Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

信仰の金メダル Ⅰコリント9:24

2014年02月23日 | Good News
 2014年冬季ソチオリンピックがフィナーレを迎えました。様々なシーンで、メダルを超えた感動がありました。人によって感動する部分が異なるように、それぞれの人生に対する満足感、達成感、幸福感は異なります。しかし、人生における基本的な土台作りと枠組みを間違えてしまったら、その上に積み上げたものは、どんなにすばらしく見えるものであっても、場合によっては突如、崩れてしまうことがあります。

 今回のオリンピックで最も注目されたことの一つ「カーママ」。「カーママ」とは、かつてカーリング競技に出場していた女性選手が結婚を経て、再びオリンピック出場を果たした選手たちのことです。主婦となった後も、世界を相手に戦った彼女たちの姿は、メダル云々を超えて、私たちに強い感動を与えてくれました。この感動は、単なるスポーツの高揚感や好プレイの興奮という以上の、彼女たちの生き方、ライフ・スタイルそのものに拠ります。

 「あなたのライフ・スタイルは?」等々、普段よく使われている言葉ですよね。でも、「ライフ・スタイルって具体的に何?」と聞かれたら、多くの人は直ぐには答えられないでしょう。では、あなたの人生のライフ・スタイルは、何によって構成されているのでしょうか?ライフ・スタイルは、大きく以下の4つの要素から成り立っています。

  目的  あなたの人生の目的
  嗜好  あなたの人生の喜び
  環境  あなたの周囲の環境
  行動  あなたが最もお金や時間を費やしていること

 これら   が互いに絡み合い、交差しながら形成されているものが、あなたの「ライフ・スタイル」です。つまり、「目的」を土台として、「嗜好」や「環境」に影響されながら「行動」し、ライフ・スタイルが建て上げられて行くのです。しかし、自分の力では変えることが出来ないこと、また、優先順位の間違いなどにより、無意識の内に自分で自分の目的を妨げてしまっていることがあります。

 例えば、結婚して家庭を作って幸せになりたい!と思っているAさん。でも、Aさんは人と会うのが苦手で、なかなか家から出ようとしません。つまりAさんは結婚という「目的」が、一人でいたいという「嗜好」に妨げられているのです。他にも、家族の世話や仕事の都合などの「環境」が原因で、「目的」が達成出来ない人もいるでしょう。ちなみに「BURN OUT」(燃え尽き症候群)とは、目的地を見失う、また、自分が設定した目的地が間違っている場合に起こる現象です。

 さて、聖書にもオリンピックが登場します。パウロさんは、オリンピック発祥の地、ギリシャにも度々宣教に出かけていましたので、当時のオリンピックを知っていたのでしょう。それになぞらえて、ギリシャにあったコリント教会にこう書いています。

あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。(Ⅰコリント9:24)

 とても有名な聖句の一つですが、実際の教会生活ではなかなか聞けないフレーズではないでしょうか。「信じれは“みんな”救われる」は毎週耳にするものの、「賞を受けるのは一人だけです!」と牧師が叫ぶと、「じゃ修行が必要なの?」と誤解されかねません。しかしこの箇所だけではなく、他にも同じ事を示唆している聖書箇所がいくつかあります。

すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。

 実は福音の世界には、銀メダルも銅メダルもありません。金メダルという栄冠を得るか、得られないかのどちらかです。ですが、信仰の金メダルは、最後まで走り通した者には全員、神様からいただくことが出来るのです。

 自分に決められた道を、最後まで「走り通す」ことは決して容易なことではありません。だからこそ、私たちは、日々の「節制」が必要なのです。「節制」とは、自分のライフスタイルの見直し、メンテナンスです。では、以下の4つの要素をそれぞれもう一度見直して行きましょう

 目的:あなたの人生の目的をじっくり考えてみてください。しっかりとした目標設定をするには、自分が本当に「したいこと」、自分に「出来ること」、あなたが「しなければならないこと」。この3つの点を確認して、その接点を見つけてください。これらの接点が人生の目標となります。

 嗜好:カーママ選手が与えてくれた感動は、「私にもできる!」という「希望」でした。自分に与えられた環境を精一杯活かし、最大限の力を発揮できた時、人々に感動を伝えることが出来ます。人に喜んでもらうこと、人々に感動を与えることこそ、人生最大の喜びなのです。一度、自分から目を離して、他者に目を向けてみましょう。自分中心から、他者中心へ、そして神中心への人生は、結果的にあなたの人生に最大の喜びを与えてくれるでしょう!

 環境:あなたを取り巻く環境には、変えられるものと、変えられないものがあります。変えられないものを変えようとしても、それはストレスになるだけ。変えられないものは、与えられたものとして感謝して受け取りましょう。そのように前向き・肯定的になってみると、あなたを取り巻いている環境の中に、あなたの人生の目的のヒントが見出せるはずです。

 行動:私たちは、人生で何か問題が起きると、まず感情が先に動いてしまいます。ですが、不安、焦燥、怒りの中で判断したことは、必ず失敗につながります。ですから、対応の順序を変えることが必要です。何か問題が起きた時、直ぐに感情で応じるのではなく、まず、信仰的対応を心がける。そして感情を努めて平静にしながら、思考し、意志決定し、行動する。先ず、問題解決への方法を考える前に、心を平静に保つように努めることで、必ず結果は好転します。

感情 思考 信仰 意志 行動
信仰 感情 思考 意志 行動


 今日、もう一度、あなたの人生のライフスタイルについて、じっくりと考えてみてください。思考とは、神様の御心を実行するための具体的方法を生み出すために人間に与えられてた知恵なのです。

 あなたが何かに喜びを感じるのは、あなたがそのようにデザインされているから。あなたが今置かれている環境は、あなたがよりよく成長できるその場所なのです。車にメンテナンスが必要なように、私たちの人生にもメンテナンスが必要です。正しくメンテナンス(節制)し続ければ、神様にデザインされた本来のあなたの人生を完走することが出来るでしょう。そして、神様から勝利の金メダル、栄冠を受けられるのです



今週の教会ご飯/おむすびとけんちん汁


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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人生の罠 ガラテヤ6:7

2014年02月16日 | Good News


「天国ってどんなところだろう?ワンちゃんは天国に行けると思う?」
「もちろんだよ。だって、僕はコレといって悪いことしていないもの。人を噛んだこともないし、物を盗ったこともない。ピョンちゃんがいつも言っているイエス・キリストは知らないけど、僕はきっと天国に行けるはずだよ。」

 世の中の多くの問題は、ずっとそうだと思っていたことが、実はそうではなかったということから発します。ロブスターを伊勢海老として売っていた食材偽装問題、安全性を疑わなかった原発問題、この人のこの部分を知らなかったという人間関係、そして、ワンちゃん、ピョンちゃんが話題にしている天国の理解。どこで線を引くのか、何を基準にするのか、これらがはっきりしていないため、きちんとした境界線を引くことができず、基準がうやむやになってしまっているのが現状だからです。

 「あの人がああ言っている、でもこの人の理解はこうらしい、私はどちらかと言えばこちら寄りかな。」基準がわからない世界で、人は思い思い、好きなように解釈します。そして気づかない内に、「ちょっとくらい」と甘くなり、内心気になりながら、時にわかっていながら、その基準を少しずつ動かしてしまうのです。それが「侮り」、人生を破滅に導く罠だと神様からのメッセージで与えられました。

 そんな大袈裟な!と思いますか?いえいえ、「侮りの罠」は日常のあらゆる局面に、生活の至るところに潜んでいるのです。例えば最近の話題では、ツイッターやブログをちょっと面白くしようと思って書いたことが、プライバシー侵害や業務支障を引き起こし、掲載者は仕事を失ったり、訴えられたり、という事件があったのを御存知でしょう。これが「侮り」の典型。起こってしまった結果を見る時、「こんなバカみたいなことして。」と思うかもしれませんが、類似の罠は私たちの周囲にもいくらでも仕掛けられているのです。

「侮り」は、自分の得意とする分野で起きる。
何かを侮っている時は、そのことに気付かない。
気付いた時は、既に大きな損失が発生している。

 これが「侮り」の特徴です。聖書にも侮ってしまった故、破滅した人々が多く登場しています。例えば、ダビデとゴリアト。大巨漢のゴリアトは、怪力の持ち主で、自分の相手である少年ダビデを見て「こんな奴とは戦いにならない!」と侮った結果、彼は敗北してしまいました。それと同じように、「私はこんなに聖書を知っている!」と思った時点でアウト。そう言う人は、以下の聖句を知らないのですから。

主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。(箴言1:7)
心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。(箴言11:12)

 「侮り」とは何か、とわかっても、実際に侮らない人になることはまず無理でしょう。少なくても一朝一夕になることではありません。たった1回の礼拝メッセージで人を変えることがまず無理なように。しかし、このメッセージで何かを得ること、どこか揺さぶられること、それがメッセージを聞く人すべてへの神様の願いでもあります。牧師はそれを受けて語っています。だから、えんぢぇる師は、侮りと言う人生の罠にひっかからないための気付きポイントを教えてくれました。

自分の世界に逃げ込まないこと。
人はとかく、自分と同じ価値観、世界観で群れたがります。その気持ちはわかりますが、他の世界観を知ろうとしない、見ようとしないことは、自分の知るものだけを絶対とすること。これは「侮り」の一歩となります。

忠告してくれる人を持つ。
 大人になればるほど、自分にとって、うるさく言う人は周囲にいなくなるものですが、それは良いことではありません。我流一直線になるからです。耳にうるさく聞こえる忠言は、他者からの視点であり、自分にとっても貴重な反省材料であることが多いのです。昨今では、あたらず障らずの人間関係が主流ですが、ほんとうに心分かち合える人の助言を無視しないことは、「侮り」に対する重要な予防策です。

ほんとうの謙遜は自己肯定から。
 謙遜と卑屈の違いを明確に理解すること。自分を肯定できない人は他者を肯定できず、自分を否定する人は他者を否定します。自己を肯定できない人は、卑屈と傲慢の間を行ったり来たりし続けます。つまり、自分の価値を正しく知ることが、謙遜へと繋がるのです。あなたの真の価値を誰よりも知っているその御方が、「わたしの目にあなたは尊い」と仰る、あなたを生んでくださった創造主、神様です。神様以外の人間に価値をつけてもらうことを求めると、最終的には空しい結果に終わります。人間は「何か」によって価値を付けるからです。しかし、神様は、あなた自身、あなたそのものをただ、価値あるもの、神様にとって大切な存在と認めてくださいます。その神様の思いを受け取る時、私たちはほんとうの「私」を知り、神様によって創られ、愛されている自分を正しく認めることができるのです。

それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
 書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。
 すべてに耳を傾けて得た結論。
 「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。
 (コヘレトの言葉 12:12-13)

思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。
 人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 (ガラテヤ 6:7)

 私たちは神様を侮ることはできません。ゴリアテのように、また聖書に登場する多くの「神の言葉を侮った者たち」のように、その報いを受けます。そして最終的には、「破滅」に至るのです。

 「侮り」の対極にあるのは、「畏れ」です。神様を畏れる時、私たちは自然に謙遜となり、「侮り」から守られます。人生の罠から逃れ出ます。神様を忘れ、様々な価値観と基準に混乱し、「侮り」の罠が取り巻く現在だからこそ、今、私たちは「畏れる方」を知り、神様の元に立ち返る時が来ているのです。神様も、天国も、命も、人間の価値観で図れるものではありません。ただ、聖書だけがそれを教えてくれています。主を畏れることが知恵の始まりと、すべての人間に語っています。この神様のメッセージを今日受け取りましょう。そして、「侮り」という人生を破滅に導く罠から逃れる新しい人生を進みだしましょう


今週の教会ご飯/心も体もホカホカ、ホワイトシチュー


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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福音と北方領土 マタイ 6:33

2014年02月08日 | Good News
 ソチでの冬季オリンピックが開幕しました。日本からは安倍首相がプーチン大統領に招かれ、開会式に出席しました。御存知ですか?奇しくもこの2月7日は、「北方領土の日」なのです。対ロシアの国際関係において、最も重要な問題。政教分離だから、など言って、北方領土問題に無関心なクリスチャンもいます。しかし、これは聖書にも語られていることで、日本のクリスチャンが祈るべき最重要項目のひとつだとえんぢぇる師はシェアリングしてくれました。

 「北方領土」という言葉は知っていても、実際にその位置や詳細、発端などを知る方は少数でしょう。北方領土は、北海道の北にはありません。東方向に位置し、根室半島沖にある択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)の四島を指します。せっかくなのでウィキペディアから地図を拝借しました。


北方領土
A.歯舞諸島(歯舞群島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村


 事の発端は終戦直後。1945年8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した2週間後、戦後のどさくさに紛れて、旧ソ連軍が北方領土に上陸し占領し、現在に至ってもロシアの支配下にあります。日本は日本の領土としての返還を求め続けていますが、いまだに合意に至っていません。

 たかが『土地争い』と思わないでください。「領土=土地」は国家の礎であり、中東戦争を始め、史上すべての国家間の戦争は、この土地の取り合いから起きています。国家は定めらえた領土を管理するのが義務であり、そうしてこそ「国」が機能するのです。クリスチャンであれば、このことからイスラエルを連想できるでしょう。エゼキエル37章を中心に預言されているイスラエルの回復は、まず国としての回復があり、その後、霊的回復がもたらされます。今はまだ、国境が定まっていない状態なので、国としての回復の途中にあります。この国境が聖書の語る通りに定まった時、つまり御言葉が成就した時、霊的回復が始められます。

 日本の北方領土が北海道の北ではなく、東にあることを先に強調しましたが、これにも大きな意味があります。北海道の東端にあるということは、それは日本の最東端に位置することを意味します。黙示録とエゼキエル書の以下の聖句を心に留めてください。

この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」(黙示録7:1-3)

見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。その音は大水のとどろきのようであり、大地はその栄光で輝いた。(エゼキエル43:2)

 どちらの聖句も「東」がキーワードです。そしてイスラエルの東、世界の東端には日本があります。イスラエルの国境回復と同じように、「東」である日本のすべての領土が日本となる時、神様の主権による「国」がこの地上に確かに定められる時、これが霊的回復の始まりとなるのです。聖書は決して昔話ではありません。今現在、世界で起きているすべては聖書的観点で見ることができ、それによって問題を解決することが大切なのです。

 では、それを知ったクリスチャンが握るべき御言葉は何でしょうか?誰でも一度は聞いたことがある聖句です。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)

 聖書は教えてくれています。まず、神様の支配する国を求めなさい、そうすればすべてが与えられる、問題は解決する、北方領土は返ってくる、と。そんな馬鹿な!と思いますか?世の中にも、日常生活にも問題は山積みです。あれこれ手を付けても、何本もの糸が絡み合ってもつれてしまってめちゃめちゃになります。解決方法はごくシンプル。真理は手の届かないところではなく、ちょっと身をかがめて手に取れる足元に置かれているものです。神様の教えてくださっている解決方法に頼ろうと思う方は、神様の支配する国、「御国」について確認してみましょう。

神様の支配する神の国には、神様に従っている人しかいません。
神様の国には、性別、年齢、民族など、人間同士の格差は一切ありません。
神様の国と神様の義を第一に求めれば、必要は必ず満たされる。

 礼拝とは、これらのこと、神様の国の住民、天国民であることの確認の時です。あれもしたい、これも欲しい、いろいろと自分の思いはあるでしょう。でも、それぞれが自我を貫いている内には平和はありません。自分の思いを捨てて、自我をイエス様に明け渡すこと、これが信仰の表明であり、その時こそがほんとうの礼拝となるのです。


今週の教会ご飯/中華!麻婆茄子豆腐


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金のりんご 箴言 25:11

2014年02月02日 | Good News
「今週、あなたは誰かを励ましましたか?」初っ端からズキン!の質問。先週のメッセージでもあったように、世の中も私の周囲も問題だらけ。私自身にももちろん問題はあり、周囲の人にも問題は続き、社会や世界に至っては問題が尽きることはありません。それはわかっています。それらに対して、「励まし」という神様にある信仰の対応をしていない私に、この質問が突き刺さります。

 困っていることを相談された、悩みを打ち明けられた、辛かったことを聞いてと言われた。そんな時に、私たちは「励ます」という応対ではなく、どちらかと言えば「批判して、正そうとする」ことをしているように思います。あるいは、それすらも必要ないように突っ放して、右から左へ聞き流していることもあるでしょう。

 相談する時、悩む時、悲しい時、人々は共感を求めています。カウンセリングでも、先ず最初に心掛けるのは「傾聴」。耳を傾けてじっくりと『聴く』こと。「そう、でも“私”はこう思うの。。。」とか、「あなたは“間違っている”」と言うような否定や、逆に安易に同意したり肯定することは、傾聴ではありません。自分の主観を交えず、ただ聴いてあげること。そばに寄り添い、励ますこと。このプロセスを経てこそ、人は真の解決へと一歩踏み出すことが出来るのです。

 悲しい時、また悩みや困難で追い詰められている時、それはある意味で通常の精神状態ではありません。そんな時、人は普通考えないことを考え、あり得ないことに捕らわれてしまいます。たった一度の出来事が「いつも」あることになり、たった一人の人の仕打ちが「みんな」が責めるとなるのです。そんな状態にある人に、正論は意味を成しません。解決のためには、今の考えや状態が、間違った価値観の上にあることを気づかせてあげる方がより大切なのです。そのためのベストな方法こそが、「励まし」です。

時宜にかなって語られる言葉は銀細工に付けられた金のりんご。(箴言25:11)

 さて、ソチオリンピックムードに湧くこの頃ですが、皆さんは“スペシャルオリンピックス”というオリンピックがあることを御存知でしょうか?これは知的発達障害のある人たちの自立と、社会参加を目的として行われる日本を含む約世界150ヶ国が参加している国際スポーツイベントで、この創立は、J・F・ケネディのお母さん、ローズ・ケネディさんの証しでもあります。

 カトリック信者でもあったローズさんは、子宝にたくさん恵まれてどこか得意になっており、美しい女の子が生まれて有頂天になっていました。しかし、その子に知的障害があると知り、喜びは怒りへに変わってしまいました。「神様はどうしてこんなにひどいことをなさるのか」と神様に背を向け、怒り、悲しみ、育児を放棄し、部屋に引きこもってしまったのです。

 そんなある日、彼女の様子に心痛めた一人の家政婦が、彼女にこう励ましの言葉をかけました。「奥様、このことで人生を破滅させてはなりません。奥様の心をイエス様がお生まれになる飼い葉桶としない限り、奥様は幸せにはなれません。」しかし、この言葉を聞いたローズさんは、怒って家政婦を追い出してしまいます。

 しかし、その夜、この家政婦の言葉が心に響き、どうしても眠ることもできません。そして遂に彼女は思い余ってベットの脇にひざまずいて祈りました。「神様、私の心をイエス様がお生まれになる飼い葉桶としてください。」するとその時、彼女の心に考えられない平安が満ち、その子へ本当の愛が生まれたのです。このローズさんの家の庭で知的障害者の子供たちを集めてデイキャンプを行ったのが、スペシャルオリンピックスの始まりとなったのです。

 この一人の家政婦を通してローズさんに語られた神様からの励ましこそ、“金のりんご”です。時に適って与えられる聖書の御言葉は、私たちの経験や知識を超え、人々を勇気づけ、励ます力があります。クリスチャンは、信仰と祈りによって、この金のりんごを受け取る特権が与えられています。問題だらけのこの世の中で、私たちは、悩み悲しみ、苦しんでいるすべての人々を助けることができるのです。今週は、この励ましの金のりんごを受け取り、渡して行こうと決心をいただきました。



今週の教会ご飯/(ちょっと手抜き?)サンドイッチ!


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中先生の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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