JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

香川移動運用報告④

2023-12-01 | 移動運用結果報告
11/26(日)高松→多度津→丸亀→神戸
今日は多度津町からQRVし、丸亀から高速バスで神戸に戻ります。JIAがなくなりましたので高見島や佐柳島に行く必要がなくなり本土から出ることにします。

高松駅から多度津に向かいます。高松駅の北側の再開発が進み、「オルネ」として来年3月に開業することになしました。かつてスーパーの「エースワン」があった場所ですが、「エースワン」も帰ってくるようです。これで帰りのバスで飲むお酒が楽しくなりますhi

多度津駅に到着。移動地は桃陵公園です。

多度津港近くの小高い山で、以前一度短時間だけ出たことのあるところです。多度津には「金陵」の多度津工場がありますが本店は琴平ですから銘酒アワードの対象ではありません。

東屋があり、アンテナも設営できそうです。寒さ対策はしていますので、この時間でもしのげます。

9時にスタート。バンド内がかなり混んでいます。空き周波数を見つけてCQを出すと割とコンスタントに呼ばれます。

混んでいるだけにCondxは昨日よりよく、西日本は9オーバー、東日本も9まで振っています。東日本が安定して聞こえるとQSOsが伸びますね。「多度津町ファーストです」という方も多いです。

10時50分で終了。多度津からは70局でした。今日は2時間弱なのでバッテリはまだ残量があります。予備のバッテリながら本来の性能が出ており調子がいいです。


時間に少し余裕を取っており「凱陣」を買いに行き、丸亀駅のスーパー「エースワン」でお酒を買っておきます。エースワンはお総菜が安いのが特徴で、大きなハンバーガーが100円、コロッケは2個で78円など信じられない安さです。もちろん氷ももらっておきますから冷たいままお酒を楽しめます。高松でもこれが再びできるようになります。

13時17分発のバスで神戸に戻りましょう。善通寺でほぼ一杯になりましたが3列シートなので隣に人がいないのがいいです。


帰りのバスでの松田聖子さんのアルバムご紹介、最後となる1985年6月発売の「The 9th Wave」を聴いてみましょう。

1984年後半に郷ひろみさんとの結婚が噂され、メディアスクラムに巻き込まれた聖子さんですが、実際には既に破局していたとされます。結婚がないことを記者会見で明らかにしたのが1985年1月でしたが、翌2月には神田正輝さんとの交際が明らかになり、4月には婚約が発表され6月の結婚式以降は休業することとなりました。メディア側が完全に見誤ってしまった形なのですが、それでも「変わり身が早い」と強弁するあたりは今も昔も変わらないメディアの悪弊ですよね。

このため楽曲制作もバタバタと変更を余儀なくされ、この年の5月に発売される予定だった「幸福なんて欲しくないわ」(松本隆作詞、吉田拓郎作曲)は歌詞がふさわしくないとしてお蔵入りとなり「ボーイの季節」(尾崎亜美作詞作曲)に差し替えられています。「幸福なんて欲しくないわ」はマスターテープがあるといわれていますが現在も未公開となっています。

もちろんアルバム制作も大きな変更を余儀なくされ、そんな中で完成したのが「The 9th Wave」です。ジャケットは背景が明らかに合成で、撮影の時間すら十分になかったことが分かります。

このアルバムの最大の特徴はアルバム「風立ちぬ」(シングルでは「白いパラソル」)以降ほとんどの曲の作詞を担当した松本隆さんがいないことです。尾崎亜美さんに加え、矢野顕子さん、銀色夏生さん、吉田美奈子さんなど女性の作詞家で統一され、これまでにない視点の詩が多くなっています。もう一つの特徴が全曲の編曲を大村雅朗さんが担当していること。この時期の大村さんはシンセサイザーに凝っており、それが強く反映された曲が作られています。シンセサイザーは演奏のミスがないので完璧主義者であった大村さんには合っていたのでしょう。


1曲目の「Vacancy」は銀色夏生さん作詞、原田真二さん作曲です。久々の楽曲提供となる原田さんですが、夏向きの軽快なボサノバ風の曲に仕上がっており、これまでにない曲調に仕上がっています。

2曲目の「夏のジュエリー」は吉田美奈子さん作詞、大村雅朗さん作曲で、シンセサイザーを多用しています。聖子さんがこれに付いていっているのは驚きです。

4曲目の「両手のなかの海」は矢野顕子の作詞作曲ですが、大村さんがうるさい程にシンセドラムを割り込ませています。

B面は尾崎亜美さん作詞作曲の3曲目「天使のウィンク」がやはり秀逸です。1年前の「時間の国のアリス」を最後にユーミンが聖子さんの楽曲制作から外れ、ポストユーミンの本命が尾崎亜美さんだっと言われます。もし聖子さんが休業なく活動を続けていたとしてら尾崎さんが85~86年のメインになっていたのでしょう。大村さんはこの曲でもシンセサイザーを多用していますが、松原正樹さんのギターがそれを上回る存在感を出しています。やはり人間のなせる技なのでしょうね。

そして尾崎さんの5曲目「夏の幻影」へと流れてゆきます。「夏の幻影」は「Good Bye」の歌詞と波の音で締めくくっているのですが、聖子さんのファーストアルバム「SQUALL」の1曲目「南太平洋 ~サンバの香り~」の冒頭でも同じように波の音が流れます。聖子さんは「休業」としていましたが、当時アイドルが結婚し休業すればそれは「引退」を意味することになるため、引退作となっても構わないように作られています。「松田聖子は海からやって来て海へと帰ってゆく」というイメージになっているのです。


「The 9th Wave」はこれまでの聖子さんの楽曲制作とは大きく異なっているため高い評価を得られていないアルバムですが、もし結婚がなく活動を続行していたと仮定すればこの先の方向性を示したアルバムであったのでしょう。松本さんやユーミンに頼らない新しい形がこの形であったことは明らかです。それが「引退作」となっても構わない形に手が加えられたのが「The 9th Wave」だと考えられます。

プロデューサーの若松宗雄さんは「ここまで走り続けてきたのだから休養するのがいいだろう。きっと戻ってくる」と思っていたようです。作詞を松本隆さんに固定し、ニューミュージックの作家を次々と作曲に起用し、大村雅朗さんの編曲で組み上げてゆくこれまでのやり方が行き詰まりをみせてきたタイミングであっただけに、もし休養がなくこのまま活動続行であったなら人気は大きく落ち込んでいた可能性があります。

また聖子さんを長年支えた「聖子プロジェクト」の主要メンバーである若松さんはこの時期松本典子さんを「第2の松田聖子」としてデビューさせていますし、松本隆さんはスランプの中にあるなど、彼らもリフレッシュが必要だったことも確かです。あとで見れば絶妙なタイミングでの休養だったことになります。

皆さんご存知の通り聖子さんは引退せず翌1986年に復帰、「瑠璃色の地球」が収録された名盤「SUPREME」を出すのですが、これはまた機会がありましたらご紹介したいと思います。


ほぼ定刻で三宮に到着。JRで帰宅しましょう。


2日間合わせて177局でした。ありがとうございました。年内の香川県からの移動はこれで終了です。来年も引き続き考えていますが、現在は善通寺市の移動地を探しています。
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