Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

幸せのリスト

2014年06月22日 | Good News
本当の幸せって何先ずは、以下の9つのポイントで、あなたの幸せ度をチェックしてみてください。

  霊的体験
  心が安らか
  人生が楽しい
  生活に高揚感がある
  いつも努力している
  健康である
  愛する人がいる
  自分を愛してくれる人がいる
  生活するだけのお金がある

 朝日新聞に100年ぶりに掲載された夏目漱石の心。何十年ぶりに読んでみると親友を裏切って自殺に追いやってしまい、その親友から奪った女性をも裏切って自ら自殺してしまうと言う、かなり自己中な人間。自分の内に存在する如何ともし難い自己中心性(罪)に気付いてしまった人間は、それと真剣に向い合えば向かい合う程、泥沼に入り込み、彼はその重みに耐えきれず、結局、自死という方法を選ばざるを得なかった。

 クリスチャンではなかった漱石には、聖書的な罪の概念はなかったが、罪という存在には気付いていた。そこが漱石作品の特徴である。人の罪、社会の罪、そして自分の罪に気付き、それに耐えられなくなった人間には、もはや3つの選択しか残されていない。一つは発狂する、一つは神に頼る、一つは自殺する。実際に自殺の道を選んだ太宰治と芥川龍之介も、この見解においては共通している。私達一般人がこうして普通に暮らして行けるのは、そういった現実に気付いてないか、気づいても無視してるか、そこまで真剣に考えていないだけなのだ。

 さて、こころは多くの国の言葉に翻訳され出版されているが、英語版こころのタイトルは?それは、『Heart、Soul、Mind、Spirit』ではなく、『こころ』。こころとは、知性、情感、意志の3つの働きを総して心と呼び、それに該当する英語はないのである。ちなみにSpiritは霊、Souは魂と訳されているが、問題は霊の存在はしないものの、世の中は、心と体の問題しか取り上げないことにある。しかし、人間の本体は心と体ではなく、霊にある。霊こそが人間の本体であり、その霊は、心と体が消滅した後も存続し続けるのだ。これは、般若心経も、相対性理論(E=mc2)も証明している事実。聖書ののテーマは、実にこの霊の働きなのである。

 ここで、皆さんに是非とも伝えておかねばならない非常に重要な二つの真理をお伝えしたい。一つ目は、人は皆、幸福になることを望み、それを人生と目的と考えている。ところが、幸福とはそれ自体人生の目的にはならないのだ。『今』が人生の目的地であると言う人はいない。例えば、遠足の前の晩はワクワクして眠れなかったりするが、遠足は雨で中止になることだってあり得る。つまり、皆もが自分が想定した目的地に到達出来るとは限らない。とすると、多くの人の人生は、遠足に行く前の日で終わってしまう人の方が多いということにある。

 それでも人は、誰でも自分の存在に意味を見出したいと願っている。 人は意味のないことを長時間続けることは出来ない。自分のやっていることに意味があると思える時、多少の苦労があってもそれを続けていくことが出来るのだ。逆に、自分の存在や、自分がしていることに何の意味も価値も見出すことが出来なければ、その人の心は不安で覆い隠されてしまう。人間は生きる意味を見失ったままでは、人は人として生きて行くことが出来ないように造られているのである。

 つまり、人間にとって幸せとは、『自分が何か価値のあることに真剣に打ち込み、その自分が打ち込んだことが、何か人の役に立った時、人が喜んでくれた時に、自然と沸き上がって来る充実感のこと』である。但し、打ち込んだと言っても、それが自分のためだけだと、それは自己満足に終わってしまう。自己満足は真の幸福とは違う。人は誰かのために生きることが出来た時、人が感謝・喜んでくれた時に真の幸福を得る事が出来るのである。
 
 もう一つの真理、それは、人生で一番大切なものは何か?である。多くの人は、『健康・命』と考えているが、それは間違いである。人生で一番大切なものは命であるとすると、人の為に死ぬと言うことは間違いであり、聖書における殉教者たちの人生は間違っていたことになる。人生で命より大切なもの、それは『使命』である。私達は、自分に与えられた使命を果たすために、私たちはこの世に命を受けた。『命とは、自分に与えられた使命を果たすために、神様から与えられた時間のこと』なのだ。

 誰だって人や社会に喜ばれる人間、評価される人間、感謝される人間になりたいと願っている。にも関わらず、人間の中には、それとは正反対のことをせずにおれない破壊への衝動が存在し、世の中はそんなマイナスエネルギーで溢れている。嘘をついたり、誤魔化したり、それが悪いことだ分かっているのにやめられない。そんな行為を繰り返していると、自分の存在そのものが、嫌になってしまう。そこから逃れるためには、この虚無を飲み込んでしまう、より強力な力(神の霊)とつながる必要がある。それが、人生を根底から新しくすることが出来る霊的体験なのだ。

 では、霊的体験(聖霊)を受けるには、どうしたらいいのだろうか?条件は二つだけである。一つは、クリスチャンになること。クリスチャンになるということとは、あなたの人生の運航プログラムを、今迄の自己中心から、神中心・他者中心に変える事である。この方向転換を、聖書でメタノイア・悔い改めと言う。自分の内にある自己中心性(罪)に気付き、それに自分の人生運航プロブラムを支配されているままでは、破滅に至ってしまと言うことに気付き、間違った運航プログラムを、イエス・キリストによる運航プログラムをセットし直す。聖霊の力とは、正しい運航プログラムに変換して、新しい真理の道を走っている者達に対して与えられる、エネルギーのことである。
 
 もう一つの条件とは、それを切に求めること。ただそれだけである。この聖霊の働きによって、私達は愛し、閃き、幻を見、何が真理なのかを判別し、真理に従い、神の声を聴き、神の声に従う力が与えられる。何故、霊的体験が幸福リストの第一項目なのか? 霊的経験とは、心が隅から隅まで澄みわたり、安らかで、力溢れ、歓喜に満ちた最高の状態のこと。そのことを知ると、この世でどんなにがっかりすることも、うんざりすることも、怒りまくたいことも、越えられるようになるからだ。

 さて、聖霊を受けると具体的にどのような変化が私達の内に起って来るのか?最後に聖霊を受けていることのリゾルト(証明)を6つ紹介しておく。私にはこれがない。このことが足りない。まだ解放されていない!と、自分自身の姿に気付いた方、自分もそういった人生がいい!自分も解放されたい!と思われた方は、どうぞキリストを信じ、信頼し、聖霊の導きを切に求め、信仰による一歩を踏み出してください!

人生に感動してますか?
人生を喜んでますか?
日々、理解が増してますか?
あなたの周りに人が集まっていますか?
あなたの祈りは答えられていますか?
あなたの人生における使命は明確ですか?

 ハレルヤ あなたのためにお祈り致します。


音声はこちらからでも視聴できます。
http://www.goodnewsstation.com/hcmsg062114.mp3


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。聖書のみ、恵みのみ、お食事付き!毎週土曜朝に、集まって祈り、分かち合いの時を持っています。一度でも、「教会って敷居が高い。。。」と悩んだことのある方、ぜひこちらへ!教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。ただ、それだけを目指して、小さな群れながら、神様を礼拝します。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI


小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)

彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2:42)





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幸せのリスト

2014年06月20日 | Good News
 「あなたは今、幸せ?

 と、聞かれて、どれだけの人が「Yes!!!」と答えられるだろう?

 幸せになる秘訣は、幸せになることを人生の目的にしないこと??

 えんぢぇる田中の逆説的幸福論で、あなたの幸せ度を計ってみよう!


 
 ☆メッセージに登場した“馬毛のこし器”これが幸せとどんな関係が??

 
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リバイバルの雨 Part 3

2014年06月15日 | Good News
わたしの名によってわたしに何かを願うなら、わたしがかなえてあげよう。(ヨハネ14:14)

初代教会が、熱心の行っていた第四のこと、「祈り」。

「主は祈りがなければ何もされない」と、ジョン・ウエスレーは語ったが、確かに主は、ご自身の働きが表わされるために、クリスチャンが祈らなければならないという法則を、御国の原則としても設けられた。そして、それを証明するかのように、聖書は祈りは確実に聞かれると繰り返し訴えている。主の願いと私たちの願いが一致する時、それは必ず成就するのである。

ところが、多くのクリスチャンは、何故かそれを実行していない。私たちが祈らないのは、祈りの力を信じていない、または、祈りの力についての認識が曖昧だからである。誰でも祈りによってそれが叶えられるという確信(信仰)があれば、人は競ってでも祈るはずだからである。もし、私たちが祈りの力を知っていたら、私たちは今迄如何に祈るべき重要な事柄が数多くあったことに驚き、それについて祈らなかったことに愕然とするだろう。

聖書の神は語る神である。問題は、神が語っているか否かではなく、私たちが聞いているか否かにある。勿論、安易な気持ちで祈ったことや、自己中心な祈り、また、結果的に本人のマイナスになることや、必要でないことに神は応答されないが、いずれにせよ、全ての祈りは神に届いており、祈り続けていく時、必ず神は何らかの応答をされる。

5つの祈り
願い
感謝
悔い改め
御心を聞く(人間の理解力では、何を祈るべきか知ることは出来ない)
執り成し(自分の身体を聖霊の祈る器とすること)

4つの答え 
No! 自己中心的、不信仰な祈りに対して。
Slow! 待ちなさいという答え(忍耐とタイミングが必要なとき)。
Grow! 予期しない別の答え (答えに気付かない、求めている答の的がズレている)
Go!! 直ぐにその通り、またはその祈り以上になる。

現代の教会が初代教会のような力を失っているのは、「今までこうしてきたから」、「この方が便利だから」、「お金と人材のことを考えると」、「この方が問題がないから」等ばかりで物事が運ばれ、「聖書はどう言っているのか?イエスならどうされるのか?」という最も重要な事が問われないことにある。

人間の計算可能な行程を歩くことを信仰とは言わない。「主の山に備え有り」祈りは人生の崖渕に立った時、神を信頼して、そこから一歩踏み出した時に初めて聞かれるのである。私たちは先ず、聖書に記してある通り、初代教会が熱心に行っていたことに習うことから始めようではないか!ハレルヤ


 
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リバイバルの雨 Part 2

2014年06月15日 | Good News
私たちが神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。(Ⅰヨハネ1:6-7)

初代教会が、熱心の行っていた第二のこと、「交わり」。

交わりのもともとの意味は「共有」。2:章44-45節に、「信者となった者たちは皆一緒にいて、一切の物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた」とある。

それは、当時のイスラエルは、ユダヤ教社会が人々の生活を支配しており、ユダヤ人がユダヤの会堂から追い出されると言うことは、収入の道が断たたれるばかりでなく、社会からの追放を意味していたからである。

だから教会は、ユダヤ社会の迫害によって生活のすべを失った人々を支えるため、比較的裕福なクリスチャンたちが財産を差し出し、互いに助け合う必要があった。

このようなクリスチャン同士の交わりは、クリスチャンとキリストとの交わりの上に成り立っている。キリストによって罪赦され、その赦しによって私たちも互い赦し合っていく、それがクリスチャンの交わりのベースである。

初代教会のクリスチャンたちが、このようなことを実践することが出来たのは、目には見えないが、この世の富とは比較にならない天国の宝を共有していたからである。そこには「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」霊的な交わりがあった。


初代教会が、熱心の行っていた第三のこと、「パン裂き」。
これは聖餐式と礼拝のことである。ペンテコステの日にキリストを信じてバプテスマを受けた人々は、それから日ごとに家々に集まって、賛美し、礼拝をし、聖餐式をした。洗礼と聖餐は、キリストが世の終わりまで守り続けるように言われたことである。

私たちのために自らの体を裂き、血を流されたイエスの十字架を心に刻み、その罪の赦しを受け、その赦しを他の人に分け与えることによってキリストを人々に示すという具体的行為。それが聖餐式である。

私たちが心を開いてイエス・キリストを受け入れるなら、イエスは私たちと共に食事をしてくださる。罪赦され、聖められ、キリストとの交わりの中で、私たちはキリストに満たされて行くのである。 (つづく)


 
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リバイバルの雨 Part 1

2014年06月14日 | Good News
彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2:42)


初代教会が熱心に励んでいたのは、「使徒たちの教え」、「交わり」、「パン裂き」、「祈り」の4つ。


従って、教会で第一になされるべきものは「教え」である。


新約聖書がない時代、人々は使徒たちを通してイエスの言葉を聞いた。つまり、「使徒たちの教え」とは、「聖書の教え(学び)」、のこと。


「教え」というギリシア語には、「ケリュグマ」と「ディダケー」の2つ意味があり、ケリュグマとは、「宣べ伝える」、ディダケーは「教える」。


この「宣べ、教える」ことこそ、私たちに対するイエスの命令であり、教会存続の理由である。


初代教会の人々は、ただ、このイエスの命令に従順に従っていただけなのである。


ここで、私達クリスチャンにとって、最も大切なイエスの4つの命令を確認しよう。それは・・・

互いに愛し合いなさい (ヨハネ13:34、15:17)
出て行って福音を伝えなさい (マルコ16:15)
出て行って全ての人を私の弟子にしなさい (マタイ28:19)

この3つは、 聖霊を受けなさい(ヨハネ20:22、使徒1:4-5、8) という命令に従うことによって、はじめて可能となる。


極論を言えば、クリスチャンは先ずこの4つの命令に従うことだけを考え、実行すれば良い。

この4つをないがしろにして、いくら他のことに時間をかけたところで、それは全く意味がないのだ。


日本宣教の先頭に立たれておられるのは聖霊様ご自身。


私たちは失敗するが、聖霊様は決して失敗されることはない。


つまり、私たちの使命は、聖霊の導きを求め、如何にそれに従うかだけなのである。 (つづく)


 
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リバイバルの雨

2014年06月09日 | Good News
  2000年前に降った聖霊の雨が、今再び世界に降っている。

  この最後の恵みの雨にあずかろう!

  今週行われた富士宮・城山教会でのライブを二回に分けてお届けします。


 
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悔い改めの人間学(テトス3:6)

2014年06月01日 | Good News
もし、命に関わる究極の状態に追い込まれた時、自分はどう行動するだろうか?たとえそれがすぐには起ないにしても、そのようなことは、状況の違いはあれ、遅かれ早かれ、いつかは誰もが遭遇することになるのです。そして、そのような緊急事態に追い込まれた時、我れ先に逃げる人もいれば、何もできなくて固まってしまう人もいれば、他人を助ける人もいます。

タイタニック号事件が起きたのは、1912年4月15日。奇しくも時差を考えるとほぼ同日の4月16日に、セウォル号事故が起きました。セウォル号事件が人災であったことは周知の事実ですが、タイタニック号も、船の豪華さや速度などの話題づくりばかりが優先され、安全性や避難装備が軽視されていました。しかも、6度にもわたる警告を無視した結果、史上最悪と言える海難事故が起きてしまいました。このような悲惨な事件を経験していながら、人類はまた、同じ過ちを繰り返してしまったのです。

そのような非常事態下で、逃げることなく、己の身を犠牲にして人を助けることができる人とは、いったいどのようなう人なのでしょうか?それは性別、学歴、職業、経済力、社会的地位、年齢、いずれも関係ありません。では、クリスチャンであることは関係するでしょうか?“クリスチャンであるなら決して状況から逃げたりはしない!”と、あなたは断言できるでしょうか

 

このようなことは頭で理解して出来ることではなく、「やめなさい!」と言われて止められるものでもなく、「こうしよう」と思っても、改善されることでもありません。ただ、忘れてはならないのは、その現場に関わっていた人たちが、しれぞれ成すべきことにしっかりと対応していたなら、起きずに済んだ事件であったこと、死なずに済んだ人が大勢いたということは事実なのです。

タイタニック号は、誰も救援に向かえない大海原の真ん中で沈没したのではありません。事故当時、ちょうどその周囲20-30キロ四方には、3隻の船がいたのです。ところが、タイタニック号を救助したのは1隻だけでした。最も近い位置にいたマウントテンプル号は、双方の明かりが確認でき、事故による爆発音を2度も確認しておきながら、巻き添えを恐れてか、あえて気づかれないように灯りを消し、ひっそりと逃げ去り、見殺しにしたのです。

次に近いところにいたカリフォルニア号も、タイタニック号の船影を確認し、救難信号も実際に見ている位置にいました。ましかし、彼らはその救助信号を他の船に対する注意信号を勘違いし、やがて消えた船影も、単に離れ去ったのだと、勝手に解釈していました。彼らはそこれ何が起きていたのか?状況把握が全く出来いなかったのです。意識していたにせよ、していなかったにせよ、結果的に見殺しにしたことは、マウントテンプル号と同じでした。

このカリフォルニア号の態度は、現在の私たちクリスチャンの心に訴えかけます。「今は終末時代、再臨も近い!」とは、どの教会でも言っていますが、それに対する行動が伴っていないのが多くの現状です。聖書は、「裁きは盗人のように突如として訪れる」と再三警告してるのも関わらず、終末時代に対する緊迫感は皆無。

カリフォルニア号の船長は用心深い人だったそうですが、それが裏目に出てしまいました。自分たちの安全を第一とし、トラブルに巻き込まれないように、煩わしいことから逃れるように、状況を都合よく解釈してしまっていたのです。教会はカリフォルニア号であってはなりません。多くの人の魂を救える立場にいるクリスチャンが、実のところ何もしていないというなら、今すぐ悔い改めなければならないのです。

 

そして最後のカルパチア号。この船は、タイタニック号からの遭難信号を受けと直ちに進路をタイタニック号へ向け、救助に向かいました。余計なエネルギーを停止させて最速動力を開き、全速力で氷山の間をくぐりぬけて、駆け付けたのです。向かう途中で救命ボートなど、救出用の備品を確認配置させ、医師を集めて待機させ、見張りも増員し、それらの周到な準備を、客室に混乱を与えないよう、細心の注意を払いながら、周到に行いました。そして、706名の遭難者救出に成功したのです。

カルパチア号のロストロン船長の優秀さは、その責任感や決断力は勿論ですが、彼は非常事態において何をすべきかを熟知し、その必要に応じて正しい優先順位で、能率よく、無駄なく、決然と行動したところにあります。そして、すべての命令を下した後、彼はその場を離れ、頭と垂れて祈り続けました。ロストロン船長は篤い信仰を持つクリスチャンだったのです。

神様は、タイタニック号事件という悲惨な状況で、ロストラン船長を遭難者救助の器としてに用いられました。人を救うために神に用いられる人材とは、この世に流されることなく、人の言うなりになることなく、真に正しいことのために立ち上がる人のことです。そして神様はまた、このメッセージを聴いてくれた人が、人生にポジティブな行動に出ることを望まれます。メッセージは単なる聖書解説や情報提供ではなく、神様がくださる人生に向き直るための原動力なのです。

今日の聖書箇所『テトス3:1-9」から、3つのポイントをまとめます。

全の人の行動は、何かしらの「信仰(考え)」を土台としている。

全て誤った人の行動の背後には、必ず何かしらの「嘘(誤解)」がある。

「思考パターン(物事の見方・考えから)」を変化させることによって、人生は新しくすることができる。

つまり、私たちの思考パターン(価値観・信念)を前向きに刷新したいという意識なし、ただ毎週教会で説教を聞いても、成功論の本を読んでも、表面的な言動だけを変えよいとしても、それは結果的に無駄に終わってしまいます。

それは、旅客機の自動操縦プログラムを北にセットしたまま、いくら強引に南にハンドルを切っても、ハンドルから手を話せば、すぐ北に戻ってしまうように、航路指定のプログラム自体を変えないまま、いくら考えても、喋っても、行動しようとしても、もがいても、少し時間が経てば、また元に戻ってしまうのです。

この運行プログラムパターンを変更することを、聖書ではメタノイア(方向転換)と言います。これを日本語の聖書で「悔い改め」と訳されているのです。悔い改めとは、「悪いことをやめて、良いことする」という意味ではなくて「方向転換」。その人の一番奥深い所における人生観を変えることなのです。これがイエス/キリストによる救いと直結しているのです。つまり、悔い改めのない救いはなく、救いのない悔い改めはないのです。

今日本では、多くの精神疾患やいじめ、社会的圧力等に潰されて、自ら死を選んでしまう人が数多くおられます。しかし、一度、今の自分と、自分の周囲のことから目を離して、実は自分には、人の命を救う使命がる。そういった力が備わっているということに気付く事が出来れば、今日の聖書の言葉にあるように、新たに生きる力を、別の所(HS)から、必ず受け取る得る事が出来るのです!

神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。(テトス3:6)

人生を前向きに方向転換させ、悔い改めることで、私たちは新たに生まれ変われる力を、聖霊様から受け取ることができる。それが、私たちの真の希望です。どんな人生をもプラスに変える力、自分のためだけではなく人のために生きる力、それがイエス・キリストを信じるすべての人に注がれる偉大な神様の力なのです



今週の教会ご飯/夏っぽい?クラムチャウダー


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI


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悔い改めの人間学

2014年06月01日 | Good News
 もし、自分がタイタニック号に乗っていたとしたら・・・

 いったい自分は、どのような行動を取っていただろうか?

 それは決して、他人事で済まされる問題ではない...。

 「 勿論、真っ先に逃げるに決まってるさ!」と答えたアナタは、実に正直な人。

 でも、

 「どうなるかなんて、その場になってみなきゃ分からない。だけど、自分は人を助けられるような人間になりたい」

 と、そう思っている人は、このメッセージを聴いてみてください。

 きっと、何かしらのヒントを得られるのではと思います。 

 
 □ニューヨークタイムスに掲載されたタイタニック号沈没事故のニュース

 
 
 □英国船・カルパチア号

 
 □タイタニックの女性生存者として有名なモーリー・ブラウンから感謝の銀杯を受け取るロストロン船長

 
 □英国サウサンプトンの教会にあるロストロン船長の墓碑銘にはこのように刻まれている。
 ”RMSカルパチア船長、1912年4月15日、SSタイタニックから706人の命を救った”


 
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