いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

アンコールワット旅行 10月31日 バンコクへ

2013年12月30日 | アンコールワット2013/10/16~
5時過ぎ起床。

今日、8時発の国際直通バスでバンコクへ向う。
7時に迎えが来る事になっているので、7時前にフロントへ行った。
どうせピックアップの車orトゥクトゥクは遅れるだろう、朝食が取れるか聞くと可能との事で、コーヒーを頼んでカフェのテーブルに座った。
今日の朝食は、オムレツとトーストだった。

今日カトマンズに発つDさんがカフェに来た。
Dさんがコーヒーを頼んだ、私ももう1杯頼んだ。
迎えは何時ですか?
7時なんですが、すでに20分遅れているんですと話すと、「やきもきするでしょう! でも来ますから!」と言われた。
本当に迎えが来るか心配していたがこの言葉にほっとさせられた。みんなも経験済みの事だが、絶妙な表現だと変に感心した。

B女史がカフェにやって来た。
国際直行バスがバンコクに行くのに一番早いと言っていた。
しかし、タイ側国境のアランヤプラテートのタイ・イミグレーションを抜けるのに時間が掛かる。
屋根のあるところに並べたら比較的早いが、屋根なしまで列が出来ていたら2時間以上掛かるそうだ。

すでに7時40分になっていた、マネージャーが電話してくれ、もうすぐ着くと言ってくれた。
7時50分にトゥクトゥクが迎えに来た。
Dさん、B女史に挨拶して出発した。
US$0.5運ちゃんがいたのでバイバイと手を振った。

国際バスが停まっていた。
8時になっていた、乗客が乗り込んでいる。
チケットを見せて乗ろうとすると事務所に行けと言われた。
1台のテーブルの周りに客が集まっていた。
ノートパソコンに何か入力している。
訳が分からず、チケットを渡すとパスポートを要求され渡した。
レシート用のプリンターからプリントが打ち出された。
入力していたスタッフが日本のパスポートを持ったので注意していると、私の名前を読んだ。
パスポートとチケットを受取り、バスに乗り込んだ。


8時20分にバスは出発した。
天気が良く、太陽がまぶしい。カーテンを閉める窓が増え出した。
私は外の風景が見えなくなるのでカーテンは閉めない。
前の座席に座るカンボジア人?の若いカップルがカーテンを閉めて欲しそうにしていた。
カーテンは片方が固定されていた。固定側が私の座席で、固定を解除出来るのであればカーテンを前席に渡すのだが、それも出来なかった。
トイレに立って戻るとカーテンを閉められていた。何をすんねんとばかりにカーテンを開けた。
1時間もすると暑さと彼女の手前もあり、私に向って文句を言ってきた。
私が「Change a seat!(席をかわれ!)」と言うと、「2 seats?」と返答してきた。
私の隣席は空いていたので当然OKである。
席を変わった。これで文句を言わせない。バンコクまで先は長い、太陽もバスも方向は変わる。 
バス旅行が好きで東南アジアを周ったが窓のカーテンで文句を言われたのははじめてだ!!!!

11時頃、ポイペトに着いた。
ロータリー手前でバスを降ろされ、みんなの後に付いてカンボジア・イミグレーションに向った。
イミグレーション前は団子状態で並んでいた。
大型工業用扇風機が回っていたが熱風であった。
西欧人女性が車に酔ったのだろう、床に座り込んでしまった。
職員が彼女のパスポートを持って行った。出国の手続き、スタンプを押しに行ったのだろう。

カンボジアを無事出国した。
国際直行バスを停まっているのが見えた。
缶ビールを買った。値段を聞くと20と言う。20??? US$1を渡すと変な顔をされた。
後で気付いたが20バース(\60)の事だった。それをわざわざUS$1(\100)で買ってしまった!!!
  

バスにはまだ少数の客しか戻っていなかった。
バスに乗らずに横で缶ビールを飲んだ。
カンボジア人乗客がウロチョロしている、土産物屋台が並ぶ路地に入って行った。
集まり出したので私もバスに乗ろうとすると、路地から出て来たカンボジア人乗客にスタッフがバスに乗れと言っていた。
バスから外を見ていると反対側の歩道にカンボジア人乗客を発見した、走ってどこかに行った。
彼らはいったい何をしているのだろうか? ここは免税エリアだから急いで買い物をしているのか?
カンボジア出国に1時間掛かった。

バスでタイ・イミグレーション近くまで行った、荷物を持って行け、荷物検査はないが荷物を持って降りろと指示された。
長蛇の列が出来ていた。
今日朝、リラリゾG.H.でB女史が「屋根のあるところに並べたら比較的早く、イミグレーションを抜けられる。」と言っていた。
その屋根とは、イミグレーション建屋へ続く屋外の屋根付き通路の事で、40メートルほどの長さがあった。
屋根の後部に並んだ。後ろに続々と人が並んだ。
職員が来て、1列で並んでいるのを、私の後ろから前に誘導して2列になった。
結局、私は最後尾になってしまった。
10人程度づつ、イミグレーション事務所に誘導していた。中は入国審査官が5人で対応していた。
小説を読んで待った。
隣の列がまったく進まない。審査官が横の同僚と話している。業務会話か?私語か?やる気があるのか?

無事、タイに入国した。
歩いて行くと国際バスが停まっていた。
荷物をバスに載せた後、バス前の屋台で缶ビールを買った。
ここでは頭の中がタイに切り替わっていたので、缶ビール代THB40(\125)をすんなりと払った。
缶ビールを飲み終わった頃、続々とみんながバスに着いた。
みんなが飲み物やアイスクリームで一息付いているとスタッフが乗車を促した。

タイ側入国に1時間30分掛かり、トータルでポイペト/アランヤプラテート陸路国境越えに2時間30分も掛かった。
13時30分頃、出発した。

国境から4時間ほど掛かって、17時30分頃にバンコクのモーチット2に着いた。
タクシー乗場もすぐに見付かり、BTSモーチット駅にも10分ほどで着き、タクシー代はTHB50であった。こんなに近く、こんなにタクシー代が安かったのか!!!
スカイトレインBTSでナショナルスタジアム駅に向った。
駅前のソイ・カセムソンのWhite Lodgeに行った。
部屋は2階のTHB600(\1,860)の部屋が空いていた。

着替えた後、食事に行く為ソイ・カセムソンを歩いていると、国際直通バスで一緒だったカンボジア人?を見掛けた。
彼らもこの安宿街に泊まる様だ。
マーブンクローセンターMBKで2週間振りの日本食で冷麺、餃子&ビール小を注文するとビールが売り切れと言われた。それは無いやろう!!!
セブンイレブンに寄って、水と缶ビールを買って帰った。

アンコールワット旅行 10月30日 シェムリアップ滞在

2013年12月27日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

7時過ぎハンモック・カフェに朝食に行った。
59歳さんが来ていた。
コーヒーを頼んだ。今日はサンドイッチだった。
64歳さんが借りた家は、家賃8万円だったが、店子をすべて出す為、家賃が12万円になったと言っていた。
私が高い!と言った事が59歳さんに伝わっていた様だ。
64歳さんと50歳さんが来た。
借りた家がシェムリアップ川沿いにあるのが気に入り、部屋数は7室あるそうだ。
59歳さんと50歳さんに3ヶ月間は、一緒に住んで欲しいと頼んでいるそうだ。

そろそろバンコクへ戻る、国際直通バスがあるのでそれを利用しようと思っていると話すと、50歳さんがバンコクへの国際直通バスのチラシがフロント前に貼ってあると教えてくれた。
さっそくフロントへ行き、チラシを確認した。
8時発ピックアップ付きでUS$28となっていた。インターネットの記載と同運賃だ。

昨夜、タブレットでチケット売場を検索していたが分からなかった。
G.H.でも買えるだろうが手数料を取られるだろうから、昼食でオールドマーケットに行ったついでに買おうと思っていたのだ。
しかし、チケット売場が分からず、G.H.のマネージャーにここでチケットが買えるか聞こうと思っていた。
手数料込みでUS$28であった。

フロントにマネージャーがいたのでバンコク行き国際直通バスの明日の予約を入れた。
電話をしてくれ予約が取れた。明日朝7時にピックアップするとの事であった。
明日チェックアウトになるので、今晩支払いを済ませると精算を依頼した。


今日も昼食にオールドマーケットに向った。
通りにUS$0.5バイクタクシーの運ちゃんが居たので乗って行った。
結局、このUS$0.5運ちゃんに乗ったのは3回か? 歩く事が多かった。
レストランが並ぶ路地でエビ入り焼きそばとビール小を頼んだ。
平麺の焼きそばが出て来た、インスタントラーメンのちぢれ麺が多い中、平麺は美味かった。

シェムリアップ川に架かる屋根付き橋でベンチに座って小説を読もうと行ったが、観光客が多くて座れなかった。
橋を渡ったところに新しい土産物屋のショッピング街があったので、ぶらぶら歩いてみたが客がいない。
今14時ごろだ。この時間帯は客がまったくいなかった。夜には客がいるのだろう??


今日もフリーダム・ホテルのレストランに行き、エビ香菜春雨サラダとアンコールビール大を頼んだ。
結局、クメール・カリーと香菜春雨サラダしか食べなかった。他をトライする気がしなかった。
夕食から戻り、フロントで精算した。
トータル US$171
  内訳は 宿泊費    US$9×12泊 計US$108
       バイクツアー US$12×2回  計US$24
       アプサラ送迎           計US$3
       国際直行バス          計US$28
       ビール・水             計US$8

支払いを済ませた後、カフェにDさんとB女史がいたので缶ビールを持って合流した。
珍しく私が行ったのでB女史が漬物を持って来てくれた。
Dさんがカトマンズに行くと聞いていたので、バンコク-カトマンズ間の情報を得ようと思った。
バンコクからカトマンズまでタイ国際航空で5万円ほどですか?と尋ねると、タイ国際航空は今の時期 7万円はする、エアインディアでデリー経由で5万円だそうだ。
デリー乗換え時に、インド入国は必要か?と聞くと不要との事。この情報は貴重だ。

エアアジアのバンコク-シェムリアップ間が10月運行開始の話題になった。
B女史が日本からならクアラルンプール経由シェムリアップがある。私が乗り継ぎが悪いと言うと帰りは乗り継ぎがいいそうだ。
なぜ、日本-シェムリアップ直行便が無いのか??
ハノイorホチミン経由、バンコク経由、ソウル経由で同一日到着できるからか??
しかし、JALもANAもシェムリアップには乗り入れていない。

ハンモック・カフェに3人組がいたのでビールを持って移動した。
シェムリアップ川沿いの家を借りて、夢が膨らんでいる様だ。
部屋の床に何を敷くか?等話題に上がっていた。
私がこの話題に参加すると、シェムリアップのかたい野菜は顎が痛くなる、リタイアメント・ビザ制度がないので長期滞在が不安定である。リラリゾG.H.に頼めば可能な様だが???など否定的なことを話してしまう。
その話しに加わらず、カンボジアに滞在3年の59歳さんに、ポイペトからシソポンまで新しく線路を見掛けたが使われているのか尋ねた。
中国がレールを敷いたが現在まだ使われていないそうだ。
プノンペンからシアヌークビルへの線路を日本が敷いたが、その運営は韓国企業が落札したとも言っていた。
64歳さんがシェムリアップは韓国に牛耳られているとも言っていた。
どこまで本当か不明だが!!! 嘘でもないだろう!!!

アンコールワット旅行 10月29日 シェムリアップ滞在

2013年12月24日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

7時過ぎに、ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーを頼む、今日はラーメンだった。
64歳さんが自転車で戻ってきた。自転車で散歩代わりにしている様だ。
彼は「家賃月12万円の家を借りた。」と言った、「高い!」と言ってしまった。
言わなくてもいい事を言ってしまった。
単純に、カンボジアの平均月収がUS$40(\4,000)の国で家賃が12万円とは豪邸か?と思って言っただけだ。

64歳さん達3人組が何か相談していると思ったら64歳さんが家を借りるためだった様だ。
私には、シェムリアップは日本人が定年退職後の定住に良い所だと勧めていた。
日本はこれから老老介護が大変で、ここならお手伝いさんも安く雇える等々である。
こんな所に年寄りを連れて来て暮らしたら早死にさせるだけだ!と言いたかったが言わなかった。

50歳さんが洗濯物を持って帰って来た。
なぜ、G.H.で洗濯しないんですか?と不思議に思って尋ねると11月初めに日本に帰るので特別に洗濯屋に出したと言っていた。
中国南方航空の上海経由日本行きが安かったのでチケットを買ったが、上海で入国せずに乗換えカウンターで手続きが出来るか!! 嫁がタイ人だから上海で乗換えの時入国できないと心配していた。
彼の息子が顔を出した、18歳位に見えたので何歳か50歳さんに聞くと25歳とのこと。みんなが驚いた。
息子は日本語が話せないそうだ。お父さんが日本人で日本語を話さないとは残念だし、もったいない。


今日も歩いてオールドマーケットへ向った。
国道6号線のシェムリアップ川を渡った所は、王様の別荘やロイヤル・ガーデンがあり綺麗にしている。
国道の真中に小さな祠があり、その横にお寺がある。地元の人がお参りに来ている。
 

シェムリアップ川沿いに歩く。
オールドマーケット近くに大きな寺があり入って見た。
靴を脱ぎ、寺に入ると大きな仏座像があり、お参りした。
お参りが終り立ち上がると、寺守が奥へ行けと言っている様なので行って見ると古い涅槃像があった。
この寺のご本尊だ。

オールドマーケットの1ブロック北側にあるパブ・ストリートに行った。
スパゲッティを食べたいのでイタリア・レストランを探した。それらしいレストランに入った。
スパゲッティと言えばミートソース、ナポリタンである。
若い頃、喫茶店で軽食を取るとなれば、ミートソースorナポリタンであった。
ナポリタンなどは美味かった。イタリア人から言わせれば、別物だと言われるそうだ。
メニューを見ているとカルボナーラがあったので頼んだ。
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々、バイク&車を見る、時々小説を読んだ。
カルボナーラがテーブルに置かれた、クリーミーでべとべとだ。
カルボナーラをはじめて食べるので分からない、こんな物か??
カルボナーラUS$3.75 生ビール2杯US$1
 パブ・ストリート
 

今年の猛暑、猛暑中のテニスで酷使して右腕、右肩&右肩甲骨付近がパンパンだ。
今回の旅行は、休養とからだの手入れが目的だ。
4日前のボディ・マッサージは下手くそで大外れであったが、もう一度トライした。
今日のボディーマッサージ2時間10$は、十分体がほぐれた、当たりである。
足の爪が伸びていて、爪切り&手入れを薦められた。
US$4との事。高いと思ったがチップ代わりにOKした。
からだが硬くなり、お腹もつかえて足の爪切りが大変になっていたので丁度いい。
フット・マッサージ用の椅子に座り、爪を切ってもらった。

横で西欧人が気持ち良さそうにフット・マッサージを受けていた。
私はフット・マッサージを受けた事がないかも知れない。
タイマッサージでは、1/3は脚をマッサージしているのでフット・マッサージだけというのはいかがな物かと思っていた。
しかし、いつか一度受けて見よう。

夕食もパブ・ストリートで、食べていく事にした。
夕食まで時間があるので、ぶらぶらした。
バンコクに戻るのにシェムリアップに来た時と同じ国際直通バスで戻ろうと考えている。
それで国際バスの終点であったツアー会社を探してみた。
確かオールドマーケット横のこの大通りのはずだが見付からなかった。

昼食を取ったレストランの近くで店前のメニューを見て、チキン・カベブに決めて通りに面した席に座った。
向かいの店は寿司を出す店だった。前を通ってもまったく気付かなかった。
無国籍料理を出すレストランが多い中で珍しい。
チキンカベブ4.5$は塩がきいて美味かったが肉が硬かった。 生ビールUS$1。
 屋根付き橋
 

アンコールワット旅行 10月28日 シェムリアップ滞在

2013年12月21日 | アンコールワット2013/10/16~
5時30分起床。晴れ

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

無料WiFiのあるホテルやゲストホウスが増えているので、海外でのインターネット環境が整っている。
後はノートPC、モバイルPC、スマートフォン、タブレットなど、どの端末でインターネットに繋げるかである。
今回タブレットを購入して持ってきた。
大きさは幅114mm×奥行き200mm×高さ8.6mmで、Gパンの後ろポケットに入る。
デイバックに入れても邪魔にならない。
タブレットは海外旅行の必須アイテムになるだろう。

日本との時差が2時間あるが、日本時間で過ごすことが多い。それで現地時間の早朝に起き、朝食まで時間があり、また店も開いていないので時間の使い方が難しい。
旅日記をメモったり、小説を読んだりして過ごしていたが、タブレットでニュースを読む事が多くなった。


8時過ぎに、ハンモック・カフェに朝食に行った。
タイ在住とシェムリアップ在住の3人組が座っていた。
Aさんがハンモックに横になっていた。
その横のちゃぶ台につくとC子さんも来て座った。
今日の朝食は、オムレツとトースト3枚、コーヒーであった。
食事しながら、3人共に滞在日数が10日間近くになっていたので帰国時期の話になった。
Aさんは30日にバンコクへ、31日帰国だそうだ。
私は11月4日帰国、プノンペン&シアヌークビルを廻ってバンコクへ行く予定であったが、ここに居る。
フィリピンから旅をスタートさせたC子さんは、すでに日本を出て1ヶ月半が過ぎ、11月上旬には帰国すると言っていた。
ここで長期滞在しているDさんは、ここも飽きたので31日にカトマンズに行くと言われているようだ。
Dさん、B女史は朝食を新しいカフェで取っているので見掛けるが話をする事は余りない。

昨日から見掛ける様になった若いカップルが迎えを待っていた。
私達にこの近くに良いレストランはありませんかと聞いてきたので、私は、フリーダム・ホテルのレストランを紹介した。
日本人はカレーが好きだからクメールカレーを推奨した。


昼前、オールドマーケットに昼食に出掛けた。
雲っているので歩くことにした。
国道6号線を歩いているとUS$0.5運ちゃんが近付いて来た、すでに距離の半分ほどを歩いていたので断わった。
この間も同じことがあった。もう10分も早く来て待っていたら乗っただろう。
 国道6号線
  

シェムリアップ川を渡った。
川の水位が下がっている。20日に来た時は、もう50cmも水位が上がればあふれる状態であったが、この4日間ほど雨が降っていない。
 今日のシェムリアップ川                       20日のシェムリアップ川
   

シェムリアップ川沿いに歩いた。
何度か歩いたが必ず魚釣りをしているのを見かける。地元の人は魚釣りが好きだ。
オールドマーケットが近付くとのどが渇き、屋台で水を買って飲む。現地価格がわかっている時は値段を聞かずに払う。水500mlは1,000リエル(\25)だ。


オールドマーケットにレストラン(食堂)が三軒あり、馴染みの食堂がみすぼらしい料理を出す様になったので、順番に隣の店と移り今日は最後の店に入った。
狭いレストランで真中に男女が座っているだけでガラガラだ。
いつもの様に通りに面した席に座った。
エビのグリーンカレーと生ビールを頼んだ。
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々、バイク&車を見る、時々小説を読んだ。
生ビールを追加で頼もうとして、スタッフに声を掛けるが、真中のカップルの話し声が大きくて、私の声が届かない。
手を上げているとやっとスタッフの姉ちゃんが気付いてくれた。

真中のテーブで大きな声で話す男女、中国語でも韓国語でもない。
男は浅黒くアジア人でも西欧人でもない、女はがたいが大きいアジア人の様だ。
男が大声で話し、女は聞き役であった。その女が話すと男以上に大声で驚いた。
支払いの為スタッフを呼ぼうとしたが私の声が届かない。手を上げても駄目だ。
頭にきて、怒鳴るように「エクスキューズミー!」と叫んだ。
すると真中の男女が起立した。そして出て行った。
男女越しに居るスタッフに叫んだのだが、男女は「うるさい!」とでも言われたと思ったのか!!!!!

いつもシェムリアップ川を渡ったところからバイクタクシーに乗っている。
川に架かる橋から下流に屋根付き橋が見える。
今日はその橋に行ってみた。
橋の両側に長椅子があり、観光客が座って川を眺めていた。
下流で投網を投げ入れていた。
  


夕食に近くのフリーダム・ホテルのレストランに行く。
今日も香菜春雨サラダとビール大にした。
昨日は鳥、今日はエビである。
多く客が奥の階段を上がって行った。
地元民、外国人が次々と入って来て階段を上がって行く。
ゆうに100人は超えている。
ウエイトレスにイベントか?と尋ねると、そうだ! アメリカ人のバースデー・パーティーと言っていた。

アンコールワット旅行 10月27日 アンコールワットへ

2013年12月18日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。晴れ。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

8時ごろ、ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーを頼む、今日はサンドイッチだった。

タイ在住の50歳さんが座っていた、若い男女は知り合いですかと尋ねると、息子と義理の姪だと返ってきた。
タイ女性と結婚して嫁の実家のカンチャナブリで暮らしていた。家賃はいらないが、その他に金が掛かると言っていた。

長期滞在の59歳さんが歩いてやってきた。コーヒーを頼んで座った。
リラリゾG.H.に滞在しているのだと思っていたが、近所で月US$40で部屋を借りているそうだ。
カンボジアに来て3年だそうで、カンボジア語が話せる様になったと言われていた。
それで64歳さんも50歳さんも何かと相談している風に見えるのだ。

自転車で64歳さんが戻って来た。
この自転車は良いよ、10段変速付きで1万円だ。59歳さんと買いに行ったそうだ。

今日アンコールワットまで自転車で行こうと思っていると言うと自転車では無理だろうという会話になった。
自転車で行った事のある私は黙っていると、59歳さんが行けると言った。相談相手の59歳さんは絶対である。
自転車を使っていいよと言われ借りる事にした。
リラリゾG.H.にレンタサイクルが有ったのだが今は無くなっていた。

ところで、リラリゾG.H.に滞在していて、なぜ自転車を買うのか?
昨日と同じで、薬を飲むのをやめろ!!とはじまった。
シェムリアップで暮らし、新鮮な野菜とミネラルを取れば薬無しで問題ないとの持論を展開しだした。
うるさいのでトイレと言って部屋に戻った。

10時ごろに自転車を借りてアンコールワットに向った。
シェムリアップからアンコールワットへの道路は平坦で真直ぐである。
しかし、平坦だと思っていた道路は、自転車で走って見ると決して平坦ではなかった。
大きくうねり、僅かに上っていた。
40分ほどで着いた。
陸橋の手前に有料の自転車駐車場があり、そこに預けた。

アンコールワット遺跡群の3日券を持っていたが最後の1日分を使う。
今日はアンコールワットのモデルコースを行く事にした。
陸橋を渡る。
 陸橋、西塔門                             象門
  

西塔門をくぐる。西参道の奥に中央祠堂を仰ぐ
  

広い西参道
  

北聖池に寄り、聖池に映るアンコールワットを撮る。
 

西参道はテラスから十字回廊に続いているが、通行止めになっている。
6年前に来た時は通れたが、1年半前に来た時には通行止めだった。
正面玄関が通れないのは残念だ。

西参道を戻った。
今日のアンコールワットは観光客も少なく静かであった。

リラリゾG.H.まで帰りは自転車で35分ほどで12時過ぎに着いた。
ハンモック・カフェにAさんが居た。
自転車を返却しなければならないので、64歳さんは居ないですね!と声を掛けた。
3人でどこかへ出かけたよ!と返ってきた。


シャワーを浴びた後、昼食に出た。
近くのレストランで済ませようと思い、歩いているとUS$0.5バイクタクシーの運ちゃんが寄って来たのでオールドマーケットまで行ってしまった。
支払いの段になってカンボジア・リエルの持ち合せが無くてUS$1を渡すと当然釣りは戻らなかった。

路地のレストラン&バーをぶらぶら歩く、立ち止まって店前のメニューを見る。写真付きメニューでよく分かるが食べたいと思う料理が見付からない。
オールドマーケット脇レストランで、焼きそばと生ビールを頼んだ。
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々、バイク&車を見る、時々小説を読む。
昨日とまったく同じだ。違うのは焼き飯でなく焼きそばを食べた事ぐらいだ。


部屋に居ると64歳さんがノックをした。
自転車のキーを返し、礼を言う。
昼寝しようとしたが寝付けない。
タブレットで遊んでいると、通信が切れた。
小説を読んだ。

ビールが飲みたくて夕食に行く。
今日もフリ-ダム・ホテルのレストランで鳥香菜春雨サラダとビール大にした。

部屋で小説を読んでいると眠たくなり、21時就寝。

アンコールワット旅行 10月26日 シェムリアップ滞在

2013年12月16日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

遅めの8時ごろにハンモック・カフェに朝食に行った。
Aさんがハンモックに横になっていた。
その横のテーブルに付いた。
隣のテーブルに年配の男性3人が座っていた。
いままで見掛けなかった顔ぶれだ。
ノートパソコンを広げている人がいて、昨日国道6号線でトゥクトゥクから降りてパソコン・ショップに入って行った人だった。
「昨日、パソコン・ショップへ入って行かれるのを見掛けましたよ!」と声を掛けた。
パソコンのソフトを買いに行ったとの事であった。
話している間にみんながよく似た年齢なので年齢の話になり、年長の64歳でタイ・チョンブリ在住、パソコン・ショップへ行った人が50歳でタイ・カンチャナブリ在住、59歳でリラリゾG.H.長期滞在?であった。

シニアが集まると病気の話が多くなる。私も薬を飲んでいると話すと、年長の64歳さんに薬は更に悪くするのでやめろと言われた。シェムリアップで新鮮な野菜とミネラルを取れば自分の治癒力で大丈夫だと、しつこく言われた。
タイの野菜は農薬が使われているので駄目だ、シェムリアップの野菜は農薬を使っていないと言っている。
シェムリアップの野菜はタイから入って来ているのではないか? 少なくともホテルは大量に使用するのでタイから輸入しているはずだと私は言った。59歳さんがシェムリアップの田舎に行っても野菜を作っているのを見たこと無いと言い出した。
タイ在住の64歳さんと50歳さんの2人は30年近くタイで暮らして、今何しにここに滞在しているのか??
シェムリアップ長期滞在?の59歳さんに相談している様だ。この3人はどういう関係か??

日本を離れて30年のタイ在住の2人は日本に対して批判的で屈折した考え方を持っている様だ。愛国心の裏返しか?
オオマサガスを知っているか?と聞かれた。
私はまったく知らなかった、聞いた事も見た事も無い。
「振動させながら電気分解すると発生するガス」がオオマサガスで、燃焼させるとクリーンなエネルギとして使えるそうだ。
日本の総務省はそのガスは爆発するとして使用を許可していないそうで、外国に先を越されるのではないかと心配していた。

夜、オオマサガスをタブレットで調べたところ、
「水を振動撹拌しながら電気分解することで、安定した「酸素水素共存ガス」が発生する。そのガスは燃焼後は有害な排ガスを発生せず、水に戻るクリーンなエネルギーで、現在はガスバーナーの燃料や、小型エンジンを動かす事に成功しています。」そうです。
オオマサガスは、水素、酸素と水クラスター(多分、細かい水蒸気)からなり、爆発はしないと証明されている。
「燃焼させた場合に取り出せるエネルギーの総合効率は約50%ほどという研究結果が出ています。」、オオマサガスだけでは効率が悪いので、LPガスとの50%混合にすればLPガスの使用量を半減させると言っている。
「電気を使って作る燃料なのでオオマサガス発電の実現は難しいように思われます。」、電気分解だから電気を使ってオオマサガスを造る、わざわざオオマサガスを造らずに直接電気を使えばいい。余っている電気でオオマサガスを作り蓄電池の換わりに使う、経済的メリットがあるなら考えられる。
タイ在住の2人が騒いでいるほど、まだ、これから先どうなるか判らない。ただ、原材料がどこにでもある水というとこらが資源小国の日本にとっては大変重要かも知れない。
トヨタやホンダが2年後に発売する水素自動車の燃料の水素はLPガスから製造するそうだ。
オオマサガスは「日本発の新エネルギーとしてエネルギー革命を起こせるのか、今後に注目が集まっています。」とある。


昼食にオールドマーケットにバイクタクシーで行く事にした。
いつもの場所からでなく、プサルー市場近くまで行った。
ベテラン運ちゃんが新人を教育している様だ。
オールドマーケットまで新人運ちゃんと運賃交渉するとUS$0.5との事、ベテラン運ちゃんが呆れていた。
最初から地元価格を言って来たのだ。当然その運賃で乗った。
裏通りを通るルートを使ってオールドマーケットに行きたかったのでここまで来たのだ。
道は悪く、学校が有ったり、ホテルも有るがまだまだ開発されていない、地元の町だ。

昨日行った路地のレストラン&バーをぶらぶら歩く、立ち止まって店前のメニューを見る。写真付きメニューでよく分かるが食べたいと思う料理が見付からない。
オールドマーケット脇レストランで、焼き飯と生ビールを頼んだ。
ビールを飲みながら、通りを行き交う人々、バイク&車を見る、時々小説を読む。
食堂の若奥さんが子供を連れてレクサスUSVで帰っていった。

リラリゾG.H.に戻り、昼からビールで気持ちよく昼寝した。

夕食は、いつものレストランでいつものクメール・カレーとビール大を取った。

21時、就寝。

アンコールワット旅行 10月25日 シェムリアップ滞在

2013年12月13日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。

起きてすぐ、プサルー・マーケットに向った。
リラリゾG.H.から400mほどの距離だ。
国道6号線を歩いていると、大きな箒で道路の端を掃いているおばちゃん作業員を見掛けた。
道路の端に砂が薄っすらと積もっているのを掃いているのだ、お蔭でバイクも自転車も安全に走行できる。
 国道6号線
   

プサルーの手前の狭い路地に野菜が売られていた。以前はなかった。
プサルー市場周りの通路には従来通り野菜を売っているが少なくなっていた。先ほどの路地に移った様だ。
カット野菜をその場で作って売る野菜屋も無くなっていた、不衛生の為か??
 

以前無かった味噌?香菜や漬物屋が目に留まった。
  

市場内で売っていた乾物が外周通路で売られていた。
味の素は当然知っているが味丹は中国製?。
   

肉類は鶏肉がほとんどであったが、今は、豚肉、牛肉も増えて来た。

胡椒の実、3mmほどの実を樽に入れ売っていた。
レストランで生胡椒をかじり、今日大きな樽に入った胡椒を見るとカンボジア胡椒の生産が多くなって流通するようになったのか!! それとも今まで私が気付かなかっただけか!!

カンボジア胡椒を知ったのは、TV番組で日本人が1997年に胡椒栽培をはじめ、事業が軌道に乗るまでを放送していた。日本に輸出しようとしたがまったく売れず、アンコールワットに来る日本人に売ったり、カンボジア国内で徐々に売れ、今ではドイツで高級胡椒として売れているそうです。
「世界一美味しいといわれたカンボジアの胡椒はポルポト政権が米の作付けだけを強制した為、700年の歴史がある胡椒栽培が壊滅状態になった。1979年、ポルポト政権から解放された胡椒農家が畑に戻ると、数本の胡椒の木がかろうじてまだ生き残っていた。そこから、カンボジア胡椒の復活が始まった。」という物語があるそうです。

1時間ほどで戻った。
ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーとトースト&オムレスであった。
Aさんがハンモックで横になっていた。
遺跡巡りはまったくしていない、出掛けるのは長期滞在のDさんと夜にパブ・ストリートに飲みに行くぐらいだと言っていた。
Aさんは今回の行き先をバリ島かシェムリアップか迷ってシェムリアップにした。エアアジアで羽田~バンコク(クアラルンプール経由)が往復\27,000で買えたのでシェムリアップに来た様だ。
私もエアアジアの関西空港~バンコク(クアラルンプール経由)チケット価格が往復\37,000と1万円ほど下がったので9月末に購入した。しかし、3日後に再検索すると\27,000程度と更に1万円ダウンしていた。だからエアアジアのチケットを買うタイミングが難しい。

旅の予定では明日、トレサップ湖を高速ボートでプノンペンに行く事になっている。フロントでプノンペン行きボートチケットを買えるか聞くとボートは運航していないとの事だ。
一番楽しみにしていた「トレサップ湖の高速ボートでプノンペンへ」が駄目だとは何と!!!!
この先の旅ルートのシェムリアップ→プノンペン→シアヌークビル→コッコン(国境)→バンコクを行く気がしなくなった。

部屋にもどりタブレットでヤフー・ニュースを読んだ後、ハンモック・カフェに行きハンモックで横になった。
先日までハンモックが1ヶしか掛かっていなかったが、3ヶに増えていた。
ハンモックで小説を読んでいるとC子さんが来て同じ様にハンモックに横になった。
彼女も遺跡巡りをして他の時間はリラリゾG.H.で、まったりした時間を過ごしているそうだ。

昼前、オールドマーケットに昼食に出掛けた。
雲っているので歩くことにした。
国道6号線を歩いていると、トゥクトゥクが停まって、日本人男性が降りてパソコン・ショップに入って行った。トゥクトゥクには若い男女が乗っており、そのまま走って行った。
昨日あたりからリラリゾG.H.で見掛ける様になった。若い男女は日本人でない、多分タイ語を話していた。リラリゾG.H.は日本人以外を宿泊させるのかと思っていたので気になっていた。

一昨日乗ったUS$0.5運ちゃんが近付いて来た、すでに距離の半分ほどを歩いていたので断わった。
もう10分も早く来て待っていたら乗っただろう。
シェムリアップ川を渡り、川沿いに歩いた。

オールドマーケットとその北側にあるパブ・ストリートに挟まれたエリアにパブ・ストリートと平行に路地がある。
その路地をパブ・ストリート・アリーと言うそうだ。路地の両側にレストランやバーが並ぶ。
カラフルなテーブルクロスのレストランに入った。
シーフード焼きそばとビール大を頼んだ。
ビールを飲みながら通りを行き交う人々を見るのが好きだが、この路地は人が少なく、自転車、バイクや車も通れないのでつまらない。
つまらなくしていると、ウエイトレスが相手をしてくれた。日本人ですか?と英語で私はカタコトの英語であった。
リラリゾG.H.では会話はすべて日本語ですむので大変楽だ。だが、ますます英会話が出来なくなっていく。
支払いは別のウエイトレスが来て、支払いが終わるとシェーシェーと言われてしまった。速攻でI am Japanese!と言っていた。


部屋に戻り、タブレットで遊んだ。
Googleの計算ソフトを試してみた。見た目の画面はエクセルと同じで計算式も同じだが、入力方法が面倒くさい、他のやり方を試したがエクセルの様には行かなかった。
計算が面倒くさいので、マス目を使って旅の予定表を作ってみた。
「トレサップ湖の高速ボートでプノンペンへ」と考えていたがボートの運休でバス移動になる、それにリラリゾG.H.での居心地が良いのとで予定変更し予定表を作ってみた。
10月30日にプノンペンへ移動し、31日にシアヌークビル、11月1日にバンコクへ向う。

夕食は今日もフリーダム・ホテルのレストランに行った。
近いのでついつい、このレストランにしてしまう。他に探そうとしないのが悪いのだ。
シーフード香菜春雨サラダとアンコールビール大にした。
香菜も歯ごたえがあるが、野菜炒めの野菜ほどではない。シェムリアップの野菜は硬い、噛んでいると顎が痛くなる。
帰り際にウエイターに日本語で「また明日!」と言われてしまった。

アンコールワット旅行 10月24日 シェムリアップ滞在

2013年12月11日 | アンコールワット2013/10/16~
6時起床。晴れ。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

ハンモック・カフェに朝食に行った。
コーヒーを頼む、今日はサンドイッチだった。

朝食後、ロビーで小説を読んだ。
この時間帯、部屋を空ける様にしている。
洗濯物のポロシャツ、Tシャツや短パンを網かごに入れておくと、スタッフが毎日取りに来てくる。それとベッドメイキングの為である。
洗濯物は夕方に部屋に届けてくれる。
シェムリアップは暑く、毎日汗をかくので、このサービスに大変助かっている。

B女史がロビーに入って来た、「10時ごろになると、いつも自転車で出かけられますね!」と声を掛けた。「一様、仕事をしていますので!」と返ってきた。
日本語&英語の先生をしていると聞いていた。


昼食にオールドマーケットに行く事にしてリラリゾG.H.を出た。
バイクタクシーの運ちゃんが迎えに来た様に寄って来た。
オールドマーケットまでUS$1とのこと、ハーフダラー(US$0.5)と値切るとOKした。
ハーフダラーとダメもとで行って見たが、OKとは驚いた。地元価格だろう。
オールドマーケットに着いて2,000リエルを払った。ちょっと値切り過ぎかと思い1,000リエルをチップとして渡した。

オールドマーケット脇のいつも行くレストランは料理が悪くなったので行くのを止めた。
ぶらぶら探した。
スポーツ・バーがあったので生ビールを飲みに入った。
TVで、サッカーをしていた。どこの対戦だろう?
昨日、マンチェスターUの香川真司が久しぶりに先発出場して活躍したとヤフー・ニュースに載っていた。
その試合を放送していないかと思ったが違った。
次にTVを見た時、赤いユニフォームに気付いた。香川信司が走っている。
カウンターに移り、焼き飯を頼んで試合を見た。
ほとんどフルで試合を見れた。

マッサージ店の前を通ると料金表チラシを渡された、ボディ・マッサージ2時間 US$10となっている。
タイマッサージほどではなく、余り期待しないがボディ・マッサージを受ける事にした。
中でも最も若い人が私をマッサージする順番になった。
若いし、細いし、2時間マッサージ出来るのか不安を感じた。
店に案内された、1階はフットマッサージで2階がボディ・マッサージであった。
2階に上がると3人ほどがマッサージを受けていた。
システムも設備もタイと同じだ。
マッサージのやり方は、もむのではなく、オイル・マッサージの様に撫ぜ押さえる感じであった。
心配があたった、1時間30分も経つと片手だけが動いているだけだ。利き手でない方は動いていない。
2時間持たなかった、マッサージの腕も悪かった。


17時だ、夕食には、まだ早いが食事していく事にした。
ぶらぶら歩いた。
パブ・ストリートの西にある通りに、店先にシーフードを並べたレストランor食堂が3軒並んでいた。
イカを指差し、バーベキューと注文した。
ビールを飲みながら待つと、イカの野菜炒めが出て来た。
生胡椒(なまこしょう)が添えられている、いや一緒に炒められていた。
生胡椒は手のひらほどの長さのつるに直径3ミリメートルほどの胡椒の実がぶどうの様に付いていた。
しかし、この生胡椒がかじった様に部分的に胡椒の実が付いていない。
生胡椒の使い回しか???
4日前にも別のレストランでイカの野菜炒めを食べ、生胡椒が付いていたのでかじった。その生胡椒に私がかじった痕と同じ痕跡が1ヶ所付いていた。もしかして使い回し???と感じた。
今回は胡椒の実が半分しか残っていない、明らかに不自然である。
気付いてから食べるのをやめた。

オールドマーケット南のシェムリアップ川の橋を渡り、いつもの場所でバイクタクシーを拾った。
今日は、バイタク代US$0.5で交渉成立した。バイタク代US$1.5、US$1、US$0.5と数回乗る度に下がって行った。
日が落ちた頃、リラリゾG.H.に帰った。

アンコールワット旅行 10月23日(2) アンコールワットへ

2013年12月08日 | アンコールワット2013/10/16~
アンコールワット東門に向った。
10時30分ごろになっている。
運ちゃんには西側で待つ様に言った。
遮断機ゲートをくぐり、陸橋を渡った。こちらは裏門にあたる。
関係車両も陸橋を渡れ、アンコールワット中心部付近まで行ける。

東門が見えて来た。
  

東門から続く参道越しにアンコールワットの中央祠堂が見える。
ここからのアンコールワットが神秘的で好きだ。
   

西参道からのアンコールワットとは一味違う風景だ。
第一回廊から中央祠堂の距離が近い。
 

ここに大きなハングル文字で何か書いた電気自動車が停まっていた。
韓国人10人ほどのグループが電気自動車に乗って帰って行った。日程が詰まっていて急いでいるのか!!
アンコールワットを西塔門から入り見物し終わって東門に抜けて行ったのだろう。
西から東に抜けるコースを行く観光客もいるが、ここから電気自動車を使うのは韓国人だけの様だ。
他の客は東参道を歩き、振り返って参道越しにアンコールワットの中央祠堂を仰ぎ見て記念写真を撮る。
この神秘的なアンコールワットを見ないで帰るのはもったいない。 

木の柵のすき間から基壇に入る。
目の前に第一回廊が高い壁の様に見える。
一昨日レリーフを見て廻った第一回廊から第二回廊、第三回廊、中央尖塔群を仰ぎ見る。
 

疲れて来た、残り体力が少なくなった様だ。
最上階にあたる第三回廊に急いだ。
第三回廊への階段に列が出来ていた。
帽子を脱ぐ様に職員に指示され、急勾配の鉄階段を登る。
 第三回廊への鉄階段     閉鎖 石階段
  

第三回廊からのこの景色が一番美しい。
昔、王様だけが見られた景色だろう。
 


アンコールワットの風化 
「アンコール・ワットでは,建築石材として砂岩とラテライトがおもに用いられている。砂岩はおもに建築物の表面に,またラテライトは内部に用いられている。」とある。
建築物表面の砂岩しか見えないので、内部の事まで思いもよらない。
アンコールワット環濠の内側にある周壁はラテライトで出来ているのは知っていた。
第三回廊基部の表面の砂岩が落ちてラテライトの内部がむき出した。
 内部のラテライト(茶色い石)
  

第三回廊の四隅にある張り出した場所、12年前には西欧人が昼寝をしていた所だ。
今は立入り禁止である。
砂岩と砂岩のすき間が広がり、前に傾いている。
  

十字回廊の柱の基部
 



十字回廊の正面からテラス、西参道越し西塔門が見えた。
第一回廊の正面入り口は通行禁止になっている。
 

参道から寄り道して北聖池から1枚写真を撮った。人気の記念撮影ポイントだ。 
 

アンコールワットを東門から西に通り抜けた。
12時になっていた。
もうくたくただ、運ちゃんにリラリゾG.H.に帰るように言った。

シャワーを浴び、着替えて冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。
ビールがうまい。
立て続けに2缶飲んでしまった。

昼食が遅くなった。
近くのレストランでミートソース・スパゲティと缶ビールを頼んだ。
スパゲティを食べたかったので注文したが、いつもの中華系レストランでは私が作るスパゲティと変わらず、もうひとつだった。          

2時間ほど昼寝した後、タブレットで日記をメモった。
AndroidのGoogle・officeはローマ字入力できるが、携帯電話のショートメールと同じで予測候補文字から選択する方式で慣れていないのでストレスを感じる。
帰国後、自分のパソコンのGoogleアプリで入力した日記メモデータを使える事を期待して入力した。

夕食は、今日もクメールのエビ・カレー&ライス、ビール大にした。
レストランからの帰り、アンコール缶ビール4缶US$2で買った帰った。
缶ビールが安いのが嬉しい。

アンコールワット旅行 10月23日(1) タ・プロームへ

2013年12月05日 | アンコールワット2013/10/16~
タ・プローム

6時起床。晴れ。

ベッドに寝そべり、タブレットでヤフー・ニュースを読む。

いつもより早く、ハンモック・カフェに朝食に行った。
AさんとC子さんも来ていた。
コーヒーを頼んだ。
コーヒーと焼きそばが運ばれて来た。朝から焼きそばとは! ビールが欲しい。
C子さんは、フィリピン、マレー半島を北上してバンコク、そしてここに来た、日本を出て1ヶ月半だそうだ。
今日は、アンコールワットに行くと話すとAさんは今回は遺跡には行かずに、ここでぐだぐだしてると言われていた。

8時出発は少し忙しい、私も遅れたが、それ以上に、運ちゃんも遅れた。
バイクの後ろに乗り出掛けた。
アンコールワットに近付き、運ちゃんはアンコールワットでいいのかと確認して来た。
バンテアイ・クデイ、タ・プローム、アンコールワットの順で廻ろうと伝えた。
アンコールワットの環濠に突き当り右に曲がった。
アンコールワット東門に近付き、最後でここからアンコールワットに入ると伝えた。

バンテアイ・クデイに着き、外周壁の東塔門前でバイクを降りた。
運ちゃんが反対側で待つと言った。
真直ぐ通り抜けると西塔門に出る、そこで待つとの事だ。
東塔門と向かい合うようにスラ・スランがあり、先に行った。
「スラスランは王のための沐浴池である。東西700メートル、南北350メートルの大きさを持つ。周囲には石段が設けられており、西側には砂岩のテラスがある。」とある。
テラスから大きな池を見た。
 スラ・スラン
 

スラ・スランのテラスから振り返るとバンテアイ・クデイの東塔門が見える。
バイヨン寺院の人面塔を持った塔門だ。
 バンテアイ・クデイの東塔門
  

外周壁の東塔門をくぐると森の中に砂道が続く、静かな森の中の参道だ。
東塔門が見えて来た。
東塔門の前にテラスがあり、テラスの横に池(聖池or環濠)がある。
  

仏教寺院内部はさまざまな建物が並ぶ構成になり、一直線に通り抜けられる。
  

中央祠堂を過ぎると西塔門に出る。
  

西塔門から森の中の参道をさらに西に歩くと外周壁の西塔門に出た。
外周壁の西塔門の人面塔がなかば崩壊していた。

バイクの後ろに乗り北に2分ほど走るとタ・プロームに着いた。
東門前は土産物屋や物売りでにぎわっている。
小回りコースのルート道路沿いに西門があり、そこが正門だと思っていたがここが正門らしい。
森の中の参道を歩く。
 

参道を歩いていると聞き覚えのメロディが聞こえて来た。
カンボジア内戦で負傷した人達が楽団を組んで演奏しているのだ。
それはアリランであった。韓国人観光客のガイドが仕組んだのだろう。
アンコールの静かな森の中でこのメロディは似合わない。
周壁の東塔門が見えて来た。
  

タ・プロームといえば遺跡に食い込むカジュマルの根だ。
     

     

寺院の周壁が崩れ落ちた石材が散乱して、崩壊が進んでいる??
修復が進んでいる様にも見えず、木道を整備して観光客による傷みを軽減している。
  

  

  

12年前に初めて来た時と比べると散乱した石材は整理され、崩壊の危機も脱した様に感じる。
カジュマルの木の根により崩壊がどんどん進むと言われていた。
しかし、今は「現在ここで議論が沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論である。」と言われている。

参道でアリランの演奏を聞いたので韓国人観光客が多くいるのかと思っていたが、見掛けなかった。
あのアリランは何だったのか? 
私を韓国人と思ってアリランを演奏してチップをもらおうとしたのか?

後半に続く。