Good News Report

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「オバデヤ」30分de一巻 Vol.31

2017年06月25日 | Good News
 オバデヤ書は1章21節の短い預言書。なくても気づかないのでは?と思う存在感だが、ユダヤ人にとってはなくてはならない書だ。聖書各巻の存在は私たちの存在意義に繋がる。オバデヤ書とて例外ではない。この21節に何が書いてあるのか?というと、実にシンプル。

 1節~18節 エドムに対する裁き
 19節~21節 イスラエルの回復

エドムとは、死海南方に位置する山岳地方の地名。エドムとは「赤」の意味で、赤茶けている土地に因んでもいる。エドム地方にはエサウの子孫が住み、総じてエサウの子孫を「エドム」と呼ぶこともある。オバデヤ書はエレミヤ49章とリンクしている部分があり、同時期、乃至は少し後の哀歌の頃に書かれたと推測されている。

オバデヤ1節~4節
オバデヤの幻。我々は主から知らせを聞いた。使者が諸国に遣わされ「立て、立ち上がってエドムと戦おう」と告げる。主なる神はエドムについてこう言われる。「見よ、わたしはお前を諸国のうちで最も小さいものとする。お前は、大いに侮られる。お前は自分の傲慢な心に欺かれている。岩の裂け目に住み、高い所に住みかを設け『誰がわたしを地に引きずり降ろせるか』と心に思っている。たとえ、お前が鷲のように高く昇り 星の間に巣を作ってもわたしは、そこからお前を引き降ろすと主は言われる。

エレミヤ49章14節~16節
わたしは主から知らせを聞いた。使者が諸国へ遣わされ「集まれ、エドムを攻めよ。戦いに出よ」と言う。
見よ、わたしはお前を諸国のうちで最も小さいものとする。お前は人々にさげすまれる。 岩の裂け目にいる者よ 丘の頂に立てこもる者らよ お前の脅しもうぬぼれもお前を支えはしない。お前が鷲のように高い所に巣を造ってもわたしはお前をそこから引き降ろすと主は言われる。

オバデヤ5節~6節
もし、盗人がお前のところに押し入り 夜の侵略者が来れば いかに、お前は痛めつけられることか。彼らは欲しいだけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者が、お前のもとに来れば/取り残しの実しか残さないではないか。 いかに、エサウの富は探し出され 宝は奪い取られることか。

エレミヤ49章9節~10節
ぶどうを取り入れる者が来ればひと房も残すことはない。盗人が夜来れば欲しいものをすべて持って行く。このわたしもエサウを身ぐるみはがして 隠れがを暴いた。彼は身を隠すことができない。彼の子孫は滅びた。親族も隣人も失われて、だれも


オバデヤ本人については、ユダヤ人であるとしかわかっていない。彼の預言は、北王国や南王国に向けたものではなく、ユダヤ人国家を滅ぼそうする敵国に向けた神による審判の警告である。つまり、「悔い改めよ!」ではなく、エドムに対する裁きの宣言の書だ。先ほどエドム地方について説明したが、「エドム」という言葉の奥には、兄エサウが弟ヤコブに頼んで、赤い豆の煮物と引き換えに長子の権利を渡してしまったことに端を発する兄弟喧嘩の元の意味合いが含まれている。

エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。(創世記25:30)

エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」(創世記27:41)

ヤコブとエサウの兄弟喧嘩は、民族同士の殺し合いへ発展し、ヤコブに対する憎しみがエドムとイスラエルの関係の軸となっている。そして、歴史上ずっと敵対関係であり続けた。イスラエルが、荒野で初めて対戦した相手はエドムの子孫であるアマレク人であり、モーセがエドム王に国をただ通過することを頼んでも、頑なに拒まれた。歴代誌には、エドムがエルサレムで略奪行為を繰り返した記録が四回も残されている。また、ユダがバビロンに滅ぼされる時には、エドムは喜び、敵側に加担までした。その仕打ちに対しての恨みつらみが、詩篇137章にある。

主よ、覚えていてください エドムの子らを エルサレムのあの日を彼らがこう言ったのを 「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」 (詩編137編7節)

この両者の憎しみの究極状態にあったのが、イエス様の時代だった。福音書に登場する悪役NO.1といえば、イエス様殺害を謀ったヘロデファミリー。彼らはエドム人(イドマヤ人)の末裔なのだ。つまり、イエス様の時代、エルサレムはエドムの支配下にあり、結果としてエドムとイスラエルは救い主イエス・キリスト殺害に共謀し、最悪の結果となった。その結末としてAD70年、エルサレムは崩壊し、同時にエドム人も歴史から姿を消した。

この世を創造された聖書の神様だ。私たちは、イエス様生誕を基準とした西暦に生き、この世は聖書によって動いている。信じようと信じまいと、無視して地上の生活はできない。それが事実だ。そして、この世界に大きな影響を与える3つの兄弟喧嘩が聖書にある。

①アベルカイン:
クリスチャンとノンクリスチャンの決定的な世界観の違いと結末を表すもの

②イサクイシマエル:
中東紛争の発端であり、今後、世界最終戦争に発展するもの

③ヤコブエサウ:
イスラエルとエドムの争いを経て、現代が抱えている最も大きな問題   民族紛争のルーツ

①と②の争いは、今もこの世界にあり、イエス様再臨まで続く。が、前述通り、エドムはすでに地上から淘汰され、本書オバデヤ書はそれを宣言している。8節の神様の言葉、「エドムから知者を、エサウの山から知恵を滅ぼす」は、その預言通りになった。であれば、これは単なる過去の記録なのだろうか?違う。聖書は、すべて過去現在未来で立体的に動いている。

③のヤコブとエドムの兄弟喧嘩は、歴史中絶えることなく局地的に起こり続けている争い、民族紛争のルーツだ。現代にも起こり続けている、最も深刻な問題の発端なのだ。イスラエルの歴史において、エドムとの関りは非常に重要で、避けて語ることはできない。神様は計画の担い手としてイスラエルを選ばれ、そのイスラエルと他民族との関わりをどのように扱われ、どのように裁かれるのか、が書かれているのがオバデヤ書だ。

イスラエルの周囲には、絶えず巨大な軍事帝国があった。エジプト、アッシリア、バビロン、ローマなどの強国に挟まれたちっぽけな国だが、実際に歴史から消滅したのは、小国イスラエルではなく、強国の数々の方だ。その観点だけでも奇跡、聖書の真実を示す最大の状況証拠だ。これは一時代に限ったことではない。歴史上、ユダヤ人を迫害した民族・国家・個人、そのことごとくが世界から消滅、衰退している事実がある。これはアブラハムと交わされた約束が、ずっと生きているためだ。

あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。(創世記12:3)

エドムが亡びた理由も、ここにある。オバデヤ書のメッセージは、反ユダヤ主義のルーツとそれに対する神の裁きと警告だ。もちろん、逆も然り。敗戦国日本がたった40年で復興した根本的理由がある。日本は、大戦中、ホロコーストによって世界中に離散した多くのユダヤ人を助けた。日本経由で多くのユダヤ人が逃げることができた。そして神様の摂理によって、日本は祝福され、奇跡の復興を遂げた。まさしく、創世記12:3の成就。日本人として忘れてはならない事実だ。

バビロンによる占領時、家族が殺され、国が滅ぼされているその時、本来身内であるはずのエドムはあろうことか、それに加担し、嘲笑した。ある意味、敵国に対する恨みより大きくて当然だろう。しかし、神様の答えは、「復讐するは我にあり」だった。どれほど好きでも嫌いでも、納得しようがしまいが、神様の栄光を現すことが第一。だから、イスラエルは詩篇137を祈ったのだ。そして、祈りは聞かれた。神様の約束は成った。エドムは滅んだのだ。

エドムには大きな都市が二つあり、一つはボツラ(世界遺産のペトラ)と、ボツラから少し東に位置する「テマン」という街。当時、「テマンの知恵」という言葉(表現)があり、この街は学術都市として有名だった。ヨブと論争したエリファズはこのテマン出身だ。しかし、テマンは知恵のある街として知られていたにも関わらず、彼らは聖書に関しては無知だった。聖書が預言していた破滅について、誰も知らなかったのである。そもそも知恵とは何なのか? 聖書は「 主を畏れることは知恵の初め(箴言9章10節)」と語る。

世の中には、聖書の神を全く知らない日本のような国もあれば、聖書の神を真っ向から否定している国もあれば、ねじ曲げて信じてしまっている国もある。いずれにせよ、神を畏れない国は、最終的には滅びる。それは過去の歴史において証明済みである。どんなに知識があっても、いくら学術的に優秀であっても、主を畏れる気持ちがなければ結局、人生、何をしても無駄なのである。

エドムの根本的原因は、自分の正当性を主張し続けたこと。エサウにしてみれば、長男である自分が選ばれず、次男が選ばれてしまったことが受け入れられず、恨みから怒り、憎しみを生んだ。ヤコブを恨み続けた結果、神に反逆して滅ぼされてしまったのだ。これはサタンが天から落とされた理由と基本的に同じものだ。その根には、怒り、憎しみ、恨みがあり、自分が持って当然のものを取られた、という思いがある。

実は、嫉妬と妬みは違う。女偏の漢字だが、女の専売特許ではない。嫉妬とは、自分の持っているものを奪われるかもしれないという不安に根差したネガティブ感情であり、内向きで女性に多い感情だ。しかし、妬みは自分より良いものを持っているから、引きずり下ろしたくなる競争意識に属するため、男の方が多い。カインはアベルを、エサウはヤコブを、サウルはダビデを妬み、怒り、憎しみ、失敗した例が数多く記録されている。

では、私たちはどうしたらよいのか?クリスチャンであろうと、怒りがなくなることはない。地上に生きている限り、ポジティブなものもネガティブなものも感情はなくなることはない。人間である以上、感情は存在し続けるのだから、それがあることを悩んでも仕方ないのだ。まして、そこに罪悪感を持っていても何も解決しない。

現実的解決策として、その感情をポジティブに変換させること。ネガティブな感情は、聖書の失敗例通り、自分を破滅させるだけだ。世の中の成功者はすべて、マイナスをプラスに転換させて成功した。ネガティブ感情をポジティブに転換させると成功する。それは聖書にも約束されている。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 (ローマ8:28)

ネガティブの感情ですら、神様の栄光を現すために使えるという約束だ。なぜそうする必要があるのか。もちろん、自分のためであると同時に、主の勝利のためだ。

救う者たちがシオンの山に上って、エサウの山を裁く。こうして王国は主のものとなる。(オバデヤ21節)

救う者たちとは、残された者たち、レムナントのことで、キリストの福音を伝える者だ。終末時代には、彼らが用いられ、そして神の御国が到来する約束がここにある。主がエドムを裁かれたその理由は、王国が主のものとなるため、人の手による支配から神の絶対支配が来るためだ。オバデヤ書の最後は、その希望の約束で締めくくられているのだ。(Report by Mu)




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「アモス」30分de一巻 Vol.30

2017年06月18日 | Good News
アモスは、どこの宗派にも、組織にも、階級にも属さず、一般人として神の召命を受け、南王国の人でありながら、単身、北王国の聖地ベテルに乗り込み、偽りの礼拝と、北王国の堕落を厳しく批判した。彼が活動したのは、ホセアとほぼ同じ頃(BC750)で、およそ30年後に迫るイスラエル滅亡を預言した。

この時の北王国は、今の日本と状況が非常によく似ている。表向きの繁栄の陰で貧富の差は増大し、迫り来る国家崩壊を前に危機感というものが全くない。

彼は、“アモス=重荷を負う者”という名の如く、社会的には一般人だったが、傍観者ではなかった。この様な滅び行く社会の状況に対して、黙っている事が出来なかった。だからこそ神は、南王国に住んでいた彼をわざわざ北へと派遣して語らせたのである。


神の計画は、裁きで終ってしまう事はなく、必ず最終的には救いで終わる

しかし、その救いは、審判なき、悔い改めなき、安易な救いではない

その救いは、全人類のためのものである

イスラエルへの裁きは、今の堕落した教会への警告でもある

初代教会のステファノとヤコブがアモスの預言を引用してることからも分る様に、彼が語ったメッセージには、神の計画の普遍性が明確に現われているのである。(メッセージより抜粋)


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「ヨエル」30分de一巻 Vol.29

2017年06月11日 | Good News
小預言書中、黙示文学の性格が強い書巻が、ゼカリアとこのヨエルで、特に本書は、王様の名前や国や時代に関する記述が一切なく、記された時期も断定する事が出来ない謎の預言書である。

「あぁ恐るべき日よ、主の日が近付く(1:15)」「主の日が来る、主の日が近付く(2:1)」、「主の日は大いなる日でなははだ恐ろしい(2:11)」、「主の日、大いなる恐るべき日が来る(3:4)」と、突然やって来る未曾有の大災害への警告。それが、イナゴの来襲と重ねて繰り返し警告されている。



現代社会で生活している私達には、イナゴの災害と言われてもピンと来ないが、殺虫剤が開発される近代まで、イナゴの災害(蝗害)は、水害や日照り以上に恐れられた自然災害であった。不気味で巨大な黒い雲の固まりが空から突然襲って来るという、視覚的な恐怖も伴い、古代イスラエル社会において蝗害は、神の怒り・呪いの象徴。このイナゴの群れはどんな植物をも全て食い尽くし、去った後は深刻な食料飢饉を招く。

その規模は私達の想像を遥かに越えており、19世紀、ネブラスカで起きたイナゴの群れは、幅160キロ、長さ500キロ。 中国では蝗害が起こったために戦争が中断された記録もある。日本でも江戸時代中期に起った日本4大飢饉の一つ、享保の大飢饉(推定死者100万人)は蝗害であった。

パレスチナ地方には約40種類以上のイナゴが生息し、それを表すヘブライ語も10種類以上存在する。1章4節の“かみ食らうイナゴ”、“移住するイナゴ”、“若いイナゴ”、“食い荒らすイナゴ”の4匹のイナゴはヘブライH語では全て違う言葉が使われている。

そのイナゴによる災害が「巨大で数知れない民(1章6節)」という、やがてイスラエルを滅亡にらせる敵国に喩えられており、やがてそれが、終末時代に引き起こされる大惨事へと繋がって行くのである。(メッセージより抜粋)



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