7時30分バイクタクシーでバスターミナルに向かった。運ちゃんと料金交渉をしなかったので着いて20,000ドン渡すとつり銭が戻らない、要求すると小銭がないと言う! 遣られてしまった。わずか5,000ドン(38円)、どうでもいい金額だが、頭にくる。
ダナン行きミニバスの運ちゃんにホイアンと言うと分かった(分岐で降ろす)という感じであった。100,000ドン(756円)
8時10分にバスターミナルを出て、客拾いで近くをウロウロした後、客拾いをしながら国道1号線に向かい、徐々にスピードを上げた。
13時30分、ホイアンとの分岐に着き、降ろされた。私ともう1人が降りた。その彼がホイアンまで15,000ドンと教えてくれ先に行った。取り合えずビールを飲んでバイクタクシーの運ちゃんと料金交渉した、30,000ドンで成立した。試してみて分かったが外国人価格は現地人の倍であった。
15分ほどでホイアンに着いた。ガイドブックに載っているホテルはUS$15以上で高く、目当てのホテルがなかったので運ちゃんに任せた。1件目は高そうであったので次に行った。My Chau Hotel(ミー・チャウ)は、A/C、TV、ホットシャワー付きでUS$9で部屋は広くはないが綺麗にしているので宿泊を決めた。ファンの部屋はUS$7との事。
シャワーを浴びた後、ホイアン旧市街に行った。ホテルの受付でTown Mapをもらい、現在地を確認してから出掛けた。チャンフンダオ通り、レロイ通りを抜けて、ホテルから南に約800mでトゥボン川沿いのバクダン通りに出た。
トゥボン川沿い
川沿いのレストランに入り、勧められてホイアンの名物カオラウ(汁なしうどん)とビールを取った。
ホイアンの古い町並みは世界遺産に登録され、18世紀以来変わらぬ木造建築の家並みが建ち並び、狭い間口で、奥行きが深く細長い家屋は、京都の町屋に見られる「うなぎの寝床」を思わせる。街はずれにある木造建築の橋は”日本橋”と呼ばれ、17世紀ホイアンに多くの日本人が暮らしていたことの証である。江戸幕府の鎖国政策で、ホイアンの日本人町は衰退し、今は所々に日本を感じる痕跡を見るだけである。
その町並みを見て回る為にホイアン観光チケット75,000ドン(567円)を買った。海のシルクロード博物館、ホイアン歴史文化博物館、福建会館、クアンタンの家、カウ・ライ・ヴィエン(日本橋)を夕方まで急ぎ足でまわった。
カウ・ライ・ヴィエン 来遠橋(らいおん)(日本橋)
1593年、日本人街がありその人々によって建造されたと伝えられている。英語&フランス語併記のパンフレットには「Japanese Covered Bridge」とあり、直訳すれば「日本屋根のある橋」となる。橋を通り、橋の中央には小さな寺があり、この寺を見てみると日本というよりも中国風に見える。
御朱印船(海のシルクロード博物館)
御朱印船の写真がに展示されている。別名貿易陶磁博物館とも言われ周辺で発掘された備前焼きも展示されていた。
ホイアン歴史文化博物館
福建会館
クアンタンの家
間口が狭く”ウナギの寝床”の様で、京都の”町屋造り”に似ており、梁などは日本の影響を受けている様に感じた。
ホテルのフロントで明日のミーソン遺跡ツアーを申し込んだ。行きはバスで帰りはボートクルーで昼食付きUS$5、往復バスはUS$4であった。当然、ボートクルー付きを選んだ。8時30分にホテルにピックアップに来るとの事。
ダナン行きミニバスの運ちゃんにホイアンと言うと分かった(分岐で降ろす)という感じであった。100,000ドン(756円)
8時10分にバスターミナルを出て、客拾いで近くをウロウロした後、客拾いをしながら国道1号線に向かい、徐々にスピードを上げた。
13時30分、ホイアンとの分岐に着き、降ろされた。私ともう1人が降りた。その彼がホイアンまで15,000ドンと教えてくれ先に行った。取り合えずビールを飲んでバイクタクシーの運ちゃんと料金交渉した、30,000ドンで成立した。試してみて分かったが外国人価格は現地人の倍であった。
15分ほどでホイアンに着いた。ガイドブックに載っているホテルはUS$15以上で高く、目当てのホテルがなかったので運ちゃんに任せた。1件目は高そうであったので次に行った。My Chau Hotel(ミー・チャウ)は、A/C、TV、ホットシャワー付きでUS$9で部屋は広くはないが綺麗にしているので宿泊を決めた。ファンの部屋はUS$7との事。
シャワーを浴びた後、ホイアン旧市街に行った。ホテルの受付でTown Mapをもらい、現在地を確認してから出掛けた。チャンフンダオ通り、レロイ通りを抜けて、ホテルから南に約800mでトゥボン川沿いのバクダン通りに出た。
トゥボン川沿い
川沿いのレストランに入り、勧められてホイアンの名物カオラウ(汁なしうどん)とビールを取った。
ホイアンの古い町並みは世界遺産に登録され、18世紀以来変わらぬ木造建築の家並みが建ち並び、狭い間口で、奥行きが深く細長い家屋は、京都の町屋に見られる「うなぎの寝床」を思わせる。街はずれにある木造建築の橋は”日本橋”と呼ばれ、17世紀ホイアンに多くの日本人が暮らしていたことの証である。江戸幕府の鎖国政策で、ホイアンの日本人町は衰退し、今は所々に日本を感じる痕跡を見るだけである。
その町並みを見て回る為にホイアン観光チケット75,000ドン(567円)を買った。海のシルクロード博物館、ホイアン歴史文化博物館、福建会館、クアンタンの家、カウ・ライ・ヴィエン(日本橋)を夕方まで急ぎ足でまわった。
カウ・ライ・ヴィエン 来遠橋(らいおん)(日本橋)
1593年、日本人街がありその人々によって建造されたと伝えられている。英語&フランス語併記のパンフレットには「Japanese Covered Bridge」とあり、直訳すれば「日本屋根のある橋」となる。橋を通り、橋の中央には小さな寺があり、この寺を見てみると日本というよりも中国風に見える。
御朱印船(海のシルクロード博物館)
御朱印船の写真がに展示されている。別名貿易陶磁博物館とも言われ周辺で発掘された備前焼きも展示されていた。
ホイアン歴史文化博物館
福建会館
クアンタンの家
間口が狭く”ウナギの寝床”の様で、京都の”町屋造り”に似ており、梁などは日本の影響を受けている様に感じた。
ホテルのフロントで明日のミーソン遺跡ツアーを申し込んだ。行きはバスで帰りはボートクルーで昼食付きUS$5、往復バスはUS$4であった。当然、ボートクルー付きを選んだ。8時30分にホテルにピックアップに来るとの事。