今や日本は『超高齢化社会』。65歳以上の人口が7%以上を占めると、高齢化社会と呼ばれるが、その3倍、つまり人口の21%以上が65歳以上になると、超高齢化社会となる。現在、日本では65歳以上の比率はおよそ25%。米国の13%、韓国の11%、中国の8%と比較しても、格段に高い比率となっており、このままでは15年を待たずして、全国民の3人に1人が65歳以上の高齢者になる予測だ。
このような状態にあって、人生の終わりに向けての最終活動、『終活』は、今や『婚活』や『就活」以上の重要な課題だ。ちなみに世間が提唱する『終活』には、以下の4つを‟つける”ことを奨励している。
①日々健康に気を‟つける”
②年金や社会保障に関する知識を‟つける”
③エンディングノート(遺言)を‟つける”
④お葬式、お墓の用意を‟つける”
確かにこれ等は大切なことではあるが、人生の最終章を迎えるにあたって、もっともっと大切なことがある。日本では、この情報が絶対的に欠けている。それが『福音』という情報である。
聖書には復活の章と呼ばれる部分がある。第一コリント人への手紙15章だ。神様の啓示によってこの書を書いたパウロは、ここで繰り返し繰り返し『福音』と『復活』の言葉を用いて断言する。復活がなければ、宣教も信仰も無駄だなのだ、と。彼が強調している『福音』と『復活』が、全人類が生きるために、そして死を迎える前に必ず知るべき、最も重要な情報なのだ。
クリスチャンとは、一般的には「イエスの教えを信じている人」と思われているが、実はそうではない。もしそうであれば、キリスト教も、“何か”を信じている一宗教と変わらないことになる。クリスチャンとは、「私のために十字架につき、そして三日後に復活され、今も生きておられるイエスと共に生きている人々」のことなのである。これは似ているようで、全く違う。『復活』がなければ、クリスチャンである意味はない。
さて、人生の苦難数あれど、最大の苦難は「死」である。世の中のあらゆる哲学、宗教、芸術、思想は、死への克服に端を発していると言って過言ではない。確かに死には、すべてのものから切り離す強烈な力がある。死を恐れない人は誰もいない。人間が「死」を恐れる理由は、主に3つある。
死後どうなるかわからない恐れ
愛する人々と別れなければならない恐れ
人生を中断される恐れ
ところが、聖書には死を全く恐れなかったある男が登場する。前述した『福音』と『復活』を繰り返していたパウロと言う人である。彼は牢獄に繋がれ、明日をも知れない身上で書いたフィリピ書の中で、「生きるもよし、死ぬもよし、どちらがよいかわからない!」と大胆に言い放つ。何故彼は死を恐れなかったのか?それは、上記の3つに対する恐れが、キリストの十字架によって既に解決済みだったからである。
教会のシンボルと言えば十字架だが、もし、福音が十字架だけで終わっていたなら、それは『福音』にはならない。イエスが捕えられた時、弟子たちは皆、イエスの前から逃げ出した。そして仲間であることを隠し、暗い部屋に閉じこもり、失意と落胆と恐怖の中にあって震えていた。そんな彼らを180度変えたのは、復活のイエス様に出会ったこと。つまり、復活がなければ、私たちも、部屋に閉じこもって震えていた弟子たちの段階で終わってしまうのである。
十字架と復活はコインの裏表であり、二つ併せて福音だ。その良き知らせ、『福音』とは、『復活』が“教え”ではなく、“事実”であるということ。だから、私たちはイエスが復活された日曜日を祝い、復活の初穂となったキリストに続く者として、新しい命を受け取る。その喜びと希望を、一人でも多くの人々に伝えて行く。それが、私たちクリスチャンの使命である。
私たちクリスチャンの人生は、死によって中断されるものではない。一人一人の人生が全人類救済計画に用いられ行く。それは、たとえ未完であっても、不完全ではないのだ。『復活』が事実であることを告げる『福音』によって、私たち一人一人の存在が、キリストの霊によって、完全に満たされて行く。そして、イエスはもう一度、この地上に再臨され、天の御国が到来する。「マラナタ、復活の主よ、来たりませ!」この希望の祈りこそ、私たちにとっての最も必要且つ、感動的な終活なのである!
今週の教会ご飯/肉じゃが
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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このような状態にあって、人生の終わりに向けての最終活動、『終活』は、今や『婚活』や『就活」以上の重要な課題だ。ちなみに世間が提唱する『終活』には、以下の4つを‟つける”ことを奨励している。
①日々健康に気を‟つける”
②年金や社会保障に関する知識を‟つける”
③エンディングノート(遺言)を‟つける”
④お葬式、お墓の用意を‟つける”
確かにこれ等は大切なことではあるが、人生の最終章を迎えるにあたって、もっともっと大切なことがある。日本では、この情報が絶対的に欠けている。それが『福音』という情報である。
聖書には復活の章と呼ばれる部分がある。第一コリント人への手紙15章だ。神様の啓示によってこの書を書いたパウロは、ここで繰り返し繰り返し『福音』と『復活』の言葉を用いて断言する。復活がなければ、宣教も信仰も無駄だなのだ、と。彼が強調している『福音』と『復活』が、全人類が生きるために、そして死を迎える前に必ず知るべき、最も重要な情報なのだ。
クリスチャンとは、一般的には「イエスの教えを信じている人」と思われているが、実はそうではない。もしそうであれば、キリスト教も、“何か”を信じている一宗教と変わらないことになる。クリスチャンとは、「私のために十字架につき、そして三日後に復活され、今も生きておられるイエスと共に生きている人々」のことなのである。これは似ているようで、全く違う。『復活』がなければ、クリスチャンである意味はない。
さて、人生の苦難数あれど、最大の苦難は「死」である。世の中のあらゆる哲学、宗教、芸術、思想は、死への克服に端を発していると言って過言ではない。確かに死には、すべてのものから切り離す強烈な力がある。死を恐れない人は誰もいない。人間が「死」を恐れる理由は、主に3つある。
死後どうなるかわからない恐れ
愛する人々と別れなければならない恐れ
人生を中断される恐れ
ところが、聖書には死を全く恐れなかったある男が登場する。前述した『福音』と『復活』を繰り返していたパウロと言う人である。彼は牢獄に繋がれ、明日をも知れない身上で書いたフィリピ書の中で、「生きるもよし、死ぬもよし、どちらがよいかわからない!」と大胆に言い放つ。何故彼は死を恐れなかったのか?それは、上記の3つに対する恐れが、キリストの十字架によって既に解決済みだったからである。
教会のシンボルと言えば十字架だが、もし、福音が十字架だけで終わっていたなら、それは『福音』にはならない。イエスが捕えられた時、弟子たちは皆、イエスの前から逃げ出した。そして仲間であることを隠し、暗い部屋に閉じこもり、失意と落胆と恐怖の中にあって震えていた。そんな彼らを180度変えたのは、復活のイエス様に出会ったこと。つまり、復活がなければ、私たちも、部屋に閉じこもって震えていた弟子たちの段階で終わってしまうのである。
十字架と復活はコインの裏表であり、二つ併せて福音だ。その良き知らせ、『福音』とは、『復活』が“教え”ではなく、“事実”であるということ。だから、私たちはイエスが復活された日曜日を祝い、復活の初穂となったキリストに続く者として、新しい命を受け取る。その喜びと希望を、一人でも多くの人々に伝えて行く。それが、私たちクリスチャンの使命である。
私たちクリスチャンの人生は、死によって中断されるものではない。一人一人の人生が全人類救済計画に用いられ行く。それは、たとえ未完であっても、不完全ではないのだ。『復活』が事実であることを告げる『福音』によって、私たち一人一人の存在が、キリストの霊によって、完全に満たされて行く。そして、イエスはもう一度、この地上に再臨され、天の御国が到来する。「マラナタ、復活の主よ、来たりませ!」この希望の祈りこそ、私たちにとっての最も必要且つ、感動的な終活なのである!
今週の教会ご飯/肉じゃが
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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