もし、死者が復活しないとしたら「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」という事になります。 (1コリント 15:32)
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人の人生はこの世が全てではない。
「死」とは肉体と霊との分離である。
人間は二回、死を経験する。
それは、自分の霊と肉体との分離。そして、神の霊との分離です。それを「第二の死」と言います。
元来、人間は死ぬように創造されていませんでしたが、アダムの罪により、死が入り込みました。だから人は生まれながらにして罪人です。
ですから、人間は肉体との分離と言う死は、免れる事は出来ませんが、第二の死は、自分の意志で回避することが出来ます。
この第二の死は最後の審判であり、どんなに生前良いことをしても、イエス・キリストの福音、good newsを受け入れなければ、神様に受け入れられる事はありません。福音は人間を創造された神様との和解だからです。
人間はこの世の命がある内に、古い自我に死に。新く生まれ変わらなければなりません。この世で死んでからではもう間に合わないからです。
わたしは過去のことは忘れました。認知症のようですがそれで良いのです。でも、この世を愛してやまない人たちは今だけ、自分だけ、金だけ。滅びの道を歩んでいます。
是非、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けて新く生まれ変わりましょう。そうすれば、もう第二の死で死ぬことはなくなります。
早くイエス・キリストの再臨があることを祈ります。わたしは早く悪に満ちたこの世から解放されることを切に願ってます。amen、hallelujah!
その一は、人間の本性は霊である、です。創世記一章初めに、地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた、と、あります。この霊は神であり、聖書の初めに創造主として現れます。父なる神、創造主によって人は形つくられ、命の息を吹き込まれます。神の目によしとされ生まれた人間ですが、最初の人アダムのよって罪が入り、死ぬことになります。
今日のメッセージを聴きながら、私はいつものようにいろいろな事が思い出されました。今日は、30年も前に読んだ或るアメリカ人牧師の書いた本の中の一つの話を思い出しました。この牧師の名前も、話の主人公の名前も忘れています。主人公は、ある町のホームレスでゴミ拾いをして生きていました。ある日彼は、教会のチラシを拾い読んでみますと、「来なさい」と呼びかけています。それで彼は薄汚い恰好で教会を訪ねます。
教会の人はその恰好をみて、中に入れなかったとか。それを見た牧師は、「そんなことをしてはいけない。さあ、お入りなさい。」と彼を招き入れました。それから彼は教会に行くようになり、聖書を読んだことでしょう。それからの彼は喜びに満ち御言葉を行い、彼の住むテント、それはボロのテントでしたが、その隙間からまばゆい光が漏れ出ていた、と言います。
霊はことばであり、ことばは神です。ホームレスの彼はことばから沢山学んだのでしょう。今日のメッセージ、復活の事実から私もまず、身近な子供に身をもって第一の死と第二の死を彼らの生きているうちに語ろうと思いました。
今回のメッセージで何よりも印象に残ったことは、
「『復活』こそが全て!」
人は、肉体ばかりに目を向けがちです。
なぜなら、肉体は、誰の目に明らかです。そして、肉体が果てれば、私たちも終わり、すなわち「死」を迎える=人生も終わりだと多くの人たちは思って、生きています。
しかし、クリスチャンは、「死」を超えたところで生きていくことができます。今も、そして、「死」の向こうにある「祝福に満ちた永遠」も!
40年近くイースターをお祝いし、イースター礼拝のメッセージを聞いていますが、今回ほど、シンプルで、それでいて、腑に落ちるメッセージは、ありませんでした
感謝します
神様は、日々、私たちに新たな神様の真理、奥義を
示してくださっています。
私たちは、益々、豊かにされています。
ですから、1人でも多くの人に福音を伝えていきましょう。
「復活こそが全て!」