Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

十字架上の7つの言葉 (30分de一巻 Intermission)

2017年10月29日 | Good News
「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)
クリスチャンのシンボル言えば十字架。実際、異端の教会の簡単な見分け方は、異端の教会には十字架がない。とは言え、十字架を身に付けていればクリスチャンという訳ではなく、そもそも十字架は処刑道具であり、本来アクセサリーにする様な性質のものではない。十字架刑は、国家反逆罪等の重罪人にのみ用いられた処刑方法で、苦しむだけ苦しめさせておいて、直ぐに死なせない様によく考えられた、史上、最も残忍な処刑方法であった。

古代社会において十字架刑は、ローマ帝国以外でも行なわれていたが、旧約聖書に十字架が一度も登場しないのは、逆に新約における十字架の登場を示唆していたとも言える。ともかく、そういった歴史的史実について、私達がいくら机の上で考えようが、ネットで調べようが、現実の十字架に近付く事などは出来ない。かと言って、全く知りませんでしたで済まされる事ではない。

私たちがイエス様の十字架を見上げる時、それに至らざるを得なかった過程と、十字架上で成された救いの御業を真摯に受け取るためにも、実際の十字架刑が、いったいどの様なものであったのかを知ることは必要なのである。(メッセージより抜粋)



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「ヨハネ」30分de一巻 Vol.43

2017年10月22日 | Good News
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。(1:1)

面白い事に、福音書の始まりは序々に元へと辿っている。マルコはイエスから、マタイはアブラハムから、ルカはアダムから、そしてヨハネはこの世の始まりから・・。

言葉(ロゴス)という言葉は、当時のギリシヤ文学で使われていた哲学用語で、この世の全てのものは、それが形として存在する前に、考えにおいて存在していた。その考えをロゴスと言っていた。例えば、このテー ブルがつくられる前に、こういったテーブルをつくろうという考えがあり、従ってこのテーブルはそれ以前から存在していたのだ..と。

ヨハネはそこから一歩突っ込んで、そのロゴスとは単なる“考え”ではなく、この世の全てのものを創ろうと考えていた“存在”である。つまり、「初めに言葉があった」という意味は、「初めに全てのものを創造された神がおられた」という事。この冒頭からも分かる様に、ヨハネの福音書は、神としてのキリストを記しているのである。(メッセージより抜粋)


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「ルカ」30分de一巻 Vol.42

2017年10月16日 | Good News
クリスチャンに「福音書の中でどれが好きですか?」と尋ねたら、おそらく十中八九「ヨハネ」と答えると思います。ですが、案外ノンクリスチャンの人でも知っているお話しが多いのは、この「ルカ書」ではないかと、私は思っています。ついでに、私は日曜学校に通っている頃から「ルカ」が一番好きでした。ルカ書には、ここにしかない素晴らしいメッセージがたくさん詰まっています。今日はそんなルカ書を深く掘り下げていきましょう

これは、医者でありパウロに同行していたルカが書いた福音書で、イエス様を「神と人とに愛された(2:52)完全なる人」として書いています。書かれた時代に関しては諸説ありますが、おそらくパウロが殉職する前のローマで書かれたのではないかと考えられます。彼は、当時のローマの高官であった、テオフィロと言う人に、この福音書と使徒行伝を書き送りました。本書の冒頭に、ルカが丁寧な言葉でテオフィロに向けて挨拶していますが、これが本書の特徴と言えます。すなわち、

.福音を最初から全て書きました。
.資料を熱心に調べて書きました。
.順序立てて書きました。
.熱意を持って書きました。

この4つの点が、ルカ書全体の特徴です。バプテスマのヨハネの誕生からイエス様の昇天まで、福音の全てを包括するように書かれてあります。しかも、時系列通りに記事が進行していますので、理屈っぽい日本人にはたいへん読みやすい福音書なのではないでしょうか。さて、続いてルカと、テオフィロと言う人物についてですが、ルカは、パウロがコロサイ書(4:14)で書いている様に、お医者さんでした。確かに本書には「熱病」とか「傷に油とぶどう酒を塗って包帯をする」等々、医学用語が多用されています。

これは一つの推察なのですが、当時の文献によると、当時の医者は占領された国で奴隷にされた人がしていた場合が多かったそうです。おそらくこのルカも例外ではなく、このテオフィロという人から贖われたのではないか?(ルカもテオフィロもローマに占領されたギリシア(マケドニア)人でした)そしてイエス様とテオフィロによって贖われたルカは、命の恩人であるテオフィロにも是非、罪の奴隷から贖われて欲しいという熱意をもって、このルカ書と使徒行伝を書いたのではないでしょうか?ルカ書が、当時のローマの国政になぞられて書かれるある事も、相手に分かりやすいようにする為でした。

神様を信じているクリスチャンにとって、平和が与えられるのは神様のおかげであり、日々生きていけるのも神様のおかげです。しかし、ローマの高官であったテオフィロにとって、平和はローマ皇帝が与えてくれたものであり、日々の生活は、ローマの繁栄によるものだと考えていました。そこでルカは、テオフィロにとっての「主」を、「ローマ皇帝」から「イエス様」に正しく方向転換(これをギリシア語で「悔い改め」と言います)させようとしたのです。テオフィロは既に福音を知っていたと本書の1章4節に記載されていますが、未だふわっとした福音を、確固たるものにしてもらう為に、ルカは熱意を持って、この福音書を書いたのです。

そして、ルカと言う人物を語る上で欠かせないのがパウロとの関係です。パウロがアジア州(トルコ)で伝道していた時(使徒16章)、不思議な事に神様から、そこではメッセージを語るなと言われます。その晩、パウロは幻を見ました。1人のマケドニア人の男性が現れて、自分達を助けて欲しいと言うのです。そのパウロの幻に現れたマケドニア人こそ、ルカその人でした。そこでパウロは急遽予定を変更し、マケドニアへと向かいました。それからパウロに同行したルカは、パウロと共にエルサレムへ行き、パウロの晩年まで共にいました。そこにも、神様の素晴らしい計画を見る事が出来ますよね。パウロは何かしらの持病を持っていました。パウロは何度もその病を治してほしいと神様に祈っています(2コリント12:7-10)。でも、パウロの病は癒される事はありませんでした。ですが、神様は医者であるルカをパウロに与えられのです彼はきっとパウロの援助者として、パウロ体を看ながら、伝道の旅に同行していたのでしょうね。(神様素晴らしい



では、ルカ書そのものを見ていきましょう。ルカ書には、有名な記事が沢山あります。その中には、クリスチャンでなくても、聖書をちゃんと読んだことがない人でも知っているエピソードが多いですね。そんなルカ書の心臓部は「たとえ話」です。4つの福音書の中には、50以上のたとえ話が出てきますが、その内の約半分がルカ書からで、尚且つその内の20はルカ書にしか記載がないものなんです。例えば「良きサマリア人」や「放蕩息子」。この二つは、一般の人でも名前くらいは知っていますよね?特に「放蕩息子」は文豪・太宰治が「最も美しい小説だ!」と絶賛していました。このようにルカ書の記事は、ギリシャの一流の思想家や芸術家が読んでも、日本の神を知らない人が読んでも、美しい文章で物語が綴られているのです。(ついでに「物語」という単語が出てくるのもルカ書の特徴です)

その他にも、「不正な管理人」や日曜学校ではお馴染みの「ザアカイの話」、「マリアとマルタ」、「金持ちとラザロ」等々・・私は特に、日曜学校の頃からザアカイの話が大好きでした。一人ぼっちのザアカイの元に、イエス様が来てくれてザアカイの性格は180度変わってしまいます。イエス様が来てくれるワクワク感を、ザアカイから感じ取って私までワクワクしてしまいます。また、日本の教会では「たとえ話」と誤った解釈をされがちな「金持ちとラザロ」。これは、たとえ話ではありません。何故なら、聖書のたとえ話には基本的に固有名詞は出て来ません。ところがこの話には、「ラザロ」や「アブラハム」などの名前が記載されています。もし、これがたとえ話なら「ある男が・・」で始まり、登場人物の名前は明かされません。

では、何故たとえ話がこんなにも沢山聖書に出てくるのでしょうか?そもそも、たとえ話と言うのは、ともすれば分かりづらい内容の事柄を説明する為に、相手に分かりやすいように、具体的な日常生活の行為などと照らし合わせながら、真理を伝える事ですが、この場合「神の国」と言う、どう考えても人間には計り知れない事を説明しなければならないのです。そこで、用いられたのが「たとえ話」だった訳です。「神の国」や「全人類を救う神様の計画」を、弟子達に深く理解させ、また、その神様の計画をなんとか阻止しようとしている、反キリスト勢力には分からないように話さなければなりませんでした。

「聞く耳を持つものは聞きなさい」イエス様はこう言われましたが、聞く耳を持つ人が聞けば「救いの喜び」に、聞く耳を持たない人が聞くと「裁きの宣言」に。これがイエス様の「たとえ話」です。神様は十字架による人類救済計画を立てられました。しかし、それを成就される為には、神様の時が必要です。その時まで、イエス様は殺されてはなりませんでした。ところが、反キリスト勢力(悪魔側の人間)が何とかその計画を阻止しようと常に企んでいました。この計画に阻止されない為にも、イエス様はたとえ話を用いる必要があったのです。

さて、ルカ書には「福音(ユアンゲリオン)」と言う言葉は出てきません。ルカ書に使われている福音という言葉は、全て動詞の「継続する良き知らせ(ユアンゲリゾー)」なのです。これこそ、ルカが熱意を持ってテオフィロに伝えたかったテーマでした。ルカ書は、バプテスマのヨハネ誕生の記事から始ります。それから身篭ったエリサベツの元に、イエス様を身篭ったマリアが不安に駆られてやって来ます。しかし、それが素晴らしい神の恵みの計画である事が分かると、マリアは喜び「マリア賛歌」を歌いました。救い主誕生を天使が喜び、その喜びが羊飼い達に伝わり、彼らは飼い葉桶で眠る幼いイエス様を見て喜び、賛美しました。イエス様に癒された人たちも、喜び賛美しました。ルカ書にはこの様な喜びの連鎖が、最初から最後まで貫かれているのです。

では、イエス様の弟子達はどうだったかと言うと、十字架でイエス様が殺されてしまい、次は自分達かもしれないと家に鍵をかけて彼らは怯えていました。しかも、クレオパともう一人の弟子は絶望して、エマオ(日が沈む方向)に向かって逃げて行くました。するとそこにイエス様が彼らの前に現れ、聖書が自分について書かれてある事を今一度解き明かされました。ですが、弟子達は驚きが勝って未だ半信半疑状態。しかし、イエス様が昇天されたところを見た時に、彼らははじめて、イエス様の前にひれ伏し、大喜びでエルサレムに帰って行きました。エルサレムにいれば、ローマ兵に見つかって自分たちも殺されるかも知れないのに、それでも彼らは喜び、賛美していたのです。ここになってはじめて、救い主誕生を賛美した天使の喜びが、弟子達の喜びへと、最後に繋がったのですハレルヤ

最高に美しい文章で、順序だてて書かれたルカ書。最初から最後まで貫かれる「喜びと賛美の連鎖」。ルカ書を読むと、神様の御計画の計算された美しさと、喜びが繋がるワクワク感でとっても感動します。このルカ書の「繋がっていく喜び」は、現在を生きる私達にも勿論、適応されます。マリアが、癒された人々が、弟子達が、そして天使達が喜んでいます。その喜び…「神様の御計画によって救われた」喜びを、私達も喜び、賛美して、最後の時が来るその日まで、繋げていかなくてはいけませんね (Report by Yuka)



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「マルコ」30分de一巻 Vol.41

2017年10月14日 | Good News
「本当にこの人は神の子だった」(15:39)

こう告白したのはローマの百人隊長。イエスを十字架につけた当事者である。

彼はイエスが十字架上で語った言葉が、詩編の言葉だったなどとは知る由もなく、このイエスの十字架が聖書預言の成就だったのだという事以前に、彼は聖書自体を全く知らない。

そんな人物が何故、イエスが神の子であると悟る事が出来たのか?その理由は大きく二つ考えられる。

一つは、急に全地が暗くなり、地震が起き、神殿の垂れ幕が真二つに裂けたという、奇跡(超状現象)を見たからである。

そしてもう一つは、十字架上でのイエスの姿であった。

彼はプロの戦争指揮官として、緊急事態における人間の行動形態という事を体験的によく知っていた。人は、現実の死を前にすると、嘘をつくことも、虚勢を張ることも出来ない。その時はその人の本音だけが出るのである。

ところが、十字架という極限状態の中で、恐れもせず、わめきもせず、恨みもせず、最後の最後迄、自らの死を全うしたイエスの姿を見て、「この男は本物だ。この男が言っていた事は本当だったのだ..」という事を、彼は理屈抜きで悟ったのである。

この世で最初に書かれた福音書は、この百人隊長(ローマ人)や日本人のように、歴史的、民族的に聖書的バックグラウンドが全くない人たちに向けに書かれた。これがマルコ福音書の第一の視点である。(メッセージより抜粋)



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「マタイ」30分de一巻 Vol.40

2017年10月03日 | Good News
イエスはそこを立ち、通りがかりにマタイという人が収税所に座っているのを見かけて「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。(9:9)

12弟子の中で福音書を書き残す事を任命されたのは、ヨハネとマタイの二人であった。ヨハネは弟子達の中でただ一人生き残り、イエスの愛(福音書)と裁き(黙示録)という2大テーマを後世に伝えた。そしてもう一人、福音書の筆者として指名されたマタイとは、どの様な人物だったのか?何故イエスはその任務をマタイに託されたのだろうか?

当時の取税人は今の税務署職員とは全く異なり、彼らの社会的位置は、羊飼い以下で遊女と同等。ローマの支配下にあったユダヤ人にとって、最も屈辱的だったのが、ローマに納めさせられる税金であった。汚らわしい異邦人が、神の民を支配するなどという許し難い状況の中、その手先になっている徴税人は、ユダヤ人にとっては売国奴以外の何者でもなかった。

この様な嫌な仕事を何故、引き受けるユダヤ人がいたのか?それは簡単な話しで、単に儲かるからであった。(マタイもザアカイもイエスを招いて盛大な宴会を催している)ちなみに本書には、“神か金か”、“畑に隠した宝”、“借金を帳消してもらった家来”、“金持ちの青年”、“タラントの例え”等々、お金に関する話が頻繁に登場する。

しかし、イエスはあえてマタイに会計係をさせなかった。それは、記録係としての役割を重要していた事ともう一つ。他の弟子達がマタイに対して、否定的な思いを抱かせないためであったと考えられる。(特にマタイと熱心党のシモンとは犬猿の仲であった事は想像に難くない)

マタイは12弟子の中でもとりわけ、この世の処世術・計算力・記述力に長けていた。カメラもレコーダもない時代、証拠として重用視されたのは、筆記による記録(当時の速記術)であった。マタイはその特種技能によって、イエスの言動を実際の目撃者として、正確に書き残す事が出来たのである。(メッセージより抜粋)



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