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いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2017カンボジア旅行 7月09日(日) 帰国

2017年10月21日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
のどが痛い、エアコンにやられたようだ。
14:15発関空行きエアアジアで今日帰国する。
のど風邪で体が怠い、タクシーでドンムアン国際空港に行こう。
1時間早くゲストハウスをチェックアウトした。
タクシーを拾うタイミングが合わず、BTSスカイトレインでモーチット駅に向かった。
モーチット駅からタクシーでいこうと思ったが、階段を降りたところがエアポートバスA1のバス停で、客がいたのでまもなくバスが来ると思い待つとすぐに来た。
結局、A1バスでドンムアン国際空港まで行った。

早く来すぎて関空行きのチェックインカウンターはまだオープンしていなかった。
オープンを待ってチェックインして、出国審査に並んだ。
出国審査所で入国管理局で再発行してもらった出国カードを挟んで渡すと審査官の鋭い視線にあった。悪いことでもした様に感じた。
再発行出国カードに必要項目の記入を要求され記入してスタンプを押してもらった。

関空行きエアアジアは少し遅れて出発した。
のど風邪で辛い、1時間ほど寝た。
隣にハノイの観光地図を広げた女性が座っていた。
「ハノイですか」と話しかけた。
中国吉林省出身の女性で日本の大手電機メーカーに勤め、ハノイがメインで東南アジアを担当しているようである。
窓際族の年配者と一緒に仕事をしている。以前は駐在員を現地に置いていたが、経費が掛かるので事務所と現地従業員はいるが、日本従業員は出張でホテル住まいであるそうだ。窓際族は仕事の邪魔、及び日本人駐在員を無くしたことに不満を持っていた。
年金はあるは、2年間の産休が取れるは、言うことない。計画的に3人子供を産んだら6年間働かなくても給料が貰えると言っていた。
もうすぐ日本国籍を取る。5ヶ国語を話せるのでもっと早く日本国籍が取れたのだが、貯金がたまってからと思い、今になったと言っていた。日本名を見せてどうですかと感想を聞かれた。
いろいろ話したが文化の違いが大きくて、しまいには腹が立ってきた。
日本国籍を取るのはどう思いますかと尋ねられて、日本を利用したければどうぞと言ってしまった。
以前、テレビで中国吉林省出身の中国人が中国のパスポートでは、世界を仕事で回るには都度ビザを取らなければならず、不便だから日本国籍を取ると発言した中国女性がいた。
彼女の話を聞いているとそれが頭をよぎって「日本を利用したければどうぞ」と発言してしまったのだ。彼女の顔色が一瞬変わった。
彼女は転職を考えている様だった。同僚の日本人女性がトヨタに転職して羨ましそうであった。業種はやはり自動車メーカーだ、東南アジアはまだまだこれから車だ売れると言っていた。
5ヶ国語話せる語学力を活かして、東南アジアで駐在員になりたい様だ。
現地採用だけはなるなよと言うと、何故と食いついて来た。待遇が日本人とまったく違う、給料は現地従業員と同じ、年金や産休はないと話すと、何故、同じ日本人なのに?!!

席の周りが聞き耳を立てて私達の話しを聞いているよと注意すると彼女は話しをぴたっとやめた。

まもなく、20分遅れで関西国際空港に着陸した。


2017カンボジア旅行 7月08日(土) バンコク滞在

2017年10月19日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
今日の1日は余計なバンコク滞在日だ。
シェムリアップでバンコクー関西国際空港間の航空券を買う時に、余裕を見てバンコクに3日間滞在することにしたが、2日間でよかった。
今日はタイマッサージを受けることしか思いつかない。

今回の旅は、どうもテンションが上がらない。上がっても続かない。
2年前のミャンマー旅行からバックパックを担いで各地を転々と回る旅が続かなくなった。途中でコースをショートカットしてしまったり、うまくルートが取れない時は旅を終わっていまう様になった。
今回も、ベトナムのフーコック島、ポーチミンと回るつもりがカンボジアだけとなってしまった。
体力が無くなり、好奇心だけでドンドン前に進んで各地を回っていたのが、それが出来なくなった。
今回、バックパックでなくキャリーバックに変えたが、大変楽になった。
バスやミニバス移動を出来るだけ飛行機を使う。各地で観光地を自力で回っていたのをツアーに参加する。路線バスからタクシー移動に変えるなど旅行スタイルを変えて楽な旅にしていこう。旅の楽しみが半減するかもしれないが・・・・・。 
年相応の旅にしていこうと考えるようになった。

タイマッサージ2時間受けた後、食事に行きビールを頼むと今日はアルコールは出せないと言う。
今日はタイでは禁酒日だ。時々遭遇する。
仏教の重要な祭典日が禁酒日になっている。
私の記憶では10年前は、外国人が相手のレストランやバーは、禁酒日でもアルコール類を出していたが、全く飲めなくなった。バーやカラオケなど店を閉めているところもある。コンビニでも販売を中止する。
だから、今日はまったくビールが飲めなかった。

2017カンボジア旅行 7月07日(金) バンコク滞在 チャオプラヤ川へ

2017年10月16日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
バンコクに来たら、よくチャオプラヤ川に行く。
自分でも飽きもせづ、よく行くなと思う。
最近は、センセーブ運河ボートで終点のファンファ桟橋まで行って、そこから徒歩で王宮前広場を通り抜けてチャオプラヤ川に出る。このコース、4月、5月は猛暑で歩くと死にそうになる。

ファンファ桟橋の近くには、ワット・サケット(黄金の丘)、マハカーン砦、ロハ・プラサート寺院がある。ロハ・プラサート寺院には行った事がない、今度行って見よう。
 マハカーン砦
 

 ロハ・プラサート寺院
 

ラチャダムヌン クラン通りを王宮前広場に向かうと絵画展をしていたので覘いてみた。
アート・センターだったと思う。
 

絵画はあまりいいのは無かった。
  

タイ文化を表す写真が大変良かった。無心でシャッターを押した。
  写真クリックで写真拡大
   

   

   

   

  

民主記念碑を通り過ぎて進むとアユタヤの昔の絵地図がウインドウいっぱいに展示してあった。
チャオプラヤ川を帆船が遡上してアユタヤに到着したのが描かれている。
話では帆船がアユタヤまで行っていたとは聞いていたが、これを見ると、変にリアルに感じる。
山田長政が活躍した日本人町も辛うじてありそうだ。
  古いアユタヤ 絵地図写真拡大
 

宝くじ売り場が続く。いつも大勢の人が集まっている。
ここからラチャダムヌン クラン通りの北側にカオサン通りがある。
カオサン通りは歩道に屋台店があり、歩きづらいのでほとんど行かない。

王宮前広場は、去年11月に来た時と同じで、弔問客の為の各種テントが張られていた。
街中では喪に服している雰囲気はないので、私は服装に気を付けずに来てしまい、王宮前広場の外周を歩いた。
ラックムアンの右に国防省、左に郵便局が化粧直しも終わり、綺麗になっていた。
 ラックムアン
 

弔問客がワット・プラケオに入って行く。
ワット・プラケオの奥にある王宮のドゥシットマハープラサート宮殿にプミポン国王の遺体が安置されているそうです。
いつも閉まっている門が開いている。
 

この門の西側に従来通りの観光客用の門があり、アジア人&欧米人が入って行く。こんな時期なのでドレスコードを厳しくしているのだろう。
チャオプラヤ川のター・チャーン桟橋付近の民間建物も化粧直しをして綺麗になっている。10月の葬儀に準備が進んでいる様だ。

マハラジャ桟橋に向かった。
マハラット通りにはタイのお守りプラ・クルアン(仏陀・??)が屋台で売られている。手のひらに乗る大きさの素焼きで骨董品扱いされている。
通りからチャオプラヤ川方向に入るとマハラジャ桟橋がある。
周りには小綺麗な店があり、北側にもショッピング街があった。
ショッピング街に行って見ると通り抜けてチャオプラヤ川沿いに食堂が並んでいた。
もう14時前になっていたので、腹減った、食堂に入った。
ビールは無く、コンビニに買いに行けと言われ、缶ビールを買って来た。
パッタイ(タイ焼きそば)を食べながら、チャオプラヤ川を眺めた。
400年前、西欧や中国、日本の帆船がアユタヤまで行き来していたのか! 今は観光船が運航している。
 

向かいのワンラン桟橋にチャオプラヤ・エクスプレスボートが着いた。
渡し船でワンラン桟橋に渡り、タクシン大橋まで行って、帰ることにした。
 

渡し船に向かう途中のレコード店にビートルズのポスターが貼ってあったのでパチリ。
 

2017カンボジア旅行 7月06日(木) バンコク滞在 入国管理局へ

2017年10月12日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
booking.comで予約したスクインビット・ソイ33にあるホテルから移る事にした。
ソイ33はケバケバしい店が多くて落ち着かない。
朝食で屋台へ行ったが、屋台のねえちゃんまで厚化粧していた。

2週間前に泊まったソイ・カセムソン1の定宿に行った。
この通りは、屋台も多く昔のバンコクの風情が残っている。
この定宿での居心地が悪くなってきたが、このソイの雰囲気と便利さで宿泊している。

パスポートに挟んでいるはずの出国カードが無く、どこかで落としたようだ。
Webサイトで調べると、対処方法として
 1,空港のイミグレーションで出国審査の前に係官に申し出れば問題なし、
 2,警察署で紛失証明書を発行してもらい、バンコク入国管理局に行って再発行してもらう。
であった。

イミグレーション・オフィス(入国管理局)に行くことにした。
ノービザ入国の滞在延長が30日間になったので、いつかお世話になるかも知れないのと、出国審査時ではトラブって飛行機に乗れなかったら困るので入国管理局に行ってみた。警察署での紛失証明書の発行は面倒くさいので無しで行った。
BTSでモーチット駅まで行き、タクシーでトーモー(入国管理局)に向かった。
運ちゃんにタイ語で「トーモー」と言うとスタンプを押すしぐさをした。
ドンムアン空港の手前を西に行ったところに入国管理局はあった。運賃はTHB110ほどである。

受付で「9日に日本に帰る。しかし、出国カードを紛失した。」と言って、言われた場所に行った。
向かった受付でも同じ様に言った。
申請書を渡された。
タイ語と英語の併記されており、どこに記入すればいいの分かりずらかった。
分かる範囲で記入して受付に持って行くと、写真を撮って来いとの事であった。
写真屋を探して行った。どこか分からない、最後は写真屋の場所を尋ねた女性が案内してくれた。

受付に戻り、先程から尋ねている若い女性に写真と申請書を渡すと、今度はコピーと言う。
私が怪訝な顔をすると「モー!」という表情をして、パスポートを要求したので渡した。
彼女は私が書いた申請書とパスポートをを見て、新しく申請書を書き、奥へ行きパスポートのコピーを撮って来た。
来いというので付いて行くと係官がいて申請書に30日と言って30と記入した。
彼女に案内され、そこで待てと言って戻って行った。

彼女は私が滞在延長申請に来たと勘違いしているのだ。
今、順番待ちしているのは滞在延長申請のためだ。
まあいいか! 係官に説明したら、どうにかなるだろう。
順番が来て、係官に「明日、日本に帰る。しかし、出国カードを紛失した。」と言うと、「帰ったらいいが、帰れ帰れ」と言われてしまった。
「えー!」日本語で行ってしまった。
係官は出国カードを紛失した事に気付き、引き出しから出国カードを出し、タイ語で何か書いて、パスポートにポッチキスで留めてくれた。

申請所の係官は、「明日、日本に帰る。しかし、出国カードを紛失した。」だけで、出国カードが欲しい事に気付いてくれたが、舌足らずであった。
結論の出国カードが欲しいと言う必要があった。
受付でこの一言を言わなかった為に、この様な事になってしまった。
滞在延長申請書は持ち帰った。

イミグレーションからの帰りもタクシーでBTSモーチット駅に向かった。
BTSサラデーン駅に行き、タニヤ通り近くの有馬温泉でタイ古式マッサージを受けた。
2時間受けると大分疲れが取れた。
日本に帰るまでのもう一回はタイマッサージを受けられるだろう。

参考に滞在延長申請書を載せます。
  滞在延長申請書 申請書拡大
  

2017カンボジア旅行 7月05日(水) バンコクへ

2017年10月06日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
8時発バンコク行き国際バスでバンコクに向かう。
そのピックアップが7時の予定で、ホテルフロントで待てどもピックアップが来ない。
フロントが電話してくれたが、ピックアップされたのが8時を過ぎていた。

国際バス乗り場はオールドマーケットの西1kmほでの建物が途切れる辺りにあった。
バスが1台停まっていた。フロントガラスに「8時」の表記があった。
8時と9時のバスがあるが、9時のみに減便していたのだ。

9時に出発した。客は10人ほどであった。
11時に国境のポイペトのロータリーに着いた。
荷物を持ってバスを降り、カンボジアのイミグレーションに向かった。
出国審査に並んでいると横に小柄な女性が赤いパスポートを持って並んでいた。
日本の方ですかと声を掛けた。
無事、カンボジアを出国して、小柄な日本人女性とタイのイミグレーションに向かった。
話しながら歩いていると線路に気付いた。えええ!!!
カジノホテルの前に線路が走っている!!!

4年前、このバンコク行き国際バスを利用した時、ポイペトの街はずれまで新しい線路が敷かれているのを見た。
タイのアランヤプラテートといつ頃つながるのだろうかと思っていた。
まさか陸路国境を歩いて越える人々が行き交う目の前を列車が走る様になるとは思いもしなかった。

タイのイミグレーションでは以前は屋外から並んでいたが、今回は並んでいない。
エアコンの効いた入国審査所で、日本女性と話しながら並んだ。
早く終わると思ったが、列が進まない。
彼女は、タイのビザを取り、チェンマイでタイ古式マッサージスクールに1ヶ月間通った。その後タイ周辺の国をバックパックを担いで周ったと言っていた。

入国審査所で1時間待って漸く順番が来た。
無事入国して、焦ってトイレに行った。
バスにキャリーバックを置き、缶ビールを買いに行った。途中で同じバスの客が入国審査で日本女性がトラブっていると教えてくれた。
バスの車掌にもトラブっている、長引きそうだと話していた。車掌は慌ててイミグレーションに向かった。
私は缶ビールを飲んで待った。
彼女は体より大きそうなバックパックを背負って走って来た。間違って使用済みのビザで入国しようとしてトラブったと話していた。

13時に国際バスはバンコクに向かって出発した。
車窓からの風景を見て過ごす。

日系企業の工場が集まっている地区を過ぎた、スワンナプーム国際空港が近い。
この辺りでスマホのGoogleマップだけが使えるのに気付いた。カンボジアのSIMカードで何故使えるのか???
エアポートリングのLat Krabang駅(ラートクラバン駅)へ高速道路からわざわざ降りて行った。下車客がいているのかと思ったが、降りる客はいなかった。
Lat Krabang駅は、1駅でスワンナプーム国際空港があり、この先、渋滞がありモーチット2バスターミナルまで時間がかかるので、この駅からバンコク中心に向かうのに便利である。
国際バスはここで下車できるのか???

車掌がモーチット2バスターミナルまで行くか聞いて回っていた。モーチット2バスターミナルは足の便が悪いからだ。私は多分そう言う質問だろうと思い、BTSと答えた。

 

5時頃に着いた。
バスを降ろされたのはバンコク・メトロKamphaeng Phet駅(カムペーンペット駅)前であった。BTSモーチット駅まで1km弱である。
日本女性も降りた。どこにホテルを取っているのか聞くとBTSプロンポン駅近くとの事で私と同じであった。
メトロで行き、アソークでBTSに乗り換えることにした。
BTSプロンポン駅に着き、彼女と挨拶して別れた。その時、彼女がスマホのGoogleマップを見ていたが、反対方向に行きそうだったので、彼女の手に持っているスマホの向きを上下逆にしてあげた。現在の位置関係にGoogleマップを合わせたのだ。
彼女はGoogleマップを見て、あ!! と言って、振り返って歩いて行った。

偉そう事を言いながら、私は道を間違え、やっとホテルに着いた。
昨夜、booking comで予約したホテルだ。
予約No.のメモを渡し、パスポートを要求され渡した。
パスポートに挟んであるはずのデパーチャ(出国)・カードがないと言っているようだ。
真っ青だ!!!!!!!

チェックインは終わり、部屋で取り合えずシャワーを浴びた。
食事に行きたいが、出国カードの紛失が気になってホテルのWifiを繋いでインターネットで調べた。
インターネットで「バンコク 出国カードを紛失」と検索すると
 1,空港のイミグレーションで出国審査の前に係官に申し出れば問題なし、
 2,警察署で紛失証明書を発行してもらい、バンコク入国管理局に行って再発行してもらう。
2,が正規の対処方法だが、現実には1,で可能であるようだ。
入国ポイントまで戻って処理しなければならないのか??と思ったが、そうではなく一安心である。

2017カンボジア旅行 7月04日(火) シェムリアップ滞在

2017年09月30日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
シェムリアップに1週間滞在するつもりだったが、することも思いつかず、明日、バンコクに向かうことにした。

ホテルフロントでバンコク行きの国際バスチケットが取れるか確認すると取れるとの事で取ってもらった。運賃は28ドルであった。
飛行機で行くことを考えたが、早く着いても・・・!と思いバスにした。

バンコク行き国際バスは、シェムリアップ→国境ポイペト/アランヤプラテート→バンコクと走る。
タイ陸路国境アランヤプラテートでタイ入国時に、出国の為のエアチケットを持っていないと、いちゃもんを付けられても何なのでバンコクから関西国際空港へのチケットを買うことにした。
タイのビザなし入国の条件に出国の為のエアチケットを持っている事とある。実際には、エアチケットの提示を求められたことが無いが、念のため、購入することにした。

海外旅行中、Webサイトから航空券を購入したことが無い。ホテルのWifiを使ってのインターネット使用にはセキュリティ上問題があるので、インターネット購入はもってのほかとされているからだ。
今はスマホを持っているので、インターネットで航空券購入しても比較的安全だろうと、エアアジアのWebサイトで購入手続きをした。いろいろ入力し、最後にクレジットカードのデータを入力すると最後にパスワードを尋ねてくる。パスワードを入力すると違っていた。以前は4桁のパスワードであったが、違っていた。えええ!

スマホでの購入にセキュリティ上の不安を感じながら、せっかくトライしたのに駄目であった!!!!!
オールドマーケット付近の旅行会社で航空券を購入することにした。前回シェムリアップに来た時、エアアジアののぼり旗??を見た覚えがある。
オールドマーケット近くに行って、記憶をたどって探すとエアアジアを前面に出した旅行会社があった。
行先、日付&出発時刻を書いたメモを渡して話しを進めた。発券手数料やクレジットカード手数料3%など10ドルほどupした。
9日ドンムアン国際空港14:15発、関西国際空港22:00着航空券が193ドルであった。

雨の中、オールドマーケット近くのパブストリートに夕食に出掛けた。
雨の為、いつもの賑わいはないが、それでも大勢の客がレストランで食事をしらりバーで飲んでいた。
昼間はアンコール遺跡の遺跡巡りを楽しんで、パブストリートに繰り出し夜遊びする。これがシェムリアップの楽しみ方である。
東南アジアのどこの繁華街よりも女性客や家族連れが多い。よくある性風俗産業が無いからだろう。

カッパを着たトゥクトゥクの運ちゃんがレストラン前まで来て客引きしている。
どうせ吹っ掛けられるので、15分かけて歩いてホテルに帰った。

2017カンボジア旅行 7月03日(月) シェムリアップ滞在 プノン・クレーンへ

2017年09月24日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
朝食を取る。
インスタントコーヒーをセルフで入れ飲んでいると、トーストとスクランブルエッグが来た、さらにフルーツもあった。
美味しく、完食で十分お腹が膨らんだ。

ホテルのフロントにツアーリストが掲示してあった。
プノン・クレーンとバンテアイ・スレイがバイクで25ドルと掲示されていた。
プノン・クレーンは、バイクか車でなければ行けない。トゥクトゥクは、山道で道が悪いので行けないそうだ。
この年になってバイクの後ろに乗って1.5時間はきついので、毎回二の足を踏んでいた。
フロントで話していたら、プノン・クレーンは入場料20ドル必要だと言われ、あまりお勧めでないようであった。アンコール遺跡入場券の対象外だそうだ。

プノン・クレーンにバイクに乗せてもらって行くことにして、ホテルで手配してもらった。
30分ほど待つとバイクが来た。バイクの後ろに乗ろうとすると、シートがほこりで汚れていた。トゥクトゥクの座席部を外してバイクだけで来たようだ。トゥクトゥクのドライバーかと尋ねるとやはりそうだった。

国道6号線に出てシェムリアップ空港方面へ向かった。
これでは逆方向である。どこへ行くのだろうかと思っていると国立公園事務所であった。
プノン・クレーン入場券を20ドルを支払って購入した。

バンテアイ・スレイに向かった。
10年前にバンテアイ・スレイに行った時もバイクの後ろに乗っていた。
舗装前の砂利道で怖かったことが記憶にある。
今は舗装され、運ちゃんが飛ばし過ぎないようにハラハラしていた。
バンテアイ・スレイへの道標を見て、直進し離れていった。
それまで道路沿いに人家があったが、まったく無くなり周りは畑になった。
周りが灌木になった頃、プノン・クレーンのゲートがあった。
入場券チェックを終え進むと、急な上り坂となり地道に変わった、ヘアピンカーブを2ヶ所過ぎると後はアップダウンが少ないガタガタの地道が続いた。
これではトゥクトゥクでは無理だ。
掘立小屋が並ぶところに着いてバイクを降りた。

 

掘立小屋の土産物屋が並ぶ奥にプレア・アン・トム寺院の入口があった。
子供や老人が端に座って、お布施をもらっている。カンボジア人は得を積むため小銭を渡している。これはタイと同じだろう。
  

運ちゃんが案内してくれた。
黄金のプレア・アン・トム涅槃像が現れた。
 黄金のプレア・アン・トム涅槃像
 

黄金のプレア・アン・トム涅槃像から出ると見晴らしのよいところに出た。
写真人物はどうでもいいがバックのクレーン山の風景を見てください。山と言うより丘陵地帯と言った感じである。レンガ造りの遺跡が密林の中に数多く残されているそうです。
 

水槽の前にリンガとリンガ台が置いてあった。
遺跡巡りをしているとリンガ台はよく見かける。リンガを置く穴は残っているがリンガが無いことがほとんどだ。
水槽の水を桶でくみ、リンガにかける。リンガ台から流れ出す水を頭にかけたり、顔を洗う。
リンガがこの様な使い方をされているとは、初めて見て、新鮮な感じを受けた。
私も顔を洗った。
 リンガとリンガ台 写真拡大
 

次に滝に案内された。
第一の滝があり、この次にさらに大きな滝がある。
  

急な階段を降りていくと落差の大きな滝があった。
カンボジア人は水着や普段着で泳いでいた。仮設トイレを大きくした様な更衣室があり、順番に着替えていた。
  写真拡大
 

アンコール発祥の地と言われ聖なる山プノン・クレーンであるが、プレア・アン・トム涅槃像と大きな美しい滝とまったくの観光巡りである。
アンコール発祥の地らしい千本リンガはどこだ。
プレア・アン・トム涅槃像と大きな美しい滝の1km圏内に千本リンガはあった。
川底に彫られたリンガが並んでいた。
  

  

バンテアイ・スレイに寄った。
広い駐車場が出来ていた。その横に遺跡への入口があった。
10年前は参道前に職員がいてチケットのチェックをいていた。また、そこまで道路が走っていた。

位置関係が分からない、入口から突き当たって右に行きかけたら職員に呼び止められた。逆に行くところであった。
100mほど行くと参道であった。昔は道路であったところが入口からの歩道になっていた。

バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味するそうだ。
規模は小さいが、デバターの彫刻は「東洋のモナリザ」と呼ばれ、柔らかな曲線で彫られ、美しい姿を見せている。
写真を撮ったが近づけず、小さくて駄目だった。
  写真拡大
  

16時30分ごろにホテルに着いた。

2017カンボジア旅行 7月02日(日) シェムリアップ滞在

2017年09月16日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
オールドマーケット近くの街角で客待ちしているトゥクトゥクを捕まえて、アンコールワットとアンコールトムだけで運賃交渉した。言い値は15ドルで13ドルで成立した。アンコール遺跡小回りコースの正規運賃は15ドルである。

入場券売り場が不便な場所に移っていた。
トゥクトゥクは北のアンコールワット方向へ向かい途中で入場券売り場に寄るはずが、国道6号線を東に走りプサルーを通り過ぎたところで北に向かった。
まっすぐな道路で周りには何もない。大きな建物が見えてきた交差点に入場券売り場があった。
広い駐車場があり、売り場も広くインフォメーションセンターの様だ。
3日券63ドルを支払う時、昨日のレストランで20ドル札の折り目が部分的に切れているのを見付けられ受け取りを拒否された、その20ドル札を混ぜて払った。職員に見付けられたが「いいか!」と言う感じで受け取ってくれた。
なお、バンコクのSiam Exchangeでつかまされた欠けのある20ドル札はシェムリアップでいつの間にか使って無くなっていた。

 アンコール遺跡中心地map map拡大
 

アンコールワットに向かった。
東門の前を通ったので停まれと言ったが、指で先を示して止まらない、ドンドンと叩くと運ちゃんが「西参道側はトゥクトゥクが多い」と言って走り続けた。
私は、東門(裏門)から入って西門(正門)に抜けようと思っていたが、運ちゃんは正門側はトゥクトゥクが多過ぎて待ち合わせが上手くいかないと言いたかったのだ。

アンコールワット西参道の環濠を渡る陸橋は修復中で横に仮設の浮き橋が設置されていた。
歩くと少し凹み、歩きずらい。
 アンコールワット西参道の仮設浮き橋  写真拡大
 

 浮き橋からの陸橋
  

西塔門は、三塔あり、中央が大塔門で王の門である。
 

三塔の南北に象門があり、象が通れる様に階段がない。
仮設の浮き橋は、この象門に出る。
 

象門を通らず西塔門に向かい、西塔門から陸橋を見た。
下写真の陸橋右側は10cm程度陥没し段差ができていたが修復されている。以前から陸橋のどこかは修復されていた。
今回2020年まで仮設の浮き橋を掛けてまで何をどこを修復するのだろうか?
現在陸橋には欄干がない。欄干は環濠に落ちているらしいのでそれを拾い上げ修復して欲しい。
 

西塔門をくぐると西参道越しにアンコールワット中央祠塔が見える。
いつも、この景色を見て「おおー!」と感嘆の声をあげる。
 西参道 写真拡大
 

北聖池越しのアンコールワット中央祠塔を撮るために多くの客が集まっていた。
ここはアンコールワットでの最も有名なフォト・スポットである。
 アンコールワット中央祠塔(北聖池越し) 写真拡大
 

西参道を進むとアンコールワット内部への入口である十字テラスの階段をあがる。前回来た時は修復中で通行禁止であった。
十字テラスへ十字テラス


十字テラスから内部に入り、直進すると十字回廊へ行き、左右側は第一回廊である。
今回は第一回廊のレリーフ(壁画)を見ることにした。
ラマーヤナ、乳海攪拌や天国と地獄をはじめとした見事なレリーフ(壁画)が残っているが、ガイドを付けなければ乳海攪拌以外はどれがどれか私には分からない。

観光客が触るので黒光りしている。
以前はラマーヤナの有名なパートだけが黒光りしているとかで、私にとっては見るべき所だとの目印になっていたが、南側壁全体がこれでは駄目だ。
「Do not touch the carvings(レリーフに触るな!)」の注意看板とロープが張られている。前回もあったが、ロープの位置が壁際で触ることができた。今は離れて手が届かない。
 

レリーフが部分的に剥がれていた。
これほど広く剥がれているのを見るのは初めてだ。
天井の雨漏りが原因だろう。
 

東参道に行った。
森に囲まれた参道の先に中央祠塔が見える。昔のアンコールワットを感じる。
 東参道からのアンコールワット中央祠塔 写真拡大
 

 東参道からのアンコールワット中央祠塔 写真拡大
 

東門まで行って引き返した。
北側第一回廊のレリーフを見た後、西参道を戻らずに南側の象門に続く道を行った。この道にも観光客が帰り道に使っていた。西参道に人が少ないと思っていたがこの道にも分散されているからか?
 

アンコールワットを1.5時間見て歩いた。
次にアンコールトムへ向かった。
南大門素通り、先に昼食を取ることにした。
ライ王のテラス前に食堂が並んでいるエリアがある。
ヌードルスープ$5 缶ビール$2を頼んだ。出て来たのはインスタントラーメンであった。価格はシェムリアップの2倍だろう、運ちゃんのまかないも含まれているのだろう。

バイヨンを後回し、バプーオンに向かった。
バプーオンと言えば空中参道で知られていて、奥に三段ピラミッド型の寺院がある。
 写真拡大
  

寺院には登ったことがない、バプーオンにたどり着いく頃には、疲れてピラミッドには登る気がしないのだ。
今回は、たまたまアンコールワットでいつもより拝観時間が短く、バイヨンも後回しにしたので、ピラミッド寺院に登る気がした。
アンコールワットと同じ様な急階段を登る。石積がアンコールワットに似ている。
   

空中回廊がよく見える。
 

切り花がたくさん立て掛けてあった。近くにいた中学生に聞いてみると「King・・・」と言っていた。王の命日か??
  

急階段を降りて裏側に回ってみた。
ここにも切り花が置いてあった。
石垣が膨らんで崩れそうになっていると思った。
熊本地震後の熊本城修復のテレビ特番で熊本城の石垣が膨らむと崩壊のシグナルだとテレビでやっていたからだ。
 

案内板でこの絵を発見して、すぐ後ろを振り向いた。
 

崩れかけている石垣だと思っていたのが石垣で作った寝仏であった。
 

案内板で気付かなければ、そのまま立ち去っていた。
 バプーオン西壁 写真拡大
 

王宮へ向かった。
森の中の小道を進むと王宮の周壁があった。
さらに進むと池に出た。
 

予想外に池に出たので、象のテラス方向に行くとピミアナカス寺院があった。
閑散としていた、いつもは大勢の観光客がいるのだが!!!
 

王宮と言ってもピミアナカス寺院しか残っていない。
王宮の入口門ではない、どこへつながっているのだろう。
 

象のテラスを通りバイヨンに着いた。
バイヨンに入る体力が残っていない、外から見るだけ!!!
 バイヨン 写真拡大
 

4時間ほどのアンコール遺跡巡りで疲れ、シャワーを浴びて昼寝した。

宿泊しているホテルがあるStreet22がWat Bo Rd.が交わるところに日本レストランがある。
今日はそこで夕食を取った。
冷奴と焼き鳥を頼んだが、当然、冷奴が早く来る。ビールで一丁ほどある冷奴を食べた頃、焼き鳥が来た。
焼き鳥に少し手を付けただけで食べられなかった。
ウエイターに持って帰るかと聞かれ、お持ち帰りする事にした。
どうせ寝てしまうだろうと思い、ホテルのフロントの兄ちゃんにあげた。

2017カンボジア旅行 7月01日(土) シェムリアップ滞在

2017年09月05日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
昨夜遅かったので、朝遅くまで寝た。

今日はホテルを移る。
Webサイトのホテル予約で目星を付けた。
オールドマーケットまで徒歩15分のChampey Villaが15ドル/泊、朝食付きであった。
トゥクトゥクでに向かった。

部屋は空いていた。朝食はホテル予約サイトの場合だけだと言われたが、朝食付きにしてくれた。
前金で45ドルを支払った。 
  

オールドマーケットに昼食を取りに行った。
ホテルからWat Bo通りまでは食堂は見当たれなかった。
これではホテル近くでは食事するところがない!!

オールドマーケットまで徒歩15分ほどで苦にもならなかったが、暑い。
歩いた後のビールはうまかった。
マッサージを受けようかと思ったが、カンボジアはあまり上手くないのでやめといた。
オールドマーケット前の橋を渡るとロータリーがあり、橋のたもとにバイクタクシーが客待している。
運ちゃんにstreet 22、1ドルと言うとOKであった。4年前も1ドル、値切れば0.5ドルで乗れた。

明日はアンコールワットへ行こう。入場料が値上げされたと聞いていたので調べた。
アンコール入場料1日券37ドル(17ドルup)、3日券62ドル(22ドルup)、7日券72ドル(12ドルup)と大幅値上げになっていた。
入場料を調べている時、アンコール遺跡の利権はベトナムが持っている。だから、遺跡の保存に使われていると思っていたが、入場料はベトナムへと行く。
「SOKHA HOTELSというホテル・リゾート運営企業、実はベトナム系の会社なのだ。
アンコール遺跡入場券販売利権はこの会社が独占的に握ってるらしい。カンボジアに還元されるのは、収入の10数%(一説では100万ドル/年)程度とかで、あとはこの会社の売上になってしまうらしい。だから遺跡の修復に使われるお金なんて、入場料収入のほんの、ほんの一部だという事になる。(主要な遺跡の修復は事実上、先進国からの援助に依存している)」らしい。
経過 ベトナムのカンボジア侵攻によりポルポト政権を倒し傀儡ヘンサムリン政権を樹立した。①ヘンサムリン政権当時 アンコールワットの利権をめぐり争いが起こり 、ヘンサムリンはベトナム系石油会社ソキメックス社にアンコールワットを70年の借地権で譲り渡してしまった。 ②アンコールワットは後にカンボジアのドル箱になるのである。その事に、あわてた政府は ソキメックス社との借地権の見直しを行い、借地代年間を百万ドルと設定しなおした。 ③まさか今のように観光客がおしよせてこようとは 予想だにしなかった。そこで政府は「アプサラオーソリティー」という謎の管理会社を設立 。アンコールワットは、「アプサラオーソリティー」と、ソキメックス系の私企業「SOKHA HOTELS ソカーホテル」の管理となった。以上、Webサイトより
そして、今回入場料が大幅値上げされ、利権関係がカンボジアに有利になったのだろうか???
入場券(左下)のロゴがサクラもどきSOKHAからサインに変わっているので、運営会社はSOKHA HOTELSから〇△×へ変わったのだろう??
今年2月1日から入場料値上げがあったので今回の詳しい情報も後日出てくるだろう。

夕食に、またオールドマーケット付近に行きパブ・ストリートで食事をした。
昼間アンコール遺跡巡りをしていた人々全員がオールドマーケット近辺に集まっているように感じるぐらい混雑していた。
レストランが多く、1人でも入りずらく無く、1人客も多かった。

ホテルへの帰りは昼間と同じ1ドルモーターバイクを使った。
ホテルに着くと、フロントの2人が迎えに出て来た。無事にホテルに戻るか心配していた様だ。

2017カンボジア旅行 6月30日(金) シェムリアップへ

2017年08月30日 | カンボジア旅行 2017/06/21~
今日、プノンペン乗り換えでシェムリアップに向かう。所要時間10時間。
一般的にはプノンペンで1泊する。プノンペンには2回しか滞在した事がないが、もう私にはつまらない都市だ。無理してもシェムレアップまで行く事にした。

ピックアップの運ちゃんが気付くように、キャリーバックを歩道に出して、コーヒーを飲んだ。

ピックアップ時刻の7:45になっても、8時になっても迎えは来なかった。
やきもきしながら待っていると、ようやく来た。
3ヶ所でピックアップしてギューギュー詰めになった。アフリカダンサー?グループが大勢であった。
運行会社に戻り、人数調整して8:30ごろにミニバス(VAN)はカンポットを出発した。

スマホで現在地を確認しながらミニバスで過ごした。アフリカダンサー?グループはプノンペン国際空港で降りた。
国際空港を過ぎてから、渋滞が始まった。
ワットプノンの外周道路を走り、近くのミニバス運行会社の事務所に着いた。12時過ぎになっていた。
乗客のみんながどこかへ行ってしまった。心細くなり欧米人の女性にどこへ行くのか尋ねるとシェムリアップとのことで、わたしもそうだと言うとお互いに安堵した。これで彼女に付いて行けばいい!!

スタッフも一人を置いていなくなった。
彼女がシェムリアップ行きのバスの出発時刻を尋ねていたが、やっと回答があった。16時との事で、2人で遅いと怒った。スタッフが電話でのやり取りで14時となった。
トゥクトゥクに乗ってバス乗り場に向かった。
日本友好橋のたもとの高架下であった。交通量の多い、排ガスで口を覆いたくなる。

取り合えず、缶ビールを探しに行った。すぐに見つかると思っていたがそうではなかった。
彼女が屋台でサンドイッチを買っていたので私もサンドイッチにした。誇りまみれの中でビールとサンドイッチを食べた。
彼女はコロンビア人でホーチミンでNGO関係で働いていて休暇で来ていると言っていた。

14時出発のはずが、結局15時にバスが来た。
スタッフの様なおばちゃんが数人いて、バスが来たと呼ばれ、乗り込んだ。シェムリアップ行き路線バスだ。
バスは日本橋 or 中国橋を渡らずにトンレサップ川沿いの国道5号線を45分ほど行き、橋を渡った。直進すると国道6号線に繋がっている。

国道5号線はプノンペンからバッタンバンやシソポン経由でタイとの国境の町ポイペトまで行っている。
国道6号線はプノンペンからシェムリアップを通ってシソポンまで行っている。
日本橋の横に中国橋が2015年に出来た。上がり下りと使い分けて渋滞を無くしているそうです。
日本橋について調べてみると日本が国際入札で落札し、1963年完成した橋で、1970年代の内戦で全長709mの内中央部265mが破壊された。内戦終了後、日本の無償援助で1994年に復旧されて日本橋と呼ばれるようになったそうです。日本橋が54年も前に造られた橋だとは知らなかった。私が中学生の頃である。

下車する乗客が出始めた頃、夕食休憩でバスは停まった。
30分ほどで乗客がバスに戻ったが出発しなかった。
バスの故障であった。
日本友好橋でバス待ちしている時、カンボジア人に「どこへ行くのです?」と英語で聞くとシェムリアップと返って来た。「私もだ!」と返す。この兄ちゃん、英語が話せるのだ!!
この時の兄ちゃんは大学生で週末に実家に帰るそうだ。
修理に時間が掛かりそうなので、他のバスを停めて乗り換えよう、別に料金が掛かるがと誘って来た。
たまに故障を経験するが30分ほどで修理してしまうので待つことにした。
コロンビア女性に兄ちゃんが英語が話せると紹介した。同じように別のバスを停めようと話していたが、別料金が掛かるので断っていた。

部品名は分からないが、ブラケット部のOリングが切れていた。乗客が遠巻きにして見ているので、車掌が状況を見せている。修理は運転手でなく、車掌が担当するらしい。
車掌がシリコンシールを塗ったりして、修理し何度かトライしたがエンジンは掛からなかった。
ドライブインの車に乗せてもらって、車掌はOリングを持って買いに行った。現物のOリングが正規のOリングか疑わしい。どうせ今までも、あり合わせのOリングで取り換えているのだろう。見た目では大きさは正しいのだろうが太さが細い様に思う。
近くに部品屋があるのか? どこまで買いにいくのだろうか。
大学生のお兄ちゃんが言っているように他のバスを停めて乗り換えようか??
日が暮れて来たので、決心する時だ。
10分もして車掌は帰って来た。早速、Oリングを取り換えてたが駄目だった。
お兄ちゃんにバスを停めよう、コロンビア女性に修理がいつになるか分からないので他のバスで行こうと説得した。
道路脇にキャリーバックとバックパックを置き、バスを待つと、他にも1組の夫婦が合流した。フィリピン夫婦であった。
バスは中々来なかった。
その間、車掌はシリコンシールを塗布して試したが駄目。運転手にエンジンルームに入れよと言われて車掌は入れた。高温のエンジンルームでシリコンシールを乾かし、粘度を高める為だろう。
バスは来なかった。
何分経ったのだろうか。車掌がエンジンルームから出して取り付け、試すとエンジンが掛かった。
乗客から歓声が上がった。

シェムリアップに何時ごろに着くのだろうか。
取り合えず、昨日メールを入れたが返信が無かったリゾート&リラックス アンコールG.Hに電話した。しかし、繋がらなかった、電話会社のテープが流れて来たが、理解できない。日本でよくある「電波の繋がらない・・・」「電源を切っている」だろうか?
スマホのバッテリーが無くなった。田舎へ行くとバッテリーが目に見えて消費する。

22:45ごろシェムリアップに着いた。
彼女のスマホで現在地を確認するとプサルーのずっと手前だ。
彼女はオールドマーケット外れで泊まるとの事でプサルーまでトゥクトゥクで一緒で行くことにした。
それぞれ2ドルで料金交渉が成立した。運ちゃんは不服そうだった。

私はプサルーを過ぎたところで降りた。
フリーダムホテルが見つかれば分かるのだが、夜では暗くて見通せない。
迷ってしまったが、やっとリゾート&リラックス アンコールG.Hを見付けた。
しかし、様子が変だ。
ガードマンもおらず、パソコンなどが屋外に積み上げられ、ハンモックを吊ってあった東屋は荒廃した状態になっていた。
リゾート&リラックス アンコールG.Hは廃業したのか、建て替えるのか?????
仕方なく、フリーダムホテルに泊まった。

15年前に泊まったフリーダムホテルは綺麗だったが、今は古くて、これで20ドル/泊は高い。
最近シェムリアップに滞在する時は、リゾート&リラックス アンコールG.Hに泊まり、昼食か夕食はここのレストランで取っていた。フリーダムホテルのレストランは人気があった。
遅くて当然閉まっていたので、国道6号線を挟んで向こう側の屋台に行った。ビールはなかった。

シャワーを浴びた後、ベッドでインタネット検索した。気になっていたリゾート&リラックス アンコールG.Hのホームページを見たが、従来と何も変わらない。しかし、G.Hは廃墟の様になっている。これはどうゆうことか???