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十字架上で成された3つの業 前編 (30分de一巻 Intermission)

2017年11月07日 | Good News
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私達の主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ6:23)

キリストの福音を伝える上において、中々人々に気付いてもらえない点がいくつかある。一つは、天国に入る為の必要な条件は、人側にあるのではなく、神側にあるのだという事。世の中の人々は、生きている間にどれだけ良い事をしたか、悪い事をしなかったのかと言った事ばかり考えているが、それは、どこかの学校に入る為の基準設定は、学校側にではなく、入学する側にあると考えている様もので、極めておかしな考え方である。

もう一つの点は、“罪の報酬は死”という厳然たる事実である。世の中の人々は、死は自然現象だと誰もが考えているが、聖書的に言うと、人は元来、死ぬ様には創造されておらず、死は不自然な事なのだ。何故、人は死ぬようになったのか?それは人の中に罪が入ったから。罪が入った状態では、神は人と共に生きることは出来ないのである。

この天地を創造された神は、100%聖い存在なので、たとえ0.001%でも、そこに不純物が混ざると、神はそれを受け取ることが出来ない。聖書の神は、罪と妥協したり、大目にみたりするような曖昧な部分は一切ない。もし、ひとかけらでも罪があったら、そこはもう天国ではなくなるからである。では、いったいどうしたら人は天国に行く事が出来るのか?この原点に戻らなければ、十字架の意味を理解する事は、到底出来ないのである。(メッセージより抜粋)



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7 コメント

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驚くばかりの恵み ぱーと2 (Mimita)
2017-11-08 22:07:42
今日は、イエス様が十字架上でなされた業の意味についてノメッセージでした。

十字架は神の奥義であること。それは、人間の理解を超えているので、人間の知識では、理解できない。よって、福音は、わたしたちが、理解できるか、できないかではなく、わたしたちが、受け入れるか(信じる)、受け入れないか(信じないか)の選択です。

イエス様が、十字架でしてくださったこと、その1つが「贖い」。「贖い」とは、「奴隷を買い戻すこと」を意味します。奴隷制度のなかった日本では、「奴隷の立場」や「奴隷から解放される」と言う意味がどう言うことか?理解が薄いかもしれません。

そこで今日は、ギリシア語の「贖い」には3つの意味があることを学びました。
1)奴隷の代価を支払う
2)奴隷の環境から連れ出す
3)連れ出してから完全に解放する

イエス様は十字架上で、私たちを贖ってくださいました。(ローマ6:16-23)

私たちは、生まれながらに罪を持っています。その罪の報酬は「死」です。ですから、全ての人間は死ななければなりません。しかし、イエス様は、私たちの罪が赦されるために、十字架にかかってくださり、自分の命を差し出してくださったのです。

イエス様は、乙女マリアより生まれました。それは、人間(アダム)の罪の性質を受け継いでいないと言う事を意味します。そして生涯、罪を犯されませんでした。人間として、律法で言えば、完全な人、いわゆる、天国に行ける唯一の方でした。そのイエス様が私たち全人類の命を助けるため(罪の奴隷から解放するため)に、自分の命を投げ打って支払ってくださったのです。

その瞬間、わたしたちは罪の奴隷の環境から出ることが許され、自由になったのです。つまり、永遠の命が与えられ、天国で永遠をすごすことができる、神様が最初の創造された本来の姿に戻ったのです。

1)は全人類ために成された業です。しかし、1)の事実を知り、イエス様を受け入れなければ、2)と3)の事実を理解することはできません。

鍵のかかった部屋に閉じ込められている人たちが、ある日、「部屋から出る扉の鍵は開けられているから、扉を開けて、部屋から出てごらん。部屋の外は素晴らしいよ!」と言われて、扉を開ける人は何人いるでしょうか?

扉を開ける人、扉に鍵がかかっていないことを信じられず、開けない人、部屋の外は、部屋の中より素晴らしいことが信じられず、開けない人。いろいろな人がいるのが現実です。それは、福音を受け入れる人、受け入れない人がいる事と同じだと思います。

しかし、天国に行ける条件は、天国に行く人間が決めるのではなく、天国を創った、神様が決めるのです。これは、アパートの部屋を借りる時の条件と同じです。アパートの部屋を借りるためには、借りる側が貸す側の条件を承諾するのは当然のことです。
しかし、天国に行く条件は、「善いことをすれば、天国に行ける」とか、「私はあの人より良い人だから、天国に行ける」など、人それぞれの条件があるようです。

天国に行ける条件は一つだけ、「自分の罪を知り、その罪のために十字架に架かってくださった神の一人子であるイエス・キリストを信じる信仰」によってです。それは、全人類に与えられています。これこそ、「驚くばかりの恵み」なのです。
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十字架メッセージで学んだ事 (Kent)
2017-11-08 22:20:32
今日の十字架メッセージで学んだのは、「罪の贖い」に関してでした。贖い(Redemption)という言葉は、アメリカでは普通の会話でも使われてますが、日本では日常会話には使われません。人間には生まれ持った罪があります。僕達はいくら頑張って、罪から逃れようと頑張っても、自力で罪に打ち勝つ事は出来ません。僕は今迄、何度もそれをやろうと繰り返して来ましたが、そのことで逆に多くの人達に迷惑や躓きを与えてしまいました。僕がどれだけ頑張って良い事をしようとしても、罪から逃れる事は出来ません。自力で天国に行く事も出来ません。神様はそれを全てご存知で、イエス・キリストを送ってくださり、僕達の罪を贖って下さいました。これからの課題は、これから僕はどうやって、神様への感謝の気持ち人々に表せる事が出来るかです。私はもっと十字架の意味を正しく受止め、クリスチャンとしての生き方を改めて考え直さなければいけないと思いました。
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十字架の奥義 (Ako)
2017-11-28 09:17:13
私はイエス・キリストを主と告白し、人生の指針はすべてイエス様にあると思っていますが、これを私のノンクリスチャンの友人たちは、どう思っているのか。おそらく、キリスト教に一生懸命な人・・。

またキリスト教に一生懸命と思われている私は、仏教などの宗教やスピリチュアルにはまっている友人に対して、困ったことだと祈りの課題になっています。

はじめに先生が言われた、私のことを、他の宗教にはまっている人と同じように、困った人だなと周りに思われて、片付けられてしまったとしたら、“これは福音宣教者としては致命傷だ!まずいっ!!” と思いました。

だから、ペテロが言うように、自分の信仰について尋ねられたならば、(イエス様についても)いつでも説明ができるように備えが必要であると、思いました。

前のメッセージでも思ったことですが、イエス様の十字架の御業をよく知ること、受け入れることが、宗教にはまった人で終わらせないキーポイントであること、周りの人を躓かせず、キリストの希望へと導くことができるポイントだと思いました。

私たち人間は神様にどう思われていたのか、どのように神は私たちを創造されたのか、そのプランは素晴らしかったこと。しかし罪が入ってしまった人類に、神様が何をされたのか。

十字架の御業、“贖い”。しかし、罪の贖いについて、ピンとこない日本人。豊かな日本人。教育熱心な日本人。しかし、そこに神様がおられない悲劇が見えている。

日本という国は一昔前は、貧富の差が激しくなかったのに、今、貧富の差が激しく、極貧の家庭があるという。神様がいない的外れの人生から、イエス様の救いの真実を受け入れる人生になんとかしてなって欲しいと思うのが、私たちです。

誰にでもイエス様の十字架の御業がわかるように、受け入れることができるように、聖霊様の働きに委ねながら、祈り、上からの知恵を求め、伝道したい!そのために十字架の神の奥義をしっかり受け止めたいと思いました。後編楽しみです
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十字架に感謝 (Yuka)
2017-12-05 21:26:18
日本人に伝道しにくい理由は幾つかある。その中でも、日本人には「原罪(sin)」と言うものを理解出来ないからという事が大きいと思う。日本において、罪とは犯罪の事であり、イエス様が私達の罪の為に死んで下さったんだよ!と言ったところで、全く伝わらないのである。「別に、犯罪など犯してないんだけど?」となってしまう訳だ。

しかし、私達には原罪と言うものがあって、そのせいで神様と一緒にいられず、関係を絶たれてしまっているのだ。その神様との絶たれた関係を繋いでくださったのが、イエス様の十字架なのである。これがなければ、私達は神様から絶たれたままで永遠の滅びへ行くしかないのである。

それを変えるためには、イエス様の十字架を信じて受け入れる以外に方法はない。しかし、受け入れさえすれば、私達の魂は解放され、永遠の滅びへ向かう未来を変えることが出来る。しっかりと、イエス様の十字架を受け入れて、感謝して生きていきたいと思った。
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十字架上でなされた3つの業 (Ako)
2019-04-25 21:14:36
十字架上でなされた3つの業 前半  アコ

「赦された」このことはクリスチャンにしか分からない。
しかしこれが分かったらならば、私たち人生のマトがピタリと決まる。
贖い:3つの意味
1)奴隷の代価を支払う(全人類が受けた)
2)奴隷の環境から外へ連れ出す(クリスチャンは認識できる)
3)そしてその環境(奴隷だった)から完全に自由にする。(クリスチャンは認識できる)

イエス様はかつて罪の奴隷であった私たちを贖い助けてくださった方。ここは外せない、ここ一番大事!とクリスチャンは思っているけれど、神様を知らない人たちからしてみれば、贖われた真実を知らないという次元ではなく、自分が罪の奴隷であるとは全く思っていない、というところが現実の溝である。だから、彼らにどのように福音を伝えるのか。

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ6:23)

世の人々は死について、自然現象であると思っているが、実は罪が入ってきたための死であり、罪があっては神と共に暮らすことができないのである。イエス様の生涯は、まさに私たち人類の罪の問題を解決する為であった。イエス様は生涯で一度も罪を犯さず、罪のないお方。この方が、私たちの罪の身代わりになって、十字架に架けられ、傷だらけ、究極の痛みを通られ、血を流され、人類を救う為に死なれた。神の鉄則である、『罪が支払う報酬は死』を成し遂げられた。

これを私たちは信じる。そして、これを伝える者である。”人々が罪に奴隷となって死に至るのか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るものとなるのか”このために私たち主に赦された者、完全に自由とされた者が立たされている。

心の中でキリストを主とあがめなさい。あなた方の抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。(1ペテロ3:15、16)
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3つの業(前編)アプリ (Yuko)
2019-04-25 21:17:38
3つの業の中の1つ目。
贖いー(本来の意味)奴隷を買い戻すこと。

3つの意味(原語)
1)奴隷の代価を払う
2)奴隷環境から連れ出す
3)そこから完全に自由にする
1)の贖いは、全人類に対して贖われた
2)&3)は、クリスチャンに対して。

ロマ6:16
あなた方は、この事を知らないのですか。あなた方が自分の身を捧げて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。この御言葉は、ぐさっと与えられ、罪の奴隷か従順の奴隷か。

ロマ5:18、ロマ6:22、23
罪の報酬は死(矢印)神の鉄則

死は自然現象では無く罪が入った為、死ぬ事になった。神の国は罪があってはならない。生涯罪を犯さなかったイエス様が罪人の身代わりとなり死ぬ。神の鉄則(罪の報酬は死)を曲げる事なく人類を永遠の滅びから救う最古の方法。

たえず十字架の意味を考え、原点に帰り、お花畑クリスチャンにならない様に出来るだけノンクリスチャンへのチャンスがきた時、答える備えが出来る様に理解を深めたいです。

贖いの理解が深まりました。感謝して。
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十字架でなされた3つの業 前編 (Yoko J)
2019-04-25 21:23:51
“十字架による贖罪”という普遍的事実を冷静に受け止めているのがクリスチャンのはず。この事実を理解できるor出来ないではなく、受け入れるor 受け入れないかのどちらかで救いが決まる。救いは聖霊様のお働きであるが、クリスチャンの私達には福音を宣べ伝えるという責任がある。

”心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。“1ペテロ 3:15

「十字架上で成し遂げられた3つの業」
⒈贖い (redemption)
”奴隷を買い戻す“というのが本来の意味
贖いの3つの意味
①奴隷の代価を支払う
②奴隷を市場(環境)から外に連れ出す
③奴隷から完全に解放、自由にする
十字架の贖いは①は全人類に対して、②③はクリスチャンにのみ。なぜか?

ノンクリスチャンの方
自分が罪の奴隷だと思っていない=贖いをうけとらない→罪の奴隷のままの状態。”つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。“ロマ6:16 、“ 罪が支払う報酬は死です。”ロマ 6:22-23
“そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。”ロマ 5:18

☆天国に入る条件☆
神様側の条件であり、人間側の条件である!
天国に入れる条件は天国を創った側にある。
入る側(人間)が条件を決めると思っていることが極めて的外れな状態。
ex)アパートの入居条件は誰が決める?大家?入居者?

☆罪の報酬は死である☆
この世の人々「“死”は自然な現象である」聖書的には「“死ぬこと“は不自然」創世記:人間は死ぬように創られていなかったが、罪が入ったので死ぬことになった。なぜ?

神は聖なる方、きよい方なので罪を完全に受け入れられない。決して罪に妥協されない。人に罪がある状態で、神と共に過ごすことができない∴アダムとエバがエデンの園から追放された。

*罪を犯さない人は1人もおらず、人が犯した罪は死をもって償うしかない!→地上の誰1人として天国には行けない‼

『どうすれば天国へ⁇』
★十字架の意味の重要性★
父なる神様が、愛する一人子であるイエス様を地上に送られ、
☆人が経験しうる全ての苦しみ悲しみを通り、受け止められた。
☆私達人類全ての罪を肩代わりされた。
☆全ての罪に対する罰と呪いを自らの上に置かれた。
“罪の性質を持たず、一度も罪を犯されなかったイエスが罪人の身代わりとなって死ぬことが「罪の報酬は死」という神の鉄則を曲げることなく人類を永遠の滅びから救うための唯一最後の方法であった。この十字架の贖いの意味を私達は霊によって受け取り、喜びをもってこの恵みを伝えていく責任がある!

贖いの3つの意味①奴隷の代価を支払う ②奴隷を市場(環境)から外に連れ出す③奴隷から完全に解放、自由にする。というのが、イスラエルの民がエジプトで過ぎ越しがあり、エジプトから荒野に、そして約束の地へと入るという過程と重なって感じられた。

3つの贖いを完成してくださったイエス様がいらっしゃるのに、荒野で文句を言い、奴隷の方が良かったと言い、約束の地には巨人がいるから入りたくないと駄々をこねているイスラエルの民と自分が重なった。完全なる十字架の贖いの喜びを完全に受け取るということができなければ、どうして伝えて行くことができようか⁈

毎年受難週は、なぜか色々なチャレンジがあるが、今年は今までで最も苦しいレント~受難週だった。祈ることもできないほど、自分にフォーカスが行き、自分はダメだというサタンのささやきが何度も聞こえ、落ち込んだ。そんな時は主にある兄弟姉妹が祈り支えてくださった。そして主は祈りに応えてくださり、愛を実践してくださった。感情や、知識でなく、霊によって十字架の意味がじわじわと染み込んだ。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 “霊”の火を消してはいけません。」1テサ5:16-19
本当に毎日このようなものとして歩み、霊の火を燃やし続けるものとなりたい。イエス様が一緒に歩んでくださって、私達のこころに住んでくださっているから、きっとできる。私がするのではなく、神がしてくださると信じます!

この学びに感謝して。Yoko J
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