6時起床。
今夜22時35分発プリー行き夜行列車に乗る。ほとんど1日、コルカタに滞在することになるが、どう過ごそうか。
インド博物館には行こうと考えているが、他に候補はないかとガイドブックを読んだが、興味をひくところがなかった。
昨日昼から洗濯したポロシャツも乾いていた。天井ファンの威力だ!
8時過ぎ、朝食に行った。
今日も相席に案内された、1人だからか? テーブルの半分は空いているが?
若い西欧人が1人で入って来た、相席を要求しないで空いているテーブルに誘導した??
東洋人を差別しているのか??? 不愉快だ!
このホテルは、英国?ばあさんがオーナーである。 横のテーブルが予約席になっている。昨日、そこでばあさんが朝食を取りインド人従業員を呼んで何か長々と話していた。
10時にチェックアウトした。2泊分Rs5221(9,130円)を支払った。
バックパックを預かってくれる様に頼んだ。バックパックを受取ったのは警備員だった。
インド博物館に行った。サダル・ストリートからチョウロンギ通りに回り込んで所にあり、大変近い。
入場券Rs150(270円)を購入し、入場しようとすると横に案内された、手荷物預かり所であった。
カメラを出し、ディバックを預けた。
カメラを持っているとカメラ持込み料Rs50(90円)を取られた。
ゆっくり見たら、2日かかり、急いでいても半日程度の時間をかけ見学しようとある。
時間は十分にあるが、何時間見て歩けるか、興味をひく展示があるのか?
インド博物館中庭
石像展示場
Bodhisattva(仏教菩薩) Avalokitesvara(観世音菩薩)
日本の菩薩像とは随分と違う。
写真が小さくてよく分からないかも知れないが西欧人風の顔立ちである。
石像を中心に見た。
仏教がヒンドゥー教より古い宗教である事を知った。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教は、仏教より古いが!!
見学に疲れたら、ベンチに座り小説を読んだ。
考古学以外に、民俗学、地理学、動物、美術工芸品の展示もあり、インド各地から集めた鉱物を展示されていて水晶原石が目を引いた。
3時間ほど見学してホテルに戻った。
13時30分ごろになっていた。
ホテルのレストランでチーズサンドイッチとビール小を取った。
昼間から大瓶ビールはいかがな物かと思って小瓶を頼んだが物足りなくビール小を追加した。
まだ、14時30分である。
どの様に時間を潰そうか?
インターネット・カフェに行く事にし、その前に両替屋に寄った。
インドの地方に行く前に両替率の良いコルカタで両替しておく事にした。
1万円がRs6,050になった。手数料は、1.57%と大変リーズナブルであった。両替屋は税金を払っていないのだから闇両替となるのか?
サダル・ストリートの路地
客引きがどこへ行くのか聞いて来たので、インターネット・カフェと言うと路地を指差したのでその路地を入って行った。
インターネット・カフェの看板を見付けた、ドアに日本語で何か書いてあった。
旅行社を兼ねている様だ、いや旅行社がメインでインターネット・カフェを兼ねている様だ。小さな店だ。
インターネットを使いたいと言うとパスポートのコピーを取られた。
インターネットを使っている時、日本人女性がチケットを取りに来たり、日本語入力をしたいのですがどうすればいいのですか?と尋ねられたりと日本人の利用が多い様だ。
2時間インターネットをしてホテルに戻った。
バックパックを預けた整備員に「何時出発するのか?」と聞かれ、今夜、プリーに列車で向うと答えると、プリー・エクスプレス22時35分発だろうと言われた。レストランで21時ごろまで寝て過ごせ!と言っていた。
今、17時だ、4時間ある。
レストランでビールを飲みながら日記を書いた。
蚊に刺された、スタッフに蚊がいると言うと、天井ファンのあるテーブルに移れと言われ、天井ファンのスイッチを入れてくれた。
18時ごろから地元民が酒を飲みに集まり始め、19時ごろに宿泊客の西欧人が食事に来た。
ビールを飲みながら小説を読んでいると、後のテーブルから「なま○△は、何△×か?」と日本語で声を掛けられた。
オーストラリアの若いカップルで、女性の方が高校で日本語を取っていたとの事であった。
私が本を読んでいたので、ひらがなが目に入ったのだろう。
インドに来て何日になりますか?と英語で聞かれ、3日目ですと答え、あなた達は?と聞くと今着いたところだと言っていた。
オーストラリアから直行便があるのか尋ねると、インドへの直行便はない、バンコク乗換えでコルカタに着いたと言っていた。
今日の夜行列車でプリーに行くと話すと駅のチケットオフィスは混んでいたかと聞かれた。
昨日、イースタン・レイルウエイ予約オフィスでチケットを買ったが客は私だけであったと、ガイドブックのイースタン・レイルウエイ予約オフィスの英語表記を示した。外国人用オフィスだから便利だと伝えた。
まだ、20時で早いがハウラー駅に行く事にした。
オーストラリアの若いカップルに良い旅行をと挨拶した。
整備員からバックパックを受け取り、彼がタクシーを呼びに行った。
運ちゃんと運賃交渉した、Rs350と吹っ掛けられた、Rs80と聞いていたので大きな声でRs80と怒鳴ってやた。
警備員は逃げて行った。運ちゃんに渋滞しているのでと、気の弱そうに言われた。
Rs200でOKした。整備員は手数料を運ちゃんから取るのだろう、彼にはチップを渡さなかった。
20時30分ごろ、ハウラー駅に着いた。
列車名&列車番号、発車時刻、プラットホームNo.などの案内のための電光掲示板を見たが、早く着過ぎたのか、まだ、私の乗る列車の掲示がなかった。
コンコースに椅子が並び、床にはシートを敷いて人が座ったり横になっている区域があった。座れる椅子がないか探したがない。
プリー行きチケット
コンコースに案内所?があり若い男女がいたのでチケットを見せてプラットホームを尋ねた。
プラットホームNo.17以上は橋を渡った向こうだと言われた。
長い高架の橋を渡って行くと8本ほどのプラットホームが並んでいた。
チケットを見せてプラットホームを尋ねると22番ホームで1時間前に入線すると教えてくれた。
22番ホームに行って見た。掲示板に人が群がっていたので覗いて見ると、プリントアウトされた連続紙が貼り付けられていた。ウエイティングリスト(キャンセル待ち)に対する最終座席リストであった。
ハウラー駅は行き止り駅で線路が切れた付近がコンコースになっていて、乗客はシートを敷いて荷物を置き、座ったり寝転んだりしていた。
私は柱の基礎コンクリート部にわずかな空きがあったので座った。
中国人かと声を掛けられた、日本人と答えた。
どこへ行くのか?と聞かれプリーと答えると、彼らもプリーに行くと言っていた。
彼らが荷物を持って移動した、列車が入って来たのだ。
発車の45分前に列車が22番ホームに入って来た。
チケットに車両名 B1、シート No.20とある。私の座席を捜さなければならない。
車両は、手前からファーストクラス、A1(A/C 2等)~A3、B1(A/C 3等)~B3、・・・と連結されていた。
車両の中ほどに三角柱の札が掛かっていて、そこに車両名 B1を発見し乗り込んだ。
奥に進むとシートNo.20を見付けた。
座席(ベッド)の配列は、枕木に平行な3段ベッドが向い合わせにあり、通路を挟んでレールに平行な2段ベッドがある。3段ベッドの中段は、まだセットされていない。
私の席は3段ベッドの下段であった。窓側に下から20、21、22とNo.が表示していた。下段、中段、上段であった。
エアコンが効いているので寒くなる前に、汗で濡れたポロシャツを着替え、長袖Tシャツとトレーナーを重ね着した。
荷物はどこに置くのだろうと思って見ていると、大きな荷物は座席の下に入れていたので、バックパックを座席下に置いた。
定刻の22時35分に列車は、ゆっくりと動き出した。
30分も経つとシーツ2枚、毛布1枚と枕でベットメイキングし始めた。
中段はどの様に作るのか見ていると、座席の背もたれを下から手前に上げてチェーン2本で吊って出来上がりであった。
2、3段目に人が上がってから、私は下段のベッドメイキングした。
貴重品のデイバックを枕元に置き、ネックウォーマーをして毛布の中に入って寝た。
今夜22時35分発プリー行き夜行列車に乗る。ほとんど1日、コルカタに滞在することになるが、どう過ごそうか。
インド博物館には行こうと考えているが、他に候補はないかとガイドブックを読んだが、興味をひくところがなかった。
昨日昼から洗濯したポロシャツも乾いていた。天井ファンの威力だ!
8時過ぎ、朝食に行った。
今日も相席に案内された、1人だからか? テーブルの半分は空いているが?
若い西欧人が1人で入って来た、相席を要求しないで空いているテーブルに誘導した??
東洋人を差別しているのか??? 不愉快だ!
このホテルは、英国?ばあさんがオーナーである。 横のテーブルが予約席になっている。昨日、そこでばあさんが朝食を取りインド人従業員を呼んで何か長々と話していた。
10時にチェックアウトした。2泊分Rs5221(9,130円)を支払った。
バックパックを預かってくれる様に頼んだ。バックパックを受取ったのは警備員だった。
インド博物館に行った。サダル・ストリートからチョウロンギ通りに回り込んで所にあり、大変近い。
入場券Rs150(270円)を購入し、入場しようとすると横に案内された、手荷物預かり所であった。
カメラを出し、ディバックを預けた。
カメラを持っているとカメラ持込み料Rs50(90円)を取られた。
ゆっくり見たら、2日かかり、急いでいても半日程度の時間をかけ見学しようとある。
時間は十分にあるが、何時間見て歩けるか、興味をひく展示があるのか?
インド博物館中庭
石像展示場
Bodhisattva(仏教菩薩) Avalokitesvara(観世音菩薩)
日本の菩薩像とは随分と違う。
写真が小さくてよく分からないかも知れないが西欧人風の顔立ちである。
石像を中心に見た。
仏教がヒンドゥー教より古い宗教である事を知った。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教は、仏教より古いが!!
見学に疲れたら、ベンチに座り小説を読んだ。
考古学以外に、民俗学、地理学、動物、美術工芸品の展示もあり、インド各地から集めた鉱物を展示されていて水晶原石が目を引いた。
3時間ほど見学してホテルに戻った。
13時30分ごろになっていた。
ホテルのレストランでチーズサンドイッチとビール小を取った。
昼間から大瓶ビールはいかがな物かと思って小瓶を頼んだが物足りなくビール小を追加した。
まだ、14時30分である。
どの様に時間を潰そうか?
インターネット・カフェに行く事にし、その前に両替屋に寄った。
インドの地方に行く前に両替率の良いコルカタで両替しておく事にした。
1万円がRs6,050になった。手数料は、1.57%と大変リーズナブルであった。両替屋は税金を払っていないのだから闇両替となるのか?
サダル・ストリートの路地
客引きがどこへ行くのか聞いて来たので、インターネット・カフェと言うと路地を指差したのでその路地を入って行った。
インターネット・カフェの看板を見付けた、ドアに日本語で何か書いてあった。
旅行社を兼ねている様だ、いや旅行社がメインでインターネット・カフェを兼ねている様だ。小さな店だ。
インターネットを使いたいと言うとパスポートのコピーを取られた。
インターネットを使っている時、日本人女性がチケットを取りに来たり、日本語入力をしたいのですがどうすればいいのですか?と尋ねられたりと日本人の利用が多い様だ。
2時間インターネットをしてホテルに戻った。
バックパックを預けた整備員に「何時出発するのか?」と聞かれ、今夜、プリーに列車で向うと答えると、プリー・エクスプレス22時35分発だろうと言われた。レストランで21時ごろまで寝て過ごせ!と言っていた。
今、17時だ、4時間ある。
レストランでビールを飲みながら日記を書いた。
蚊に刺された、スタッフに蚊がいると言うと、天井ファンのあるテーブルに移れと言われ、天井ファンのスイッチを入れてくれた。
18時ごろから地元民が酒を飲みに集まり始め、19時ごろに宿泊客の西欧人が食事に来た。
ビールを飲みながら小説を読んでいると、後のテーブルから「なま○△は、何△×か?」と日本語で声を掛けられた。
オーストラリアの若いカップルで、女性の方が高校で日本語を取っていたとの事であった。
私が本を読んでいたので、ひらがなが目に入ったのだろう。
インドに来て何日になりますか?と英語で聞かれ、3日目ですと答え、あなた達は?と聞くと今着いたところだと言っていた。
オーストラリアから直行便があるのか尋ねると、インドへの直行便はない、バンコク乗換えでコルカタに着いたと言っていた。
今日の夜行列車でプリーに行くと話すと駅のチケットオフィスは混んでいたかと聞かれた。
昨日、イースタン・レイルウエイ予約オフィスでチケットを買ったが客は私だけであったと、ガイドブックのイースタン・レイルウエイ予約オフィスの英語表記を示した。外国人用オフィスだから便利だと伝えた。
まだ、20時で早いがハウラー駅に行く事にした。
オーストラリアの若いカップルに良い旅行をと挨拶した。
整備員からバックパックを受け取り、彼がタクシーを呼びに行った。
運ちゃんと運賃交渉した、Rs350と吹っ掛けられた、Rs80と聞いていたので大きな声でRs80と怒鳴ってやた。
警備員は逃げて行った。運ちゃんに渋滞しているのでと、気の弱そうに言われた。
Rs200でOKした。整備員は手数料を運ちゃんから取るのだろう、彼にはチップを渡さなかった。
20時30分ごろ、ハウラー駅に着いた。
列車名&列車番号、発車時刻、プラットホームNo.などの案内のための電光掲示板を見たが、早く着過ぎたのか、まだ、私の乗る列車の掲示がなかった。
コンコースに椅子が並び、床にはシートを敷いて人が座ったり横になっている区域があった。座れる椅子がないか探したがない。
プリー行きチケット
コンコースに案内所?があり若い男女がいたのでチケットを見せてプラットホームを尋ねた。
プラットホームNo.17以上は橋を渡った向こうだと言われた。
長い高架の橋を渡って行くと8本ほどのプラットホームが並んでいた。
チケットを見せてプラットホームを尋ねると22番ホームで1時間前に入線すると教えてくれた。
22番ホームに行って見た。掲示板に人が群がっていたので覗いて見ると、プリントアウトされた連続紙が貼り付けられていた。ウエイティングリスト(キャンセル待ち)に対する最終座席リストであった。
ハウラー駅は行き止り駅で線路が切れた付近がコンコースになっていて、乗客はシートを敷いて荷物を置き、座ったり寝転んだりしていた。
私は柱の基礎コンクリート部にわずかな空きがあったので座った。
中国人かと声を掛けられた、日本人と答えた。
どこへ行くのか?と聞かれプリーと答えると、彼らもプリーに行くと言っていた。
彼らが荷物を持って移動した、列車が入って来たのだ。
発車の45分前に列車が22番ホームに入って来た。
チケットに車両名 B1、シート No.20とある。私の座席を捜さなければならない。
車両は、手前からファーストクラス、A1(A/C 2等)~A3、B1(A/C 3等)~B3、・・・と連結されていた。
車両の中ほどに三角柱の札が掛かっていて、そこに車両名 B1を発見し乗り込んだ。
奥に進むとシートNo.20を見付けた。
座席(ベッド)の配列は、枕木に平行な3段ベッドが向い合わせにあり、通路を挟んでレールに平行な2段ベッドがある。3段ベッドの中段は、まだセットされていない。
私の席は3段ベッドの下段であった。窓側に下から20、21、22とNo.が表示していた。下段、中段、上段であった。
エアコンが効いているので寒くなる前に、汗で濡れたポロシャツを着替え、長袖Tシャツとトレーナーを重ね着した。
荷物はどこに置くのだろうと思って見ていると、大きな荷物は座席の下に入れていたので、バックパックを座席下に置いた。
定刻の22時35分に列車は、ゆっくりと動き出した。
30分も経つとシーツ2枚、毛布1枚と枕でベットメイキングし始めた。
中段はどの様に作るのか見ていると、座席の背もたれを下から手前に上げてチェーン2本で吊って出来上がりであった。
2、3段目に人が上がってから、私は下段のベッドメイキングした。
貴重品のデイバックを枕元に置き、ネックウォーマーをして毛布の中に入って寝た。