かつてのアメリカ社会では、一般的に子育てには聖書が使われていた。ところがある時期から、「子供達を特定の権威に定めることなく、子供たち一人一人の特性に合わせて、好きなものを選ばせて勉強させればいい」という考え方が出て来た。確かにこの方法は個性を伸ばすという良い面もあったのだが、結果的に自分が楽しくなければ何もしない子供ばかりになり、全ての物事に対する判断基準が好き嫌い、自分に合う合わないという、感情・感覚の枠を超えることが出来ず、自己主張ばかりが巧みで、協調性に乏しい人間を増産するに至った。
数年間に行なわれた6カ国(日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、韓国、タイ)における“家庭教育に関する国際比較調査”の結果によると、子供の躾に対して最も甘く、特に男の子に対する躾の甘さが見られたのが日本で。子供の成長に対する満足感が、最も少なかった国も日本であった。米キャラップ調査においては、自分が存在している意味が分からないと答えた子供は、アメリカでは全体の22%、日本は何と85%、その問題に対して、何か模索している、努力している子供はアメリカ76%、日本13%。つまり、この数字を見る限り、教育事情において、日本はアメリカよりも深刻な問題を抱えているのだある。
このような現代に蔓延する様々な社会問題、特に青少年の犯罪や、麻薬、性的乱れなどの源は、“家庭における父親の権威喪失にある”と、多くの社会心理学者たちは結論付けている。エペソ6章1〜4節の御言葉は、家庭内における父親の権威の存在が前提となっており、それがなければ成り立たないように、現代社会の混乱は、人が最初に従うべき、社会ルールである父親の権威をないがしろにして来た結果であり、これが日本宣教を停滞させている元凶の一つなのである。
社会には秩序というものがあり、自分が従うべき規則や権威があるのだという事を教えるのは、学校ではなく、家庭なのだ。つまり、家庭における監督は母親だが、 永遠に変わらない真理を聖書を通して、何が正しいことで、何が正しくないことなのかという、人生における基本的な土台を、実際の手本となって子供たちに教えるのは父親の責任なのだ。
父親は決して自分本位の人生観や、自分の限られた体験による価値観、狭い了見による独断、ましてや理不尽な権威の行使を、子供を押し付けてはいけない。真の父親の権威とは、神の権威の上に立った“聖書の権威”によって、子供を教え育てるということ。このキャノン(聖典)がなければ、時代によって、国によって、時の権力によって、絶えず流動的になってしまう。子供に対する躾は御言葉がベースになければならない。ここが、世の中の父親と、クリスチャンの父親との大きな違いである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c9/05fa03dfb7da1601b16f4d0223d7ae28.jpg)
人生に立ちはだか様々な苦難に対して、失望することなく、諦めることなく、希望を持ち続けるために、自分の力ではどうしようもできない人生の問題について神に祈り求める。そういった祈りに対する姿勢は何としても子供の頃から、教えておかなければならない。子供というものは、神の前にへりくだって祈る親の姿を子供が見て、「宗教は弱い人間がすることだ!」とは思わない。そういった親の真剣さ・謙遜さの中に、親としての「強さ・頼もしさ」を発見しながら、親の存在を自分の内に形作っていく様になるのである。
キリストを信じることが、自分を信じ、夫を信じ、妻を信じることにつながり、キリストから赦されたという深い体験が、自分を赦し、配偶者を赦し、子供を赦すことへとつながるように、親にとって子供に対して最も大切なことは、子供を信じてあげること。このキリストにある愛と赦しを共有している家庭から、引きこもりやいじめが発生することは決してない。何故なら?そこに真理があり、その真理の中に聖霊の力が働くからである。霊に満たされた家族、教会こそが、神の御国建設の原動力となるのである。ハレルヤ!!
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数年間に行なわれた6カ国(日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、韓国、タイ)における“家庭教育に関する国際比較調査”の結果によると、子供の躾に対して最も甘く、特に男の子に対する躾の甘さが見られたのが日本で。子供の成長に対する満足感が、最も少なかった国も日本であった。米キャラップ調査においては、自分が存在している意味が分からないと答えた子供は、アメリカでは全体の22%、日本は何と85%、その問題に対して、何か模索している、努力している子供はアメリカ76%、日本13%。つまり、この数字を見る限り、教育事情において、日本はアメリカよりも深刻な問題を抱えているのだある。
このような現代に蔓延する様々な社会問題、特に青少年の犯罪や、麻薬、性的乱れなどの源は、“家庭における父親の権威喪失にある”と、多くの社会心理学者たちは結論付けている。エペソ6章1〜4節の御言葉は、家庭内における父親の権威の存在が前提となっており、それがなければ成り立たないように、現代社会の混乱は、人が最初に従うべき、社会ルールである父親の権威をないがしろにして来た結果であり、これが日本宣教を停滞させている元凶の一つなのである。
社会には秩序というものがあり、自分が従うべき規則や権威があるのだという事を教えるのは、学校ではなく、家庭なのだ。つまり、家庭における監督は母親だが、 永遠に変わらない真理を聖書を通して、何が正しいことで、何が正しくないことなのかという、人生における基本的な土台を、実際の手本となって子供たちに教えるのは父親の責任なのだ。
父親は決して自分本位の人生観や、自分の限られた体験による価値観、狭い了見による独断、ましてや理不尽な権威の行使を、子供を押し付けてはいけない。真の父親の権威とは、神の権威の上に立った“聖書の権威”によって、子供を教え育てるということ。このキャノン(聖典)がなければ、時代によって、国によって、時の権力によって、絶えず流動的になってしまう。子供に対する躾は御言葉がベースになければならない。ここが、世の中の父親と、クリスチャンの父親との大きな違いである。
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人生に立ちはだか様々な苦難に対して、失望することなく、諦めることなく、希望を持ち続けるために、自分の力ではどうしようもできない人生の問題について神に祈り求める。そういった祈りに対する姿勢は何としても子供の頃から、教えておかなければならない。子供というものは、神の前にへりくだって祈る親の姿を子供が見て、「宗教は弱い人間がすることだ!」とは思わない。そういった親の真剣さ・謙遜さの中に、親としての「強さ・頼もしさ」を発見しながら、親の存在を自分の内に形作っていく様になるのである。
キリストを信じることが、自分を信じ、夫を信じ、妻を信じることにつながり、キリストから赦されたという深い体験が、自分を赦し、配偶者を赦し、子供を赦すことへとつながるように、親にとって子供に対して最も大切なことは、子供を信じてあげること。このキリストにある愛と赦しを共有している家庭から、引きこもりやいじめが発生することは決してない。何故なら?そこに真理があり、その真理の中に聖霊の力が働くからである。霊に満たされた家族、教会こそが、神の御国建設の原動力となるのである。ハレルヤ!!
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