Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

父の日ランチスペシャル

2008年06月17日 | Good News
主にある愛する姉妹へ

 主の御名を賛美いたします! 昨日の“GNS初ポットラックランチョン、父の日スペシャル”は皆さんの愛と真心に溢れるお料理の数々で、素晴らしい時を過ごすことができました。お一人お一人が父なる神様に真心を差し上げる喜びを知り、神様にも喜んでいただき、同時に教会の皆で共に「パンを割く」交わりができたことを、神様に感謝します。

 いろいろな方法で、憩いの時を持ちたいと願っています。そこで得られる感謝、喜び、仕える心が神様にきっと喜ばれると思うのです。どうぞ、一緒にお祈りください。そして、お一人お一人の考え、アイディアをぜひ知らせてください。先週、先々週のメッセージにあったアビガイルのように、賢く考え、行動できる女性に磨かれるのは、教会であればこそ。それを建て上げるのは、皆さんの思いからだと思います。また、皆さんと一緒に過ごす楽しい聖日を心待ちにしています

主に在りて (睦美


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☆Good News Sendai

2008年06月15日 | Good News
仙台の恭子さんからお便りがありました。仙台の北方にある鳴子という温泉に行かれてたとき、ちょうど地震に遭われたそうです。番台のおばさんは「タオルを巻いてから出てください!!」と叫ぶは、そばにいたおばあちゃんは腰を抜かしちゃうわで、一時はパニックだったそうですが、幸い大事には至りませんでした。その日の夕方のニュースで、当日朝7時頃に通った道路が崩れていた様子が報道されていた!! いや~神様に守られましたよね。「本当に良かったぁ!!」 と、美鈴さんと胸をなでおろしたところです。(私たちには神様から託された仕事が沢山残っていますからね)

 さて、恭子さんから写真が届きましたので、皆さんにご紹介します。仙台におられる愛する兄弟姉妹のみなさんです。主の恵みによって今月の18日から、恭子さん、大塚さん、岸上さんの3人で、エマオの一室を借りて教会をはじめられることになりました。どうぞ皆さんそのことをおぼえてお祈りください!(田中

 
(長瀬さんご夫婦/仙台市内の病院にて)         (左から伊藤さん、大塚さん、田中牧師)


(左から大塚さん、佐久間牧師、恭子さん、庄司さん/集会後、レストランにて)




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メールをありがとうございました。

2008年06月14日 | Good News
田中啓介先生
   美鈴先生

主の御名を賛美いたします。

あたたかいお便り、ありがとうございました。先生ご夫妻のお働きを覚えて、いつも祈らせていただいております。

米沢もだいぶ揺れましたが、被害もなく、また、教会の関係者も守られました。
メールにどれほど慰めを得たか、測り知れません。

尊い恩愛に感謝しつつ・・・。

米沢興譲教会
田中信生・芳子
スタッフ一同
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お祈りありがとうございました

2008年06月12日 | Good News
主にある愛するみなさま

主の御名を心から賛美申し上げます。

みなさまいかがお過ごしでしょうか?
早いもので、日本から帰国して2週間がすぎました。
帰国の際、一緒に来た、母も2週間の滞在を満喫し、
昨日、アメリカ時間の朝7時半頃、無事、埼玉の自宅に到着しました。

出発の際、飛行機が4時間も遅れ、どうなることかと心配をしておりましたが、
神様が守ってくださいました。感謝です。
母のLA滞在中は、みなさまとのよき交わりを通し、良いひとときをすごしたと、同時に
神様の愛に触れたのではないかと実感しています。
母の救いの一歩となっていることを確信しております。
みなさまの温かいお心遣いとお祈りを心から感謝します。
ありがとうございます。

驚いたことに、いつも、「物覚えが悪いし、すぐ、忘れるし…」と言っている母が、
帰り際、みなさんの名前をお一人、お一人、言い、ありがとう共にくれぐれもよろしくお伝えください
と言っておりました。このことからも、母にとって深く心に残る良き旅だったと思います。

本当にありがとうございました。
また、これからもよろしくお願いします。
みなさまの祝福をお祈りつつご報告とお礼まで。(田中美鈴)

〔写真:ロングビーチの海岸にて〕
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ABC Special! (6/03/08)

2008年06月03日 | Good News
 


6月のABCは、ひと月空いての田中牧師のメッセージを皆が楽しみに集まりました。今回は特別ゲストでミミ先生のお母様もいらしてくださって感謝でした。ミミ先生、今回も子供達を安全に楽しく遊んで、教え導いてくださって、ありがとうございました!!

今回のテーマは、『仏教って何?』 以下、レビューです♪
 これを書くために必死でメモろうと思っていたんですけど、難しい言葉ばかりで、漢字がかけず・・・。そんなわけで、大枠だけ、私なりにまとめてみました。また付け加えたいこと、気になったことなどあったら、みなさんメールくださいネ!

日本人の宗教観

 日本人の生活習慣や精神の根底に根付いている仏教を、私たちはどの程度理解しているでしょう? 先月読売新聞が行った日本人の意識調査によると、日本人は死んだ人の魂についてどう考えているのかというと、「輪廻転生(死んだら生まれ変わる)」するが30%で最も多く、「別の世界に行く」が24%、「消滅する」が18%。8割以上の日本人は祈ることは良い事だと考えていますが、では、あなたは信仰を持っていますか?と聞くと、ほとんどの人がNoと答えるのです。

「分け上る峠の道は多けれど、同じ高嶺の月を見し哉・・・」 つまり、人にはそれぞれ考え方の違い、価値観、タイプがあるように、一つだけに決め付けることなく、その人にあった宗教をすれば良い。これが、日本人が持っている基本的な宗教観です。でも、その考えは本当に正しいのでしょうか?

 確かにどの宗教も、その教え自体は、どれもよいことを教えています。それは目に見える、図れるところ(社会性、倫理)では、ほぼ同じなのですが、実は目に見えない根っこにあたる部分、宗教性(土台)が全く違う。その宗教の土台となる宗教性が最も大切なのです。なぜなら この土台こそが教えの土台、理由、『何故ならば・・・』の答えとなるからです。

 例えば、キリスト教も仏教も『殺生』を固く禁じています。その教え自体は同じですが、問題は、『どうして殺生がいけないのか?』ということなのです。その理由は、キリスト教では、どんな人でも、その人は神の目から見たら大切な神の愛する存在だからです。(神主体)一方、仏教では、殺人をすると成仏することが出来ない、つまりあなたの徳にならない。だから殺してはいけないと教えているのです。(人間主体)実はどの宗教にも、そのような根本的な土台の違いがあるのです。
 
仏教の教えとは?

 さてさて、皆さんはこの仏教の教理についてどのくらい知っておられますか?? ← 私はほとんど分かっていませんでしたわ  仏教の教祖はお釈迦様です。(彼はネパール人、釈迦族の王子でした)王宮に住んでいた彼は、あるとき幻を見ます。そこで彼は、『生老病死』生きることは人間として逃げられない苦しみだと悟ります。そして・・・

*愛別離苦:愛する人との別れの苦しみ
*怨憎会苦:怨み憎む人と出会う苦しみ
*求不得苦:求めるものが得られない苦しみ
*五陰盛苦:肉体を持つ故の、精神的、肉体的苦しみ

 ちなみに『四苦八苦』は、この仏陀の教えからうまれた熟語です。そして仏陀は、この苦しみを乗り越えるためには、自分が無になること、空になることだと悟ります。無になることとは、自分をなくすこと、厳しい修行を積んで、自分の欲をなくすことであるというのです。 自分がなくなれば、愛する人を失っても悲しくないし、自分がなければ、憎むことも、怪我の痛みもないというのです。そこまでの悟りが開けたら、涅槃(ネハン)という領域へ私たちの霊はいけるのだと。

 では、私たち人間は死後どうなるのでしょうか。仏教の教理では、穢土(エド)浄土(ジョウド)涅槃(ネハン)と段階があると教えています。
 
第一ステップ:穢土
  穢土は、6つの段階(①天界 ②人間界 ③修羅界 ④畜生界 ⑤飢餓界 ⑥地獄)に分けられていて、これを『六道輪廻』と言います。これらはすべて生きているときの私たち人間の生き方、行いによって行き先が決まってしまいます。

 しかし、最後の望みとして、『追善供養』というものがあります。これは、残された遺族が、死者のために行う善行、つまりお祈りやお布施をすることによって、死後の霊の位アップをかけての行為です。

 人が亡くなるとその日のうちに通夜を行います。そして、初七日、から7日ごとに7回、お経を唱えて、49日で終了。人は死んだ後、7日ごとに7回裁判を受けなけかればならず、最後の7回目、つまり49日目の裁判で、六道輪廻のいずれかの世界に行くことが決定します。その死んだ人の裁判が、少しでも有利に運ぶようにお経を唱える。これが『追善供養』の意味です。

 しかし、この追善供養によってどのくらいのステップアップ効果があるのかは誰にも分かりません。また、追善供養は天界と地獄行きの人には、効用がありません。いくらお経を唱えても、お線香を上げても、地獄行きの人は、どうしようもないのです。ちなみに、閻魔(エンマ)様って聞いたことがあるでしょ、これは5回目裁判に登場する裁判官が、エンマ様なのだそうです。

 ここで重要なこと(仏教にとって)は、追善供養は必ず裁判が行われる7日ごとでないと、効用はないということ。そして、49日が終わり、判決が決まった後の供養は、どのような方法も効力はないということです。つまり、仏教の教えによると、一周忌、三回忌、七回忌といった法事の行事は、亡くなった人の救いには全く効果はなく、それはお坊さんのため(収入のため??}に行うものであり(経典にそう書いてある!?!)、つまり、法事(つまり49日以降)などで、いくら偉いお坊さんにお経を上げてもらっても、いくらお布施をしても、故人にとっては全く意味はないのです

死んだらどんな世界に行くのか?

 繰り返しになりますが、生きている間に、どのような良い事をしたのか、悪いことをしたのかですべてが決まります。自分でしたことはすべて自分に帰ってくる 『自業自得』が仏教の基本的考えとなります。  
 
第二ステップ:浄土(極楽)
 極楽といいますと、天国?最終目的地に感じられますが、そうではありません。この世界でも『無』『空』になるための修行を積まなければなりません。人間の最終目的は、修行を積んで涅槃(ネハン)へ行くことです。

第三ステップ:涅槃(無・空の世界)
 ここに到達するには、言語を絶する厳しい修行が必要です。自分の存在を無にすることだからです。ですから、仏様という存在は、この世にもあの世にも存在しません。存在がなくなった人のことを、仏と言うからです。
 
 以上がおおまかな仏教における死後観なのですが、人間は欲のある弱いものです。天国も地獄もあなた次第!といわれて、「まずいっ!!」と思わない人はいないはず。そこで、その苦肉の策として登場したのが、『縁日』です。皆さんもよくご存知ですよね。夏になると浴衣なんかを着て、お寺でおまいりするお祭りのことです。この縁日の由来と言うか、本当の目的は、縁日に参加すると、何と一回のお参りで、127年分(!!)かのお祈りの効果が得ることが出来、その分、自分の悪い行いを帳消しにすることができるそうです。どんなに悪いことをしても、縁日でカバーできるという画期的システム!! (このあたり、かなり場が盛り上がりました

お坊さん修行は厳し過ぎ!? 

 お坊さんはとても厳しい規制のなかで生活をします。涅槃へ行くためです。正統派(?)のお坊さんは、決して結婚どころか、女性に触ってもいけない。お肉など絶対に食べてはいけない(殺生になるから)。絶対禁酒。殺してはいけないのは、人や動物は勿論、どんな虫もいけません。昔は雨が降るとお坊さんは外出しなかったそうです。ナメクジを踏んではいけないから・・・。
 
 でも実際のお坊さんは、結婚してるし、お肉も食べるし、お酒も飲む。昔お寺で修行していたお坊さんは、たまには肉を食べたいと思いました。「ウサギは跳ねる・・・そうか、ウサギは動物じゃくてトリなんだ!だから、ウサギは食べていいノダ!」(仏教ではトリと魚は食用が許されていた)ウサギが一匹ではなく、一羽と数えるのはそこから来ていた!! お坊さんが飲んでいるのはお酒ではなく、般若湯(はんにゃとう)と言うのだそうです(名前を変えて飲んでいるぅ・・・。)仏教の現実は正に『嘘も方便』の世界なのです・・・。  

仏教では女性は成仏出来ない!!

 何と女性は、第二ステップである浄土へは行けない!!という衝撃的事実が発覚 それでは、どうしたら女性は極楽浄土へ行けるのか?? それは、一度死んで、もう一度人間界に男に生まれ変わってから修行を積んで、やっと浄土に行けるかも知れない資格がもらえるのです。つまり、尼さんたちは、来世、人間の男に生まれ変わることを目的に厳しい修行をしておられるのです。。。。
 
位牌は仏教の教えとは何の関係もない!!

 位牌は、もともと中国の儒教から来ているもので、一文字一文字が、その人が生前に行った功績を表しているのだそうです。しかし、仏教との関連は全くなく、位牌が表す権威や字数が、死後に影響することなどは全くありません。それなのに、位牌の漢字一文字は、何十万、何百万円の世界です。ちなみに今はインターネットで位牌を買うことが出来、しかもディスカウトまで付いているそうです!!(こういう話になると、とたんに場が盛り上がる!!

浄土信仰は景教(中国にわたったキリスト教)が土台

 お釈迦様の教えは、この世における苦しみからの解放であり、死ぬまでの修行を悟り導く実践哲学と言えるもので、その教えには人が死んだら極楽に行くなどということは、どこにもありません。実はこの浄土思想は、中国から来ました。この極楽浄土の教えを日本に持ってきたのは、日本で真言宗を開いた空海というお坊さんです。彼は中国へ遣唐使として留学した際に景教と出会い、極楽の存在を日本に伝えたのです。

 景教とは、カソリックから異端の烙印を押されて、迫害によって中国にわたってきたネストリウス派と呼ばれる教えで、それに中国(チベット)の密教などの影響が加わり、そこから、大日如来が人間のために救い主として到来するという教えに発展したと考えられています。また、「全ての人間は凡夫(罪人)であり、いくら修行をしても自力で救いを得ることは出来ない。救いは御仏の慈悲(神の愛)に頼る以外に方法はない!」と悟ったお坊さん(親鸞)も出てきました。この教えは正にキリスト教にルーツがあることが分かりますよね。

仏教は嘘も方便・キリスト教は動機を問う

 追善供養にしても、縁日にしても、仏教では動機がどうであれ、とにかく行いを重視します。何故、追善供養のお布施や位牌などに法外な値段がつけられているのかと言うと、遺族から少しでもお金を出させることが、故人の供養につながるという教えだからです。一方、キリスト教は行いではなく、いつもその動機が問われます。いくら献金を積んでも、もし、その動機が自己中心的な気持ちから来たものならば、神様はそれを返り見られることはないのです。皆さんはどちらが本当だと思われますか?

全くまとまりのないレビューになってしまいましたが、足りないところ、感想、質問など、どうぞ皆さんメールしてくださいネ。お待ちしています!!(Ako


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