Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

えんぢぇる流クリスマスメッセージ

2016年12月25日 | Good News
寒い夜空を彩るクリスマスツリー、街に流れるクリスマスソング。何となく心が柔らかくなるクリスマス。この日は友達を誘って一緒に教会に行ける年に一度の絶好の機会

今年12月25日の日曜日は、世界中の教会でクリスマスメッセージが語られているだろう。私達の教会では・・他の教会では、あまり語られることがない、ちょっと話し難い部分をお話しする。

何故なら、それは暖かくて楽しいクリスマとは真逆の状況だから..。イエス様が誕生したその時、その場所では、実はお祝いどころか、イスラエルの人々は、羊飼い以外には誰ぁれも知らなかった。

知らなかったどころか、その時に、目を覆う大虐殺が行なわれた。メシア誕生の情報を聞いた当時のイスラエルの王様(ヘロデ)が、こともあろうにベツレヘム近郊にいた2歳以下の男子を全て殺すという暴挙を行なったのだ。

メシア誕生とこの幼児虐殺事件には、いくつかの関連がある。先ず、モーセが産まれる前にエジプトで起きたヘブライ人の男の子の虐殺事件。それと、出エジプトの直前に、神様がエジプトに下された最後の災い(11章4節)。 

   

また、創世記35章にある、ラケルがベテルからエフラタに向かう旅の途中、難産によってベニヤミンを産んだ後に、ベツレヘムに向かう道の傍らで死んでしまった事件。エレミアは、エルサレムがバビロンによって崩壊している時の惨状を、この時のラケルの苦しみと重ねてこう語っている。

ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから。(エレミア31:15&マタイ2:18)

これが「十字架上で血を流すことによってでしか、人類の罪を購うことは出来ない」という、ベツレヘムでのメシア誕生と、その後に起きた幼児虐殺事件について、旧約と新約が直結して語っている箇所である。

この鬼気迫る神の人類救済計画の幕開けについて知ると、とても「メリークリスマス!」とは言えなくなってしまう。だけど、それが真の希望へとつながる、本当の良き知らせなのである。その後に続く重要な聖句が、エレミア31章16-17節。

主はこう言われる。「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。

夜空にがまたたき、暗闇の中で主の栄光が輝いた。世の中の闇を照らす光として、イエス様はこの地上に来てくださった。闇の中にいたからこそ、光が指して来たことが分ったように、罪が分からなければ、十字架は分からない。BADNEWSが分からなければ、本当の良き知らせ、GOODNEWSも分からないのである。


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「日々の出来事」30分de一巻 Vol-13

2016年12月17日 | Good News
歴代誌は、旧約聖書の中でも比較的印象が薄い書巻である。「歴代誌には何が書いてある?どこが好き?」と問われても、答えに窮してしまうのが正直なところ。少し前に「ヤベツの祈り」が流行った(?)ことがあったが、今は、それが歴代誌であることも忘れられてしまうほど。では、歴代誌の存在意義は何処にあるのか?書かれた目的は何なのか?それらのことを確認するための、30分de一巻である。

本書タイトルである「歴代誌」は、英語の「クロニクル・年代記」と同様、年ごとに起きた出来事や事件を記録した歴史書という意味である。ギリシア語では「パレレイポメナ・省略されたもの」と言い、上巻はサムエル記(ダビデ)の省略されたもので、下巻は列王記(ダビデの子孫)の省略されたものである。しかし本書は、サムエルと列王記の続編ではなく、王政樹立から国家崩壊に至るまでのイスラエルの歴史を、異なった観点で記された別個の書巻なのである。ヘブライ語のタイトルは「ディブレー・ハヤーミーム・日々の出来事」であり、サムエル記と列王記の「再記述法」による書巻として、ユダヤの聖典(タナハ)の一番最後に納められている。

「再記述法」とはユダヤの文法にしばしば用いられる特徴的な表現構成である。あることを一通り記述をした後、その中の特に重要な部分を抜き出して再び解説するという手法だ。その代表的な例が創世記二章である。一章で天地創造を一通り記述した後、その中で最も重要な人間の創造について二章で再記述している。また、モーセの律法の重要な部分を、約束の地に入る前にもう一度説明している申命記も再記述で記された書巻である。

サムエル記と列王記は預言者の視点で記された政治的歴史書であり、祭司の視点で記された宗教的歴史書が、歴代誌・ディブレー・ハイ=ヤーミームである。祭司的視点とは、例えば、北王国の歴史はカット、バテシバ事件やダビデの家族の内紛等もカット。人間としての罪の部分に焦点を当てるのではなく、歴代誌の焦点は神殿建築である。全体的な構成としては・・

 上巻1章から9章:アダムからダビデの系図
 上巻10章から29章:ダビデの治世=神殿準備
 下巻1章から9章:ソロモンの治世=神殿建築
 下巻10章から36章:南北分裂後のユダ王国歴史
そして最後は、バビロン捕囚から解放を告げるクロス王の勅令で終わっている。

再記述の目的は、これまで何度も繰り返し語られている「神様を礼拝したものは祝福され、ないがしろにしたものは滅びる」という原則を伝えるため。礼拝することの大切さ、礼拝を失ったがために起こった悲劇、それをイスラエルの歴史を辿りつつ語り、礼拝を中心としてイスラエルの歴史観国家観、存在意義があることを謳いあげて旧約聖書(タナハ)は幕を閉じる。

それと、実に興味深いことに、本書にはイエス・キリストの初臨と再臨に関する貴重な情報が秘められていた。聖書66巻はすべてイエス様を映し出している。一人一人(一巻一巻)のインタビューを通し、よりはっきりと間近にイエス様が見えてくる。一巻として、一語として無駄はない。本書冒頭の9章に及ぶ系図の羅列ですら、祭司の視点では大切な内容であり、神様の視点では更に深い意味があるのだ。天国に行ったらすべてはわかる。が、その前に少しでもイエス様に近付きたい、神様の視点を知りたい、その熱い思いを持つ時、必ず神様が語ってくださることがある。預言者の視点と祭司の視点、それらすべてを包括する神様の視点を歴代誌の中に見つけてみようではないか。すべての答えは聖書にある。(Report by Mu )

    


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「KINGS II」30分de一巻 Vol-12

2016年12月11日 | Good News
本書は、エリヤが活躍した時代から、北王国がアッシリアに、南王国がバビロンに滅ぼされる迄の約250年間(BC850〜600年)の歴史で、聖書全体から見ても非常にエピソードが豊富な書巻である。しかし大切なことは、やっと400年間の奴隷生活から解放され、神の約束の地にやっと辿り着き、イスラエル国家をやっと創設したのもつかの間、国は二つに分裂し、今度はバビロンの奴隷にされてしまう所で本書が終わっている事である。私達はこのようなイスラエルの歴史の背後にある霊的教訓を学び、それを私達の人生に適応させることが必要である。

イスラエルの歴史において、神の奇跡が頻繁に起きた時代は大きく3つの期間に限られる。1つはモーセが活躍した出エジプトの時代、2つ目はエリア・エリシャが戦ったこの列王記の時代。そしてイエス・キリストの時代である。その目的を一言で言えば、“偶像礼拝と戦い”である。

神はこの時代に、民を悔い改めに導くさために、預言者を派遣された。その北王国 代表が、エリヤとエリシャであり、南王国がイザヤとエレミアである。彼らに託されたメッセージは、“神に従えば国は栄え、神に反すれば国は滅びる。外国に頼るのではなく主に信頼せよ”特にこの時代に、イザヤによってキリストの十字架の救いと、エレミアによってキリストによる新しい契約(福音)の預言がされた事は特筆される。 

また、エリシャが行なった10の奇跡の内、4章42-44節に記されている“パンの奇跡”は、4つの福音書全ての登場する“5千人の給食”の奇跡のモデルであり、“ナアマンの癒しの奇蹟”は、異邦人であっても、神の前にへりくだり、御言葉に従順に従えば、救われるという、キリストの福音の原則につながる奇跡である。

      

彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。(23章25節)

ヨシアは、ソロモン以降の王様の中で、神から最大級の賛辞を与えられている王である。ところが彼は、何の意味もない戦いで、非業の死後を遂げてしまう。このように、私達の人生には、この世の知恵ではどうにも理解不能で、計り知る事が出来ない事が起きて来る。ただ、神の目的は、一人でも多くの魂の救いであって、それの計画遂行のために、私達が神にどのような形で用いられるのか?それは神にしか分からない。

神を愛する者達、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私達は知っています。(ローマ8章28節)  

「共に」とは、「神の計画に従って召された者たち」が、「神の計画に従って召された者たち」のために働く。つまり、他の誰かの救いのために、自分の人生が用いられる。それが、「万事相働きて益と成す」という意味なのである。

従って、一見無謀に思えるヨシアの死も、実は神の計画の一部として、民全体の救いの為に用いられた。何故、ヨシアの死を早める必要があったのか?それは私達には分からない。しかし、大切なことは、自分の頭で納得出来るか・出来ないかではなく、神の計画は必ず時に叶って成就するのだという事を知り、神の愛と正義に信頼する者として、その事実を謙虚に受け止める事にある。

神の視点による歴史的・時間的スパン。私達にはその時は分からないが、時が来て、歴史の点と点が結ばれた時、そこにイスラエルの歴史の経過全般にわたって、人々を悔い改めさせ、祝福に導くために神が働かれていた意図を知ることが出来る。イスラエルの民を悔い改めと救いに導こうとしておられる神と、それを必死で阻止しようとするサタンとの霊的戦い。今、その戦いが、終末時代に向け、佳境に入って来ているのである。




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トルストイの人生の十訓

2016年12月05日 | Good News
1). 働くために時間を作りなさい。それは成功の代価です

2). 考えるために時間を作りなさい。それは能力の源です

3). 運動するために時間を作りなさい。それは絶えず若さを維持する秘訣です

4). 読書するために時間を作りなさい。それは知恵の源です

5). 親切をするために時間を作りなさい。それは幸せへの近道です

6). 夢を見るために時間を作りなさい。それは希望を抱くことです

7). 愛し、愛されるために時間を作りなさい。それは救われた者の特権です

8). 周囲を見る時間を作りなさい。自分勝手に生きるには短すぎる一日です

9). 笑うために時間を作りなさい。それは魂の音楽です

10). 祈るために時間を作りなさい。それは人生の永遠の投資です
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