櫓


甲板で同部屋の人に会い、チケッティングと言われた。チケットによる検札の様だ、船室に戻った。
インドネシア船旅は2日間しか過ぎていないが、少し疲れて来た。船室が冷蔵庫の様で、寒くてベッドで寝転んでくつろぐ気がしないのが原因だ。同部屋のインドネシア人は、辛抱して寝転んでいる様である。
18年前、豪華客船ふじ丸でシンガポール-東京間をクルーズした事がある。豪華な食事、アトラクション、豪華尽くしであった。今回の船旅で、当然、待遇は期待していなかったが、日の出、日の入り&島影等奇麗な風景を期待していたが天気が好くなく、今日も駄目である。
ボートデッキのベンチで小説を読んでいると中年男性が横に座り英語で話し掛けて来た。余り話が弾まなかったが、Dobonsolo号がドイツ製であり、マカッサル(Makassar)に明朝到着する事を教えてくれた。
遠くに小島が2つ次々に見えた。局地的に雨が降っていた、空と海を雨のカーテンで繋いでいる様である。今日も残念ながら空高く太陽は雲に隠れそうだ。
 海に浮かぶ小島


初めてのイスラム教国への旅行は、11年前のインドネシアのバリ島であった。しかし、バリ島は、バリヒンドゥ教であるのに、夕方グラライ国際空港に着き、タクシーで空港を出た頃、スピーカーから「コーラン」が独特の節回しで聞こえて来た。次の年にはマレーシアのペナン島に行き、ここでもホテル前のビーチにいるとスピーカーから「コーラン」が流れて来た。その経験でイスラム教とは、イスラム教徒でない者には何と押付けがましいのかと感じた事を思い出す。
スピーカーから流れて来るのは、「コーラン」では無いと聞き調べたところ、それは、アザーンと言う、礼拝への呼び掛けのこと。「ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。一日五回の礼拝の時間の前に礼拝の時間が来ることを伝え、周辺に住むムスリム(イスラム教徒)にモスクに集まるよう呼びかけるために、モスク、あるいはモスクのミナレット(尖塔)から呼びかけられる。現在は拡声器を使って流されることが多い。必ずしもアラビア語でなければならないわけではないとされるが、アラブ諸国以外のイスラム国であってもアザーンはアラビア語によって行われている。」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

館内放送でアザーンが流され、薄暗くなる頃正装or略装の人々がモスクに集まりだした。船員も多くが服を着替えモスクに向っていた。
船室は、本を読むには少し暗く、夜は階段前フロアのソファーで小説を読んだ。英語が話せる人が話しかけてくれる、「どこから来た」「どこへ行く」私も同じ事を聞いた。
明朝、スラウェシ島のマカッサルに着き、下船する。
9時半ごろ寝た。

2月4日 インドネシア船旅

2008年05月11日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
6時起床。5時30分ごろ館内放送でアザーンと呼ばれる祈りへの呼びかけが独特の節回しで流され目覚めた。イスラム教国を実感しながら、うるさいと思った。
日の出を見に急いでデッキに出たが、すでに日が昇っていた。
 朝日 遠くに山が見える。

1&2等デッキの案内所前フロアに売店があり、コーヒーを買った。口を付けると粉っぽい、店員に言うと「しばらく待て」という感じであった。3分ほど待つと沈殿していき、上澄みを飮む事が出来き、思ったより美味しかった。
ヌヌカンから南西に進んだDobonsolo号は、次の寄港地トリ・トリ(Toli-Toli)に近付いて来た。
 朝もやに覆われたトリ・トリ(Toli-Toli)

 Toli-Toliのパノラマ(合成写真 3枚を繋いでいる)

9時15分スラウェシ島のトリ・トリ(Toli-Toli)桟橋に接岸した。ヌヌカンから15時間かかった。
 Toli-Toli桟橋

乗客の乗降りを見ていた。また、トリ・トリの中心地を見ると教会らしい建物が見え、森を挟んで隣町にはモスクが見える。トリ・トリはキリスト教徒とイスラム教徒が共に暮らしている様だ。住民紛争は無いのか?
桟橋にいる女性でへジャブ(スカーフの様な布)で頭髪を隠す女性の割合を数えてみた、30%の女性がヘジャブをしていた。この女性のヘジャブ率が30%とはイスラム教国として高いのか低いのか?? 

10時45分、桟橋から船は離れ、パントロアン(Pantoloan)に向った。


Dobonsolo号は、4番デッキがエコノミークラスのキャビン、5番デッキが3等クラスのキャビン、6番デッキが1&2等クラスのキャビン、7番デッキは、ボートデッキ、8番デッキは、機械室となっている。
7番デッキの最後尾にモスクがあった。これには驚いた、さすがイスラムの国だ。シャワーが並び、洋式トイレもあり、数人がくつろいでいる。エコノミーチケットでこのモスクにおれば安上がりだ。
モスクの真上がオープンカフェでスピーカーから音楽がガンガン流れていた。聞いた事のあるメロディがありインドネシア語で日本の歌も歌われている様だ。
 エコノミークラスのキャビン

 3等クラス甲板

 ボート甲板


館内放送の後、人がデッキからキャビンに入り始めた、昨日の様に閉め出しを食らわない様に船室に戻った。船室には、新たな乗客が2人いた。眼で挨拶した。
11時ごろになってお腹がすいて来た、朝食を抜いたからだ。カフェでカップ麺を食べた。不味くは無かった。
スラウェシ島沿いに南下していた。トリ・トリを出発してからしばらく見えていた島影も今は見えない、海ばかりである。
ボート甲板のベンチで小説を読み、疲れたら海を見て過ごした。
13時に3等食堂に行って昼食を取った。インゲン?とフライドチキンを御飯に乗せて食べた。放送があるのだろうが食事の時間が分からない???
ボート甲板のベンチに座ってタバコを吸う人が多く、小説を読んでいると煙がゆらゆらと、煙たいので席を立つ。そして海を見る。
 夕日

夕方、ボート甲板をモスクから出て来たグループが乗客に話し掛けていった。誰も相手にしなかったが、1人だけモスクに付いて行った。モスクでの礼拝を勧誘している様だ。
世界最大のイスラム教徒を抱えるインドネシアで敬虔なイスラム教徒は、どの程度いるのだろう。まだ4日目のインドネシア滞在ではあるが感じるのは、日本人を仏教徒と言っている程度と同レベルのイスラム教徒が大多数である様に思う。
19時に3等食堂に行ったが、すでに閉まっていて、夕食を食いはぐれた。そこで日本から持って来たツナ缶とクラッカで済ませた。ツナ缶ではあるがセブ島以来の日本食であった。残りツナ缶2缶である。
19時45分パントロアン(Pantoloan)に着いた。トリ・トリから9時間掛かった事になる。
5番デッキから乗客の乗降りを見ていた。高齢の高僧??がお供を連れて乗船して来た。
21時15分、雨の中、バントロアンを出発し、カリマンタンのバリッパパン(Balikpapan)に向った。
今日も海は静かであった。船酔いの心配はまったく無い。
22時ごろに船室に戻り寝た。



                  Googleマップ参考

2月3日 インドネシア船旅出発

2008年05月09日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。晴れ
30分ほど散歩した後、パンとコーヒーの朝食を取った。
今日の夕方、インドネシアの船旅が始まる。夕方まで、どの様に過ごすかが問題である。小説とインターネットカフェと言ったところか?
11時にフライドチキン店に行き、チキンとファンタオレンジを取った。Rp17,000(200円)。ファンタオレンジとは懐かしい。
チェックアウト時間を確認すると13時との事。夕方まで部屋を使わせてくれと頼んだが駄目。
13時にチェックアウトし、宿泊費の請求を受けた。請求書2枚(2日分)を電卓で計算して、私に提示するが間違っていた、再度計算したがまた間違っていた。私は電卓を取り計算して逆に提示して支払った。電卓も使えない担当者がフロントにいるとは驚きである。バックパックを預けてインターネットカフェに行った。
しかし、パソコン教室を開いていてインターネットを使用できなかった。ショックであった、2時間は時間潰しが出来ると考えていたのに!!
そこで、フライドチキン店でジュース、フライドポテト&アイスクリームで2時間粘り、小説を読んだ。
更にホテルフロント前ソファーで小説を読んで1時間過ごし、16時にバックバックを担いで徒歩で港に向った。
ゲートでチケットを見せ入った。人が賑わっている方向に行くと大きな船が見えて来た。
 ペルニ社 Dobonsolo号

16時30分乗下船用タラップを上り乗船した、船員にチケットを見せると進む方向を指示してくれた。乗船したデッキは、エコノミーデッキで大勢の乗客やポーターでごった返していた。再度船員にチケットを見せた、「ステップ」と言っている、更に進むと確かに階段があった。階段を上がると3等クラス案内所があり、そこでチケットを渡しチェックインした。デポジットRp20,000(240円)を払い、キャビンとロッカーのキーを受取った。
3等キャビンは6人部屋で、入って左にロッカーが6台並び、奥に2段ベッドがあり、右側に2段ベッドが2台並んでいる。ベッドにもロッカーにもA~Fのアルファベットが付けられており、私のキーNo.はキャビンNo.+Aが付いていてAのベッドとロッカーを使用した。ベッドにはシーツが敷かれ枕はあるが毛布がない。まだ、私以外には誰も来ていない。
エアコンが効き過ぎている、個別冷房でない為キャビンでは調整出来ない、寒い。短パンと草履に履き替えデッキに出た。
荷物と人でごった返す桟橋を見たり、タワウからの航路を見たり、水上生活者の村を見ていた。
 桟橋

 タワウ航路

 水上生活


日暮れの18時にDobonsolo号は、ゆっくりと岸壁を離れた。
 岸壁

 ヌヌカンと港

日が暮れる前の薄明かりの中をDobonsolo号は、速度を上げて行った。フィリピンで遅いフェリーに乗っていたからと思うが、Dobonsolo号は大変速く、力強さを感じた。
船の各デッキを偵察していると、徐々に乗客が居なくなり気が付くと誰もデッキに居ない。デッキからドアを開け様とすると鍵が掛かっていた。閉め出しを食らった、ドアをドンドン叩くと船員が開けてくれた。チケットと言っている、部屋に戻らなければいけない様だ。部屋で検札を待った。
館内放送があってもインドネシア語が理解出来ないので大変困る。
ペルニ社の船では、食事付きである。19時過ぎに3等食堂に行った。4人分の夕食が置かれていた。食事がまだの客が4人なのか? 3等客が4人なのか? 多分後者だろう。夕食はチキン、野菜煮物&御飯の粗食だ。
部屋が寒いのと照度が低いので、案内所前フロアで小説を読んで過ごした。
9時過ぎ部屋に帰り、寝支度としてGパンに履き替え、上半身はトレーナーを着た、ベッドには毛布が無いので、フィリピンで買った布(シーツ)を被って寝た。

2月02日 ヌヌカン(インドネシア)船待ち

2008年05月05日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
6時45分起床。 晴れ
散歩に出た、徒歩では行けないと言われていた公園まで歩いた、15分で着いた。
 公園(広場)

上写真のシャッター位置に食堂があり、賑わっていた。道路を渡って公園入口から撮ったのが下写真。
 写真奥へ道路を行くとペルニ社オフィスがある。

上写真の左に銀行があり、ATMにCiti Bankカードを入れたが使用できなかった。公園(広場)写真の左横にある昨日行ったBNI銀行に行った。ATMでCiti Bankカードを使い、Rp500,000(6080円)を引出した。昨日、US$を両替したがフェリー代とホテル代を払うとインドネシア・ルピアが少なくなり心細くなったので引き下ろした。
 公園よりホテルへの戻り道 左側に市場がある。


ホテルに戻った。ジャム付き食パンとコーヒーがフロント横に置いてあり、部屋へ持ち帰り食べる様になっていた。インドネシアのホテルも宿泊費に朝食が付いている様だ。
部屋でゆっくりしているとダブルからシングルへのトランスファを言われ、スタッフが荷物を持ち、私は昨日買ったビールを冷蔵庫から出して部屋を替わった。部屋の大きさは同じだがバス・トイレが狭かった、これで十分である。
移った部屋が2階にあり、3階への階段が在ったので上がると更に階段が上に続いていたので、上がると屋上に出た。
 ホテル屋上の眺望 隣の島

 ホテル屋上の眺望 海上に国境線

 ホテル屋上の眺望 公園方向

 ホテル屋上の眺望 島内陸

 ホテル屋上の眺望 島内陸


屋上から見えた海へ向う真っ直ぐな道を行ってみる事にした、ひょっとすると港に行けるかも知れない。
ホテル前から真っ直ぐな道を行くと低い丘に学校があった。何か行事中で子供が食事を運んでいた。そこを通り抜けると船の大きな煙突の先端が見えるが港には行けなかった、水上生活者の村で行き止りであった。
ホテル前まで戻り、大通りを港に向った。
 モニュメントの右へ行くと港、奥の道路を行くとホテル

 港のゲート 左建物チケット売り場&ホテル

宿泊ホテルからゲートまで徒歩15分であった。モニュメントとゲートの中間付近にホテルがあり、ゲート付近にもホテルが2軒あり、食堂もあった。
何もないヌヌカンで船待ちするのであれば、ゲート前付近で宿泊するのも1つの方法かも知れない。もう1つはタワウ(マレーシア)で船待ちしフェリーの寄港に合わせてヌヌカンに入国する。このタワウで船待ちが一番良さそうである。
ホテルに戻り、インターネットカフェがあるか尋ねると、フライドチキン店の手前にあるとの事で行ってみた。子供がゲームをしていた、奥にも部屋があり覗いて見るとパソコンが並んでいた。1時間Rp7,000(85円)
ホテルでゆっくりし、夜はビールを飲んで早く寝た。


2月01日 ヌヌカン(インドネシア)へ

2008年05月03日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。 晴れ
カメラを持って散歩に出た。4車線道路に出て海岸に向かい、海岸沿いに桟橋まで行った。
 4車線道路(奥に野菜マーケットがみえる。)

 海岸


ホテルに戻り、横の食堂で汁そばとコーヒー(コンデンスミルク入り)を飲んだ。RM6.5(230円)。
9時45分にチェックアウトして、バックパックを担いで桟橋まで歩いた。
チケット売り場でヌヌカン(Nunukan)行きチケットを購入した。パスポートと運賃RM40(1400円)を渡すとチケットとインドネシア入出国カード&パスポートが戻ってきた。入出国カードの搭乗便名欄にボート名&No.のスタンプが押してあった、入国用、出国用共にスタンプが押してあった。出国用のボート名&No.のスタンプは、インドネシア入国要件の出国用チケットの代用か?????
イミグレーションに行くと長い列が出来ていた、「ヌヌカン」と言って客に確認してその列に並んだ。
 イミグレーション

並んで順番を待っていると最前列の人が手招きしている、俺かと自分を自分で指差すとその様だ。年配者or外国人を優先して出国審査所に通してくれた。
無事出国し、桟橋に行った。手を出すのでスタッフの検札だと思いチケットを渡すと、物売りで高速船の座席まで案内された、売り込みにあうが無視した。
乗船したのが10時30分で出発まで1時間あった。桟橋から写真を撮ったし、インドネシア出入国カードの記入をしたり、小説を読んで時間を潰した。席が埋まってきた頃、船員が来てチケットをチェックされ、この席ではない、付いて来いと言われ行くと二階の1等席であった。エコノミーと1等があるのを知らなかったし、教えてもくれなかった! 1等席は座席幅も広く、10席ほどしかなかった。
 ヌヌカン(Nunukan)行き高速船


11時50分出発し、湾の奥に向った。ヌヌカンからのタワウ行き高速船とすれ違った。
 タワウ行き高速船

湾奥で島を回り込んだ辺りからヌヌカンにかけてマングローブが茂っていた。これほどのマングローブ林を見るのは初めてだ。高速船の窓越し曇った窓ガラス越しに見なければならないのが残念である。
13時にヌヌカン(インドネシア カリマンタン)に着いた。タワウから1時間10分で国境を越え、インドネシア カリマンタン最北端の町ヌヌカンに着いた。
 高速船乗り場(ヌヌカン)

乗客の後に付いて行き、入国審査所に並んだ。係官に「どこに行くのか?」と質問され「マカッサル&バリ」と答え、次の質問は無かった、無事入国スタンプを押してくれた。スタンプ内にボールペンで書かれた「30」の数字で滞在期間30日が可能であるのを確認した。
 入出国審査所(青い屋根)

入国審査所を出ると両替屋が声を掛けられた、参考にレートを聞くとUS$1=Rp8500との事。次にベモ(ミニバス)の運ちゃんが声を掛けた。ホテル名を言ったが知らないと言われてしまい、ホテルの紹介を頼んだ。ベモ代の交渉でRp30,000をRp20,000に交渉成立した。
途中、両替所とフェリーのペルニ社オフィスに寄る様に言った。両替所は無い様で銀行に行ってもらう事にした。まず、ペルニ社に行ったが休憩中で閉まっていた。次の寄港情報が掲示されていたのでメモした。それに依ると2月3日17時発船名KM.Dobonsoloが寄港する。2日間の船待ちで済みそうだ。
次にペルニ社オフィスの近くにあるBNI銀行に着いた。オフィスのドアを押したが開かない、「ツツプ」と聞こえた、ドア横の客が言ったのだ。ドアに「Tutup」と掛かっていた。日本で言う所の「準備中orClose」である。お蔭で以後Tutupは覚え役に立った。敷地内に少し客がいたのはOpenを待っていたのだ。
すぐにオフィスが開き、ベモの運ちゃんと一緒に入った。これだけの客がどこにいたのかと思うほど大勢の客がいた。客の誘導をしているガードマンに運ちゃんが何と言ったのか分からないが、私は店長?ディスクに案内された。「どこから来た?」「日本」「旅行か?」「そうだ、ペルニ社のフェリーで船旅をし、バリ島&ジャワ島を周る」「インドネシア語は話せるのか」「話せない」「フェリーでインドネシア人に言葉を教えてもらえ!」「それは、良いアイデアだ!」と英語で話していると担当者が来た。レートを聞くとUS$1=Rp9,000で、US$150の両替を依頼した。
「タワウから来たのか。」「そうだ。1時間でヌヌカンに来れた。」「我々は病人が出たらタワウに連れて行く。」 ヌヌカンに最も近いインドネシアの町は、タラカン(Tarakan)でヌヌカンから高速船で2時間ほど掛かる。その為、隣国のマレーシアであるが最も近くて大きな病院のあるタワウに搬送する様だ。
担当者がUS$150=Rp1,350,000を持って来た、インドネシア・ルピアを数えて確認後、ATMでCity Bankカードが使えるか聞くと使えない、VISAカードなら使えると言っていた。それならCity Bankカードも使えるはずだと思った。
 公園 周りに銀行がある。半旗はスハルト元大統領が亡くなられた為。


ホテルは大通りから少し入ったところにあるLenflin Hotelを紹介された。今日はシングルルームが空いていない、ダブルRp220,000(2690円)、シングルRp165,000(2000円)、部屋を見せてもらい決めた。
ベモの運ちゃんにチップも含めてRp40,000(500円)払った。お蔭でヌヌカンの町が把握できた。
短パンと草履に履き替え、もう一度ペルニ社オフィスに行くべく、フロントでペルニ社オフィスまで徒歩で何分掛かるか尋ねたところ、歩いてはいけないと言う。スタッフがバイクで行ってくれる事になり向った。
オフィスは開いていた、チケット売り場で時刻表を貰い、2月3日発 KM.DOBONSOLOのマカッサル(Makassar)行きチケットを買いたい、 3等運賃はいくらか聞くとRp620,000(7560円)、参考にエコノミーは、Rp355,000(4330円)であった。3等チケットを購入した。17時発となっているが搭乗時間は何時かと聞くと、あなたは、18時でもかまわない。2/3は日曜日で作業者が少ないので出航が遅れるので!
ホテルスタッフのバイクで帰った。チップにRp10,000(120円)を渡した。
ホテルにレストランが無く、食事はどこで取ればいいのか聞くと近くにフライドチキン店、ホテル前に食堂があるとの事。フライドチキン店に行き、チキンとオレンジジュースを飲んだ。Rp16,000(200円)。
夕方、フロントでビールを入手したいが、どうすればいいかと尋ねた。どこからか短刀を持った男が現れ、おれが案内すると言った。ガードマンのバイクの後ろに乗り、ビールを買いに行った。そこは、テーブルはあるが、雰囲気的に食堂では無さそうだ。冷蔵ショーケースに入った大瓶ビールを発見した。ビンタンビール大瓶2本を買った。1本Rp18,000(220円)
ホテルに帰り、ガードマンにRp5,000(60円)チップを渡した。ヌヌカンは、どこも歩いて行けそうだ、明日から歩こう。
ホテルの部屋にある冷蔵庫にビールを入れ、ホテル前の食堂で夕食を取った。チャプチャイ(中華風野菜炒め)を注文したが、材料が無く出来ないらしい。ナシゴレンとコーラーを頼んだ。ナシゴレンは美味かった。Rp16,000(200円)。短パンでは、蚊に刺された。
夕食後、部屋でビンタンビールを飲んだ、こくが無く薄く感じた。

 ヌヌカン(Nunukan)発着時刻表