9/23(金)伊丹→福岡市内→玄界島→福岡市内
いつも通り7時5分発のJAL2051便で出発です。定刻の8時20分に福岡到着です。
玄界島行きは11時台までないので荷物を受け取ったら天神の宿に向かい、使わない荷物を預けておきます。あとは天神のレガネットで弁当を買っておきます。
西鉄バスに乗って博多埠頭に到着です。
博多 (11:20発)→玄界島(11:55着) ※玄界島滞在時間2時間35分
玄界島(14:30発)→博多 (15:05着)
玄界島行きは「みどり丸」ですが、どうも故障した模様で予備船の「ゆうなみ」が入るようです。
前日に故障し、博多にいるようです。
このため小呂島行きの「ニューおろしま」のドック代船で小呂島航路に入っていた「ゆうなみ」を急きょ玄界島行きに持ってきて小呂島行きには港務船の「なのつ」が入っています。
「ゆうなみ」は2019年に瀬戸内クラフトで建造された99t・航海速力21.8ノットの双胴旅客船です。能古島航路以外の3航路の共通予備船となっており、ドック入り時や故障時に稼働するため狙って乗ることが難しい船です。舳先の形状が座間味村の「クイーンざまみ」に似ており、瀬戸内クラフトの特徴がよく出ています。
この船だと玄界灘に出ても悪くないでしょうね。
11時55分に玄界島到着。
玄界島は「医療体制が不十分」を理由に長期間島外からの来訪自粛要請を行っていましたが、政府が行動制限をかけなくなったことから自粛要請を終了しています。
アンテナを張って12時15分にスタートです。愛地球博コンテストがちょうど終わってからになるので有り難いです。一方でこの時間はごく近くしか飛ばず4~6エリアが精一杯です。それでも久々の玄界島ですから結構呼ばれます。JIA最後の追い込みにはぴったりでしょう。
しかしながら12時50分頃から雨がポつポツしてきました。どうやら降ってくるようで急いで片付けます。
玄界島で雨宿りできる場所を覚えていますので、そちらに引き上げてお昼のお弁当にします。食べ終わったら雨が止みました。どうも通り雨で済んだみたいです。元の場所に戻りましょう。
13時40分から再スタートします。14時までのごく短時間となりますがやらないより稼げますのでhi 再開後は3エリアがそこそこ聞こえてきます。
帰りの船は14時30分発です。14時で終了とします。再開して17局稼げたのでよしとしましょう。「ゆうなみ」に乗りましょう。
宿に戻り明日の買い物を済ませたらキャナル劇場の「大村雅朗 25th Memorial Super Live」を見に行くことにしました。
天才編曲家と呼ばれた大村雅朗さんは1951年に博多の奈良屋町で生まれた博多っ子で、ご実家は今も博多で京染店を営んでいます。1978年に八神純子さんの「水色の雨」の編曲を手がけて注目され、1980年に松田聖子さんの出世作「青い珊瑚礁」の編曲に起用されると、同じ福岡県生まれの聖子さんをサポートし不世出のアイドルに育てます。レコーディングで煮詰まった聖子さんを深夜マクドナルドに連れ出して息抜きさせたりと気配りを見せ、聖子さんもお兄さんとして慕っていたといいます。
「Sweet Memories」などの作曲も手がけており、1980年代の音楽を支えてきた方ですが、1997年に肺不全により46歳の若さで亡くなっています。今年は没後25年にあたり、故郷の博多で2日間にわたり大村さんの作品の披露やトークが行われます。福岡のみ公演になるそうです。初日は八神さんの他にも「My Revolution」の渡辺美里さん、中川翔子さんなどが出演し、大村さんとともに聖子さんを支えた松本隆さんもトークで参加しています。
1階席の真ん中辺が当たりましたのでのんびり鑑賞しましょう。松本さんのトークは言うまでもなく聖子さんが中心になっていました。
大村さんと聖子さんといえば1999年の曲「櫻の園」のエピソードが有名です。この曲は他の歌手向けに大村さんが作曲したものの諸事情でお蔵入りとなり松本さんに預けられていたもので、1988年のアルバム「Citron」以降聖子さんの作詞から遠ざかっていた松本さんが久々に作詞で復帰するにあたりこの曲を掘り起こして詞を付け、この日参加していた石川鉄男さんが編曲を行い完成させています。
松本さんはプロデューサーの若松宗雄さんに対しこの曲をアルバムに入れることを条件にして作詞に参加していますが、大村さんを悼む曲であることは怖くて言えなかったとのことで、聖子さんに渡された譜面には作詞者が書かれていなかったそうです。聖子さんは作曲者のクレジットがない「櫻の園」の譜面を手渡しされレコーディングが始まったそうですが、大村さんの曲であること、歌詞が大村さんを悼むものであることに気が付き号泣したそうです。
他にもいろんな話が出ましたが、プロデューサーの若松宗雄さん、作詞家の松本隆さん、編曲の大村雅朗さんが聖子さんを長期にわたってしっかり支えたことが聖子さんの歌手生命を今に続く長いものにしたのだと思われます。
お金を稼げなくなった音楽界は当時とは比べものにならないほど寂しくなり、悲しいことですが次世代が育たなくなっています。聖子さんどころか98年組(aiko・宇多田ヒカル・椎名林檎etc)すら超えられないのですから。
公演が終わって中洲のバーへ。
大村さんのライブを見に行ったことを話しているので「じゃこれですね」と出してもらったのが「青い珊瑚礁」。ジンとミントリキュールのショートカクテルです。ジンをテキーラにすると「モッキンバード」なんですが、「モッキンバード」は聖子さんのアルバム「Candy」に収録されており、これまた大村さんが編曲を手がけています(作詞:松本隆 作曲:南佳孝)。
本日は46局でした。ありがとうございました。いらん中断がなければと思います。明日もFBなCondxだといいですね。
いつも通り7時5分発のJAL2051便で出発です。定刻の8時20分に福岡到着です。
玄界島行きは11時台までないので荷物を受け取ったら天神の宿に向かい、使わない荷物を預けておきます。あとは天神のレガネットで弁当を買っておきます。
西鉄バスに乗って博多埠頭に到着です。
博多 (11:20発)→玄界島(11:55着) ※玄界島滞在時間2時間35分
玄界島(14:30発)→博多 (15:05着)
玄界島行きは「みどり丸」ですが、どうも故障した模様で予備船の「ゆうなみ」が入るようです。
前日に故障し、博多にいるようです。
このため小呂島行きの「ニューおろしま」のドック代船で小呂島航路に入っていた「ゆうなみ」を急きょ玄界島行きに持ってきて小呂島行きには港務船の「なのつ」が入っています。
「ゆうなみ」は2019年に瀬戸内クラフトで建造された99t・航海速力21.8ノットの双胴旅客船です。能古島航路以外の3航路の共通予備船となっており、ドック入り時や故障時に稼働するため狙って乗ることが難しい船です。舳先の形状が座間味村の「クイーンざまみ」に似ており、瀬戸内クラフトの特徴がよく出ています。
この船だと玄界灘に出ても悪くないでしょうね。
11時55分に玄界島到着。
玄界島は「医療体制が不十分」を理由に長期間島外からの来訪自粛要請を行っていましたが、政府が行動制限をかけなくなったことから自粛要請を終了しています。
アンテナを張って12時15分にスタートです。愛地球博コンテストがちょうど終わってからになるので有り難いです。一方でこの時間はごく近くしか飛ばず4~6エリアが精一杯です。それでも久々の玄界島ですから結構呼ばれます。JIA最後の追い込みにはぴったりでしょう。
しかしながら12時50分頃から雨がポつポツしてきました。どうやら降ってくるようで急いで片付けます。
玄界島で雨宿りできる場所を覚えていますので、そちらに引き上げてお昼のお弁当にします。食べ終わったら雨が止みました。どうも通り雨で済んだみたいです。元の場所に戻りましょう。
13時40分から再スタートします。14時までのごく短時間となりますがやらないより稼げますのでhi 再開後は3エリアがそこそこ聞こえてきます。
帰りの船は14時30分発です。14時で終了とします。再開して17局稼げたのでよしとしましょう。「ゆうなみ」に乗りましょう。
宿に戻り明日の買い物を済ませたらキャナル劇場の「大村雅朗 25th Memorial Super Live」を見に行くことにしました。
天才編曲家と呼ばれた大村雅朗さんは1951年に博多の奈良屋町で生まれた博多っ子で、ご実家は今も博多で京染店を営んでいます。1978年に八神純子さんの「水色の雨」の編曲を手がけて注目され、1980年に松田聖子さんの出世作「青い珊瑚礁」の編曲に起用されると、同じ福岡県生まれの聖子さんをサポートし不世出のアイドルに育てます。レコーディングで煮詰まった聖子さんを深夜マクドナルドに連れ出して息抜きさせたりと気配りを見せ、聖子さんもお兄さんとして慕っていたといいます。
「Sweet Memories」などの作曲も手がけており、1980年代の音楽を支えてきた方ですが、1997年に肺不全により46歳の若さで亡くなっています。今年は没後25年にあたり、故郷の博多で2日間にわたり大村さんの作品の披露やトークが行われます。福岡のみ公演になるそうです。初日は八神さんの他にも「My Revolution」の渡辺美里さん、中川翔子さんなどが出演し、大村さんとともに聖子さんを支えた松本隆さんもトークで参加しています。
1階席の真ん中辺が当たりましたのでのんびり鑑賞しましょう。松本さんのトークは言うまでもなく聖子さんが中心になっていました。
大村さんと聖子さんといえば1999年の曲「櫻の園」のエピソードが有名です。この曲は他の歌手向けに大村さんが作曲したものの諸事情でお蔵入りとなり松本さんに預けられていたもので、1988年のアルバム「Citron」以降聖子さんの作詞から遠ざかっていた松本さんが久々に作詞で復帰するにあたりこの曲を掘り起こして詞を付け、この日参加していた石川鉄男さんが編曲を行い完成させています。
松本さんはプロデューサーの若松宗雄さんに対しこの曲をアルバムに入れることを条件にして作詞に参加していますが、大村さんを悼む曲であることは怖くて言えなかったとのことで、聖子さんに渡された譜面には作詞者が書かれていなかったそうです。聖子さんは作曲者のクレジットがない「櫻の園」の譜面を手渡しされレコーディングが始まったそうですが、大村さんの曲であること、歌詞が大村さんを悼むものであることに気が付き号泣したそうです。
他にもいろんな話が出ましたが、プロデューサーの若松宗雄さん、作詞家の松本隆さん、編曲の大村雅朗さんが聖子さんを長期にわたってしっかり支えたことが聖子さんの歌手生命を今に続く長いものにしたのだと思われます。
お金を稼げなくなった音楽界は当時とは比べものにならないほど寂しくなり、悲しいことですが次世代が育たなくなっています。聖子さんどころか98年組(aiko・宇多田ヒカル・椎名林檎etc)すら超えられないのですから。
公演が終わって中洲のバーへ。
大村さんのライブを見に行ったことを話しているので「じゃこれですね」と出してもらったのが「青い珊瑚礁」。ジンとミントリキュールのショートカクテルです。ジンをテキーラにすると「モッキンバード」なんですが、「モッキンバード」は聖子さんのアルバム「Candy」に収録されており、これまた大村さんが編曲を手がけています(作詞:松本隆 作曲:南佳孝)。
本日は46局でした。ありがとうございました。いらん中断がなければと思います。明日もFBなCondxだといいですね。