Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

霊の目

2014年03月29日 | Good News


先週の「マンサク」に引き続き、今回もえんぢぇる師に黄色い注意信号が示されました。 御年?年にして初めて認知したのは、「点字(視覚障害者誘導用)ブロック」の存在。勿論、何度も見てはいたのですが、この黄色いタイルが何を意味し、何のため、誰のためにあるのかということを、彼は今回初めて認識したそうです。さて、自分がわかってみて改めて見てみると、無知な妨害や無意識な人が多いこと多いこと!自らへの思いを含め、ここでいつものえんぢぇる節が炸裂します。
ごめ~ん、知りませんでした~で済むんだったら、警察もイエスの十字架も要らんわ

神様は、そんな彼に重ねて語られました。テレビのドキュメンタリー番組で、全盲のソマリア人の方が紹介されており、その番組の中で、彼の心の目で“見た”日本人の姿が語られていました。例えば・・「渋谷は厚化粧した街」、「満員電車に乗っていると、誰もいない錯覚に陥る」、「日本人の声は、言いたい事が言えない便秘声」、「就職した友人からは音が消える」などなど。。会社などの組織に属していなければ社会人として認められず、失敗した時のリスクばかりを恐れて生きている日本人の姿を、彼は「パス回し人生」と形容していました。そういった“見た目に惑わされることない日本人論”に、えんぢぇる師も実に共感したそうです。

さて、聖書には盲人のお話は数多く記されてありますが、中でもヨハネ福音書9章は、一人の盲人の癒しが丸々1章にわたって書かれてあります。でも、癒しそのものの記述はたったの2節。多くは、彼が癒された後の周囲のドタバタ劇が詳密に記されているのです。スキットにでもするとわかりやすいような内容ですが、注目すべきは癒された盲人の心の変化です。彼は最初、自分の身に起こった事の重大性をよくわかっていなかったのですが、周囲の騒ぎや、当時の権力が派遣した調査団とのやり取りを繰り返す内に、自分の内に何が起きたのかを少しずつ認知して行きます。そして、彼を癒してくださったイエス様の存在が、彼の内に徐々に明確化されて行ったのです。

11節:イエスと言う方15節:あの方(敬意)17節:預言者(聖書用語)33節:神の元から来られた方(信仰告白38節:主よ!(イエスの弟子となる

信仰告白をしたが故に、村を追放されてしまった彼の前に、イエス様が現れます。その時になって、このイエス様こそが自分の癒し主であり、世界の救い主であることを知ります。

イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」(ヨハネ9:41)

聖書のお話は、「盲人の目が癒されてよかったね」だけで終わるものではありません。人はすべて、見るべきものが見えていない生まれつきの盲人なのです。この生来の盲人の癒しを自分自身の話と受け取らない限り、点字ブロックを見てはいても、その本質を見ていなかったことと同じで、この話しの本筋はわかりません。イエス様に癒され、真に見るべきものを見た時に、彼はイエス様の前にひざまずき、イエス様を礼拝しました。このように、私たちの「霊の目」が開かれると、私たちの内に大きな変化が訪れます。

自分の問題が何であるのかがわかる
目に見えないものの重要性がわかる
イエス・キリストが自分の救い主であることがわかる

これが霊の覚醒です。霊が覚醒すると、誰もが何かしらの行動に出ます。あのマザーテレサも、かつては女学校の教師であり、校長先生でした。このまま校長職を全うしても、人間的には十分有意義なものだったでしょう。しかしある日、神様は彼女に語られました。「出て行って、最も貧しい人のために働きなさい。」この神の御声に従って、彼女は安定した生活を捨てて荒野へ踏み出しました。一人の勇気ある女性教師の一歩が、多くの人々の魂を救い、世界に神様の愛を示したマザーテレサを誕生させたのです。



人間は、「このままではいけない!」という思いと、「このままでいたい!」という思いの間で揺れ動きます。しかし、あなたが変わりたくないと思っても、変わらずにいようと思っても、世界は刻一刻と変わって行きます。あなたの人生の責任はあなた自身にあります。見えないままでいるか、今見えていないことを認めて「霊の目」を開くことを求めるか。リスクを一切負わない人生には、命もありません。自分は『見える』と言い張るところに罪があるからです。自分には『見えていない』と言うことを謙虚に認め、その癒しと解放を求めるなら、イエス様は必ずあなたの前に現れてくださいます。あれこれ思い悩む前に、諦めてしまう前に、霊の目が開かれることを祈りましょう。霊の覚醒なくして、真の人生の目的遂行はあり得ないのですから。



今週の教会ご飯/カルビ・ビビンバ


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI


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カリスマ

2014年03月23日 | Good News
新約聖書の多くを記したパウロが、「このことはぜひ知っておいて欲しい!」、「このことは知らないでいて欲しくない!」と切望したポイントとは? クリスチャン・ライフの神髄に迫る、『カリスマ』の本当の意味を説く。



百花繚乱の春が近づいている。えんぢぇる宅の庭に咲き誇る白梅の影に、ひっそりと植えられたマンサクの木、金縷梅があった。この三年ほど花も実もつけることなく、斧持つえんぢぇるに切り倒される危機にあったこの早春、美しい黄金色の花を咲かせた。そのマンサクの花言葉は「霊性」。

神様との関係を学ぶために、「霊性」の理解は不可欠だ。人間の本質は「霊」であり、聖書でもこの理解が核となる。しかし一般社会では、科学的未知という理由で、「心」と「体」だけに留まり、「霊」については語られていない。知的レベルは高くても、霊的文盲が多い。そんな日本で最もポピュラーに浸透しているギリシア語が、今日のテーマである「カリスマ」という言葉だ。

世間一般には、カリスマリーダーやカリスマ美容師など、一芸に秀でた人、オーラを感じさせる人という感じで使われる言葉だが、「カリスマ」という言葉について聖書が教える本来の内容は、一般にはもちろん、クリスチャン間でもなかなか理解されていない。そしてそれこそ、聖書に登場するパウロさんという゛カリスマ゛弟子が、『このことだけは知らないでいてほしくない、ぜひ知っていてほしい』と切に語った最重要ポイントの2つの内のひとつである。

「カリスマ」という言葉は、「恵み」を意味するギリシア語の「カリス」から発生している。「恵み」とは、自分には本来もらえる資格も能力もないけど、神様から与えられた力、ということだ。持った自分の力で勝ち取ったものは、恵みではなく「報酬」となる。「恵み」は受ける価値がないのにいただいてしまった、というものだ。その「恵み」の力が具体的に現されているのが「カリスマ」であり、日本語では「霊の賜物」と記されている。



聖書には、「カリスマ」について具体的に書かれたところが二か所ある。まず、「霊の実」を示すガラテヤ書。

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。(ガラテヤ5:22)

一般的な「カリスマ」は特別な能力やオーラを持った人だが、聖書では人格的美徳を備え持った人を指す。世間的イメージがお金や名誉を伴う派手なものであるのに対し、聖書では目立たないものだ。というのは、本人が意識している内は、その人に霊の実は結んでいないからだ。ほんとうに親切な人は、「私は親切!」と公言しない。「あの人は親切だ」と他の人が判断してこそ、結実していると言える。実とは、自分のためではなく、人の幸せのために結ばれるもので、その実は永遠に結び続けるのだ。



映画「オールド・ルーキー/原題The Rookie」にもなったメジャーリーグのジム・モリス選手。25歳でメジャーをあきらめることになったものの、35歳で再デビューを果たして過去の記録を塗り替えた彼は語る。

『以前の私は、自分の夢だけを追い求めていました。けれども、私には夢の前にきちんと成功させておくことがあったのです。それは、家族を大切にし、子供をまっすぐに育てることでした。私が自分のことよりも周りのことを考えられるようになったこの時、神様が私の夢を実現させてくださったのです。』

これが、神様から与えられた霊の力によって人生を結実させた実例だ。「霊の実の結実」、これが「カリスマ」だ。

もう一つの箇所が「霊の賜物」として書かれている。知る賜物、語る賜物、行う賜物、各3つの9つの賜物だ。これらはクリスチャンとして、この終末を生きるために必要なものだが、注意するべき点も9つある。

 ほんとうの神、イエス・キリストを人生の主と信じ、従っている人に与えられる。
 今、花も実もついていなくても、それは与えられていない訳ではない。見えなくても与えられている。
 与えられても、自分の能力や才能として誇ってはならない。神様からの預かり物と自覚する。
 人と比較してはならない。各自の個性や使命を比べる必要はない。
 与えられたら、磨かなければならない。各自で切磋琢磨する。
 使い方を間違ってはいけない。大切なのは動機。自分のためではない。
 霊の賜物の目的は、イエス・キリストが人生の救い主と証しするため。そのための道具。
 与えられた霊の賜物を無視したり、無頓着でいることは大きな損失であるばかりか、罪となる。
 霊の賜物を用いることが、教会時代の伝道の武器。神の栄光が現され、喜びの人生となる。

人生にはあなたにしかできないことがある。あなたにしか咲かせられない花がある。それを求め、イエス・キリストによって与えられることを信じよう。それがあなたの人生を充実(実で満たす)させ、喜びに溢れた美しいものに変えられていく。聖書はそれを教えてくれている。



ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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命の水 ― after the 3-11 ―

2014年03月15日 | Good News
原発推進か? それとも脱原発か? 今、日本はどのような状況に置かれているのか?そして、クリスチャンが取るべき立場とは? 今まで多くの教会が沈黙していたこの難問を、えんぢぇる田中が黙示的に語る30分間。



 『聖書の言葉は、日常の生活に応用してナンボの世界。クリスチャンにしかわからない内容ではダメ!』えんぢぇる田中牧師の常套句だ。日常には、「真理」を知らずに右往左往する状況が溢れている。聖書の言葉がまったく普及していないと言える日本であれば、尚更だ。だから聖書から、「真理」を導く。これこそが教会に与えられている大きな使命だ。311から3年が経ち、依然論争の的となる原発問題。原発推進か、脱原発か。これが大きな問題だろう、とは全国民が認知しているものの、何が問題なのか、だから私はどうするのか、まで、それぞれがわかっていない状態だ。まさに右往左往。

 わからないことは悪いことではない。が、わからないまま放置することは、悪い結果を引き起こす。個人でも社会でも国でも同じだ。神様の教会は、そんなわからないことにどう対処するのか、ということを導いていくところだ。ということで、えんぢぇる田中牧師の原発問題について考えたことをシェアされた。彼自身が言っているように、決して専門家ではなく、素人としての、しかし神様の言葉を預かる牧師としての原発問題講座だ。まず、基本事項の再確認から。

 この4月から「避難指示区域」の解除が始まる。「避難指示区域」とは、福島第一原発事故により、国が住民に避難を指示している区域全体で、その内の年間放射線量20ミリシーベルト以下の区域は「解除準備区域」として半年ほど前から早期帰還を予定されていた。国の方針としては、2年ほどかけて解除を検討しつつ、避難民3万人の帰還を計画しているそうだ。



 「年間放射線量20ミリシーベルト以下」については2011年当時かなりの論議を引き起こし、言葉はもう耳に馴染んだものの、その実態については理解されていないことがほとんどだろう。日本の文部科学省が定める安全基準は、一般市民に対して年間1ミリシーベルト以下。20ミリシーベルトという基準は、世界全体数の10分の一を占める日本の原子力発電所で働く人のための特別な数値だ。日本の原子炉保有数は、この小さな国でありながら大国と同レベルを占めている。その特別な数値を「非常時」という一言でまとめたまま、今回の避難解除が決定された。問題はこの指示に従わない人は「自主避難」と見なされ、各種手当や賠償金が支払われなくなるということだ。因みに1986年のチェルノブイリ事故では、5ミリシーベルト以上は「移住義務、人の住めない地域」と定められている。

 年間放射線量については、その道の専門家が考え、国として選んだ数値ではあるが、専門家ごとに意見は異なるし、各個人の適応能力の違いもある。これで安全!と心からホッとする人もいれば、不安が解消されない人もいる。ただ忘れてならないのは、この放射線量の規定は、これは科学的見解に基づいた安全数値ではない、ということ。数値は、社会的な妥協策として決められたに過ぎない。放射線量は、1ミリシーベルトであっても極微量であっても、人体には有害なものなのだ。

 原発問題は、現代の教会として避けてはならない問題であり、教会だからこそ教えられる霊的な問題だ、とえんぢぇる田中は言い、彼の取る「原発反対&脱原発」の理由をシェアしてくれた。まず、核は人間の領域ではないということ。人間に与えられた領域と、神の領域がある。十戒の教えのように、人が考えて決めることができないことがある。「殺すな」という神の教えに、どう理由をつけても、人の目に正しく見えても決して殺してはならない。その神様の命令に背いて幸福を得た人はいない。命が神の領域であるのと同様に、核は人間が触れてはならないものなのだ。

 「火」は恐ろしいものだ。その力は破壊をももたらす。震災時の気仙沼で、海が燃えるシーンは心以上に霊が痛んだ。そしてもう一つ、原発事故で全住民は避難し、動物だけが残された無人の町。どちらも「火」によって起こされた悲劇だ。しかし、その「火」を道具として使うことができるのは、次の3つの点で安全が確認できているからだ。

目や肌などを通して、実際に火を感じることができる。
点けたり消したり、火を制御することができる。
万が一の事態に備えて、インフラ対策ができる。

 このように人にコントロールできるはずの「火」でさえ、時には不幸な事故を引き起こす。しかし原発には、これらのどれもが該当しない。目に見えず、制御不能で、非常時の対策もなされていない。危険きわまりない。このようなものを人間が作るべきではなく、扱うべきでもない。

 原子炉燃料となるプルトニウムは、元々自然界にはなかった物質だ。アメリカの科学者がサタンにそそのかされて作ってしまった悪魔の物質だ。プルトニウムという言葉は、ギリシア語の「ハデス」、クリスチャンならよく知る「陰府」であり、「死」を意味する語が源になっている。このプルトニウムの発生から3年後、誰も予想だにしなかったことが起きる。二千年近く流浪の民として彷徨っていたユダヤ民族の国、イスラエルの建国だ。その時から、黙示録に向けての流れは動き出している。聖書は語っている。終末は刻一刻と近づいて来ているのはまちがいない。



 時代の只中にいると、その流れが見えないこともある。しかし、流れていることを知り、目を凝らして見ると、きっと見えるはずだ。震災に遭われて、教会も家も財産も失った福島の牧師、佐藤彰先生は、「それでも神様はいらっしゃった。私はこのことを経験するために生きていた。牧師になったのはこのためだった。」と力強くメッセージする。彼の目は失ったものを探すのではなく、その先にある希望を見据えているのだ。

彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。(エゼキエル47:08-09)

 プルトニウムにしろ、他の数多い有害物質にしろ、もはや人の手には負えない汚染に対し、神様は「命の水」をくださることを語っている。イスラエル建国の預言の後の部分だ。そして更には、新しい神殿、新しい世界の到来を告げている。「プルトニウムは悪魔によって作られてしまった、どうしようもない。震災ですべてを失った、もうなにも残っていない。」そうではない!回復への希望は、確かに聖書にある。見つける時は「今」だ。だから、あなたの希望への答えを探し出してほしい。探せば、きっと見つかる。それは神様が約束してくださっていることだから。 求めよ、さらば与えられん!



今週の教会ご飯/トック(韓国餅)入りキムチスープ


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真理とは何か?-- after the 3-11 --

2014年03月09日 | Good News
 2011年3月11日、あの日から3年が経ちます。田中牧師が最初に被災地を訪れたのは、震災後まだ間もない頃で、被災状況や、放射能汚染についてはまだ良く分かっていない時期でした。同行した放射能に詳しい方から、福島県に入ると直ぐに、実際の原発からは何十キロも離れた地点で、「マスク着用」を勧められ、彼は「え?」という思いを抱きつつも、とにかく指示に従ったそうです。放射能は影もなければ形も、においもなく、あるかどうか分からない。私たちは、知らない内にその見えない「毒」の只中にいることがあるのです。知らないということは、実に恐しいことです。

 道なき道を行き、街灯の光のない闇の中を進み、彼は陸前高田に降り立ちました。到着した夜は何も見えず、朝になって自らがいる場所を確認した彼は、SF映画の世界そのものを見ました。すべてが混乱し、瓦礫の山が果てしなく続いている、道の真ん中にへばりついている魚、曲がりくねった線路、言い尽くせない深い悲しみと絶望の涙。「これが黙示録の世界か・・聖書が語る終末は本当にある..」と、これらの光景が彼の魂に告げていました。


 家族を失い、家を失い、仕事もなく、復旧の目途は立たない、ないない尽くしに苦しむ人々にとって、本当は何よりも大切な『魂の救い』は生活の次になってしまいます。「神様がいるなら、なぜこんなことが!?」と激高する人に、机上の理論は通用しません。しかし遣わされた牧師は、支援活動と共に、ゲリラ路傍伝道を展開し、本当に福音を必要としている人たちに福音を告げ、少なからず人々を救いに導くことができました。

 彼が祈りと共に頼りにしていたのは、「私は一人を救い、そしてできればもう一人の人を救いたいと願っているだけです」と言う、マザーテレサの言葉でした。一人一人に必要な復興支援をしつつ、本当に必要なものは福音であり、イエス・キリストが人生の生命線であることを、一人、そしてまた一人と告げ知らせることができたのです。 その被災地での活動の中で、田中牧師は3つのことを考えました。それは・・

人生には、全く想定外のことが実際に起きてくる
人は、人と人とのつながりを求める
人は、希望にすがりついて生きようとする

 未だ30万人近い人々が避難・転居状況にあり、その内の約半数が仮設住宅での生活を余儀なくされています。3年経った今も先は見えておらず、避難生活における体調悪化や精神的圧迫などによる『関連死』という、実に深刻な問題が続いています。被災三県には、交通難民、医療難民の方々が大勢おられます。このような実情について、主要メディアは積極的に取り上げようとせず、被災地が国の足を引っ張っているかのような印象すら感じさせられます。しかし、3-11は決して「終わったこと」ではなく、問題は依然、山積みとなって残されたままなのです。

 田中牧師は、この被災3県の状況は、『将来の日本の縮図』であると考えています。誰の人生にも、自分の想定外のことが必ず起きてきます。このような難題に直面した時にどう出るか?その時に、その人の真価が問われるのです。今日は、田中牧師が被災地の現場で考えたこと、教えられたことを、聖書を通してシェアしてくれました。

今を生きる!
 与えられた環境に感謝しつつ、精一杯、今を生きること。「いつ死んでも良い」と言える人は、自分に与えられた状況の中でベストを尽くして生きている人です。人は、自分の人生の目的を設定してそれに向かって生きていますが、もし、何らかの想定外の出来事によって、それが達成できなかったとしたら、人生は目的のための準備だけで終わってしまうことになります。

 『せめて学校に入ったら、せめて仕事に就いたら、せめて結婚したら、せめて家を建てたら、せめて借金を返したら・・・』それだけで日々が終わって行く..実はこれが多くの人々の人生の現実です。ですから、人生の『目標』と『目的』は別にしなければならないのです。

 例えば、「結婚」を人生の目標にすることは問題ありませんが、日々の人生の「目的」は、「たとえ今は自分が思う状況でなかったとしても、神様は今も生きて働いていてくださる。私は神に愛されている」このような信念(信仰)に生きる時、神がその人を創造された目的は、既にその時点において成就されているのです。これが、日々私たちが生きている目的であり、それが『神の栄光が現されている』と言うことなのです。

本当に大切なものは目に見えない
 『かもめ食堂』という映画の中で、旅先でスーツケースを失くした女性が、やっと見つかったスーツケースを開けると、その中は光輝くキノコでいっぱいだった!?という象徴的なシーンがあります。旅にスーツケースは必要不可欠です、ですが、実はスーツケースの中には、私たちの人生において、これがなければ生きていけないというようなものは、一つも入っていないのです。しかし、私たちはスーツケースにとらわれ、スーツケースのために働いています。無論、生きていくための道具は必要です。ですが、それは生きていく「目的」ではないのです。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(Ⅱコリント4:18)

ぶれない人生には真理が不可欠
 実は聖書には、どこにも「人から信頼されるような人になりましょう」とは書かれていません。信頼とは、真理に従って生きて行く時、自然に周りから得られていくものだからです。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:8)

「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16:13)

ピラトは言った。「真理とは何か?」(ヨハネ18:38)

 真理を知らない人は、結局、自分の命をも失う結果になってしまいます。あなたの命を守るために、どうぞ聖書から「真理」を見極めてください。それがあなたの人生に揺るぎない希望をもたらしてくれます。聖書をもっと知りたい方、希望の証しを聞きたい方、教会にお出でください!それこそが、神様が今、あなたに望んでおられることなのです



今週の教会ご飯/パスタ入りミネストローネ


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立って! -- We are Behind You --

2014年03月02日 | Good News
世の中の全ての事象には、光と闇、プラスとマイナス、陽と陰、表と裏の二面性がある。戦争もあれば平和もあり、病気もあれば自然治癒力もあり、人を陥れる悪い奴もいれば、人のためにわが身を捨てて尽くす人もいる。「神様がいるのなら何故こんなことが!?」等々とぼやいていないで「神様がなさった素晴らしい業」の方にも目を留めてみよう

 今から20年前、山梨で建設機械を扱う会社の社長・雨宮さんは、内戦が終結したばかりのカンボジアを訪れた時、木の下に座り込んで、物乞いをしている一人のおばあちゃんと出会う。彼が僅かばかりのお金をあげると、おばあちゃんは「ありがとう、ありがとう」とお礼を言いながら、雨宮さんにこう言った。「あなたは日本人でしょう? どうか、私たちの国を助けてください。」このおばあちゃんの一言が、雨宮氏のその後の人生を大きく変えた。

 そのおばあちゃんの顔の半分は火傷でただれ、足は膝から下がなかった。彼女は地雷の被害者だったのだ。コストが低く、簡単で扱い易い『悪魔の兵器』と言われている地雷は、手作業で撤去するしかなく、未だカンボジアに埋まったままの100万個もの地雷を撤去するには、実に千年以上かかると言われていた。

 世の中には、こんな『悪魔の兵器』をつくる人間もいれば、「何とかしなければならない!」と立ち上がる人もいる。雨宮さんは技術者として、日本人として、一人の人間として、何か自分に出来ることはないだろうか?と、真剣に考えた。だが、志はあっても、技術者と言うことだけで、火薬や地雷に関しては全くの素人。武器に対する知識もノウハウもなく、当然資金もない。

 しかし彼はその後、5年の歳月と10億円という開発費をつぎ込み、世界初の『対人地雷除去マシーン』を完成させた。それによって地雷撤去の効率は、従来の20倍になり、今も地雷に苦しむ多くの国々で、雨宮さんのマシーンは70台以上活躍している。そして雨宮さんの会社も、それによって大きな成長を遂げることが出来たのだ。一町工場の社長が、地雷に苦しむ国の人々を救うことを可能にしたものは、いったい何だったのか?


エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。(エズラ記10:1)

 「エズラ」とは「神は助け」という意味。バビロン捕囚から70年ぶりに故郷に帰還したイスラエルの民が、エルサレムに神殿を建てようとするものの、長年の捕囚生活によって多くの民が、民族アイデンティティを失い、自分たちの生活のためだけの糧を得ようとする。そんな様子を見たエズラは必死に神様に祈る。

 このエズラの祈りによって、彼の周囲には「非常に大きな会衆ヘブライ語で『カハール』」が集まって来る。これが教会だ。そして共に、涙ながらの祈りをささげる集団となる。そしてTAKE ACTION(行動)して行く。

お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。
 協力いたします(We are behind you)から、断固として行動してください。(エズラ10:4)

 こんな状況だけど、私たちには何ができるのか?何をすべきかのか?この志を持って、共に立ち上がる時、神様の家である教会が、そして神様が助けてくれる。それを可能にするための3ポイントがこれだ。

声に耳を傾ける
 聖書の神様は、何を考えているか分からないような神様ではない。「わたしはあってあるもの」、「わたしは熱情の神だ!」と、明確に意思表示をされる神様なのだ。問題は、神が語っているか否かではなく、私たちが聞いているか否か。神様は、様々な事象を通し、人を通し、聖書を通し、牧師を通し、あなたに語り続けている。このおばあちゃんを通して、神様は雨宮さんに語られた。その声に耳を傾けよう。聞いてみよう。あなたの耳を塞がないで。

聴いたら実行に移す
 「百聞は一見に如かず」という有名な故事に続きがあることを御存知だろうか?それは・・
 「百聞は一見に如かず百見は一考に如かず百考は一行に如かず」と続く。これで一つの文章なのである。
 つまり、聞くことより見ること、見ることより考えること、そして、考えることより行動することが大切だ。いくら考えて見たところで、実行しなければ何にもならないのだ。カンボジアの実情に同情はしても、いざ自分が一歩進んで実行する人はごく僅か。ほとんどの場合は、出来ない理由を前に立ちすくんでしまうのである。しかし、あなたにも出来ることはあるはずだ。行動しよう!人生はそこから始まるのだ。

始めたことは最後までやり通す
 情熱を持って始めたことでも、いざ実際に初めてみると、楽しいことより大なこと、嬉しいことより苦しいことの方が多い。それで、多くの人が途中で止めてしまう。しかし、神様の力は、最後までやり通そうとする人に働く。そこに奇跡が働き、不可能を可能に変えて行くのである。

 雨宮氏は、誰もが不可能だと思える条件下で、血と汗と涙の試行錯誤を繰り返し、遂にプロジェクトを完成させた。作業中、爆発事故で耳を損傷し、聴覚を失うことにもなった。しかし、彼は「私は魂で聞ける」と言い切る。彼がつくり上げた『地雷撤去マシーン』こそ、不可能を可能にされたサムライ魂の結晶なのである





だから私たちも、神様の声に耳を傾けよう!聞いたら実行に移そう!そして一度始めたことは最後までやり通そう!神様の力は、最後までやり通した人に働くのだ。人間的にはどんな無理難題であっても、それが誰かの幸せ、救いに繋がるのなら、神様は必ずあなたを助けてくださるのだ



今週の教会ご飯/ハヤシライス(のつもり)


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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