いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

バリ島旅行 2月11日 ギリ・トゥラワガン到着・滞在

2013年03月29日 | バリ島旅行 2013/02/06~
まだ10時過ぎだし、ビールを飲むのは早過ぎる。
カメラを持って出かけ、ビーチ沿いを歩いた。
島内の交通は、馬車と自転車である。
 ビーチ沿いの道
 

海がめの保護施設があった。水族館などに触れる水槽があるが、その様な大きな水槽が2槽あり、小亀が泳いでいた。
ガイドに案内された日本人夫婦もいた。
ここからビーチを歩いた。
白い砂浜と青い海、そのコントラストが美しい。
  

ビーチの北端が近付く、ホテルが点在するだけになった。
ビーチの水際で西欧人女性が水着のブラジャーを外していた、私が通り過ぎるため近付くとうつ伏せになって隠した。残念!!!
西欧人はレンタサイクルで島一周をしていた。
私も北端を過ぎても、歩けるところまで行く事にした。

ピアサイド(Pier Side)の反対側に出た。
リーフが沖まで広がって、先では波が砕けていた。
バリ島のアグン山には雲が掛かっていた。
 

1時間30分は歩いている、もう昼前だ、暑くなって来たし疲れてきた。
大きなホテル前に馬車が停まっていた、運ちゃんに桟橋まで遠いか尋ねると当然遠いと返ってきた。
馬車はホテル客専用らしく、商売気がない。観光地図を持って来て説明してくれた。
地図に指で横断する仕草をして道が無いのか尋ねた。
地図には載っていないが、戻って○×△ホテルから道が有るらしい。
お礼を言って来た道を戻りかけて、ビーチサイドにレストランがあったので休憩した。
まだ歩かなければならないのでビール小にした。
 

来た道を戻り、次のホテル横にATMがあるのに驚いた。こんな辺鄙なところで誰が使うのか???
ホテル客以外に使わないだろう。毎日数十人も泊るとは考えられない!!!!
そんな事を思いながら、この辺に島内陸への道が有るはずだと思っていると自転車に乗った青年がその道から出て来た。
この道はハーバー・サイドに通り抜けられるのか?と尋ねると、行けるとの事。
もし青年が来なかったら分からなかった、やぶ中への道で到底入っていこうとも思わなかっただろう。

島の内陸は平坦でビューポイントのある丘が見えた。
第二次世界大戦時に日本軍がこの島に駐屯していたとの事で、この風景を見ると飛行場があってゼロ戦が飛んでいたのかと想像した。しかし、あの丘に砲台跡が残っているだけで、大型船航路として重要なロンボク海峡を監視していた一拠点でもあったそうだ。
 

草原を抜けるとハーバーサイドの村の中に入った。
ビーチ沿いの通りから1本、2本と内陸に通りがありゲストハウスも点在する。
居心地の良さそうなレストランもあり長く滞在するには良いかもしれない。

ビーチ沿いの通りに突き当った、ここがどの辺りか分からない、自分の泊まっているホテル名も思い出せないので尋ねる事も出来なかった。
適当に左に曲がって歩いた、ブルー・ビーチ・コテージの看板を見て自分のホテルに気付いた。
スタッフが通りで水まきをしていたので足にかけてもらい、中に入って行った。
しかし、違う。建物の配置は同じだが違った。
更に通りを前に進んだ、ブルー・ビーチ・コテージがあった。
スタッフに手前にもブルー・ビーチ・コテージがあったと言うとここはブルー・ビーチ・コテージI、向こうはIIだそうだ。

このホテルのレストランがビーチサイドにあり、遅い昼食を取った。
今日もミーゴレンとビール大にした。バリ島よりビール大がRs10,000(\100)も高かった。
 
食事をした後、小説を読み、疲れたらビーチを眺めていた。
 

フロント・デスク前にパソコンを並べインターネット・カフェにしていた、Rs500/分(\5/分)高いと思ったが使った。
足を蚊にかまれ、ぼこぼこになったので30分ほどでやめた。
虫除けスプレーが必要だ。前回の旅行中に使い切り、今持っていない。
旅行前、探し回ったが冬の日本では携帯用虫除けスプレーは置いていなかった。

部屋に戻ると内部の温度が上がって蒸し暑い。
全窓を開けて、部屋前の椅子に座り小説を読み始めた。
蚊が寄って来た、慌てて窓を閉め、蚊取り線香を焚いた。
ベッドで横になろうとしたが、蚊帳が邪魔して扇風機の風が通らない。
細引きを括り付けて蚊帳をめくり上げ、扇風機の風の通り道を作った。
扇風機が離れた位置にあり風量が丁度良い、しかし天井ファンにはかなわない。

夕方、ビーチサイドでビール小を飲みながら、日記を書いた。
その後、ビーチ沿いをぶらぶら歩き、虫除けクリームを見付け買ったり、インターネット・カフェの安いところを見付けたりした。

18時30分ごろ、薄暗くなってきた。
夕食に出る。
ビーチ沿いに歩いた、店先にシーフードを並べるレストランが多く、ピザ石窯のあるレストランもあった。
シーフードは、エビ各種、イカ、マグロ切り身などロブスターを置いているところもある。
イカは冷凍イカだ、完全に解凍されていなくてブロック状で並べているところがあった。
イカらしい姿で並べているレストランで、イカを頼んだ。
イカの値段は100gがRs20,000で、ハカリに掛けると240gあった。
サラダとポテトorライス付きでRs48,000(\480)となった。
ビンタン・ビール大を飲みながら、イカのバーベキューを待った。
イカを食べ終わってから、写真に気付いたがとりあえず撮った。
 

21時、就寝。

バリ島旅行 2月11日 ギリへ

2013年03月26日 | バリ島旅行 2013/02/06~
ギリ トゥラワガン&メイを望む

6時過ぎ、起床。
心配していたダニ、やはり噛まれた。お尻を2ヶ所噛まれた。
二の腕は、小さく何かに噛まれていた。

これからの予定をどうするか?
このバンガローもスンギギも退散する事は決めた。
飛行機でフローレス島へ行くか、ギリにいくかである。
飛行機には今回乗りたくないので、ギリに行く事にした。

プラマ社の9時発ギリ行きの乗ることにした。
決まれば早い、バックパックをパッキングし終わり、7時30分にチェックアウトした。
朝食が付かないバンガローだったので、途中でレストランに入った。
朝食付きのホテルが多いので、この時間帯にレストランが開いているか不安であったが、1軒だけオープンしていた。
レストランの奥がホテルになっているのだ。食事をしているのは宿泊客のようだ。
朝食セットを食べ終わった頃、レストラン前にプラマ社のワゴン車が停まった。
若いアジア人カップルが乗り込んだ。中国人かと思ったが違うようだ。

8時10分にプラマ社に着いた。
「今日の朝、ギリへ」と言うと、今日か!! 今日はもう無いと言って時刻表を示された。
9時発が訂正シールで8時に変更されていた。
奥の所長?が何か言った。車を出してくれるようだ。
料金はRs200,000をRs150,000に割引してくれた。なぜ????
 シャトル・バス&ボート時刻表(写真クリック拡大)
 

乗用車で出発した。
15分ほど走ると路側にプラマ社のワゴン車が停まっているのが見えた。
先ほど朝食を取ったレストラン前にいたワゴン車だ。
私は中継されワゴン車に乗り込んで出発した。
海岸沿いを車は走った。振り向くと一瞬アグン山が見えた。
ギリ3島が遠くに見えて来た。
小さな湾に砂浜とヤシ林が見えた。間もなく、そのヤシ林にワゴン車は入って行った。
西欧人バックパッカーが待つ東屋の横で停まった。

同乗者の若いアジア人カップルにどこから来たのですか?と聞くとインドネシアの都市名を言われた。
インドネシア人であった! 男性は田原俊彦に良く似ていた。
あなたは?と聞かれ、日本と答えると女性はにっこりしたが、田原俊彦似は無表情というより、よく思っていないようであった。華僑の3、4世か?

目の前が砂浜であった、しかし桟橋もない。
砂浜にボートをつけてあり、スタッフにバックパックを渡し乗ろうとしたが、靴が濡れそうだ。
ボートを寄せてもらい乗り込んでギリ・トゥラワガンへ向った。
 

ギリ3島が沖合いからトゥラワガン、メノ、アイルと並んで見える。
 トゥラワガン
 

先ほどワゴン車から一瞬見えたバリ島のアグン山、富士山の様な美しい円錐型が今は雲に隠れてまったく見えない。
振り返るとロンボク島のリンジャニ山が見えた。
 リンジャニ山
 

ギリ・トゥラワガンに近付いて来た。
ロンボク島から30分ほどで桟橋に着いた。
  

リーズナブルなホテルがあるだろうと桟橋からビーチ沿いに北に歩いた。
ホテルだけが点在しているひなびた島と思っていたが、レストラン、ダイビングショップ、コンビニ、ATMなどのある賑わう島だった。
候補ホテルはあったが、その手前でホテル・スタッフに部屋を見ていけと声が掛かった。宿泊費を尋ねるとRs200,000~300,000との事。
リーズナブルなので部屋を見にいった。
エアコンが必要かと聞かれ、必要無し。
広い部屋にキングベッドが置かれ、それに蚊帳が張られていた。天井ファンでなく扇風機が床に置かれている。
ホットシャワー、朝食付きでRs200,000(\2,000)との事。
参考にエアコン付きの部屋は、Rs300,000(\3,000)であった。
天井ファンでないのが残念であるが、エアコン無し部屋に決めた。
  

まだ、午前10時だ。

 

バリ島旅行 2月10日 スンギギへ(ロンボク島)

2013年03月21日 | バリ島旅行 2013/02/06~
フェリーからのパダンバイ

7時前に起床。

今日は、プラマ社の9時発シャトルバスでロンボク島のスンギギ(Senggigi)へ向かう。

8時過ぎにはプラマ社に向かうつもりで、忙しかった。
バックパックに荷物を詰め、朝食オーダーを渡した。
8時前に部屋の前に朝食が届いた、ゆっくり食べた。

部屋のキーをフロントに返してチェックアウト終了。
バックパックを担いでプラマ社に向かった、10分で着いた。
8時30分にフェリーに行けと指示が出て、3組4人でフェリーに向かった。
フェリー乗場でノートに記名した。
 
フェリーに乗り込むと、日本のフェリーと構造が同じだなと思った。
後部デッキの座席にバックパックを置いた。
トラックが載り終わった後、西欧人のバックパッカーグループが乗ろうとしたところ、バックパックを担いだままでは通れない、トラックとトラックの間隙が狭く、バックパックを足元に持って進んで来た。
9時にフェリーは出発した。
この時間帯はギリへの高速ボートが出る。
 
パダンバイの湾をでると西に小さなビーチが見えた。
 

フェリーでロンボク島のどこに着き、何時間掛かるのか? ガイドブックで調べるとレンバルまで5時間掛かる事が分かった。
2~3時間で着くと思っていたが5時間とは!!!
フェリーのスタッフが釣り糸を持ってきて窓から釣り糸を流し始めた。トローリングか?
フィッシング?と声を掛けた。
日本人か? そうだ! 話していると、このフェリーは日本製の中古フェリーだそうだ。

ロンボク島まで5時間は長い、小説を読んで、時々海の風景を見る。

フィッシングをしていたスタッフが騒いでいる。
釣り糸を流すだけで、ほったらかしにしていた釣り糸に魚がかかっていた。
釣り上げたのは、50cmほどのカツオ??だろう。
 
スタッフはカツオを吊り下げて乗客に見せたが、客は見向きもしなかった。
これには私は驚いた。スタッフは興ざめしていた。
西欧人は猟銃でカモメでも打ち落として捕らえれば、振り向くのか?

日本の中古フェリーであれば、所々に日本語表示が残っているが、このフェリーには少なかった。
僅かに残っていてそれを見ていると、スタッフが来て、俺達が新潟から運んで来たと言っていた。
離れたところを航行していたフェリーも新潟から来たと言っていた。

ロンボク島のレンバルが近付いてきた。
 
狭く入組んだ地形の中をフェリーは進んだ。
 
レンバルの桟橋に14時に接岸した。
 

パダンバイから丁度5時間であった。
桟橋を出ると右手の駐車場にプラマ社のシャトル・バスが停まっていた。
スンギギ?と言って乗り込んだ。
同乗したのは、西欧人カップルと男性であった。
全員スンギギまで行くものだと思っていると、20分ほどで名も無いような村で男性が降りた。
少し大きな町を横切った、マタラムだろう。

海岸沿いの道路から薄黒いビーチが見えた。スンギギのビーチだ。
40分ほどでスンギギに着いた。メイン通りを徐行して、どこのホテルか聞かれた。
だが決めていなかった。適当に降りて現在地が分からないのも困るので、プラマ社オフィスで降ろしてもらった。
プラマ社の隣がブキッ・スンギギ(ホテル)があり、前を通ると上から3ハンドレットと声が掛かった。宿泊費Rs300,000(\3,000)と言いたいのだろう。
斜面を上がりフロントに向う。部屋は空いているか? 1泊いくらか?聞くと、Rs350,000との事。驚いた顔をするとあなたの希望はと聞かれRs250,000と言うと大きな声でRs350,000と返ってきた。ノーサンキュ!と言って出た。
私がRs300,000と言っておけば、そうなっただろうが、まだ、1軒目だし他に良いホテルがあるだろうと思って出たのだ。

コンビニがあったので缶ビールを買い、店前のパラソル付きテーブルに座って缶ビールを飲んだ。
近くのマスコット・コテージに行ってみた、宿泊費はRs450,000と更に高くなった。先のブキッ・スンギギと同クラスのはずが!!!
メイン通りを200mほど歩いた、レストランはあるがホテルが見当たらない。ガイドブックに乗っていないホテルがあると思っていたが無かった。

メイン通りから少し入らなければならないが、ラジャズ・バンガローに向った。
ファン、水シャワー、朝食無しでRs150,000(\1,500)。トイレ&シャワーは、ドアを開けると高い塀で囲われた屋外であった。昨日まで泊まったホテルと比較するとRs100,000が妥当だろう。
他を探すのが億劫なのでここにした。
  
荷物を解いているとオーナーが植木に水をやりながら、こんなところにでなくブキッ・スンギギにも泊まれやとブツブツ言っているようだ。私もそう思うが、バックパックが重たくてもう歩くのが嫌だ!!!とは言わずに無視した。

着替えて食事に出かけた。
ミーゴレンとビンタンビール大にした。毎日、昼食はミーゴレン(焼きそば)になっている。

地図にビューポイントとあったので、行って見た。殺風景な道路を1kmほど歩いたが疲れてあきらめた。
海を見えるなど風景が良ければ疲れないが、興味を引く物がなければ歩けない。

戻って小さな旅行社に入った。どこも目的地別料金表を看板表示している。
コモドに行きたい、フローレス島まで車で何時間かかるか?と尋ねると24時間との事。
朝出発してフローレス島に朝着く、スンバワ島からフローレス島へのフェリー内で寝て、朝起きたらフローレス島となるのだろう。
何人か?と聞かれ、1人と答えると顔を横に振られた。
地図でルート説明をしはじめたが、グループ客が入ってきたので、私は彼らに譲った。
料金は\4,000弱/人で2人以上からだろう。1人でチャーターしたら\8,000ほどだろうが、飛行機で行けと言われそうだ。
3日前、クタのプラマ社オフィスでスンギギからフローレス島までのバスについて聞いた時、冷たく飛行機で行けと言われたのがこれで理解できた。

インターネット・カフェに入って、ギリ3島のホテルを調べた。日本人経営のホテルがあったのだが見付からない。
検索していると画面が真っ暗になった。停電か? 

夕食の時間になった、先ほど食べたところだったので、ポテトフライとビンタイビール大を頼んだ。
通りを行き交う人を見ながらビールを飲もうと思っていたが、行き交う人が少ない。
西欧人客が大変少ない。私の行動した範囲内だけが少ないのか??
パダンバイの方が多いぐらいだ。
スンギギの人気が無くなっている様に感じる!!!!

暗くなった。泊まっているラジャズ・バンガローに戻ろうとしたが道が分からなくなった。
若いカップルがいたので聞こうとしたがゲストハウス名を思い出せない。
地図を出したが読めない、老眼鏡がいる。
英語の話せる女の子の方に地図のラジャズ・バンガローを指差すと「ラジャズ・バンガロー」と理解してもらえ、案内してくれた。右折ポイントを行き過ぎていたのだ。

部屋にもどり、蚊取り線香を焚いた。それも2箇所で焚いた。ベッドに蚊帳があると言う事は蚊が出る。
水シャワーは、冷たくて浴びる事ができない。頭と顔を洗い、手と足は水で濡らしバスタオルで拭き取った。
ベッドのシーツの色は白でなく青い、綺麗に見えるが??? ダニがいそうだ。ミャンマーで買ったロンジン(筒状の巻きスカート)を敷いて横になった。

20時、就寝。

 

バリ島旅行 2月9日 パダンバイ滞在(バリ島)

2013年03月18日 | バリ島旅行 2013/02/06~
7時過ぎ、起床。

ビーチを少し歩いて戻ると、部屋前のテーブルにメニューが置いてあり、紙が挟んであった。
朝食は2階のレストランだと思い込んでいるので意味が分からなかった。
レストランに行こうとすると、宿泊客がメニューを持って集まっていた。
行って見るとホテルのスタッフがオムレツを作っていた、客は紙を渡している。
メニューを受取り、改めて読んだ。トーストor焼きそば、ジュースorフルーツ、コーヒーor紅茶等3種類を選べる様になっていた。
トースト&オムレツ、スイカジュース、コーヒーを番号で紙に書いて渡した。
部屋前のテーブルにいるとスタッフが朝食を運んできてくれた。

もう1泊するとフロントに伝えに行くと、ソファーに宿泊客がきちきちに詰めて座っていた。異様な光景だ!!
手にはPC端末やタブレット端末を持っている。フロント付近でWi-Fiに繋がるようだ。

隣の部屋には西欧人の老夫婦が泊まっていた。
旦那さんがグッモーニン!と挨拶してどこかに出掛けて行った。遅れて奥さんも出掛けて行った。

ホテル前のビーチの縁台に男達がやって来て、横のシートをはがすとリヤカーが現れた。
間もなく、マイクロバスが着いて、バックパックやキャリーバックをリヤカーに積んでいた。客は、2階のレストランに上がっていった。
9時前に客とリヤカーは桟橋に向かった。
9時30分ごろ、船外機を5~6台付けた高速ボートが次々と出発していった。ロンボク島のギリ3島に向かったのだろう。
 

ビーチ沿いに何軒かダイブショップがあり、2~3人の客がアウトリガー・ボートに乗って出掛けていった。
 

ロンボク島のギリ3島へ、ここから高速ボートで行く客が増加し、それに伴い関連スタッフも増え、以前からのフェリー乗場と合わせて港町へと変貌していた。
5年前の素朴な漁村という感じとまた違った賑わいがある。

なかなか海やプールに入ろうとは思わないが、なぜか?今日はその気になった。
海水は冷たくなかった。泳ぐのでなく海に浸かるようなものだ。
フロントに預けたキーを取りにいくと、もう終りか!!
シャワーを浴びた後、ベッドで小説を読んだ。

12時になるのを待ってレストランに行った。ビールを飲みたいのだ。
レストランもホテルもスタッフはみんな若くホスピタリティがある。
挨拶程度の日本語が話す。どこで習ったのかと聞くと学校との事。
チキン・カレーとビンタンビール大を頼んだ。

ビールを飲んだし、天井ファンの心地よい風で寝てしまった。
1時間ほど昼寝をした。
まだ、暑いがインタイネット・カフェにでも行こうと部屋を出た。
ビーチの縁台に座っているスタッフにインターネット・カフェの場所を聞いて行った。
客が持参のPCをWi-Fiに繋いで使っているが、貸すPCが見当たらないので、聞くと壊れてないとの事だった。
縁台まで戻り、PCが壊れていたと告げると、桟橋の方にある別のインターネット・カフェを紹介してくれた。
ここのカフェの回線速度が遅い、遅すぎて10分ほどでやめた。

明日、ロンボク島のスンギギに向うことにしたので、プラマ社のシャトル・バス乗場に私も明日乗る事を伝えに行った。
クタでスンギギまでのチケットを購入した時、パダンバイからの乗車日をしつこく聞かれた。オープンにしたが、電話で確認しろと言われていたのだ。
しかし、確認して明日は便がないというのがあるのか?? 有るのだろう!!

桟橋に行くと子供たちが桟橋から海へ飛び降りて楽しんでいた。
 
大人が子供たちに飛び降りるのをやめるように言っていた。
すると間もなく高速ボートが入ってきた。
船外機を数えるとスズキ300が8台も乗っていた。
  

部屋の前のテーブルに座って小説を読んだ。
18時になるのを待って、2階のレストランに行った。
夕食には、まだ早い時間であるがすでに2組がいた。
海が見える席が空いていたのでそこに座った。
昼間、縁台にいて客引きをしている女の子がバリの民族衣装で接客をしていた。
Good!キュート!というと、嬉しそうにしていた。
大エビ・グリル+ライス、ビンタンビール大にした。Rs60,000(\600)。
 

ビーチの縁台に座り、日が暮れるまでぼーと風景を眺めた。

21時、就寝。

 

バリ島旅行 2月8日 パタンバイへ(バリ島)

2013年03月15日 | バリ島旅行 2013/02/06~
パダンバイ

7時ごろ、起床。

今日は、プラマ社の10時発シャトルバスでパダンバイへ向かう。

朝食に行った。
PCやタブレット端末をテーブルに置き使っている。Wi-Fi(無線LAN)に繋っがているようだ。
バリ島では、Wi-Fiが繋がるのでPCを持ってこようかと考えたが、重いのでやめた。東の島々に行けば使えないので・・・。

忘れ物をしない様にバックパックにパッキングした。
冬支度の薄手のダウンジャケット、ジーンズ、トレーナーを圧縮袋でかさ張らないようにしたが、バックパックを担いでみてた。重い!!!
9時にチェックアウトした。
10日後に戻って来るが、同じ部屋の宿泊費はいくらか尋ねた。予約じゃないのか!と、ぼそっと言われRs350,000(\3,500)との事。ノーセンキュー!と断わった。
Webの宿泊費が\2,800でフロントでは\3,500か!! ドア・チェーンが無く、スタッフにドアを開けられるし、あまり良いホテルではない。

プラマ社に歩いて行き、15分ほどで着いた。
パダンバンまでのチケットを買おうとすると、どこまで行くのかと聞かれた。スンギギ(ロンボク島)と答えるとスンギギまでのチケットを勧められた。
途中下車可能でRs10,000安いのだ。パダンバンからはオープンにしてもらって、スンギギまでのチケットRs150,000(\1,500)を買った。
スンギギから先のフローレス島へのシャトル・バスの時刻表が無いのか尋ねると無い、飛行機で行けと言われてしまった。
奥に待合室があった、西欧人数人が待っていた。
カウンターからチェックインと声が掛かった。
何??? 西欧人がカウンターへ行ってチケットを見せて色付きの切れ端を受取っていた。
私もチェックインした、色付きの切れ端は何か?と聞くと乗車券との事!!!
客が増えてきた。アジア人も3グループいた。明確に中国人とは判断できなかったのでアジア人と表現した。
10時過ぎにバスは来た。ここが始発だと思っていたが、すでに乗客が乗っていた。
シャトルバスは中型バスで全員乗れるのだろうか。
全員乗れていないようだが、15分遅れで出発した。
少し渋滞したが30分ほどでサヌールに着いた。
プラマ社バス停には客が大勢待っていた。その客たちはビーチの方に歩き出した。クタからの客を待っていたようだ。
プラマ社の高速ボートがロンボク島のスンギギやギリ3島に出ている。それに乗るのだろうか。

サヌールは5年前の「マニラから船旅でバンコクを目指す」旅行の途中に寄ったので懐かしい。
マニラから島伝いに来るとインドネシアの島々に突き当たる。そこにバリ島がある。バンコクへ向かうには西のジャワ島、スマトラ島に行かなければならなかった。
今回の旅行は、バリ島の東に点在する島々をフローレス島までは行きたいと計画したのだ。
5年前の2008年にサヌールで4泊したが、クタで2005年に爆弾テロがあり、2002年にもあったので、クタを避けたのだ。
その時、今日向かうパダンバイにも日帰りで行った。ひなびた漁村と小さなビーチが気に入り、今回何泊かしようと考えている。

シャトルバスは、ウブドへ向かった。乗り切れなかった客1人をクタからプラマ社スタッフが運転する乗用車に乗せていた。
バティック、木彫りの店が並ぶ通りを過ぎ、40分ほどでウブドに着いた。
ウブドで数人が降りた。
ここで行き先別に2台のシャトルバスが出た。
パダンバイへはバスを乗換えなかった。ロビナLovinaには別のバスに乗り換える。
 プラマ社シャトルバス
 

ウブドからパダンバイへの車窓からの景色は5年前とあまり変わらなかった。
13時前にパダンバイに到着した。
フェリー乗場の広い駐車場を横切ってビーチに出ようとしたが、以前はベモ乗場などがあったが今はない。
様子が違う! ビーチ沿いへの道は閉鎖されていた。
駐車場入口まで戻らなければならなかった。駐車場外周道路を歩き、ビーチ沿いに出た。
雰囲気の良いカフェがあったが、今はこの辺りは雰囲気が変わり見る影も無い。
桟橋前の駐車場の奥にスラガン・イン2というホテルが山の中腹に見えた。ホテル候補の1つであったが、湾の見晴らしが良いだろうが、ホテル前の風景が殺伐として、これは駄目だ。
桟橋から先に行くと、5年前の記憶に残るパダンバイの風景になり、ホテルも数件あった。
ホテル候補2番目のパダンバイ・ビーチ・インの手前で、ケルティ・ビーチ・バンガロズKerti Beach Bungalow'sのスタッフに部屋を見ていってくれと声を掛けられ、良さそうなホテルだったので覗いて見た。
 ケルティ・ビーチ・バンガロズ
 
写真左の1階の部屋がエアコン&ファン、ホットシャワーでRs250,000との事。エアコンは不要というとRs200,000、リーズナブルだ!
ビーチ沿い道路脇なので騒音が気になったので他の部屋も見せて貰った。
このホテルは奥に長い。ファン、水シャワーの部屋がRs150,000、エアコン、ホットシャワー付きバンガローがRs250,000との事。
最初に見た部屋にした。ファン、ホットシャワー、朝食付きでRs200,000(\2,000)。
  

14時前になっていた。腹減った。
ホテルのレストランに行って、ミーゴレンRs27,000とビンタンビール大Rs25,000を頼んだ。サ-ビス料10%で計Rs58,000(\580)。
ミーゴレンは旨かった。このレストランは、正解かもしれない!!!
 ミーゴレン
 

ホテル前のビーチに縁台が置かれていた。横に大きく伸びた木の影に縁台があり、レストランとホテルの女性スタッフ2人が客引きの為座っている。
私もその縁台に座った。彼女達とは反対側のビーチ側に座り、ビーチを見たり、小説を読んだり、時々彼女らと話したりした。
30分も座っていると、大きな影の中にいるにもかかわらず、顔が日焼けするのを感じた。白い砂浜の照り返しがきついのだろう。
このままここに座っていると大変な事になると思い、部屋に戻った。
天井ファンを回し、ベッドに横になって小説を読んだ。
天井ファンの回転数は最低速が最も心地よい、寝てしまった。

16時30分ごろ、まだ少し暑いが一眼レフカメラを持って散歩に出た。
ホテル前のビーチから写真を撮り、ブルー・ラグーン・ビーチに向った。
 

パダンバイ地図のビーチ奥にブルー・ラグーン・ビーチへとあったので行って見た。
地図を持たずに行ったものだから、道を間違えた。ビーチ奥で道が2つに別れていたのだ。
分岐まで戻って丘を上って行った、上り切ったところの右手奥に車が停まってのが見え、Blue Lagoon Beachya道標らしき物が見えた。
階段を降りて行くと小さなビーチが見えた。
レストランがあり、ビーチ手前でマッサージもあった。
ビーチに降りたが、夕方でもあり、暗い感じのビーチであった。
来る時間帯を間違えた。
  

ホテル前を素通りして桟橋に行ってみた。
透き通った海に小魚が泳いでいるのが見えた。
5年前は漁村といった感じであったが、今は港町という感じに変わっていた。
湾の半分はまだリゾートの雰囲気が残っている。
 ホテル地区
 

桟橋には、先ほど着いた高速ボートが停まっていた。
スズキの船外機を5台も取り付けていた。
 

このホテルのレストランは、2階にあり急な階段を上る。ケルティ・レストランという。
海が見える席に座った。
メニューを見て、やはりシーフードにしよう。スクウィド(イカ)が目に入った。
指差しで注文した。説明があるがこれにはなかった。何が出て来るか?
ビンタンビールを飲みながら暮れて行く海を見ていた。
イカ料理が出来上がってきた、イカと野菜のあんかけにライスが付いていた。
旨い。私の口にあう。

部屋で小説を読んだ。本を読めるだけの明かりがある。薄暗い部屋が多い中でこのホテルは明るい。
部屋での居心地もよく、レストランでは美味い物が食べられる。
あとは寝心地がどうかである。

21時、就寝。

 

バリ島旅行 2月7日 バリ島 クタ滞在

2013年03月12日 | バリ島旅行 2013/02/06~
                          
クタ・ビーチ

7時前、起床。
昨夜ビールしか飲んでいなかったので、早めに朝食に行った。
プールの横にレストランがあり、朝食は選べる様になっていた。
私が選んだのはこれである。
  

部屋に戻る時、EXIT(出口)が目に付いた。
私の部屋はホテルの最も奥の建物にあり、当然プールも庭も見えない。
ここに出口がある? 裏口か? 行ってみた。
50mほどの狭い路地を進むと途中でバイクが横の民家から出てきた。その路地は大通りに突き当たった。
ホテルの玄関は裏通りに面しているが、裏の路地を抜けると大通りに出る事を発見した。

今日は、両替、散髪、プラマ社オフィスへ行く予定だ。バリ島の東にあるロンボク島、スンパワ島、フローレス島へと行く為の準備である。
9時過ぎ、クタの散策に出た。
宿泊しているバクンサリ・ホテルの位置がもうひとつ分かっていないのでフロントで地図はないかと聞いたがない。
帰って来れないといけないのでホテル名刺を貰った。
裏口から出て大通りをビーチ方向に歩いた。この通りはバクン・サリ通りであった。
 バクン・サリ通り
 

まず、両替に行った。セントラル・クタという両替所がクタ・スクエアのマタハリ百貨店内にあるので向かった。
クタ・スクエア付近に着いた時、15年前のこの風景を思い出した。確か車は通行止めで、手前でタクシーを降りたのだ。
ヌサドゥアの大型リゾートホテルに泊まっていて、ホテルから1人でタクシーに乗り、運ちゃんにクタというと、ここで降ろされたのだ。
当時、同僚と2人で海外旅行を多くしていたが、別行動を取るのはこれが初めてであった。クタの飲み屋で待ち合わせしたのを覚えている。
その待ち合せ時間までの2時間ほどを1人で散策し、味を占めた。そのバリ島旅行以後、海外旅行は一人旅になってしまった。
初めての一人旅も思い出した。19歳の時、山陰地方をユースホステルや国民宿舎を使って1週間ほど旅行したのが初めてであった。

クタ・スクエアのマタハリ百貨店は、まだオープンしていなかった。スタッフが朝礼をしている最中の様だ。
両替は後にしてクタ・ビーチに行って見た。
この時間帯は普通のビーチだ。
15年前、夕方の引き潮の時には、かなり沖まで歩いていけた。
お供え物や奉納品を頭の上に乗せた地元民の祭列が沖まで歩き、祭事をしていた。200mほど沖まで砂浜で、その砂浜がはるか遠くまで続き壮観であった。
今日のビーチは普通のビーチでがっかりした。
 クタ・ビーチ
 

ビーチ沿いに歩いた後、ビーチから離れて行く路地を歩いた。この路地を行けばプラマ社オフィスのあるレギャン通りに出るだろう。
ホテル、レストラン、土産物屋が並ぶ路地で、あまり居心地が良さそうでない。
2週間後にはクタに戻ってくる予定でおり、その時に宿泊するホテルをこの辺りでと考えていたが候補から外そう。
レギャン通りに出た、プラマ社(Perama Office)は、右or左? 右(南)に行った。すぐにベモ・コーナーに出てしまった。
レギャン通りを戻り、プラマ社(Perama Office)でシャトル・バス&ボートの時刻表を貰い、明日朝のパダンバイ(Padang Bai)行きバスがあるのか確認した。
プラマ社(Perama Office)は、バリ島内の主な拠点に外国人観光客向けシャトル・バスを走らせ、ロンボク島のギリ3島には高速ボートを運航している。

クタ・スクエアのマタハリ百貨店に向かった。もう暑くなってきた。
途中にもセントラル・クタという両替所があった、セントラル・クタとありふれた名前なので、ここでも良いのか??
やはりマタハリ百貨店まで行った。
百貨店内の1階は土産物が並び、2階、3階も見て歩いたが、衣料、履物等日本とあまり価格差が無いように感じた。
両替所はあったが、セントラル・クタは無かった。
散髪屋も探したが無かった。バーバーは無いのかと聞くとバーバー?? ヘアカット サロンか サロンは無いと言われた。
セントラル・クタはマタハリ百貨店の北隣にあった。1万円=Rs1030,000
3万円を両替した。Rs100,000札で30枚である。日本で3万円を千円札で30枚持つようなものである。

ホテルへ戻る途中で昼食を取ろうバクン・サリ通りを歩いていると祭列に出くわした。
女性が鮮やかな服装をしているので何か祝う祭事があったのだろう。
 祭列
  

レストランの手前にマッサージ店があり店前でマッサージ・フィフティー(50)と客引きをしていた、冷かしでヘアカットと言うと店内に案内され掛けた、慌ててアフターと言って離れた。
ええ!! マッサージ店で散髪できるのか。
レストランでミーゴレン(焼きそば)とビンタンビール小を頼んだ。約Rs60,000(\600)
ミーゴレンは、焼き鳥2本と目玉焼きが付いた焼きそばで、どれも少し甘い。
コンパクトカメラをテーブルに置いていた。ミーゴレンの写真を撮ろうと思っていたが、気付いた時には半分食べ終わっていた。
レストランを出る時、スタッフに隣のマッサージ店のヘアカットはGood?と聞くと、しかめっ面して高いと言っていた。
高いと言われても!!! 他のマッサージ店でヘアカットが出来るか聞くと駄目だったが、2軒先のマッサージ店に案内してくれた。
その店では、西欧人女性がフットマッサージを受けていて、その横に大きな鏡と椅子が2台置かれていた。
ヘアカットはハウマッチ? フィフティー(50)との事。バリの人々はサウザンド(1000)を省いて表現する。
Rs50,000をフィフティーと言い、日本人には500円と言うマッサージ客引きもいたので気付いたのだ。
15分ほどで床には私の髪毛が一杯になった。頭がすっきりした。

ホテルにもどり、昼寝した。
夕方、散歩に出た。
ホテル横の路地を行くと駄菓子屋&雑貨があり、草履が掛けてあり値札が着いていた。Rs31,700(\317)であった。
昔、日本の風呂場やトイレにあったゴム草履であった、これなら滑らない。サンダルで滑って怪我をするのが怖くて二の足を踏んでいたが、即買った。

昼間もサンダルを物色したが値段を聞くとRs150,000(\1,500)との事。断わるとあなたの値段は?と言って追い掛けてきたが無視して店をでた。
何軒か行ったが同じように吹っ掛けてきた。
あなたの値段は?と電卓で交渉しはじめると、私が1/4の40と言うと、120、もう一度40、100、私が50、80、もう一度50、70、良くてRs60,000(\600)で交渉成立となるだろう。
しかし、Rs30,000(\300)の物を2倍の値段で買うことになってしまう。言い値がこの様に仕向ける「言い値設定」になっているのだ。
言い値の1/10から交渉を始めようとすると相手にされない、だから吹っ掛けられたら私も相手にしない様にしている。

ベモ・コーナーまでの道を確認した。明日、プラマ社まで歩いて行くので念のため、道を間違えたらバックパックを担いで辛い思いをするからだ。
帰りに同じ道を戻るのもなんなので、路地に入った。
バイクが通れる、抜け道になっている。ゲストハウスがあった。
 

大通りに出た、民家か寺院か分からない。
 

更に路地を進んでバクン・サリ通りに出た。
バクンサリ通りを横切り更に路地を行くと、バクンサリ・ホテルの玄関付近に出た。
バクンサリ・ホテルの西隣に食堂が2軒並んであった。夕べは遅くて閉まっていたのだろう。
日本の若い女の子が2人で食事していた。バクン・サリ・ホテルの宿泊者だろう。

19時ごろ、夕食に出た。
昼に使ったレストランに行った。
エビのグリルとビール小を頼んだ。
エビのグリルが出来上がって来るまでにビールを飲んでしまい、追加した。
エビが来てすぐに食べ出した。写真を撮るのを忘れのだ。
注文した料理の写真を残そうとしているが、これでは駄目だ。

コンビニで缶ビール2缶を買って帰った。
テレビでNHKを見たり、小説を読んで22時に寝た。

 クタmap
 

バリ島旅行 2月6日 バリ島クタへ (クアラルンプール経由)

2013年03月09日 | バリ島旅行 2013/02/06~
7時前、雨の中、自宅を出た。
関西も関東も雪が積もるという予報であった。雪が積もって交通機関が遅れたら大変だと思っていた。
だが、大阪は雨であった。

今年の冬は特別に寒い。
寒い日本を向け出したいと、1月中旬にバリ島から西の島々に行こうとエアアジアのチケットを購入した。最も航空券の安価な日を選らんだら今日になった。
 エアアジアのチケット価格は、
  関西空港-クアラルンプール-デンパサール(バリ島) \26,700
  デンパサール-バンコク                    \11,873、
  バンコク-クアラルンプール-関西空港           \22,362
                                  合計 \60,935

JR京橋から関空快速に乗った、乗換え無しで座れて1時間20分すると関西空港に着くので、なぜかほっとする。
しかし、大阪駅を出て間もなく「阪和線で人身事故があり運転を見合わせています。」と車内案内があり、続いて「この電車は天王寺で阪和線に行かず環状線を走る。代替輸送については、後で連絡する。」と案内があった。
南海電車が振替輸送をするとの事で、新今宮で南海電車に乗り換えた。
改札で振替(代行)乗車票を配っていたのでJR切符と交換した。
振替輸送ははじめての経験で振替乗車票の写真を撮ってしまった。
 振替(代行)乗車票
 
ホームに行くとキャリーバックを持った人が多かった、特急ラピートの後に関西空港行き急行が入ってきた。
関西空港に何時に着くのか気になっている時、9時21分に着くと案内があった。JR関空快速での到着予定と数分しか変わらず安堵した。

エアアジアのチェックイン・カウンターに長い列が出来ていた。
遅れて駆け込む様にやって来た客が長い列をみて驚き、スタッフに何か言っていた、この列に並ぶ様に言われて更に驚いていた。
30分ほど待って順番がきた、手荷物重量制限7kg以下もクリアしてボーディング・パスを受け取った。
8時になっていた。搭乗時間を確認すると8時20分となっている。急がなければ!!!

両替所でUS$100だけ両替した。US$1=\94.59
ネパールに行った去年9月はUS$1=\80.2だったので18%upの円高である。
バリ島以外では日本円の両替レートが極端に悪くなるそうだ。
予備としてUS$100を両替した。

急いでイミグレーションに行こうとすると、セキュリティ・チェックに女性団体客がいて長蛇の列だ、スタッフが4列に並んで下さいと言っていた。
セキュリティ・チェックを通り抜けた時にはすでに搭乗時間の8時20分になっていた。
出国審査ブースでも並び、ウィングシャトルでゲートに向かった。
缶ビーツと水を買ってゲートに行くと搭乗が始まっていた。

座席は窓側で、ラッキーにも横の席は空いていた。
ダウンを脱いでクッション代わりにした。ダウン以外は冬支度のまま来ている、暑くはない。
11時定刻に出発した。
缶ビールを飲んで寝た。
昼便のクアラルンプールまでの7時間は長い。小説を読んで過ごすしかない。
タブレットを持っている人を見掛ける。DVD映画を見ている様だ。

17時にクアラルンプールの駐機場に着いた。
ターミナルビルまで歩いて行く、やはり暑い、ダウンは当然脱いでいるが曇っていたので長袖トレーナーは着たままにした。
ターミナルビルに入って階段を上がらずに、左の乗継ホールに行った。
チェックイン・カウンターには、数人並んでいた。右端のカウンターでチェックインしている。
他のカウンターにもスタッフがいて、チケットと言っている??
後ろには、大勢が並んでいた、その後ろからチケットと言っているカウンターに行く人が現れた。
何人かがそのカウンターに行った、見ていると乗継用ボーディング・パスを持っているのだ。ボーディン・パスとパスポートを渡して確認だけでセキュリティ・チェックに向かって行った。
中には、階段を上がってイミグレーションに行けと言われている西欧人もいた。
チェックインが終わり、バリ島のデンパサール行きボーディング・パスを受取り、セキュリティ・チェックを通り、出発フロアに出た。

腹が減った、先ずはマレーシア・リンギットに両替をしなければ、\1,000をMYR32.3に両替した。
レストランは無く、カフェでサンドイッチとコーヒーにした。締めてMYR19.95(\603)。
搭乗時間の18時になっても搭乗は始まらなかった。

18時50分、10分遅れで駐機場を後にして、バリ島デンパサールに向った。
3時間のフライトであるが、7時間のフライト後なので長く感じた。
小説を読んで、少し眠った。
バリ島が近付いたところで入出国カードと税関申請書に記入した。
ところが税関申請書のフォームがインドネシア語(ローマ字)で解らない。スチュアデスに英語フォームは無いのか聞くと、何と無いとの事!!!!
配置は同じだろうとガイドブックで確認しようとしたが文字が小さ過ぎて読めない。
日本人学生さんグループがいたので見せてもらって記入した。

21時50分、バリ島デンパサールに着いた。
VISA ON ARRIVEブースが目に入ったので、そこでUS$25を払い領収書を受け取り、入国審査所に並んだ。
パスポート、入出国カード、領収書を提出すると、パスポートにビザシールを貼って戻ってきた。
税関を抜けると両替所が並んでいた。間口2mほどの両替所が両側に無数に並んでいた。これは何じゃ!!!
どこの国でも同じだが空港での両替レートは良くない。さしあたってのインドネシア・ルピアが必要で\2,000を両替してRp202,000になった。
外に出ると運ちゃんがどこへ行くのか聞いてきた。
ホテル名を言って運賃を聞くと○×△、桁数が多過ぎて分からない。運ちゃんが電卓を取り出して200000と打った。
ゼロ2つを指で隠すと2000となる。何とクタまで\2,000と吹っかけてきた。ノー・センキューと言って歩き出した。何を言っても相手にしなかった。
ところでクタまでの相場は?と考えながら歩いた。何人かの運ちゃんに声を掛けられたが無視した。
駐車場が近付いてきた、後がない。運ちゃんが声を掛けてきたのでホテル名を言って運賃を聞くと50と聞き取れた。ルピアは桁数が多過ぎて分からない。
私が5ドルと言うと運ちゃんはOKした。

10分ほどでバクン・サリ・ホテル(Bakung sari Hotel)に着いた。
運ちゃんがルピアでの支払いを要求したのでRs50,000札(\500)を渡した。
このバクン・サリ・ホテルはWebのホテル予約サイトで予約したのだ。1泊\2,777で2泊予約していた。
プリントアウトしたバウチャを渡しチェックインした。
エアコン、ホットシャワー、テレビ、冷蔵庫、朝食付きである。
部屋は広かった。
22時30分になっていた。
ここまで服装は冬支度のままできたので、ポロシャツと半ズボンに着替え身軽になった。
ホテルのレストランは終わっていた。フロントで近くにレストランはないのか尋ねたが、トライしてみろとの事で、外に出たが近くになかった。
ホテル前のコンビニで缶ビールRs16,500(\165)と1.5L水Rs5,000(\50)を買って部屋に戻った。

今日、自宅を出て16時間30分と、長い1日だった。
23時30分、就寝。