Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

「ⅠⅠテモテ」(30分de一巻 Vol.57)

2018年04月22日 | Good News


世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。(4:6-7)

私達は今迄、パウロ書簡を学んで来たが、今回はパウロについて学ぶのではなく、パウロを理解し、そして感じる。人は理解から感情が生まれ、その感情が行動へのエネルギーとなるからである。単に知的に知っていても、それは本当に知っている事にはならない。パウロを知らない=関わりがない。それではマズイのである。(メッセージより抜粋)
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牧会書簡応用編(30分de一巻)

2018年04月15日 | Good News
良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。(Titus 3:14)

現在、日本の教会の多くは、妥協埋没型か、純粋孤立型かのどちらかだが、そのどちらも、組織的、金銭的、人材的に宣教力が低下していると言わざるを得ない。例えば、数少ない信徒たちの献金が、会堂維持と牧師給与に大方消えてしまい、実際の宣教には回らない..。こうした現状を打破するためには、1つでも多くの家の教会をつくる以外にはない。今までのProduct−Out方式から、Product-In方式に変換し、今迄とは異なる大胆なプローチで、一人でも多くの人々に福音を告知して行くのである。(メッセージより抜粋)


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「フィレモン」(30分de一巻 Vol.56)

2018年04月08日 | Good News
Philemonn`s 4-C`s of Confrontation

(4〜7): Compliment <賛辞> 相手に対して敬意を払い、互いに認め合う
自己アイデンティティの確立

(8〜16): Confess <告白> 正直に状況を説明し、相手の理解を求める
世俗的・外見的価値観からの脱却

(8〜17):Confront <対面> 問題に対して、正面から向かい合う
無用なプライドの放棄

(18〜21):Commitment <決意> 責任を持って対処・決断する強い意志
対人関係における自己受容・他者受容


本書は、「主にある関係とは何か?」と言う事について、神の権威を明確に出しつつ、人としての礼儀、強い意志と、細かやな感情と機知に溢れた、完璧な宝石・ダイヤモンドの様な手紙である。死刑にされてしまう身分だったオネシモを、自分の身を張って執り成したパウロの優しさと強さ。真の優しさは、強さに裏付けされ、真の強さは、正しさよって裏付けされ、その正しさは、イエス・キリストによって裏付けされる。本書はその典型例である。(メッセージより抜粋)


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テトス(30分de一巻 Vol.55)

2018年04月08日 | Good News
私達の仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。(3:14)

教会リーダーとして「良い行いに励む」とは、具体的にどう言う事なのか?先ず、前向き肯定的思考を身に付け、以下の5つのポイントをいつも心掛ける。

固定概念に囚われないオープンマイドさ。
目の前の現象に(感情的に)囚われない。
失敗から学ぶ。
何事も真理(御言葉)をベースにする。
絶対に諦めない!

こうした人生に対する姿勢によって、必然的にその人は・・
無用なプライドを放棄し、
世俗的・外見的価値観から脱去し、
対人関係において、他者受容・自己受容が出来る様になる。(メッセージより抜粋)

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「イエス復活!」30分de一巻

2018年04月04日 | Good News
わたし は復活であり命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。(ヨハネ11:25)

イエスが肉体を持って地上で生きておられた時は、実際に自分の目の前にイエスがおられなければ、彼の臨在はそこにはなかった。しかし、イエスが昇天されてからは、イエスを主と信じる者一人一人に聖霊が送られ、それによって私達は、何時何処にいても、目には見えなくてもいつもイエスが共にいてくださるようになった。このイエス・キリストの復活こそが、私達キリスト者の希望の源なのである。

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