いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2月21日 ジョホール・バル滞在

2008年06月29日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
8時過ぎ起床。昨日より元気そうだ。
8時45分、フロントでもう1泊したいと告げ、RM60を払い、洗濯物を受取った。
食堂でミーゴレンを食べた、朝から焼きそばとは! それだけ元気になったからか。
明日はクアラ・ルンプールへ移動しても体力的に大丈夫だろうと思い、ジョホール・バル駅にチケットを買いに行った。
急行列車EKSPRES RAKYAT(ER2) ジョホール・バル8時28分発、セントラルKL(クアラ・ルンプール)14時18分着、1等 RM64(2240円)のチケットを購入した。
計画ではバスでマラッカに寄ってからクアラ・ルンプールに行くつもりであったが病み上がりで無理せずにマレー鉄道とタイ国鉄の国際急行列車を乗り継いでクアラ・ルンプール→ペナン島→バンコクに向う事にした。
食欲が無く、昼食はカットフルーツにした。
ホテルの部屋でゆっくりした。
早めの夕食を取りに食事に出た。もしかして夕方からしんどくなったら食欲が無くなるのでその前に食事を済ませる事にした。
食後、20時ごろまで寝てしまった。
夜、初めて散歩に出た。ホテル周辺を歩いた、ビルとビルの間の路地には屋台が並び、大通りの向うにはヒンドゥ寺院があった。駅側のビルには、長距離バス会社の窓口が並んでいた。
インドネシアのマカッサルで腕時計のバンドが切れ、それ以降、懐中時計の様に使っていた。時計屋があったのでバンドがあるか尋ねると奥から出して来た。
時計を渡しサイズを確認している時、「どこから来た?」と聞かれ日本と答えると「私たちと同じ」と言われてしまった。女主人は中国系で私を現地中国系と間違えた様だった。
値札RM20とあり、値切りもしていないのにRM18(630円)にしてくれた。
JBシティは、マレー系、中国系、インド系&中東系と多くの人種が暮らす街である。単一民族の日本では考えられない、いろんな顔が見られる。
明日は、憧れのマレー鉄道の旅の始まりである。

2月20日 ジョホール・バル滞在

2008年06月27日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
窓から外を見たが薄暗い、ビルの谷間にホテルがあるので日が昇っているのかよく分からない。ビンタン島と時差も1時間あり、時計を1時間進めていたので尚更頭が混乱している。
熱は無い様だが、からだがだるい。
8時30分、フロントでもう1泊したいと告げ、RM60を払った。洗濯物も頼んだ。
朝食に出る、食堂のケース内にカットフルーツを置いていたのでパパイヤとメロンを買ってホテルで食べた。美味かった。
ベッドで小説を読んでいると寝てしまった。
13時、昼食に出る。食堂でぶっ掛け御飯を食べた。おかずが10種類ほど並んでいて、好きな料理を2種類指差し注文すると皿に御飯を盛り、その横におかずを添えてくれた。カットフルーツを買って返った。
ひたすら眠る。
夕食は食欲が無いので昼食時のカットフルーツを食べた。
毎年冬になると喉風邪をひき、熱を出す事が一度はある。朝熱が出て、10時ごろから元気になり夕方からまた熱が出る。対処法は、汗を掻いて熱を下がるのを待つ、薬は飲まない。体温が38度以上になれば寝込むがそれ以下では気付かずに普段通りでいる事が多い。昨日からの症状もこれと同じの様だ。
夜、熱が出ているのか?出ていないのか??? ひたすら寝た。
昨夜ほどではないが汗を掻いた。これで明日から元気になれるだろう。

2月19日 ジョホール・バルへ

2008年06月23日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
昨夜、熱を出した。5日前にひいた喉風邪が原因か? 一時良くなっていたが最後の船旅で心身共に疲れたからか?
ここでもう1泊して体を休め様かとも思ったが大丈夫だろうと、今日は、ジョホール・バルまで行く事に決めて起きた。
7時30分起床。
8時朝食、朝からナシゴレンはきつい、コーヒーだけ飲んだ。
フロントで昨夜頼んだジョホール・バルへのボートチケットについて尋ねると聞いていないとの事だ。やはり昨日の英語のやり取りで話が噛み合っていなかった様だ。
ジョホール・バルへのボートチケットを手に入れたと言うとスタッフが案内すると言ってくれた。
早速、ホテルの裏から抜けると商店街に出た、まず両替所でUS$20を両替し、チケット売場に行った。
10時発ジョホール・バル インターナショナル フェリーターミナル行きボートがあり、運賃Rp180,000(2200円)であった。先ほど両替したUS$20では足らずに更にUS$2両替した。レートが悪いが仕方がない。船会社PT.MASTER ASIA SHIPPINGが7時~15時に5便ある。
ホテルに戻りパッキングしてチェックアウトした。このWisma Riau Hotelはボート乗場に近く、5分ほどである。
海に張り出している桟橋を歩き階段で2階の待合室に着いた、売店、土産物店があり、まだ客は殆ど来ていなかった。
本を読んでいると乗客が集まりだした。カメラを持って1階の乗場へ行った。
  高速船
 
  桟橋風景
 
待合室に戻ると乗客が居なかった。慌ててバックパックを担ぐ、売店の女性店員がスタンプを押すジェスチャーをしてスタンプと言って指差ししている。振向くと出国審査所があった。
最初に待合室に来た時、ブースが2ヶ所あり人も居なかったので素通りし出国審査所とは思わなかった。それより出国するという意識が無かった、国内移動の感覚であった。
危ない危ない、出国手続きを忘れるところであった。2/1 ヌヌカンの四角形の入国スタンプの横に2/19 ビンタンの三角形の出国スタンプを押してくれた。
高速船に乗って出発を待っているとストレッチャーに乗った患者が船に搬送された。大病院はマレーシアのジョホール・バルが一番近い様だ。
10時15分に出発した、天気が良く、ビンタン島とバタム島の間の静かな海を高速船は進んだ。
写真の様な単胴船の高速船では船酔いする事は今船旅では無かった。しかし、1/17フィリピンに着いた日のバタンガスとカラパン間の高速船だけが双胴船で1時間30分の乗船中後半を船酔いした。それが今回船旅の唯一の船酔いであった。
ビンタン島近海を離れマレーシアとの国境海域に入ると波が高くなり高速船は波にドンドンぶつかり進んで行った。シンガポール領海には入れないのでシンガポールとマレーシアの国境線沿いをジョホール・バルに向っていた。
シンガポールはマレー半島先端にある島国で高速船は島と半島との狭い水路を進んだ。
船内でマレーシア入出国カードを配布しないので船員にそれを貰いに行った。船員は操舵室ドアを開け何か聞いていた、パスポートを提出する様に言われ渡すと入出国カードに記入してくれ、パスポートとカードを戻してくれた。カードを確認すると到着カード部しか記入されていなかった。
13時15分にジョホール・バル インターナショナル フェリーターミナルに着いた。ビンタン島タンジュン・ピナンから3時間掛かった。
 
シンガポールと結ぶ陸橋コーズウエイが小さく見える桟橋を進むと入国審査所に着き、直ぐに順番が来てパスポートと入出国カードを提出した。90日滞在可能の四角形入国スタンプを押してパスポートだけが戻って来た。出国&関税申告書は戻って来なかった。(2月1日より入出国カードは廃止された。)
通路が建物外周に続き、進むとThe Zonというショッピングセンターに出た。ATMを探した、1/29~2/1マレーシア サバ州に滞在し、その時残ったマレーシア リンギット(RM)を持っているがCiti Bank カードでRM300を引き出した。
ATMから離れると後に並んでいた男性が「まだ終わっていない」と言う感じ、私はATMに振向くと画面が変わった、彼はOKと言ってATMに向った。多分「明細書が必要ですか?」「Yes」「No」だったのだろう。注意しなければならない。
日本のCD/ATMでは、取引終了でカードが戻って来るので終了忘れはないが、海外の場合、いろんなタイプのCD/ATMがある。カードを挿入して暗証番号を入力するとカードが戻って来たり、カードをスライドさせるだけの場合もある為、カード返却は取引終了ではない。その後画面の表示に従って操作し現金を受取りATMを離れると、取引が終了していない為、その後続けて第三者に現金を引出されてしまう恐れがある。取引の終了を画面で必ずご確認しなければならない。
The Zonの1階イベント広場に畳が敷かれ柔道の練習が始まった。先生は日本人であった。
タクシー乗場でジョホール・バル駅と行き先を言っても通じない、ガードマンも加わり、タクシー運ちゃんがJBシティと言って了解してくれた。ゲートで止められトランクを検査された。The Zonは免税店であるらしい。JBシティまでRM10(350円)。
  JBシティ JB駅前
 
ゲートウエイホテルGateway Hotelに行った。1泊RM70との事、「RM60と聞いている。」と言うと「インターネットか?」と聞かれコピーを見せた。コピーはGoogleマップの航空写真にホテル名料金を記入した自作地図で、女将はそれを見て変に納得していた。交渉成立1泊RM60(2100円)。ビジネスホテルの様なこじんあまりとした部屋でホットシャワー、エアコン付きで十分である。
食事に出た。ぶっ掛け御飯の食堂が多い、しかしビールが無いのでチキン専門店に入った。子供がスープを飲んでいたので、それとフライドチキンと缶ビールを注文した。
その後、ホテルで寝込んでしまった。先ほどまで元気にしていたのに、その落差が大きい。夕方から熱が出ている様だ。
夜、寒気がひどい、高熱が出ている様だ。汗をかくと熱が下がるのだが、辛抱して寝る。
すごい汗をかいた、汗をふき取り肌着を換えた。
0時、熱も下がり楽になった。

2月18日 ビンタン島到着

2008年06月22日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
館内放送でアザーンと呼ばれる祈りへの呼びかけが独特の節回しで流され目覚めた。バリ島やジャワ島での滞在時、殆どアザーンを聞かなかった様に思う。
6時15分起床。晴れ
船旅最後の朝日を見に行った。今船旅で綺麗な朝日を見る事が出来なかった。今日は雲の中ではあるが光が見える。これが精一杯か!
  朝日
 

7時に食堂に行き朝食を取った。オムレツ、野菜の煮付け&御飯であった。
ボートデッキの船尾にモスクがあり、その横の階段を上がるとオープンカフェがある。オープンカフェと私は言っているが売店とテーブルが並び、大きなスピーカーから煩い音楽が流れている。
影内にあるテーブルに座り小説を読んだ。疲れると海、水平線&青空を眺めた。
ボートデッキを歩いた、周りは海と青空だけである。
11時過ぎ昼食に行った。1&2等客は数人しかいない様だ。昨夜も2等キャビンは周りが空き室ばかりで、私の船室のドアをノックされたが、ぶっそうなので出なかった。
ボートデッキを歩いた、北には南シナ海、西にはスマトラ島、しかし、周りは海と青空だけである。時々島影でも見えれば変化があって良いのだが現れない!
船が陸地や島に何kmまで近付けば見えるのか? フィリピンでの船旅で20km離れた対岸が見えた事より20km近付けば確実に陸地や島影は見えるだろう。だが30kmではどうか?
ジャカルタからビンタン島キジャンまで26時間、それからいくと16時ごろに着く事になる。しかし、16時になっても着きそうになかった。
船員にキジャンに何時に着くか聞くと20時との事。まだ、4時間もある!!!!! 疲れがどっと出た。
船内はエアコンが効き長居はできない、船外ではオープンカフェにしか椅子がない、居場所に大変困った。
遅れたお蔭で綺麗な夕日が見る事が出来た。 
  夕日
 

両側に陸が見え、河を船が上がっている様な感じであった。
20時15分キジャンの岸壁に接岸した。
  キジャン(ビンタン島)
 
乗客に付いて乗場を出るとベモ(ミニバス)の運ちゃんが待ち構えていた。タンジュン・ピナンまでRp20,000(240円)との事、夜遅いので言い値で乗ろうと考えていた。英語の話せる兄ちゃんが現れ、ついつい英語の話せる兄ちゃんと話してしまい、運ちゃんと兄ちゃんに付いて行くややこしい事になってしまった。ベモに着き、助手席に座った。
2人は、更に客を探しに行った。数分待つとインドネシア人客3人を連れて来た。
兄ちゃんにタンジュン・ピナンのホテルを紹介する様依頼した、すると酒と女のいるカラオケに行こうと誘って来た。しつこく誘われたが丁重にお断りした。
ベモは村の中を走ったかと思うと山の中、狭い道をくねくねと走った。一体どこへ行くのだろうと不安に思っているとある民家で停まった。
インドネシア人客3人が降りた、兄ちゃんに聞くと、彼らは大型車の運転手でマレーシアに出稼ぎに行く為、ここ手配師の家に着いたところだそうだ。
キジャンから約1時間でホテルに着いた。宿泊費Rp250,000と言うので部屋を見ると居間と寝室の続いたスイートルームで、必要ないので1部屋で良いと言うと隣の部屋に案内された、1泊Rp150,000(1,800円)でOKした。
ベモに戻り、運ちゃんにRp20,000を払い、兄ちゃんには、ガイド料&縁切り料?US$2を渡した。インドネシア・ルピアが使い果した。
フロントでジョホール・バル(マレーシア)行きボートのチケット入手方法を聞いていると兄ちゃんが戻って来た。しつこい奴! Good-byと言っても帰らない。
チケット入手の件であるが、後払いでスタッフが買いに行ってくれる事になったと理解したがスタッフの英語力も私と同じで??
しつこい兄ちゃんを追い返し、今度はビールが欲しいと言うと1階に女の子のいるバーがあるのでそこで飲めるとの事。必要ないと言うと缶ビール1缶を買って来てくれた。US$2を払った。
部屋でシャワーを浴びた後、2日振りのビールを飲んだ。美味いビールであった。
11時疲れて寝た。眠って直ぐ熱が出た、少し寒気がするがそのまま寝た。

2月17日 ビンタン島へ

2008年06月20日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
5時30分起床。曇り
6時15分、タクシーでタンジュン・プリオッに向った。30分でペルニ社フェリー乗場に着いた。Rp41,500(500円)。
倉庫の様なフェリー乗場は、まだオープンしていなかった。行き先別に入口がある様でそれぞれに人が並んでいた。送迎デッキがあり上がって見ると、屋根下にシートを敷いて大勢の人が座ったり寝転がっている。昨夜、ここに泊まった様だ。入口で並んでいると思った人達も泊まったのか?
駐車場の奥に屋台が並んでいて、コーヒーを飲みに行った。30分ほど時間を潰した。
座れるベンチがない、バックパックに腰掛け本を読んだ。
8時過ぎに事務所が開き、ポーターが現れた。老人ポーターが片言の日本語で話し掛けて来た。日本語の話せるポーターがいる事を思うと、ここからペルニ社フェリーを利用する日本人が多いのか?
9時ごろ、フェリー乗場が開いた、チケットを見せ荷物検査を受けて入った。そこはだだっ広い待合所で椅子が並び横には売店があった。
小説を読んで暇潰しをしたが、船が何時に着くか分からずに待つほどストレスが溜まる事はない。職員に聞いても分からない様だ。
10時30分ごろ日本語を話す老人ポーターが来て11時に船が着くと教えてくれた。
11時に船は接岸した。
売店でカップ麺を買いブランチとした。カップ麺は、お湯を注いで渡してくれる。
12時に乗船が始まった、乗船すると先ほどの老人ポーターが現れチェックインから客室まで案内してくれた。チッピを渡そうとしたが小銭がRp3,000(35円)しかなく、US$1を出したが諦めてRp3,000だけを受取って出て行った。御免なさい!
2等船室は、4人部屋で奥に2段ベッドが2台並び、手前にロッカーとトイレ&シャワー室がある。ベッドには毛布と抱き枕があった。冷房は効き過ぎ冷蔵庫の様だ。
  2等船室
 
10日前に乗ったDobonsolo号と今回のCiremai号は同型船でどこに何があるか分かっているので楽であった。一番長く過ごすであろうボートデッキに行って見た、ベンチが置かれていない!! ベンチに座り小説を読み、疲れたら海、水平線、そして空を見て過ごそうと考えていたが、それも出来ず最悪の航海に成りそうである。
  港風景 ガントリークレーンが奥まで続く
 
13時50分、Ciremai号は岸壁を離れた。
  ペルニ社岸壁 右側
 
  タンジュン・プリオッを出航
 

船尾にあるオープンカフェ(売店とテーブルが並ぶ)で小説を読む。煩い音楽がガンガン鳴っている中では辛い。船内はエアコンが効き長居はできない、船外ではオープンカフェにしか椅子がない、居場所に大変困った。
曇っていて太陽が見えない、従って夕日も見えなかった。
6時に食堂に行って夕食を食べた。2等の食事は1品増えてチキンフライ、魚フライ&野菜であった。
  1&2等食堂
 

船室で小説を読んだが寒いのと薄暗いのとで疲れて寝る事にした。服を着たまま毛布2枚を被って寝た。

2月16日 ビンタン島へ

2008年06月18日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。曇り
朝食は、バイキング形式でトーストと目玉焼き&コーヒーにした。家族連れのインドネシア人が多く宿泊していた。
今日夕方のペルニ社フェリーでビンタン島(シンガポール対岸の島)に向う。そのチケットを買いにペルニ社チケット売場にトランスジャカルタ・バスウエイで行く事にした。
チェックアウトの時間は、13時。チケット購入後、独立記念塔と国立中央博物館を回ってホテルに帰る計画を立てた。
8時30分にホテルを出た。
20分歩いてバスウエイのバス停に着いた、路線Koridor2とKoridor5が交差するジャンクション駅Senenに着いたのである。チケットRp3,500(42円)均一を買い改札を通り路線Koridor5のプラットホームでバスを待った。列車のプラットホームからバスに乗込む感じである、エアコンの効いたバスは専用車線を走った。降りる駅を間違え1駅戻った、間違っている様に感じて駅員に尋ねてよかった。
15分歩いてペルニ社チケット売場に着いた。だだっ広い売場の入口テーブルに受付嬢が座っていた、他に誰もいない。
受付嬢に申込み用紙に記入する様に言われたが、インドネシア語で英語の併記が無い、ローマ字読みで氏名、国籍は記入出来たが年齢が分からず、彼女も英語が分からない様だ。彼女は助けを求める様に売場窓口に申込み用紙を持って行った。
窓口が奥まで並んでいる、窓口の数は20はあるだろう。格安航空の影響で客が減少しているとは言うが??
窓口は英語が通じた、今日夕方のキジャン行き2等チケットを買いたいと伝えた。17時発キジャン行きCiremai号のチケットを購入できた。2等チケットRp672,000(8100円)。10日前のDobonsolo号は3等キャビンで6人部屋、共同トイレ&シャワーであった、2等キャビンはどんなんか?楽しみである。
明日の夕暮れにはビンタン島に着き、明後日には高速船でシンガポールorマレーシアのジョホール・バルに着く。
バスウエイで元に戻りジャンクション駅Senenで路線Koridor2に乗り換えた。昨日ジョグジャカルタから着いたガンビル駅を通り、独立記念塔が中央に建つムルデカ広場を一周しムルデカ広場南で下車した。駐車場からムルデカ広場に入り独立記念塔へ向かった。塔には登らなかった、そうでなく展望台がある事を知らなかった。
  独立記念塔
 
ムルデカ広場の西にある国立中央博物館に行った。印象に残ったのは、中庭に並べられたヒンドゥー教や仏教の石像ぐらいである。
  国立中央博物館
 
博物館前のバスウエイバス停から乗り、2停留所目で降りた。ホテルまで博物館から徒歩で30分ほどであり、通常歩くが今日は何故か疲れるのでバスウエイに乗った。
13時前にチェックアウトし、バックパックをフロントに預け昼食に出掛けた。
昨夜の味付け無しスパゲティのレストランに行き、サンドイッチとビンタンビール大瓶を飲んだ。
インターネットカフェで1時間過ごし、15時にホテルを出た。
バスウエイとタクシーを乗り継いでタンジュン・プリオッのフェリー乗場に向う事にした。
ガンビル バス停から乗りジャンクション駅Senenで乗り換え、路線Koridor5の終点で降りた。終点から歩いて通りまで出たがタクシーが通らない。終点の1駅前で降りるべきであった。
タンジュン・プリオッの方向に走っているベモ(ミニバス)に適当に乗り込んだ。おばちゃんの横に座り、プリオッはここか?と何度か聞いた、おばちゃんが着いたと言う感じ教えてくれた所はタンジュン・プリオッ駅で終点であった。16時頃であった。
ペルニ社フェリー乗場がどこか近いのか遠いのか全く分からないのでバイクタクシーにペルニと言って声を掛けた、運賃交渉をしRp10,000をRp5,000に値切ったが駄目、歩き出そうとするとRp5,000(60円)でOKと言うので乗った。
距離にして1kmも無く着いた。駐車場前のペルニ社の職員の所で降ろされた、チケットを見せると、明日9時に出発するので7時に来いと言っている、何!明日朝出直さなければいけないのか!疲れがどっと出た。16時間遅れという事になる、私は6時間前にチケットを購入した、購入時には既に遅れる事が確実であったのに窓口では何の説明も無かった。
周りの人が、本当に9時か?もっと遅れるのでは?と言っている感じだ。職員がバイクタクシー運ちゃんに何か言った、バイクに乗る様に言われ乗った。
着いた所は、ペルニ社オフィスらしい、運ちゃんがオフィスから出て来た職員に何か言っている。何の用件で来たのか私には分かっていない。
職員が「明日9時に出発する」と言っている。出発時間の確認に連れて来られた様だ。私は「今日10時にチケットを買ったが、遅れるとは聞いていない」と言ったが「明日朝7時に来い」と言うだけだ。「ジャラン・ジャクサのホテルに戻らなければならない」と言うと、驚いた顔で「近くにホテルがある」と言い、運ちゃんにホテルに案内する様に指示している感じであった。
案内されたホテルはエレベーターの昇降が外から見える立派な外観であった。運ちゃんにRp10,000払ってホテルに入った、廊下はゴミだらけで部屋のテレビはチェーンで縛り付けられ、受付は鉄格子の中にある。宿泊したら二度と出て来れない、殺され相なホテルでお断りした。
タクシーを拾い、ジャラン・ジャクサの昨夜宿泊したホテルに戻った。チェックアウトして2時間30分後にまたホテルに戻って来たのでフロントマンは驚いていた。空き部屋があるかと尋ねると困った様に1時間したら部屋が空くとの事、その間食事をしてくると言ってバックパックを預けた。
夕食は昨夜と同じレストランでミーゴレンとビンタンビール大瓶にした。
レストランで時間を潰し、7時にチェックインした。今日は温水シャワーの部屋は空いていなかった。宿泊費Rp190,000(2,300円)
ペルニ社フェリーの遅れで、がっくり、疲れた。
20時に寝た。

2月15日 ジャカルタへ

2008年06月15日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
7時起床。
のどは、まだ少し痛む。
朝食は、トースト&オムレツ、コーヒーにした。
8時30分ごろチェックアウトした。毎朝行き方を教えてくれたフロントの女性に、行き先は空港かと尋ねられ、トゥグ駅と答えるとベチャでは遠すぎるので、バスと徒歩での行き方を教えてくれた。タクシーを考えていたがトライする事にした。
昨日までとは逆方向のバスに乗り、ジャラン・マリオボロと言っておくと王宮北広場の先で下ろしてくれた。ここからジャラン・マリオボロを徒歩で北上した、ベチャを拾った。ベチャ運ちゃんにトゥグ駅と言うと遠いと言って嫌がられた??
運ちゃんは嫌々Rp5,000(60円)でOKした。線路沿いに左に曲がるところを右に曲がろうとするので左と指示して進むと一方通行を逆行しているのに気付きベチャを停めた。成る程、トゥグ駅に行くには遠回りしなければならないのか! 運ちゃんにここでいいと行ってRp5,000を払うと大変喜ばれた。
残り100mほどを歩き、トゥグ駅に着いた。まだ、9時15分で発車まで45分ある。
私の乗る列車がトゥグ駅始発なのか経由なのか駅員に尋ねた。これを英語で尋ねるのに一寸困った。トゥグ駅始発との事であった。出発が遅れる事はない、早めにプラットホームに列車が入ってくるだろう。
9時30分に列車が入って来た、ベンチの隣に座っていた婦人にチケットを見せてこの列車かと聞くと違うと言われた。
10時前に特急Taksakaはホームに入って来た。日本と同じく車両No.と座席No.で座席を探した、乗り方は同じでも構内放送、車内放送のアナウンスが日本語でないという大きな違いがある!!
定刻10時に発車した。市街地はすぐに終わり、水田、椰子の木&樹木の美しい風景が続いた。
列車は西に向かいジャワ島のインド洋側を走った、椰子の木と樹木が集まる所は民家があり村の様だ、他は水田である。ジョグジャカルタを出て2時間ほどして列車は進路を大きく曲げ北の内陸に向った。
昼食が出た、御飯、フライドチキン&野菜でまあまあ美味かった。
地図ではSlamet山(3432m)の西側を回り込むので山間部を列車が走るのかと思っていたが、一部だけでそうでもなかった。Slamet山は近過ぎて見えず、ただの山であった。
水田が少ない高原の様な地帯に入った、ジャワ島を横断しジャワ海側に出た様だ。
チルボンに14時30分頃に着いた。ここがジョグジャカルタとジャカルタとの中間だろう。
15時ごろ、メニューを持って注文を取りに来た、スープヌードルを頼むとビールもあるとの事、当然ビールを注文した。バスと違い列車はトイレの心配が無いのでビールを心置き無く飲めるのでいい。
地平線まで水田が続く、近くの川を見ると水位が高く氾濫して水田と川がつうつうになっている。細い水路が沢山走っている。列車の反対側も地平線まで水田が見える。一面水田の中を1本の線路が延びている風景を想像した。車窓からの水田の写真を撮りたかったが窓は開閉できなかった。残念だ、否撮れなくて好かったかも知れない、撮った写真を見てがっかりするより、脳裏に焼き付いた一面水田のイメージを大切にしたい。
ジャカルタのガンビル駅に18時20分に着いた。外はもう真っ暗であった。これからまだひと仕事がある。安宿エリアのジャラン・ジャクサに行き、ホテルを探さなければならない。本来ジャラン・ジャクサへは、ガンビル駅の1駅手前で下車するのが近いが列車が停車したのか??
タクシー乗場でジャラン・ジャクサまで運賃を聞くとRp50,000との事。徒歩30分ほどの距離をRp50,000と話にならないので断り歩く事にした。
地図を見ながらジャラン・ジャクサに向った。車は多く走っていたが歩道には人は少なく薄暗い場所もあったが迷わずに着いた。
中級ホテルのル・マルゴットLe Margotへ行ったが満室で、フロントでカルヤ・バハナKarya Bahanaを紹介してくれた。同じ中級ホテルであるが、カルヤ・バハナは部屋数が多い。
エヤコン、水シャワー、TV&朝食付きでRp190,000(2300円)、同料金でホットシャワーが無いのか粘ると在る様で部屋を見て決めた。
夕食に出た、インドネシア料理以外を食べたかったので西洋人の多いレストランに入った。ビンタンビール大瓶とスパゲティを注文した。スパゲティを食べると味がしない、クリーミーではあるが味付けされていない。ウエイトレスに味が無いと言ったが要領を得ない。塩を振り掛けて食べた、他のテーブルを見るとやはり塩容器を懸命に振っていた。客に味付けさせるスパゲティを出すレストランは初めての経験である。もしかして、味付けの無いスパゲティを注文してしまったのか???
ジャカルタからプアラルンプールに飛行機で飛ぼうか、今回の旅行テーマである船旅を完結させる意味でシンガポールまで船旅を再開させるか。
スラウェシ島マカッサルのペルニ社オフィスでもらった時刻表を見ると、タイミング好く明日夕方にビンタン島キジャン(シンガポール対岸)に船便がある。明日夕方、船旅再開する事にした。

2月14日 プランバナン

2008年06月13日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
6時30分起床。
のどが痛い、エアコンでやられた様だ。熱が出なければいいが!!
朝食はスープヌードルにした。
8時過ぎホテルを出て、昨日と同じくBlue No.15のバスでギワガン・バスターミナルに向った。途中、交差点で停まった時、乗客は同じく横に停車したバスに乗り換える様に言われ乗り換えた。バスは休憩の様だ?? 何でもありか!
ギワガン・バスターミナルからソロ行きバスに乗り、車掌にプランバナンと言っておいた。9時過ぎに着いた。Rp5,000(60円) 所要時間40分。
バスターミナル付近で降ろされた、プランバナン遺跡公園の入口に向った。国道に面した門は閉まっていたが潜り戸が開いていたので入った。正規の入口は北に回り込んだ所にある様だ。
 
駐車場を通り抜け進むとチケット売場に出た、チケットはUS$10(1,100円)であった。
遺跡公園内に入ってまずロロ・ジョングラン寺院が現れた。遺跡公園の中心寺院がロロ・ジョングラン寺院でそびえ建つ感じである。
  ロロ・ジョングラン寺院
 
2006年5月の中部ジャワ地震以降境内には立ち入りが出来ない、当時のテレビニュースで神殿の飾り石が地面に落下しているのを見た覚えがある。ボロブドゥールは知っていたが、実はそのニュースで初めてプランバナンを知った。
境内の外周から見学でき、所々飾り石が歯抜けの様に無くなっていた。また、足場を組んで修復中の祠堂もあった。
  境内
 
ロロ・ジョングラン寺院境内の北側からルンブン寺院に向った。樹木が茂る中を通り遺跡公園内を進むと樹木に囲まれたルンブン寺院が現れた。
  ルンブン寺院
 
舗装道から外れ草むらの中に続く道をブブラ寺院に向った。樹木の下で鹿が草を食べている、放し飼いされていた。ブブラ寺院は崩壊して瓦礫の山になっていた。
  ブブラ寺院
 
草むらの中を歩きセウ寺院に向った。セウ寺院の手前で飲み物売りに会った。水は持っていたので断った。物売りは自転車で追い駆けて来た。
セウ寺院の伽藍はロロ・ジョングラン寺院と似ていた。見終わって寺院から出て来た、飲み物売りは待っていた、ビールはあるかと聞くとバケツの様な容器の底から缶ビールを取り出した、値段を聞くとRp20,000(240円)との事。Rp15,000と値切って見たが駄目、ビールが飲みたくて買ってしまった。セウ寺院を背にしてビールを飲んだ、ビールの後、水分補給で水も飲んでおいた。
  セウ寺院
 
舗装道をロロ・ジョングラン寺院へ戻った。
  ロロ・ジョングラン寺院
 
遺跡公園を出て、貸し自転車を置いているホテルに向ったが工事中で営業していなかった。遺跡公園周辺に4寺院が点在していて貸し自転車で回るつもりでいたが駄目になった。
まだ11時過ぎだが、暑いしビールを飲んでしまったので、ボコの丘だけ行く事にした。バスターミナル近くでバイクタクシーが近付いて来た、4寺院を回ってRp40,000との事、ボコの丘だけと言ってもしつこく4寺院周遊を薦められた。ボコの丘だけの交渉になり、Rp10,000をRp5,000に値切ったが駄目。30分ほどで歩ける距離のはずでRp10,000は高いと思ったがOKした。
ボコの丘麓の駐車場入り口を運ちゃんが素通りするので、どこへ行くのか?と聞くと、どうも裏側から頂上に上る道がある様だ。ボコの丘の南側に回り込み、田んぼの中を通り南から山麓を上る道があり、入場券売場まで車1台が通れる道が続く。
入場料US10を払った。世界文化遺産のプランバナン遺跡の入場料と同料金とは?? バイタク運ちゃんに帰りは如何すると言われバイクはいらないと答えた。
入場券売場から駐車場or庭を挟んで展望レストランがあった。先に王宮址を見学に行った。石門と石垣or基壇、沐浴場が残っている程度で広い広場の様であった。
  王宮址 石門
 
展望レストランでビンタンビール大瓶とナシゴレンを食べた。ここはテラスになっていて見晴らしが抜群にいい。プランバナン遺跡公園のロロ・ジョングラン寺院が小さく見える。ムラピ山は残念ながら山麓しか見えない。
雨が降って来た、スコールの様だ。明日からの計画を考え、雨が止むのを待った。
明日、列車でジャカルタに向う、その為これからトゥグ駅にチケットを買いに行く事にした。
  プランバナン遺跡を眺望
 

雨が上がりボコの丘の大変急な階段を下りた、13時に階段を下り始め、小さな川を渡り、踏切で列車が通過するのを待ち、30分ほどでバスターミナルに着いた。
ミニバスが数台停まっている、このバスターミナルはミニバスターミナルか? 運ちゃんらしき人にジョグジャカルタと言っても相手にされなかった??
国道に出てソロからのバスを待った。バス停がどこか分からないが適当な所に立った、5分ほどでバスが来た、手を上げてバスを止め、車掌に「ジョグジャ」と言って乗込んだ。
バスが空港前を通過し、ギワガン・バスターミナルに左折する所で下車した。ミニバスに乗り換えた、客待ちで中々出発しない、ゆっくりと客を拾らいながら走り始めた。10分ほど走ってバスは右折した、私の行き先はは直進なので下車した。そこから歩き、1kmほどでトゥグの塔がある交差点に着いた。そこから南下(左折)すれば王宮に至る道路である。歩くのに疲れ適当にバスに乗り、1kmほどで線路が見えたので下車した。
やっとトゥグ駅に着いた。駐車場の横の独立した建物が予約チケットオフィスであった。時刻表でジャカルタ行き時刻を調べ9時発-16時着Argo○×△のエクセフティフにして、申込用紙に書ける範囲で書いてカウンターの女性スタッフに渡した。しかし、この列車は満席で予約出来なかった、次の10時発-18時17分着Taksaka-Pagiのエクセフティフが取れた。ジャカルタのガンビル駅に着く頃には暗くなっているのが難点である。運賃Rp160,000(1,950円)
今日もマリオボロ・モールに寄った、フードコートで日本食があり、イカ焼きと野菜炒め(Rp16,000 195円)を食べた、ソース味(ウスターソース)で日本食であった。スーパーマーケットで缶ビール3缶を買って帰った。
銀行のATMでRp1000,000を引き下ろした。インドネシア・ルピアは、零0が多過ぎて戸惑う、いつも零2つ00を指で隠して円に換算して確認している。
疲れたのでタクシーでホテルに戻った。

2月13日 ボロブドゥール

2008年06月10日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
6時30分起床。晴れ
廊下の各ドア横に椅子と台があり、コーヒー&紅茶とポット&カップが置いてあり自由に飲む事ができる。そこで中庭を眺めコーヒーを飲みながら目を覚ましていた。当然蚊取り線香を焚いた。
トースト、オムレス&コーヒーの朝食を取った。
テーブルにツアーのパンフレットを貼ってあり、それによるとボロブドゥール、プランバナン&バティックの10時間ツアーが1人の場合Rp70,000(850円)となっていた。これは、リーズナブルである。でもローカルバスに乗って行きたいので、フロントでボロブドゥールへバスでの行く方法を教わった。
ジョグジャカルタ・ツーリズム・マップに行き方を書いてくれた。バス道に出て、Blue No.15のバス(Rp2,000 25円)に乗りGiwangas Bus Terminal(ギワガン・バスターミナル)で降りる。ターミナルからは、Borobudurボロブドゥール行きバスに乗る。
8時過ぎにホテルを出て、歩き始めると昨日のベチャが付いて来た、ボロブドゥールに行くと伝えると戻って行った。
城門から南へ伸びる道をNo.15バスが走っている、バス停がどこか?どこでも停まるのだろう。店の前で主人に「Bus Stop」と言うと、「ここで待て!」という感じで待つ事にした。
すぐにバスは来た、手を上げて停め、乗り込んだ。車掌が来たのでRp2,000を渡した。プラウィロタマン地区付近を回り、15分ほどでギワガン・バスターミナルに着いた。
ボロブドゥールと言うとターミナルスタッフが指差した、その方向にはバスが停まっていた。このバスか?と聞くとその向こうの建物であった。
建物内は売店があり、通り抜け様とすると止められた、「200」と言われ、何故かRp1,000札2枚を出すと1枚を取り釣りをくれた。Rp200(2円)のターミナル使用料?であった。
バスが並列に並び頭上の建屋に行き先が表示されていた。行き先Borobudurの下に停まっているバスに乗った。
すぐにバスは私だけを乗せて出発した。ターミナルを出て、すぐバスは停車して客を拾った。住民はバスターミナルから乗車しないのか?
車掌が運賃を取りに来た、Rp10,000を渡すとジェスチャで「もっと寄越せ!」、値上がりしたのかと思いRp10,000札を渡し釣銭を受取ろうとしたが、「もっと寄越せ!」と、すごまれた、恐喝を受けている様であった。結局Rp30,000取られた。
路線バスで恐喝まがいで高額の運賃を取られたのは始めての経験である。海外旅行48回目、今までは飛行機、列車&バス等公共交通機関は定めら料金だと思っていたが、インドネシア否ジョグジャカルタ否このバスが履がえした。何でも在りか?
 
2ヶ所のバスターミナルを経由して、10時15分ごろ1時間半でボロブドゥールバスターミナルに着いた。
ベチャがしつこく付いて来る。料金もRp5,000からRp2,000と交渉もしていないのに下がっていく。料金ではない、距離にして500mを歩きたいだけだ。ただボロブドゥールへの方向は分からないので、ベチャに聞いて向った。
途中、コンビニで缶ビールと水を買い、暑い中を歩いた。
公園の様な所が見えて来た、駐車場の奥に土産物店が並ぶ。ここがボロブドゥールか、遺跡が全く見えない。駐車場、土産物店&食堂の密集地を抜けチケット売場に着いた。入場料Rp10,000(120円)と書かれている、そこはインドネシア人チケット売場であった。指示された方向に行くと外人専用チケット売場に案内してくれた。お高い入場料$11(1200円)を払った。
入場料に於いて外国人と国内人との比が10倍のインドネシア、3倍のタイ。タイ国の場合、新聞記事で3倍は取り過ぎているので外国人入場料を下げて入場者を増やさなければならないという論調である。国によってこれほどの開きがある。
チケットカウンター横にガイドが待機していて日本語ガイドが声を掛けて来たが断った。
ボロブドゥール遺跡公園に入った、暑いので木陰を歩いた、樹木の背が高くボロブドゥールが中々見えない。ボロブドゥールが初めて顔を出すのが下の写真(遺跡正面)である。
  ボロブドゥール遺跡正面
 
  正方形の一辺が123mの基壇
 
基壇から第1回廊への階段を上がり、第1回廊を一周してレリーフ(浮き彫り)を見た。
  レリーフ
 
回廊は第4回廊まであり、その上が円壇となる。第1回廊から円壇へ急な階段を上がった。円壇は第1~第3に別れそれぞれ小ストゥーパ(小仏塔)が円形に並べられている。第3円壇に大ストゥーパがある。
  小ストゥーパと遺跡公園越しのムラビ山
 
  小ストゥーパ内の仏像  
 
戻りは順路から外れ樹木の少ない所から遺跡全景を眺めた、
  ボロブドゥール遺跡全景
 

バスターミナルに向う途中小さな屋台食堂に入った。客は1人いたが主人が居ない、客が呼んでくれ主人が出て来た、のんびりして良い感じです! 客が食べている麺と同じものを注文した、ビールは無かった。
バスターミナルでバスを待った、木陰に立っていると「2つ寺が○×△□・・・??」と後から聞えた、振向くとベチャの運ちゃん?だろう。パオン寺院とムンドゥッ寺院の事を言っている様だ。まだ正午前で時間も十分あるので行く事にして歩き出した。運ちゃんに背中を押された格好だ、突然歩き出したので運ちゃんは驚いていた。
パオン寺院に向った、歩道が無く道路の端を歩いた、車が少ないのでそれほど危なくない。遠回りしてしまい30分ほど掛かって着いた。小さな寺院である。チケット売場は在ったが閉まっていた。
  パオン寺院
 
ムンドゥッ寺院に向う途中にハジ・ウィダヤッ美術館が在り寄って見た。近代絵画が中心で造形美術もあった。絵画の「桜」が日本にゆかりがあるので印象に残った。入場料Rp10,000(120円)。パオン寺院から15分。
歩道のある道路に変わり車も増えた。橋を渡りすぐに大きな木が見えた。
  田舎の川
 
ムンドゥッ寺院前に気根を垂らした大きな菩提樹がある。ハジ・ウィダヤッ美術館から15分。
  ムンドゥッ寺院前菩提樹
 
ムンドゥッ寺院内部に美しい如来像が安置されている。入場料Rp3,000(35円)。
  ムンドゥッ寺院
 

菩提樹下でジョグジャカルタ行きバスを待った。すぐバスが来て停まった、往路で恐喝まがいでRp30,000取られたので、運賃Rp10,000を確認して乗込んだ。白人男性が1人乗っていた、30分ほど寝てしまい、15時ごろジョグジャカルタのギワガン・バスターミナルに着いた。
横隣のバス乗場がソロ行きで、バスが止まっていたので乗った。
ソロ行きは空港前を通るので途中で下車し、空港の格安航空会社エアー・アジアのチケット売場に行きクアラルンプール(マレーシア)行き航空券を買う為である。
空港前に通じる国道と交差する所で車掌に空港で降ろしてくれと適当な運賃Rp3,000を渡すと怒った顔で途中で降ろされた。どうも乗車のみ区間がある様だ? 国道を渡っていると車掌が迎えに来て、バス停の屋台のお爺さんに繋いでくれ、お爺さんは「待っておれ!」と言う感じであった。お爺さんがミニバスを停めてくれ、お礼を言って乗込んだ。ミニバス運ちゃんの合図でRp3,000(35円)を渡し降りた。
数百mを歩いて空港に向かい、エアー・アジアのチケット売場に着いた。何と「Tutup」とある、閉まっていた。案内所に行き尋ねると、先ほどまで営業していた様だ。 案内所の女性が電話していたが繋がらない。電話番号を教えてくれた。15:55発クアラルンプール行きと共にチケット売場担当者も帰って行っえたのか?
国道に出て中々タクシーを拾ろえない、乗客が既に乗っている。やっとタクシーを拾い、昨日行ったマリオボロ・モールに行き缶ビール2缶を買った。メータータクシーRp25,000(300円)。マリオボロ通りを北広場までぶらぶら歩き、ベチャを拾いホテルまで戻った。疲れていたのでベチャ代Rp10,000で乗ってしまった。
ホテルでミーゴレンとビンタンビール小瓶で夕食とした。
疲れて20時に寝てしまった。

2月12日 ジョグジャカルタへ

2008年06月06日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
 
                                Googleマップ参考

6時30分起床。土砂降りの雨で目を覚ましたが起きずに寝ていた。
7時30分朝食、トースト&コーヒーを4日間同じ物を食べた。食後、隣の雑貨店でドリンキングウォーターと缶ビールを買った、Rp50,000札を崩す為である。
9時にチャックアウトした、昨夜バーのスタッフに頼んだ車が待っていた。昨夜Rp70,000と聞いていた運賃を確認したらRp90,000と言う、予測していた通りであり、私はRp70,000で1歩も引かなかった。運ちゃんは、諦めRp70,000で承諾した。
9時30分に空港に着き、運ちゃんが駐車場代Rp5,000掛かるとぶつぶつ言っているのでRp5,000Rpプラスしてきっかり75,000(900円)を払って降りた。
待合室に日本人シニアのツアー客が大勢いた。
12時10分にジョグジャカルタ行きの搭乗が始まると日本のツアー客も動いた、この方々もジョグジャカルタに行かれる様だ。
窓側の席を取っていた、通路側席には日本人夫婦が座って居られたので、「すいません」と言って窓側の席に行った。
「どちらから?」「大阪です。」「私達も大阪です。」から話が始まり、旦那さんは70歳過ぎで最近まで自転車メーカーで働いていた、退職してから世界遺産巡りの海外旅行をする様になったと言われていた。ジョグジャカルタで世界遺産のボロブドゥールとプランバナンが楽しみだとか海外旅行の話をした。久し振りの日本人との会話であった。
12時30分にジョグジャカルタに着いた。バリ島とジャワ島には1時間の時差がある為、12時30分発-12時30分着と発着が同時間となる。変な感じである。
日本からフィリピンに着いた時、時差1時間分、腕時計の針を戻して以来ずっと南下を続けていたので時差調整無しであったが、今日、西に向かいジャワ島に入ってから更に時差1時間分腕時計の針を戻した。
  ガルーダ・インドネシア航空(アディスチプト空港にて)
 
空港内に各航空会社のチケット売場があり、格安航空会社のエアー・アジアのブースもあったので、クアラ・ルンプール行き時刻と運賃を聞くと、月、水、木、土の15時55分発、Rp788,000(9,500円)であった。マレーシアのクアラ・ルンプールまで1万円弱で行けるとは大変安い。ジャカルタ行きを取り止め、ここからクアラ・ルンプールに飛ぶのも選択肢の1つである。
タクシー乗り場に行くとタクシーチケットが必要で、運ちゃんがチケットカウンターに買いに行った。Rp50,000(600円)。地図を見せ、ホテル名 ウィスマ・アリスと言って乗り込んだ。このタクシーはメータータクシーだろうかと思いメーターを探すと付いていた、そのメーターは稼動中でRp35,000を示していた。逆の空港に行く場合はRp10,000程度安いだろう。
15分ほどでウィスマ・アリスに着いた。エアコン、ホットシャワー、自家製バスタブ、テレビ、朝食付きでRp190,000+Tax10%(2,500円)、部屋は古い、昨日まで宿泊していたバリ島のホテルに比べると大変割高である。別のホテルを探すのが億劫でここにした。
まだ14時、ジョグジャカルタの街の散策に出掛けた。ホテル前にベチャ(三輪自転車の前部に座席があり、後部でペダルをこぐ)が客待ちしていて、どこへ行く?と声を掛けられた、ジャラン ジャランと答えて歩いた。しつこく付いて来たが無視して王宮に向った。
城門で渋滞していた、車に気を付けて通り抜けた。城門に上がる階段があり上ると城壁上は通路の様になっていた。城壁は1km四方あったが、残っているのは1部だけである。
  城壁上
 

城門から北に向うと王宮南広場に出た、広場の真中に高木が2本あり大変存在感があった。何の木だろう。
南広場の正面に建物があり、王宮への入口かと思い行ったが閉まっていた。引き返し、どこに行けば良いのか分からずにいると、ベチャの運ちゃんがまだ付いて来ていた。「どこに行きたい?」と聞くので王宮、ジャラン・マリオボロで料金を聞くとRp5,000(60円)で最後にホテルまで戻るとの事、安過ぎる。
ガスン市場に着くと降りて行って来いという感じである。運ちゃんは英語が話せない。降りて市場を見ると鳥市場であった、鳥インフルエンザで死者が出ているインドネシアで、まさか鳥市場とは!!! 行くのを止めベチャに乗り込んだ。
次に王宮に連れて行かれた、歩いて行くと広場の様な広い通路の様な所があり、きょろきょろしていると通行人に「Close!」と言われた。ガイドブックを見ると8:30~14:00となっていた。
運ちゃんが迎えに来て次に行った。バティック店に連れて行かれ、一通り見たが買わなかった。
マリオボロ・モールに行った、運ちゃんを待たせ、スーパーで缶ビールを買い、マクドナルドでハンバーガーを食べ夕食とした。
街の中心ジャラン・マリオボロを通り王宮北広場に着いた、北広場には移動遊園地や屋台がありイベント開催中であった。
鳥市場まで戻って来た時、市場の後に壁の様な建物がありその屋上に大勢の人が立っていた、展望台であった。
ベチャ運ちゃんに展望台に行きたいと言うとタマン・サリに連れて行かれた。若いガイドに付いて行く様に言われ行くと民家の裏からタマン・サリ内部が覗き見できた。タマン・サリも15時で閉まっていた。
  タマン・サリ内部
 
タマン・サリを後にして狭い路地を抜けバティック店に連れて行かれ見ただけで買わなかった。
地下道を通り王侯が瞑想に利用したという場所に行った。
  王侯が瞑想したところ
 
路地か庭先か分からないところを通り展望台下に着いた、しかし素通りしようとするので展望台に行きたいと言うと危険と言われてしまった。
元に戻り、ガイド料を要求されRp10,000(120円)払った、Rp30,000と不服そうにしたが展望台に連れて行かなかったので無視した。
ベチャでホテルに着き、ベチャ代Rp5,000とチップRp2,000を払うと大喜びされた。
ホテルの食堂にビールを飲みに行った。ビールを飲んでいて真新しいパソコンが並んでいるのに気付いた。インターネットが出来る。使って見ると日本語環境が入っていない、日本語の表示もしない。驚きであった、オーナー夫人が日本人女性で日本人客も多いのに!! スタッフを呼ぶと奥さんのノートパソコンを持って来た、修理から戻ったところか包装されていた。しかし、このパソコンはまだ故障していた。この間、短パンを履いていたので足を蚊に刺され捲くった。中庭に植物が茂り、水瓶、水溜りもあり蚊が多い様だ、デング熱に注意しなければいけない。以後、蚊取り線香を持ち歩く破目になった。
明日は、ボロブドゥルに行く。