Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

父親復活!

2016年06月26日 | Good News
かつてのアメリカ社会では、一般的に子育てには聖書が使われていた。ところがある時期から、「子供達を特定の権威に定めることなく、子供たち一人一人の特性に合わせて、好きなものを選ばせて勉強させればいい」という考え方が出て来た。確かにこの方法は個性を伸ばすという良い面もあったのだが、結果的に自分が楽しくなければ何もしない子供ばかりになり、全ての物事に対する判断基準が好き嫌い、自分に合う合わないという、感情・感覚の枠を超えることが出来ず、自己主張ばかりが巧みで、協調性に乏しい人間を増産するに至った。

数年間に行なわれた6カ国(日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、韓国、タイ)における“家庭教育に関する国際比較調査”の結果によると、子供の躾に対して最も甘く、特に男の子に対する躾の甘さが見られたのが日本で。子供の成長に対する満足感が、最も少なかった国も日本であった。米キャラップ調査においては、自分が存在している意味が分からないと答えた子供は、アメリカでは全体の22%、日本は何と85%、その問題に対して、何か模索している、努力している子供はアメリカ76%、日本13%。つまり、この数字を見る限り、教育事情において、日本はアメリカよりも深刻な問題を抱えているのだある。

このような現代に蔓延する様々な社会問題、特に青少年の犯罪や、麻薬、性的乱れなどの源は、“家庭における父親の権威喪失にある”と、多くの社会心理学者たちは結論付けている。エペソ6章1〜4節の御言葉は、家庭内における父親の権威の存在が前提となっており、それがなければ成り立たないように、現代社会の混乱は、人が最初に従うべき、社会ルールである父親の権威をないがしろにして来た結果であり、これが日本宣教を停滞させている元凶の一つなのである。

社会には秩序というものがあり、自分が従うべき規則や権威があるのだという事を教えるのは、学校ではなく、家庭なのだ。つまり、家庭における監督は母親だが、 永遠に変わらない真理を聖書を通して、何が正しいことで、何が正しくないことなのかという、人生における基本的な土台を、実際の手本となって子供たちに教えるのは父親の責任なのだ。

父親は決して自分本位の人生観や、自分の限られた体験による価値観、狭い了見による独断、ましてや理不尽な権威の行使を、子供を押し付けてはいけない。真の父親の権威とは、神の権威の上に立った“聖書の権威”によって、子供を教え育てるということ。このキャノン(聖典)がなければ、時代によって、国によって、時の権力によって、絶えず流動的になってしまう。子供に対する躾は御言葉がベースになければならない。ここが、世の中の父親と、クリスチャンの父親との大きな違いである。



人生に立ちはだか様々な苦難に対して、失望することなく、諦めることなく、希望を持ち続けるために、自分の力ではどうしようもできない人生の問題について神に祈り求める。そういった祈りに対する姿勢は何としても子供の頃から、教えておかなければならない。子供というものは、神の前にへりくだって祈る親の姿を子供が見て、「宗教は弱い人間がすることだ!」とは思わない。そういった親の真剣さ・謙遜さの中に、親としての「強さ・頼もしさ」を発見しながら、親の存在を自分の内に形作っていく様になるのである。

キリストを信じることが、自分を信じ、夫を信じ、妻を信じることにつながり、キリストから赦されたという深い体験が、自分を赦し、配偶者を赦し、子供を赦すことへとつながるように、親にとって子供に対して最も大切なことは、子供を信じてあげること。このキリストにある愛と赦しを共有している家庭から、引きこもりやいじめが発生することは決してない。何故なら?そこに真理があり、その真理の中に聖霊の力が働くからである。霊に満たされた家族、教会こそが、神の御国建設の原動力となるのである。ハレルヤ!!




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復讐するは我にあり

2016年06月15日 | Good News
人は誰しも間違いを犯す。日本も、ドイツも、アメリカも実に大きな間違いを犯した。しかし、間違いは間違いであると言うことを認めなければ、人は悔い改めようがなく、悔い改めがなければ、人はまた同じ間違いを繰り返す。そういった人類の歩みを典型的に現しているのが、旧約聖書に記されたイスラエルの歴史である。

人はこの世に生きている限り、憤りと悲しみに溺れそうになる。傷付き、誤解され、事実が明らかにされないまま、世間や人から勝手な事を言われ、中傷され続けたまま人生を終えるなど、何と哀しく、空しいことだろう。もし、この世がこの世限りのものだったとすれば、世の中は弱肉強食、敗者・弱者は消え行くのみ。正に「勝てば官軍」がこの世の現実である。

しかし、この世を創造された神はそのような事は言っていない。聖書はギリシア神話のような絵空事でも、キリスト教と言う宗教の経典でも、品行方正を進める道徳の本でもない。メチャクチャにリアルでおどろおどろしい、人間の争いの歴史という現実の中で、いったい人はどうやって生きて行けば良いのか?という事がテーマなのだ。

聖書にはこの世で起きた全ての出来事は、いつか必ず神の前に明らかにされ、人はその行いに応じて裁かれる。(黙示20:12)とある。だから、「復讐するは我にあり、我これに報いん。(ローマ12:19)」と。聖書の言葉は真実である。いくら憤りがあっても、復讐は自分でしてはいけない。裁きは、絶対的愛であり、絶対的義である神に信頼し、お任せすべきなのだ。

私達は、世の中の偏狭、偏見、嘘、欺瞞、恐れから、縛られたままであっていけない。クリスチャンは神にあって自由な存在なのだ。全ての怒りと哀しみを背負って十字架に架かられたイエス・キリストを仰ぎ、その救いの故に、解放されよう!この十字架の前で明らかにされないものは何一つないからである。ハレルヤ!!




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What Would Jesus Do?

2016年06月02日 | Good News
主にあって喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい!

「喜びの手紙」と言われているピリピ書。この手紙を書いた晩年のパウロは、波乱の伝道生涯を引退し、 エルサレム教会からもらった退職金で地中海沿いに家を買い、年金でゆうゆう自適の生活をしながら「あぁ、何と幸せ!」と言って書いた書簡・・・ではない!

実はこの手紙は、彼がロ-マの牢獄中で書いた「獄中書簡」なのである。

人は、「さあ喜びなさい!」と言われて、「分かりました、喜びます」とは行かない。

人が本当に喜ぶためには、喜べるだけの理由が必要なのだ。

鎖につながれ、明日の命をも知れぬ身でありならがら、何故パウロは喜んでいられたのか?その理由・根拠は何処にあるのか?私達が知りたいのはそこである。

パウロは基本的に献金・献品の類いは受け取らなかったが、唯一、ピリピ教会からの支援だけは受け取っていた。

この手紙はパウロが伝道旅行中にエペソで投獄された時、牢獄に差し入れをしてくれたことに対する感謝の手紙・礼状なのである。自分が一番苦しい時に励まし、助けてくれてたピリピの人達に対するごくパーソナルな親愛が込められた手紙、それが本書の特徴である。

パウロは、このピリピ教会の人達に対して真心から喜び、感謝すると共に、親愛なる愛をもって、「心を合わせて思いを一つにしなさい」と記した。互いの主義主張を棄て、「キリストと同じ思いになりなさい」。これがこの手紙の主旨である。

教会生活における“喜び”とは、互いの霊による一致によってのみ、可能となる。そのために必要なことが二つある。

自分の救いを達成しなさい。(2:12)

この御言葉は、未だ救われていないのだから、救われなさい!という意味ではなく、私達が救われた後、私達はその日々の生活の中で、神様が喜ばれる方の行動を自分の意志で選択し続ける必要がある。

キリストと共に生きる生活。それが、キリストと似た者となるという意味である。従って、どんな時でも何か選択に迷った時は、「WWJDWhat Would Jesus Do?もしイエス様なら、どうされるだろう?

これが私達クリスチャンに共通した人生の指針・目標である。であるなら、そこには差別、憎し、哀しが入り込む隙間などない。その意味においてクリスチャンは一致することが出来るのである。

あなた方の内に働いて、御心のままに望ませ、行なわせておられるのは神であるからです。(2:13)
 
神は私達の内(霊の中)に、神ご自身の願いを置かれると言われている。

例えば「あの人に救われて欲しい!」とあなたがその人に対して強く願うようになった時、それは神があなたの心(霊)に、神ご自身の願いを置かれたという事。福音伝道とは、あなたという器を通して、その人を救おうとしておられる「神の働き」なのだ。

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。(使徒16:31)

実はこの有名な御言葉も、ピリピでパウロが牢獄の中で語った言葉である。おそらく彼はこう考えていた。

「今の状況は、自分達の力(知力・体力・コネ・お金)ではどうしようも出来ない。であるなら、後は神に任せるしかないではないか。神は最善しかなさらないお方なのだから、どのような事になろうが、最終的には大丈夫。もし、ここで自分の人生が終わるのならばそれもよし!それが神の御旨なのであれば、最後は神への賛美で締めくくろうじゃないか!」

と、讃美していた時、大地震が起きたのだ。すると何と牢獄の扉が開き、つながれていた鎖が外れた!その奇跡によっていきなり立場が逆転し、今度は自分が船底一枚下地獄の状態に放り込まれた看守が、藁をも掴む思いでパウロに「どうしたら助かるんですか?」と助けを求めたことに対して、パウロが語ったのが、使徒16章31節の言葉なのである。

一点の曇りもないパウロ達の言動を見ていた看守は、「彼らは何かが違う。彼らが信じている神は本物だ!」直感的に知ることが出来たのだろう。人間生きるか死ぬかの際は、見栄も、嘘も、建前も、一切通用しないからである。

人生の大地震に直面しても尚、私達を守り、強め、励まし、支えとなり続けるものとは何なのか?

どのような苦難の中にあっても私達を守り、導いてくださるのは、私達の主・イエス・キリスト!イエスの心を自分の心とし、JCと共に歩む時、私達は、

よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって☆のように輝き、命の言葉をしっかり保つのである。 ハレルヤ




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