Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

えんぢぇる in 東京 イースター礼拝のお知らせ

2015年03月30日 | Good News
イースター礼拝のお知らせです。関東地区にお住まいの方は、是非、お会いしましょう

  4月5日 10:30am~ 日曜礼拝 
   梅島ホームチャーチ(渡邊宅)
  東京都足立区中央本町4-6-9
  ☆東武スカイツリーライン 梅島駅下車
  (目標は足立区役所北東側です)

  4月5日 2:00pm~ 日曜礼拝
   南流山オリーブチャーチ
  千葉県流山市南流山 4-5-15-A102
  ☆JR武蔵野線・つくばエキスプレス南流山駅下車(徒歩15分)

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怒り対処法 (ヤコブ 1:19)

2015年03月26日 | Good News


聖書は少年法について何と言っているのか?子供は罪を犯しても許されるのか? 今の世相を反映した質問が牧師に投げかけられる。少年犯罪の相次ぐ昨今、日本では少年法改定、選挙権年齢の引き下げの動きがあり、巷では喧々諤々と議論が交わされている。

18歳未満を「児童」と定義し、その権利を包括的に定めた国際条約によって、児童に死刑は適用されない。日本では、性別を問わず満20歳以上の者が「成年者」と定義されており、それ以下の「少年(未成年者)」には、原則的に刑事処分ではなく、保護更生のための処置、量刑の緩和などの配慮が成されることが「少年法」で定められている。だが、成人とする年齢は、世界的に18~21歳メジャーであり、統計によると18歳が圧倒的に多い。同時に刑法においても18歳以上には死刑が適用されることになる。

この少年法改訂が審議されている中、少年犯罪抑制のための3つの力が挙げられている。日本を代表する法律や犯罪学の権威に対抗し、一民間人牧師えんぢぇるのシニカルな反論がある。

羞恥心:他人の目を気にして止めておこうという意識によって抑制される。
「恥」の意識と「罪」の意識は異なる。罪意識は、人を悔い改めに導く入口になり、改善への姿勢を生む。しかし、知られたくないことを知られてしまった故の恥意識は、まず隠そうとする意識から自分の内側に向けられ、多くは自己防衛から引きこもり、あるいは最悪自殺に発展する可能性が強い。また、恥意識として外側に矛先が向いた場合、家族や社会に対して犯罪に走ることになる。

罰に対する恐れ:処罰の厳格化によって抑制可能。実際に飲酒運転は、厳罰によって半減した。
受刑者に対し、その人が犯した犯罪によって被害者家族や周囲の人、社会の痛みをしっかりと示してわからせる、というプログラムを試したところ、逆に再犯率が高まる結果となった。このプログラムによって、「人をこんなに不幸にした自分が幸せになる価値などない」という意識が最も強く植え付けられたからだ。セルフイメージの否定&破壊は、そのまま否定的破壊的行動に繋がる。劣等感は決して人を立て上げることはない。

絆:家族、友人との絆があれば、犯罪抑制に効果がある。
正論すぎるほどの正論。しかし、正論は役に立たないことが多い。絆とは、何が起きても決して崩れることのない密接な関係のことだ。しかし、震災で全てを一気に失ってしまった人と、第三者的な立場の人との間に、そのような関係が成り立つ事は難しい。確かに絆は、多くの苦難を乗り越えるための原動力となる。しかし、絆は「持て」と言われて、持てるようなことではない。

本来、問題とすべき点は、18歳以上であれ、以下であれ、その犯罪が人間成長における未熟さ故なのか、人格的欠陥の故なのか。対処はそれによって変わるはずである。しかし、犯罪も日常生活における人間関係のトラブルも、その多くの要因は、「怒り」から起こる。今や世界中に怒りが渦巻いている。そしてその渦は、普通の生活を送っているはずの私たちをも巻き込む。頭で分かっていても制御が困難な「怒り」は、私たちが常に対処しなければならない切実な問題である。

怒りの以下の4つに起因している。Hungry(飢餓感)、Anger(怒り)、Tired、(疲れ)、Stress(ストレス)。それぞれの頭文字をとって『HATS』と覚えられる。必要が満たされない時、大切にされていないと感じた時、疲れ果てた時、過大なストレスに、これらマイナスエネルギーが蓄積され、何かの拍子にその導火線に火が付き、爆発する。怒りと悲しみは表裏一体の関係にある。しかし、悲しみ要因は誰も大差ないのに対し、怒りは人によって非常に様々で複雑だ。あの人は何故あんなことで起こっているのか?と感じることは少なくないだろう。というのは、怒りと言うのは二次的感情であり、潜在意識の中に蓄積されたある感情によって二次的に起こるものだからだ。爆発の凄まじさに、しばしば火のついた導火線にばかり注意が注がれるが、実は爆発するのは導火線ではなく、その先のダイナマイトだ。それこそが、怒りの原因である第一次感情である。

例えば、夜遅く帰宅した娘に父親が怒る。「何故、こんなに遅くなったんだ!」この怒りを表した言葉の奥には、娘を心配する心、愛情がある故だ。しかし厳しい言葉で耳に届いたばかりに、娘は反撃。更に言い返して怒りの爆撃応酬となる。こうなると手が付けられない。夫婦でも、友人でも、類似の経験は一度はお持ちだろう。、世の家庭内戦、社会戦争、そして教会内紛争然り、これで怒りを繰り返している。

人生、寂しい、哀しい、辛い、期待はずれ、何で分かってくれないの!?の連続である。だが、それでいちいち爆発していたのでは、いくら体があっても持たない。そういった感情を制御出来るようになるのが、「大人」になると言うこと。何が自分をそうさせるのか?その自分の一次感情を、一度自分に問いかけ、そこを辿ってみると大抵はそこには何か深い根っこがある。その人が何に対して怒るのか?という所に、その人が本来解決すべき問題が潜んでいるのである。

安全な人生を送るための指南書とも言える箴言には、多くの怒りに対しての警鐘となる御言葉がある。

短気な者は愚かなことをする。(箴言14:17)
忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる。(箴言14:29)
穏やかな心は肉体を生かし 激情は骨を腐らせる。 (箴言14:30)
激しやすい人はいさかいを引き起こし 忍耐深い人は争いを鎮める。(箴言15:18)
激しく憤る者は罰を受ける。救おうとしても、あおるだけだ。(箴言19:19)
愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める。(箴言29:11)
怒りやすい人はいさかいを引き起こし 激しやすい人は多く罪を犯す。 (箴言29:22)

わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。(ヤコブ1:19-20)

聖書は怒り自体を罪とはしていない。イエス様も怒られた記述もある。しかし、問題は怒りをどう表すかにによっては、そこに罪が生じることがあるということだ。ということで、怒りに対する7つの対処法伝授!

7秒耐えて祈る!
瞬間的怒りの持続時間は6秒だそうだ。怒りがこみあげたら深呼吸して、心を落ち着かせて7秒祈る。

その場を離れる。
怒りの対象を目の前にしたままでは、収まるものも収まらない。怒り爆発の寸前、真っ先にすべきはひとまずその場を離れること。衝動的な行動を起こさずに済む。

怒りはその日のうちにおさめ、翌日に持ち越さない
怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。(エフェソ4:26)

怒っている時に重要な判断をしてはならない。
怒りの最中は正常な精神状態ではない。一旦口にした言葉は、簡単に取り消すことができない。

怒ると叱るは違う。
親が子に対し、叱ってもよいが、怒ってはダメ。叱るは教育だが、怒るは感情。怒ると叱るがこんがらがっていては子供に伝わらない。

怒りの代償は高くつく。
人前で起こるのは、感情制御できない子供と同じだ。その代償は高い。

私の怒りは正しいのか?再チェック。
怒っている人の頭の上には、「私は正しい」の錦の旗が堂々とはためいている。が、それは正しいことか?感情に支配される前に、なぜ憤っているのか?をチェックするのは賢明だ。

言うは易し、行うは難し。怒りのコントロールは難しい。しかし難しいことだからこそ、そこに神様の救いを求めることができる。誰もが怒りから解放される必要がある。過ちを犯した時、「お前はもうダメだ。生きていられないよ。」と囁くのは悪魔。私たちの主、イエス様は、こう仰る。「確かにお前は間違いを犯した。でも、お前の罪はすべてわたしが肩代わりしたんだよ。さあ、安心して行きなさい。」怒りは必ず制御することができると確信を持つこと。そうすれば、あなたは命を得るのだ。あなたのすべての過ち、怒り、涙の理由は、すでにイエス様が代わりに背負ってくださった。このことに信頼し、解放の人生へ今、歩み出そう!




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心の復興 (マタイ 13:44)

2015年03月15日 | Good News


東日本震災から4年が経った。教会でも被災地を訪問しているが、メディアを通しての見聞と、その場を訪れて実際に五感で感じることとは天地の差がある。「百聞は一見に如かず」という有名な故事の続きを御存知だろうか。

「百聞は一見に如かず」「百見は一考に如かず」「百考は一行に如かず」「百行は一果に如かず」

と続く。つまり、聞くことより見ること、見ることより考えること、そして考えることより行動することが大切だ。いくら考えて見たところで、実行しなければ何にもならないのだ。そして、その成果を得ることが最後の目的。実際、いざ自分が一歩進んで実行する人はごく僅かで、ほとんどの場合は、忙しない日々の生活の中で出来ない理由を前に立ちすくんでしまう。しかし、出来ることはある。現実をどう受けとめ、それをいかに将来に活かしていくか。ここに人生のポイントがある。

震災は決して対岸の火事で済まされることではなく、日本の縮図だ。誰もが、いつ何時同じような災害に遭うかもしれない。南海トラフが30年以内に起きる可能性は、実に70%というのが専門家の意見で、つまりは時間の問題ということになる。被災者も、2011年3月11日の朝、まさか午後に大地震と津波が自分たちを襲うとは、考えていなかったはずだ。この数週間で、今は終末の時というメッセージを繰り返しているが、これまでにない苦難があると聖書は確かに預言しているのだ。教会はこの誤りのない聖書の真実な、そしてシリアスな言葉を人々に伝えて行く使命がある。人は誰でも、大きな局面に直面する時があり、何よりも人間が死ぬ確率は、例外なく100%。その先の世界について、はっきりとした現実を示すのは聖書以外にはない。

人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている(へブル9:27)

死は厳粛な事実であり、現世での、あなたの選択と判断によってその後の裁きの行方が決まる。だからその前に「天国」(=ほんとうの救い)と「地獄」(=ほんとうの滅び)を知らなければならない。和を尊ぶ日本人は、死後も同じ場所に行くことを望む。気持ちはわかりすぎるくらいわかる。が、押さえるべき以下のポイントを考えてみよう。

人間の本質は霊であるから、肉体が滅んで終わりではない。が、草葉の陰という世界には根拠がなく、その世界は存在しない。死後、霊は「見守っている」状態にはない。

天国は光の国。一方、地獄では光が遮断された完全なる闇の世界。光がないから見ることができず、同じ場所にいても互いに認知はできない。つまり天国以外に、死後に再会できる場所はない。

もし、先に逝かれた愛する人が天国でないところにいたとして、その人は愛するあなたを同じ場所に来てほしいと願うだろうか。あなただけは助かってと願い、それに応えるのが愛だ。

では、なぜ聖書の神様が真の神様と言えるのか?これも聖書はロマ書で応えている通り、この世の自然、被造物を見る時、宇宙の構造を考える時、すべては誰かが何かの目的によってデザインし創ったとしか考えられない。多くの科学者も、知識を得るほどに「何かしらの偉大な力(Something great)」の存在を確信していく。しかし知恵ある彼らも、その存在証明には至らない。証明できないことこそ、神様の意志だからだ。

世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(Ⅰコリント1:21)

聖書では、しばしば信仰を結婚に喩えている。どちらも理解とか証明ではなく、信じるという能動的態度に懸かっているからだ。例えば、この人と結婚したら一生安泰でお金に困らないから結婚します、というのは結婚ではない。営利的取引だ。神様との関係もまた、神の存在が目に見える形で明らかになり、その利益故に信仰を持つことがないように、神様によって定められていることだ。でないと、偽装結婚を求める仮面夫婦志願者ばかりになってしまう。そんな偽りが溢れる場所が天国のはずがない。天国行の切符を得るには、資格も条件も必要ない。ただ信じることによってのみ、手にすることができるのだ。

マタイ13章には天国の喩え話が3つ書かれている。畑に埋められた宝、海で見つけた真珠、そして、網の中に集められた魚のより分け。ここから学ぶことは、

天国という「宝」は、持っているすべてのモノを投げ出しても手に入れるべきもの。
宝を見つけたら、すぐに自分のものにすべき。明日では間に合わないことが人生にはある。
宝の価値を知ること。蔑ろにして後でくやしがっても、時すでに遅し。手遅れになる。

震災から4年。今なお復興が立ち行かず、喪失感や悲しみに打ちひしがれる人にイエス様は、「がんばって、もっと努力すれば、復興できるよ!」と仰るだろうか?NO, NO, NO!山上の垂訓で、極貧で八方塞がりの人々には、「幸いなる哉!貧しき者よ。」と宣言された。ここで使われている「貧しい」という言葉は、もうどうしてよいかわからない、なす術のないような大貧困のこと。当時のイスラエルには、そんな厳しい状況の人が大勢いた。彼らが何故「幸い」か。「天の国はあなた方のもの」だからだ。イエス様の言葉に嘘はない。

確かに、復興にも生活にもお金は切実な要因だ。しかし、お金があれば大丈夫、と思っている間は、真の復興はあり得ない。お金はない、パンはない、どうしてよいかわからない、という人々が、どこに希望を見ることができるのか。現世だけの人生であれば、こんな不公平はない。生まれた時の境遇に甘んじて、諦めて生を過ごすしかない。しかし、人生は来世が統合された時、初めて意味を持つのだ。イエス様の言葉が、その希望に繋がっていく。イエス様によって現世と来世を合わせて、人生は真に充実したものになる。天国への切符を手にする所から、真の復興が始まるのだ。

 

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神の40年

2015年03月06日 | Good News
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。
 それは、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミア29:11)

 

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