Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

「エレミヤ」30分de一巻 Vol.24

2017年04月23日 | Good News
エレミアはイザヤから100年後の預言者である。(エレミアから見たらイザヤは夏目漱石ぐらいの時代の人)イザヤは宮廷お抱えの王族出身の預言者で、アッシリアからエルサレムを救った。一方、エレミアは祭司出身で、どの階級にも組織にも権力にも属さず、結局バビロンからエルサレムを救う事が出来なかった。あげくにエジプトに連行され、そこで同胞に殺された・・。

今までの先入観を捨て、単にこのような歴史的事実に元づいた価値観から見ると、イザヤとエレミアの評価はどうなるであろうか・・?イザヤはアッシリアの危機から国を守った偉大なる預言者、エレミアは誰にも言うことを聞いてもらえず、結局預言は国に届かず、最後にはエジプトで殺されてしまった残念な預言者・・。アタシらレベルの人間的評価からすると、エレミアの人生は完全に失敗..今で言う負け組。

しかし、神の評価と聖書的位置付けは、イザヤとエレミアは言うまでもなく、全く同列である。クリスチャンの人生において、有名であるとかないとか、何をしたとかしないとか等々・・社会的な評価は全く対象にならない。問題は、如何に神様に忠実に歩んで来たかどうか? 如何に神に愛され、如何に人を愛して来たか? が、この世の人生においてクリスチャンが評価される点である。

その意味においてエレミアは文句なく最高点!(エレミアの名の意味は「主は高く挙げられる」)永遠の国へとつながるのは、人の評価ではなく、神の評価。それがエレミアの人生から第一に学ぶべきポイントである。(メッセージより抜粋)




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「イザヤ」30分de一巻 Vol.23

2017年04月08日 | Good News
聖書の原本というものはこの世には残っておらず、あるのは写本だけである。しかし、オリジナル写本というものもない。どんなに保管に留意しても、長い年月の間に皮(紙)は風化してしまうからである。ところが、色々な奇跡的な環境が重なって、実に千年もの間、風化を逃れた写本が見つかった。しかも、その中からイザヤ書がまるまる出て来たのである。この「死海写本」の発見によって、ユダヤ人達が数千年間にわたって書き残し続けた写本の確かさと、聖書というものの信憑性が証明されたのである。




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イエス復活! (30分de一巻 Intermission)

2017年04月07日 | Good News
クリスチャンとは「キリストの教え」を信じている人達ではなく、自分の罪のために十字架につき、3日後に甦られ、今も生きておられるキリストと共に生きている人達の事。福音とは「キリストの教え」ではなく「キリストによる救いの事実」であり、伝道とは「キリストの教え」を伝える事ではなく、「キリストの十字架による救いの事実」を伝える事。

その救いの事実とは「十字架と復活」。この二つはコインの裏表と同じで二つで一つ。「イエスが十字架で死なれて、復活された」!そこまで語って初めて福音となる。しかし「復活」は教えではなく、説明されて納得出来る事ではない。なので人々は「死者の復活という事を聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしようと言う(使徒17:32)」この反応は2千年前も今も変わっていない。

しかし「神が死者を復活させてくださるという事を、あなた方はなぜ信じ難いと考えるのか?(使徒26章8節)」と、逆に聞き返した人がいる。「何故、神様の存在は否定しないのに、死者の復活は否定するのか?」と..。


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「雅歌」30分de一巻 Vol.22

2017年04月01日 | Good News
この世界には、山ほどのラブソングが存在します。様々なアーティストが、男女の恋愛の切なさや楽しさや喜びを歌ってきています。また、映画やアニメ、小説、漫画と様々な手法で恋愛については書かれていますよね。

生きている中で最もワクワクして楽しくて、でも不安だし切ないし辛い事も有って、そこを乗り越えると成長する事も出来るのが、恋愛かなぁとまだまだ人生半分も生きていない身ながらも、私はそう思っています。

例えば、仕事先に好きな人が居れば、それだけで仕事が楽しくなるし、もっと頑張ろうかなぁなんて思ってしまえるくらいに、恋愛の持っているエネルギーはとてつもないものなんですよね。

さて、今回学んでいく書簡『雅歌』ですが、これが実はイスラエルの王であるソロモンが書いた恋愛ソングなんです。いきなり、一章一節から「どうか、あの方がその口のくちづけをもって私にくちづけしてくださるように。」で始まるのが、今回の書簡なんですが・・・。

キリスト教を超禁欲的と捉えている方からすると、驚くべき書簡がこの雅歌かと思います。実際、多くの教会では本書がメッセージで話されることはありませんし、私自身も一度か二度しか読んだ事が有りません。内容としては、求愛・恋愛・結婚の事が大胆かつ官能的で詩的に表現されている書簡です。

1章1節から3章5節までが、『恋愛期間』。

3章6節から5章1節までが、『結婚式』。

5章2節から8章14節までが、『結婚生活』について書かれています。

    

五感によって愛情を表現されており、ヒロインの女性の事を頭を抱えてしまいたくなるほど、ありとあらゆる言葉で褒めちぎっています。例えば、『流れる香油のようにあなたの名はかぐわしい』とか、『おとめたちの中にいる私の恋人は茨の中に咲いたゆりの花』とか・・・。

ユダヤ人は、これを神とイスラエルの関係を歌った歌と思っており、ついでに13歳以下は読んではいけないことになって居るそうです。(しかし、イスラエルが神に対して行った裏切りの歴史を鑑みるに、この解釈は間違っていると言わざるを得ないです)

また、花婿であるキリストと花嫁である教会の関係の事が歌われた書簡と解釈する教会もあるようですね。(これを新約的解釈として捉えるのであれば否定はしません)


さて、本書の登場人物ですが、勿論実在した男女です。男性の方は、本書の1章2節に『どうかあの方が』と記載されており、同書1章4節に『急ぎましょう王様』と書かれています。普通に考えれば、この『あの方』と『王様』は同一人物であり、ソロモンその人であることが分かります。女性の方は、7章1節にシュラムのおとめと書かれています。名前は登場しません。

シュラムは、ガリラヤ地方の自然豊かな場所で、2章に書かれている美しい自然の描写は、この地方の事だそうです。この雅歌の中で、女性の事はシュラムのおとめであること以外、明かされていません。しかし、Ⅰ列王記の1章3節にヒントがあります。


    
年老いたダビデの為に、家臣がイスラエルの領地を探し回って見つけた、アビシャグという女性。彼女は、シュネムで見つけられたと記載されています。このシュネムこそシュラムであり、このアビシャグという女性が雅歌のヒロインなのではないかと言われているのです。このアビシャグと言う女性は、絶世の美女だったそうです。(彼女はダビデと性的関係はありませんでした)

アビシャグは、ダビデの死後も宮廷に留まっていましたが、こんな絶世の美女を周りの男達が放っておく訳がありませんよな。それで案の定、彼女を巡って殺人事件が起きてしまいます。それが、『アドニヤ殺人事件』。アドニヤは、ソロモンの腹違いの兄で、当時勃発していたダビデの後の王位継承問題も、彼が発端と言えます。元々、王位はソロモンが継ぐ事が決まっていたのですが、それをアドニヤが、自分の方が兄なんだと、勝手に自分が王になると言い出したわけです。

ダビデの子育て失敗による負の遺産の一つですね。聖書には、「彼は一度も父親に咎められたことが無かった」と書いてあります。そのアドニヤが王位は自分のものだと言い出し、更には母親のバテシェバにアビシャグと結婚させろと言ってきたわけです。一度は彼を赦そうとしたソロモンも、このままだと手の付けようが無くなると言う事で、アドニヤを殺したのです。

王位継承問題について、一度は許していたソロモンが、アビシャグが絡んだことで、殺人にまで及んだとなると、王位継承問題以外にmアビシャグに対する何らかの思いが有ったのではないかと言うのは、何とな~く想像できますね。

ソロモンは周辺諸国と良好な関係を築くために、多くの女性と政略結婚をしました。実際、ソロモンの宮廷には1000人の女性が居り、雅歌のヒロインである彼女もその1000人のうちの一人だったわけです。彼女は、ソロモンが王位につく前から宮廷に居た古株で、尚且つソロモンが自分に対して抱いている特別な想いも知っていました。しかし、次から次へと政略結婚で宮廷には女性がやってくるとなれば、まぁ嫉妬もするでしょう。(私だったら絶対に嫌ですね)

「私のことが好きなら、何で私だけ見てくれないの?」と思うのが女性です。まぁ、仕事もあるし、お国の事情も有るのだろうから、仕方ないのは分かりますが・・・。本心からその行為を許せるかと言ったら、許せないと思います。きっと、アビシャグも頭では仕方ないことだと頭で理解はしていたでしょうが、心は痛かったでしょうね。

雅歌1章7節の歌では、『私の愛している人。どうか教えてください。どこで羊を飼い、昼の間は何処でそれを休ませるのですか?あなたの仲間の群れのかたわらで、私は何故顔覆いをつけた女のようにして居なければならないのでしょう?』と、彼女は歌いました。

この『顔覆いをした女』とは『娼婦』のことを指します。更に、『羊』はソロモンの政略結婚相手1000人の女達のことなのです。つまり、この歌は『何故私は、娼婦のようにあなたを待たなくてはならないのですか?』という、彼女の嫉妬と嘆きの歌なのです。確かに、表現としてはちょっときついかもしれないですが、私だったらこんな事言う前に泣き崩れてるかも知れないし、出て行ってるかもしれないですね。取り敢えず、この状況を耐えていた彼女の強さ・・・尊敬に値しいます。

しかし、ソロモンは別に綺麗なお姉さんを沢山侍らせて、鼻の下を伸ばしていたわけではありませんでした。前回まで学んでいた、コヘレトこと伝道者の書の7章28節には『千人に一人という男は居ても、千人に一人の良い女を見出さなかった。』と書かれています。つまり、彼が政略結婚をした女性に本当に愛する人は居なかったのです。

ソロモンは金と権力に物を言わせて、単に女性を周りに侍らせていたわけでは無く、国を守るために仕方なしに行った政略結婚であったという訳です。ソロモンが心から愛していた女性は唯一、アビシャグであったと言う事なんですね。

人間が一番エネルギッシュに動けるのが、恋愛が絡んでいる時です。男性は、一生懸命稼いで彼女を幸せにしてあげたいと思うだろうし、女性は彼の為にもっと綺麗になろうと頑張るわけです。その恋愛の楽しさや悲しさ、辛さや喜び、素晴らしさを書いた書簡が、『雅歌』なのです。つまり、こんな赤裸々な恋愛の事をまるっとまるまる書いたものがあるなんて、聖書が本物だという証拠の一つだと思います。こんな雅歌から学べることが、三つ。

いくら権力やお金があっても、一夫多妻や一妻多夫に安らぎは有りません。人間は自分を愛してくれる一人の相手を求めているのです。

雅歌の歌の主導権を握っている人物、エデンの園のキーパーソン、結婚式の主役。これらは全て、『女性』です。つまり、恋愛関係と結婚生活の主導権は、女性にあります。

神様は、人間を男女に想像されて、その関係を祝福されています。

    

さて、世間では超禁欲的と思われているキリスト教ですが、前回学んだコヘレトからも、今回の雅歌からも分かるように、実際そんなことは無く、神様が真っ直ぐに作ったものを勝手に人間が難しくとらえて、勝手に自分の首を絞めてしまっているのが今のキリスト教の実態であり、世間からの捉えられ方です。神様は、人間を創造した時に彼が一人でいるのは良くないと言って、パートナーを与えてくれました。

そして、『うめよふえよ』と言い渡したのです。つまり、人間が愛し合う事に関して、神様は賛成派なのです。寧ろ、どんどん愛し合いなさいみたいなことですよね。ただし『神様が選んだ運命の人とのみ且つ、夫婦になってから』これが、神様との約束です。

これが、キリスト教が禁欲的だと世間に思われる理由かもしれませんが、恋愛は大きなエネルギーを伴います。そのエネルギーは、時に暴力に変わる事も有るんです。神様の選んだ人じゃない人と一時的に麻薬の様な恋愛も出来るかもしれません。神様が選んでいない人とは一緒に居る事は出来ないように、人間はそうつくられていると思うんです。

つまり、麻薬が切れた時に体は痛みを伴うし、心が悲鳴を上げるんです。それは、一生癒えない傷になってしまう事も有るのです。しかし、傷つかないために、傷つけないために、臭いものに蓋をするように恋愛を避けるようにするのは、また違います。人間には欲が有ります。それは、どうやっても抑える事は出来ません。修行してみても、まず無理だと思います。実際、変に抑圧された性欲は爆発して、本当に犯罪に走ってしまう事もあるからです。

本当に愛する人に出会った時、その人を悲しませないためにも、そして自分が傷つかないためにも、最低限神様との約束は守るべき!と思う訳です。そして、全ての間違いは聖書の間違った解釈から始まっています。キリスト教を信じている人の中にも、聖書を読まないのは『どうせ、あれもダメ、これもダメと書いてあるんでしょ?』という人も居るかもしれません。

実は私も学生時代、これがあまり聖書を読まない理由でした。でも、きちんと聖書を読んでみれば、神様から命令されているルールはそんなに難しくも、そんなに多くも無いのです。間違った聖書理解と適応で、余計な失敗をする前にきちんと聖書と向き合って、正しい聖書理解適応をし、より良い人生を送った方が良いと思うんです。本当に

神様との約束の中で、素敵な恋愛をして素敵な結婚をして、楽しい人生を歩みましょう ハレルヤ (Report by Yuka )




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