いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

ミャンマー旅行 2月25日 帰国

2011年05月03日 | ミャンマー旅行
5時起床。ウェークアップコールで起こされた。
今日8時25分発成田行き飛行機でバンコクを立ち、成田で伊丹行きに乗り換える。
自宅に着くのは21時ごろになる。長い1日になりそうだ。

5時40分フロントでチェックアウトし、デポジットから宿泊費を引いたTHB310を受取った。
トレーナーを部屋に忘れた事に気付き取りに上がった。エレベーターの扉が開くとスタッフがトレーナーを持って待っていた。
(昨日デポジットのTHB1,000をクレジットカードで支払ったが手数料は取られていなかった。ホテルの支払いにクレジットカードを使うと3%の手数料を取られるのが普通なバンコクであるが、そうでもないホテルがあるのか????)

エアポート・レール・リンクのラムカムヘン駅で空港行き1番電車を待った、6時6分に入って来て空港に向った。
15分で空港に着き、ANAチェックインカウンターに行った。
荷物を預け、伊丹で受取れるのか聞こうとすると、バッゲージ・クレーム・タグを貼り付けた案内文を渡された。
そこには、日本語で成田、羽田空港経由で日本国内線に乗り継ぐ場合、経由地で荷物を引取り税関検査を終了して下さいとあった。
即ち、搭乗券は国内線の伊丹分も渡すが、バンコクで預けた荷物は伊丹まで行かないと言う事であった。

搭乗時間の8時まで1時間30分もあるので、出発フロアをぶらついた。
 出発フロア
 
 コンコース外観


イミグレーションに行き並んだ。
ここはいつも混雑し長時間並ばされる。
フロアには出国者で溢れ、深刻な問題になっているそうです。
審査官の私語を無くせば、解決できるとも言われている。
無事出国でき、搭乗ゲートに向う。
免税店、土産物店、レストランなどが並ぶコンコースを歩く。
搭乗ゲートD6に向っていた、D5の表示を見付け、D6~D20の表示はこの先を示していた。
すぐにD6があるのだろうと思い行くと無い、店舗が続いた。
店舗が途切れるころ、D6~D12の表示があり進むとゲートが並んでいた。
当然D5近くまで戻らなければならない、200mほど行くとD6ゲートがあった。
表示に騙された。客の利便性より店の売り上げを優先する論理が働いているのだろう。
日本なら生真面目にD5表示のところにD5~D8の表示を付けるだろう。

座席はいつも通路側をとるが、今日は朝便なので外の風景を楽しめるだろうと窓側を予約していた。
搭乗ブリッジから飛行機は離れた。滑走路まで大渋滞であった。離陸するまでに30分ほど掛かった。


メコン川を見ようと気を付けていたが、見逃してしまった。
逆光ではっきりとは見えないが薄く川が見えた、メコン川かと思ったが直ぐに海岸線が見えて来た為メコン川ではなかった。
ベトナムのダナン付近で南シナ海に出た。
 ダナン付近海岸線


機内画面に地図上で現在地を表示していた。
台湾南端の海上を飛行中であった。
台湾南端の墾丁(ケンティン)が見えるかと期待したが、海しか見えなかった。
私の座席が右側で左側であれば見えたかも知れない。

沖縄の小さな島が見えた。
飛行場が見えた。また飛行場があった。更に大きな飛行場が見えた。(Googleアースで見ると、那覇空港と普天間、嘉手納基地であった。)
 那覇空港の西方向


銚子だろうか? 利根川を上がり霞ヶ浦に回り込み成田空港に着陸した。
入国審査を通り、荷物受け取りのターンテーブルでバックパックを待った。
伊丹への乗換え時間が1時間30分しかない、バックパックが出て来るまで遅かった。
往路と同じで、国内線ターミナルに移動しなければならないと思っていたので焦った。
しかし、同じターミナル1であった為、歩いて行けた。

ANAチェックインカウンターは混雑していた。
搭乗券は持っていたがバックパックを預けたかった。
これに並んだら搭乗時間17時30分には間に合わない。
通りかかった職員に伊丹行きに乗るのだけれど、これでは間に合わないと言うと、この列に並んでいる人々はその時間帯の乗客だとの事。
驚いた! 「みんなで遅れれば恐くない!!!」と言っている様であった。
バックパックを預けねばならない理由があったが、荷物検査でチェックにかかったら、その時・・・・・!
バックパックを預けずにセキュリティチェックを通った。

搭乗口の売店でうどん、そばを売っていた。大阪はうどんだが、関東はそばが美味いので「たぬき」を頼んだ。
すると、写真入りメニューを見せられた。
ここは、まだ外国か!!! 日本に帰って来たところなのに!!
日本各地で、うどん、そばの呼び名が違うので、また外国人も多いので写真入りメニューが必要なのだろう。
メニューのたねきは、大阪で言うところのきざみそばであったので、揚げ入りそばの写真に指差した。
あまり美味く無かった。
新聞を買って読み、搭乗を待った。
定刻に搭乗して出発を待った。新聞を読みふけっていてふと気付いた時、飛行中だと思っていたが、まだ停まっていた。
1時間遅れで出発し、1時間遅れの20時に伊丹に着いた。

無事、帰国した。

ホームページ団塊のバックパッカーにミャンマーの写真集をアップしますので、また、覗いてみて下さい。
このホームページのアクセスカウンターの所に「ホストdion.ne.jpは公認していない。」と表示されていた。今は、アクセスカウンターを削除したので表示はない。
Dionホームページの容量が無料枠が越えそうなので、無料のFC2ホームページに「団塊のバックパッカー地図編」を作った。
去年10月のスリランカ旅行写真集のデーターは、FC2ホームページの「団塊のバックパッカー地図編」にあり、「団塊のバックパッカー」とリンクを貼っている。
そのリンクの貼り方が、まずいのだろう。
なにぶんHTML言語で一から打ち込んでホームページを作っているので、思い通りにならない。
ホームページ作成ソフトを使えば簡単なのかも知れないが!!! 今のところ、そのつもりは無い。
アクセスカウンターが再表示されたら、問題解決と思って下さい。

ミャンマー旅行 2月24日 バンコクへ

2011年04月30日 | ミャンマー旅行
5時45分、アラームが鳴った。
携帯電話を取り、アラームを止めた。
まもなくして電話が鳴った。ウェークアップコールであった。

6時10分、朝食にレストランへ行った。
中華料理と西欧人向けにトーストがある。これでは西欧人が不利である。
私は、トースト、コーヒー、オレンジジュース、野菜炒めを取った。玉子料理が無い。
ウエイトレスを話し掛けてきた、聞き返すとフライド・エッグorオムレスと言ったのでオムレツを頼んだ。
最後にスイカが食べた。

6時45分、チェックアウトし空港まで歩いた。
出発ロビーに入って行くとチケット売場の様な窓口に外国人が並んでいた。
空港使用税US$10を払う場所だろうと私も並んだ。
次にエアアジアのチェックインカウンターに並んだ。
私の前に並んでいた女性の前にロシア人グループがカートを斜め後ろから突っ込んで来た。横入りである。
思わず、私は「Go back!」と叫んでいた。
不服そうに「どこまで?外までか?・・・」の様な事を言っていた。
私は更に「line!」と叫んでいた。
ロシア人は私の後ろに並んでここでいいのか?と言ってきた。
「Up to you!」(あんた次第や!)と言ってやった。
とっさの事で、叫んだ英語が正しいのか「Up to you!」以外は自信がなかった。
2週間前ヤンゴン国際空港に着いた時、入国審査でロシア人に大勢横入りされ、呆れたが、今日は思わず叫んでいた。
 チェックインカウンター


2階に上がり出国審査を受けた。
手荷物検査を受けて搭乗ゲートの待合室に入った。
売店に寄るのを忘れていた。水を買うつもりでいたが買えずにミャンマー・チャット2,400K(\240)残ってしまった。
7時50分の搭乗時間が来ても、エアアジアの飛行機はまだ到着していなかった。
8時20分ごろ到着し、20分遅れで8時50分ごろ搭乗ブリッジから飛行機は離れた。
 ヤンゴン国際空港駐機場風景


私の横に日本人?の30代夫婦が座った。旦那さんが文庫本を広げたので日本人だと確認できた。
機内販売のワゴンが来た、搭乗券を見せ、ホッドドックとインスタントコーヒーを受取った。
チケット購入時にホットドックを予約購入していたのだ。
朝食後、3時間経っていたので、ぺろっと平らげた。

横に座った日本人奥さんに、旅行ですか仕事ですかと話し掛けた。
彼らも、旅行でバガンからインレー湖に行ったそうだ。インレー湖への道は悪く大変な道中だったと言っていた。
私は、それが有るのでエーヤワディー川沿いに南下してピイに行った、ピイにはミャンマー三大仏塔のひとつがあると話した。
食事の話になり彼らも困った様だ。私も生野菜は腹を壊すのが恐くて食べれなかった。生ビールが主食だったと話した。
インレー湖で出会った日本人ボランティアが現地スタッフの家に招かれ、断わり切れずに食事を食べたところ、案の定酷い下痢をしたそうだ。
私は米ドルの偽札をつかまされた話をした。
彼らは、私の話を聞いて、ガイドが古いUS$20札でミャンマーでは使えず、他の国では使えるのであなたのUS$20札と交換してくれと持ち掛けられたが、手持ちの米ドルが少なくミャンマー内で使わなければならないので断わった。手持ちが多ければ偽札と交換していたと話していた。
偽札のUS$20札は、いつの間にか使ったのだろう、私の財布から無くなっていた!!!!
話している間にバンコクに着いた。

タラップを下り、バスでターミナルビルへ向った。
入国審査は空いていた。
荷物受け取りのターンテーブルでバックパックを待った。
先ほどの日本人夫婦と一緒に待った。
彼らは、このままバンコクで乗り換えて上海に向かい、上海国際空港で夜を明かし朝の便で静岡空港に向う、静岡在住で今回はじめて静岡空港から海外に出たと喜んでいた。
私は今日はバンコクに泊まるが、明日の早朝に成田に向かい、乗り換えて伊丹空港に20時ごろになると話した。
ANAが大阪-バンコク20日間滞在で57,000円であったので使ったと話すと20日間も滞在できて57,000円は安いと言っていた。
荷物が来ない。
奥さんに日本に帰ったら、何を食べたいと聞かれ、お好み焼きと答えた。
それはいいですね! 私も大阪出身なんです。旦那さんに私達もお好み焼き、いや、たこ焼にしようかと話していた。
やっとバックパックが流れて来た。彼らに挨拶して別れた。 

11時ごろになっていた。エアポート・レール・リンクのある地下に向かった。
窓口で切符を買うのにラムカムヘンと言うところをカムカムヘンと言ってしまった、それでもラムカムヘンと解釈しTHB30(\82)で切符を売ってくれた。
2週間前に2泊したNasa Vegas Hotelに向った。
フロントで部屋が空いていますか? いくらですか?
THB890と言われ、THB690(\1,890)の部屋は空いてないのかと聞くと空いていない!!!
嘘付け!! そんな事ないやろーとも言えず、不服そうにOKした。前回、THB690で2泊している。
デポジットTHB1,000を要求され、THB900しか持ち合わせが無かったので、無い!と答えた。
クレジットカードでTHB1,000の支払いを要求された。
カードを渡すと別の女性にカードを渡しレシートとカードが戻って来た。
サインしているとフロントの女性同士で話していた。
サインしてレシートを渡すとTHB680の部屋が準備できたと言われた。
なにを!!と日本語で言っていた。
部屋に入ると角部屋で見晴らしが良い。
エアポート・レール・リンクの電車がこちらに向って来るのが見える。
鉄道ファンの撮り鉄にとっては堪らないだろう。
私も機嫌が直った。
何故、どこで待遇が変わったのか?

エアポート・レール・リンクとBTSスカイトレインを乗り継いでサイアム駅で降りた。
お気に入りのイカと野菜を和えたスパイシーな料理を食べに行った。ボイルしたイカと香菜、ニラ、玉ねぎ、唐辛子を混ぜ合わせたものでビールと一緒に食べると美味い。
マーブンクローン・センターMBKに行った。
MBK内をぶらぶらして、ホテルに戻った。

部屋で昼寝。
夕方、食事にMBKに行った。
8番らーめんで冷麺とギョーザを食べた。
美味く無かった。味が落ちたのか? MBKの8番らーめんが2軒あり、いつも行く店ではない。
 MBK、サイアム・スクエアの通り


21時就寝。

ミャンマー旅行 2月23日 ヤンゴンへ

2011年04月28日 | ミャンマー旅行
6時30分電話で起こされた。ウェークアップコールであった。
朝食は、コンチネンタルブレックファースト+オムレツである。
ミャンマーのホテルは朝食付きなので、毎日しっかり食べられた。
それに引き換え、昼食、夕食は、ビヤガーデンがあれば、生ビールと摘みでビールが主食になってしまった。

ホテルスタッフにドアをノックされた。
トックトックが迎えに来た様だ。
フロントで3泊分の宿泊費US$90を支払い、チェックアウトが終わった。
ラッキー・ドラゴンは今回の旅行で最も良いホテルであった。
 ラッキー・ドラゴン


8時にトックトックでバスターミナルに着いた。
8時30分の出発まで30分あった。ベンチに座り待った。
目の前に小田急の中古観光バスが停まっていた。それがヤンゴン行きであった。
10分遅れでバスは出発した。
窓を開けていたが砂ぼこりが酷いので閉めた。
しかし、閉めた窓を前の女性が開けようとしたので慌てて窓を開けるのを手伝った。
女性はバス酔いしている様だ。

バスは、ドライブインで停まった、トイレ休憩か? 乗客が降りて行ったので私も降りた。
トイレに行き戻ると、乗客はレストランで食事をしていた。
時計を見ると12時になっていた、昼食休憩であった。
 ドライブイン


バガンからヤンゴンまで、畑や水田の中を走る道路は、下写真の様に両側に樹木が茂り、その横に干しあがった水路が続く。
見飽きる事の無い風景、ヤンゴンに近付くに連れ水田が増え、田植えがはじまっていった。
田植えは、これから北上して行くのだろう。
 国道2号線 風景
 

15時40分、アウンミンガラー・バスセンターに着いた。
タクシーの運ちゃんに声を掛けられたが、取り合えず、ビールを飲みたかったので無視した。
流行っていそうなレストランに入った。
何故か?日本語を話せる主人がいて、応対してくれた。
焼き飯とビールを頼んだ。生ビールが出て来た。
女性僧侶2人が入って来て、私の横に立って何か言っている。お布施をくれと言っているのか? それとも乞食か?
私は乞食と思い無視した。
他の客に移って行った。地元民はいくらかの金を与える人もいた。
主人に空港までタクシーでいくらか?と日本語で聞いた。2,000~3,000Kとの事。
タクシーを停めて価格交渉、言値4,000Kを2,000Kと言ったが3,000Kとなってしまった。

20分ほどで空港に着いた。空港内に入らずに外の道路で降ろされた。
空港内に入って行くと2週間前着いた空港雰囲気と違う。
空港ビルの外に職員がいたのでホテル・インフォメーションがないか?尋ねたが無いとの事。
次にシーズンズ・オブ・ヤンゴンはどこにあるのか?尋ねた。
歩いて5分ほどのところにあるので向った。
ここが国内線ターミナルだとは、まだ気付いていなかった。

ヤンゴン国際空港前にホテル シーズンズ・オブ・ヤンゴンがある。今日はこのホテルに泊まるつもりだ。
明日朝8時30分の飛行機に乗らねばならず、空港前のホテルが便利なのでこのホテルを選んだ。
ヤンゴンでは直接ホテルに行くよりも、旅行代理店を通した方が宿泊費が安いので国際空港のホテル案内所で予約する事を考えた。

道路に出てホテルの方向に向った。すると見覚えのある空港ビルが見えた、国際線ターミナルであった。
そこではじめて先ほどのは国内線ターミナルであった事に気付いた。
到着ロビーに行き、ホテル案内所でシーズンズ・オブ・ヤンゴンの予約を取って宿泊費US$35を払った。
バウチャーは無いのかと聞くと無い、迎えに来るので待てとの事であった。

待つ間、案内所の女性と話しをした。
「明日朝の便で日本に帰る。」
「エアアジアか?」 
「そうだ!」 
「ミャンマーは1泊だけして他国に行くのか?」と変な顔をされた。無理も無い、通常到着した人がここを利用するからだ。
「ミャンマーには2週間滞在した。今日、ピイからバスでアウンミンガラー・バスセンター・・・」
「ピイからアウンミンガラー・バスセンターに着いてここに来たのか!」と嬉しそうか顔をした。

ホテル案内所前に10人ほどの東洋人グループが着いた、日本人グループかと思ったが帽子に漢字で何か書いてあった。
中国系のグループであった。中国系とは、中国本土、台湾、香港、シンガポールを指すと考える。
案内所の女性に「中国人と日本人は見分けがつくか?」と質問すると
「中国人、日本人、韓国人は同じ!!」と答えが帰って来た。

ホテルの女性スタッフが迎えに来た。彼女に付いて行くと先ほどの中国系グループも同ホテルであった。
送迎車に彼らが乗り、私は助手席に座った。
荷物の少ない私などは車に乗るまでもない近かさだった。
フロントでパスポートを見せてチェックインしようとしたが要領を得ない、バウチャーを持っていないのかと聞かれたが無い。
「空港で予約した。」と言ったが、フロントには伝わっていなかった。
そうこうしていると迎えの女性スタッフが戻って来てチェックイン出来た。
17時過ぎであった。バスを降りてから1時間20分過ぎていた。

7時間のバス移動で砂ほこりを被っているのでシャワーを浴び、着替えるとすっきりした。
ホテルの周りには何も無い。
夕食はホテルのレストランで取れば良いので、かえってホテルでゆっくりできる。

19時前にレストランに行き、瓶ビールとヌードル・スープを頼んだ。
大瓶ビールが3,000K、ヌードル・スープが6,000Kと大変高かった。
ミャンマー滞在中、大瓶ビールor生ビール3杯が2,000K(\200)と焼き飯or焼きそばが2,000K(\200)でトータル4,000K(\400)となり、これが1食の平均であった。
今日は大変高かったが、ミャンマー・チャットの残りを消化するのに良かった。
食事が終わった頃、スタッフが騒いでいた。
レストラン内の灯りに虫がいっぱい集っていた。
窓を開けたままだったのだろう。
スタッフが電気ショックの虫取りラケットを持って来てバチバチやていたが連続で使用できない様であった。
西欧人が出て来て、指示をしていた。灯りを消したら虫は出て行くので、終了後そうしろと言っている様だ。
しかし、客がいる灯りにも迫っている!!!
ここは、西欧の外資系ホテルか?
このホテルの従業員は制服を着ているが、ミャンマー人マネージャー?はポロシャツ姿だ。

フロントでウェークアップコールを5時45分で依頼した。
部屋に帰り、久し振りに携帯電話を取り出していじっていると、待受け画面の時刻表示が隅に小さく表示されているのに気付いた。
海外圏外では真ん中の大きな時刻表示が無くなるので時刻表示出来ないのだと考えていた。
それが時刻表示され、その時刻がミャンマー時間であった。
これは驚きであった。アラームを設定して試すと正常にアラームが作動したので明日朝5時45分にアラームを設定した。

21時30分就寝。

ミャンマー旅行 2月22日 ピイ滞在 タイエーキッタヤーへ

2011年04月26日 | ミャンマー旅行
7時過ぎ起床。
朝食は、今日もコンチネンタルブレックファースト+オムレツであった。
9時、出掛ける為フロントに行きキーを渡し、もう1泊すると伝えた。
ベッドメイキングは必要かと聞かれ、今日も必要ないがバスタオルは交換してくれと頼んだ。

ボーヂョーアウンサン像前に停まっていた軽トラック改造バスに乗った。
シュエサンドー・パヤーの北参道入口まで、辻ごとに停まり客待ちをする。
北参道口で大勢乗って来たので軽トラック改造バスは、勢いよく走り出した。
車掌の料金徴収で400Kを払った。
バスは右に曲がった、若い女性にバスターミナルと言っても無表情であった。
すぐにその彼女が降りろと言ってくれたので下車した。

中古の日本の観光バスが停まっていた。
ヤンゴン行きバスだろうと思っているとバス会社のスタッフが近付いてきた。
このバスはヤンゴンか?と聞いた。そうだとの事。
明日ヤンゴンに行く、朝何時にバスがあるのかと聞いても回答がない。
男がもう1人増えた。
どこにチケット・オフィスがあるのか尋ねても回答がない。
この2人は何者? 要領を得ない。
付いて来いと言われ行くと、バスターミナルがあった。
奥にバス会社のオフィスが並んでいた。
彼らはもう必要ないが、1軒のバス会社に連れて行かれた。
明日8時発ヤンゴン行きに決めチケットを買おうとすると、スタッフがどこかに電話した。
何故か?? 買えなかった。スタッフにフル?と聞くとそうだと言う????????
彼らは、口利き屋でバス会社から手数料を取ろうとして断わられたのだろう!!
別のバス会社の前を通るとバス会社のスタッフがヤンゴンかと聞いて来た。
彼らをまったく無視している。そうだと言うと明日8時30分にヤンゴン行きバスがある、料金4,100K(\420)との事でチケットを買った。
彼らのお蔭で余計な時間を費やした。


タイエーキッタヤーへ行く為、軽トラック改造バスを捜した。
バスターミナルは大通りから南に入っているので大通りに出た。
そこにトラック改造バスが停まっていた。
客のおばちゃんにモウザと言ってみた。モウザとはタイエーキッタヤーの別名である。
ただ単にモウザの方が発音し易かったから使っただけだ。
このバスが行く様だ。
モウザのどこへ行くのか?と聞かれ、パヤーヂー・パヤー、パヤーマー・パヤーや王宮跡とかガイドブックを見ながら行った。
ちょっと変な顔をされた。
車掌が運賃を徴収したのでモウザと言うと分からない様だ、おばちゃんが口添えして若い車掌は理解した様だ。300K(\30)を払った。
バスが出てすぐにおばちゃんが指差した、それはパヤーヂー・パヤーであった。
歩いて行けるほど近いところにあるとは!! おばちゃんが変な顔をした訳が分かった。
間もなくバスを降ろされた。おばちゃんが、あそこ、そしてそこをまっすぐ行けと言っていた。ことばは分からないが理解できる。
 パヤーマー・パヤー                         タイエーキッタヤー(モウザ)への道
 

タイエーキッタヤー(モウザ)への真直ぐな道を歩いていると、バイクが停まった。
乗れと言っているので乗せてもらった。
運ちゃんは、20リッターのポリ容器を片手に持っていた、片手運転である、スピードを出さないでくれ・・・!!
行き先は彼に任せていると博物館に着いた。運ちゃんにチップ500K(\50)を渡した。

タイエーキッタヤーは、古代ビルマのピュー族が築いた王国の遺跡群、ミャンマー最古のものとされる遺跡群だそうです。

博物館入口で入場料、遺跡入域料、各US$5を請求され、えー! 女性職員も申し訳なさそうにしていた。
US$10を払い入った。
小さな博物館で出土品が展示されていた、私には価値が分からないが古い遺跡であることは感じられた。
博物館から出て来るとバイクタクシーの運ちゃんがいた。
遺跡を歩いて周るつもりでいたので断わっているところに、書類を持った職員?が通りかかり、歩いて周るのは無理なのでバイクに行けと薦めてくれた。
私が案内しましょうか!となり、料金を聞くと4,000Kとの事でお願いした。
職員?は運ちゃんからバイクを借り、私を乗せて出発した。
最初に王宮跡に行った。
レンガの城壁が残っているだけで何も無い。
細い道をバイクで入って行くと発掘現場が現れた。
発掘の責任者らしき人と職員?が親しそうに話していた。
職員?は、日本で言うところ博物館の研究員か、年頃からすると館長か? 職員としておこう。
 王宮跡 発掘現場


次に半径2kmに及ぶ城壁があり、それを抜けて城壁外に出た。
ただの高さ2mほどの盛土、それとも基礎はレンガか??
城壁と言われなかったら見過ごすかも知れない。
城壁は2重になり、環濠跡が畑になっている。川の様になった環濠も2重になっている。
 城壁
 

城壁を出たところに小さな寺院(祠)があった。
大きなため池もあった、ここから王宮跡まで水を引いていたそうだ。
池の側に基壇だけが残る遺跡があった。
そこからボウボウヂー・パヤーが見えた。
ボウボウヂー・パヤーで西欧人男性を乗せたバイクタクシーと出会った。
ヘルメットを被っているところから見ると市街からバイクタクシーをチャーターしてきたのだろう。
草履を脱がねばならない、裸足でパゴダの周りを歩いた。
もう12時になっているので、日なたは石が焼け熱い、裸足ではきつい。
パゴダの中は詰まっているのか?空洞になっているのか? 尋ねた。
質問は伝わったのか?
的確な英単語が出て来ない。単純にホールと言って見ると職員もホールと何度も言った。
パゴダは中空である様だ? パゴダの上部に窓の様なものが空いている、それをホールと言っているのか?
 ボウボウヂー・パヤー


ボウボウヂー・パヤーから城壁に沿って1kmほどの間に小さな祠2つとベイタノー王女の墓があり見て回った。
暑くなって来た、職員に帽子を被る様に言われた。
城壁内に戻って行った、城壁近くに基壇だけが残る遺跡があった。
牛車のわだちが深い、バイクのペダルが土と接触しそうだ。
村の中に入って行き、村外れの祠に行った。
綺麗に草が刈り込まれていた、博物館が草刈をするのかと尋ねると村人が年2回草刈をするそうだ。
今でも村人にとって祈りの対象であった。
博物館近くに八角形のピラミットがあった、裸足でレンガの上を歩いた、レンガが太陽で焼け火傷しそうで職員と2人で走って回った。

1時間30分ほどのタイエーキッタヤー見学が終わり、博物館に戻った。
職員に4,000Kを払い、礼を言った。
バイクタクシーの運ちゃんはベンチで昼寝をしていた。
ピイ市街まで3,000Kとの事、バスで帰るのでバス停までと言うと1,000Kとの事で乗った。
バス通りで降りると、バイクタクシーを待っているおばあさんがいた。バイク待ちする小屋があった。
料金1,000Kを払っていると軽トラック改造バスが来た。
バイクの運ちゃんに、このバスに乗れと言われて乗った。
ピイと言って1,000K渡した、つり銭が戻らなかった。ピイ市街行きかバスターミナル行きか分からない??

バスはピイ市街に入って行った。
ボーヂョーアウンサン像が終点かと思っていたが、そこを右折して更に先に行ったので、適当なところで降りた。
エーヤワディー川の川縁のレストランに寄って昼食を取った。
海老ロールと生ビールを頼んだ。
ロールとは揚げ春巻きの事である。昨日食べて分かった。
昼から生ビール3杯も飲んでしまった。
エーヤワディー川は鏡の様に静かであった。
 エーヤワディー川風景


15時ごろホテルに戻り、シャワーを浴びた後、ベッドで裸で寝てしまた。
どのぐらい寝たのか、のどが痛いので目が覚めた。
やってしまったか、旅行後半によくのど風邪をひく。
エアコンをつけている訳でもなく、裸で気持ちが良い、ネックウォーマーを出して首と口を覆い、更に寝た。
次に目覚めた時には、のどの痛みも無く乾燥もなかった。
恐るべきネックウォーマーの効果、のどを暖めると免疫効果がupするそうだ。

日暮れに気付き、慌ててエーヤワディー川に夕日を見に出た。
静かなエーヤワディー川だ、対岸から客を乗せた船がこちらに向っていた。


10日前マンダレーに着いてエーヤワディー川を見てから毎日エーヤワディー川を見ている。
マンダレーからエーヤワディー川沿いに南下して、バガン、ピイと来た。
予定では、バガンからインレー湖へ行くつもりでいたが、アクセスが悪く、陰気臭い山中の湖よりはエーヤワディー川沿いのマグィ、ピイと来て良かった。
 エーヤワディー川越しの夕日


19時ごろ夕食に出た。
今までビルマ料理を避けていたが、ミャンマー滞在も後1日になり、トライすることにした。
映画館のある通りのレストランに行った。
エビカレーを頼んだ。川エビだそうだ。
エビカレー、ライス、生野菜、煮付け2皿が出た。日本の定食である。
カレーは見た目より美味しい、川エビは柔らかく歯ごたえがない、エビのプリプリ感とはまったく違った。
大皿に載った葉野菜は、腹を壊すのと回虫が恐くて食べられなかった。問題ないと思うが!!!!!
カレーとライスを半分ほど食べて終わった。
レストランにはビールが置いていなかったので、川縁のレストランに寄り生ビールを飲んだ。
歌謡ショーが始まっていた。2曲ほど聴いて帰った。

ホテルのフロントで明日朝のバスターミナルまでの足を相談すると7時45分でトックトックを手配してくれた。
ウェークアップコールを6時30分に頼んで部屋に戻った。

21時就寝。

ミャンマー旅行 2月21日 ピイ滞在

2011年04月22日 | ミャンマー旅行
8時前に起きた。
昨夜、リンゴ1ヶしか食べていなかったので腹が減った。
早めに朝食に行った。
トースト、オムレツ、コーヒー、オレンジジュース、パパイヤでしっかり食べた。

ミャンマー滞在も残り3日間になった。
3日間をどう過ごすか? 
ヤンゴンへ行くのに1日必要なので、ピイ&ヤンゴンで各1日使うかピイで2日間過ごすかの選択しかないが??
このホテルの居心地が良いので、ピイで2日間滞在する事にした。
今日はゆっくりしょう。

10時半ごろ、カメラを持って散歩に出た。
フロントにキーを渡すついでにもう1泊すると伝えた。
ホテル前がエーヤワディー川で河川敷に下りて見た。
桟橋がないので船は適当な岸に着けている様に見える。
雨季と乾季の水位の差が大き過ぎて対処にしょうがないのか?
トラックから船に荷物を運んでいるのは、頭に荷物を載せた女性が多かった。
その中に化粧をした美しい女性がいて驚いた、場違いなところにいる感じである。
 エーヤワディー川と船 
 

川沿いを歩いた、川に面したレストランがあったので覗いて見た。
川縁にテラスがある雰囲気の良いレストランだ。昼食に来よう。
その横が公園になっていた。
どうせ誰もいないのだろうと入って行くと子供連れやアベックもいた。地元の人が多く利用していた。
川沿いから市街中心地に向った。
 エーヤワディー川沿いの通り                    市街の通り
 

映画館があり上映中のポスターがあった。
 ポスター


ボーヂョーアウンサン像があるロータリーに出た。
「ビルマ建国の父」ボーヂョーアウンサン将軍は、アウンサンスーチーさんのお父さんである。
 ボーヂョーアウンサン像


ピイ駅に行って見た。
のんびりとした終着駅であった。
プラットホームには、バナナが並べられていた。
 ピイ駅
 

40分間の散歩であったが物珍しさで長く感じた。
ホテルに戻り、ベッドでゴロゴロしたり小説を読んだ。

13時ごろ、散歩で見付けた川沿いのレストランに行った。
エーヤワディー川縁にテラスがあり、パラソルとテーブルが並ぶ。
6人グループが、そのテラスで食事をしていた。生ビールがあるんだ!!
私もテラスのパラソルの下に座ったが日が当たり暑いので屋根の下に入った。
ビールを頼み、英語のメニューを見たがヌードルや焼き飯が見当たらない。
しかし、英語メニューでは何の料理なのかイメージがわかない。ビールの摘みが多い様だ。
チキン・ロール?とフライドポテトを頼んだ。
チキン・ロールとは、チキン入り揚げ春巻きであった。
トカゲと遊んでいる若い女性がいた。
胸を大きく開けたTシャツ姿のボインちゃんでトカゲを追い駆けていた。素人さんでは無さそうだ。
ステージがあるのでショーでもあるのか?
昼から生ビールを3杯も飲んでしまった。

ホテルに帰り、昼寝をした。

夕方、シュエサンドー・パヤーに行った。
ボーヂョーアウンサン像、ピイ駅前を東に真直ぐ歩くとすぐにシュエサンドー・パヤーの北参道入口の2頭の獅子が見えて来た。
 北参道入口の2頭の獅子                     北参道
 

入口で草履を脱いで裸足で参道を上った。最後の階段がきつかった。
黄金に輝く仏塔を期待していたが、改修中で残念だ。
 シュエサンドー・パヤー


エーヤワディー川とピイの町並みが一望できた。
 

サンセットまで時間があったので仏塔周りの寺を見て歩いていると、古い写真が展示されていた。
目を引いた写真は、北参道入口まで水が来ている写真と英軍兵士が北参道入口付近を行軍する写真であった。
サンセットに遭わせて欧米人10人ほどのツアー客が来ていた。
鳥が夕日の前を通り過ぎた。
夕日と鳥を写真に撮ろうとするがタイミングが合わない。
鳥の飛んで来る方をチラチラと見るものだから欧米人に不審に思われた。
 シュエサンドー・パヤーからの夕日


エーヤワディー川対岸の山に日は沈んだ。
北参道に行くと欧米人グループが先に下り始めていた。しかし、階段の降り口で職員に何か言われていた。彼らは、そこで靴を履いていたのだ。ガイドが慌てて説明していた。
私は、それを横目に下って行った。

昼行ったレストランに寄った。
エーヤワディー川縁にあるテラスのテーブルに座った。
チーズ&フライドポテト、生ビールを頼んだ。
生ビール3杯を飲み、そろそろ帰ろうかと思っていると後ろのステージで歌謡ショーが始まった。
女性の歌声が聞こえるが姿が見えない、しばらくして歌いながらステージに現れた。
終わる時も歌いながらステージから去り奥で歌い終わる。
気に入った歌手には、レイを買って渡す。
これが歌謡ショーのスタイルの様だ。
隣国タイでは、レイを渡した女性がテーブルに来て話したり、部屋に誘ったりできる。ここではどうか?


22時就寝。

 シュエサンドー・パヤーで出会った子供



ミャンマー旅行 2月20日 マグェ経由ピイへ

2011年04月19日 | ミャンマー旅行
5時30分、ドアをノックされ目覚めた。
昨夜、荷物をまとめていたのですぐにパッキング完了である。
6時チェックアウトした。昨夜ウェークアップコールを頼んだ若い女性が朝まで夜勤していた様だ。
ホテル通りをメイン・ロードに突き当ったところにバスターミナルがある。
まだ真っ暗だ、歩いて20分ほどであった。
「マグィ」と言うと「あっち」、また「マグィ」「あっち」と3回繰り返すとチケット売場に着いた。
しかし、まだ閉まっていた。

「○×の歩き方」のミャンマー地図にマグェMagwayとあるだけでそれ以上の情報は何もない。
どんなところか楽しみである。
昨日、マグィ行きのバスがあると教えてもらった時、私がマグと言うとマグと訂正された。
お蔭で今日は、マグィですぐに通じた。

薄明るくなってきてチケット売場の戸が開いた。バス会社の事務所が4軒ほど並んでいる。
チケットを買おうとしたが、後回しにされた。予約制であった様だ。
やっとチケットが買えた、6,500K(\660)であった。
バスはまだ来ていない。
 マンダレー行きバス


マンダレー行きバスが出発してからマグィ行きバスが入って来た。マンダレー行きと同じ大きさのマイクロバスであった。
私の座席は、通路に置いたプラスチック丸椅子であった。座席を指示しているおばちゃんスタッフが○×△でそこの2人が降りるのでそこに座れと私に言っている様だ。
定刻7時にバスは出発した。私の横の座席は空いている。他にも空き席がある。なぜ?
ニャウンウー街中で客を拾いながらバスは走った、車内が一杯になると男客は屋根の上に乗っていた。
郊外に出たところで私に空き席に座れと乗客が薦めてくれ、躊躇していると車掌が座れと言ってくれた。
ラッキーにも座席に座れた。プラスチック椅子とは雲泥の差である。

昨日通ったチャウッパダウンを過ぎてもヤシの木と畑の風景が続いた。
8時40分、田舎町で休憩した。女性用トイレはあるが、男性はその横の塀に向ってやっていた。
 田舎町風景


畑が続く、道路の両脇に樹木が植えられている。小さなマイクロバスは、その陰に入り太陽をさえぎる。
エーヤワディー川に面した大きな町に着いた。休憩も無く出発した!
道はエーヤワディー川から離れて行った。
畑が続く風景から丘陵地帯で低木しかない景色に変わった。崩れやすく痩せた土地の様だ。
お尻が痛い、車体のスプリングがへたっているのか!!! 道路は舗装はされている。
丘陵地帯が延々と続いた。
それが畑の風景に変わり、道路の両脇に樹木が見えた。
間のなくバスターミナルに入った、乗客が降りて行く、マグィ?と聞くとそうだった。
12時20分にマグィに着いた。
 マグィ・バスターミナル


客引きが「どこへ行く?」と聞いてきたので「ピイ」と答えた、付いて来いと言う感じであったので、出発時間を聞くと17時との事、「えー!」。
しかし、5時間もバスに乗りお尻が痛いので休憩できる、更にビールが飲めると思い歓迎である。
チケット代7,500Kを払いチケットを買った。16時30分には戻って来いとの事で、バックパックを預けた。
客引きが「昼寝をするか?」と聞いてきたのでビールが飲みたいと言うと通りのレストランに案内してくれた。ミャンマービールの看板のあるレストランにした。
客引きは、俺の客や!、日本人や!と得意げに話していた。
焼きそばとビールを頼んだ。スープを薦められたのでスープも頼んだ。

エーヤワディー川まで歩いて行けるか聞いたが、通じているのかよく分からない。
多分30分も歩けばエーヤワディー川に着くのではないか。ただの勘であるが?
ウエイトレスが英語の話せるバイクタクシーの運ちゃんを呼んで来た。それが答えであった。
エーヤワディー川を往復して料金はいくらか?聞くと3,000Kとの事。
それは高いだろうと思い、2,000Kと言うとOKした。
徒歩30分では無理で、40~50分の距離だろう。
エーヤワディー川に架かる橋が見えるところで停まった。
ここに橋が架かっている事は、マグィが重要な街なのだろう。
 エーヤワディー川に架かる橋


運ちゃんにパゴダを見たいかと聞かれ、行く事にした。
エーヤワディー川脇に黄金に輝く仏塔があった。
マグィは金持ちの街の様だ。
仏塔の名を聞くとミャッタローン・パゴダと発音した。ノートに書けと頼むと「Myathalun Pagoda in M
agway」と書いてくれた。
ミャンマーは英語教育が行き届いているのか?
観光関係者は独学で英語が話せる様になる人が多いが英語で書ける人は少ないと思う。
ミャンマーで英語を書いたのを見たのは2人目だ。
 ミャッタローン・パゴダ(Myathalun Pagoda)


 雨季には川幅一杯に川が流れる。


1時間ほどでバスターミナル前に戻った。
運ちゃんに2,000Kのところを彼が当初言った3,000Kを払った。
先ほどのレストランでペットボトルの水を頼んだ。
ビールを飲みたかったが、1時間半後にはバスにのるので辛抱した。
小説を読んで時間を潰した。
 バスターミナル前通り
 

30分前にバスターミナルに戻った。
ピイ行きバスが停まっていた、フロントに千曲バスとプレートが残っていた、日本の中古観光バスである。
 ピイ行きバス


「○×の歩き方」のミャンマー地図に省・管区都としてマグェMagwayが載っているだけだ。
また、「外国人への開放地域一覧」の地図があり、1.許可があれば入域可、2.限定された地域のみ開放&3.全域開放の3地域の分類される。バガン&ピイ間は、2.限定された地域のみ開放地域で訪問可能な都市間をバス、タクシー&船を利用するのは可能である。
しかし、訪問可能な都市としてマグェは載っていない。マグェは外国人が訪問できない都市なのか???
それ以上の情報は何もない。 


17時にバスは出発した。
畑が続く風景が再開して、道路の両脇にも樹木が植えられている。
1時間30分ほどで日が暮れ、ドライブインで休憩になった。
みんな食事をしている。私は何も食べなかった。
バスが次々と入って来た。
ヤンゴン行きバスである、私のバスもピイ行きでなくヤンゴン行きであった。
食事を終え、乗客が戻って来たがバスは出ない。
スタッフがバッテリーを交換してエンジンを掛けるとバッテリーから火花が出た。
バッテリーを元に戻し、どうするのか見ているとサイドブレーキを戻したのだろう、バスが前進しエンジンが掛かった。なぜ? 押し掛けの様だ!!!
乗客が乗り込み、出発した。

舗装道路から工事中の地道に変わった。
バスが砂ほこりを巻上げながら走るので窓を閉めた。
バスの後ろに付くと最悪だ。車掌は、ドアを閉め、乗客にも窓を閉める様に言った。
新しい道路を建設中であった。
悪路で大きくバスは揺れ、速度も出せない、対向車とすれ違うのが大変だ。
この道路を抜けるのに2時間ほど掛かった。

マグライトで照らしながら小説を読んだが目が疲れる。
バスが停まった、車掌に降りる様に言われた。
ピイ?と確認するとそうだった。
23時20分ピイに着いた。降りたのは私だけであった。
降りるとバイクタクシーの運ちゃんが声を掛けて来た。
ラッキー・ドラゴンまでいくらか聞くと3,000Kとの事で乗る事にした。
運ちゃんにバックパックを渡し、後ろに乗った。
ピイの中心地まで遠く感じた、騎馬像がある辺りで夜店が出ていた。

ラッキー・ドラゴンは、コテージタイプのホテルであった。
部屋が空いているか聞くと空いていた。
宿泊料はUS$30、部屋を見せてもらった。
シックなリゾートホテルと言った部屋で即決めた。
運ちゃんにバイクタクシー代を払い、引取ってもらった。
パスポートを提示しチェックインした。宿泊費は後払いであった。


ホテルのレストランはすでに閉まっていたので、先ほど見えた夜店に行った。
夜店まで歩いて3分ほどであった。殆ど夜店は閉まりかけていた。
閉まりそうなビヤホールで缶ビール2缶を買い、向かいのオープンエアの食堂に行った。
茹で置いたソーメンの様なヌードルを指差し注文した。
大きな釜から取ったスープをかけたスープヌードルであった。
一口食べて止めた、生温いスープヌードルで腹を壊す危険を感じた。
持ち込んだ缶ビールだけを飲んで出た。
途中、夜店でリンゴを1つ買ってホテルに帰った。
シャワーを浴びた後、リンゴとビールを飲んだ。

1時就寝。

ミャンマー旅行 2月19日 バガン滞在 ポッパ山へ

2011年04月15日 | ミャンマー旅行
7時、起床。
屋上に朝食を取りに行った。
3日連続、トースト、オムレツ、コーヒー、バナナであった。

9時前、フロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$18を払った。
シェアタクシーでポッパ山へ行くと話してタクシーを待った。
時間通りシェアタクシーが向かいに来た。
助手席に座った。シートベルトを締め様としたが壊れていた。
欧米人の若い女性は、1人しか乗っていない。
何故? 1人?と話し掛けたが答えが無い!
バガン空港、バガン駅の前を通り南に向った。
途中、椰子から砂糖やヤシ酒を作っているところを見学した。
畑の周りにヤシを植え、ヤシの実ではなく、つのの様なもの?の先端を切り落とし壷で樹液を受ける。
壷に溜まった樹液を鍋で煮詰めると白い砂糖が出来る。
この砂糖を使ってヤシ酒を蒸留させると私は英語を解釈したが????
 ヤシの木                              つのの様なところから樹液を採る
 
 樹液を煮詰めて砂糖を作る                    蒸留してヤシ酒
 

急に砂地の道に変わった、周りの風景を見ると遠くに鉄橋が架かっていた。
砂地の道は川を横切っていたのだ!!!
雨季は、どうするのだろう? フェリーがあるのか?
川を横切ること数回、チャウッパダウンの村に入り、ロータリーを左に曲がった。
バスで来る場合は、ここでトラック改造バスに乗換えなければならない。その改造バスの本数が少ないのだろう。

運ちゃんが、「ポッパ山」と教えてくれ、一瞬見えた。
しかし、木々が邪魔して見えない。更に外輪山の様な山が邪魔して、それ以降見えなくなった。
運ちゃんが言ったパッポ山とは、タウンカラッと言う岩峰の事である。
ガイドブックには、「パッポ山は標高1518mの死火山で、その山麓にあるタウンカラッと呼ばれる岩峰がある。」となっている。
しかし、どちらが正しいのか?
確認の為、標高1518mの死火山が見えるところで、運ちゃんにポッパ山と言うとポッパ山ではないと言われた。彼らにとってはパッポ山とは、岩峰の事であるらしい。
タウンカラッに着いた。チャウッパダウンから思ったより距離があった。
 タウンカラッ(ポッパ山)


トイレに行きたかったので彼女に先に行ってもらった。
レストランでトイレを借りると金を取られた。
参道の階段を上って行くと土産物屋があり、それを過ぎると草履を脱ぎ裸足にならなければならなかった。
急な階段を上がって行き、最後は梯子の様な階段を上がった。
頂上には、仏像を祀られた建物がいくつかある。
眺めはあまり良くない。裾野に広がる痩せた土地があるだけだ。

 登り口                                 頂上(登り口より)
 

降りると彼女がコーラーを飲んでいた、私を待っていた様だ。
シェアタクシーでホテルに戻った。
ガタガタの日本車だ、何十年前の車か?往復3時間ほどお尻が痛い。
13時にホテルに着いた。

タウンカラッ(ポッパ山)は、地元民には信仰の山であるが、外国人観光客にとっては、登ってもあまり景色も良くないので・・・!
タウンカラッ(ポッパ山)に登るのではなく、眺める山だと思う。
タウンカラッ(ポッパ山)向う時もタウンカラッ(ポッパ山)が見渡せなかったので残念だ。
今回行かなかったがポッパ・マウンテン・リゾートに行き、タウンカラッ(ポッパ山)を見るのが一番ではないか。
単独でタクシーをチャーター(US$30)してまで行くところではない。
 
昼食に、ビヤガーデンに行った。
木陰のあるテーブルに座り、生ビールと焼きそばを頼んだ。
昼から生ビールを3杯も飲んでしまった。

ホテルに戻り昼寝した。
鼻で息をすると鼻の奥が乾燥している。
ヒリヒリとまではいかないが咽喉を痛めそうなので、ネックウォーマーをしてマスク代わりに口も覆った。
目覚めた時には、鼻の奥も咽喉も乾燥が取れた、ネックウォーマーの効果抜群である。

夕方、散歩に出た。
メイン・ロードをマーケット方向に歩いた。
車も人も多い、ホテル、ゲストハウス、レストランが集まっているところもあり賑わっている感じであった。
日本料理店の富士Fujiと言うのがあった、オープンエアのレストランであったがなぜか?入る気がしなかった。タイの日本食レストランFujiとだぶり、イメージが悪いからか?
私が泊まっているホテル街の方が静かで良さそうである。
帰りビアガーデンに寄り、3日連続チキン△○×(油っこい筑前煮の様な)と生ビールにした。

明日ピイにバスで行く事に決めた。
昨日トランスファー○×で教えてもらった行き方である。バガン7時発→マグィ13時着、マグィ14or15時発→ピイ夜中2時着である。
ガイドブックには、バガン15時発のヤンゴン行きに乗り深夜ピイ着で途中下車するとなっている。
夜行便より昼便を選んだのだ。

フロントでウェークアップコールを5時30分で頼んだ。
部屋には電話が無い、ドアをノックして起こしてくれるのだろう。

21時就寝。

 ポッパ山で出会った子供達

ミャンマー旅行 2月18日 バガン滞在

2011年04月13日 | ミャンマー旅行
7時、起床。
屋上に朝食を取りに行った。
今日もトースト、オムレツ、コーヒー、バナナであった。

出掛ける準備をしていてデジカメ一眼レフを消し忘れていた事に気付いた。
バッテリー残量が少なくなっていた。充電には時間が掛かる。
仕方なく、今日は持つだろうと出掛ける事にした。
9時過ぎ、フロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$18を払い、今日もレンタサイクルを頼んだ。レンタサイクル代は2,000Kを払い、近所から借りて来てくれた。

昨日はメイン・ロードを行ったが、今日はそれと平行に走っているアノーヤター・ロードを行く。
「○×歩き方」には、アノーヤター・ロード沿いの仏塔&寺院の紹介がないので不安であったが、今日はニューバガン方面を重点に回るのでいいかと思い出掛けた。

アノーヤター・ロードは、片側2車線ほどの道路で植込みのある中央分離帯があり立派な道路であった。
緩やかに下っている坂道だ、帰りが大変だと思いながらレンタサイクルで走った。
しばらくするとアノーヤター・ロードの北側にGU-BYAUK-KYIという仏塔があった。
欧米人がワンボックスカーでガイドに案内されていた。
 GU-BYAUK-KYI                           GU-BYAUK-NGE  
 

更に進むとミャンマーの人々が多く参拝している寺院があった。
名前が分からない。この横に黄金仏塔があった。ミャンマー人は、そこを参拝していた。


更に進むと昨日行ったティーローミィンロー寺院が見えた。


アノーヤター・ロードの北側ばかりに仏塔や寺院があり、時々南側の遠くに小さな仏塔が見えた。
しかし、ここまで来た時、南側に人が登っている仏塔が見えた。
これは行かねばならぬ!!
道が分からない、刈取った後の畑に農道があったのでレンタサイクルを置いて歩いて向かった。
ワンボックスカー、馬車やレンタサイクルが停まっていた。
急な階段を登った。
物売りも上っていて、少しうるさい。
 BU-LE-THI


BU-LE-THIからの眺めは絶景であった。
 オールドバガンの眺め
 
 ダマヤンヂー寺院                          スラマニ寺院
 

目の前に見えたスラマニ寺院方面に道があったので行く事にした。
レンタサイクルを取りに戻り、アノーヤター・ロードを黄金仏塔まで戻れば道が有り、そこを入った。
途中、欧米人若者グループに出会い、「あそこ!」と言って教えた。
砂地の地道で硬たそうなところを選んでレンタサイクルをこぐが、砂地に突っ込むと急ブレーキが掛かる、転びそうになる事もあった。
畑の中を走りスラマニ寺院に着いた。
東西南北に仏像があり、回廊でつながっている。
 スラマニ寺院
  

スラマニ寺院の見学が終わり、コーラーを飲んで休憩した。
日本人か?と店の人が話しかけて来た。
ミャンマー人は、どこから来たの?でなく、Japanese? Chinese? Korean?と通りがかりに聞いてくる。Japanese?以外は無視をした。
明日、ポッパ山にバスで行く予定だと話したところ、バスは待ち時間が長いのでやめとけと言われた。
タクシーでUS$30との事。やはりガイドブック通りか。
次にピイまで「タクシーでいくらかかるか?」と聞くとUS$200~300との事。これでは論外である。

11時半、昨日と違い、天気が良い。これから暑くなって来そうだ。
砂地の地道を10分ほど行くとダマヤンヂー寺院に着いた。
薄気味悪い寺院で外から見るだけにした。
 ダマヤンヂー寺院
 

次にシュエサンドー・パヤーに向った。
アノーヤター・ロードに戻らなければならず、戻ったところで昨日行ったアーナンダ寺院が見えた。
 アーナンダ寺院


アノーヤター・ロードを少し行き、南に入ったところにシュエサンドー・パヤーがあった。
シュエサンドー・パヤーは「上部に上がることができ、夕日を見るには絶好のポイント」とガイドブックにある。
5段のテラスがあり、5段目まで上がる事ができた。
 シュエサンドー・パヤー






シュエサンドー・パヤーの上部から小道が見えた。畑の中を通っていた、地元の人の道だろう。
ショートカットできるのでレンタサイクルで行った。
バガンでは、外国人旅行者がバイクタクシーに乗ることを禁じられているそうです。
多分、馬車を保護するのが狙いだろうが、レンタサイクルで通った地道や小道をバイクが頻繁に通れば道は荒れ、タイヤで掘られるだろう。

アノーヤター・ロードがメイン・ロードに突き当たり、メイン・ロードをニューバガンに向った。
道はアップダウンがあった。両側に仏塔が点在し、村の中に入って行った。
右手にマヌーハ寺院があった。
入口でミャンマー・チャットの札束を輪ゴムでとめて、むき出しで持っている成金に出会った。
呆れて顔を見た、中国系ミャンマー人か?おばちゃん観光客であった。
 マヌーハ寺院
 

更に、ニューバガンに向った。
アップダウンがきつくなってきたのでレンタサイクルを降りた。
12時を過ぎ暑くなってきた。休憩!
道標が目に付いた、ビルマ語とハングル文字で書かれていた、なぜ???
まったく読めない。ミャンマー人と韓国&朝鮮人しか理解できないがろう。
道標の形をしているが道標ではないのか????

一旦休憩すると前に進むのが嫌になった。
バガン観光もこの位にしといたろか!!
Uターンして戻った、マヌーハ寺院を過ぎて少し行ったところに欧米人が多い小さなレストランがあった。
そこに入り、昼食にした。ビール大と焼きそばを頼んだ。

アノーヤター・ロードとの分岐点に来た、アノーヤター・ロードが登りになるのでメイン・ロードを行く事にした。
昨日まわったオールドバガンを通り、メイン・ロードをニャウンウーに向った。
ニャウンウーに入ると、何かスポーツ大会でもしているのか?スポーツウェアを着た人達を見掛けた。
スポーツウェア姿の人が集まっているところに体育館があり、中に入って見ると、6人でけまりをしていた。
ミャンマーのけまりはチンロンと言うそうだ。
竹製の小さなボールをサッカーのリフティングの様に6人でボールを落とさない様に蹴っていた。
チンロン大会だった。何をどう競うのか不明?
 チンロン大会


ホテル通りにオープンエアのレストランがあり、その奥にエアコンの効いたインターネットカフェがあったので入った。
日本語表示が出来ないので設定を追加してもらった。
インターネット回線速度が日本語にすると極端に遅い。使い物にならないが、がまんして30分ほど使った。

ホテルに戻り、夕日を見に行くまでゆっくりした。
一眼レフのバッテリーを充電した。今日は何とかバッテリーがもった。
充電器とプラグ変換アダプターを持ってきているのでコンセントにアダプターを差込み、充電器をセットした。

17時前に夕日を見る為にホテルを出た。
午前と同じくアノーヤター・ロードをシュエサンドー・パヤーに向った。
大型バスが追い越して行く、夕日を見にシュエサンドー・パヤーへ行くのだろうか?
シュエサンドー・パヤーは夕日ビューポイントの為、人でいっぱいになるそうだ。
午前中人が登っている仏塔を見付け私も登ったBU-LE-THIまで来た時、シュエサンドー・パヤーはまだ先だし、混雑しているだろうから、ここBU-LE-THIに変更する事にした。
2組がすでに登っていて、その1組が日本の若い夫婦であった。
夕日を見る特等席に「すいません!」と2組の間に割り込んだ。日本の方ですかと横に詰めてくれた。
夕日を見ながら情報交換した。
この仏塔は「○×の歩き方」に載っていないですね!と聞かれ、同意した。彼らは、ゲストハウスでここBU-LE-THIを薦められたそうだ。シュエサンドー・パヤーが混雑しているのがその理由である。
私は、今日の午前中にこの前を通り、たまたま知ったと話した。
次の訪問先に彼らもピイを考えているらしく、「○×の歩き方」に載っている行き方以外に、マグェで乗り換える方法もあると言っていた。
マグェは地図には載っているが、それ以外まったく情報が載っていないので二の足を踏んでいる様だ。
夕日とは反対側の眺めを楽しんで特等席に戻ると別の日本人グループも来ていた。
さすが太陽信仰を持つ日本人は日の出&日の入りには集まってくる。
太陽は背後の山の中に沈んで行くと思っていたが、意外にも高い位置の分厚い雲の中に沈んで行った。残念!!!
 BU-LE-THIからの夕日
 

 

アノーヤター・ロードを戻った、緩やかな上りであったが心配するほどでもなくレンタサイクルで上って行った。
暗くなる前にホテルに着き、シャワーを浴びた後、ゆっくりした。

夕食に行く為部屋を出た、フロントへ寄りUS$50を両替した。両替レートが悪い、US$1=800Kであった。
ポッパ山への行き方を聞いたところ、あっさりタクシーと言われてしまった。シェアタクシーはないのか?と聞くと、それはトランスファー○×と言われた。
ホテル通りにトランスファー○×と看板を見た覚えがある、ツアーデスクだろう。
ビヤガーデンに行く途中でトランスファー○×に寄った。
先客に欧米人の若い女性2人がいた。
私が行くとスタッフが声を掛けて来たので「明日、ポッパ山に行きたい、シェアタクシーはないか?」と尋ねた。
すると、あなたは、ラッキーだと言われた。先客の2人も同じで、スタッフは2人にもラッキーだと言っていた。
ポッパ山行きシェアタクシーに3人が集まったのだ。
1人当たり運賃12,000K(\1,220)を払い、明日朝、9時にホテルに迎えに来る事になった。
ついでに「ピイに船で行きたい。」と言うと船は無いと素っ気無く言われた。ガイドブックには2泊3日でピイまで船がある事になっているが、乾季の為無いのかも知れない??
次にバスで行きたいと言うと7時発マグィ行きに乗り、マグィ13時着、マグィ14or15時発でピイ夜中2時着が有るとの事。これが夕日見物の時日本人夫婦が言っていた方法であった。

昨日行ったビヤホールに行った。
昨日と同じチキン△○×(油っこい筑前煮の様な)と生ビールにした。
ミャンマーの生ビールは良く冷えて美味い。いつも3杯飲んでしまう。

21時就寝。

ミャンマー旅行 2月17日 バガン滞在

2011年04月08日 | ミャンマー旅行
                                  アーナンダ寺院
7時、起床。
屋上に朝食を取りに行った。
屋上は3階なので、それほど見晴らしが良いわけではないが、気持ちが良い。
1組の欧米人グループと2組ミャンマー人が食事をしていた。
トースト、オムレツ、コーヒー、バナナであった。
ミャンマー人は、和食でなくミャンマー食?を食べていた。

ミャンマー旅行で最も楽しみにしているバガン!!
広大な平原に数千の仏塔や寺院が残っているバガンをどう攻略するか? 
今日は、メイン・ロードを行き、道路沿いの遺跡を見た後、オールドバガンを見て回る事にした。
10時過ぎ、フロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$18を払い、レンタサイクルを頼んだ。
レンタサイクル代は2,000Kで、近所から借りて来てくれた。

宿泊しているホテルがあるニャウンウーにシュエズィーゴォン・パヤーがあり、まず、そこに向った。
今日は天気が悪い、曇天で雨が降りそうだ。
メイン・ロード前から参道が延びていた。コンクリートで造られたトンネルの様な参道で興ざめだ。
仏塔近くまで自転車で行って境内に入った。
境内はかなり広く、仏塔も立派であった。
 シュエズィーゴォン・パヤー


シュエズィーゴォン・パヤーからメイン・ロードを10分ほど自転車のペダルをこぐと遺跡が見えて来た。
道標にパヤー名があるが遠目では分からない。
名も無い遺跡も多いがモニュメントNo.が有るそうだ。
通り沿いから遺跡がたくさん見える。
 Lawka-chanthar、Tha-gya-Pone Phaya、Tha-gya-Hit Phayaだと思う。
  

更に進むと大きな寺院が左手にあった。
ティーローミィンロー寺院であった。
 ティーローミィンロー寺院
 

道路を挟んだ向かい側にウバリ・テェンがあるので、地道を入って行った。
小さな仏塔があり、小屋から少年が出て来た、キーを持っている。
仏塔に上がれると言うので付いて行った。
鉄格子の鍵を外し中に入れてくれた。正面に仏像の坐像があった。
 U-YIN-GYI PHAYA


仏像横の壁の中にトンネルの様な階段があった。人1人が通れる階段で暗く頭をぶつけない様に注意して上った。大男は通れない。
階段を通り抜けるとテラスに出た。基壇が3段あり狭い短い階段を上がり最上部に立った。
平原に大小さまざまな仏塔や寺院が点在するこの風景をこんなに早く体験できるとは!!!!


エーヤワディー川に近いので川も見えた。
 エーヤワディー川


ウバリ・テェンを捜して迷い込んだこの仏塔からウバリ・テェンを見付けた。
 ウバリ・テェン


私が写真を撮っている間に少年は、電気スタンドを取りに行っていた。
勉強に使うのだろう電気スタンドで階段を照らしてくれた。コードが無いところを見ると電池式か?
少年にチップ2,000Kを渡して別れた。
メイン・ロードにもどり、道標でU-YIN-GYI PHAYAとあり、はじめて名前が分かった。

メイン・ロードを行くとウバリ・テェンがあった。
閉まっていて入れなかったが、入口に描かれていたフレスコ画が少し見えた。
 ウバリ・テェン


10分ほどペダルをこいだ、雨がぱらついてきた。
タラバー門手前にレストランがあり入った。
焼き飯(2,000K)とマンダレービール(1,500K)を頼んだ。マンダレービールが安い。
1週間ぶりに日本人を見掛けた。

雨で道路が濡れている。小雨の中をオールドバガンに向った。
 タラバー門(オールドバガン内より)


タラバー門を通り、すぐそばに黄金に輝く宮殿があった。
それを通り過ぎ、西に真直ぐ行き、三叉路を北に向った。
すぐにマハーボディー・パヤーがあった。
バガンでは、珍しい形状の仏塔である。
 マハーボディー・パヤー


更に北に行く。
 バガンの風景


オールドバガンの城壁外に出たところにホテルがあった。
昔オールドバガン内に多くのホテルがあったが、ニューバガンに移されたそうだ。
更に行くとエーヤワディー川に突き当たり、船着場があった。


小雨が降ったり止んだりしていた。
来た道を戻り、タラバー門からの道を西に突き当たり北に向かった。
同じくエーヤワディー川に突き当たり、ブーパヤー・パヤーがあった。
先ほどの船着場から近い、川沿いに来ればよかった。現に中国系女性2人と船着場近くですれ違ったが、彼女らが先に着いていた。
 ブーパヤー・パヤー


来た道を戻り、更に南に行くと西側にゴドーパリィン寺院があった。
 ゴドーパリィン寺院
 

オールドバガンの仏塔や寺院には外国人よりもミャンマーの人々の参拝者の方が多い。
軽トラック改造バスをチャーターしてまわっている様だ。
彼らにとって、遺跡というよりは、祈りの対象としてに寺院であり仏塔なのだろう。
更に南に行くと考古学博物館があった。
国力に見合わない大きく立派な考古学博物館である。
入れ物が立派でも中身は空っぽという事もあるので入らなかった。
 考古学博物館


考古学博物館前の道路を挟んだ向かい側にメイン・ロードから外れる地道があり、そこから欧米人を乗せた馬車が出て来た。
その方向はタビィニュ寺院だろうと思い、入って行った。
名も無い仏塔を過ぎ、大きな寺院が見えて来た、その手前に物売りのいる小さな寺院に着いた。
寺院名を聞くとナッフラウン寺院であった。
バガンに残る唯一のヒンドゥー寺院だそうだ。
 ナッフラウン寺院


ナッフラウン寺院から見えた大きな寺院が、タビィニュ寺院であった。
65mの高さがあり、バガンで最も高い寺院だそうだ。
 タビィニュ寺院(ナッフラウン寺院側より)            正面
 

タビィニュ寺院の向かいにあるタビィニュ僧院に日本人戦没者慰霊碑がある。
バゴー、マンダレーヒルにある日本人戦没者慰霊碑にお参りあいたので、もういいか! 
ミャンマー観光地の各地に、日本人戦没者慰霊碑が必ずあるのか? 
ミャンマーの人々は、日本人戦没者慰霊碑をどの様に思っているのだろうか??

黄金宮殿近くのメイン・ロードに出た。
タラバー門を抜けると南側に広い空き地がある。
その空き地が、アーナンダ寺院の入口まで続いていた。
入口で物売りが近付いて来て、ルビーorサファイアを要らないかとひそひそと話し掛けてきた。
見るからに胡散臭い、ガラス玉とルビーの区別が私にはつかない、そく断わった。
もっと明るく話し掛けてきたら、冷やかしで話ぐらい聞くが!!!
 アーナンダ寺院


 

16時前になっていた、疲れてきたので、今日はこの位にしておこう。
メイン・ロードをニャウンウーに戻って行った。
1ヶ所だけ坂がきつくレンタサイクルを降りて押した。
バガンの大平原と言っても、自転車ではきつい坂が多いのかと思っていたが、そうではなかった。
16時半ごろホテルに帰った。

シャワーを浴びた後、ベッドで横になる。
今、「ビルマの竪琴」を読んでいる。

19時ごろ夕食の為ホテルを出た。
メイン・ロードと平行に走っているアノーヤター・ロードがあり、私が泊まっているヤー・キン・ター・ホテルが面している。
メイン・ロードとアニーヤター・ロードをつなぐ道沿いにオープンエアのレストランが多数あり、その中のビヤガーデンに入った。
奥には、生ビールのビヤ樽が積上げられていた。
ウエイターお勧めのチキン△○×と生ビールを頼んだ。
チキン△○×は、油っこい筑前煮の様なものであった。
ビールに良く合い、生ビールを3杯飲んでしまった。
筑前煮?も、食べている間に油が皿に溜まっていった。最後は油に浸かった部分を残した。

21時、就寝。

バガンで出会った子供
 

ミャンマー旅行 2月16日 バガンへエーヤワディー川を下る

2011年04月05日 | ミャンマー旅行
                                    夕日
4時に電話が鳴った。ウエークアップ・コールである。
4時40分ごろチェックアウトした。
朝食の代わりに紙箱に入った弁当をくれた。
タクシーが来ているとの事で、タクシーに乗り込んだ。
タクシーは西に向かいエーヤワディー川に出た、ミングォン行き船着場のある所だ。そこから川沿いに南下して停まった。
貨物船が泊まっていた。これがスローボートか!!
台船が係留され桟橋代わりになっていた。そこにはチケット売場もあり、チケット購入に人が並んでいた。
船に乗り込み、2階のデッキに上がった。
プラスチックチェアが並べられ、欧米人がいた。
デッキの手すり沿いにある椅子を辛うじて確保できた。これで船旅での風景を楽しめる。
ホテルの女将が出発の30分前に着く様にタクシーのピックアップ時間を設定した訳が理解できた。
欧米人が次から次と乗って来た、船員がプラスチックチェアを追加で運んでいた。
船の前後が分からないが、外国人区域と地元民区域が半々に分かれていて地元民はデッキにシートを敷き座っていた。
5時30分ごろチケット検札がはじまり、20分遅れの5時50分に出航した。
スローボートが動き出すと、風というよりは空気が流れ寒い、長袖Tシャツにトレーナーを重ね着しがそれでも寒い。
バックパックの底に入れていたダウンジャケットを取り出し着た。
バゴーで買ったロンジーをGパンの上からはいた。
更にネックウオーマーを首に巻いた。
ここまでして寒さも一段落した。
出航して1時間後に朝靄の中、日が昇った。
 日の出


1時間30分経っても、まだ昨日行ったインワである。スローボートの速度は時速12km程度か!!!!
今日は、一眼レフに望遠レンズ(55-300mm)を付けたままでいよう。
広大なエーヤワディー川&川沿い風景は18-55mmレンズでは、同じ様な写真ばかりになるからだ。
 ザガインヒル                              インワ
 

船の舳先側が外国人が座っている。舳先は、坊さん用特別室がある。
 外国人区域                             地元民区域
 
写真は、多分ロシア人だろう。朝からウイスキー?酒を飲んでいる。ボトルの回し飲みである。

10時30分、最初の寄港地に着いた。
なぜか? 欧米人が船を待っていた。
 
桟橋も何もない。岸に板を渡すだけだ。
物売りも乗って来る。
30分ほどの停泊であった。
 

暖かくなりダウンジャケットとロンジーを脱いだ。
地元民は、布を幕代わりに張って日除けにしていた。
欧米人女性は、現地民と親しくなってタナカを顔に塗ってもらっていた。
私は、エーヤワディー川の風景を楽しんだ。
 川岸の樹木
 

 



 エーヤワディー川を航行する船
 

 

  

横の欧米人夫婦が到着時間を23時と聞いたがと確認の為尋ねてきた。
私はガイドブックで確認して、19時と答えた。

ホテルで用意してくれた朝食ボックスには、トーストとバナナが入っていた。それを少しずつ食べた。
どうせスローボートでも腹を壊すおそれのある買い食いは無理だろうと思っていたからだ。
14時ごろにそれも無くなり、船の後部にある食堂に行った。
詰めれば4人ほど座れるカウンターがあるだけの食堂だった。
ビールを頼んだ、大瓶ビールの飲み口をきれいにふき取り、グラスと共に出された。
つまみに豆を出してくれた。
バガンへの到着予定時間を食堂のおばちゃんに尋ねると22時との事であった。
席にもどり、先ほどの西欧人夫婦に、食堂のおばちゃんが22時到着と言っていたと伝えた。

次の寄港地に着いた。
スローボートの乗客も下船して、逆に船を見たり、付近の写真を撮っていた。
ロシア人?女性もその中にいて、船に戻る時、岸と船をつなぐ板の上でバランスを崩し川に落ちた。
落ちると同時に3人の男が飛び込んで助けた。その動きは、すばやく慣れている様であった。
時々、落ちる人がいるのだろう。

 寄港地の人の営み
 

 



エーヤワディー川の川幅は広い、雨季には川幅1杯に川が流れるのだろう。
しかし、乾季終わりの今は、川幅の中を蛇行しながら川は流れる。
更に、細くなった川に航路を示す竹竿が刺さっている。
時には、船は流れに直角に曲がり浅瀬を回避する。
ゆっくりと流れる時間、川岸風景、川風景、時々寄港する風景と人々、飽きる事はない。
だが、もう日が暮れる。
 日没


日没後も夕焼けや薄明かりがあったが、18時30分、周りは真っ暗になった。
サーチライトで川面を照らしている。何を見ているのだろう。
寄港する時も、真っ暗な川岸をサーチライトで照らしていた。岸にライトが見えた。

食堂に行き、ビールを頼んだ。
おばちゃんがインスタントラーメンを作り出した。
インスタントラーメンであれば火が通り、熱々で食べられるので、私も頼んだ。
野菜たっぷりのラーメンが出て来た。腹ペコで美味かった。
このインスタントラーメンも中国製かと思い、袋を見せてもらったところ、ヤンゴンの英文字があったのでミャンマー製だろう。

夜がふけていった。
朝の様に寒くなるのかと思っていたが、長袖Tシャツで過ごせた。
マグライトで照らして小説を読んで時間を潰した。
物売りのおばちゃんも片付け出した。おばちゃん達は、このままボートで雑魚寝して、朝マンダレーに向うそうだ。
21時30分、バガンのニャウンウーに着いた。

 船で見掛けた人々
 

 


 寄港地で見掛けた人々
   

 

上陸し土手を上った。
サイカーの運ちゃんが近付いて来た。馬車もある。
サイカー代は、2,000kを1,500KでOKして乗った。
すぐに停まった、外国人が並んでいて、そこに並べと言われた。
そこは入域料US$10を支払うところであった。パスポートと共に提示した。
ヤー・キン・ター・ホテルに向った。
まだ、レストランやビヤガーデンが開いている。
ホテルに着き、部屋が空いているか聞くと空いているとの事。
宿泊費は、US$18とUS$32でコテージがUS$32であった。
US$18の部屋を見せてもらった。
少し古いが清潔にしているのでここに決めた。
サイカーの運ちゃんに2,000K払った。思ったより距離があったので多く渡した。
 ヤー・キン・ター・ホテル 

宿泊費を偽札?US$20札で出すと、やはりミャンマーでは使えないと言われた。
この札をホテルが受取った後、ブラックマーケットに持ち込んでも両替してくれないそうだ。
そんな偽札を外国人につかまして、ミャンマー国外に偽札を持ち出せとは、完全にミャンマーが中国人のマネーロンダリングの場として利用されているのだ。
悪名高き強制両替(US$200を公定レートで両替する。公定レート=0.005実勢レート)は無くなったが、ホテル、鉄道&航空機、入域料(入場料)は、今でもUS$払いである。
なぜ? 外貨が欲しいだけであれば、両替だけでいいのでは???

別のUS$20札で支払いを済ませ、部屋に荷物を置いて食事に出た。
近くのレストランで、スパゲティーとビールを頼んだ。
ミャンマーでスパゲティーは初めてであった。茹で足らない、アルデンテではない。
スパゲティー2,000K、大瓶ビール1,500Kであった。ビールが安い。
レストランは23時までの様だ。

23時30分、就寝。