土日上京することになりました。日曜は丸々用事がないので鎌倉に行ってみましょう。
梅雨時期の鎌倉はなんといってもアジサイ。アジサイといえば北鎌倉の明月院が有名です。今回は明月院をメインに北鎌倉の寺社を回りましょう。
ご存知の通り鎌倉は相模湾と切通という丘を開削した道で守られた町です。1月に回った小町大路は鎌倉のメインストリートだった時代があり、庶民を布教相手にした日蓮宗の寺院が多く建ち並んでいます。一方で北鎌倉は鎌倉市街とは巨福呂坂切通で隔てられた地で鎌倉五山の第一位である建長寺や第二位の円覚寺があります。上級武士層を布教相手にした禅寺にとって、北鎌倉は静かな環境で禅の修行にあたることができる地です。
北鎌倉は横須賀線の北鎌倉駅が最寄りです。海軍根拠地の横須賀への鉄道開設が急務となっていたことから1889年に横須賀線が開通するものの、この時点では北鎌倉には駅は開設されず(当時開設されたのは大船・鎌倉・逗子・横須賀)、そればかりか円覚寺の境内を国策として強制的に召し上げて横断しています。そんな北鎌倉に駅が開設されるのは1927年で、以降別荘が置かれるなど発展が始まります。しかしながら大きなお寺があり、開発できる地が限られることから隣の鎌倉や大船に比べてひっそりしています。
それでは東海道線で大船へ。一度記事にしようかと思っていますが鎌倉観光の拠点は鎌倉駅や北鎌倉駅に置かずに大船駅に置いた方が便利です。コインロッカーの数が多いし、ポピュラーなお土産も混雑せず買えます。
大船駅のコインロッカーに荷物を預けて横須賀線でお隣の北鎌倉駅に向かいましょう。
まずはなんといっても明月院から。
この時期は朝8時30分開門となるので少し前に到着するようにしました。それでも50m以上の行列です。
明月院は山内上杉家の祖である関東管領上杉憲方により13世紀に創建されたとされる臨済宗建長寺派のお寺です。元々は禅興寺の塔頭であったそうですが、禅興寺は明治初期に廃絶し、明月院だけが残ったとのこと。ようやく列が動き時始めます。受付を3つ作って列を捌いているみたいです。外国人観光客も列におり、なかなかカオスです。
明月院といえば「明月院ブルー」とも呼ばれる青いアジサイです。元は戦後すぐに参道整備のために植えられたものだそうです。
さらに開山堂へ。アジサイをあしらった石仏があります。
本堂には丸窓の「悟りの窓」があります。京都の鷹峯みたいですねhi この長い待ち行列に並んで取れたのがこの写真。
待ったかいがありました、
明月院の御朱印です。
少し歩いて建長寺に向かいましょう。
建長寺は1253年に5代執権の北条時頼が創建した臨済宗建長寺派の大本山です。開山当時の元号が建長だったので建長寺と名付けられています。汁物の「けんちん汁」は建長寺が発祥とされています。その後幾たびか地震や火災に遭い、江戸幕府からの援助で整備が行われています。現在の伽藍は関東大震災後に整備されたものです。
この総門は京都の千本今出川にあった般舟三昧院から1940年に移築したものだそうです。般舟三昧院は元々は皇室の援助を受けていたお寺ですが明治以降衰退し現在敷地の多くは嘉楽中学校になっています。
こちらは仏殿。1647年に東京の増上寺にあった徳川秀忠の正室・お江の方の霊屋を移築したものだそうです。
こちらは法堂の釈迦苦行像です。パキスタンから贈られたものだそうです。
庭園も拝観できます。
建長寺の御朱印です。
建長寺内には塔頭があります。
こちらは妙高院。1346年に建長寺28世の肯山聞悟の塔所として開かれました。参拝等は出来ないのですが、こちらでも御朱印をいただけます。
妙高院の御朱印です。
長くなりますので続きます。
梅雨時期の鎌倉はなんといってもアジサイ。アジサイといえば北鎌倉の明月院が有名です。今回は明月院をメインに北鎌倉の寺社を回りましょう。
ご存知の通り鎌倉は相模湾と切通という丘を開削した道で守られた町です。1月に回った小町大路は鎌倉のメインストリートだった時代があり、庶民を布教相手にした日蓮宗の寺院が多く建ち並んでいます。一方で北鎌倉は鎌倉市街とは巨福呂坂切通で隔てられた地で鎌倉五山の第一位である建長寺や第二位の円覚寺があります。上級武士層を布教相手にした禅寺にとって、北鎌倉は静かな環境で禅の修行にあたることができる地です。
北鎌倉は横須賀線の北鎌倉駅が最寄りです。海軍根拠地の横須賀への鉄道開設が急務となっていたことから1889年に横須賀線が開通するものの、この時点では北鎌倉には駅は開設されず(当時開設されたのは大船・鎌倉・逗子・横須賀)、そればかりか円覚寺の境内を国策として強制的に召し上げて横断しています。そんな北鎌倉に駅が開設されるのは1927年で、以降別荘が置かれるなど発展が始まります。しかしながら大きなお寺があり、開発できる地が限られることから隣の鎌倉や大船に比べてひっそりしています。
それでは東海道線で大船へ。一度記事にしようかと思っていますが鎌倉観光の拠点は鎌倉駅や北鎌倉駅に置かずに大船駅に置いた方が便利です。コインロッカーの数が多いし、ポピュラーなお土産も混雑せず買えます。
大船駅のコインロッカーに荷物を預けて横須賀線でお隣の北鎌倉駅に向かいましょう。
まずはなんといっても明月院から。
この時期は朝8時30分開門となるので少し前に到着するようにしました。それでも50m以上の行列です。
明月院は山内上杉家の祖である関東管領上杉憲方により13世紀に創建されたとされる臨済宗建長寺派のお寺です。元々は禅興寺の塔頭であったそうですが、禅興寺は明治初期に廃絶し、明月院だけが残ったとのこと。ようやく列が動き時始めます。受付を3つ作って列を捌いているみたいです。外国人観光客も列におり、なかなかカオスです。
明月院といえば「明月院ブルー」とも呼ばれる青いアジサイです。元は戦後すぐに参道整備のために植えられたものだそうです。
さらに開山堂へ。アジサイをあしらった石仏があります。
本堂には丸窓の「悟りの窓」があります。京都の鷹峯みたいですねhi この長い待ち行列に並んで取れたのがこの写真。
待ったかいがありました、
明月院の御朱印です。
少し歩いて建長寺に向かいましょう。
建長寺は1253年に5代執権の北条時頼が創建した臨済宗建長寺派の大本山です。開山当時の元号が建長だったので建長寺と名付けられています。汁物の「けんちん汁」は建長寺が発祥とされています。その後幾たびか地震や火災に遭い、江戸幕府からの援助で整備が行われています。現在の伽藍は関東大震災後に整備されたものです。
この総門は京都の千本今出川にあった般舟三昧院から1940年に移築したものだそうです。般舟三昧院は元々は皇室の援助を受けていたお寺ですが明治以降衰退し現在敷地の多くは嘉楽中学校になっています。
こちらは仏殿。1647年に東京の増上寺にあった徳川秀忠の正室・お江の方の霊屋を移築したものだそうです。
こちらは法堂の釈迦苦行像です。パキスタンから贈られたものだそうです。
庭園も拝観できます。
建長寺の御朱印です。
建長寺内には塔頭があります。
こちらは妙高院。1346年に建長寺28世の肯山聞悟の塔所として開かれました。参拝等は出来ないのですが、こちらでも御朱印をいただけます。
妙高院の御朱印です。
長くなりますので続きます。